2008年03月11日

平成を昭和に置き換えると、3

9b0b902d.JPG 今日は申し訳ありません。教育にかかわる記事ではありません。お読みいただければ幸いです。


 わたしにとって、平成20年という、今年の誕生日には、特別な感慨がある。

 なぜかと言うと、平成を昭和に置き換えてみよう。そうすると、それは、まさに、ただ単なる誕生日ではない。わたしが生まれた日そのものになるのだ。

 ある意味、還暦と言ってもいいような、そんな感慨も抱く。(もちろん、60歳ではないですよ。)



 それには、一つの理由がある。

 
 それは、平成16年12月8日のことだった。

 『ああ。平成を昭和に置き換えると、今日は、まさに、太平洋戦争が始まったときなのだな。』と思った。

 さらに、『よし。これから、自分が生まれた日、さらに太平洋戦争が終わるまで、折々に昭和に置き換えてみよう。』と思った。

 『戦争がいかに長期にわたるものであったかが実感できるのではないか。』そう思ったからである。

 それからというもの。『ああ。今日は、ミッドウェー海戦。』『ああ。今日は、山本五十六元帥の戦死の日。』などと、心に刻むようになった。


 ああ。開戦のときは、わたしはまだ、現職の校長だった。

 それが今、初任者指導の3年目を終えようとしている。

 それなのに、まだ戦争は終わっていない。今年の8月だものね。



 3年8ヶ月の長期にわたった戦争。

 それだけではない。そのはるか前から、日中戦争はあったわけだ。そんなにも長期間、国民はとたんの苦しみを味わったわけだ。それを肌で感じることとなった。

 とは言っても、今とは時代の様相がまったく違う。物質的に恵まれ、享楽的な部分がある現代と、『ほしがりません。勝つまでは。』『ぜいたくは敵』『滅私奉公』と言われ、何より命を脅かされていた60年前とでは、・・・、何もかも違う。


 そんなわけで、このクセを続けていくうちに、

 我が生涯のなかに、その双方があるということは、実に奇跡というか、信じられないというか、ありえないことがあるといった感じがするようになった。



 さて、

 昨日、そのようなわたしのクセに呼応したわけではないだろうが、3月10日という日に合わせて、東京大空襲のとき、カメラマンとして自分の使命を果たした方のドラマがあった。

 いろいろ思い浮かべながら、見せてもらった。


 国語の教科書にのっている『ちいちゃんのかげおくり』が思い出される場面があった。

 また、これは、道徳の教材文にのっているのだが、


 東京大空襲のさなか、お産があった。その産院のお医者さんや助産婦さんは、空襲警報のなか、無事出産を終えたばかりの母親と赤ちゃんを必死の思いで避難させるのだった。

 おびただしい数の避難する人々の波に押され、ベッドはかしいだり、倒されたり、大変なめに遭う。たまりかねて、そのお母さんは、『もうわたしたちのことはいいですから、どうぞ、あなた方だけで逃げてください。』と言う。そのときお医者さんは、『何を言う。あなた方をほおって逃げて、あなた方の命を守ることができなかったら、それで、何が医者ですか。』

 おかげで、10万人かな。そのくらいの方々が悲惨な亡くなり方をしたなかで、この母子は助かる。

 これは実話である。今もどこかで、お元気に過ごされていることだろう。


 これもまた、わたしにとっては、身につまされる話だった。

 場合によっては、これは、わたしの運命でもあったのだもの。たまたまわたしを生んでくれたとき、我が地域に空襲がなかったに過ぎない。

 

 そうしたことの数々を思い浮かべながら、テレビを見させてもらった。


 平和のありがたさ。平和の尊さ。平和は、不断の努力によってかち取っていかなければいけないことなどを強く感じた。


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これまで、平和に関する記事、それは、授業も含め、何回か記事にしてきました。

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   『ちいちゃんのかげおくり』の授業から(ただし、タイトルは異なっています。)

   平和教育(1)朝会の話から 

   平和を祈る。 

   いわゆる『平和教育』

   歴史を見る目を養う。 

rve83253 at 02:47│Comments(12)TrackBack(0)エッセイ | むかし

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この記事へのコメント

1. Posted by やす吉   2008年03月11日 04:06
はじめまして
この記事とは関係ないのですが
私はtosih先生のブログを読んでいて
良い悩みをもらいました
私は昔から学校の先生になりたいと思っている高校生です
学校は公立進学校で授業もハイペース
そういう授業の中で教科自体の面白さを先生は伝えてくれます
私もそんな高校教師になりたいと感じていましたが
tosih先生のブログを読んでいると
自分が最初に教師になりたいと思った理由を思い出します
2. Posted by やす吉   2008年03月11日 04:13
私は小4の時の担任の先生に憧れて先生になりたいと初めて思いました
私は教師になったら教科の内容もですが
それよりも生徒がそれぞれの価値観・考えを生み出すことができるような教師になりたいと思っています
価値観・考えと言いましたがいわゆる勉強以外のこと全般です
高校の先生もそういうことを意識していると思いますが
私が進学校のせいか、やはり受験を意識して教科の勉強にばかり意識がある気がします
3. Posted by やす吉   2008年03月11日 04:18
行事などもたくさんあって部活も盛んなので
協力することの大切さなどは私は高校生になっても痛感しています
だから、高校の先生でも私の理想は達成できそうではあります
けれども、高校では先生からよりも生徒の間で学び取ってる気もします
だから、やっぱり小学校の先生になりたいのかもしれません
もしかしたら教科の良さを伝えることも考えると中学の先生になりたいのかもしれません
4. Posted by やす吉   2008年03月11日 04:22
今まで高校の先生になると決めていたのですが
今は迷っています
tosih先生に良い悩みをいただきました
もうすぐ高校2年生になります
春休みに決めるのは早いですが
春休みにいろいろ考えたいなと思います

記事と関係なくて申し訳ありません

ただ、良い悩みを得た喜びと
tosih先生へ一言お礼が言いたかったので
コメントさせて頂きました

長々と失礼しました

では またいつか
5. Posted by toshi   2008年03月11日 17:33
やす吉さん
 わたしにとっても大変うれしいコメントをいただきました。とても思索的ないい生活を送られているなと思いました。これも、やす吉さんが指導を受けた先生方のご指導の賜物なのでしょう。
 もっと書かせていただきたいのですが、これから出かけますので、どうぞ、また後で、打たせていただきます。
 とりあえず、わたしも、お礼まで。
6. Posted by まい   2008年03月11日 20:36
初めまして。私は教育基本法の問題以来、「最近の日本は何かおかしいのではないか」と気になって、いろいろと情報を集めている者です。就学前の幼児の母親です。toshiさんのブログはいつも読んで勉強させていただいています。

たまたま、東京大空襲の日からちいちゃんのかげおくりの記事を書いたところ、ブログ中に同じ書名を見つけました。TBさせていただきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
7. Posted by toshi   2008年03月12日 10:02
やす吉さん
 昨日は、ほんのご挨拶程度で失礼しました。
 わたしのこのコメントは、やす吉さんの悩みをますます増幅させてしまうかもしれません。でも、悩みの質が深まることはいいことだと思いますから、どうぞ、お付き合いくださいね。
 と言いながら、あまりに申し上げたいことはいっぱいありますので、明日の記事にさせていただきたいと思います。
 高校生のやす吉さんが、少しでも、いい将来を築いていけるように、また、世の中を少しでも、いい方向に導いてくださるように、そんな記事になればいいなと思います。
 よろしくお願いします。
 ごめんなさい。本記事もほんのご挨拶程度になってしまいました。
8. Posted by toshi   2008年03月12日 10:10
まいさん
 『最近の日本は何かおかしい。』の範疇に入ると思いますが、日本は定見というものがないですね。右往左往している感じです。
 ゆとり教育に行くかと思えば、元の知識注入に戻るかといった感じ。それを戦後何度繰り返したことか。
 でも、これ、いい方向にとらえることもできると思います。定見がないということは、わたしたちが訴えれば何とかなるかもしれないということ。
 特に今の政権は、国民世論をすごく気にする傾向にあると思いますから(選挙に負ければ政権からすべり落ちるわけで)、それだけ、訴えがいがあるというものかもしれません。
 こんなブログの力など、微々たるものでしかないかもしれませんが、でも、がんばっていきたいと思います。
 
9. Posted by toshi   2008年03月12日 10:16
貴ブログ、読ませていただきました。
 ちいちゃんのかげおくり。確かに、悲しい悲しいお話です。
 でも、国語としては、あくまで主題は、家族愛でしょう。悲しいなかに、何とも言えない温かな家族のつながりをとらえることだと思います。その伏線として、戦争があるのだと思います。
 小学校3年生にそれをとらえさせるのは至難のわざという気もします。
 でも、3年生なりに、ちいちゃんへ思いを寄せることができれば、成長するにつれ、しっかり本質をとらえることができるようになるのかなとも思っています。
 拙ブログでも、また、姉妹ブログの『小学校初任者のブログ』でも、本教材の授業をとり上げていますので、ご覧いただければ幸いです。
10. Posted by まい   2008年03月15日 10:11
toshiさん、丁寧なお返事をどうもありがとうございました。
私は特定のイデオロギーを持っているわけではないのですが、近年の世界や日本の動きに危機感を抱いていて、「ちいちゃんのかげおくり」を読んだ時にも、すぐに戦争の方に目が向いてしまったのかもしれません。
おっしゃる通り、家族愛はこの作品の大切な主題ですね。「かげおくり」そのものが家族の暖かさを表していると思います。
私が感動して、文章の最後に「悲しいけれど、優しい作品」と書いたのは、家族愛の深さ、優しさに打たれたような気がします。

toshiさんのお返事を拝見して、自分の問題意識や思想はいったん置いたまま、作品そのものを無心に鑑賞することの大切さを教えていただいたように思います。



11. Posted by まい   2008年03月15日 10:12
国として定見がない、訴えがいがあるというのは、その通りかもしれませんね。戦前・戦中にあれだけ国家思想の教育を受けた国民が、戦後には抵抗なく民主主義や新憲法を受け入れたのですから。定見のある国ならば、旧体制を守ろうと内戦やレジスタンス運動が起こったかもしれないと思います。どっちにでも行きそうというのは、短所であり長所であるかもしれません。

私も微力ですが頑張ってみます。toshiさんもますますのご活躍をお祈りします。
12. Posted by toshi   2008年03月16日 05:23
まいさん
 家族愛がひしひしと伝わり、それが切なければ切ないほど、戦争への否定的な思いが確固たるものになるということだと思います。
 光村の教科書では、4年生にも、『一つの花』というのがあります。これなどは、日本中どこでもふつうに見られた出征をテーマとしていて、けっこう『ちいちゃん』の話と共通点がありますね。
 日本は、『和をもって尊し』となすお国柄。合議を重んじるのは長所なのかもしれませんが、責任体制の不明確な点は短所と言えるのではないでしょうか。小泉・安倍政権は、めずらしくそれとはちょっと違っていたと言えると思います。政権の個性(変な言い方かな。)がはっきりしていましたね。だから、国民の信任・不信任もはっきりしていました。

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