2008年04月28日

慕われる校長(3)4

548ab251.JPG A校長講話集から採録し、このシリーズを続けさせてもらっている。

 今日は、この講話集につづった学校だよりから、いくつかの話題を拾ってみたい。わたしの思いは後回しにして、まずは、A校長の書かれたたよりをご覧いただきたい。ちょうど、今くらいの時期の学校だよりである。


 平成〇年5月号


 充実感あふれる子どもを

                           校長  A


 今年の桜は早くから咲いていたが、咲いている期間が長いなあという感じがしなかっただろうか。

 早くも5月。季節を問わず、『さつき晴れ』と言われるくらいだから、日本の季節のなかでは、一番美しいのかもしれない。

 青空に泳ぐこいのぼり。薫風を受けてまわる矢車。森や林の芽吹き。新緑。名の知らぬ草花。・・・。5月はほんとうにすばらしい。


 花 ひと見るもよし 見ざるもよし われは咲くなり   実篤


 何回読んでもいいなあと思う。こんな心境になれたら、世の中から、みにくいことがみんな消えていくのではなかろうか。自分の責任を全うする。自分を自分が充実させていく。すばらしい目標にもなるのではないか。

 さて、学校教育で大切なことは、一人ひとりの子どもに、いかに学習力をつけてやるかということだ。子どもの側からすれば、学び取る喜びということ。その喜びとは自分が高まる充実感そのものだと思う。

 いまの子どもたちは、感動性が薄いのではなかろうか。だから、充実感もわきにくいようだ。それは、一面から見れば、物質的にも環境的にも恵まれすぎているからではないかと、いろいろ言われている。

 しかし、角度は広くしてみたいもの。子どもの伸びる力をみていると、逆に、わたしたちが充実させられてしまうと思うときもある。

 せわしい生活をしていると、どうしてもあせりが出てくる。すると、子どもの側に立つことを忘れてしまい、大人の一方的なコースでいってしまうことになりがちだ。

 我が地域の子どもの意識調査を見ると、勉強しているとき、充実感がもてるとしたもの。小4で4割強。中学生2割。高校生1割となっている。

 学校生活全般にわたっては、4年生7割。6年生6割。中学生2割。この調査から、皆さんは何を思い浮かべ、どんな感じをもつだろうか。

 運動にも遊びにも勉強にも、充実感があふれるような子どもを育てていこうではないか。
                      −子どもの日をまえにしてー



 もう一つ。

 これは、退職される直前のものである。


 平成〇年2月号

 親の心   ー中村汀女さんの句よりー

 暦の上では、一陽来復、立春を迎える月だが、一年中で一番寒さのきわまる月、二月。空も乾き、インフルエンザが猛威を示す、最悪の月にもなりかねない。
 風邪くらいと油断していると、思わぬ病魔におそわれることもある。風邪は万病のもととも言われるくらいである。だから、ふだんから風邪に負けない強い体力をつくっていきたいものである。
 学校からの保健だよりがよき指針になっていると思うのだが、『子どもは風の子』が死語にならぬよう、親は心に留める必要がある。
 『子どもは風の子』と言ったら、おじいちゃんから、『子どもは夫婦の子なんだよ。』と返されて、二の句がつげなかったという心理学専攻の学者の言。大笑い。


  咳の子の なぞなぞあそび きりもなや    中村汀女


 ご存知のように、この作者は俳壇の最高峰の第一人者である。育児を女の天職と心得、10年間ほど作句を休んだといわれる。

 この句は、子どもへの母親の愛情、思いやりをよく示している。

 汀女さんの子どもも、ちょうど今頃の月に風邪をひいて寝ていたのでしょう。そのときに、子どもと一緒に枕元でなぞなぞを出され、子どもから次のなぞ、次のなぞと催促されたのかもしれませんね。

 わたしも小学生のころ、具合が悪くて学校を休んだとき、母親が頭をさわっては水枕を取り替えてくれたり、おかゆをにては、枕元まで運んでくれたこともあった。元気になると、自分の生まれ故郷の昔話をしてくれた。おもしろいので、しきりとせがんだ思い出がある。それだから、汀女さんの気持ちが痛いほどひびいてくる。

 逆に、こういうときこそ、子どもにとって、母親、父親の存在感が身にしみ、自分の守り本尊のようにも思えるものであろう。

 
 小学校の低学年、中学年は、なぞなぞ時代と云われるくらい、なぞなぞが大好きなときである。そう云えば、子どもに好かれるお父さんお母さん用として、なぞなぞ遊びの本があったのを思い出す。なぞなぞを出せるか出せないか、親の権威?にも関わるような宣伝があった。

 子どもとなぞなぞ合戦でもやろうものなら、一時間くらいあっという間である。

『上は算数、下は体操、なあに』。今はボンボン時計が少なくなったので、説明しても、腑に落ちない子もいる。時代の反映か。

 今はいじわるクイズもあって、知恵のめぐり、回転のよさには驚くことが多い。『馬と豚がかけっこしたら、どっちが勝つか。『うまかった。』、いや、『トンカツだ。』

 『JRで、日本一高い所にある駅はどこか。』

 それは小海線の野辺山駅。残念でした。東京駅です。東京駅へ向かう列車はみんな上りです。反対へ向かう列車はみんな下りです。

 『男の子と女の子が川にかかっている一本橋を、両方から渡ってきました。ぶつかったらどちらが落ちるでしょうか。』

 男の子か、女の子か、この答えにも参った。

 ピンポンではないが、子どもと交互にクイズを出し合えたら、お互いの血がめぐり、子どもの心も我が掌中にありではないでしょうか。


 目は転じるが、凍てつく二月の夜空に輝く星、南天に大きく輝くオリオン、北斗も東北に上がり、北極星をはさんでカシオペアと相対して、童話的な空である。二月ならではのよさである。親子で本を開いて調べ合うのもよい機会である。


 学校だよりの引用は以上である。




 さあ。ここで、わたしの思いを書かせていただくのだが、上記2つの学校だよりとは、まったく関係のないことから話を進めさせていただく。


 わたしが、現職の校長時代、よく思ったことは、

 自分が子どもだったころ、また、教員になりたてのころ、自分の学校の校長を含め、多くの校長は、威厳があった。貫禄があった。何となくとっつきにくい感じ。近寄りがたい感じもあった。

 それでいて、けっこう校長に対し、ずうずうしく振舞っていたこともあったのだけれど。

 さあ。今、自分は校長になった。自分は、あのような威厳もなければ、貫禄もないよなあ。


 でも、A校長は違っていた。


 わたしが、A校長のもとで働いたときは、もう、わたしは決して若くはなかったけれど、

 でも、A校長には、むかしかたぎの校長の威厳というか、すばらしさがあったと思う。それでいて、子どもや保護者から親しまれ、慕われ、豊かなふれ合いをもっていた。


 時代とともに、人の気質は変わるけれど、何かA校長のもとでは、人は皆、素直になり、やさしくなり、おだやかになる。そのような感じがあった。


 この学校だよりも、ちょっと、お説教くさい感じがしないでもない。でも、読む人は皆、地に染み入る水のごとく、順な気持ちで読んでいた・・・、と思う。


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 わたしは、さきに、

 何かひとつのことをやったり言ったりしたとき、『ああ。これは、A校長がなさっていたことをまねさせていただいているな。』そう思ったことは何度もあります。

と書きました。

 でも、まねしたくても、できないというものがいくつもありました。

 そこがまた、人間の多様性の現れなのかもしれません。それぞれが自分の個性をフルに発揮すればいいのですよね。

 
 それでは、そんなわたしですが、1クリックいただければ、ありがたく存じます。

(4)へ続く。


rve83253 at 14:52│Comments(0)TrackBack(0)学校管理職 | むかし

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