2008年03月23日

PISA調査問題には、問題が・・・?(1)3

1a70c309.JPG 先に、『PISA調査へのちょっとした疑念?』と題し、記事にしたところ、神原敬夫氏から、ご自身の論文つきのメールをいただいた。その論文では、全面的に同調査問題を批判されていた。

 ご承知のこととは思うが、わたしは、上記記事で同調査問題に若干の批判を加えはしたものの、基本的にはPISA調査を支持している。同調査には大いに啓発された思いでいる。
 それにもかかわらず、神原氏の論文からも学ばせてもらったことが、少なからずあった。また、逆に、賛成できない部分ももちろんあるので、今日はその両面から、PISA調査について、わたしなりの考察を加えて見たいと思う。



 さて、それを述べる前に、読者の皆さんにお断りしておきたい点が2つある。

 一つは、神原氏の論文を紹介する目的で、先に、『PISA調査批判(1) いただいたメールから』なる記事を書かせていただいた点である。
 これは、シリーズの(2)へと続けるつもりだった。そのような予告もさせていただいた。

 しかし、その後、同氏は、ご自分の論文を公開するべく、ホームページを開設された。

     息焉游焉 やぶにらみ教育論

 これもわたしは、『よかった。ありがたい。』と思っている。

 そう思っているが、もう、読者の皆さんは、同氏の論文を直接読むことができるようになったわけで、わたしが同氏の論文を紹介する必要はなくなったと判断する。
 したがって、このシリーズは、シリーズとならず、一回限りで終了させていただこうと思う。


 もう一つは、上記の神原氏の論文を拙ブログで紹介させていただいたところ、柴田勝征氏より、ご自分のホームページの紹介があった。同氏も、PISA調査問題を批判されている。神原氏よりなお激烈かもしれない。
 しかし、わたしとしては、神原氏の論文で考察を進めていたし、ここで両者をとり上げると、複雑さを増してしまうので、本シリーズにおいては、神原氏の論文のみをとり上げさせていただきたい。

 柴田さん。せっかくお寄せいただいたのに、ごめんなさい。



 それでは、PISA調査について、わたしと考えを異にするのに、神原氏の論文を多とし、併せて、同氏のホームページ開設を、『よかった。ありがたい。』と思う理由について述べてみたい。

(すみません。本日のメーンであるPISA調査問題の考察に、なかなか入れませんね。)

 わたしは、かねがね、PISA調査をめぐっての日本のマスコミや学者の論調に、大いなる疑問、不審を抱いていたものである。

 これは、拙ブログにTBしてくださった亀@渋研Xさんのブログ記事『PISAが測っているのは、学力・応用力ではない。』にくわしい。わたしは、この点、同氏の主張に全面的に賛成するものである。


  要するに、亀@渋研Xさんは、同ブログ記事で、

 『PISA調査が測ろうとしているものを、多くの有識者は、『学力・応用力・読解力』とか言っているけれど、それは違うのではないか。わたし(亀@渋研Xさん)が思うには、彼ら有識者が言っているような意味の学力ではなく、「市民に求められる健全さ」の一部としての知的態度や社会性、合理的判断力などを測ろうとしているのではないか。』

とおっしゃる。

 そして、同ブログ記事の後半『以下・余談』と、それに続くコメントがおもしろい。

 同氏は、『こんなのは学力ではないから、気にしなくていい。』という声が、どこからも上がらないのが不思議だ。これは、PISA調査が正しく理解されていない証拠ではないか。

ともおっしゃる。

 その通りだ。日本の報道、有識者は、PISA調査結果を根拠として、皆一様に、日本の学力低下を嘆き、『知識・技能の確実な定着を。』などと言っているが、PISA調査は、そもそもそのようにはできていない。『将来の市民生活に生きてはたらく力を調査する。』と言っている。知識・技能など、ほとんど測っていないのだ。

 だから、ほんとうは、日本の報道・有識者など、学力低下を嘆く人たちは、『このような調査は、ちゃんとした学力を測っているものではないから、気にしなくていい。』と言うべきなのだ。それをしないのは、まさに、『正しく同調査を理解していない。』としか言いようがないというわけだ。


 そのように考えていたときにいただいた、神原氏の論文であった。

 神原氏は、PISA問題の本質を理解した上で、それを真っ向から問題視されている。日本の報道・多くの有識者の表面的で誤解した上での意見とは違って、同調査をしっかり考察している。

 そういう意味で、まさに啓発的な意味を持つ論文(ホームページ)なのである。



 さて、それではいよいよ本論に入る。

 わたしは、基本的には、亀@渋研Xさんと同一の見解を持ちながらも、神原氏の論文から大いに啓発される点もあった。それは以下の点である。

 〇PISA調査には、よく吟味されていない問題が多い。
 〇「科学的リテラシー」とか、「数学的リテラシー」とかいうけれど、この看板は下ろした方がいいかもしれない。この点に関しては、亀@渋研Xさんも、同じ思いかもしれない。
 
 

 以下、今回は、数学的リテラシーで、具体的に述べる。



〇『PISA調査には、よく吟味されていない問題が多い。』ということについて

 まず、同意せざるを得ないものから、一つとり上げてみたい。


 数学的リテラシーのなかの「歩行」の問題である。リンクした問題集では、一番先頭にある。
 これについての神原氏の考察は、本リンク先の後半にある。


 同問題では、ある人の歩いた1分間の歩数と、その人の歩幅は、比例するという公式を与えている。その上で、その人の歩数から、歩幅を問うている。

 これは明らかに設定がおかしい。1分間の歩数を増やせば増やすほど、歩幅はそれに比例して増えるなどということはありえない。

 これは不可解な問題設定である。同氏のおっしゃるとおりだ。


 ただ神原氏が、よくない問題と指摘するなかには、『そのままでいいのではないか。』という見解が成り立つと考えられるものも多い。


 たとえば、


 そのすぐ下にある盗難事件の問題。

 神原氏は、ただ2つの量が示されているだけでは、激増か微増かは言えないとおっしゃっているようなのだが、

 数学に素人のわたしとしては、また、小学生を指導する感覚のわたしとしては、2つの量を示しただけでも、『増加はわずか2%ですから、微増。』でいいように思う。

 むしろ、波線のあるグラフは小学校でも指導するし、『見た目と実際は違う。』ということを理解しているかを問うているのだから、いい問題だと、わたしは思う。



 同氏の考察を読ませていただいて、PISA調査の問題にいろいろ不備があるということは理解できた。しかし、その大部分は見解の相違というはんちゅうだと思うのだ。

 また、これに対しては、PISA調査の人は次のように言うであろうと想像する。
「そもそも、実生活とはそういうものではないのか。問題解決に必要な要件がすべてそろっているとは限らない。また、すべてそろっていなければ考察できないというものでもないだろう。」

 地震の問題は、『震度〇以上』と言わなければいけないか。
 階段の問題は、『すべての段は同じ高さ』と言わなければいけないか。

 もっとも、神原氏も、そうでなければならないと断定されているわけではないが・・・、

 また、

「メアリーの家は学校から2キロメートル、マーチンの家は5キロメートルのところにあります。メアリーとマーチンの家はどのくらい離れていますか。」

は、不備というよりも、これでいいとPISAは考えたのではないか。

3キロメートルでは、誤答なのであろう。

正解は、3〜7キロメートル。

 これなどは、よくテレビのコマーシャルでやっていた、

「日本の算数の問題は、3+4=□   イギリスの問題は、□+□=7   ね。何となく楽しそうでしょう。」
というのを思い出す。


 で、わたしとしては、やはり、実際生活に即したいい問題が多いと理解する。


 なお、同氏は、前半の問題10の後で、

『学校で学習することが日常社会で生かされていないという問題意識のもと、このよ
うな学力観に基づくリテラシーの測定を行うのですが、それは「特定の専門家ではなくすべての個人」が必要とする日常的活動に必要な範疇に限られており、コミュニケーションを豊かにするための知識、スキルを求めているもののようです。
 どちらかといえば日常的な会話に参加できる能力であって、創造的な仕事に携わるために必要とされる知識や技能とは結びつかないようです。』

と考察されているのであるが、

 大部分は理解、共感できるものの、最後の『創造的な仕事に携わるために必要とされる知識や技能とは結びつかないようです。』の部分だけは、どうしてそういう考察になるのかなと思った。

 『すべての個人が必要とする日常的活動に必要なはんちゅうで、創造的な仕事に携わるために必要とされる知識や技能とは結びつく。』問題と思うのだが・・・。


 もっとも、神原氏は、ご自分と違う意見、考えも随所に書き、多面的に考察されている点、フェアであり、好感がもてる。


 
〇『数学的リテラシーの看板を下ろした方がいい。』ということについて

 最後に、やはり、PISA調査の問題は、専門家の目から見れば、いろいろ不備があり、問題なのかもしれない。

 そこに、『数学的リテラシー』という言葉にあるように、『的』が使われる理由がありそうだ。

 余談だが、わたしが標榜する問題解決学習も、『完全に子どもの問題意識に根ざした学習問題ではなかったかもしれない。』という意味で、また、謙遜する意味で、『問題解決的学習』という言葉はよく使われるのだ。

 ここにこそ、冒頭に引用させていただいた、亀@渋研Xさんの言葉を想起する。

 ちょっともじってしまうが、
『このようなものは学力ではないから、学力低下などと騒ぐ必要はない。「市民に求められる健全さ」の一部としての知的態度や社会性、合理的判断力などを測ろうとしているにすぎないのだから。』

 そこで、『いえ。そうであっても、それは立派な学力なのです。』とわたしは言いたい。

 そして、看板を下ろす必要はないのではないかというのが、わたしの結論である。(勝手に啓発されておいて、勝手に否定してしまって、ごめんなさい。)


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 次回は、『科学的リテラシー』を中心に、考察を加えるつもりです。『知識中心でない、市民に求められる健全さ』。それがさらに明確になると思われます。

 それでは、今日も、清き1クリックをよろしくお願いします。

(2)へ続く。

rve83253 at 06:17│Comments(12)TrackBack(0)教育観 | PISA

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この記事へのコメント

1. Posted by ガク   2008年03月23日 20:26
初めまして
PISAへの報道はメディアや大学の教職系講義でも触れることがありました。
「画一的に考えすぎでは?」「PISAにしかないわけじゃないのでは?」「学力を測るひとつの方法である」と教職系講義の小レポートでも書きたかったですが、教員の兼ね合いと言うか、私にはできませんでした。
世界の教育における基準を作るために…いや、私にはそこまで重要なのか?他に重要なことはあるのでは?と思ってしまいます。
2. Posted by 亀@渋研X   2008年03月24日 00:57
こんばんは、トラックバックとご紹介をありがとうございます。
ぼくは、自分が理解している範囲ではPISAの理念に共鳴しています。しかし、当初から意識してはいるのですが、PISAがそれをできているのかどうかについては検討できていません。また、いまの自分の断片的な理解では、たとえば設問の是非についてはなにも言えないように感じています。ですから、今回ご紹介されている2つのwebサイト、これからじっくり読ませていただいて、勉強してみたいと思っています。
これまでに十問足らずを見た素人なりの感想では、toshi先生がおっしゃるように「ここはよい」「ここは十分でない」といったような、設問により、また評価方法によってバラツキはあるだろうなとは思っています。しかし、基本スタンスというか測ろうとしているものの性格から言って、「どの問題もダメ」ということは考えにくいかなあ、との印象をもっています。
3. Posted by 亀@渋研X   2008年03月24日 00:57
ところで、こちらへもトラックバックされている「海洋学研究者の日常」というブログがあります。

海洋学研究者の日常
http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/

そちらの記事で国立教育政策研究所・監訳の『PISA 2006年調査 評価の枠組み』(ぎょうせい)という本を知り、図書館で借り出して、ぽつりぽつりと読み進めています。
その本で改めて認識したのは、PISAの目的が「教育政策への情報提供」であるということです。それを考えると、ストレートに教育現場で使える情報を提供してくれるものなのかどうかという点も、考えてみなければならないのかな、とも思っています。
4. Posted by 亀@渋研X   2008年03月24日 01:09
PISAをどう読み解くか、ということは、その限界も含めて、もっと議論されてもいいですよね。直接お話した方だけでも、「国際的な評価」とか「国際標準の学力」とされていること「だけ」に対して違和感をもっている先生方も、何人もおいででした。教育学の名誉教授とも少しお話ししたんですが、そういう専門家の方も新聞や雑誌の情報に影響されて、PISAに対する理解が歪められているためもあるんじゃないかなあ、なんてことも疑っています。

それにしても、toshi先生が継続的にPISAについて掘り下げておいでなことに、ぼくはとても勇気づけられています。これからも、よろしくお願いいたします。
5. Posted by toshi   2008年03月24日 07:15
ガクさん
 大学生の方からのコメントは初めてだったかな。ありがとうございます。
 『世界の教育における基準作り』
 これ自体はいいことだと思うのです。世界が共通の教育観で結ばれれば、世界平和にもつながるというものだと思います。
 ただ、日本だけで見ても、PISA観といいますか、それは、まだまだ混乱していますね。上記の方向性をもった混乱ならいいのですが、まだまだ、無理解、思い込みによる混乱だと思いますから、これはもう、何とかがんばっていきたいと思っています。
6. Posted by toshi   2008年03月24日 07:25
亀@渋研Xさん
 わたしも、これまでは、各問題に目は通していても、その程度だったなと反省しています。具体的に見れば、いろいろ問題は抱えているようです。とは言っても、存在意義まで疑問視するようなものではないと思っています。良問もけっこうありますよ。
《ストレートに教育現場で使える情報を提供してくれるものなのかどうか、〜》
 この点については、本シリーズの次々回に述べたいと思っています。わたしが標榜する問題解決学習に沿った良問もあるということにふれたいと思っています。
ただし、これまでの日本の伝統的な問題とは、かなり趣を異にしておりますので、その点で違和感をもつ教員が多いということは、理解できます。この点は、教育観、学力観ともつながると思いますので、今後とも、そうした視点で見ていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。
7. Posted by ガク   2008年03月24日 17:08
日本の中でPISAに対しての混乱があるということですよね。
私自身が理解しきれてないのか?その混乱にはまっている一人ではないのか?と感じました。もう少しPISAについて勉強したいと思います。
8. Posted by YK   2008年03月25日 22:56
≪大部分は理解、共感できるものの、最後の『創造的な仕事に携わるために必要とされる知識や技能とは結びつかないようです。』の部分だけは、どうしてそういう考察になるのかなと思った。≫

 前回、知識と思考についてコメントしましたが、専門知識(や技能)が思考や創造性の前提だという考えは割と一般的なのかな、と思いました。
 ところで、上記の論理に従うと、例えば、私が歴史学を専門としていたとして、現在の地球環境問題について、江戸時代の社会において発達したリサイクル・システムの中に何かの解決のヒントを見出したとする。その場合においても、それは歴史学を専門とする人間の直覚に過ぎず、化学の専門的知識がないから、創造的な仕事にはなりえない、検証に値しないという理屈になりますが、やはりそれは他愛のない着想として、日常的な会話の中にとどめて置くべきなのですよね?
 
9. Posted by toshi   2008年03月26日 09:46
YKさん
 なるほど。すごくうなづけました。
 今は、学問もものすごく細分化されているようで、おっしゃるような考察がなかなかしにくい環境もあるようですね。実際には、双方の専門家の提携、連携などが大切になってくるのでしょう。
 しかし、15歳のテストとしてみれば、まずは良心的な未来の一般市民としての常識と考察態度があれば、それでよしとするところではないでしょうか。ただその場合、『科学的リテラシー』という言い方が果たして適当かという問題はあると思います。どうも、この辺りはわたしにとっても悩ましい部分で、次回もちょっと問題提起させていただきたいと思っています。
 よろしくお願いします。
10. Posted by YK   2008年03月26日 17:48
お返事ありがとうございます。少し書き込みが中途半端なところで送ってしまいました。ですが、お返事を見て、先生の言いたいことが少し見えてきた感じがします。またよろしくお願いします。
11. Posted by 柴田勝征   2008年03月28日 15:17
柴田勝征です。

>柴田さん。せっかくお寄せいただいたのに、ごめんなさい

とんでもありません。わざわざ、拙HPを貴サイト上
にご紹介頂き、たいへんありがとうございます。
おかげさまで、私のサイトを見てくださる方が少し
増えたような気がしております。

toshiさんのサイトやtoshiさんが紹介しておられる
サイトにはとても勉強になる記事が多いので非常に
参考にさせて頂いております。

 PISAの設問および日本人生徒の解答結果をどの
ようにとらえるか、はそれぞれの人の世界観・人
生観にかかわる重大事である、という観点から、
私も学生時代からの親友であるN氏とまっこうから
(楽しく)論争しております。こちらのサイトに
投稿される方の中に「日本は白紙解答が多い」こと
を問題視する方がいらっしゃり、N君も同意見なの
ですが私は反対です。いずれ詳しく説明するつもり
です。
12. Posted by toshi   2008年03月29日 07:31
柴田勝征さん
《私も学生時代からの親友であるN氏とまっこうから(楽しく)論争しております。》
 続編の(2)に書かせていただいたのですが、意見が違うと相手の人格まで否定してしまうかのような関係になってしまうことが、日本人には多過ぎるような気がします。ブログも同様ですね。
 楽しい論争。心がけていきたいと思います。そういう意味で、よろしくお願いします。
《こちらのサイトに投稿される方の中に「日本は白紙解答が多い」ことを問題視する方がいらっしゃり、N君も同意見なのですが私は反対です。いずれ詳しく説明するつもりです。》
 わたしもこれは深刻な問題ととらえています。『ちょっとでも面倒なことは避ける。』
そんな風潮が感じられるからです。柴田さんのお考え、楽しみにしています。その折は、コメントかTBをよろしくお願いしますね。楽しい論争をしましょう。
 

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