2008年02月03日

日本の教育の進むべき道は!?4

cd2b9c5a.JPG 31日、NHK7時のニュースで、教育再生会議が最終報告を福田首相に提出したことを知った。

 それに続いて、7時30分からの『クローズアップ現代』では、『ヨーロッパからの“新しい風”【4】教育で国の未来を開け』を放送した。

 双方は、時間的に連続していたし、その内容があまりに好対照だったものだから、思わず笑ってしまった。

もう、笑うしかないといった感じだった。



同会議の言うところにしたがえば、今後、日本は、学力低下の道をたどることになる。双方を見ながら、その確信を深めた。


 同会議のメンバーは、ほんとうに日本の子どもの学力を心配しているのだろうか。
 自分たちの『経験』や『信念』にこだわっているだけなのではないか。

 少なくとも、外国の事例に学ぶとか、諸調査の結果・分析などを基にして考察するとかいった科学的な態度(PISA型読解的学力)は、皆無なように思える。

 そういう疑いをぬぐうことができなかった。

 特に、同会議には、教職にある者もいるのだから、その、彼らの、そうした態度には、怒りにも似た思いを抱いた。



 逆に、NHKはよくやってくれている。

 しっかり『ゆとり教育』の本質をとらえている。

 そして、上記、外国の事例とか、諸調査の結果・分析などを紹介してくれる。だから、わたしたちは、正しい教育のあり方を考えることができる。

 今後も、こうした姿勢を、ぜひ一貫させてほしい。



 そこで、まず、

 同会議の報告の、気になった部分をピックアップしてみよう。

 一口で言えば、『読み・書き・ソロバン的』学力による競争社会の実現だろう。

 
〇道徳を徳育とし、教科として充実させる。(これは前記事でふれたので、今回は話題としない。)

〇ゆとり教育を見直す。
 ・全国学力・学習状況調査の結果検証、授業時間の増、習熟度・少人数指導の強化

〇教員免許更新制により、教員の指導力を高める。

〇学校選択制の導入。

 逆にほとんどふれていないのが、わたしのよく言う、『大学入試改革』と『学ぶ意欲の喚起』策だ。
 もっとも、『ゆとり教育を見直す』と言っているのだから、そうしたことの必要性は感じていないわけか。


 上記、同会議報告の気になる部分を、『クローズアップ現代』はことごとく覆していた。それがあまりに、日本の現状を皮肉っているように見えたから、思わず笑ってしまったのだった。




 それでは、『クローズアップ現代』で放送していたことから、上記報告を考察してみよう。



 まず、イギリスを見てみたい。

 イギリスは、サッチャー首相当時、『知識を基盤とした教育により育てた人材で、豊かな経済を構築する。』というビジョンを掲げ、教育改革にのり出した。

 そして、サッチャー自ら、競争力の導入を図った。


 驚いたことがある。ロンドン市内の、ある公立小学校だが、

 日本人の感覚からすれば、いくら競争による教育を標榜する人でも、『そこまでやるか。』と思うのではないか。

 給食時間、特別な席があり、成績や学習態度のよかった子どもだけに、ケーキやジュースをだしているのである。

 そして、競争により、学習意欲を引き出し、学力の向上を図るというのだった。外発的動機付けの極端なパターンだ。


 また、
 
 全国統一の学力テストを行い、結果を公表する。

 行きたい学校を選べる学校選択制も導入。その結果、成績のよい学校に優秀な子どもが集中するようになった。

 補助金の配分は子どもの数に応じたので、競争に拍車がかかる。その結果、社会に活力が戻り、最高4パーセントの経済成長を達成するようになった。

 どこかの国がやっていること、やろうとしていることに、ものすごく似ていないか。


 しかし、新たな課題が生まれた。

 11歳の子どもの調査で、半数が国の求める学力水準に達していないことが分かった。


 ブレアーの時代になり、軌道修正を図る。

 競争原理は維持しながらも、遅れた子どもの底上げ対策に乗り出す。『基礎学力向上戦略』という。

 予算を2倍にし、教員の20万人増を図る。そして、その教員を成績の悪い学校に導入。

 画面では、掛け算九九をリズムに合わせて唱えるということを、6年生がやっていた。教員は、子ども20人に5人つくとのこと。

 こうした子どもに対しては、特別授業も行われていた。単語の習熟など、マンツーマンだった。

 『学力格差をどう乗り越えるか。イギリスの模索は続いている。』
ということだった。


 なお、これは、今回の放送にはなかったが、以前記事にした、ゆとり教育、是か非か。(日本の悲しい『さが』)にあるように、

 イギリスの教員は、きびしい立場におかされている。再掲すると、

「学力検査の点数によって教員が評価される。それが査定にまで響くため、教員はシビアになっている。それで、今、大問題になっているのは、教員の志望者がものすごく減ってしまって、定数が埋まらない状況がある。いい教員がほしいとして始めた取組だが、皮肉にも逆な結果となっている。」

というのであった。




 次。拙ブログではおなじみのOECD教育局指標分析課長アンドレア・シュライシャー氏(同番組では、シュライヒャー氏と紹介していた。しかし、拙ブログにおいては、本引用サイトの通りシュライシャー氏で通させていただく。)に、国谷裕子キャスターがインタビューした。

 もう何度も同氏の講演を引用させていただいたから、その方のお顔を見ることができたのは、大変うれしかった。



 インタビューで分かったことは、

〇学力格差を是正するには、すべての子どもが学ぶ意欲をもてる環境を整えること。その環境で、一番重要なのは、学校・教師だ。
 子ども一人ひとりの理解度に合わせた支援を行う必要がある。

〇PISA調査には、『正解が一つ』という問題は一つもない。知識を暗記しているかどうかを測るのは簡単なことだ。同調査が測ろうとするのは、問題を科学的に考える力だ。
 実際の人生では答えは一つではないことが多い。状況によって複数ある。
 
 教科書で学ぶ知識は、すぐ時代遅れになる。一生懸命暗記しても、大人になったら、役にたたない。
 必要なのは、状況を分析し、他人に論理的に説明し、情報を批判的にとらえる能力。さまざまな分野の知識をつなぎ合わせて、科学的に問題を解決に導く能力だ。

 これからの社会は、簡単に暗記できる知識が必要なのではない。簡単に測れる能力は必要なくなる。そういったことは、コンピュータの方が人間よりすぐれている。

 これからの大人は、状況に応じ臨機応変に対応しなければならない。また、幅の広い事柄に適応できる能力、協調し合いどのような人とも一緒に働く能力、きびしい職場で生き抜く能力、状況に応じて問題を解決していく能力などが求められる。



 ほんとうに、同氏の言葉の一つ一つに、賛同の思いだった。

 まず、『学ぶ意欲』をとり上げ、そのために一番重要なのは、教員としているところが、いいなあと思った。

 また、どういう学力が大切かということについてだが、

 わたしも、こうしてブログをやらせていただいて、分からない言葉とか、自信がない言葉を使おうとするときは、必ず、拙サイドバーに貼り付けてある辞書で調べることにしている。
『知識は、コンピュータの方がすぐれている。実生活においては、知識をもつことよりも、適応、協調、問題解決力などが、必要。』は、日々実感しているところだ。

 


 そして、画面は、フィンランドの教育に切り替わる。

 OECDの学習到達度調査で世界一のフィンランド。

 まず、都市近郊の森のなかで、子どもたちが観察学習している。

 4年生が身近な自然環境を学んでいる。森の中で自由に観察し、発見したさまざまなことをノートにまとめていく。

 一人の子は、日陰で育つ植物の特徴を発見した。
「茎は細くて曲がりやすいけれど、根はこんなにしっかりしている。」
「それは、いい発見ね。」

 知識を教えるのではなく、子どもたちが自ら考え、学ぶ力を育もうとしている。自分で行動し、自分で発見していくことが大切だ。


 そんなフィンランドも、かつては、知識を教えることが大切とされていた。

 転機はソビエト連邦の崩壊。たよる国がなくなって、深刻な不況を迎えた。

 そのとき、国は、国家の危機を救うため、大胆に教育改革へ乗り出した。

 自ら考える力を養う教育への転換だ。情報伝達などでの、新たな人材の育成をねらい、自立した国づくりを目指すことになった。

 「教育は投資。国の競争力にかかわる問題だ。不況から抜け出すには、人という資本への投資が必要だった。

 かつては、国が、教材の選定から指導内容。カリキュラムなどを細かく定めていた。しかし、そうしたことは、地方に委譲することにした。

 『学ぶ』ということは、本来、とても繊細で、個人的で、複雑なことだ。本来の教育を受けさせるため、多くの権限を現場にゆだねた。子どもたち、教師、校長に任せた。


 その背景には、質の高い教師の存在がある。

 フィンランドでは、教職は、社会的地位が高く、あこがれの職業だ。大学の教育学部へは、志願者の十人に一人しか入れない。(この辺、日本のような意味での入試はないフィンランドだから、どのように選抜するのだろうか。それは分からなかった。)そして、修士課程の修了が必要だ。さらに、教壇にたつには、のべ半年の教育実習を行う。

 画面では、担任に加え、若い指導官が、実習中の学生の授業を見守っていた。そして、一人ひとりの子どもに目を配り考える力を育てているか、きびしく見守っていた。


 こんな例が出ていた。

 多くの子が手を上げているのに、なかなか目を配れず、一人の子がおいてきぼりを食ってしまう。
「ずっと手を上げていたのに、先生は気づいてくれなかった。」
と、泣きそうな表情だ。

 事後の指導では、

「もっと教室全体に目を配るように。子どもはみな先生に面倒をみてもらいたいと思っている。もっと早く対応できたら、あの子はもっと先に進めたはず。」

 きびしいので、中途で教師をあきらめる人もいるとか。

 

 再度、インタビューへ。

〇PISA調査に現れた学力の高い国は、科学に対し前向きだ。それは、生活に直結しているからだ。そして、科学を学ぶことに強い興味を抱いている。
 それに対し、日本は科学離れしていると言われる。それは、国が、将来の生活において科学は重要と、考えていないからだろう。

〇身の回りに、楽しいことがいっぱいある現代は、教育にも工夫が大切だ。
 一人ひとりの能力を把握し、それぞれに合った指導を行う。

〇また、教師だけに任せるのではなく、行政が支援していく。

 教育に対する権限は学校現場に委ねる。そして、多くの責務を引き受けさせる。そのうえで、何かあったときは、行政が支援する。そういうシステムづくりが大切だ。

〇未来の大人たちは、きびしい環境におかれるのかもしれない。世界の明日が見えない今、どう生き抜いていくかの模索は続くだろう。
 しかし、見方を変えれば、おもしろくなっていくのかもしれない。適切な能力を身につければ、自分に合った職場で、より充実した生活を送るチャンスはふえるのではないか。

〇気候変動などでは、予測できない事態が起きるかもしれない。ても、協調と革新の気概をもって対処していくことが求められる。



 どうだろう。それでは、教育再生会議の提言を吟味してみよう。


〇全国学力・学習状況調査の結果検証
〇ゆとり教育の見直し
・全国学力・学習状況調査の結果検証、授業時間の増、習熟度・少人数指導の強化
〇教員免許更新制により、教員の指導力を高める。
〇学校選択制の導入。


 日本は、見事に、イギリスのまねをしていると言えないか。

〇この方針でいけば、今後、学力格差は、ますます深刻になるだろう。

 習熟度別学習は、格差を固定、拡大させるのだ。PISA調査ではっきりそれはでている。

 この日、東京都杉並区の和田中学校が、『夜スペ』なるものを開始したとの報道もあった。その放送をした民放は、『同中学校は、遅れた子への対応もしていて、今回は、より進んだ子どもへの対応だ。』と述べ、肯定的なニュアンスで放送していた。

 でも、これは、かたちを変えた『習熟度別』だ。

 イギリスの二の舞になることを恐れる。


〇学校への管理色も強まっていくだろう。学校の自主性を認めない方向に進んでいる。全国一斉の学力検査結果による全国の学校ランキング、国による学校評価など、そういうものが見え隠れする。
 そうなれば、子どもの学力が深刻な事態になっていくこと、これも、PISA調査が証明している。

 したがって、イギリス並みにまで、学力が低下していくだろう。(もっとも、日本は、ケーキやジュースで差をつけるまではやらないかな。)


〇教員の質を高める努力。これが一番大切だ。学力格差を縮める特効薬と言ってもいい。

 しかし、それは、断じて、免許更新制ではあるまい。大学において、一定時間研修を積んでも、何も、指導力の向上には結びつかない。多忙な教員に、無駄な時間と金銭を費やさせることになる。

 ここは、フィンランドのように、あくまで、教育現場においての研修こそが、重要だ。

 今、わたしも携わらせてもらっている初任者研修。また、現場で行っている授業研究。そういったもののさらなる充実こそ、指導力の向上に直結するものだ。

 
〇そして、放送を見て、日本は、指導法において、フィンランドのまねをする必要はないと思った。フィンランドは、あくまで、個人指導、個別指導のようだ。(グループはあるかもしれない。)

 日本のような、問題解決学習は行われていない。そう見ていいと思う。

 問題解決学習。もうすでに何度も記事にしてきたように、

 友達と議論することによって、いろいろな考え方があることを実感し、協調したり、資料を読み取ったりするなかで、自己の考えの修正を図ったり、深めたりする一斉学習。

 それは、まさに日本の実情に合い、そして、考える力、学ぶ力、さらには、世の中がどのように変わろうとも、それに適応し、対処できる力を養うことになる。

 そうした指導力アップを、教員に求めたいし、それを保障する制度化こそ、国(ほんとうは、地方行政府なのだが、)に望みたい。

 
〇最後に、しつっこいようだが、再度、ふれさせていただきたい。日本を暗記主義、知識中心主義にしてしまっている諸悪の根源は、大学入試にある。

 この改革こそが、日本の急務だ。


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 それでは、嘆いたり、笑ったりしていても始まらないので、わたしの主張する教育再生策を、再掲しましょう。



 日本は、子どもを、意欲的に学ぶ気持ちにさせることに、完全に失敗している。したがって、そこに焦点を定めて、改善策を検討しなければならない。

 
〇受験本位の教育システムを改善する。

〇授業改善が急務だ。

 習熟度別授業をやめ、教員の授業力アップを図るなかで、低位グループの引き上げを図る。

 そのために、教員を雑務から解放する。授業に専念できる体制にする。中学校の部活動は、社会教育にゆだねる。

 並行して、内発的動機付け重視、子ども主体の学習など、授業力アップのための研究研修体制を強める。あくまで現場本位、実践重視の体制だ。

 学校が主体的に、教育活動に取り組めるようにする。

 そうした観点での査定なら、賛成する。

〇家庭教育の重要性を認識できるようにする。

 ただし、家庭に対しストレートにお説教しても、改善は望めない。あくまで、上記取組のなかで、学校への信頼を高めることを通して、家庭教育が改善されるという考えで取り組む。


 それでは、今日も、皆様の1クリックを、よろしくお願いします。

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 母校の入試が始まりました。私も試験監督でお手伝い。何やら今年は史上最多の受験生がいらしたとかで、商売繁盛まことに結構なことであります。近年は色々と学部改組・再編を繰り返している我が母校ですが、文学部や社会学部、法学部、経済学部、理学部といったオーソドッ...

この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2008年02月03日 06:09
もの凄く参考になりました。
教育再生会議で決定したものがそのまま新しい教育の主流となるのかならないのかはわかりませんが、よい方向へ向かうことを願っています。

>そのために、教員を雑務から解放する。
>授業に専念できる体制にする。
>並行して、内発的動機付け重視、子ども主体の学習など、授業力アップのための研究研修体制を強める。
>あくまで現場本位、実践重視の体制だ。

確かに、このへんのことを、お役人さんたちは全くわかっていないように感じます。
うまくいっていない教育現場に1ヶ月入ってみれば、その実態がわかるかと思います。
OECD的な学力向上を掲げるなら、フィンランドに1ヶ月行ってみるべきです。
そんなこともできないのかなあ・・・机上の空論ですね。

相変わらず元気が出てくる記事。ありがとうございました。
2. Posted by toshi   2008年02月03日 16:17
hirarinさん
 テレビでは、フィンランドに、日本から視察に来ている人たちも写っていました。確か、日本からの視察団と紹介していたと思います。
 フィンランドには、世界中から、ひきもきらないほど、多数の人が訪れているようです。
 ただ、政府関係者も行っているかどうかは、ちょっと分からないですね。行ってくれればいいのですがね。
 PISA調査のランキングにはあれだけ敏感な日本が、その考察においては、まったくなっていないこと、驚くばかりです。
 とにかく、結論ははっきりしています。教員にがんばってもらうこと。それも、学級経営、授業研究、指導法の改善。それに尽きますね。そういう方向なら、厳しさもあっていいと思うのです。
3. Posted by toshi   2008年02月03日 16:34
 なんていうことはない。むかしから言い古された言葉、『教育は人なり。』が、PISAによって証明されたようなもの。
 しかし、今の日本政府(再生会議)は、教員の指導力アップの邪魔ばかりしている感じです。『管理しよう。』『統制しよう。』という思いが強いのでしょうね。
 そうか。あと、いまだに、『豊かな知識』への信仰がくずれないということもありますね。

 どうなのでしょう。

 まったく無名のふつうの市民が、こうして、自分の思い、主張を、日本中(世界中)に向けて表現し、発信できる社会。そして、パソコンがあるからこそ、つながる、新しい人間関係。
 『ウェブ進化論』の梅田望夫氏は、『仕事(職業)も、大きく変化していく。今、予想もつかないような仕事が数多く誕生するだろう。やりたいことをやって飯を食える社会が到来する。』と言っています。
 記事中のシュライシャー氏の言葉に通ずる面がありますね。

 そのとき、必要な資質は。もう、一目瞭然ですね。
4. Posted by 電車女   2008年02月03日 22:01
>〇最後に、しつっこいようだが、再度、ふれさせていただきたい。日本を暗記主義、知識中心主義にしてしまっている諸悪の根源は、大学入試にある。
この改革こそが、日本の急務だ。

同感です。
5. Posted by toshi   2008年02月04日 06:42
電車女さん
 大学入試については、これを撤廃し、『入るのは簡単だが、出るのはむずかしい。大学にふさわしい努力を必要とする。』というように改革してほしいものです。そうすれば、高校も、入試準備教育から開放されますよね。
 本来の高校学習指導要領にふさわしい教育ができるというものです。

 昨日、大学生が勉強していないというニュースが流れましたね。
 このようなシステムをやっていれば、当たり前だと思うし、日本は取り残されますね。
6. Posted by やっら びーなー   2008年02月10日 13:36
>日本を暗記主義、知識中心主義にしてしまっている諸悪の根源は、大学入試にある。>

「諸悪」とまではいかないにしても、ま、確かに悪弊を生む素地にはなっているでしょう。
大学入試→官庁、大企業就職へのパスポート→昇進へのパスポートという構図がある限り、大学入試だけを槍玉に挙げても、解決するかどうか。
企業でも、かなり風化してきているとはいえ、歴然として学歴(学閥)は、昇進の「目安」ぐらいになっているのが現実です。ましてや、官庁においておや。

私はもと民間人で、日本人学校に3年間「奉職」した稀有な体験をした者です。私のブログでは、民間人の目で見た公教育現場を「解剖」しています。
元校長職にあった方には、少々刺激が強すぎる内容かもしれませんが。
ご興味あれば、訪問なさってください。
http://taxguzzler.livedoor.biz/
7. Posted by toshi   2008年02月10日 17:53
やっら びーなーさん
 わたしにも同じ思いはあるのです。
 やはり、フィンランドのように、かなりの危機がやって来ないと改革は無理なのでしょうかね。

 でも、わたしは絶望してはいません。

 それに、第一、本記事においては、わたし、そんなに大仰なことを言っているつもりはないのですよ。
 やっら びーなーさんがおっしゃる
《大学入試→官庁、大企業就職へのパスポート→昇進へのパスポート》
の図式をお借りすれば、
《入試なし→大学在学中の成績・卒業試験突破→官庁、大企業就職へのパスポート→昇進へのパスポート》
となるくらいの改革を言っているに過ぎません。これだけでも、ずいぶん、小・中・高の教育はよい方向にいくと思いますよ。
8. Posted by toshi   2008年02月11日 09:06
やっら びーなーさん
 前記コメントの続きなのですが、えらく時間的に離れてしまって申し訳ありません。
 貴ブログを読ませてもらいました。確かに、教員には、前例主義があると思います。
 わたしも、かつて記事にさせていただいたことがあります。本コメントのわたしのHNをクリックしていただければ、その記事が出るようにしましたので、よろしければ、ごらんください。
 教育という場においては、場合によっては、理念、道理よりも、豊かな人間関係の構築を優先させることも必要かと、そんな事例を掲載しています。
9. Posted by やっら びーなー   2008年02月15日 08:10
『前例主義あれこれ』拝見しました。

ナルホド、目に浮かぶようです。
先生たちは、「子どもに教えられる」とよく言ってましたが、そういうこともあるのですね。
ま、学校では子どもが「Customer」 ですから、
企業が「顧客に教えられる」という事と同じようなもの、と考えれば何の不思議もないわけですが。
10. Posted by toshi   2008年02月15日 10:09
やっら びーなーさん
すみません。本コメントにお返事する前に、上記7番につけたしさせてください。
 わたしは、やっぱり、学歴中心主義、年功序列主義は早く脱却してほしいと思っています。

《入試なし→大学在学中の成績・卒業試験突破→官庁、大企業就職へのパスポート→昇進へのパスポート》となるくらいの改革を言っているに過ぎません。

というのは、『あくまで本記事においては』ということですので、本心、その程度の改革でいいと思っているわけではありません。
 
11. Posted by toshi   2008年02月15日 10:27
そう。わたしも、拙ブログにおいて、何度も、『子どもから学ぶ』をテーマにした記事を書いています。
 
 すみません。一つ、質問させていただいていいですか。
 わたしは、教員が、『子どもから学ぶ。』と言った場合、
〇「はあ。子どもってそのような考え方をするものか。」というように、児童心理などの理解が進むというケース
〇上記と似ていますが、指導法の改善に役立たせることができるといったケース
〇教員と子どもという立場、つまり、教育の場ということを離れ、『人間として子どもを尊敬できるケース(純粋性、素朴性など)』
などがあると考えていますが、
 企業が、顧客から教えられると言った場合も、同じ意味合いをもつと考えていいのでしょうか。
12. Posted by 前田   2008年02月20日 18:40
はじめまして、前田と申します。
ネットだと嫌気の刺す文面が多いなか、気持ち良く読み進める事が出来ました。
それでは、私の考えを聞いていただけますでしょうか?
私は行政に付いて勉強しており、市役所職員と接するなかで教員も含めた公務員共通の課題を感じています。
それは、社会主義国の様に結果が保証されている為に利用者(児童・生徒)満足の向上への取組意識が低い事です。
勿論、全員がそうだとは思っておりません。
しかし、組織として自浄機能が低かったのは否めないのでは・・
あなたのような指導者が増える事を期待しております。
13. Posted by toshi   2008年02月20日 20:36
前田さん
 コメント、ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いします。
 前田さんのご意見、一点の留保はさせていただきますが、全面的に同意します。社会保険庁のことは、その最たるものでしょう。我々教員の世界にしても、指導力不足教員を温存してきたことは否めません。
 でも、資本主義側も同様なのではないかというのが、わたしの思いです。利潤追求は当然としても、『儲かれば何してもいい。』が目立つ昨今ではありませんか。
 わたしの思いは、資本主義か社会主義かということではなく(どちらも自浄機能が低い。)、いかに受益者主権の体制を整えるかの問題ではないかということです。
 そういう記事を書いたことがあります。本コメントのわたしのHNをクリックすれば出るようにしましたので、よろしければご覧ください。 
14. Posted by かとう   2008年03月11日 00:44
大学入試に関してですが、社会科系科目を除くと、さほど暗記中心でもないような気がします。まあ私が見たのは1校だけなのですが、基本的には暗記暗記で勉強していくよりも、もっと知性の根っこを強くするような学習こそ役に立つような問題だったように思います。

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