2008年02月21日

初任者の成長(6)5

53478269.JPG 朝、出勤すると、今年度、わたしが担当している初任のAさんが、にこにこしながら迎えてくれた。わたしの出勤を待ちかねているようだった。

 「toshi先生。昨日、Bさんのお母さんから、とってもうれしいおたよりをいただきました。これ、コピーなのですけれど、読んでいただけますか。」

「ほう。それはよかったね。・・・。よし。どんなおたよりなのかな。見せてね。」


 それで、その内容は、

「うちの子は、これまで内気で、おとなしかったのですけれど、3年生になって、A先生に受け持っていただいてから、とても、積極的になりました。表情も明るくなり、にこにこにこにこしていることがふえました。学校がとても楽しいらしいです。

 『A先生はね。わたしたちのこと、とってもよくみてくれて、いつもほめてくれるのだよ。』と家でよく言っています。『ほんとうにいい先生に受け持ってもらえてBは幸せだね。』って言ってやりました。」


 おもしろいのは、その続きだった。『Bちゃんへ。』と題し、我が子への手紙のようになっていた。ほほえましい思いになった。

「Bちゃん。いい先生に受け持ってもらえてよかったね。4年生になっても、A先生だといいね。〜。」



 わたしは、その手紙を読みながら、半月くらい前、わたしが、Aさんに話したことを思い出していた。

 それは、以下のような内容だった。



 初任のAさんは、ほんとうにしっかりと成長した。もう、来年度以降も9割9分がた、大丈夫だろう。一本立ちできると思う。


 その大丈夫な点とは、教科等の指導法もあるけれど、おもに、児童対応、一人ひとりの子どもとの接し方にかかわる部分だ。


 当初は、『子どもとはこうあるべき。』という思いが強いようだった。子どもを、型にはめよう。』とする対応だった。子どもにしてみれば、窮屈なこともあっただろう。
 
 叱り方も、理づめで、ちょっとしつっこい感じがした。『何もそんな些細なことで、そんなにも叱る必要はないのに。』とよく思い、口にもした。

 そして、ほめることは少なかった。



 でも、それがずいぶん変わってきた。今では、よく子どもをほめている。それも、何がすばらしいのか、明確に分かるようにほめることができる。話が具体的になってきたのだ。

 そうなると、杓子定規な叱り方はなくなった。また、叱っているなかにも、『素直に反省できている。』とか、『お友達にあやまることができたのはえらい。』だとか、いい要素を見つけては、ほめることもできるようになった。

 一番感じるのは、かつて問題行動の多かった子が、とても落ち着いてきたし、A先生の話をしっかり聞くようになったし、表情が柔和になってきたことだ。



 わたしは話し始めた。

「うれしいよね。このようなお手紙をいただけたら。・・・。よかったね。このコピーを、週学習指導案にはって、校長先生にも見てもらいなさい。校長先生もきっと喜んでくださるだろう。

 でも、一番言いたいことは、Aさんのこの一年間の変容だ。すばらしかった。よく努力したね。


 先生にとっては、人との接し方という意味で、初めて経験することが多かったのではないかな。

 初め、『もっと子どもをほめないといけない。ここのところで、こうほめれば、きっと子どもは、こう伸びると思うよ。』などと言っても、Aさんは、半信半疑でいたはずだ。そのような顔をしていたもの。

 でも、今、子どもをほめることができるようになって、そして、そのほめ方も上手になって、驚くことが多くなったのではないかな。『へえ。子どもって、このようにほめるだけで、こんなにも伸びるものか。成長するものか。やる気になるものか。』などというようにね。」

 「はい。そうでした。Bさんだけではなくて、Cさんも、Dさんも、Eさんも内気でしたよね。そういう子たちが、とても楽しそうな表情をするようになったし、それに、とてもよく発言するようになりましたよね。とてもうれしかったです。」

 「うん。そうだろうな。でも、それだけではない。子ども発見というか、人間発見というか、Aさんはそういう経験をたくさんしたのだと思うよ。人の成長、人の変容、そういった意味で、新発見の連続だったのではないかな。」

「はい。子どもをこうしたいと思っていたのではダメですね。子どもの思いや考えを引き出す姿勢が大切なのだと、今、すごく思います。子どもって、もともとそういうものをもっているのですね。」

「そうか。そういうことが分かったのは、よかった。

 それでね。新発見の連続ということは、感激の連続でもあるのだよ。今、子どもの言動で感激することが多いのではないか。」

「・・・。」

 Aさんは無言だったが、心からそのように思っていることは、表情によく出ていた。

「そうだよ。このBさんのおかあさんのおたよりにしても、学校評価のアンケートに答えるなどというものではない。出さないで心に留めておくことだってできるわけだ。それなのに、こうして書いてくださる。
 ここからは、書かずにはいられない。先生に感謝の思いを伝えずにはいられないという、親心が感じられる。

 そういう親の心だって、Aさんにとっては新発見であり、感動だろう。そう思う。


 それでね。

 今、学級経営、児童理解の話をしているのだが、その内容は、けっしてそこにとどまるものではない。

 Aさんだって、やがては結婚して、子どもを産んで、子育てに励むときが来るだろう。そのときは、今やっていることが、絶対生きてくる。そういう意味では、学級経営も、子育ても、同じなのだよ。

 きっといい子育てができると思う。

 あっ。ごめんな。まだ、えらい先の話だな。」




 それから教室へ向かった。

 そうしたら、なんと、・・・、

 FちゃんとGちゃんが泣いている。その泣いているお友達を取り囲むようにして、こまった表情の子どもたち。

 あら。あら。朝、職員室で感動の話をしていたばかりなのに、・・・。ああ、何ということ。・・・。でも、これが現実というものだろう。いいことばかりではないよね。



 でも、そのあとがすごかった。

 HちゃんとIちゃん。どちらも、子どもの方から、Aさんのところへやってきて、真剣、まじめ、困惑、・・・、そのような表情を浮かべ、
「A先生。ぼくたちがいけなかったのだけれどね。〜。」
すなおに、ざんげの言葉を言い出した。

 HちゃんもIちゃんも、年度当初は、問題行動が多く、よく先生に叱られて、時にはふてくされた表情も浮かべていた子たちだ。それが、この態度だから、苦笑いは、やはり、感動に変わった。


 Aさんの対応もよかった。

「そう。分かった。それで、FちゃんやGちゃんにあやまることはできたの。」
二人とも、首を縦に振る。
「ああ。それなら良かった。
 今のHちゃんとIちゃんの態度すてきよ。自分から、『これは自分たちがいけなかった。』って言うことができたのだものね。また、その言い方がすごかったよ。『ああ。ぼくたちがいけなかったのだ。ぼくたちが泣かしちゃったのだ。』っていう思いが、すごく表情に出ていたよ。

 これなら、泣いちゃったFちゃんもGちゃんも、うれしくなったのではないかな。

 ほら。もう泣き止んでいるわ。泣き止んだだけではなくて、にこにこしているね。」


 そうしたら、なんと、今度は、Iちゃんの目から大粒の涙が出てきた。

 Iちゃん。叱られると思っていたら、ほめられちゃったから、緊張の糸がどっと緩んで、感動の涙が出ちゃったと見える。

 学級のみんなが期せずして拍手。さっきまで泣いていたHちゃん、Iちゃんも、泣いたことなど忘れたように拍手に加わっている。


 ああ。いいなあ。

 またまた、Aさんは、人間新発見、そして、感動の体験をしたのだろう。


にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 もう、今年度も残り少なくなりました。

 国の初任者研修は一年と決められていますから、わたしは、A先生ともA学級の子どもたちとも、あと一ヶ月ほどでお別れです。


 でも、この時期だからこそ、気をつけなければいけないこともあります。

 もうすぐ、子どもを手放す初任者。新しい担任は間違いなく自分より年上のベテラン教員になるでしょう。そう思うと、いても立ってもいられなくなるのが初任者の心理。必要以上に怒りっぽくなりがち。

 そういうことのないように、『あるがままでいいのだよ。』

 そうした指導も必要になってきます。

 それでは、今日も、わたしへの1クリックを、どうぞ、よろしくお願いします。


rve83253 at 03:15│Comments(2)TrackBack(0)初任者指導 | 学級経営

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by cryptwell   2008年02月21日 21:57
こちらを拝見するようになってから、学校や教師という職業のことが少しわかってきたように思います。
一昨年でしたか地元の小学校で初任の教師の方が6月ごろに退職されました。ふと、そのことを思い出しました。
2. Posted by toshi   2008年02月22日 08:24
cryptwellさん
 初任者が中途退職するケースは、我が地域でもあるようです。夢と希望を持って就職したはずの初任者が挫折してしまうのは、ほんとうに残念なことです。
 やっぱり初任者研修は、現場で実践的に行わなければなりませんね。

 わたしは、思います。

 本記事のように、教科等の指導法は二番目にがんばることとしていいのではないか。一番は、子どもとの信頼関係の構築でしょう。そこに焦点を定めた研修でなければなりません。

 今、このことについての困難さが増しているにもかかわらず、多くは、相変わらず、教科等指導法の研修を中心にして行われているような気がしてなりません。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字