2008年02月28日

地域の連帯感を5

e6a6ae91.JPG 前記事にこう書いた。

 『むかしなら、ほおっておいても自然に育まれたコミュニケーション能力、人の思いへの共感・反発・理解だったはずだ。
 しかし、(人の暮らしが豊かになるにつれて、)そういったものがみがかれたり、そういったものにもまれたりするチャンスは、ものすごく減ってしまった。』

 そして、『(そうなったことについては、)家庭や地域のせいにしたいわけではない。社会が構造的に変化したと言いたいだけだ。』と書いた。

 また、『3丁目の夕日』の映画が、大いに参考になるだろうとも書いた。



 そう。あの映画を見たときは、ほんとうに郷愁を感じた。

 涙をこぼしたのは、映画のすばらしさももちろんあったが、何より、自分の子ども時代にいきなりタイムスリップした、そんな感じになったのだった。

   むかしはよかったか。


 日々の生活のなかで、約50年余。何気なく通り過ぎてきたが、あらためて今、思い起こすと、『ああ。あのような時代に自分も育ってきたのだな。』と、感慨無量なものがあった。
 そして、あらためて、日本社会が大きく変質してしまったことに気づく。物質的な豊かさとともに、・・・。


 その変質は、・・・、言うまでもない。家庭とか学校とかがどうこうという次元ではないだろう。



 それでは、今、そのいくつかを書いてみよう。



 わたしの少年時代を知る、近所のおばさん方は、皆ご高齢になられた。そして、一昨年はお隣のAさん、昨年ははす向かいのBさんというように、お亡くなりになっていく。

 さびしさとともに、あらためて、感謝の念がわいてくる。


 おばさん方は、ほんとうに、わたしたち子どもをかわいがってくださった。当時、我が家は、親の教育方針で、テレビを買ってくれなかったから、
「としちゃん。テレビ見るかい。」
よく声をかけてくれた。

 わたしも見たいテレビがあると、今日はAさん宅、明日はBさん宅というようにして、
「おばさあん。テレビ見せてください。」
と言っては、上がりこんだ。
 
 もう、十数軒、どのうちも、まるで自分のうちであるかのようにふるまっていた。


 異学年の遊び仲間は、皆、元気だ。でも、今も近くに住んでいるのは一人だけ。何年かにいっぺんだけれど、一緒に飲みに行く。

 毎日よく遊んだけれど、けんかもよくしたなあ。・・・。仲間外しもした。逆に、自分がそういう目にあうこともあった。
 特定の誰かを外すということはなかった。また、そこに大人が介在することもなかった。

 それでも、翌日は何事もなかったかのように遊んだ。

 缶けり、三角ベース、石けり、ビー玉、・・・、ああ。ホンチ・ババって、若い人に分かるかな。クモにけんかさせるのだった。

 都会のど真ん中だが、がけっぷちには湧き水もあり、そこには沢ガニがいた。笹舟を浮かばせて遊んだ。
 そこはご近所さんの敷地内だったが、道も人のうちの庭も境目はなかった。自由に入り込んで遊んでいた。悪さをすれば、それは怒られたけれど、ふつうに遊んでいれば、どうということはなかった。

 近くにバクダンあられ屋さんがあった。よく、仕事中のおじさんを眺めていた。ものすごい音を立てるのだが、そのたびに、のけぞるしぐさをするのが楽しかった。そこいら辺に落ちたあられをおじさんの目を盗んでは、拾って食べたっけ。


 いいことばかりではなかった。

 いきなり、母親から、『変な人が通るから、今は外で遊んじゃダメ。家のなかに入りなさい。』ヒステリックな声で、何事が起きたか分からず、家のなかに入る。
 大きくなってからそれが麻薬中毒者だったことを知る。当時は、そういう人もざらに街中にいた。

 そう言えば、アメリカ兵も、ふつうに街中を歩いていた。当時、占領下だったかどうかは忘れたが、皆軍服姿だったのが、今の外国人と決定的に違うところだ。大体のアメリカ兵は日本の女子と、一緒だったっけ。
 わたしたちは、よく、『アベック、アベック。』と言ってからかった。アメリカ兵はにこにこしながら、チョコレートなどをくれたっけ。そういう光景がふつうの住宅地にあったのだ。

 一時期、早朝、納豆を売り歩く姉弟がいた。弟が、わたしと同年代だった。当時、我が家には、祖父(亡母の養父)がいたが、祖父はその姉弟を気の毒がり、通りかかると必ず呼び止めては買っていた。



 今でも、すごく強烈に覚えていることがある。

 あれはいくつのときだったか。たぶん小学校低学年だっただろう。
 紙芝居屋さんのおじさんが大好きで、紙芝居が終わっても、なんだかんだ、話しかけたり、片付けようとしている紙芝居にさわったりして、おじさんのそばにいた。

「じゃあね。ぼうや。今年も、今日で終わりだなあ。また、来年もよろしくね。」
そのときの、夕日の美しさっていったらなかった。
 そう。この思い出が、『三丁目の夕日』と、見事に重なるのだ。


 当時のどろんこ道は、今はみんな舗装され、

 農家が牛にこえおけを積んだ車(?)をひかせてやってきたのは、水洗に変わり、

 靴工場跡には、建売住宅が並び、

 よく遊んだ空き地は、整った公園となり、

 『皇紀二千六百年』と書かれた石碑はなくなり、

 沢ガニと遊んだり笹舟を浮かばせたりした湧き水は、今はない。たぶん、そのまま地下の下水道につながっているのだと思う。


 どうだろう。そんなふうな環境で育ったから、今も、元気なおばさん方に、道で出会うと、『としちゃん。・・・。今も勤めているの。』などと気軽に声をかけてくれる。


 今は、わたしのまわりを見回しても、子どもの数が激減している。通学時間帯以外で子どもの姿を見かけることはあまりない。見かけたとしても、ただたむろしているだけで、漫画本を読んだり、ゲームをしたりして、静かなものだ。第一とびまわって遊ぶ場所は、公園以外にはないしね。かわいそうになってしまう。


 どうでしょう。やっぱり、家庭だ、学校だの次元ではないでしょう。だからと言って、地域が変質してしまったのは確かだが、地域のせいと言ってしまうのも気の毒だ。

 再度繰り返すが、社会は変質してしまった。

 もう、むかしに返ることはない。

 うん。物質的豊かさにならされてしまった今は、戻りたいとも思わないね。


 それなら、やっぱり、子どものまわりにいて、子どもとかかわっている大人が、努力してコミュニケーションを交わすしかない・・・のかな。自然体の会話をね。


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 ほんとうに、当時は貧しかったです。皆、掘っ立て小屋のような家でしたし、冬は寒くて、子どもたちは皆、しもやけ、あかぎれになっていました。

 かゆくてねえ。痛くてねえ。
 よく母親が、ぷくっと膨らんだ手をにぎっては息を吹きかけ、暖めてくれました。その気持ちよさが、また、忘れられません。

 カレーライス、ラーメンと言ったら、もう、すごいご馳走でした。歓喜して喜んだものです。(あれっ。喜びが重なってしまいました。すみません。そのくらいうれしかったのです。)

 卵一個を家族6人で分けて食べていましたしね。ご飯の上がほんの少し黄色くなるだけでした。


 ところで、阪神淡路大震災のとき、まちはぐっと、心が通い合ったと聞きました。あのときは、たぶん、知らない者同士でも、会話しないと生きていけなかったのです。
『水はどこでもらえるのですか。』『あとどのくらいで駅に着きますか。』

 連帯感が生まれたと聞きました。

 でも、やっぱり大震災はいや。


 人間、窮しないと連帯できないというのでは悲しいですね。平時から、心を通わせる努力をしたいもの。それを子どもが見て、すくすく成長していくのだと思います。

 それでは、今日も、連帯の1クリックをよろしくお願いします。

 そうか。このネットにおける連帯感を、リアル社会でもと、切に願います。

rve83253 at 01:00│Comments(10)TrackBack(0)教育風土 | むかし

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この記事へのコメント

1. Posted by ドラゴン   2008年02月28日 17:57
いつも勉強させていただいております。
ただ、ちょっと一言。
実は、青少年の凶悪犯罪が一番多かったのは1960年なんです。1965年以降からずっと減っています。浜井浩一という方が指摘しております。
1960年には初めて犯罪白書が出た年でもあり、その中で、青少年の凶悪犯罪の対策の必要性が述べられています。
1960年には子どもによる子どもの殺人が12件起きています。その中には告げ口されるのが嫌で殺したというのもあります。今で言うとキレル子どもたちの犯罪と変わりません。それ以上もあります。
今の団塊の世代の人たちでもあります。この世代は凶悪なんでしょうか。
2. Posted by ドラゴン   2008年02月28日 18:02
いろいろな理由があります。当然人口が減ったということもあるでしょう。やはり当時は貧しかったと言うことも大きな理由のようです。しっかりと教育を受けることができる子どももたくさんいたこともあるようです。
なぜ、このようなことを書いたかというと、今の子どもが昔と比べてどんどん悪くなっているように言われるのが残念なんです。統計を見れば決してそうではない。ひきこもりやニートといった新しい課題も出てますが、キレル子どもは昔の方が多かったようです。
なのに、いくつかの凶悪事件で、今の子ども全体が悪く言われる。そして、間違った対策がされる。それが非常に残念なんです。
3. Posted by toshi   2008年02月28日 21:10
ドラゴンさん
 ちょっと、誤解されるような文章を書いてしまったかなと反省しているところです。すみませんでした。
 わたしは、この記事を書くにあたり、犯罪がどうこうとか、今の子どもがむかしと比べてどんどん悪くなっているとか、そのようなことはまったく念頭にありませんでした。少年犯罪にしても、むかしの方が多かったということは承知しています。
 わたしが言いたかったのは、前記事の『KY』がいやな言葉であるということを受け、その言葉がはやる背景として、社会の変質を述べたかったのです。
 でも、少年犯罪をめぐっての誤解がけっこうあることも承知していたのですから、もう少しそのあたりに気配りする記事にしなければいけなかったですね。申し訳ありませんでした。そして、ご指摘、ありがとうございました。
4. Posted by ドラゴン   2008年02月29日 09:41
いえいえ、toshi先生がそのようにお考えになっているとは、まったく思っておりません。
この場を借りて、世間一般の方に、こういうことを考えてもらいたいと思ったのです。
先生がご指摘されている「KY」という言葉に象徴されることも、新しい課題かもしれません。
そういうことの議論は必要だと思います。
前にも書きましたが、先生も子どもも、一部の悪い事例で、全体が悪く見られているような気がします。そして、そういう見方が対応を悪くしている。
一部の事例の後には、たくさんのよい先生、良い子どもたちがいるということも、世間の人たちに理解していただきたいですね。
5. Posted by きくちR   2008年02月29日 11:05
toshi先生の上のブログを読んで、子どもの頃、近くの同級生の家のカラーテレビで、アニメを見せてもらえるのがとても楽しみだったことを思い出しました。
また、別の同級生の家で、激しい夫婦喧嘩があったとき、友達が助けを求めに、うちに来たこともありました。
なんとなく、大人達がみんなで、子ども達を育ててくれているのが強く感じられる世の中だったような気がします。でも今も、学年に数人、子ども達みんなをかわいがってくれるお母さんがいらっしゃいます。私は固めなので、うまく係わることができませんが、ある日、子どもの友達が帰宅すると家が留守で困ってうちに来てくれたときは、昔のおばちゃんになれたんだなぁと嬉しかったです。
6. Posted by toshi   2008年02月29日 15:05
ドラゴンさん
 よく分かりました。
 わたしの主観で言わせてもらえれば、むかしの犯罪は、変な意味のコミュニケーション過多で、激突方の犯罪、また、貧しさゆえの犯罪が多かったと言えるでしょうか。
 それに対し、今は、コミュニケーションのなさによる鬱積した心がなせる犯罪が多いと言いましょうか。また、貧しくはないにしても、金銭欲による犯罪も多いかもしれませんね。
 でも、まったくの主観ですから、合っていないかもしれません。
 いずれにしても、わたしのこの記事は、犯罪とは一切結び付けてはいないことを、断っておかなければいけなかったですね。
7. Posted by toshi   2008年02月29日 15:39
きくちRさん
 きくちRさんがお子さんだったころも、そうでしたか。ひょっとすると、同世代かな。
 いえ。これは冗談です。失礼しました。
 きくちRさんの記事で思い出したのですが、わたしの子ども時代は、お互いに、家も粗末でしたから、プライバシーなどあってなきが如しだったです。それこそ、夫婦喧嘩、親子喧嘩などしようものなら、道へ筒抜けですから、隣りのうちが仲裁に入るなどということもありました。
 でも、何度も言うように、こういう社会の再現を目指すのはもう無理というもの。新しい時代は、やはり人間の叡智によって、新時代のコミュニケーションを作らなければいけないのではないでしょうか。
 そう考えると、ネットはけっこう重要な役割を持つような気がします。匿名で語り合える連帯感とでも言いましょうか。少なくとも、『学び合い』はできますよね。
8. Posted by ドラゴン   2008年02月29日 17:29
>いずれにしても、わたしのこの記事は、犯罪とは一切結び付けてはいないことを、断っておかなければいけなかったですね。

すみません。犯罪と結びつけたのは私で、toshi先生ではないです。toshi先生の牧歌的な文章と対称的に映るだろう考え、私が勝手に書いたことです。
大変恐縮です。

9. Posted by うるとらまる   2008年02月29日 20:42
こんばんは。この前は拙ブログにご訪問ありがとうございました。

縁あって、来年度の地区の子ども会会長になりました。
自分に何ができるかわかりませんが、
せめても地域の子の顔が分かるように
私なりに努力したいと思います。

10. Posted by toshi   2008年03月01日 01:19
うるとらまるさん
 貴記事を拝見し、『あらあ。わたしも、町内会長をやったことを記事にしたことがある。』と思い、うれしい気持ちになりました。
 やはり子どもにかかわる仕事をしているわたしたちは、地域もそれだけ期待している面がありますから、その期待に応えたいものだなと思います。
 がんばってください。

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