2008年02月05日

我が父と社会科(2) 現場学習のために

d7df7f0c.JPG 前記、(1)の続きで、昭和28年、父がある雑誌に寄稿したものである。なお、(   )内は、わたしが補足した。

 それでは、どうぞ。




 『鉛筆工場を見学しよう。』というわけで、その計画をたてる授業を見たことがある。その見学調査がうまくいくようにということで、綿密な計画をたてるわけである。

 鉛筆はどうしてできるのだろう。どんな材料、どんな手順、どんな仕事、どんな機械、どんな工夫がなされているか、・・・、などの話し合いだが、さっぱり子どもはのって来ない。

 それも道理である。子どもは明日見に行こうとするので、まだ鉛筆の作り方も、その様子も知らないのである。
 知らないことを細かく計画しようというのが、大体無理な話である。この学習の内容上のことは、細かく案出しようがない。それを無理にさせようとするから、おしつけや説明本位の授業になってしまうのだ。

 事前に細かく計画を得、しかもされるべきことは、見学者の人的組織とか、記録の仕方とか、見学の仕方、態度とか、見た後のまとめ方とかいうような形式的なことであろう。

 (どうしてこのようなことが起きるか。それは、『見学を有意義ならしめるために、まずは、概観をしておこう。』という思いになるのであろう。でも、このようなことをしたら、概観の際、子どもがのって来ない上に、いざ見学に行っても、もう分かった気になって、見学への好奇心も、薄れてしまうというものだ。)

 問題を見つけて、それをせんじつめようというのではなくて、つまり、具体から抽象への道ではなくて、
 そうしたやり方は、まず、概観であり、抽象度の高いものから、細部、つまり具体へという、逆コースになるようで、これは、内容的知識をたくさん取り込もうという意図があるようだ。



 現場活動は、問題発見のために行われる。


 わたしは、4年生の、我が市の交通状態を研究するために、子どもたちとA駅、B駅を訪ねたことがある。(子どもにとって変なことがあるのである。落ち着かない。そこで訪ねることにした。)そして、このような対比ができた。

 A駅は、B駅より、はるかに大きい。それなのに、切符売り場の窓口(当時窓口には駅員がいて、駅員が切符を売っていた。)は、B駅の方が多いのだ。

 それを不思議に思った子どもが、乗降客数を調べた。すると、A駅は九万余なのに対し、B駅は十四万余である。
(窓口の件は納得できたが、駅の大小については、『変だ。』『落ち着かない。』という思いは、さらに増幅された。)

『なぜ、A駅の方がはるかに大きいのだ。』という『疑問』は、『問題』となったのである。
(『疑問』が『問題』にということについては、
『初めは数人の意識だったが、学級全体の問題意識となった。』という意味と、
『調べればすぐ分かってしまうこと』から、『資料等を駆使してみんなで話し合って解決していくこと』への深まりという意味との双方があるだろう。)


 そうして見学にいき、分かったことは、

 A駅は、私鉄、国鉄合わせて、路線が多いのに対し、B駅は少ない。
『それなら、どうして、乗降客は、B駅の方が圧倒的に多いのか。』

 これは、駅員さんに質問することになった。
「A駅はね。乗降客は少ないが、乗り換えのお客さんが多いのだよ。乗換えを加えると、五十万近くになる。」

 それで、当初の、『変だ。』というおちつかない思いは解消した。つまり、『A駅の方が、乗降客は少なく、切符窓口は少ないのに、駅が大きいわけ。』は、分かった。


 しかし、そこから新たな疑問が始まる。それは駅員さんの説明から起こった。

 A駅の方が切符の売り上げ枚数は少ない。それはいい。だって窓口は少ないのだから。それに乗り換え客は、A駅で切符を買うことはない。

 だから、その点は納得できるが、できないのは、切符の売り上げ高は、A駅の方が多いということだ。


 この解明はむずかしい。『数字の間違いではないか。』と言った子もいた。そこで、再度質問の電話をかけたが、間違いはなかった。


 そこで、思案した。

「夏休みにいなかへ行くときは、A駅から乗った。」
「〇△遊園地に家族で行くときは、B駅から乗った。」
「お父さんが会社へ行くときは、B駅から乗るよ。」

 そういう、生活経験がたくさんでてきた。つまり、近距離はB駅から、遠距離はA駅から乗るというわけである。


 再度、A駅を見に行く。

 なるほど。A駅は、省電、私鉄だけでなく、長距離列車の発着もある。長距離なら切符も高い。それでやっと納得できたのである。(なお、参考までに、この時代は、新幹線はもちろん、緑の窓口も、まだない。)



 かように、現場学習においては、何回もの調査によって、調べるものを内容的に深めていくという方法はやりよい。一ぺんの見学で用を足してしまおうとすると、こうした内容的な深まりは、はかれないだろう。

 また、

 現場学習を深く突っ込みがかけられるようにするには、このように、一見矛盾に見えるような事象を見つけ出すようにしむけていくことが大切だと思う。

 『変だぞ。』と感づかせるように、不思議なことを見つけ出し、つじつまの合わないと思えることへ首を突っ込ませるように、そういう羽目に陥るようにすると、子どもは自ら張り切って、もう一度調べに行って来ようと跳び出していくので、活発に自発的活動をするようになる。

 このように細部にわたる事象の具体的調査から進めていって、最後にまとめとして抽象化するとか、概観とかが来るのではないか。



 本日の、父の実践の紹介はここまで。



 国鉄とか、省電とかいう言葉に時代を感じる。もう、『省電』などという言葉は、パソコンで、すんなり出てこない。

 確かに古いが、しかし、実践や主張は、今も、新しいものをもっている。『問題解決力』『生きてはたらく力』『未来の実生活に役立つ学力』『PISA型読解力』『ゆとり教育でつちかう学力』など。など。

 どれにも当てはまる学力をつちかう学習法と言えよう。



 OECDのシュライシャー氏は言った。

「知識は大人になったとき、役に立たなくなります。」

 その通り。国鉄、省電とも、今は存在しない。

 しかし、問題追求したその経験、蓄積は、大人になったとき、生き抜く力となって機能しているはずである。

 今、数人については、その後どう生きたかを述べることはできるが、それを書くのは遠慮させていただこう。わたしより、2歳上の方々である。


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ninki



 父の実践を、息子が解説する。

 変な話ですね。ふつうは逆でしょう。

 でも、このとき、父は、39歳かな。

 今、わたしは、60歳とちょっと。そういう意味では、ご理解いただけるかな。すみません。でも、変な気分でもあります。

 それでは、今日も、皆様の1クリックをよろしくお願いします。

rve83253 at 08:57│Comments(7)TrackBack(0)問題解決学習 | 社会科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2008年02月05日 15:42
毎年夏休みには、数組の親子で工場見学へ行っています。ついつい事前準備と思っていましたが、《いざ見学に行っても、もう分かった気になって、見学への好奇心も、薄れてしまうというものだ》にドキッとしました。今年の夏はどこの工場見学に行くか、そこから決めさせようと思っています。「有意義な見学」にするのは難しいですね。
toshi先生とお父様、素敵な関係ですね。きっとお父様は、空から微笑んで見ておられることでしょうね。
2. Posted by きくちR   2008年02月05日 22:53
Toshi先生のお父様が実践されたような現場活動が行われれば、新しい問題に直面したときの問題の捉え方が異なってくるのでしょうね。知識学習だと問題に直面したとき、自分が知っている事象に当てはめることになるかもしれません。一見すばやく適切な回答が得られ、効率はいいように思えるかもしれませんが、本当に重要な部分が置き去りにされそうな気がします。(次に続きます)
3. Posted by きくちR   2008年02月05日 22:54
まっさらな状態で現場に行けば、知識学習では思いつかないようなたくさんの「変だぞ」を発見でき、想像力を働かせたり、経験に照らして考えたり、再び現場の方に尋ねたり、調べたりしているうちに、「変だぞ」が解き明かされていく。これが学校で行われれば、みんなの意見も聞けるし、協力の大切さも分かるかもしれない。そんな経験をしたら、新しい問題に直面しても、何とか乗り切れる自信が付きそうな気がします。
そして、なんとなく、失敗したら考え、条件を変えて繰り返して行う理科の実験とも似ていますよね。
Toshi先生のお父様のような先生に出会えば、子どもの将来も少し変わってくるような気がしました。
4. Posted by toshi   2008年02月06日 08:45
yokoさま
 地域の子ども会とか、PTAなどが行う見学と、学校が授業として行う見学とは、目的、観点などが違うと思いますよ。
 皆さんが行う見学は、見学後、問題を深めるとか、矛盾を解決するとかいったことは、基本的にないわけで、そういう場合は、見学先での一件落着が望ましいわけです。
 ただ、事前に一見矛盾を抱えている事象を見せて、『どうしてだろう。』『どうなっているのだろう。』という思いを抱かせようとするのは、概観とは違い、有意義だと思います。こうして行う見学は、学校であるなしにかかわらず、子どもの好奇心をかき立て、しっかり見てこようとするのではないでしょうか。
 父との関係は、あまりよくない時期もありました。ちょっと恥ずかしいです。
5. Posted by toshi   2008年02月06日 09:21
きくちRさん
 クローズアップ現代の国谷裕子さんは、シュライシャー氏への質問で、こうおっしゃっていました。
「単に知識を覚えさせたり、覚えた知識の量を測ったりすることは簡単なことだとおっしゃいましたが、学校は長い間、そういうことばかりに力を入れてきたので、『考える力』を育むということには慣れていないのではないでしょうか。」

 『そんなことはないぞ。』と言いたいのですが、でも、やはり、学校の一般的な実態としては認めざるを得ない状況に、もどかしさを感じました。

 わたしが、教員免許更新制でない、あくまで教育現場での指導力アップのための研究、研修が大切と言うとき、

 教員が、慣れていないとされる分野(子どもの考える力を養うための指導力)へ挑戦し、ほとんどの教員がこういう力を持っている状況にしたいという意味合いをもっています。
6. Posted by きくちR   2008年02月06日 10:50
>わたしが、教員免許更新制でない、あくまで教育現場での指導力アップのための研究、研修が大切と言うとき、
私も子ども達を教えてくださっている先生方が篩にかけられるような教員免許更新制に疑問を感じていました。そして、toshi先生のお父様の実践を読み、総合の時間などを活用して、「子どもの考える力を養うための指導」ができることを理解しました。「教育現場での指導力アップのための研究、研修」が実現されれば、子ども達にとって本当に素晴らしいだろうなぁと感じます。
そのために母親の私が具体的できることは、今のところ2回のクリック。同時に、これからも模索していきたいと思います。
7. Posted by toshi   2008年02月06日 12:26
きくちRさん
《そのために母親の私が具体的できることは、今のところ2回のクリック。》
 ありがとうございます。わたしのブログを上位に押し上げることによって、より多くの市民の方々に読んでいただけるようにしようとされていること。ほんとうに感謝します。

《教育現場での授業研究》
 これについては、注釈が必要だと思いました。ときどき、保護者の声として教育ブログにも書かれるのですが、
『ノルマをこなすような授業研究は意味がない。教員同士が互いに授業を見合うわけだから、その間、研究授業をしていない学級は自習になってしまう。』
確かにこういう授業研究もあるのです。それでは、意味ないですよね。子どもの育ちはないことになってしまいます。

 我が地域では、最近は、情報公開の一環として、授業参観とは別に、研究授業も保護者に公開する学校がふえています。いいことだと思っています。 

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