2008年06月30日

中間管理職として(3) 前記事の補足5

04d2982d.JPG 本論に入る前に、一言お礼を申し上げます。

 最近、拙ブログを訪れてくださる方がふえてきたことは、よく承知していました。

 ほとんどの日、300人を超えるようになり、ありがたく、また、喜んでいましたが、昨日は、ついに我がブログ史上初めて、400人を突破しました。

 400人と言えば、これはもう、ふつう規模の小学校児童数に匹敵します。


 これは、まず、

 長期にわたる、拙ブログご愛読の方々の支えがあり、

 また、直近の理由としては、教育ブログランキング上位『ADD?先生の発達障害児 教育支援サイト』のなおみさんが、拙ブログ記事をリンクしてくださったことによるものと、

その双方に、深く感謝申し上げます。

 今後とも、皆様のご支援に対し、少しでもお役に立てればと存じ、精進してまいりますので、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。



 さて、本日は、前記事、『中間管理職として(2) わたしの反省』の補足をさせていただきたいと思う。

 したがって、前記事をまだお読みでない方は、そちらを先にお読みいただけたらと思います。よろしくお願いします。 



 補足 その1 誤解を招かないために、


 前記事をお読みになった皆さんは、わたしが一連の経過を述べてきたので、誤解されることはないと思うが、・・・。
 しかし、一般的にこういう事態に遭遇した場合、その渦中にいるものの多くにとっては、事態の全貌を把握できるわけではないので、大きな誤解をしてしまうことがありうる。


 本事例で、どのような誤解がありうるかと言えば、


 けっきょく、最後の結論だけみれば、『校長の決断は間違っていた。』『toshiの判断が正しかった。』となりかねない。

 『やっぱり、実施は、無理だったのよねえ。』ということだ。


 しかし、読者の皆さんは、もう、すでに、お感じだろう。

 『toshiの補佐が不十分だった。』ことを。


 校長が、『〜、工夫すればできるわよ。』と言ったとき、

 わたしがパニックにならずに、冷静に対応できていたら、

 さらに、

 あらゆる事態を想定して、実施の可否について自分の中で検討できていたら、(『教務数人とでもいい。事前に打ち合わせをもてていたら、〜。』を含む。)以下のような内容は当然分かっていて、ちゃんと対応できたと思うのだ。


〇多くの学級が、全校朝会を行っている体育館から昇降口まで向かい、昇降口で下ばきに履き替えなければならないこと。

〇当該級は、担任の誘導付きでないと、すばやく、また、整然と行動できないであろうこと。

〇同活動の担当者の、竹ぼうき、ビニル袋、バケツなどの用意にしても、これまでとは実施方法が異なるのだから、数や用意しておく場所などが異なること。そして、その変更は、事前に全教職員に知らせておく必要があること。
(実際、これは、わたしのミスで致し方ないが、同活動の担当者は、いつも通り昇降口に置いただけだった。そのため、昇降口はさらに狭まってしまった。
 そのような状況下で、子どもたちは、これまで同様、竹ぼうき、ビニル袋、バケツなどを持ち出そうとしたから、これは、混乱に拍車をかけたことになる。)

〇児童が使用する門はこれまでと異なっているから、公園に行くには公道に出なければならず、そのためにも、担任が誘導する必要があること。

〇さらに、活動終了後、教室へ戻る時間も含めると、これまでの倍、あるいはそれ以上の時間を要するであろうこと。

以上のことを、ちゃんと、校長に進言できたであろう。


 そうできたなら、校長は、より豊富で、具体的な判断材料を得ることができるわけで、的確な決断ができたに違いない。

 それなのに、わたしが実際に言えたことは、お粗末ながら、『昇降口で下ばきに履き替えなければならない。』の一点だけだった。


 つまりわたしの補佐がいい加減だったことから、校長は決断が的確にできなかったことになる。


 
 その2 『補佐』とは、ほんとうはおこがましいのだが、


 今、補佐という言葉を使用した。しかし、これは必ずしも的確ではない。


 学校教育法では、教頭、教務主任の役割が規定されている。今、それを見てみよう。

 まず、教頭だが、学校教育法第28条第4項において、『教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる。』とされる。
 これは、文字通り、補佐だ。

 それに対し、教務主任は、学校教育法施行規則22条で、『教務主任は、校長の監督を受け、教育計画の立案、その他の教務に関する事項について連絡調整及び指導・助言に当たる。』とされる。


 つまり、教務主任は、校長の監督を受けて校務に当たるのであり、法の規定からすれば、言葉は悪いが、『校長の言いなりに仕事をする。』立場と言っていい。

 でも、そこは、人間だもの。また日ごろ、教務に直接携わっている身だもの。実際的には、その立場からの補佐はあっていいし、当然そうなるであろう。
 本事例の場合でも、実質的に補佐ができる(この場合は、校長の正しい判断を支えるための材料を提供する)立場にいるのは、教務主任と言っていい。



 その3 『うっかり』と『パニック』


ついうっかりしてしまうことと、パニックになってしまうことが、危機を招くのだということ。この事例は、それを端的に示している。


 ところで、『うっかり』も、『パニック』も、陥りやすい状況というのがあるようだ。

 わたしの経験だけで言うのだから、『まだ、他にもありますよ。』とか、『そのようなことはtoshiだけでしょう。わたしは、大丈夫。』などと言われそうだが、それを覚悟して言わせてもらえれば、


 『うっかり』は、まず、本事例のように、何かとセットになっている場合だ。

 『全校クリーン活動』が、『全校朝会』とセットではなく、独立して行われる学校行事だったら、ちゃんとみんなで、工夫して継続か、やめるかを話し合っていたと思うのだ。セットになっているから、『全校朝会』の自動的な場所変更にひきづられて、ついその点の判断力を失ってしまった。


 次に、本事例とは関係ないが、もう一つ、うっかりする状況を経験している。

 それは、最初に聞いた話が、『ああ。その程度のことか。たいしたことではないな。』と判断するような状況で、それが、徐々に、徐々にひどくなっていく場合だ。どうしても、最初に下した判断が邪魔をしてしまう。

 最初からそのように聞いていたら、的確な手が打てたであろうものを、徐々にひどくなっていく状況の中では、最初の判断にとらわれてしまうのだ。

 そのつど、客観的に判断を下す力を養わないといけない。


 次、パニックについては、いつかも別な事例で記事にさせていただいたと思うが、

 事態のひどさに比例して、パニックの度合いが強まるというものではないようだ。
人間、予期していることについては、あんがい耐えられるのではないか。

 問題は、本事例のように、『そんなのありえない。』と思いこんでいる場合だ。いや。思いこみだから、空気みたいなもので、『そんなのありえない。』すら、認識していないのだが、・・・。
 まして、相手が校長(こんな失礼な言い方をしてごめんなさい。)となれば、よけい・・・、冷静ではいられない。


 さて、

 以下、本記事をお読みいただいている保護者の皆さんには、大変申し訳ない記述になるが、

 わたしはパニックになった瞬間から、子どものことが眼中から消え去ったと言っていい。ほんとうに申し訳なかったと思う。

 ただ、頭にあったのは、『教職員に申し訳ない。』『教職員にどう伝えようか。』『どう詫びようか。』そういったことのみ。


 だから、まだ間に合う状況分析。たとえば、
『これは、当日の朝、全担任に子どもたちを誘導してもらわないと、大変なことになる。』
そういう認識すら、抜けてしまった。



 その4 人間として、


 次は、教務主任とか、教員とか、そういう立場を離れ、人間としての反省。これは、上記、パニックにも関係するのだが、

 校長に、『ああ。明日は全校クリーン活動があるのだね。』と言われたとき、『ええっ。やるのですか。』と言ってしまった。これがよくない。
 こうした言い方は、相手(またまた、失礼。)を身構えさせてしまう。

 『何でそんなことを言うの。クリーン活動ができなくなったのは、校庭が分担となっている3・4年生だけではないの。他はやれるわよ。』
という気持ちにさせてしまう。


 ここは、素直に、お詫びの気持ちを込めながら、

『あっ。校長先生。わたし、うっかりしました。ごめんなさい。

 全校クリーン活動はできないものと決めこんでしまいました。校長先生に事前にうかがうこともせず、申し訳ありませんでした。

 ほんとうに、わたし、うっかりしていたのですが、これまで、全教職員にもそのように話していました。ですから、みんなも、ないものと思っています。

 ほんとうに、これから、思いこみのないよう、気をつけます。申し訳ありませんでした。』

などと言えたら、・・・、

 それでも、『やろう。』『やれるわよ。』とは、おっしゃらなかったのではないか。


 人間修行。これは、永遠だ。



 その5 救いもあった。


 これまで、反省ばかり述べてきた。

 最後に、一点だけ、これは、読者の皆さんもうなずいてくださると思うが、

 日ごろから、人間関係を大切にしよう。

 本事例の場合、教職員にどれだけ助けてもらったか分からない。実務の面でも、心情的な面でも、助けてもらった。

 少なくとも、管理職と教職員の板ばさみということはなかった。


 日ごろから、教職員を大事にすることだ。教職員の思いを大切にすることだ。

 いろんな意識の教職員がいる。また、私的な面も含め、いろんな環境のなかで、働く教職員がいる。
 その、どの教員もが、『いい学校』『いい職場』と思えるように努めたい。

 気配り、支援、補助など、など。日ごろから努めよう。


 それが学校を盛り上げることになる。教育的な成果をあげることになる。ひいては、子どもの幸せにつながろうというものだ。


にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 教職員を大切にすれば、即、学校がよくなるというものではないでしょう。しかし、率先垂範するとともに、一人ひとりの教職員のよさを認め、そのよさの意味づけ、価値づけをすることができれば、大丈夫と思います。

 一方的な、自分の価値観の押し付けではダメですね。

 なお、先に、『感動のニュース 校長を慕う子どもたち』という記事を掲載しました。
 この校長先生が退職された直後が、わたしが教務主任を務めさせていただいた年となります。 

rve83253 at 14:35│Comments(2)TrackBack(0)学校経営 | 学校管理職

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by みかん   2015年10月25日 10:42
教務主任で検索しここにたどり着きました。
幼稚園で働くペーペー社員です。
私が働く園でも教務主任という立場の方がいますが、
教員が相談や行事の進め方など、保育についての質問をしても、
「知らな〜い。」「分かんな〜い。」「勝手にして〜」「私担当じゃないから〜」と投げやりな方で、問題に直面したら人を責める。
非常に教務主任という立場について疑問を持っていました。
園長も特に言わずでしたし。。
なので今まで、教育の場での教務主任はこれが当たり前なのかな〜と思っていましたが、やはり違うんですね。

toshiさんのブログを拝見して、ハッとしました。
色々気付かせて下さってありがとうございます。
部下は、よく上司を見ています。
toshiさんの職場の方達もtoshiさんの奮起を見てモチベーションの維持だったり上司への尊敬の念を抱きながら業務が行えていたんだろうなあと思います。
2. Posted by toshi   2015年10月30日 14:53
みかんさん
 大変ありがたいコメントをいただきました。もうかなり昔のこととなってしまいましたが、ここに書いた事例は昨日のことのように思い出します。なつかしささえ感じます。
 貴幼稚園のこと、ちょっとわたしには想像もつきませんが、それで園経営が成り立っているようですから、先生方のご苦労は並大抵ではないだろうと思いました。教務主任は先生方に助けられているに違いありません。変な感じですね。
 どうぞ、うまくは言えませんが、与えられた環境の中でのご奮闘を祈念しています。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字