2008年04月17日

新しい学校が決まった。4

f2ef180d.JPG 今年度の学校が決まった。A小学校だ。今週、初出勤である。

 初任者指導に携わるようになって4年目だが、わたしにとって、このA小学校は、これまでと大きく変わる点が2つある。



〇その1


 A小学校は下町にある。


 ところで、かつては、都市の大部分は下町であった。しかし、ここ、30・40年、郊外に大規模な都市開発が進んだ結果、今や、下町は少数派になりつつある。


 下町と山の手では、やはり、住民の気風は大きく異なる。

 『例外はいくらもあるよ。』とか、『一概には言えないよ。下町だっていろいろあるさ。』というのは当然だが、それを前提としながらも、やはり、気風の違いについてはふれざるを得ない。


 下町はかざらない。人間性むき出しである。だから、人情がある。逆に、けんかっ早い点もある。

 子どももその影響を受けてか、やはり、学級集団の雰囲気が違う。人なつこい。感情をはっきり出す。悪く言えば、おせっかい。

 一人ひとりの子ども同士のかかわりは密である。先生に対しても同様だ。気に入った先生なら飛びつく。気に入らなければ荒れる。はっきりしている。

 なにやら、あのなつかしの寅さんの世界に似ていなくもない。

 繰り返しますが、そのように決め付けているわけではないですよ。でも、『そのように言いたくなるくらい、一般的傾向はあるな。』ということです。



〇その2


 わたしが今年度担当する初任者は、これまでも臨時的任用職員として、このA小学校で学級担任を務めていた。だから、初めて教壇に立つわけではない。

 しかも、昨年度は2年生担任で、今年度は3年生だから、学級編成替えはあるものの持ち上がりである。

 したがって、子どもたちとの関係について言えば、最初から比較的安定している。もう、気心の知れたもの同士といった雰囲気がある。

 逆を言えば、これからわたしがいろいろ指導しても、変えていきにくい面があるかもしれない。たとえ、初任者が柔軟であっても、子どもには、『A先生は、〜のような先生。』『わたしたちが〜すれば、〜のようにする先生。』というような観念ができ上がっていると思うからだ。

 でも、がんばってほしい。



 
 こういう地域の、こういう雰囲気の学校だからか、教員方もわたしに対し遠慮がない。(いやあ。『遠慮なし』でいいですよう。)

 そう。不思議なもので、教員の雰囲気も、その地域の雰囲気に似てくるものなのですよ。これも、もちろん、いろいろあることを前提にしての話ですがね。


 着任初日に、初任者の学年の学年主任に、こう言われた。

「3年生になって、子どもも社会科が初めてなのですが、わたしたちも、社会科をどう進めていいかがよく分かりません。toshi先生。最初の社会科の授業をやって見せてくれませんか。」

 『ええっ。それはすごいことをたのまれたな。』心のなかでつぶやく。

 3年の初めは、『まちの概観』である。いくらなんでも、この地域のことは、
『下町だな。川が流れているな。鉄道と大きな道路が学区を縦断しているな。』など
ということ以外、まだ、あまり分からない。


 でも、『今はまだ無理。』と言うわけにもいかないから、(このように、授業のことなら、受けるのが、わたしの仕事だしね。)
「はい。分かりました。いいですよ。」
と答え、さっそくひそかに、下調べに入った。

〇校長先生から、数年前にA小学校が作成した社会科副読本をお借りした。
〇学区の地図を片手に、屋上に上がり、まちを眺めた。
〇職員室前には、学区を中心とした航空写真がいくつか掲示されているから、それもじっくり見た。
〇わたしは今、非常勤講師だから、帰りは早い。それを幸いとして、学区を巡検しながら、家路につくことにした。携帯ではあるが、学習の素材になりそうなものは写真に収めながら、駅に向かった。
〇教科書ももちろん、しっかり見た。読んだ。



 そうして、2つの学習の流れが頭に浮かんだ。


その1

学校の北側には、幹線道路があり、その向こうには巨大な工場がある。だから、いくら学区とはいえ、そちらの方には、子どもが住むような家はないであろう。

 授業冒頭に、
『みんなの家はどちらにあるの。教えて。』
と言えば、まず、北を指す子はいないと思われる。だから、そらっとぼけて、
「ええっ。どうして、こっち(北)から来る子はいないの。」
と聞けば、
「だって向こうは、工場ばかりだもの。家なんかないよ。」
と答えるであろう。

 それをきっかけとして、学区の概観に入っていきたい。

 もっとも、子どもが正しく自分の家の方向を指し示すかどうかは分からない。正しく指すとは限らないとなれば、この導入は失敗に終わるであろう。
 しかも、子どもが正しく指しているかどうか、このわたしにも確認しようがないから、そこが難点である。


その2

 鉄道に目をつけた。

 これは通勤者のための鉄道である。工場に通う人たちのためにできた。だから、朝、夕は本数が多いが、昼間は極端に少ない。そういうわけで、まちの人たちはほとんど利用していないはずだ。

 まして、子どもは、乗った経験のない子だっているのではないか。そう見当をつけた。

「せっかくあるのに、どうして乗らないの。」
と聞けば、子どもは何と答えるだろうか。

 でも、もし、この鉄道を利用している子が多ければ、この導入もあてが外れる。




 そのような迷いがあったが、実際の授業は、まったく、上記2つとは、異なる流れとなった。



 子どもはほんとうにエネルギッシュだった。うれしい誤算だったのである。



 わたしは、職員室前の廊下に掲示してあった、学区を中心とした大きな航空写真を教室に持ち込んだ。

 もう、それだけで、何人もの子が、写真の周りに寄ってきて、
「あっ。それ、ぼくたちのまちの写真だ。」
「A小学校が写っているよ。」
「その下はね。高速道路だよ。ほら。車がいっぱいあるでしょう。」
「・・・。」

 口々にいろいろなことを言い出した。

 もう、『気をつけ。今から、〇時間目の社会科の授業を始めます。礼。』などとはやらずに、このままの勢いで授業に入ってしまおうと思った。それも、初任者に見せたい観点の一つだ。興味・関心の盛り上がりに水をさしてはならない。

「よし。分かった。じゃあ、今、みんなが言ったことを黒板に書くから、そのあいだに席についてね。」

 そうして、ほめた。興味・関心の更なる深まり、広がりをねらう。これも初任者に見せたい2点目。

「すごいよ。みんなは。

 わたしは、この写真を教室に持ってきただけで、何も質問をしていない。それなのに、みんなは口々に、写真から分かること、見て気づいたことなどを、どんどん言ってくれる。うれしいなあ。」

 もうそう言っただけで、全員着席。姿勢もいい。みんなの視線がわたしに集中している。そして、またもや、挙手している子が数名。もちろんわたしは何も発問をしていない。


 そして、そのまま授業は進んだ。

 子どもの気づき、発見、それらがたくさん出てくる。川のこと、鉄道のこと、幹線道路のこと、近隣校のこと、など、など、など。


 そうしたら、それまでおとなしかったBちゃん。すごいことを言う。

「先生。その写真、何年くらい前の写真ですか。」

「ほう。すごいね。・・・。写真を見て、何が写っているとか、これ知っているとか、そういうことをいうのは当たり前でふつうのことだけれど、何年くらい前の写真かを気にするということはすごいことだよ。」

「そうだよね。今ならあるものがむかしの写真だったらないかもしれないものね。」

「そう。その通り。だから、いつ撮ったかは、とても大事なことなのだよね。ところで、なんで、いつの写真だろうと思ったの。」

「うん。だって、うちのおばあちゃんが、いつも戦争中のことを話してくれるから、そのころの写真かなって思ったの。」

 これには、正直、少しがっかり。

 だって、家やビルがびっしりつまっている写真なのだもの。戦争中の話を聞いているのなら、『戦争中ではないな。』と思える写真だと思ったのだ。

 でも、それは、とぼけて、聞かなかったことにする。

「そうか。なるほど。それでいつかが気になったのだね。・・・。ところでね。この写真、いつの写真かはよく見ると分かるのだよ。」

 また、写真の周りにさっと集まる子どもたち。

「あっ。分かった。ここに、1980って書いてある。」

 実は、この学校の周年行事の写真で、校庭には、1980と人文字があるのだ。



 ところで、この、『学び方』の学習が、最後に伏線となって生きてくる。


 自分たちのA小学校がどこかで迷う子はいなかった。

 しかし、お隣の、C小学校では、みんな迷った。『これが、C小学校。』『いや。違う。』の対立が起きた。

 そのとき、一人の子が、
「C小学校には、池があるよ。でも、その写真には、池が写っていないから、C小学校ではないよ。」

 すると、別なDちゃん。

「そんなの分からないよ。だって、この写真は、20年以上も前の写真でしょう。そのときは池はなかったかもしれない。」



 生活科から、社会科に移行して、最初の授業だ。それなのに、もう、時間的(歴史的)、空間的(地理的)な見方が養われたことに、わたしは、すごく喜びを感じた。
もちろん、この発言もほめた。


「学校の屋上に上がってみようよ。上がって見てみないと分からないよ。」
「まちたんけんをしようよ。ほんとうにそこへ行ってみないと分からないよ。」

 そう言いたくなるであろう、きっかけがたくさん出てきた、本授業であった。


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 帰路、5・6年生の子どもたち何人もと出っくわしました。ほぼ例外なく、
「あっ。toshi先生だ。先生。さようならあ。」
と声をかけてくれました。『初日なのに。』です。『ああ。もう、名前を覚えてくれているのだ。』

 大きく返事をして、軽く会釈を返しましたが、『ああ。やっぱり、ここは下町だあ。』と、しみじみ思いました。

 今年、1年がものすごく楽しみになりました。

 それでは、今日も、励ましの1クリックをいただけたら、すごくうれしく思います。

関連する記事、『子どもって、いいなあ。』に続く。 

rve83253 at 10:15│Comments(4)TrackBack(0)社会科指導 | 授業

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2008年04月17日 16:40
人も町も、そして学校も、それぞれにそれぞれの良さがありますね。素敵な1年になりますように。
2. Posted by toshi   2008年04月18日 07:42
yokoさん
 コメント、ありがとうございます。
 また、新たな気持ちで、がんばりたいと思います。今年もよろしくお願いしますね。
3. Posted by 大山虎竜   2008年04月19日 08:04
5 toshi校長先生、先日の避難訓練に関するブログ、涙ながらに読ませていただきました。大山虎竜は、toshi校長先生みたいな校長になりたいと強く強く思っています。現在、toshi校長先生が勤務されたいる校長先生がとても羨ましいです。
無理をしないでね。と多くの方が優しく声をかけてくださいますが、自分のペースでやるのは修業ではないですね。現在、学校通信6号、校長通信2号を発行しました。「今度の校長先生はええ先生ながで。」とお客さんがいたの大きな声で言ってしましました。と返信を頂きました。学校の応援団に感謝の毎日です。
4. Posted by toshi   2008年04月20日 15:26
大山虎竜さん
 まずは、順風満帆なすべり出しのようですね。うれしく拝見しました。
 学校通信6号、校長通信2号というのはすごいですね。我が地域では、『学校通信は月初め』という慣行がありますので、ほんとうに驚きました。
 学校と地域・保護者の連携、信頼関係が深まるでしょうね。いや。もう深まりつつありますね。
 また、校長通信というのは、教職員宛なのでしょうか。わたしも、校長2年目からは出すようにしました。これも、いずれ、記事にさせていただこうと思っています。
 大山校長先生の奮闘ぶりが目に浮かぶようです。どうぞ、まわりの方がおっしゃるように、わたしからも、『健康に留意し、がんばってください。』と、エールを贈らせていただきます。

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