2008年03月27日

本校最年長の卒業生を慕って5

318e6b90.JPG 今、NHKに、『百歳、バンザイ』という番組がある。

 最近知ったので、これまでの放送はずいぶん見落としているが、そのなかで特に残念でならないのは、『園長先生はほめ上手』なるもの。『ああ。見たかったなあ。』と思う。

 百歳でなお、現役の園長先生というのもすごいし、『ほめ上手』というのは、わたしの『初任者ブログ』のテーマでもある。



 そんな思いでいた折、母校(〜と言っても、自分が退職した学校)の卒業式におじゃました。来賓として、3回目の出席である。


 今回は上記のようなことがあるので、ある一つの楽しみというか、不安というか、そんな思いを抱いてうかがった。
 なにしろ、あれからもう、4年という年月がたっているのだもの。


 それは、地域の方のお一人。Aさんとお会いすることだった。


 来賓控え室で、4年前の思い出話に花が咲いたとき、タイミングよしとばかりに、うかがった。

「おばあさん(と言っても、Aさんの義理のお母さん)は、お元気でいらっしゃいますか。」
「ああ。元気。元気。・・・。元気ですよう。このまえ、ちょっと風邪をひいて寝込んでしまったのだが、もう、今はまた、ピンピンしています。」
「うわあ。それはすごいですね。・・・。もうおいくつになられたのかな。」
「106歳になりました。・・・。あのときは、102歳だったのだね。」
「そうでしたね。・・・。でも、ご長寿、ほんとうにおめでとうございます。うれしいです。
 どうぞ、いつまでもお元気で、本校卒業生の最年長記録をどんどん更新していただければと思います。
 よろしくお伝えください。」



 そう。だいぶお待たせしてしまいました。『あのとき』というのを説明しなければいけないですね。



 それは、この学校が創立130周年を迎えたときのことであった。

 わたしは、このおばあさんに、インタビューをさせてもらった。そして、その様子を、創立130周年記念祝賀会でビデオ放映。お集まりの200名くらいの方々にご覧いただいたのである。

 そのお元気なご様子。受け答えも記憶もしっかりしていらして、また、むかしの人らしい律儀なお姿に対し、会場からは、驚愕とも感嘆ともつかぬどよめきが起きたものだった。




 その数ヶ月前。

 地域・PTAの方々、それに学校の数人で、式典、および、祝賀会の相談をしていた。もう、式や会の次第など、話し合いはかなりにつまった段階だった。


 何かの折に、Aさんが何気なくおっしゃるには、

「まあ、うちのおばあちゃんは、元気だよ。しっかりしてらあ。
 このまえ、100歳で、小泉首相からお祝いをいただいたのだが、ちっとも喜ばないのだな。
『このようなことをするのは、税金の無駄遣い。長生きは決してめでたいことではない。生きている限りは、誰だって百歳になる。だから、もっと他のことに税金を使わなければダメだよ。小泉さんにそう言いな。』
って言うのだよ。」


 続けておっしゃる。

 あるとき、家族が、長生きの秘訣を聞いたのだそうだ。すると、
『別に長生きしたいなどと思ったことはない。ちっとも、お迎えがこないだけのことだよ。』
と答えられたとのこと。

 思わず、皆さん、大笑い。しかし、笑いながらも、その表情からは、驚きとも敬慕ともつかぬ、そのような思いが伝わってきた。



 しかし、そのとき、わたしは、別なことを考えていた。


 わたしは、Aさんの義理のお母さんが、100歳を超えられたこと。また、本校の最年長の卒業生らしいということは、すでによく承知していた。

 それで、
『これまで、ご高齢ということもあって遠慮していたけれど、そんなにお元気なら、お願いしてみようかなあ。』
そのような思いになったのである。


 さっそく、Aさんを通し、式典・祝賀会へのご出席とインタビューをお願いしたわけだが、

 式典・祝賀会へのご出席は、かたく辞退された。
「自分のような年寄りが、そんな晴れがましいところへ出席するのは恐れ多い。」
その一点張りだったそうだ。

 しかし、『子どもたちの社会科の学習に役立てたいから。』ということで申し入れたインタビューについては、快く応じてくださった。
 ホッとすると同時に、とてもうれしかった。



 当日は、ビデオカメラを抱えた教員と一緒にうかがった。

 おばあさんは、『今日は、母校の校長先生がいらっしゃる。』ということで、朝から緊張されていたとのこと。わたしに対して敬意を表し、深々とお辞儀をされた。

「ご苦労なことでございます。」

そうおっしゃられて、わたしの方が、どぎまぎしてしまった。


 部屋には、ご家族のご配慮で、小泉首相からのお祝いの品と祝い状が飾られていた。


 さて、取材の内容は、

・大正時代初期のご卒業だが、新校舎は完成したばかりで、卒業の日一日だけ入ることができたこと。

・同期の卒業生は、男子は7名。女子は5名だったこと。そのお友達の思い出話。

・当時、まだ、すべての子が学校へ通えたわけではないが、特に女子は、通えない子もいたが、おばあさんの家では、父親の理解があり、兄弟全員学校へ通えたこと。
 
・校長先生が、1年と、5・6年を担任し、もう一人の女の先生が、2・3・4年生を受け持っていらしたこと。

・校長先生は、ほんとうに立派でいい先生。きびしくもやさしかった。よく子どもをかわいがってくれた。

・着物姿で登校していたこと。学用品などは風呂敷に包んで、背中にしょったとのこと。

・その後、おばあさんは結婚されて、Aさんの奥さんをはじめ、6人のお子さんを立派にお育てになったこと。そのお子さんも、全員がこのB小学校の卒業であること。

など。など。


 祝賀会では、当時の写真を写しながら、皆さんに見ていただいたが、新校舎といっても、木造のふつうの民家くらいの大きさしかなかった。

 また、同期の卒業生のことはよく覚えていらして、その思い出話などでは、その記憶の確かさに、皆さん、驚いていらした。


 最後に、わたしがうかがったことは、

「今、B小学校には、四百人以上の子どもがいるのですけれども、・・・。」
「まあ。そんなに・・・。わたしたちのころは、おなじ学年の子は、10人いるかいないかくらいでねえ。」
「そのようですね。・・・。それでね。おばあちゃん。今の子どもたちをご覧になって、どのようなことを思われますか。」
「今の子はね。みんな、いい子。・・・。うちの前を大勢毎日通っていくけれど、みんな、礼儀正しく通る。きちんと挨拶してねえ。」
「ああ。そうですか。ほめていただいてありがとうございます。でも、礼儀正しいって言ったら、むかしの子どもの方が礼儀正しかったのでしょうねえ。」
「いやあ。むかしの子どもは、もう、けんかばっかり。乱暴でねえ・・・。」

 まあ、そのようなことはないと思うが、そうおっしゃって、会場は、「ほおう。」というちょっと驚きというかな。そのようなざわめきが起こった。

 地域の多くの方々は、この土地の、むかしの子どもだったわけで、皆さん、苦笑いといったところだった。


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 4・5年前に創立130周年を迎えた小学校は、明治5年の学制発布によるものですから、全国に分布していることでしょう。

 B小学校は、戦前、何度も火災に見舞われ、あるいは、地震で倒壊し、創立当時の文書がまったく残っていません。ただ、大正初期、当時の校長が、土地の古老から聞いた話の記録があるだけです。

 おもしろいのは、その記録によると明治6年の創立になるのですが、なんと、数十年前、あるおうちから、ご先祖様の明治5年の卒業証書が発見されたのです。

 そのようなわけで、正式な創立はもちろん、わたしが何代目の校長なのかも・・・、
 一応、学校沿革史では33代となっていましたが、記録はマチマチでした。

 『第〇〇回卒業証書授与式』と言えないことに、ちょっとした不満をもらす教職員もいましたが、
「いいではないか。それこそが、古さの証明なのだから。」
と、わたしはよく言っていました。

 それでは、そのような小学校と、お元気なおばあさんへの思いを込めて、今日も、1クリックいただければ、うれしく思います。

rve83253 at 09:17│Comments(2)TrackBack(0)教育風土 | 学校行事

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この記事へのコメント

1. Posted by 大山虎竜   2008年03月28日 07:24
5 toshi校長先生
ご無沙汰しています。
4月から校長になります。
toshi校長先生に教えていただいた教頭実践、
本当にためになりました。

以前も校長職について語って下さっていますが、
また、よろしかったらご教授をお願いします。
全国の優れた先生方からブログで学べる凄い時代になりましたね。
2. Posted by toshi   2008年03月28日 09:24
大山虎竜さん
 それは。それは。校長昇任、おめでとうございます。
 ブログでのご縁に過ぎないのですが、自分の後輩の昇任と同じように、うれしく思います。
 どうぞ。子どもが生きている、子どもが主人公の学校づくりのため、ご奮闘をお祈りします。

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