2008年03月13日

若い人たちへ希望と夢を、4

35f7053a.jpg 教員志望の高校生の方からコメントをいただいた。やす吉さんとおっしゃる。

 それを読ませていただいて、身につまされる思いになった。


 やす吉さんは、元来、高校教員を希望されていたようだ。ところが、拙ブログを読んでいるうちに、悩むようになったとのこと。なんだか、申し訳ないような〜。

 でも、『よい悩み』と言ってくれたから、わたしも救われた。


 やす吉さんの言葉を借りれば、『私は、教師になったら教科の内容もですが、それよりも生徒がそれぞれの価値観・考えを生み出すことができるような教師になりたいと思っています。』

 そのためには、小学校の教員の方がいいかなと思い始めたようだ。

 
 やす吉さんの、高校教育に寄せる思いに、もう少しふれよう。

 進学校に在籍しているからか、授業はハイペースで進む。
 そして、教員の努力は、教科内容の指導の方に傾斜がかかり、子どもが自ら自分自身の価値観や考えを生み出すという面に関しては、手薄なようだ。

 高校にも魅力はあるが、それは、授業というよりも部活などを指しているようだ。部活を通して、協力することの大切さなどを学んでいるのであり、先生からよりも、生徒間で学び合っているような感じがするとおっしゃる。



 ああ。何をかいわんや。日本の教育の矛盾、極まれり。

 本来なら、人間は人間らしく成長してほしい。そのためには、授業と関連づけながら、たとえば、友や先生方と人生を語り合う。政治でもいい。文学でもいい。恋愛論などもいいねえ。そういう心の栄養をつちかう世界にどっぷりとつかる。

 それが本来の高校生活ではないのか。


 授業ももちろん大事だ。高校で、わたしの言うような問題解決学習ができたら、それはもう、専門家も顔負けの議論を展開したり、論理を構築したりするのではないか。政治問題、地球環境問題、国際平和など。

 あっ。もっと大事なのは、職業観・・・かな。将来の自分など、思う存分語らせたい。

 ああ。もし高校がそのような世界だったら、わたしだって文句なしに高校の教員になりたがっただろうなあ。


 スポーツもいい。

 あっ。そうか。現状でも、スポーツだけは、日本の高校においても、情熱を傾ける対象となっているように思われる。


 ああ。それなのに、多くの高校は受験に傾斜がかかる。逆に、そうでない生徒は、意欲をなくし、享楽的な高校生活を送る。



 わたしが高校生のころと言ったら、もう50年近くむかしになるわけだが、当時も同じだったなあ。

 わたしも、悩み多い高校生活だった。

 わたしの場合は、両親から、『教員になれ。なれ。』と言われて、初めはそのつもりだったのだが、だんだん自我の目覚めとともに、反発を感じ、『教員になんか、なるものか。』という思いを強めていった時期だった。


 我が両親だけではないと思うが、今も、高校生をもつ親は大多数が言っていると想像する。

「今は、いろいろ考えたり悩んだりしても仕方ないではないか。そんなことをしていたら、大学に受からないぞ。
 まずは大学に受かることだ。それから、人生とか、仕事とかを考えればいい。」


 多感な高校生ほど、そういうことに悩まされる。悩みながらも、それが運命とあきらめ、受験に立ち向かっていく。そのような感じではないか。


 わたしの高校時代の恩師で、忘れられない先生が一人だけいる。社会科の先生だった。

 その先生は、『自分の考えを記録するノート』なるものを一人ひとりにもたせた。とり上げる話題は何でもいい。とにかく、自分の考えを書く。それを毎週月曜日に提出する。次の授業のときまでに、先生のお返事が書かれて返される。


 当時は、昭和35年。

 日本は安保闘争に明け暮れた年だった。わたしは、日米安全保障条約について、いろいろな書物を読みふけった。そして、自分の思い、考えをノートに書いた。
 先生の赤で書かれた文章を読むのが楽しみだった。先生は、安保に賛成とか反対とか、そういうことは書かれなかった。生徒の考えのすばらしいところを指摘してくれたり、逆に、もっと〜の方面にも着目したらなど、考えを深める契機を与えてくださったように思う。

 もっとも、そのせいで一浪してしまったのかもしれない。少なくとも、受験には向かない、よけいなことだった。でも、その学習だけは充実していた。

 今も、その先生には感謝している。社会科を担当するクラスはいくつもあったのだから、それこそ、毎日のノート点検は大変な仕事だっただろう。



 ところで、やす吉さん。

 やす吉さんの考えは実にしっかりしている。教員志望の思いは固まっているのだね。それだけではない。どのような教員になりたいかも、明確なものをもっている。すごいなあと思う。

 
 でも、今は、今の思いをしっかり温めていくことが大切なのではないかな。今、結論を出す必要はないしね。だから、今日は別としても、わたしのブログを、あまり真剣に読まないでね。

 それより、大学へ入るための勉強をしっかりやってください。教員になるためには、まずは大学へ入らないことには始まらないしね。

 ああ。なさけない。先ほどの一般的な親の言葉と同じになってしまった。



 やはり、日本の教育制度はおかしいのだ。

 多感で大事な時期の情熱を、いやおうもなく受験に向けていかなければならない。
 あれこれ、考えをめぐらせることが、よけいなことになってしまうなんて。

 そして、今日分かったこと。

 それは、教員としての生きがいにもかかわるということだ。

 

 ああ。早く目覚めてほしい。国も、国民もだ。

 子どもが、人間本来の人間性を取り戻せるように。そして、教員志望の若い人が、人間本来の教育に、情熱を傾けることができるように。


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 わたしが、小学校の教員を目指すようになったのも、やす吉さんの今の思いと同じでした。やはり、日本においては、小学校が一番やりがいがあると思ったのです。人間教育、人生に多大な影響力をもつ教育、それが可能なのは、小学校だと思いました。

 近年、受験の波は、小学校も包みつつありますが、でも、小学校が受験教育にまい進するなどということは、将来もないでしょう。

 大丈夫だと思います。

 それでは、今日も、子どもたちのすばらしい成長を願って、清き1クリックをよろしくお願いします。

rve83253 at 01:04│Comments(3)TrackBack(1)教育観 | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by やす吉   2008年03月13日 02:30
こんな風に記事にしていただいて本当にありがとうございます

tosih先生の言うように今はこの思いのままあっためていこうと思います
きっとまた何かがきっかけになって
私のどうしたいのかという思いもまとまってくるような気がします

勉強もちゃんと頑張ります
最近は各教科に楽しいところを見つけられたので
勉強もはかどっています

tosih先生のブログを見ないでと言われるとちょっと寂しいですが
2. Posted by やす吉   2008年03月13日 02:34
tosih先生が真剣に見ないでとおっしゃった理由も
うまく言葉にはできないのですが
私は感じ取ったつもりです
だから、あまり真剣には読まないようにします
けれども、やっぱり気になるので
たまにきて
おかしな表現ですがふんわり見て帰ろうと思います


本当にありがとうございます


3. Posted by toshi   2008年03月14日 05:05
やす吉さん
 ごめんなさいね。ほんとうは真剣に考えていってほしいのです。自分自身の生き方、生きがいの問題ですものね。
 ああ。『ふんわり見て帰る。』
 いい表現だなあ。気持ちが十分伝わってきました。どうぞ、今後とも、そのような感じで、よろしくお願いしますね。

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