2008年04月14日

子どもの見方が変わるかな。(6)4

ad76baca.JPG 久しぶりの本シリーズである。第一回は、昨年の6月だった

 これまでは先輩の話を掲載してきたが、今日は、わたし自身の経験である。


 そのときは、1年生の担任だった。

 入学して一か月余。子どもたちも、当初の緊張感からは解放され、学校になれて、りラックスしてきたころのことだ。

 学校で初めて経験する避難訓練が行われた。

 1年生はこのころ、何でも初めてだから、その目的や注意事項など、そのつど、話したり考えさせたりしていく。

 避難訓練では、そのなかの一つ。

 『学用品も含め、よけいなものは持たずに、防災頭巾をかぶり、身体一つで避難する。』

 どこの学校でも徹底して指導するであろう。



 Aちゃんは、1年生の中でも、またさらに、幼い感じのする子だった。男の子だが、やさしい女の子のそばで、女の子に甘えるようなところがあった。だから、お姉さん肌の子は、Aちゃんをかわいがるといった感じのときが多かった。

 このころは、よく泣く子でもあった。


 避難訓練が終わり、『初めてにしては上手にできたなあ。』と思い、『よし。みんなをおおいにほめてやろう。』とはずんだ気持ちで教室に向かった。


 すると、教室に入ってすぐだが、何人もの子が、わたしに言いにきた。

「先生。大変だよ。Aちゃんたら、ミニカーをもって、避難訓練に行ったのだよ。」
「何にも持って行ってはいけないのだよね。」


 わたしとAちゃんの目が合った。

 もうそれだけで、Aちゃんは、今にも泣きそうである。

 
 そうなれば、やさしく声をかけるしかない。
「何。Aちゃん。今の、みんなの話はほんとうかい。」
「・・・。うん。・・・。だって、・・・、これ、ぼくの宝物なんだもの。」

 半べそをかきながら、何かにとりつかれたように言うAちゃんの姿に、わたしは、怒ることができなくなってしまった。



 わたしは思った。

 Aちゃんは、小さいから、一番前に並ぶ。それでも、わたしは、Aちゃんがミニカーを持っていることには気がつかなかった。

 それに、第一、Aちゃんは一番早く列に並んだのである。態度も真剣で、行動は模範生のようだった。このようなことを言ってはAちゃんに失礼だが、日ごろのAちゃんからすれば、大変がんばったのである。

 とすれば、Aちゃんにとって宝物であるミニカーを持って出たということは、それも、ある意味、Aちゃんの真剣味の現れではないのか。避難訓練が、命第一という意味で行うものであるなら、Aちゃんにとってはミニカーも命そのものだったのかもしれない。



 さあ。こまった。

 けさほど、指導した手前、これを許すわけにはいかない。『宝物なら持って行ってもいい。』というわけにはいかないのだ。


 わたしは、みんなに投げかけた。

「先生。こまっちゃったよ。これが本物の火事だったら、Aちゃんの宝物は、教室のなかで燃えちゃうわけだものな。」

 みんなが口々に言う。

「そんなことを言ったってさ。お勉強に使うものだって、置いて逃げるのでしょう。いくら宝物だって、勉強に関係ないものだから、持って行ってはだめだよ。」
「Aちゃんが焼け死んじゃうかもしれないよ。逃げ遅れちゃってさ。」
「そうだよ。ミニカーで死んじゃったら大変じゃん。」
「ミニカーはどこだ、どこだって探しているうちに死んじゃうよ。」

 Aちゃんは、泣き顔ではなくなった。真剣にみんなの話を聞いている。

 そこで、わたしは助け舟を出した。

「うん。そうなんだけれど、Aちゃんは、ミニカーを持ってはいたわけだが、廊下に並ぶのは一番早かった。だから、焼け死ぬことはなかったのだけれどね。」

 そこで、手を上げたのが、お姉さん肌のBちゃん。

「Aちゃん。今日はさ、ミニカーを持っていても一番早く並べたかもしれないけれどさ、そうでないときだってあるよ。どこに置いたか分からなくなって、探していたら、Aちゃんも死んじゃうし、みんなに迷惑をかけるよ。
 だから、置いていかなきゃダメだよ。Aちゃんが生きていた方がいい。」
「そうだよ。」
「そうだよ。」

 突然、Aちゃんが立ち上がった。
「ごめんなさい。これから、宝物だけれど、ミニカーは持って行きません。」

 期せずしてみんなから拍手が沸きあがった。


 わたしは、

「うん。よかった。・・・。そうか。もう、持っていかないか。それがいい。よかったよ。
 でも、これは、みんなに言うけれど、Aちゃんはほんとうに真剣に避難したのだよ。一言もしゃべらなかったしね。先生の後にしっかりついてきた。それは分かってあげてね。」
「分かってますよう。」


 それで、付け足す。

「どうだい。Aちゃん。そのように大切なものなら、・・・、宝物なのだろう。宝物は、学校に持って来ない方がいいのではないかな。お勉強に使わないし、・・・、だから、大事に、大事にして、おうちにしまっておこうよ。」

 Aちゃん、うなづく。よかった。これも学校のきまりにあるものね。

 
 しかし、一筋縄ではいかない。おちゃめなCちゃん。よけいなことを言う。

「でも、おうちが火事になったら、燃えちゃうよ。」
  

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 今日はよけいなことは言いません。

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rve83253 at 00:12│Comments(4)TrackBack(0)子ども | 児童指導

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2008年04月14日 22:51
駄目なものは駄目。そういう指導ではなく、こういう柔軟な指導を受けていると、子供達も柔軟な考え方や他人への思いやりを持つようになるでしょうね。先生に言われてではなく、一人一人が自ら考え学んだことは、それこそ生きる力ですね。
2. Posted by toshi   2008年04月15日 02:54
yokoさん
 指導する側が、杓子定規でなく、子どもの思いを大切にし、受容的、共感的に受け止めていけば、子どもは主体的に考えるようになりますし、より生き方を確かなものにしていくのですね。避難訓練にしても、真剣味がましていくというものです。自分の命のことと実感していくからですね。
 この記事を打ちながら思ったのですが、今の小学生って(場合によっては中学生のなかにも)、『一度死んでも、また生き返る。』と思っている子がけっこういるのですね。そういう意味でも、命をとり上げた授業というのは大切と思っています。
3. Posted by Mr.ブラック   2008年04月18日 14:40
難しいテーマですね。
しかし、見事にクリアしてしまったところ
がお見事です。
相手を一度受け入れ、そして導く・・・・・
参考になりました。
私は現在、若者の教育支援団体(NPO法人)を立ち上げるために日々励んでいます。
今後の教育について考えさせられる記事が盛りだくさんで、いつも楽しみに記事を読ませていただいてます。
今後も応援してます。ポチ

4. Posted by toshi   2008年04月20日 15:16
Mr.ブラックさん
 ありがとうございます。
 ここまで、子どもを信頼できるかということなのでしょう。信頼すれば、必ず子どもは応えてくれます。その確信がありました。
 『何とかならあな。』
そのように、楽観視する自分が、常にいたように思います。
 

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