2008年04月25日

全国学力・学習状況調査実施(2)3

34828791.JPG 22日、昨年に引き続き、全国学力・学習状況調査が行われた。

 前回のこの記事を見たら、ちょうど一年前の今日だった。本テーマは、毎年1回ずつのシリーズになっていくのだろうか。



 一年前の記事を読み返しながら、強く思ったことは、


〇この間、読者の皆様のおかげで、PISA調査問題をじっくり検討する機会をもつことができた。その目で、本調査を見ると、『ああ。この調査は、PISAの影響をものすごく受けているな。日本の伝統的な問題とは、かなり趣を異にする。』

〇テレビのニュースで、どこかの校長が言っていた。
『こういう検査は、どういう使われ方をするのか、それが実施のよしあしを決めるのです。今後の使われ方をじっくり見守りたい。』

〇ほんとうにその通り。そういう意味で、昨年度実施後の様子を見ると、まあ、まあ、問題性は少なかったのではないか。

 学校ごとのランキングを公表などという心配は、まずなかった。国はそれをやると言っていたのだから、世論の勝利だ。よかった。

 本来の目的である、『結果を検証し、指導の改善に役立てる。』ことに、かなり徹することができたのではないか。(ランキング化が、いかに、調査の趣旨を捻じ曲げるか。それは、本記事の末尾でふれます。)

〇一人ひとりの子どもに結果の報告はあったと思う。が、学校としての学力の実態を保護者に知らせたか、知らせたとしてどこまで知らせたかと言えば、これは、けっこう学校によってばらつきがあるようだ。したがって、学校の主体性は保たれたと思う。(もっともこれは、地域による違いがあるだろう。『全国的にどうだったか。』それは分からない。)

〇昨年度、結果の公表はえらく遅れた。今年は、採点の基準をより明確にし、処理方法の改善も図るようだから、それを見守りたい。

以上だ。



 さあ、それでは、今年度の問題について、検討してみよう。


 そのまえに、昨年度と今年度の問題、および、解説等にリンクしよう。

  平成19年度 全国学力・学習状況調査の調査問題・正答例・問題趣旨について  
  平成20年度 全国学力・学習状況調査の調査問題・正答例・解説資料について



〇まず、一目見て気づくことは、前述の通り、PISA調査の影響をものすごく受けているということだ。

 国語について言えば、

・ 文章記述の問題が多い。
・ 昨年度のように、一見社会科の資料読み取りかと思うような問題はなかったが、まちの図書館が小学生向けに出したと想定される文書を資料にして読解問題を作成するなど、やはり、将来の実生活に役立つ学力を測ろうとする意図が色濃くみられる。
・ 去年は、単純な接続語の穴埋め問題など、いかにも従来の日本的な出題を思わせるものがあり、拙速な問題作りの感を否めなかったが、今年はそういう出題はへった。昨年よりはよく検討されていると言えよう。
・ しかし、小見出しや要旨など、従来の問題と変わらないと思える問題もある。そのなかには、どうしてこれが、『活用』なのだろうと思われる問題もある。

 次、算数について言えば、

・昨年度は、平行四辺形の面積を問う問題で、高さと底辺の数値しかないため、実質的には単純な計算問題としか言えない問題があったり、同一解答を二箇所で求めたりするなど、拙速な問題作りではないかという思いがしたが、今年は、そうした問題はなくなったようだ。昨年よりはよく検討されていると思う。

・子どもの実生活と関連づけた問題が多い。また、社会科の資料活用力かと思われる問題もある。ただし、後者については、別に社会的思考力を求めているわけではなく、割合と量の関係を問うているだけだから、問題はないと思われる。


〇算数の問題については、ちょっと、上記とは別に一項設け、考察してみたい。

 それは、ぷうちんさんから、次のようなコメントをいただいたからだ。

『〜。指導要領準拠の問題についてのみ論点をしぼって述べたいと思います。既習事項が出ているわけですから、その意味では「準拠」ですね。ただ、組合せしだいでは「発展問題」になります。しかし、今回の問題は「準拠」した教科書に載っていないし、発展問題として家庭学習で取り組まさせたレベル以上です。
 これで「準拠」と言えるのかと思います。算数TTの先生が「こんな問題を出されたら、指導要領を逸脱した授業をしないといけないし、子どもが分かるのを待ってはいられない」と言っていました。〜。』

 わたしは基本的に、今度の調査問題はよくできていると思う。その視点から、上記、コメントを考察したい。ただし、ぷうちんさんのご意見ももっともと思える問題もあるので、それも、あとでふれたい。


 上記、コメントは、『B・活用』の問題のことをおっしゃっていると思われる。

 コメントを考察すると、

・既に学習した内容で問うてはいる。まったく学習していない内容で出題したということはない。
・しかし、別個の2つ、あるいはそれ以上の学習内容を一つの問題に組みこんで出題すれば、それは発展問題となることもありうる。そしてそのたぐいの問題は、教科書にも出ていない。
・これは指導要領を逸脱したものと言えるのではないか。

そうおっしゃっていると思われる。


 たとえば、『B・活用』問題の5番。『資料の数学的な解釈と関連付け(身長)』の問題。

 1番は、学年ごとの身長をあらわした表から身長の伸びを求め、さらにその数値を棒グラフに表すことができるかをみる問題である。これだけなら、まったくの基礎。つまり、『A・知識』の問題となるのであろう。

 そして、次のような声に配慮したと思われるふしもある。それは、
『算数とは言え、読解力を問われるという意味では、国語力がなければ解けない。』という声だ。
 どんな配慮かと言うと、『身長の伸び』についてヒントとなるよう、他学年間の伸びの数値を入れて作問している。

 2番は、身長の変化を表す折れ線グラフと身長の伸びを表す棒グラフを見て、グラフの特徴をもとに、それらが対応していないことをを読み取り、その違いを言葉や数を用いて記述できるかをみる問題である。
 これこそ、PISA問題によく似ていると思われる点であるが、一人の登場人物が考察をしてしまっている。そして、そう考えたわけを設問にしている。

 3番は身長の変化を表す折れ線グラフと身長の伸びを表す棒グラフについて、グラフの特徴をもとに、それらの対応を考え、与えられた折れ線グラフが誰の身長の変化を表すものか判断できるかをみるものである。
 
 この2番、3番が、ぶうちんさんのおっしゃる指導要領逸脱の具体例であろうか。

 そこまでは分からないから、推論するが、

 〇2番のように、『対応しない』ことを実証させるという出題の仕方、こういう出題はめずらしい。
 〇しかも文章による記述を求めている。

 こういう出題の仕方は、確かに教科書にもないであろう。


 ちなみに、正答例の文を読むと、

『折れ線グラフでは,2年生から3年生より,3年生から4年生の方が線のかたむきが急になっているから,身長ののびが大きくなっている。しかし,棒グラフ4では,2年生から3年生までの棒の高さと,3年生から4年生までの棒の高さが同じだから,身長ののびは同じ。(だから、健太さんの身長の伸びを表したものではない。)』
となっている。

 もし、このことをして、指導要領逸脱の具体例とするなら、それは違うと言いたい。ただ単に、出題の仕方が、PISA的で、伝統的な日本のものでないというだけのことだ。


 ぶうちんさんは、組み合わせ次第では、発展問題になるとおっしゃった。

 そこで、この問題を見ると、

 冒頭の、『洋平さんの学年ごとの身長』の折れ線グラフは、なくてもいいものだ。なくったって、問題は解ける。

 それなら、なぜ載せたか。

 わたしが、出題者の思いを想像するに、

 1番の中ほどにある、『□さんの学年ごとの身長』へのつながりを考慮したためではないか。つまり、2番を解くに当たっての抵抗感を弱めるはたらきを持っていると思われる。

 先ほどの、ヒント同様、スムースに思考が進むように、ていねいな出題の仕方をしていると考える。うまく組み合わせていると言えそうだ。


 ただ、先述の通り、ぶうちんさんのおっしゃることもよく分かるという問題もある。

 『B・活用』3番の(3)だ。

 長方形と、四角形の、それぞれの内角の和(出題は円の面積というものだが、)は等しいかを問うている。
 これは、わたしは、算数の素人なので、確信をもっては言えないが、他の問題がヒントを与えたり、スムースに思考が進むようにしたりする配慮がうかがえるのとくらべると、ちょっと不親切だと思う。

 せめて、対角線を一本引いてやるとかすれば、
『ああ。三角形が2つと考えられるな。』
となり、つながりもスムースになる。

 したがって、このあたりは、指導要領を逸脱した発展問題と言えなくもないかな。


 まあ、いろいろ述べてきたが、今回は、『良問が多いかな。』それがわたしの気持ちである。

 
〇以上、るる述べてきたことのつながりのなかで、現場の問題として気になることがある。

 ぶうちんさんは、そうおっしゃっていないと思うが、

 やりなれたことのない問題、また、教科書にない問題、イコール、発展問題というとらえをしている教員はいないか。

 それが、『A・知識』の問題なら、あるいは、そういう見方もできるかもしれない。

 しかし、『活用』は、文字通り、活用である。既習知識を駆使して、いかに解くか自分で活用するのであり、逆に言えば、やりなれた問題を解くのは、活用という言葉に値しないだろう。何にも思考力を発揮することなく、『知識・技能』で解けてしまうからだ。

 活用は、むしろ、教科書にない問題の方がいいのだ。

 別な言い方をすれば、算数の観点に、『数学的な考え方』というのがあるだろう。それは、まさに、こうした力を診るのである。



 わたしが懇意にしていただいているブログに、『道草学習のすすめ』というブログがある。このブログの管理者であるこだまさんは、つねづねおっしゃっている。

 いかにして、子ども自身が、自分の力で問題を解いていくか。そうした営みを、指導者はどう支援していくかということである。


 ある日のブログ記事から拾わせていただくと、


 こうした「実のある作業」を通じて、「分けるイメージ」が育っていきますし、
同時に、「1割」の感覚も育っていきます。ゆっくりとですが、確実に…

 そうして、似たような問題を解いているうちに、気がつく瞬間が訪れます。

「5割」って、よーするに「半分」のことじゃん。
って。

「10個に分けて5個集める」と、「半分のこと」だと気づくまでに、お子さんによってはどれだけ時間がかかることか。

 だけど、ここは「お子さんのペース」に合わせて、「じっくりとつきあうしかない」です。

 まちがっても
「10個に分けて5個集めたら、半分になるの、見ればわかるじゃない!なんでこんなのわからないの???」
は言ってはいけません。

「大人から見て当たり前」にすぎないだけなのですから。

 引用は終わる。


 こだま先生は、『子どもが絵をかいて解く。』など、その子、その子の解き方を大切にされる。

 あるとき、おっしゃった。

 かけざん九九を習ったばかりの、4月当初の3年生。

『12×3』をみて、

「そんなの習っていないから分からないよ。」
という子は、数学的な考え方に、もしかしたら難あり。

 だって、2年生のとき、

『7の段の答えは、3の段の答えと4の段の答えを合わせたものになります。』というのは、思考力をきたえる意味だと思うが、もうやっているのである。

 その力のついた子は、

『12×3』をみたとき、挑戦意欲を燃やし、

「ああ。そうか。10×3と、2×3を合わせたものになるな。」
と思考力を発揮し、解けるようになるだろう。


 これも、こだま先生のブログに載っていたことである。


 また、我が地域の算数の元研究会長も、
「算数は、新しい単元に入ったとしても、どれもみな、既習の知識で解けるようになっている。」
と、常々おっしゃっていた。


 この調査の『B・活用』は、そうした力を診ているのである。



〇ここで、わたし、反省していることがある。


 それは、昨年実施の調査の後、何のためらいもなく、『日本は、知識は問題がない。問題なのは、活用なのだ。』と、書いてしまったことだ。マスコミ等の論説をそのまま受け入れてしまった。

 これは、自明のことだが、単に平均点の点数で、どちらがよくてどちらがよくないなどとは言えない。それが正しいだろう。

 特に、基本的にどの子も理解していないといけないと言われる、『A・知識』と、上記のような意味で測られる『B・活用』とが、点数で比較できるようなものでないことは当然であった。

 申し訳ありませんでした。
 

 その点、上記『知識は問題がない。活用にこそ問題がある。』は、現時点では、不明とさせていただきたい。



〇ただ、さらに言えること。

 それは、ぷうちんさんのコメントからも危惧されるのだが、

『活用でこういう問題が出たのなら、そういう問題になれさせなければならない。うんと練習をさせよう。』
そうなりはしないか。

 そうなったら、それはもはや、問題が『活用』を診るようになっていても、事実上は、『知識・技能』を問うものとなってしまうだろう。
 だって、一人ひとりの子どもが、自分の頭脳を駆使して解く楽しみを奪ってしまうのだものね。

『ああ。そうか。そういうことか。』
『なるほど。こうすれば解けるなあ。』
『うまく活用できたぞ。ばんざい。』
というような解き方をするところに、意味があるのだものね。

 だから、先ほどのわたしの反省に戻るが、ある程度、点数が低くなるのは当然と言っていいだろう。



 ここで、危惧するのが、ランキング化への動きだ。

 もう読者の皆さんもお分かりだろう。点数至上主義は、活用問題まで練習してしまう学校をものすごくふやしてしまうだろう。

 そうなったら、新種の活用問題を考えるか。しかしねえ・・・。作問にも限界があるだろうと思う。


 福田政権になって、この動きへの心配は当分なさそうだ。しかし、注視していかなければならない。


〇これと似たことだが、

 本調査が、PISA調査の影響をものすごく受けていることは確かだ。

 そこで、『さあ。これからは、PISA型の問題になれさせなければいけない。』となることを、これもやはり危惧する。

 なれさせれば、確かに点数は上がるであろう。しかし、それはあくまで小手先だ。



 単に、訓練して、なれさせるといった次元の問題ではない。

 ことは、教育観、児童観、指導観、授業観、ひいては、評価観にもかかわる問題である。

 日ごろどのような指導をしているのか。子どもの自由な発想を大切にして、それを軸に授業を進めているのか。それこそが問われなければならない。

 PISA型がもてはやされるのはいい。大事なことだ。

 しかし、真に求められるのは、児童の発達に即した指導のあり方だ。そうした意味での授業改善が必然なのである。


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 参考までに、ご紹介します。

 わたしがネットで懇意にしていただいている神原敬夫氏も、ご自分のホームページで、本調査の考察をなさっています。それにリンクします。わたしよりもっと細かな考察をされていますので、あわせ、ご覧いただければと思います。

   全国学力・学習状況調査について
  
 
 もう一つ。まったく別な危惧。

 わたしは、社会科の人間なので思うのですが、国は、国語、算数しかやりません。

 これでいいのでしょうか。社会科、理科は必要ないのでしょうか。

 子どもの負担が増えるというのなら、隔年だっていいではないですか。

 現状では、国語、算数だけ分かればいいという風潮が生まれないか、心配です。PISAの言う、『将来社会に出て、役立つ学力』『実用的な学力』は、読解力中心ですし、それは、わたしの言う問題解決力でもあります。

 それは、まさに、社会科で養われるものなのです。

 すみません。最後に、我田引水したくなりました。

 それでは、そうだと思う方も、思わない方も、1クリックいただければ幸いです。
よろしくお願いします。

 長文をお読みいただき、ありがとうございました。 

rve83253 at 13:48│Comments(15)TrackBack(0)評価観 | 全国学力調査

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この記事へのコメント

1. Posted by こだま   2008年04月26日 22:40
大変ご無沙汰しております。どうもネットになかなか迎えない状態が続いております。(^_^;)

> 我が地域の算数の元研究会長も、
「算数は、新しい単元に入ったとしても、どれもみな、既習の知識で解けるようになっている。」
と、常々おっしゃっていた。

まったく同感です。現在4月ということで新入塾生が何人かいます。つい先日もやはり「習ったことがないから解けない」と問題を見るなりつぶやきました。だけど、「これまで習ったことを使えば解ける問題ばかりだよ」といえば、熱心に取り組んでくれました。そして、解けたらガッツポーズをして、うれしそうでした♪そろそろ学校の算数教育も「解き方を暗記する」方法をやめると、子どもたちの学力は飛躍的にアップし、そして先生方も楽になると思うのですけど…。

拙ブログからの引用、ありがとうございました (^o^)/

これからもよろしくお願いします。
2. Posted by YK   2008年04月27日 02:23
<<社会科、理科は必要ないのでしょうか。>>

私も18くらいの子たちに世界史を教えたことがありますが、自己紹介してもらいながら、(得意かどうかではなく)「世界史が好きな人は?」と聞いたら40人のクラスで1、2人しか好きな人がいませんでしたね。非常にショックを受けました。一昨年くらいに世界史の履修漏れの話題があったときにこれは何なんだと思いましたが、何というか、教育する側の姿勢が反映されているなと感じるのは、嫌いな理由が名前や年号を覚えられないというものが多いですね。しかし、これ自体は歴史の面白さとは関係ないことですから、この段階で興味を失くしてしまうのは残念だなと思ったものです。
3. Posted by YK   2008年04月27日 02:55
ただ、個人的には、小学校であれば、基礎の基礎は国語ではないかという気がしています。それは社会科がいらないという意味でなく、国語力を伸ばすためには社会科は多いに役立つのではないかという意味です。例えば、最近「人生って胡蝶の夢みたいなもんだな」と思ったんですが、調べてみると胡蝶の夢というのは「荘子」の言葉なんですね。そう考えると、確かにことわざや故事成語を教えることは単なる国語ではないという気がします。裏には歴史がありますよね。そういう意味では、教育指導要領を見たときもあまり内容に違和感はなかったです。ただ、規範という言葉が多いのと、生きる力という意味がよくわからなかったですが。
4. Posted by toshi   2008年04月28日 16:30
こだまさん
 ほんとうですよね。引っ張ろうとすればするほど、それを嫌がる子どもたちに悩まされるのですよね。
 まず、興味を抱かせる。好きにさせる。そうすれば、引っ張ろうとしなくったって、いや、むしろ、指導者を引っ張ってくれるようになるのですよね。その辺の妙味を多くの指導者に実感してほしいと思っています。
 そのキーワードは、『自ら考える姿勢』でしょうか。
5. Posted by toshi   2008年04月28日 16:39
YKさん
 そう。日本の教育の一番の問題は、歴史が名前や年号を覚えることとなってしまっていることですね。ただ覚えるのでしたら、脳の働きは、社会科であれ、理科であれ、何も変わりはありません。
 今の世界の民族問題や民族弾圧などを深く正しく認識し、判断できる、そういう力を養う世界史でなければなりませんよね。また、そうなってこそ、興味もわくのだと思います。
 問題なのは、そういう学習を疎外するシステムの問題、つまり、
〇受験に関係ない科目は真剣に学ばない。
〇受験のために、暗記中心になってしまっている授業。
日本は、それを克服しなければなりませんね。
6. Posted by toshi   2008年04月28日 16:48
わたしは、『生きる力』とは、自立(『自律』も含む)し、科学的に判断し、自分らしく生きる力と考えます。
 したがって、そういう力を養う上で中心となる社会科が、まさにそれに深く関わる教科として大切に思っているのです。
 ごめんなさい。Ykさんと逆になりますね。社会科の力を伸ばすためには国語はおおいに役立つのではないかというとらえです。
 昨日、山口県の衆院補欠選挙がありました。今、日本中がその結果を注目しているのだという理解。この結果が今後の政局にどう反映されていくかの見通し。そうしたものをふまえてどちらに投票するかの判断、そういったものこそが、生きる力となるのだと思います。
7. Posted by YK   2008年04月28日 23:42
≪わたしは、『生きる力』とは、自立(『自律』も含む)し、科学的に判断し、自分らしく生きる力と考えます。≫

お返事ありがとうございました。確かに、社会科は現実社会と密接に関わってますから重要ですね。例えば、いま日本は貿易黒字のはずなのに豊かになっていると感じている人は少ないですね。それは何故かと考えることができれば、投票行動も変わるでしょうね。利益が労働者に還元されていないことを考慮し、格差を是正すべきだと考えるか、それでも経済成長のために規制緩和を推進する立場を取るか。。これ一つだけでも子どもの将来に関わる深刻な問題だと思うのですよね。
8. Posted by YK   2008年04月28日 23:56
それで、私が最近感じるのは、文科省のいう「生きる力」と一般社会の言う「生きる力」の意味はかい離しているのではないか、という疑問です。多分、ほとんどの人は、生きる力を格差社会における競争力(国際的であれ、企業間であれ)と見做しているのではないかと考えています。しかし、「生きる力」というのはそれだけなのか、ということについて、実際のところ、大いに疑う余地があるのではないかと考えます。自己を律する、言い換えれば、自分が社会なり組織なりの中で、どのような場所に立っているのか、また、そこで失敗したときに立ち上がることができるのか。そういう視点で見た時、私には先生も指摘するとおり、どうも今日の教育のシステムに疑問を感じざるを得ません。
9. Posted by YK   2008年04月29日 00:16
正直に言えば、私もPISAというものに対して疑念を捨てることができません。しかし、問題解決型の学習というのは、私も教育法にしていますが、明らかにメリットがありますね。それは、減点主義ではなく加点主義にできるということと、当人の考えに対して褒めることができるということです。点数でなく、当人の感性を褒めないと、なかなか影響を与えることはできないです。私もブログにコメントをして、「お前のコメントは10点中3点」とか言われたら、怖くてもう書きこめないです(笑)。もうイデオロギーの時代じゃないですから、社会科の学習でも、子どもと一緒に物事の社会的な意味や価値などを問うようなゆとりがあるといいですね。
10. Posted by toshi   2008年04月29日 17:52
YKさん
 YKさんとコメントのやりとりをしながら、わたしは、今の政治のひどさに、もう、あぜんとしてしまう、いえ、それを通り越して、怒りも感じてしまう、そんな思いが増幅してしまっています。
 膨大な行政のムダに対し、実質的には何の対策も講じないで、国民に犠牲を求めていますよね。
 ほんとうに、社会的思考力、判断力のない政治家が多いなあと、一体これは何が原因かと、そこに、ここ何十年もの教育の責任もあるのではないかなどと、思いをめぐらせています。
 そう。わたしの場合、こうした怒りは、けっきょく自分に返ってしまうのがつらいところです。
 ああ。ごめんなさい。話がかみ合っていないですね。
11. Posted by toshi   2008年04月29日 18:00
なるほど。『ゆとり教育』は、誤解を招く言葉だと痛感していましたが、『生きる力』も同様だったのですね。わたしは、もう、教育界にどっぷりつかってしまっていますので、そのなかできわめて自然につかっていますが、一般的には、YKさんのおっしゃるような意味合いになってしまうでしょうね。言われてみれば、よく分かります。目を開かせていただきました。ありがとうございます。
《減点主義ではなく加点主義にできるということと、当人の考えに対して褒めることができるということです。点数でなく、当人の感性を褒めないと、なかなか影響を与えることはできないです。》
 もうほんとうにおっしゃる通りです。問題解決学習は、自己肯定感を抱かせる教育、自信とやる気を抱かせる教育、それにも通じていますね。
 本シリーズの(1)がにぎわっているのですが、学力調査も、そうしたことに資するものであってほしいと思います。
12. Posted by YK   2008年04月29日 23:30
行政のムダと言えば、私が住んでいる地域の知事も最近変わりましたが、方針もずいぶん変わりましたね。ちなみに大阪ではありません(笑)。前知事は教育・文化に力を入れていたので、その点は私も尊敬していましたが、今は産業政策に力を入れています。経済が停滞すると治安も悪くなりますので、私は応援していますが、一番感心しているのは、財政面でかなり見直しを進めている点です。確かに地方でもムダは多いです。前知事のときには気付かなかった不要なイヴェントもどんどん削られています。このような状況ですから、何が大事で、何を削るべきか、シビアに選ばなければならない時期に来ています。(不要といっても所詮主観で、楽しみにしている人もいるわけですから。)私も若者ですが、私が小さい頃よりは今の子どものほうがプレッシャーはますます強まるでしょう。だから、社会に触れる機会は小さい頃から多いほうがいいのだろうと思われます。
13. Posted by YK   2008年04月30日 00:11
『生きる力』について、先生の定義で納得できたのですが、どうも微妙な問題を含んでいるように思われます。と申しますのも、今の国の教育方針では「愛国心」を重視しています。一方で「生きる力」を重視しています。これが何故、同じような位置付けになっているのかがわからないのです。
私の考えでは、生きる力を前提にしなければ、愛国心など教育しても仕方ないのです。改正教育基本法では、愛国心を強調していますが、この愛国における国とはかなり抽象的な概念です。なぜなら、この法律を作った国会議員が、国を愛するといいながら、現在生きている国民を愛しているという心が見えないからであり、国を愛することで生きる力(自尊感情)が養われることを示していないからです。

14. Posted by YK   2008年04月30日 00:33
愛国心というのは、自尊感情を持った人間によって健全に持つことのできるものですが、自尊感情というのは、愛される経験によって磨かれるものです。規範による愛国は、容易に排外主義に陥るので、注意が必要なのです。では何故、愛国愛国と言う前に、生きる力を伸ばす努力をしないのか、ここに疑問を覚えます。≪自己肯定感を抱かせる教育、自信とやる気を抱かせる教育≫

思うに、このような教育こそ、健全な愛国心につながるのです。教育における生きる力の問題。もう少し自分なりに掘り下げていきたいと思います。長々と申し訳ありませんでした。
15. Posted by toshi   2008年05月01日 11:09
YKさん
 行政のムダについて、『生きる力』と『愛国心』の両立の矛盾(?)について、そこから感じ取れる『自尊感情』の意味について、
 ほんとうに勉強になりました。ありがとうございます。
 あまりに言いたいことが出てきてしまったので、記事にしてみました。また、ご意見をいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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