2008年03月25日

戦後初期の苦難(2) 二部授業のやりくり 3

0ed51145.JPG 昭和20年代、亡父がある雑誌に投稿した記事の2回目である。

 一回目をお読みでない方はそれからお読みいただければ幸いです。


    戦後初期の苦難(1) 教室のやりくり


 わたし自身、読んでいて驚いたのは、父がかなり怒っているということである。腹に据えかねていたとみえる。文章がこれまでになく荒い。

 わたしは、よほど、柔らかなニュアンスにしようかと思ったが、いろいろ考えた末、やはり原文のままの方が、当時の雰囲気が伝わると思い、そうすることにした。

 なにぶん、このころ、父は30代であったことにかんがみ、その辺は大目に見ていただけたらありがたい。

 それでは、どうぞ。



◎二部授業のやりくり



〇授業時間数

 指導要領一般篇では、1年生でも週23時間だ。

 二部授業でどれだけできるかというと、8時始業なら午前中4時間、午後3時間。午前番は、しろく、24時間できそうだが、実はそうはいかない。午後番がせいぜい3時間くらいしかとれないから、午前番は早く給食をすませて、教室を明け渡さなければならない。そのため、11時半までで授業打ち切りとなる。

 それで午前番が給食をし、入れ替わって午後番が給食をし、食休みをしないで授業を始めても、1時過ぎになってしまう。

 それでやっと、午前番も午後番も3時間。週18時間にしかならない。

 しかも夏などは、午後番の授業の進まないこと、おびただしい。


 体力旺盛な青年にぜいたくに教室を使わせ、しかも7月初めから夏休みとしゃれこむ国大あたりの、せめて昇降口だけでもいいから、7月だけでもいいから、いたいけな小学生のために、貸してもらいたいものだ。なさけあるものならば。

 政治家や予算分取り業者は、子どもをもったことがないのか。


 さて、冬になって、9時始業となると、午前番は一日2時間半。週15時間。午後番も同じ。それ以上やると、4時過ぎだから、電灯をともさなければならない。

 こうして、年間の時数を計算すると、660時間。文部省では、870時間とある。誰のために決めたのか知らないが、この4分の3しかできない。2年生も同様である。
 それが、3年生となると、約3分の2しかできない。


 そこで、心ある先生は、午後番のときは午前中に、青空教室で体操をやる。教材の具合がよければ自然観察をやる。社会探訪をやる。

 でも、午前中にこれをやると、午後、待望の教室へ入ってから、子どもはあくびばかりをするのだ。

 こればっかりは子どもを知らない人には分かるまい。通算3分の2の授業がこれだから、実質的には2分の1くらいになるだろう。

 こういう羽目に子どもや先生を叩き落しておいて、学者づら、施政者づらした識者という人種が、やれ、戦後の学力低下の何のと言って、批判めいた口をきく人があるのだが、この識者という人間の、無智横暴、人権無視のはなはだしさよ。あまつさえ、官僚尊重の見本のような小学教師の俸給を切り下げ、教員の質の低下を共同謀議し、しかも自主的な研究や活動を締め上げておいて、「教育を守ってやるのだよ。」と、そらうそぶくことの悪逆無道さよ。



〇四人一脚の机

 3分の2が教室で、あとの3分の1を外で学習する子どもたちは、教室へ入ると疲労が目に見えてくる。これが一年間続く。否。3年間、4年間と続くんだ。だから、授業は落ち着いてできない。学力低下をさせまいと先生方はあせるから、子どもとずれてくる。
 雨が降れば、子どもは半日だけの授業となるから、生き生きとしてくるが、時間数は3分の2を出ることはできない。まるで雨蛙のような子ども。

 教室へ入っても、机は自分の机であって、自分の机ではない。午前か午後か他の子が来るから自分の物は全部持って帰らなければならない。1年生のころはまだ少ないが、3、4年生の子になると,肩からカバン、ぞうり袋、給食袋、紙ばさみに画板のひも、手には工作の道具、作品、何やらと、忘れ物は絶対にできない。紛失物も多くなる。やった子不明のいたずらが机を泣かせる。

 注意深い先生は、忘れ物箱を用意しておいて、おあとが入れ替わらないうちに、忘れ物を取り片付けたりする。

 1年生の子は、教室に来てみると、机に二人の名が書いてある。やっと自分の名が読めるようになると、今度は、人の名札が目ざわりになる。そこではがしてしまったり、エンピツでいたずら書きをしてしまったりする。そのつど、先生は、はり替えなければならないのである。



〇教室環境
 
 二倍の子が使うのだから、教室はよごれる。1、2年の教室は、5、6年が掃除してくれる。午後番の終わりは、4時過ぎるから、それまで待たされる5、6年の子もつらい。冬などは掃除が終わると暗くなる。

 女の子は帰りの道が危ない。早く帰してくれと父母に叱られるのは先生だ。だからと言って、朝から4時までこの教室はフルに使われているのだから、手のつけようがないのだ。世の中はどこまでもつらくなるようにできている。


 教室の壁面利用が一問題だ。中央から二分して使わなければならないから、図画、書き方単元などの掲示は少なくせざるをえない。いつも常連の図画ばかり貼らないで、できるなら全児童の作品を掲示すべきだ、などという近代式教育法などは適用できない。

 貼り出すにも、自分が授業が終わっても、まだ他人様が使っているから、夕方にならなければやれないのだ。だから、作品制作中にその作品鑑賞をしながら、即座にその参考品を少数貼り出すくらいである。

 また、単元導入のための掲示物を出す場合などは、二学級の進度と内容が一致していなければならない。そうでないと、遅れた方の学級に先の事がでてしまって、洞察判断や計画の能力を養うチャンスを失ってしまうことがありうる。一方が他方の学習の真似をするようになったら、その主体性は失われてしまう。
 その学年が、奇数学級の場合、ある学級は他の学年の学級と同一教室となったら、単元などはめちゃくちゃである。



〇学級文庫やその他の教具

 学級文庫は別々にしておくと、お互いに管理がしにくくなるので、できれば、二学級共同の文庫にしたい。購入や修理や貸し出しなどは、相互協定によってやっていけばよい。
 
 一方のクラスが、本が破れてこまると気づいたら、相手のクラスにも気をつけてもらうように申し入れしたり、どちらもよく規則を守ってもらうようにする必要感などは、切実にかき立てられる。

 こうして教室内の物を使用し、保護するいろいろな規則をつくって、相互に実行を図って他の迷惑にならないようにと学習する。
 また、図書や物品が二倍になるということは、二部であるがゆえにというありがたい利益もある。

 お誕生会などで、教室を飾ったり備え付けをしたりするには、相手の学級に承諾してもらう必要がある。不便だが、これも社会活動の一仕事である。



 きょうはここまで。


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ninki



 どうでしたか。今では考えられないような、先人の苦労がありました。

 今、わたしもこの歳になると、見当がつくことがあります。

 ベビーブームは、そのときは大変ですが、あくまで一過性の現象。

 したがって、教育委員会などは、まともに対応する気はなかったのではないでしょうか。お金もまったくないわけですからね。

 考えれば考えるほど大変な世代でしたね。いえ。大変な世代ですね。

 今、その世代の方々が、大量に退職していく時代となっています。ほんとうにご苦労様でした。

 (3)へ続く。

rve83253 at 01:41│Comments(4)TrackBack(0)むかし | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by ドリアンGT   2008年03月26日 10:34
初めまして。ドリアンGTと申します。
ランキングから寄らせていただきました。

私は塾の時間講師をしています。
そのため、子供の教育に関しては関心があります。
「二部授業」に関してはテレビ番組で見たことはあるのですが、実際に経験なされた方の話を聞くと、大変な苦労があったんだと思っています。

若輩者ゆえ、こちらのブログを自分の考えの参考にさせていただきますので、よろしくお願いします。
2. Posted by toshi   2008年03月27日 12:53
ドリアンGTさん
 ご訪問いただき、ありがとうございます。
 塾と学校との関係について、これまで数回記事にさせていただきました。よろしければご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/754794.html
などです。
 今後ともよろしくお願いします。
3. Posted by Mr.ブラック   2008年03月30日 16:40
なんとも・・・・・
コメントにつまるところです。
先人の苦労を私も広めていきたいと感じました。
4. Posted by toshi   2008年03月31日 13:16
Mr.ブラックさん
 コメント、ありがとうございます。
 わたし自身は子ども時代に体験していることとはいえ、やはり、こうして父の書いたものを読むと、感慨無量なものがあります。
 二度とこのような体験をさせてはいけませんね。

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