2008年06月13日

秋葉原事件に思う。2

 ああ。何という事件だろう。驚愕の事件だ。はっきり言ってショックだ。

 ちょうど、『心の教育(7)』と題し、記事をまとめているさいちゅうに、この事件を聞いたから、キーボードに向かっている指がしばらく止まってしまった。

 その後、マスコミによって、事件の背景等が報道されるにつれ、これは、拙ブログの、心の教育(6)(7)が深くかかわっているなと思うようになった。


 ある番組が言っていた。

 「犯人は、『親が悪い。』『会社が悪い。』『社会が悪い。』とか、いろいろ言っているが、何と言ったって、悪いのは容疑者自身ではないか。」

 「ふつうの事件は、容疑者が逮捕されれば、ホッとするというか、『ああ。よかった。』と思うものだが、この事件だけは、不安がますます強まっていきますね。
 と言うのは、事件の背景が分かるにつれ、『この種の事件がまた起きるのではないか。』という思いに、多くの人がかられるからだと思います。」


 前者については、もちろんその通りだ。25歳とのことだが、あまりにも自己中心的で、成長していない姿を感じるのは、わたしだけではないだろう。

 しかし、後者の言葉を思うとき、『容疑者が悪い。』だけでは済まされない、不気味さを感じてしまう。それはやはり、今の日本が社会の病根のようなものを抱えていることを、みんなが感じているからではないか。



 その病根とは何か。

『心の教育(6)』で述べたが、子どもの内面を見つめ、心を育むことを軽視する風潮。
 特に、国による価値観の押し付けには敏感な国民だが、学校や家庭で子どもに対して行われる価値観の押し付けには鈍感である。
 
〇それに、契約社員、ニートなど、最近の労働環境が、急激に悪化していることが重なる。これについては、『PTA任意加入論についてのtoshi的考察』の末尾でふれた。



 一人ひとりの個性を尊重することは、大切なことだ。多様な生き方を認め合うことも同じく大切。


 しかし、今の日本は、その理念ばかりが先行していないか。実行が伴わない。

 教員も、保護者も、そして、会社も、やっていることは、価値観の押し付け、それと、自己の利益追求。

 人(子ども)を人(子ども)として尊重していない。

 そういうことはないか。



 そんなにむずかしいことではない。

 次郎物語の最後にあったと思うが、

『子どもって、ただひたすらかわいがればいいのだね。』(ごめんなさい。文章は記憶によっており、正確ではありません。)

 そう。『無心にひたすらかわいがる。』


 むかしとは違い、もろもろのしがらみは希薄になっているはずだが、それが、肝心の人間関係まで希薄にしてしまい、心が通いにくい状況になってしまった。


 もう一回原点に戻ろう。

『子どもって、ただひたすらかわいがればいいのだね。』


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rve83253 at 02:04│Comments(2)TrackBack(0)エッセイ | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by YK   2008年06月13日 23:49
この事件はショックですね。私の場合も被害者の中にかつての教え子と似た境遇の子がいたので、苦しい気持ちになりました。とはいえ、私も加害者とあまり年齢は変わらないですが、この種の事件は今後も頻繁に起こると思われます。想像力の極端な欠如、自我のコントロールの欠如、こうした問題がこの事件の根底にあるとすれば、想像力や自我など教育とは関係ないと考える人が今の日本には多いですから。正直言って、こういう事件を減らすには広い意味での教養しかないと思います。教養を知識やクイズのようなものと考えている人が多い今の日本では、このような事件を減らすことは不可能ではないでしょうか。
2. Posted by toshi   2008年06月14日 05:50
《想像力の極端な欠如、自我のコントロールの欠如、こうした問題がこの事件の根底にあるとすれば、想像力や自我など教育とは関係ないと考える人が今の日本には多いですから。》
 おっしゃる通りですね。別な言葉で言わせてもらえれば、『自己を見つめるもう一人の自分』が存在しないのですね。カッとするとよく言いますが、瞬間的な感情にとらわれると、そのまま突っ走ってしまうようです。
 しかし、この事件の容疑者の場合は、それが、瞬間的な感情とは言えないようですね。自己を見つめなおす時間的余裕は十分あるようなのに、それができない。新たなこわさのように思いました。
 このあたり、前記事で紹介させていただいた、EQ(心の知能指数)には、くわしく載っています。

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