2008年02月09日

時代というもの3

8fd068a4.JPG 前記事の、『大先輩を悼む。』を書いてから、『ああ。このことには、説明が要るなと思ったことがある。

 もしかしたら、若い教員の方々はその『30有余年もご指導いただいた。』ことについて、その期間があまりにも長いことに、いぶかる思いをもたれたかもしれない。
 
 『A先生とtoshiは、かつて同じ学校にいたというわけでもないのに、どうしてそんな長期間、ご指導いただくことになるのだ。』


 また、もし我が亡父が存命中だったら、やはり、同様の思いを抱いたことだろう。

 ただし、発する言葉は同じでも、父と今の若い教員とでは、その思いの背景にあるものがまったく異なる。



 今の若い教員は、学級担任が担任のままで、他校の授業研究の指導にいくことは考えられないのではないか。

 逆に亡父の場合は、退職後も、授業研究の指導をするということが考えられない。


 そこからは、はっきり、時代の違いが読み取れる。


 もっとも、こういうことは地域による違いがものすごくあるだろうから、一応、『我が地域においては、』としておきたい。



 かつて、わたしが30歳代だった昭和50年代。研究会講師は、他校の平教員にお願いするのが常識だった。『大先輩』のA先生にしても、平教員だった。このころ、他校の校長が指導することは、ほとんどなかった。

 当時の常識は、『今、まさに学級で授業をしている教員こそ、最良の講師。』という思いだったのである。

 学級担任なら、授業について指導講評するとき、『自分の実践では、〜。』と、ホットな話をすることができる。指導を受ける方も、より具体的で身につまされるような話をうかがうことができて、すごく勉強になる。


 わたしも当時、校長から、
「toshiさんよ。うちの学校は、多くの先生からご指導いただいているのだから、そのお返しもしなくてはな。講師の依頼を受けたときは、ぜひ、行ってやりなさい。」
と言われたものだった。

 わたしは修行中だったから、他校へ行っても、とても指導するなどという立場ではなく、『ともに学び合いましょう。』という姿勢で一貫させた。
 


 わたしの父も、生前、言っていたことがある。

(もっとも、これには注釈がいる。父とよく教育の話をするようになったのは、父の晩年のことだ。それは、『父を語る(1)』にくわしい。)


 「わたしが学級担任だったころ(昭和20年代)、午後になると、自習体制をとって、よく出張していた。・・・。でもな。高学年だと、子どもたちは、わたしがいなくても授業を進めてしまうのだよ。早く問題を解決したくてたまらないのだな。だから、わたしがいなくても、自然に話し合いを始めてしまうというわけだ。

 やがて、進行役も決めるようになった。

 翌日、出勤するだろう。すると、職員室に進行役を務めた子どもが来て、『昨日の授業は、〜という学習問題だったでしょう。それで、Bさんたちが〜のような意見を言って、それに、Cさんたちが反対して、〜の資料を見た結果、〜という結論になりました。それで、次の学習問題は、〜ということになりましたが、それでいいですか。』などと、言いにくるわけだ。

 修正や確認が必要なため、わたしが、朝、子どもたちに話したり、子どもに聞いたりすることはあったが、だいたいは、その流れで授業を進めることができたなあ。」


 わたしは、平然と聞いてはいたものの、心のなかではびっくりした。そのようなこと、わたしにはまったく経験がない。
 いや。わたしだけではないね。今も、日本中に、問題解決学習を標榜し、実践している教員は、多数いると思うけれど、子どもをここまで育てている教員は、どれだけいらっしゃるか。そんな思いにもなる。

 あくまで、自習は、自習だった。自習が上手にできたかどうかが、いつも気になることだった。



 さて、話を戻そう。

 いつごろから、こうした、『平教員による指導』が変わったのだろう。


 一言で言えば、自分の教室を抜けて他校へ出張することについて、保護者等から批判されるようになったのだ。『子どもたちを自習にさせて、先生はいったいどこへ行っているのだ。大体その回数が多すぎる。』というわけだ。

 教員の出張は、いろいろあるからね。それに加えて、他校の授業研究会の講師では、確かに出張ばかりと思われてしまうのも無理はない。



 もっとも、他校の指導にいくくらいだから、大部分の教員は、自習が上手にできる学級をつくっていたと思う。

 それでも、批判されるようになった。

 昭和50年代の後半からは、そうした理由で、平教員に代わり、校長職が、他校の講師を務めるのが一般的になった。

(またまた注釈がいりますね。『教育委員会には、指導主事がいるだろう。どうして、そういう人が指導しないのだ。』そういう声が聞こえてきそう。

 その通り。指導主事も確かに、指導はする。でも、これは、もう、絶対数が足りないのだ。

 このあたりは、地域による違いもあるのだろうと思う。あくまで、『我が地域では』の話だ。)



 さあ。それがだ。

 さらに時代が進むと、校長も出張しにくい時代がやってきた。

 学校が平穏(変な言い方だね。すみません。)なら、格段の批判はなかったのだろうが、何か問題が起きるたびに校長不在だと、やはり、教職員も含め、不満が出てくる。
 地域の人などからも、『まあ、うちの校長は、いつ訪ねても、いないなあ。』などと言われるようになった。


 その結果、退職者が重宝がられるようになった。A元校長先生にしても、ご指導いただくにはかなりのご高齢なのだが、つい数ヶ月前までまるで現職のように東奔西走されていた。



 このことについて、父も口にしたことがある。そのときは、もう、わたしは校長になっていたから、父の晩年のことだ。わたしが、昨今の教育事情を話すと、

「ええっ。何で退職した者が、現場の指導などやっているのだ。退職したら、さっさと身を引かなければだめではないか。現職が萎縮してしまうぞ。」

 わたしは思ってもみなかったことを言われたものだから、大いに驚き、近年の教育事情を説明したのだった。それで、納得したのか、しなかったのか、父は、もう、無言だったが・・・。




 このように、教育事情は時代とともに変わる。


 そうか。これは何も教育に限定したことではないね。いろいろな職場で、同じような状況はあるのだろう。

 わたしにしても、退職後、初任者指導にかかわらせてもらっているわけだし、今も、他校の研究授業で、講師を務めることがある。

 そう。そう。すでに記事にしたように、このブログのご縁で、他都道府県の学校にも、お邪魔したことがあるのだね。

 父が存命だったら、何と言うだろう。


にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



父は、むかしに生きた人として、それはそれ。筋を通したと思います。確かに、退職後、教育現場にかかわることはありませんでした。校長時代から始めていた、『〇△歩こう会』を主宰することが、退職後の仕事となりました。

 ときどき、拙宅まで熱心に指導を仰ぎに訪れる教員がいると、丁寧に対応していましたが、ただ単にむかしをなつかしんだり、揶揄したりする人に対しては、
「何。コアカリキュラム?そんなものは忘れた。」
と、ビシッと言っていました。


 確かに、時代が変わりましたね。今は、教育委員会が、いろいろなかたちで退職者を求めている時代です。決して初任者指導だけではありません。

 そんなわけでわたしも、身体の続く限り、今の仕事を続けたいと思っています。

 それでは、そんなわたしですが、よろしければ、1クリックをお願いします。

rve83253 at 16:59│Comments(0)TrackBack(0)エッセイ | 教育風土

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字