2008年05月06日

壮大な実験!?4

79f48a39.JPG すごい番組を見た。

 日本に、イギリスとフィンランドが同居しているかのようだった。かつて拙ブログで記事にした『ゆとり教育、是か非か。』から、そのようなことを思い浮かべた。

 また、ここのところ、国の学力調査をめぐって、ぶうちんさんとコメントのやり取り(コメント9番以降)をしているので、そのような関係もあり、じっくり見てしまった。

 その番組は、バンキシャと言う。

 そして、真相報道 バンキシャ! 子どものための「教師再生を」では、本記事にかかわる映像を見ることができる。左側のサイドバー、『放送内容』のなかの『ACTION特番第2弾』及び、『なぞ/“競争のない犬山を東京の教師は?』が、それに当たる。

 なお、そのブログのコメント欄には、視聴した感想などがたくさん寄せられていて、大変興味深い。

  



 見て、強く感じたことは、ぶうちんさんとのコメントのやり取りでも感じたことだが、地域による教育事情の違いだった。ほんとうに、まったく違う。


 違いそのものはあっていい。何度も言うように、違いは尊重しなければいけない。

 それにもともと、教育は地方分権であるべきで、中央が権力をにぎればにぎるほど、教育の国家統制は強まり、戦前の姿に近づいてしまうのだ。


 でも、いくら地方分権であるべきと言っても、その施策が間違いと判断した場合は、それは、もはや、尊重というわけにはいかない。

 そのように思いながら、見させてもらった。


 


 この番組は、愛知県犬山市と東京都品川区の教育行政、および、学校、教員、子どもの実態をとり上げていた。


 初めに申すまでもないとは思うが、

 犬山市は、昨年から実施の全国学力・学習状況調査を全国で唯一、実施していない地域である。

 一方、品川区は、全国に先駆けて、学校選択制を採り入れた地域である。

 このことだけで、180度違う教育方針を採っていることが分かるであろう。




 どちらも、教育長が主人公のごとく登場していた。



 まず、犬山市の教育長は語る。

「学校、教師に、責任と権限を与える。自由にやっていい。そうすると、教師は燃える。いい仕事をする。教師は多忙と言うが、自発的に行う仕事に多忙感はないはずだ。」

「学校選択制や、国の学力調査は、テストの点数の競争をひき起こし、それが、子どもや学校間の格差を生んでしまう。」

「大事なのは、競争より学び合いである。」

「教育に、国家権力が手を突っ込むと、ろくなことはない。」

「無駄な書類は極力省略する。」

「今、国がやろうとしていることは、競争と評価で、教育を変えたらという話。安直な財界の要求を受け入れて、それを、教育に導入しようとする方向だけはやめてもらいたい。」   


 なにやら、かつてこのブログに書かせていただいたフィンランドの教育を思わせる。また、PISAが言っていることともほとんど合致する。

 どこの国の言葉かと思うくらいだ。



 次、品川区の教育長の話。

「学力テストと学校選択制で格差や序列ができると言う。それは、逆だ。格差や序列は厳然としてあった。それを埋めるために学校選択制を導入している。」

「教員の質を上げるのは学校管理職しだい。」

「『競争原理はよくない。』と言う人がいる。なぜ学力を上げようとして競争させてはいけないのか。差をはっきりさせなかったら、どこをどう改善して子どもを高めたらいいか分からないではないか。」

「人事考課制度により、『こわいから言いたいことが言えない。』と言うのなら、子どもより自分が大切ということだろう。そんな教師は辞めてもらいたい。」

「子どもが生き生きしてくれればいい。教員までいきいきのびのびされては困る。」

 また、次の2つは、現場を引き締める目的で、抜き打ちで学校を視察した際、そこの校長に話したもの。校長は、直立不動で、教育長を迎えた。

「校長が学力調査の結果をもっと敏感に受け止めないと、(学校選択制である以上)子どもが来なくなってしまうよ。」

「モンスターペアレントは今いないと言う。それなら、もしこれから出たら、それは、現校長の責任になるよ。」


 しっかり管理しようという発想。成果主義。

 これは、上記リンクの、『ゆとり教育是か非か』に書いたイギリスを思わせる。


 
 この結論はもうでている。同記事に書かせていただいた通りだ。

 それなのに、再び、壮大な実験を開始した日本。ああ。無駄な実験のような気がしてならない。しかし、何かな。ヨーロッパと日本では、違った結論になるとでもいうのかな。

 

 ところで、バンキシャがとり上げた、犬山と品川は、極端な例なのかもしれない。多くはその中間に位置しているのではないか。いや。どちらかと言えば、多くは品川寄りかな。


 たとえば、我が地域の場合、おおまかな言い方をすれば、国の学力調査はやっているし、人事考課制度もスタートしている。そういう意味では、品川と似ている(ただし、学校選択制は採り入れていない。)が、しかし、学校現場は、ほとんど犬山に近いと言っていい。

 わたしは、それでいいと思っている。

 そのあたり、この番組は、けっこう、学校現場の指導の様子を映しているので、それに即して考察してみたい。

 以下、番組の内容を振り返りながら、順次、思うところを述べていきたいと思う。




〇まず、最初は、犬山市の一教室風景を映し出す。また、その画面を東京(たぶん品川と思うが、不明。)の教員が見て、いろいろ思いを話そうという、そんな番組の構成である。

 朝、登校した子どもたちが訴える。
「先生。昨日下校のとき、A君がB君をいじめていたよ。下校中にA君がB君を押したからB君は田んぼに落ちちゃった。」
とのこと。
 担任のC先生(経験6年目)は、すぐ先輩教員に報告し、情報を共有。他の教師も参加して、解決法を話し合った。



 それを見た東京の教員。

「すぐ先輩教員に報告し、相談するなどということは、わたしたちの地域では、考えられない。そのようなことをしたら、『あの教室、何かがあったらしいよ。指導がなっていないよ。』と言われ、成績に差がつく。人事考課に結びついてしまう。だから、誰にも言わず、自分で解決するしかない。」

 この東京の反応には驚いた。

 これだから、隠蔽体質などと言われてしまうのだね。


 ところで、我が地域にも人事考課はある。かつて記事にもさせていただいた。

  教員査定の問題(4)まとめにかえて

 今、ここに具体的な査定の項目をもっていないのだが、そこには、当然、協調性、柔軟性などにかかわる項目もあるはずだ。

 本事例に即して言えば、若い人に対しては、

「学級経営上、困難な問題があったとき、進んで、先輩教員に相談し、指導を仰ごうとしているか。」
「かくさず、何でもオープンにし、情報を共有しようとしているか。」

そのような査定項目があるはずだ。

 
 
 また、以下のことも記事にさせていただいたことがある。

 かつて、いじめの隠蔽体質がマスコミ等で問題視されたとき、我が地域の指導主事は、次のようなことを言った。

「うち(市)はちゃんと(国に)報告していますよ。各学校からの報告も、正確だろうと思っています。
 なぜなら、うちは、(国への報告は)『いじめの件数』という理解ではありませんものね。『学校がいじめに真剣に取り組んだ件数』と理解しています。
 だから、(いじめ報告が)多いということは、(それだけ真剣に、多くの教員が協力し、解決に向けて努力したということですから、)ありがたいことだと理解しているのですよ。」

 
 そう。だから、上記、東京も、進んで情報を提供し、共有して、解決に向けて取り組む。それこそが、よく評価されなければならないのだ。

 

〇ただし、この後、いじめ問題解決の場面が映るが、これはもう少し、子どもの心を育むことを大事にして指導してほしいと思った。

 C先生は、上記のように、経験6年目の教員。子どもとよくふれ合っているし、意欲が感じられるし、すばらしい先生には違いない。
 しかし、テレビが、いい指導という意味合いでしか、報道していないものだから、他意はないが、ここは、ちょっと、注文もつけさせていただく。C先生。ごめんなさい。


 テレビには、A君がB君に廊下であやまる場面が映っていた。2人の先生がその場にいて、
 先生「ちゃんと言いなさい。」
 A君「押してごめんね。」
 B君「いいよ。」
と言っている。

 これで仲直りができたかのようにナレーターは言っているが、わたしは、疑念を抱いた。ほんとうに仲直りできたのかな。心にわだかまりは残っていないのかな。


 もう一つ別な場面も映っていた。D君(画面ではB君)が、クラス全員に謝罪する場面だ。

 C先生が、
「D君がね。ちょっと、みんなに話したいことがあるんだって。聞いてあげてください。さあ。D君。ちゃんと最後まで言うのよ。」

 D君が、かわいい声で泣きながらあやまっている場面を見て、わたしは、D君がかわいそうになってしまった。


 双方とも、先生が、お説教をして、あるいは、さとして、謝らせているように見えて仕方ない。子どもの心を耕すべく、どれだけ、双方の言い分を聞いたのか。謝る子は、心から納得して謝ったのか。その辺が、画面からははっきりしないものの、ちょっとひっかかった。

 また、同じくはっきりはしないのだが、D君は、自分から、自分のいけなかったことを先生に言っているように見える。少なくとも、自分のいけなかったことをかくしたりうそをついたりはしていない。その通りなら、うんと認めてほめてやってほしい。

 とは言っても、しつっこいようですが、これも、テレビでははっきり分からないのですよ。


 一つ。よかったこと。これははっきり映っている。D君が謝ったとき、クラスみんなは、『いいよ。』と言っているのだが、そのとき、C先生は、クラスみんなのやさしさをほめている。これはよかった。


〇しかし、これを見ていた東京の先生は、また、別な感慨を抱く。

「こういう指導ができるのはうらやましい。だって、我が地域では、親が、『うちの子だけ叱った。』とか、『恥をかかせた。』とかすぐ言うから、こういう指導がなかなかできないのよね。」と言っていた。

 しかし、そのようなことはない。この辺は、わたしが初任者指導する際も、留意していることで、

 この場合だったら、Dちゃんを、悪者にしないことだ。うそをついたりごまかしたりしないで正直に認めたとか、はっきりみんなに謝ることができてよかったとか、謝る態度がよかったとか、・・・、やった行為はいけないとしながらも、できるだけほめる材料を探してほめてやることだ。

 Dちゃんが、
『よかった。正直に言えてホッとした。そのことは先生もほめてくれた。みんなも許してくれたからうれしいな。でも、これから気をつけよう。』
そんな思いをもって下校することができれば、保護者だって、『恥をかかされた。』などとは言わないだろう。

 

〇犬山市に、教員査定はないと言う。だが、わたしは、それでいいとは思わない。

 時代は変わった。だから、査定はもはや避けては通れないと思う。また、教員一人ひとりの努力をしっかり認めてあげる意味でも、査定は必要だ。

 上記の場合なら、どれだけ、子どもの心を育むことができたか。それこそが問われなければならない。

 
 尾木直樹氏は、テレビで、『査定によって、チームワークがとれなくなったり、隠蔽体質になったりする可能性のでることが問題。』とおっしゃっているが、これは、繰り返しになるが、査定項目の吟味によって解決できるはずと、思う。

 言葉を変えれば、こうした意味での競争は、やってほしいのだ。

 認められないのは、学力調査の成績で査定をするということ。学力調査の成績で学校をランキング化することの弊害は、すでに、述べたことがある。


〇矛盾するようだが、犬山市は、学力調査も受け入れた方がいいと、一応思う。だが、この辺の思いは複雑だ。

 なぜなら、犬山市長は、学力調査を導入しようとしている。その意図が、今一テレビでは不明なのだ。もし、他市、全国と比較するため、そして、それを、査定導入の根拠とするためなら、わたしは、断固反対したい。

 そうではなく、かつてわたしが分析したように、良問が多いのだから、一人ひとりの教員の指導力を高めるための導入なら、わたしは、これに賛成したい。

 ただ、学校序列化に使われないよう、これからもしっかり監視する必要はありますね。なにしろ、そういうことを昨年国は言っていたのですから。

 

〇給食を子どものグループで子どもと一緒に食べる場面があった。それを見て、東京の先生は、驚く。その姿に、今度はわたしが驚いた。こんなこときわめてふつうのことではないか。
「うらやましいわ。こういうことをしたいけれど、できないよね。わたしはどうしても漢字などノートを見る時間になってしまう。」
と言っていた。
 
 『いくらなんでも、食事くらいちゃんととりなさいよ。それに、子どもと豊かにふれ合える格好の時間ではないですか。』

 そう言いたいが、よその事情は分からないものね。


 それに関連し、かつて初任者指導に当たり、次のようなことを書いたことがある。

   初任者の成長(2)初任者研修を終えて 〜対談〜

 毎朝の日直のスピーチ。せっかくの、『話す・聞く』の実際的な指導の場面なのに、担任は、ノート、連絡帳の点検、返事書きなどをしていて、子どものスピーチを聞いていない。

 これでは、指導にならないと注文をつけたのだけれど、・・・、

 でも、上記、東京のような実情だったら、それも言えなくなってしまうわけだね。


〇教員の多忙については、東京も、犬山も言っている。しかし、その中身は違うようだ。東京は、子どもに向き合うこと以外の仕事が多過ぎると言っているのに対し、犬山では、子どもと向き合う仕事で多忙なのだ。

 言葉を変えれば、東京は、上からの指示、役所からの依頼によって、やらなければならないのに対し、犬山は、『サボろうとすればいくらもサボれるけれど、子どもが好きだから、子どもを伸ばしたいから、やらないわけにはいかないじゃない。』そういう教員の気持ちが仕事をさせているのだ。

 だから、犬山市の教育長の言葉を借りれば、
「学校、教師に、責任と権限を極力与える。自由にやっていい。そうすると、教師は燃える。自発的に行う仕事に多忙感はないはずだ。」
となる。


 現に、犬山市の学校の、研究授業をビデオにとっての『勉強会』が映し出される。おそらくこれは、教員の自主的な研究会だと思う。意欲的な画像でわたしもうれしくなってしまった。

 それを東京の教員はうらやましがる。『このようなことをやる時間がない。』


 しかし、これは、我が地域だって、やっていること。

 授業研究をうらやましがるなどということは、想像もできない。

 地域の実情がそれぞれ違うから、『ああ。東京はそうなのか。』と言うしかないのだけれどね。何とか時間を生み出してほしいものだ。


 もっとも、品川区の教育長。
「子どもが生き生きしてくれればいい。教員までいきいきのびのびされては困る。」と言っているから、やっぱり無理なのかなあ。品川区の教育長は、教員の自主性が信じられないのだね。『いきいきのびのび』は、サボりと同義語なのだろう。
 


 最後に、テレビを見ながら思ったこと。我が地域の実態は、まあまあかなあということだった。

 査定もやっている。人事考課もやっている。国の学力調査もしかり。それでも、犬山市の教育とほとんど変わらない。(いや。子どもの主体的な学びをどう保障しているかということに関しては、これは映らなかったから、ほとんど分からない。)


 問題は、査定、人事考課、学力調査などをやる、やらないということではない。(どちらかと言えば、やはりやった方がいいだろう。)
 問題は、その方針、目的がしっかり子どもを向いているか。そこにある。(もちろんこの場合、学力調査の点数を指しているのではない。)

 子どもの心を見つめ、真に豊かな人間性を育んでいくのだという、そうすれば、学力は自然に後からついてくるのだという確信をもって、地道に日々の実践に当たるということだ。その証明になるかどうかは別として、現に、犬山の学力は高いようだ。
 

 そうした教育を上がどう守り育てるかも大きい。今回は、2人の教育長が登場したが、やはりそれは大きいだろう。学校、教員を信頼しているか、あたたかく見つめているか、真のやる気を育てているか。

 勝負はついていると思えた。



にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 犬山と品川の競争。そういうとらえもできるように思いました。そう。やはり、競争なのですよ。ずっとこの教育体制が続けば、どちらがより効果を上げるかがはっきりするでしょう。壮大な実験です。

 しかし、せっかくこういう番組ができたのですから、互いに学び合い、よりよい方向にいってほしいもの。実験のままでは、子どもがかわいそうですものね。


 そう言えば、品川の教育長さんへ。

 学校選択制は、格差や序列を安定させるのですよ。固定化、強化させると言ってもよい。PISAが、各国の教育政策を分析し、そう述べています。わたしもそう思います。


 
 また、犬山の教育長さんへも。

 すごい。わたしは敬服しました。

 いいのですが、

 ただ一点。学ぶ意欲は点数に置き換えることはできないとおっしゃる。それもわかります。わかりますが、でも、わたしは、国の学力調査の『B・活用』は、けっこう学ぶ意欲がないと解けないと思いますよ。問題の字面のままでは、子どもは、おそらく解いた経験はないと思いますから。

 思考力をフルに発揮する。それは楽しいものです。そう思いますが、いかがでしょう。

『テレビ報道番組から』に続く。

rve83253 at 22:04│Comments(16)TrackBack(0)教育観 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by GAKU   2008年05月06日 22:21
お久しぶりです。以前PISAの件でコメントさせていただいた者です。

私もバンキシャ見ました。「東京都の教員は大変だなぁ」と言う感想でした。
後日、別番組では東京都教育委員会が全国各地で教員試験の説明会をしているというものでした。理由はメディアから東京都の教育はネガティブな話題が多く伝わるため受験者が減っていることが要因にあるそうです。

日本の教育がいい方向には進んでいないと思ってしまいます。
2. Posted by toshi   2008年05月06日 23:26
GAKUさん
《東京都教育委員会が全国各地で教員試験の説明会をしているというものでした。理由はメディアから東京都の教育はネガティブな話題が多く伝わるため受験者が減っていることが要因にあるそうです。》
 そうですか。実は、本記事を書くに当たり、『東京は教員のなり手が少なくなってしまうのではないか。』と書きたかったのですが、手元に資料がなく、そこまで書けませんでした。
 東京と似たことをやっていたイギリスは、やはり、教員志望が激減しているようです。いい教員がほしくて始めた取組なのに、裏目にでるようで、これはもう、ますます大変になっていくでしょうね。
 
3. Posted by GAKU   2008年05月07日 00:06
報道の件は、関西民放ローカルで夕方の報道番組にて放送されていたものです。
『何故?大阪で東京都教員試験の説明会?』のようなタイトルかと記憶してます。
その他の理由は教員試験の受験者は女性が多く、女性受験者の親は「年頃の娘を都会に行かせたくない」のではと言う憶測に近いものなども挙がってました。
イギリスもそうなっているとは…
人材を確保ではなく、人材を育ていくという考えも必要ではないかと思います。
4. Posted by toshi   2008年05月07日 05:37
 GAKUさん
《教員試験の受験者は女性が多く、女性受験者の親は「年頃の娘を都会に行かせたくない」のではと言う憶測に近いものなども挙がってました。》
 他地域の受験者が減っていないとすれば、この憶測は違うということになりますね。そして、おそらく他地域は減っていないと思います。
 イギリスのことについては、拙ブログの、『ゆとり教育是か非か』の記事に書いてあります。本コメントのわたしのHNをクリックすれば出るようにしましたので、よろしければご覧ください。
5. Posted by KG   2008年05月07日 09:18
日大の広田教授が下記のサイトで学校選択制についてのコラムを書いておられます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080215/147257/

犬山市教育委員会については、東大の苅谷教授のチームが外部評価を行い、それについて出版されています。
「検証・地方分権化時代の教育改革 教育改革を評価する―犬山市教育委員会の挑戦 (岩波ブックレット) 」

しかし本記事のタイトル、言い得て妙ですね。文科省は盛んにPDCAサイクルと言っておりますが、PDCAサイクルに基づかない愚かな実験が教育改革の名のもとに推進されていく事に危惧の念を抱いております。
6. Posted by toshi   2008年05月08日 06:34
KGさん
 ご紹介いただいた、広田教授のコラムを読ませていただきました。
 学校選択制は両刃の剣。現状では風評による選択判断が多く、これでは、教育を危うくするということなのでしょう。
 わたしは、理想論に過ぎるのかもしれませんが、ほんとうは選択制に賛成なのです。ただ、品川区のそれは確かにひどいものだと思います。
 このあたり、思いは複雑なのですが、近いうち、その複雑な胸のうちを記事にさせていただこうと思っています。けっきょくどっちつかずの結論になってしまうので申し訳ないのですが、お付き合いいただけたら幸いです。
7. Posted by KG   2008年05月08日 10:00
私の地域では「事実上」学校選択制が始まっているので広田先生の分析は概ね正しいと思っています。
もっとも絶対反対というわけではなくて、やむを得ない深刻な事情(いじめなど)がある場合、学校を変えてもいいんだという選択肢があるのとないのとでは大きく違います。
そういう点で学校選択制には賛成します。
もっとも我が地域では、ほとんどは学区内の学校に通学し、学区外に通う場合の多くは学区の線引きのまずさで学区外の学校の方が近い、という場合のようです。

我が地域と品川区の大きな違いはおそらく、通学に使える公共交通機関が発達しているかしていないか、これが影響しているように思います。あの学校がいい、と思っても毎日送迎するのは難しいですし、徒歩1時間以上もかけて学区外の学校に通わせるのも非・現実的。大都市以外の地域では、我が地域と似たような状況なのではないでしょうか?
8. Posted by フルタ   2008年05月09日 00:21
上の先生方の様子を読んで、今の子どもの通う学校は品川型かなぁと思っています。ただ、地域というより、校長によって違うのかもしれません。
先生方の人事査定が子ども達の様子で決まらないことを願ってしまいます。
それにより、先生方が子ども達に、いろいろなことを強要しはじめたり、できない子を辱めたりすることになりかねないからです。すると、子ども社会の中にも管理する側とされる側が自然にできるようです。もちろん、利害関係のない子ども達の社会では、子ども数の大多数を占める「そんなん関係ない!」グループも共存しているようです。
学校選択性について言えば、学力が高いなどの理由で子どもの通う学校に越境してくるお子さんも10%以上いますが、校長によって子どもの居心地が変わるので、くじ引きと同じような気がします。
9. Posted by toshi   2008年05月10日 07:55
KGさん
 我が地域では、学校選択制をとり入れてはいませんが、事情により学校を変えることができるという意味では、ずいぶん柔軟になってきています。ですから、KGさんがおっしゃる『事実上の選択制はある。』と言えるのかも知れません。
 たとえば、中学校の部活を例にとれば、ただ単に、『あそこの部活は強いから。』というくらいの理由ではダメですが、『こちらの中学には、その部活がないから。』という理由なら、入学を許可するという、そのくらいの選択制です。

 おっしゃるように、確かに、交通事情等によって、意味合いは変わってくるでしょうね。ちなみに、わたしの居住地なら、子どもの足で徒歩30分以内に5校はありますしね。
10. Posted by toshi   2008年05月10日 09:22
フルタさん
 そうですね。学校序列化など、制度による面もありますが、校長しだいという面も否定はできません。また、逆に、誰が校長として着任しようと、それに影響されることはないという、しっかりとした教職員集団の学校もあります。地域性だって無視できません。ほんとうに、学校の雰囲気を構成する要素は多様だと思います。
 査定がちゃんと機能するためには、『変な査定をしたら学校が危うくなる。』という認識を学校がもたなければなりません。また、地域・保護者の支え(評価)も大切だと思います。
11. Posted by 柴田勝征   2008年05月21日 11:40
PISAの件でお世話になった柴田勝征です。バンキシャの上記の番組は見逃したので、たいへん興味深く拝読させて頂きました。番組の内容とは直接的には関係は無いのですが、私も大学教員生活40年にして、最近は自由奔放に、毎時間の到達目標を学生達に学習させつつ、いろいろな定理などを自然科学や社会現象や人生生活と結びつけて、意味を深く考えさせるような教え方が出来るようになってきたあ、と感じています。ある時は、私の講義中に遅刻してきた学生に、私の説明を中断させられたので、みんなの前で謝罪させて、授業を中断・妨害することの意味を自分で考えさせ、述べさせました。
12. Posted by 柴田勝征   2008年05月21日 11:44
柴田です。連投、すみません。また、ある女子学生がインターネットの記事を丸写しして提出したときには、丸写し自体も問題だけれど、その記事を自分で読んで、分からない部分は更にしらべる、という作業をしていなくて、「コピーしておしまい」という態度を厳しく叱責したため、彼女がみんなの前でしくしく泣きじゃくって、しばらくは言葉も出なくなってしまったこともありました。それでも、ひとり一人の学生の顔を見渡しながら理解度の反応を確かめ、特に優秀な学生にはその学生だけに特別な宿題を課したりしています。テストの成績は取り立てて良い方ではなくても、実際に問題を深く、あるいは幅広く理解する特殊な能力を持った学生が存在することに、昨年度から気が付くようになりました。
13. Posted by 柴田勝征   2008年05月21日 11:47
柴田です。最後の連投をご容赦、お願いいたします。
一般の学生にも全力で理解度を高める工夫をするとともに、特殊な能力を持った学生に対しては、それを出来る限り伸ばしてやる課題を出せるようになったのも、年を重ねたせいだろうと思います。私も数学科主任という中間管理職になってしまい、毎日会議やら様々な書類づくりに追われて多忙の極みですが、出来る限り睡眠時間を削って自分の勉強時間を作り出してゆこうと努力しています。あまり、toshiさんの記事とは関係なくなってしまいましたが、2つの地区の教員活動の違いについて読ませて頂いて、最近感じていることを勝手に書かせて頂きました。ごめんなさい。
14. Posted by toshi   2008年05月22日 14:41
柴田勝征さん
 近年の大学事情など、まったく分かりませんから、興味深く読ませていただきました。
 授業を中断ということは、靴音高く入ってきたということでしょうか。泣きじゃくる女子大生など、ちょっと、小学生段階できちんと生活できるようにしておくべきことで、小さいときからの指導の至らなさを感じさせられてしまいました。
 大学こそ、個に応じ専門的指導のできる場だと思いますので、心強い思いをもって拝読させていただきました。
 今、わたしは、大学でたての若者とふれ合っているわけですが、やはり自分の小学生時代の経験にけっこう左右される面がありますね。と言うより、それが当たり前と思っているようで、勤務校と違いがあると、ただそれだけですごく驚いているということがあります。
 『多様性のあるのが当たり前』ということが、一つの大事な指導内容になっています。
15. Posted by 今日   2009年10月05日 16:58
<そう言えば、品川の教育長さんへ。

 学校選択制は、格差や序列を安定させるのですよ。固定化、強化させると言ってもよい。PISAが、各国の教育政策を分析し、そう述べています。わたしもそう思います。・・・・・・・


* このように率直に意見を言われることに、敬服いたします。

このように皆が、意見を言うこと、これでいい教育ができるのですからね。
16. Posted by toshi   2009年10月06日 06:37
今日さん
 わたしは、このブログを始めた5年前、学校選択制については、比較的好意的に見ていました。しかし、選択する観点に問題があると感じ、だんだん批判的にみるようになりました。
 記事中の教育長は、テストの点数アップとか、読んだ本の冊数とか、そのようなものしか大切にしていないようで、なさけないなあと思ったものです。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字