2008年05月04日

慕われる校長(4)4

bc796f8b.jpg わたしの尊敬するA校長の講話集から、今日は、教職員朝の打ち合わせで、教職員を叱咤激励しているものを書いてみよう。

 正直申して、こういうことを書くのはまことに恥ずかしいのだが、すでに、『叱責されても、教職員は素直に自分を反省していた。』ことを記事に書いているので、その具体例はやはり載せないわけにはいかないと考えた。


 上記リンク記事では、『叱責の言葉も具体的』と書いた。

 そう。何をがんばらなければいけないか。それがはっきり示されていた。

 それから、今日の記事にはあらわれていないのだが、叱責したことでそれが改善されれば、必ず、フォローというか、温かな称賛の言葉があった。

 それでは、どうぞ。




 平成〇年 7月  職員朝の打ち合わせで


 昨日ですがね。雨が降って、

 それでも、放送委員の子どもですか。『外で遊んでいる人。ボールだとか、タイヤを片付けて帰りましょう。』とやっている。

 雨がジャンジャン降っていて、誰も外にはいない。でも、放送ではそう言っている。

 子どもっていうのは、なんか一つの形式が決まると、なかなか応用がきかない子もいるので、その辺の指導もする必要があるんじゃないかと感じています。

 パターンに入ると、パターンしかできないというのでは、こまるわけですよね。


 それから、今日は、さっきもありましたように、指導主事がみえます。各教室をわたし、案内しますけども、ひとつ、入ってきたら、『こんにちは。』なんていう挨拶はしないように、ご指導願います。

 授業は真剣勝負です。指導主事とわたしの教室来訪が、子どもの学習の自然な流れをじゃまするようになってしまってはいけません。


 昨日も、あのう、図書室に行ったら、『こんにちは。』なんて、わたしに言ってる。

 『こんにちは。』はいいんだけども、でたらめなんだよ。ボールをけっている子もいれば、ほうきを持っている子もいる。立ってぶらぶら歩いてる。まったく本なんか読んじゃいない。そういう子が何人か見受けられるわけです。

 それでも、『こんにちは。』なんてかっこいいこと言っているんですがね。図書室っていうところが、子どもの逃避というか、回避というか、そのようになってしまってる。

 やっぱりあれができた意味を考える必要があると思うんです。単にあそこへ行って本を読ませる。それが指導じゃない。

 本を読むには読む目的っていうのがあるんで、何のために読むのか。

 心を豊かにしようとか、読書の幅を広げようとか、調べ学習をしていて、その問題解決のために読むんだとか、・・・、とにかく、その辺の指導がなってないから、子どもは読む必要性を感じなくなっちゃうんじゃないですか。

 とにかく終わった後だって、ガタガタになっちゃって、あれじゃあ、後始末が大変だと思います。


 わたしたちは、お互いの任務、教職の任務というのがあるんで、それは、自主っていうのかな。そういうことが強く心に残んなきゃいけないと思うんです。

 創造とか自主とかは、わたしたちの言葉なんです。

 だから、いちいち、『本は静かに読みましょう。』とか、『雨が降って誰も外で遊んでいないのだから、放送で話す内容は変えましょう。』とか、いちいちそんなことを言われるんじゃなくて、そんなことは当たり前のことなんですよね。

 そこに焦点を当てた指導をね。やはりやりましょうよ。


 だから、先生方もそうなんで、やっぱり物はきちんと置くとか、整理してすみに置くとかさ。なんかばらばらに広げちゃってるんじゃあね。それじゃあ、我々の自主とか創造なんて口先だけになってしまうんじゃないですか。もっと内面的に動かなきゃいけないんじゃないかね。


 今朝、わたしが廊下に出ていたら、A君に会いました。わたしと視線が合いました。ジイッとわたしを見ています。

 で、通り過ぎて、わたしから視線がそれちゃったら、戻ってきたんです。『何だ。』って聞いたら、『おはようございますって言うのを忘れました。おはようございます。』A君の心のなかに何があったんでしょうね。それにしても、子どもって楽しいですね。


 以上、よろしくお願いします。




 引用も以上です。

 
 それにしても、あらためて感じることは、


 拙ブログのなかにも、今日、引用したA校長のお話にかかわるものがけっこうあるなあということだ。


 たとえば、今、ここでは、2つだけ示そう。(あとでまた、もう一つ。)

    マニュアル

    教室訪問(2) 


 やはり、A校長が言いたかったことは、

 子どもを放任しておいて、やりたいようにやらせ、それで自主性を養うなどとはとんでもないこと。そこに指導などはない。

 だからと言って、『ああしなさい。』『こうしなさい。』『そうしてはいけません。』などと細かくいちいち言うのも、子どもの創造性、自主性を損なう。指示待ち人間をつくり出してしまうし、判断力も奪ってしまう。

 やはり、創造性、主体性豊かな人間というのは、『自分のやりたいようにやるのだが、そこには必ず、大人の温かく見守ってくれる目、称賛、励ましなどの言葉』があってこそ、育まれるというものだろう。

 子どもの創造性、自主性を育む指導をがんばろう。

 しかし、それには、教職員も創造性、自主性をもって仕事をしないといけないよ。

 そうおっしゃりたかったのではあるまいか。


 もう一つ。

 授業中の教室は、真剣勝負の場。あくまで主人公は子どもと担任。それは、たとえ総理大臣が来たって同じことなのだ。


にほんブログ村 教育ブログへ

 ninki



 A校長から学ばせていただいたことは、ずいぶんありました。

 しかし、この、教職員を叱責して励ますということ。わたしは、それが、あまりできませんでした。

 基本的にわたしは、ほめたり、感謝したりすることによって伸ばすという方策を採っていました。

 今でこそ、教員社会も多少変わってきましたが、当時、管理色がうすいなかにおいては、管理職は、いかに教職員との信頼関係を構築するかが大事でした。あっ。そうか。これはいつの時代だって大切には違いないけれどね。

 そういうなかで、これだけ毅然として、教職員に対峙したA校長。すごいとしか言いようがありません。


 最後につけたし。

 その管理色がうすかったころのことも、かつて記事にしたことがあります。よろしければご覧ください。

    学校民営化?(2)

 それでは、今日も、1クリックをよろしくお願いします。

rve83253 at 13:42│Comments(4)TrackBack(0)学校管理職 | 指導観

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by せい   2008年05月05日 19:19
先生、こんにちは。せいです。
異動してちょうど1ヶ月が経ちました。
以前は田舎の全校230名の小さな学校でしたが
今度は新興住宅地の全校550名、学年3クラスの学校で
初めての高学年の担任をしています。
環境が変わったこと、そしてもう「若手」でないということで
初任の時よりもしんどさを感じる瞬間もあります…

そうそう、今回のお話を読んで
初任から2年間お世話になった校長先生を思い出しました。
A校長先生と同じようなタイプの方で、
お叱りを受けたことも数多くありましたが、
温かい言葉を頂いて号泣したこともありました。

大人になれば、自分のために叱ってもらうことも
「ほめられる」ことも減りますよね。
そういうことをして下さる管理職がおられると
ありがたいなぁ…と日々感じています。
今は転任したて、そして厳しい校長先生なので
通信を起案するのにもドキドキしていますが…
2. Posted by アメリカ留学   2008年05月06日 19:14
初めまして、アメリカ留学のブログを書いてる者です。今後の記事更新の参考にさせてもらいたいと思って見させてもらいましたけど、楽しませてもらいました(笑)次の記事更新を楽しみにしてます☆応援してますので押しておきますw頑張って下さいね。
3. Posted by toshi   2008年05月06日 23:20
せいさん
《お叱りを受けたことも数多くありましたが、温かい言葉を頂いて号泣したこともありました。》
 初任時代にそういう校長のもとで働けたというのは、幸せでしたね。
 初めての高学年とのこと。子どもの成長を肌で感じ、それが喜びとなっていくように、念じております。
 また、コメントをくださいね。
4. Posted by toshi   2008年05月06日 23:22
アメリカ留学さん
 今後の記事更新の参考にならないと思いますけれど、お読みいただいてありがとうございました。
 応援もありがとう。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字