2008年04月04日

PISA調査問題には、問題が・・・?(3)3

1dc5ee77.JPG わたしは、これまでも、PISA調査の問題を熟読吟味してきたと思う。

 しかし、今回、神原敬夫氏と柴田勝征氏からいただいた調査批判の論文を読ませていただくと、これまでは感覚的にしか問題をとらえていなかったのではないかという思いになってきた。

 そういう意味では、さらに、深く一問一問をみようとする契機を与えてくださったわけで、あらためて、ここに、両氏に感謝したい。

 ほんとうにありがとうございました。


 神原氏、柴田氏の考察は、わたしと一線を画するが、共感できる部分もかなりある。
 問題が十分練れていないということに関しては、わたしも認めざるをえない。

 ただ、大部分は良問と思うので、その点は、わずかしかとり上げることができないものの、とり上げた問題については、しっかりと考察していきたいと思う。


 今回は、『読解力』をとり上げるのであるが、ご承知のように一番学力低下という意味で、物議をかもした分野であるし、また、わたしにしても、最も大切に思うところの問題解決力をもろに問うているものだから、心して分析してみたい。

 また、柴田氏より、本シリーズ(2)において、コメントをいただいているところでもあり、それも、とり上げながら考察してみたいと思う。


 なお、PISAが言うところの『読解力』は、日本人の感覚からすれば、ずいぶんずれていることはすでに記事にしたところである。

    PISA調査へのちょっとした疑念?

 日本人は読解という言葉からは、『主題の読み取り、要約、小見出し、段落わけ』などしか思い浮かべないであろう。しかし、PISAの言うところのそれは、

〇実際に起こっている、あるいは、起こりうると思われる社会問題を中心にとり上げている。
〇大人がまさに模索している、解決困難な問題を多くとり上げている。
〇それらの解決困難な問題について、資料をもとに子どもたちがどう判断するか、その見解を求めている問題もある。
〇文章の読解、資料の読み取りもあるが、子どもたちは今まさに問題解決学習をしている気分で、思考力をフルに発揮しながら解くことができる。
〇どういう判断を下したかで正答か誤答かが決まるわけではない。判断の拠り所として、どう客観的に資料を読み取っているか。独断だったり、主観的だったりしていないか、そのあたりを中心に採点しているのである。

 だから、わたしは、PISA型読解の問題の多くは、実は問題解決能力を診ているのだというとらえである。


 文科省も新指導要領改訂に当たっては、PISA型読解力を意識し、それをとり入れようとしている。

 神原氏の考察をお借りすると、

『文部科学省は、学校の国語のように文学に偏ることなく、すべての文書とそこに含まれる表、グラフ、イラスト等も含め読みとることが必要だとしています。
 そして、各地域におけるPISA型「読解力」向上の取組を支援する「読解力向上プログラム」として次のように取り組むとしています。

 現在実施している「国語力向上モデル事業」を充実し,国語以外(社会,数学,理科等)の教員を中心として,社会,数学,理科,総合的な学習の時間など教科横断的な取組の充実を図ることとする。

 各学校で求められる改善の具体的な方向 〜3つの重点目標〜

・テキストを理解・評価しながら読む力を高める取組の充実
・テキストに基づいて自分の考えを書く力を高める取組の充実
・様々な文章や資料を読む機会や,自分の意見を述べたり書いたりする機会の充実』


 それでは、以上をご承知いただいた上で、いよいよ、PISA型読解力の問題の考察に入るのであるが、


 初めにとり上げるのは、日本人の感覚からすると、どうにも、しっくりこないというか、隔靴掻痒の感を免れないような問題である。


 それは、『PISA調査(読解力)の公開問題例』の32ページ『プラン・インターナショナルに関する問題』である。

 資料は、たった一つ。しかし、それが、まことに細かい表である。
 そして、わたしがみる限り、設問に対し、的確にこれと答えられるものがない。とらえどころのない感じもする。

 設問は、プラン・インターナショナルのエチオピアにおける活動実績がほとんどないことについて、表に示された活動内容の項目などから考えさせるのであるが、項目はまことに膨大。これを解く子どもたちは、いったいどこに目をつけたらよいのか、ものすごく迷うであろう。

 そして、しっくりくる項目はない。それなら、それらの項目をまとめて、『貧しい。』とか、『施設がない。』などという答えでいいのかななど、解答するにも、不安な思いになるのではないか。

 どのように解答したとしても、もやもやした気持ちが残ってしまいそうだ。


 これがもし、授業なら、『子どもたちの話し合いにしっくり来るような、的確な資料ではなかったですね。』と言われそうだ。


 どうも、現行のPISA調査の問題には、本シリーズの(1)で示した『数学的リテラシー』の歩行の問題にもあったが、よく吟味されないままの出題というのがありそうだ。



 逆にすばらしいと考える問題を一つ。ただし、日本人的感覚からすれば、驚きの問題である。

 それは、『落書きに関する問題』。19ページからである。

 これがほんとうに『読解』であろうか。わたしにしても驚かざるをえない。

 1番は、まあ、広義の読解とみていいであろう。手紙の目的をとらえるのだから、要約とか主題とかとは違うだろうが。

 2番は、自由記述である上に、読解した上での解釈を求めている。日本はえらく正答率が落ちるが、神原氏によれば、『引き合いに出す。』の意味が理解できなかったのではないかとのこと。それなら、低正答率は、訳文の問題だな。

 3番は、まったく読解ではない。自分の意見とその理由を求められている。これも自由記述であり、従来の伝統的な考えからすれば、日本人は苦手としていい問題のように見えるが、正答率は高い。これは意外だ。

 4番は、相反する二つの意見について、手紙としてのよしあしを問うている。主張を明確に述べているか、読み手に伝わりやすいかとか、そうした観点での、判断を求められる。
 3番とともに、従来の日本の伝統的な問題にはなかったものと言えよう。


 ただし、何度も言うようで恐縮してしまうが、社会での実生活における判断という意味では、非常に有効性をもつものである。

 これを解く子どもたちは、ちょっとした論文の試験官になった気分になるのではないか。

 また、『インフルエンザに関する問題』などは、実生活において、生きる上で必要な情報を、いかに正しく、客観的に把握することができるかを問うなど、まさにたんなる『読解』をはるかに超えていると言えよう。



 前述の、『日本の伝統的な問題にはなかった』ということについてだが、

 日本は、これまで、知識・技能を問うのみで、こうした学力を大変おろそかにしてきた。

 だからこそ、よく言われることだが、日本人は、自分の意見、主張を持ち合わせず、借り物の意見、主張になってしまうことが多い。教条主義的とも思う。

 また、エセ科学にも、エセ科学とすら言えないような神がかり的論理に対しても、簡単にひっかかってしまう。



 柴田氏は、わたしの本シリーズ(2)へのコメント、20、21番で、『物差しが違う。』とおっしゃった。

 しかし、わたしに言わせれば、教育観が違うのだ。

 『toshiさんはPISAの問題を、ご自分の「問題発見学習の授業の流れに沿って」、教師の立場から評価しておられる。私は、PISAのテストを受けさせられている生徒の立場から評価(判定)しています。』
ともおっしゃる。

 これは、わたしにしてみれば、驚きのコメントで、

 問題解決学習というのは、子どもが抱く疑問、矛盾を問題とし、資料収集も子どもがやることを目指しているもので、子どもの主体的な学びを保障しようとするものである。
 
 PISA問題を解くということは、

 そうした学びと同一の解決過程をたどるだろうし、
 思考をはたらかせる過程で、切実感を抱くに違いなく、
 子どもが意欲的、主体的な思いをもって解くであろう。

 それは、ただ単に、『自分の授業に活用したくなるような面白い発想の問題』というレベルで語るようなものではないのである。

 それに対し、柴田氏は、『生徒の立場から』とおっしゃっているが、生徒の抱くであろう問題意識とか、意欲とか、思考の流れとか、その辺りはほとんど問題とされていないと思われる。

 さあ。どちらが、子どもの立場で思考しているのかな。

  
 そういう目で、こうした問題を見ると、確かに知識・技能的な面では、たいした内容を問うていないので、愚問に見えるのであろう。

 たとえば、上記、『落書きに関する問題』が、人生になくてはならない『知識』を問うているかと聞かれれば、それは、わたしだって、そのようなことはないと言うしかないものね。


 ただし、これは、『読解力』と呼んでいることに起因するのかもしれない。

 これを、資料活用力とか、判断力、意見表明力などと言えば、『それは確かに、人生に必要な能力だね。』となるのかもしれない。



 そもそも、PISAは、初めっから、知識・技能を問うものではないと、自分で言っている。

 これも、何度も引用するようで恐縮してしまうが、シュライシャー氏は、講演でこう言う。
4ページ右側である。

 『一般的に、リテラシー・スキルは、学校におけるあらゆる事柄の基礎となっていると理解されています。しかし、PISAでは、リテラシーは、読み書き能力と定義されてはいません。
 なぜなら、それは、技術的なリテラシーにすぎないからです。
 私たちが実際に用いたのは、その背後にある概念で、“世界への扉”という意味で用いています。すなわち、情報にアクセスし、情報を処理すること、情報を結びつけたり、情報を評価したり、そして情報にもとづいて熟考するといった能力です。これが、私たちのリテラシーの定義なのです。』

 つまり、柴田氏がおっしゃる『科学的・数学的センス』。

 これはおそらく、

 純粋に科学、

 純粋に数学、

 その専門性。

 そうしたものを指すのであろうが、それに対し、PISAは、初めっからそのようなものではないと宣言してしまっているのだ。


 だから、ここでまた、再登板していただくが、

 亀@渋研さんが、ご自分のブログ『PSJ渋谷研究所X』でおっしゃる、

『このようなもの(PISA)は、学力でないから、気にしなくていいという声が、どこからも起きないのは不思議です。』
ということになる。

 そして、神原、柴田両氏は、まさに、その声を勇気をもってあげてくださったとも言えるのではないか。声を上げてくださったことによって、不思議ではなくなった。

 わたしが、声を上げてくださったことに感謝するのも、まさにその点にある。

 異なる見解を示してくださることは、それを読んだり聞いたりすることによって、お互いに思考、判断が深まるという、まさに、これも問題解決学習そのものなのだが、そうした意味での『生きる力』を高めてくださるので、感謝したのである。


 もう一つ、言えること。

 それは、KGさんがおっしゃるように、

 『批判内容(神原、柴田両氏の主張)の通りに理数教育の成果を測るのであれば、結局TIMSSに落ち着くのではないでしょうか?
 元々PISAはTIMSSで測定できないものを測定する為に生まれました。
 当然、TIMSSでは測定できてPISAでは測定できないものもあります。批判内容の多くはPISAでは測定できないものを指摘しているのではないかと思われます。』

 わたしも同感だ。

 TIMSSの算数、数学、及び、理科の問題は、確かに純粋に知識・技能(精度が高いかどうかはわたしには不明だが、)を問うている。

 


 わたしの最終結論。と言っても、現段階で断言するものではないが、


 PISAには、PISAの、TIMSSとは異なる理念がある。文科省の言う『生きる力』ともかかわって、学び方、生き方を問う問題を作成している。

 そして、世界中が、今、PISAを求めている。PISAへの関心が高い。

 PISAの理念に共感しているのだと思う。

 それは、世界中の国々が、

『そうだ。これからの教育は、単なる読み書き能力の育成ではない。純粋に、科学・数学の能力を高めることでもない。まさに、生きる力。それらをどう高めていくか。つまりそれは、思考力、判断力を高めることでもあるのだが、それこそが、これから求められる学力である。』

 そう考えるようになったということではないか。

 それは、日本のように、暗記・知識つめこみ大国(断じて、神原・柴田両氏のことを言っているのではありません。両氏は、純粋に科学、数学等の能力を高めることを考えていらっしゃいます。)でも、冒頭の文科省の方針のように、PISA型読解力を高めようと考えるようになったことにも現れている。

 これは、実にすばらしいことである。


 なぜなら、

 以前、思考力、判断力を高めることは、道徳的実践力を高めることにつながるという記事を書いたことがある。

   『知徳不可分』がそれだ。

 つまり、真に、『生きる力』を身につけた子どもは、徳の部分でも、すばらしい力を発揮するということだ。

 ということは、世界中がPISAの理念を大事にして、教育力、実践力を高めたら、それは、『世界平和』に直結するということである。

 現段階で、PISAは、そこまでは言っていないが、わたしは、そう思う。


 ただし、現段階では、中国、中近東の国々は参加していない。

 これは、残念だ。

 でも、セルビアが参加しているのは大きい。紛争地域だものね。


 今後、PISA調査によって、『真に子どもが生きる』、亀@渋研Xさんの言葉を借りれば、
『「市民に求められる健全さ」の一部としての「知的態度」や「社会性」「合理的判断力」など』
そうした学力の形成が、世界中に満ち溢れれば、中国や中近東をも巻き込むかたちで実施されるようになり、大きな成果を上げると期待される。

  
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 もとより、これまで考察してきたように、また、神原氏もおっしゃるように、PISAには、より問題の質を高める努力をしてもらわなければなりません。真に“世界への扉”を開くにふさわしい問題作りをお願いしたいと思います。

 世界の期待は大きいのではないでしょうか。

 おもしろいなと思うし、いかにも日本的だなと思うのは、PISA型読解力が、受験に反映されていることです。

 これは、ただ問題になれさせるとか、訓練的に行うとかいうものでしょう。目新しい問題に対し、『解く要領』を把握させたいということでしょう。

 これは、『生きる力』を育むこととは無縁だし、上記記事の『知徳不可分』に結びつくものでもありません。

 せいぜい、グラフ、図表などの読み取りなどにとどまるのではないでしょうか。とても、『あなたの意見を述べなさい。』まではいかないものと思います。

 このようなことによって、仮に正答率が上がったとしても、それにたいした意味はないでしょう。


 本シリーズはこれで終了としますが、どうぞ、最後に、1クリックをよろしくお願いします。


rve83253 at 09:15│Comments(14)TrackBack(1)PISA | 教育観

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1. 科学についての知識  [ 海洋学研究者の日常 ]   2008年04月09日 02:43
本ブログでは昨年12月17日の記事「科学リテラシー(2)」以来、PISA2006を基に科学リテラシーについて論考してきた。それは、管理人は「科学リテラシーの普及が日本を変える」と考えているが、この科学リテラシーに言及している種々の記事を読んでも、そこでの、「科学の知....

この記事へのコメント

1. Posted by 柴田勝征   2008年04月06日 12:09
柴田です。
 私のシリーズ(2)への舌足らずのコメント、20、21番に対して、丁寧に解答していただきまして、ありがとうございました。実は、あのコメントの原稿は、もっとずっと丁寧に詳しく書いたのですが、「投稿」をクリックしたところ、「全角400文字を超えています。」というような警告文が出て、送信できなかったので、短くするために削りに削って、「連投」で2回分にまで、やっと縮めて骨と皮ばかりになったので、我ながら失礼な表現になってしまった部分もあり、投稿するのもためらわれたのですが、きちんと回答していただいて、正直言って「ほっ」としています。toshiさんの『知徳不可分』は、おそらく私の教育観に近いと思ったので、「教育観」「問題解決学習」などの欄を探してみたのですが、検索が下手なのか、見つかりませんでした。探し方を教えていただければ幸いです。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
2. Posted by toshi   2008年04月06日 16:14
柴田勝征さん
 舌足らずなどととんでもありません。
 いただいたコメントの件では、ご迷惑をおかけしました。
『問題解決学習』というのは、一般的な用語のような印象を与えると思いますが、これで、一つのしっかりした概念をもっています。
 Wikipediaなら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E5%AD%A6%E7%BF%92
です。
 また、それとは別に、清水毅四郎氏の論説は、一番的を射ているように思います。
http://homepage2.nifty.com/shoshi/k-kodomo/shimizu.htm
 『子どもの生活に根ざす』、子どもの問題意識を大切にしますが、近年、社会科においても、概観単元など、学習内容重視のため、問題解決学習はやりにくくなっている面はあると思います。
 そのため、広義では、『子どもの興味・関心に即して(を養って)』という意味も加わっていると思います。
 よろしくお願いします。
3. Posted by 柴田勝征   2008年04月06日 18:38
柴田です。
 早々のご回答、ありがとうございました。さっそくご教示のサイトを読んでみました。
さらに興味を持って、「初志の会」のいくつかの論文も読んでみました。たいへん興味深いサイトをご紹介いただき、重ねて御礼申し上げます。ただし、相変わらずの私の舌足らずのせいか、私の質問の趣旨が誤解されたようです。私はtoshiさんの
>以前、思考力、判断力を高めることは、道徳的実践力を高めることにつながるという記事を書いたことがある。
>   『知徳不可分』がそれだ。
とある『知徳不可分』の記事が読みたくて、toshiさんのブログの「教育観」や「問題解決学習」の欄を探し回ったけれど見つからなかった、という意味です。「問題解決学習」について質問したのではなかったのですが、結果的に「問題解決学習」について知識が増えて良かったです。
4. Posted by 柴田勝征   2008年04月06日 18:40
柴田です。
「問題解決学習」について読んでみると、私の「情報化社会と倫理の授業風景」で書いた授業実践とよく似ているなあ、と思いました。
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_1.html#361go
〜 http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_2.html#364go
 なお、私は未だPISA問題批判をほとんど掲載しておりません。「地球温暖化」について論じ始めたところで、「特殊支援教育」についての緊急テーマが浮上したので、現在そちらを検討中でPISAはちょっとお休みしています。再開した節には、また、いろいろ批判してください。
5. Posted by toshi   2008年04月06日 21:03
柴田勝征さん
 ごめんなさい。まったくとんちんかんなコメントをしてしまいました。
 拙ブログの『知徳不可分』の記事については、本記事のなかの『知徳不可分』の文字のところ(アンダーラインのついている箇所)をクリックしていただければよかったのです。
 念のため、URLを記します。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/964311.html
 よろしくお願いします。
6. Posted by 神原敬夫   2008年04月11日 10:53
 ご無沙汰しております。ブログは毎日のように、面白く拝見しております。

 先生ご紹介のため、わたしのホームページも毎日10人以上の人が訪れてくれているようです。どのように読まれているのか反応がないので分かりませんが、ぼちぼち新しものをと考えています。

 ところで、先生の納得するまで追求をという姿勢に感心しています。
 PISAの問題では、コメントのやりとりが大変参考になりました。
 温室効果の問題は問題解決学習の典型だと思いますので問題解決学習を追求なさっている先生が良問と考えられる理由も理解できるつもりです。
 ただ、PISAは比較することを目的として研究を進めていますので、その視点で考えたいと思います。
7. Posted by 神原敬夫   2008年04月11日 10:56
 先生は私のレポートについて十分お分かりいただけていることで、私がPISAを全く否定しているのでないことをご承知いただいていると思いますが、言いたいのは、PISAが「明日への教育」をリードするというのは?
ということで、一つの参考にという程度に考えるべきではないかということです。

 ところで、TIMSSとPISAにはさほど大きな違いはないと考えています。
 TIMSS2003のS4では150問のうち日本の生徒が学校で習っているのは39問に過ぎず、111問は常識で答えているということを考えれば分かると思います。
 レポートでも書きましたように、両者の得点の相関係数は0.9を超えています。
 もし、PISAがTIMSSとは異なる視点でと考えているなら失敗だったといえるでしょう。

 今後とも先生のブログ楽しく拝見させていただきたいと思います。
8. Posted by toshi   2008年04月13日 07:24
神原敬夫様
 コメント、ありがとうございました。
 お返事が遅れ、申し訳ありません。
 PISAは比較を目的とおっしゃるのは、各国間のランキングのことでしょうか。それでしたら、それもありますが、それを通して、各国の教育施策に影響を及ぼしたいという、そこまでのねらいがあるのではないでしょうか。
 PISAのねらいも、各国の受け止めも、とても、参考程度などというものではなさそうです。でも、わたしはそれでいいと思っています。
 それだけに、良問ばかりとなるよう、研究を進めてほしいですよね。この部分では、良問のとらえこそ異なるものの、神原さんと意見が一致していると思います。
9. Posted by toshi   2008年04月13日 07:38
 申し遅れました。いつも、ごらんいただき、ありがとうございます。
 さて、TIMSSのことですが、わたしは、問題の傾向はかなり違っていると思っています。ただ、わたしが見ているのは、
http://www.ocec.ne.jp/linksyu/pisatimss/koukaimonndai.htm
によってであり、とてもすべて目を通したとは言えないものです。前にも述べたのですが、わたしは、問題解決学習を標榜していながら、自分自身は資料収集力が不足しているようであり、申し訳ありません。
 上記URLを見ると、やはり、ほとんどは知識・技能を問うものですね。あえて申せば、中2の数学問題例2が、PISA2003実施の問題解決能力問題と似ているかなと思いました。
 常識で答えられるか否か、相関係数が高いか否かで、大きな違いがないとは、必ずしも言い切れないのではないでしょうか。
10. Posted by 柴田勝征   2008年04月21日 12:18
柴田です。いよいよ正面切って、私のPISA批判を開始しました。
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2008_4.html#371go
これまでは、「情報化社会と倫理」という私の授業風景の記述として間接的には批判してきましたが、正面切って批判したのは今日が最初です。神原さんの論文に啓発されるところ大でした。
いままでのいきさつの報告として、冒頭にtoshiさんのこちらのサイトを紹介させて頂きました。toshiさんはおそらく私のPISA批判の考え方を100%誤解しておられると思うので、ぜひ読んで頂きたいと思い、真っ先にメールしました。
11. Posted by 柴田勝征   2008年04月21日 12:19
柴田です。連投、すみません。今回のPISA批判シリーズは、前回の連載「因果律の無い世界に生きる新人類の登場 / 青少年の認知に何が起きているのか」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2007_11.html
の継承・発展として書いています。「因果律...」はいくつかの学会や研究会で発表し、かなりの反響を呼びました。お時間がありましたら、是非ご覧になって見てください。
12. Posted by toshi   2008年04月23日 11:52
柴田勝征さん
 コメント、ありがとうございました。
 貴記事を拝見しました。わたしは、貴論文を誤解していないつもりですが、そうですか。誤解なら申し訳ありません。
 貴論文の激れつな表現には、ちょっとついていけないところもありました。
13. Posted by 柴田勝征   2008年04月24日 09:55
柴田勝征です。
 私の記事をご覧頂き、ありがとうございました。
私の考え方を誤解されているように感じていたものですから、失礼なことを書いてしまって、申しわけありませんでした。
 「激れつな」表現は、私の生まれながらの悪い癖で、実は見かけ上の表現で感じられるほどには、本人は「激烈に」言っているつもりはないのですが、不徳の致す所です。「まるで小泉流だ」というご批判を下さった方もおられます。ますますもって、不徳の至り...
 あ、それと「鎌倉時代の武士の屋敷風景」の授業、感動しました。
14. Posted by toshi   2008年04月24日 15:34
柴田勝征さん
 うわあ。鎌倉武士の授業記録、読んでいただけたのですか。ありがとうございます。
 わたしの方こそ、失礼なことを書いてしまったようです。申し訳ありませんでした。
 今週、全国の小中学校を対象に、学力調査が行われました。問題を見てみますと、PISA調査の影響が色濃くあるようです。細かな考察を加えてみたいと思っておりますので、またよろしくお願いします。
 ご批判をお待ちしています。

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