2008年06月10日

『甘やかしと受容は違うのよ。』4

22e459bf.JPG わたしは、若いころ、『受容』という概念が、感覚的にはいまいち理解できず、それは、『甘やかし』と同じではないかと思っていた。

 子どもが問題行動をとったとしても、指導者は何も対応しないことが多く、見ためはほとんど変わらないからだった。


 ある先輩の児童対応を見ていて、わたしは、不思議な思いがした。

「子どもへの対応が甘いなあ。あれでいいのだろうか。」

「なんで、『こうあるべき』ということを言わないのだろう。子どもは、あまり叱られることがないから、楽しそうにやっているが、あれで、学級の秩序は保てるのだろうか。」

 でも、見ていると、別に、子どもが荒れるわけではない。ずうずうしく振舞うわけでもない。

 いや。それどころか、思いやりに満ち、がんばる気力も旺盛で、授業ではいきいきと発言する。

 
 もちろん、その先輩は、いろいろ教えてくれた。

 たとえば、

「子どもの言動の背後にある思いをさぐらないといけないよ。何か問題行動をとったとしても、そうせざるを得ない背景があるはずだ。」

「ともに生活していると、子どもはどうすれば叱られるか、大体分かってくるものだ。多くは、分かっていてやっているのだ。だから、そういう時叱っても、『ああ、やっぱりなあ。』と思うだけで、何も変わらない。
 そういうときは、ほめる材料を探して、ほめてごらん。子どもは一瞬驚いた顔をする。そのほうがどれだけ効果的か分からない。」
など。など。

 でも、そう言われても、なかなか、『はい。そうですか。分かりました。』とはならなかった。

 第一、『そうせざるを得ない背景。』というのが分からない。分かったとしても、『だから、許す。』とは、なかなかいかない。

 それに、叱る場面でほめる材料を探すと言うけれど、叱るような場面では、大体子どもはひねくれているし、素直じゃないし、そのようなものが見つかるわけがない。


だから、相変わらず、暗中模索状態が続いた。

 そして、修行時代に入る。子どもから反抗された時期、悩みの多かった時期、それは、35歳くらいのときだった。



 このとき、もう一人のすてきな先輩とめぐり合うことができた。

 何より、わたしの学級経営上の悩みを、心から受け止めてくださった。もう一つ。幸いだったことは、わたしのクラスの3分の1の子は、前年、その先輩が担任だったことだ。だから、子どもたちのことをよく分かっていた。

「あの子は、先生に反抗しているように見えるかもしれないけれど、そうじゃないわ。あの子のおうちは母子家庭でしょう。toshiさんに、お父さんの面影を見ているのよ。だから、できるだけ、話を聞いてやるといいわ。」

「あの子にいきなり叱りつけてもダメ。そうすると、すぐ反発する。
 まずは、受け止めてあげなさい。『あっ。そう。そう思ったからやっちゃったの。』そんな感じね。それだけでいいわ。
 『あっ。この先生は、話が分かる。』あの子は、そう思ったら、すぐ自分を反省できる子よ。」

 まずは、子どもの思いを聞いてやることだ。そして、やったことはいけないとしながらも、思いは受け止めてやることだ。それだけで、ほとんどの子は、行動が変わってくる。


 あと、学級集団にも、きめ細かに対応することだ。

 個の変容は、学級集団の雰囲気も変える。影響力のある子なら、ほんの数人変容しただけでも、学級集団の雰囲気は大きく変わる。

 逆に、学級集団の変容が、個によい影響を与えるとも言える。



 さて、標題の『甘やかしと受容は違うのよ。』は、この先輩の言葉だ。

 修行を経て、この言葉の意味が、すごく分かるようになった。

 
 甘やかしは、子どものやることに、何も言わず、なすがままにさせることだろう。
子どもの心などには無頓着である。自分が甘やかしたいから甘やかす。甘やかす側にあるのは、『(無意識だろうとは思うが、)甘やかしたい。』という自分の思いだけである。

 それに対し、受容は、何も言わないことが多いが、相手のやること、言うことを、しっかり見ている。一見相手のなすがままだが、見る目は緻密で真剣である。相手がなぜそのように行動するのか、なぜそのようなことを言うのか、相手の身になって考える。そして、相手の成長を促すための言葉かけのタイミングなどを考える。


  
 両者は、まったく似て非なるものだ。


 冒頭の先輩から聞いたわけではないが、

〇この子はしっかりしている。子どもなりの自立をしている。そう思えば、きびしく叱ることもある。『君なら、〜と信頼していたのに、何だ。今のは。』ときびしく言っているのを聞いたことがある。

〇先ほど、
『だから、許す。』とは、なかなかいかない。
と書いた。

 しかし、決して許しているわけではないのだ。

 まずは、子どもの思いを受け止める。『なるほど。そういうことか。』共感し、理解してやる。ときには、学級全体の子どもに、Aちゃんの行動の背後にあるものを聞かせるようなこともする。そうして話し合うなかで、子ども自らの気づきを大切にする。それは、あくまで一人ひとりの心を大切にするということだ。

 そうした指導者の営みが、子ども同士の関係にも転移していく。つまり、子ども同士でも、お互いを大事にしようとする心情を養うことになるのだ。

〇『そうせざるを得ない背景』というのには、きびしい家庭事情ということもある。そういう場合は、まさか、学級全体の子どもに返すわけにはいかない。担任は、共感的な姿勢を大切にしながら、その子どもと話し合うことになる。この場合は、カウンセリングマインドを大切にする。

〇『こうあるべき』というのは、上記、自立している子に言うことはあるが、基本的には、子どもみずからが気づくような、また、身につけるような、そんな営みを大切にする。

〇こうして、学級集団が高まると、仮にきびしく叱る場面があったとしても、子どもが反抗的になることは、まずない。素直に、反省する。
 学級集団の自立と言ったらいいだろうか。


 一人ひとりの子どもにしてみれば、自分たちが、生活面でも学習面でも、大切にされていることが分かるから、『自ら挑戦する学習に多忙感はない。』ならぬ、『自ら挑戦する学習に、受身的感覚はなく、』充実感でいっぱいになるのである。


 また、何より最高の収穫は、子ども一人ひとりがよく見えるようになる。これは不思議なほどだ。
 受容の姿勢は、子どもに虚心坦懐の態度をもたらす。安心できるからだろう。そのために、コミュニケーションが活発になる。

 前々記事に、楽になると書いた。『らく』と『たのしさ』の双方の意味がある。それは、この、何とも言えない豊かな人間関係がもたらすものであろう。


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 前記事を書いているさいちゅうに、秋葉原の事件を知りました。またかという思いもありましたが、書いていた記事が記事だけに、ほんとうに驚愕しました。

 本日の記事も、たぶんにその事件を意識したものになっています。

 
 『心の教育』。大切ですね。

 
 ところで、今、書いている内容に関して、わたしが感銘を受けた本を紹介します。

 EQーこころの知能指数 

 IQ(知能指数)は、たぶん、生まれつきと信じられていると思いますが、こちらのEQ−心の知能指数は、教育の力によって、高めることが可能なのだそうです。

 もっとも、そうでなければ、『心の教育』は成り立ちませんね。すみません。


 もう一つ。子どもを受容して伸ばす、いい実践例があります。また、別な先輩の実践です。これも紹介させてください。

    子どもの見方が変わるかな。(3)

rve83253 at 18:19│Comments(5)TrackBack(0)教育観 | 児童指導

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この記事へのコメント

1. Posted by kei   2008年06月13日 01:05
toshi先生、こんばんは。今日の記事に共感しながら読ませていただきました。

「まずは、子どもの思いを聞いてやることだ。そして、やったことはいけないとしながらも、思いは受け止めてやることだ。それだけで、ほとんどの子は、行動が変わってくる。」
 
 まさにそのとおりだと思いました。思いを受け止める。そういう姿勢を大人が持っていると、子どもたちと心がつながります。そうしてはじめて指導の通ることがいっぱいありました。同時に行動が落ち着いてくることもやはりありました。
 回り道のようですけど、やっぱり子どもたちの「本当はよくなろうとしている心」を強くするような教育を重ねていきたいと思うのです。
 
2. Posted by toshi   2008年06月13日 07:32
keiさん
 こうして先生と思いを共有できること。共感していただけること、ほんとうにうれしく、ありがたく思います。

 記事に付けたしをしたくなりました。
 先輩の先生から、『この子はこういう子よ。こうしたら。』というような話をうかがったことにより、『子どもってそう見るものなのか。』『一人ひとり、見方は異なるのだな。』『実に深いところで子どもを見ているな。』などと感じると、十把一絡げの子どもの見方で子どもを叱りつけることは、とてもこわくてできなくなりました。

 それが子どもをしっかり見ようとする契機になったと思います。
3. Posted by toshi   2008年06月13日 07:33
その結果、叱りつけることはほとんどなくなったし、叱るにしても、ただ叱るのではなく、子どもの心にひびくような叱り方ができるようになったと思いました。

《回り道のようですけど、やっぱり子どもたちの「本当はよくなろうとしている心」を強くするような教育を重ねていきたいと思うのです。》

 この言葉を大切に、初任者指導にあたりたいと思いました。ありがとうございました。
4. Posted by せきちゃん   2008年06月16日 22:45
甘やかすことと受容すること……。

わたしも迷いつつも,受容することを念頭に置いています。

これは,特別支援教育を勉強すればするほど,強く感じます。

昨年度,トラブルが多く,来年度は,同じクラスにしないでと言われていた子どもが,今年は,けんかは1件だけ……。

先日,わたしがミッキーマウスが好きなことを知ってか,否か,パジャマで着るような,ミッキーマウスの服を着て,わたしの前でにっこり。

時には,甘いのでは?と思われる行動でも,その子どもにとっての課題がクリアされれば,その子の大好きなことができるように日々取り組んでいます。

もうすぐ経験年数が20年に届きそうな今になって,やっと分かりつつあります。
5. Posted by toshi   2008年06月17日 05:49
せきちゃんさん
 わたしも、なんか自分のむかしを思い出しました。
 受容できるようになる前は、学級の中に数人ではありますが、いつも苦手な子どもをつくっていました。
 受容できるようになってからというもの、そういうことはなくなりました。そして、
『ああ。むかしなら、このAちゃんのようなタイプは、決まって苦手としていたよな。』と思い、そのAちゃんと分かり合える関係になれていることが、無性にうれしかったものでした。ときに、涙が出そうなくらいでしたよ。
 特別支援教育。大事ですね。いつかも記事にしましたが、特別支援学級では、ほんとうに頻繁に、子どもをほめています。ほめて励ましています。
 それが、ふつう級となると、・・・。『ふつう級もあのくらい子どもをほめれば、子どもはどんどん伸びていくのにな。』いつもそう思います。
 TBもありがとうございました。 

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