2008年04月08日

実(じつ)のあがる小中連携は、4

40c416ff.JPG 前記事で、ネットのニュースをとり上げ、生徒と信頼関係で結ばれている中学校長を話題にさせてもらった。

    
 そして、その末尾には、かつて、わたしの身の回りにもいらした、すばらしい中学校長のことを書いた記事に、リンクさせてもらった。

    中学校長から学ぶ(1)

である。(もしお読みでなかったら、ぜひご覧いただければと思います。本記事内容と深くかかわります。)


 あとで思い出したが、実はもう一つ、その校長のことを書いた記事があった。

    学校だよりへの想い(13) 若さをいただく

の後半部、『まちのお祭りで』に登場する校長が、まさにその方だった。



 今日は、この校長との間ではかった小中連携をテーマに書かせていただきたいと思う。

 今、A校長と呼ぼう。



 さて、

 どこの地域でも、校長として新しい学校に着任すると、近隣の小中学校や、地域の方々へのあいさつ回りをすると思う。

 このA中学校は、わたしの学校のほとんどの卒業生がお世話になる学校だったから、前任校長とともにうかがった。

 A校長の評判は、すでに何度か、いろいろな方からうかがっていたから、訪問が楽しみだった。


 そして、以下のような話をうかがった。

〇A中学校には、何人かまちにいろいろご迷惑をかける子どもがいるので、おそらく小学校に対しても、そういうことがあると思う。もし気になることがあったら、遠慮なく知らせてほしい。

〇でも、おかげさまで、そういう子も、だんだん学校にとけ込めるようになり、問題になる事例はずいぶん減ってきた。これはまちの方々のご支援、ご協力のたまものである。

〇今後、いろいろなかたちで、小中連携が図れたら、うれしい。



 わたしとしても、これは、願ったりかなったりだった。

 小中連携に限らず、身のまわりの大人が手を携えていることを、子どもたちが感じとれれば、それは、有形、無形の教育力になる。



 そのようなことを思っていた数ヶ月後、わたしは、放課後の校庭で、すばらしい光景を目にした。


 中学生が、10人以上、我が校に遊びに来ていた。みんなでサッカーに興じている。

 初めは、やけに小さな中学生がいると思っていた。しかし、よく見ると、それは違っていた。何と、小学生が一緒に遊んでいたのだった。



 こういうとき、とかく目にする光景は、こんなふうだ。


 中学生が我が物顔で校庭を独占する。そのため、小学生は隅っこで、こじんまりと遊ぶしかなくなる。

 ときどきは小学生が職員室にやってきて、『ぼくたち遊べない。』と訴える。

 するとやおら、教員が立ち上がり校庭に出て、中学生に注意をする。

 このわたしにも覚えがある。

「ねえ。君たち。ここで遊んではいけないとは言わないが、小学校の校庭なのだから、小学生を大事にしてやってほしいな。せめて、校庭の半分くらいは小学生に譲ってやってくれよ。」



 ところが、このときのA中学校の生徒は違っていた。

 ただ、小学生と一緒に遊んでいるというのではない。小学生に対して、実にやさしいのだ。

 わたしは、校長室から見ていたのだが、

 身体の大きさがまるで違うのは当然だが、小学生とぶつかりそうになると、さっと身をかわすか、動きをセーブする、その姿が自然体で、とてもすてきだった。それでいて、むきになる小学生に対しては、遠慮しない。うまくボールを扱って、小学生をおちょくっているようにも見える。

 『さすが、中学生のお兄さんは違うな。上手だな。』とばかり、尊敬のまなざしでいるようにも見える。

 初めは、小学生対中学生でやっていた。

 しかし、なにやら、動きを中断し、小学生が中学生に何か話しかけている。

 見ていると、話の内容が想像できるのだ。

「これでは、つまらないよ。どちらのチームにも、中学生のお兄さんとぼくたち小学生がいるようにして、同じ力でサッカーをした方がおもしろいよ。」

 
 それに中学生も賛同して、チームを編成しなおし、また、試合をやりだした。
 
 小学生は、先ほどより、全員がすごく楽しそうだ。中学生は、小学生にもちゃんとパスしてやっている。ともに楽しめるような気配りが随所に見られる。


 わたしは、ジーンとするとともに、職員室へ移動すると、教員たちに話しかけた。教員も、仕事の手を休め、校庭を見つめる。
「ああ。〇〇が来ているな。」
「〇〇兄弟だ。」
「ほんとうに、いい光景ですね。やさしい中学生だわ。」
「よし。終わったら、中学生と話してこよう。お礼の気持ちを伝えてきますよ。」

 わたしは、そうした話を聞きながら、『よし。このことを、A校長に話そう。』そう思った。

 だって、小学校が中学校に電話を入れるときっていうのは、たいがい、苦情だものね。それではダメだ。苦情もあればそれは言うけれど、今のようないいこともどんどん報告しなければ。

 

 A校長は大変喜んでくれた。
「ありがとうございます。このように、苦情でない電話をいただいたのは初めてです。さっそくそういう電話をいただいたことを教員にも話しますし、次の全校朝会の話題にもさせてください。生徒も喜んでくれると思います。」

 内心とてもうれしかった。『ああ。電話を入れてよかったなあ。』



 それからというもの、ちょっとした変化があった。


〇わたしは、ほとんど毎朝、登校の子どもたちを迎えるために、校門に立ったが、その前を通る中学生が、わたしに挨拶してくれるようになった。

 わたしは、着任した年だったから、この子たちを基本的には知らない。しかし、数日後にはもう、顔なじみという感じになった。


〇A校長の話を聞いたからだろう。見るからに、『まちに迷惑をかけている。』と思われるようなタイプの子も、やってきた。
「〇〇いる?」
などと言いながら。
 それは、旧担任の名前だったりあだ名だったりした。はっきりわたしに会いにきたという子もいた。

 職員室のものを勝手にさわったり、教員の机の引き出しを開けたりするが、注意するとやめるし、人懐っこいし、一人ひとりはかわいいものだ。

 彼らはさびしいのだね。

 それで、話を聞いてくれると分かると、どんどん話しかけてくる。


〇それから、さらに、数ヵ月後、秋も深まったころだった。

 A中学校陸上部の指導をしている教員が、突然、わたしを訪ねてきた。

 そして、本校卒業生の活躍を報告してくれた。

 わたしは、これまでも記事にしてきたように、中学校の部活には、いろいろ問題を感じていたが、それとこれとは違う。
 わたしは、こういうことを伝えに、わざわざ小学校を訪ねてくれる、その気持ちに感謝した。 

 そして、その席に、小学生当時の担任を呼んで一緒に聞いたり、それがかなわなければ、あとで伝えたりした。


〇また、地域の小学校が全校集まって行う体育大会が近づくと、小学生の早朝練習に、いつからか中学生が来てくれるようになった。小学生と一緒に走ったり、バトンタッチの指導をしたりしてくれた。

 わたしは、校庭に出て、その様子を見ながら、終わると中学生に声をかけた。

「ほんとうに、いつもありがとう。おかげで、小学生がすごく上手に走るようになってきた。クセのある走り方をしていた子がそれがぬけ、とてもいいフォームで走るようになってきている。ほんとうにありがとう。」
「いいえ。ぼくたちにも、小学生が速くなっているのがよく分かります。」
「とてもうれしいです。」
「『中学生になったら、陸上部へ入れよ。』って言いました。」

 もう、みんなすてきな笑顔だった。暑い陽気でもないのに、汗びっしょりだ。

「これから中学校へ登校するのだろう。もう時間があまりないね。」
「いえ。走っていくから大丈夫です。」
「ええっ。また、さらに学校まで走るの。それは大変だ。車に注意してね。」

 校庭を去る中学生に、小学生はいつまでも手をふって、すてきな交歓風景が見られた。



 それからも、交流の輪は広がる。

〇数年後からは、ブラスバンド部が来てくれて、小学生の前で演奏してくれるようになった。もう、小学生は、あこがれのまなこだ。

 そして、おそらく中学校の配慮だろう。本校卒業生が、実に軽妙で笑いの絶えない司会、進行をやった。


 わたしの隣には、A校長もいらしていた。

「すてきですね。演奏もさることながら、わたしはさっきから、司会・進行をやっているBさんに感動しています。
 あの子は、小学生のときは、無口でねえ。表情はいつも明るく、よかったのですが、発言はほとんどなかった子なのですよ。
 それがあんなにも、よく話すようになって、しかも、そばの小学生にはインタビューすることもとり入れて、進行している。中学校3年間の成長ってすごいものだなと思いました。」

「ええ。分かります。Bさんは、中2の秋くらいからですかね。ほんとうに積極的になりました。」



 小中一貫教育が叫ばれる。

 また、教員の小中交流も進む。

 我が地域では、管理職の異動も、小中間のそれがふえている。


 しかし、なんか、日本は、形ばかり先行のきらいがある。


 こういう、『心の耕しこそ、大切なのだよ。』と、訴えたい。


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 学校に限らず言えることだと思いますが、プラスの効果は、決してプラスだけにとどまるものではありません。マイナスを減少させる効果もあるのです。

 事実、A中学校は、大変落ち着いた雰囲気になっていきました。そのことは、冒頭のリンク記事にも書いたとおりです。地域がほんとうに喜んでいました。


 さて、いわゆる『まちにご迷惑をかける』子どもの存在について、それを身の回りの大人がどうとらえるか、どう指導していくか、それはとても大切なこと。一つ間違えれば、大変な問題になる可能性もあります。

 次回はそのことにふれたいと思います。

 それでは、今日も、皆様の1クリックをよろしくお願いします。
 

rve83253 at 12:42│Comments(1)TrackBack(0)小中連携・一貫 | 学校経営

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この記事へのコメント

1. Posted by .   2008年04月09日 23:05
「『私が研覈する事項*1への讐答』が書籍、日常、摸擬裁判員評議などに於いて未だ顕現していない」の感を有しています


*1研覈する事項・・・
彝に於ける覈 http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=ji0 の一-五の事

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