2008年07月12日

驚きの大分教員採用汚職事件

04e6452b.JPG また、教員の不祥事だ。

 次から次へと起こる。

 こうして、学校にかかわるものとして、教育ブログをやらせてもらっている以上、まずは、市民の皆さんにお詫びしなければならない。

 ほんとうに申し訳ありません。



 今回の事件は、より深刻にとらえている。

 大分県教育長も言っていたが、これは、県教委の構造的、組織的不祥事と思われるからだ。


 わたしは、冗談ぽく、妻に言った。

「こうして、教育ブログをやらせてもらって、今回のような事件が起きると、がっがりしてしまうのだが、でも、わたくし的には、ちょっとホッとする面もある。」

「・・・?。」

「それは、・・・、ブログに、よく娘2人のことを書いているだろう。

 今、娘2人が、教員になっていなくて、ほんとうによかったと思うよ。このような事件が起きると、もし、教員になっていたら、読者の皆さんから、疑られちゃう。」

「でも、お父さんが教員だったことは書いているじゃない。」

「ああ。そうか。・・・。でも、それは大丈夫だと思うよ。わたしが教員になった当時、我が地域は教員不足で、大量採用だった。受験して落ちるということはまず考えられなかった。だから、逆に、教員の質が問われてしまったわけだけれどね。

 そういう時代だったということもブログに書いている。」

「そうだったわね。でも、どうだろう。むかしは、教員社会もだけれど、どこでも、こういうことは行われていたのではないの。コネなんて言うじゃない。」

「コネって言ったって、ふつうは、口利きにとどまるだろう。今回のように、贈収賄までからむ事件は、むかしだってそうはなかったのではないかな。・・・。まあ、分からないけれどね。」



 かつて、娘2人に、『教員になったら。』『教職はいいよ。』と言ったことはない・・・、と言ったら、うそになる。

 『子どもを育む仕事は魅力的だし、他の仕事では味わうことのできない生きがいがある。(他の仕事の人、ごめんなさい。)』ということは、態度で示してきたつもりだし(リンク記事の末尾に、態度で示したことに関連する内容を掲載しています。)、口にもしてきた。

 結果的に娘には、それがかえって、教職の『むずかしさ』、『こわさ』とうつったようだ。


 あと、現実論だが、
「今は、コネなんていう時代ではないぞ。現に、校長の子どもがどんどん採用試験に落ちている。」
とも言った。ちょうど、就職氷河期と言われたころだった。



 そう。わたしの認識は、そんなふうだったのだ。だから、今回の事件は、ほんとうに驚いた。



 こんなことの解決は、簡単なことだ。我が地域でやっていることを紹介しよう。

〇面接官には、保護者の立場からみてもらうなど、民間からも入ってもらう。
〇試験問題に名前は書かせない。受験番号だけ。
〇ペーパーテストの採点も、民間にゆだねる。
〇権限を特定の人物に限定させない。第一次試験は誰、二次は誰というように分散させる。
〇結果は本人の申告があった場合、開示する。(もっとも我が地域の場合、点数だけだが。・・・。なお、次年度も受けるつもりの受験者には、『こういう点に努力したらいい。』などと、助言も行っている。)

 これで、少なくとも、『構造的』といわれる部分は、排除できるだろう。



 再度繰り返す。

 そういう時代に起きた、今回の事件だ。だから、ほんとうに驚いた。


 
 この不祥事。

 これは、教育現場にはかり知れない動揺をもたらすだろう。それを考えると、実にやるせない思いになる。

 ほんとうに子どもが一番かわいそうだ。

 信頼関係の構築が何よりも大事と、本ブログにおいても繰り返し述べているが、それが根底からくずれるかもしれない事態になってしまった。



 マスコミ報道がまたすごい。ニュースのトップを占める。それも当たり前か。

 ただ、わたしは、マスコミ報道に対し、一言、言いたいことがある。

 それは、『みのもんたの朝ズバッ!』なる番組。

 日ごろ、『この番組はすばらしい。すごい。』と思っている。年金や後期高齢者問題、国の無駄づかいなどの指摘には、感じ入ってしまった。

 この番組の、国の政治に与える影響は、かなり大きそうだ。

 そのあたり、大変たよりになる番組と思っているが、この、教員採用汚職事件をめぐっての指摘には、『ちょっと違うのではないですか。』と思う点が、2つあった。



 その1

 このような不祥事が起きると、すぐ、『国は何をやっているのですか。』『国は地方のこうした不祥事に、何も指導、監督できないのですか。』『教員採用をどうして地方に任せておくのですか。』などという声が起きる。

 この番組もそうだった。

 どうして話が国にいってしまうのだろう。国がそんなにすばらしく、地方はだめということなのか。

 そんなことは思っていないはずだ。だって、これまで、先述のように、国の政治のまずさをさんざん指摘してきたのだもの。不祥事だって、むしろ国のほうが多いくらいではないか。


 これは危険な発想だ。教育こそ、地方分権でなければならない。

 かつて記事にしたことがあるので、くわしくはそれをご参照願いたい。

   教育再生会議の提言に思う。(4) 教育の地方分権を



 その2

 同番組では、

「教育委員会は、地方の行政からも独立していると言っていいのですよ。ですから、知事の権限が及ばない面がすごくあります。そのため、治外法権的な存在(ごめんなさい。番組では、こういう言い方はしていなかったのですが、意味的には合っていると思います。)なのですね。」

と指摘し、さも、知事の権限が及ばないのが問題という言い方をしていた。


 しかし、これも、『教育は政治から切り離されることが大切だ。』という考え方のもとに、こうなったのであり、現行でいいのだ。教育がそのときどきの政治の影響を受けていたら、安定性がくずれるものね。

 しかし、今、どこかの知事が、財政再建の旗印の下、土足で教育に踏み込んでくる状況があるなかでは、これも、しっかりしないと、砂上の楼閣になりかねない。



 そう。だから、以上の2点については、現状でいいのだ。

 では、何が問題か。


 すでに、リンクした記事に書いたように、教育委員公選制を復活させればよい。民主主義の根幹ではないか。

 教育委員公選制を復活させれば、教育行政も、国や地方の政治から独立したまま、地方住民に対し直接責任を負って行われることとなる。

 直接選挙という、『はしご』をはずしてしまって、それで、国からも、地方行政からも独立させたままだから、おかしなことになってしまう。


 かつて、教育再生会議は、『教育委員会の閉鎖性、形式主義、責任感のなさ、危機管理能力の不足、委員の高齢化、名誉職化といった弊害』と言った。今回の事件もまさしくこれに当てはまる。

 それなら、何をなすべきか。断じて、国の権限強化ではない。


にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 けさの報道がおもしろかったです。

 ニュースキャスターの丸岡いずみさんです。ざっくばらんに話していました。

『わたし、教育実習もやりましたし、塾の先生もやったことがあるのです。それで、教職という仕事に魅力を感じないわけではなかったのですけれど、どうしてもぬぐいきれない疑問があって、教職にはつきませんでした。

 それは何かと言うと、どうして、採用試験に受かると、4月からいきなり、『はい。先生ですよ。』って、一人前扱いされてしまうの。『教えるってそんなに簡単なことなの。』そういうシステムっておかしいんじゃないの。

 塾って、そうじゃなかったですよ。板書のしかたから、発問の仕方など、など。それは時間をかけてきびしく指導されました。

 そんな疑問を感じていたところへ、今度の、不祥事でしょう。もう、頭にきちゃって。』

 おもしろくって、思わず、うなずいてしまいました。

 でも、『だからこそ、今のわたしの仕事があるのだよ。』とも言いたかったですけれどね。

 また、システムの問題は分かるけれど、それが先生にならなかった理由というのは、少し変ではないかな。


 最後に、

 こんな不祥事があると、全国で採用された初任者のなかで、親族に教員がいる方は、痛くもない腹をさぐられることもあるでしょう。

 ほんとうに気の毒。そういう方に、励ましのエールを贈りたいと思います。

『雑音にめげず、子どものため、がんばってくださいね。』 

rve83253 at 15:11│Comments(6)TrackBack(0)教育風土 | 教育制度・政策

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年07月12日 20:12
toshi先生こんにちは。
テレビの報道を見ると、教師を親に持つ先生はみんな裏から入っていると 短絡的に考えて色眼鏡で見てしまう社会…困ったものです。内容は違いますが、アスペルガー症候群の人の犯罪にしても、現実に犯罪率は少ないにも関わらず、テレビの影響で、アスペ=犯罪を結びつけて考える人が多いのです。
toshi先生のおっしゃるとおり、人と人がもっと信頼しあって生きれる社会に近づけたらいいなと思っています。
2. Posted by なおみ   2008年07月12日 20:28
私は学校と家庭が信頼関係が結びにくいのは、お互いが、パラダイムや価値判断の基準にずれがあることに気づいていないからだと思うのです。親って、先生としての資質や成果よりも、先生の口調とか自分の子への評価とか、自分の意見に耳を傾けてくれたかとか…感情に訴える部分で先生をランクづけすることが多いです。一生懸命やってるか、仕事をたくさんこなしているか、という部分は見えないし、関心がありません。でも教師の多くは、仕事としての教師の部分に気持ちがいっていて、そんな所で自分が判断されているとは考えてないのではないでしょうか?これではいつまでも平行線で、不祥事があると冷たい視線を向ける人が増えます。困りますね。
3. Posted by GAKU   2008年07月13日 09:12
私の親戚には教育関係者がいます。管理職の方もいます。

仮に地元で教師になった時疑いの目で私は見られるのかもしれません。どんなに教育に、子どもたちに情熱を持って行動しようが自分の身辺を保護者など知られたら疑われ、職務に支障が出ることも考えられます。

このニュースにより身内に教育関係者がいると言う理由で今後の試験に不利に働くのではないかと懸念してます。

個人的にはそう思ってしまいます。
4. Posted by toshi   2008年07月13日 11:52
なおみさん
 色眼鏡、画一的な見方、思い込み・・・、現代は、こういう危険性がいっぱいありますね。
 わたしは思うのです。
 マスコミ等、豊かで、迅速な情報を我々に与えてくれます。それはいいことに決まっています。しかし、副産物もありますね。『色眼鏡、画一的な見方』も醸成してしまいました。
 その辺は、このネットが是正する役割を担うということになろうかと思います。ネットって、誰でも見られるという意味ではマスですが、基本的な役割としてはミニですものね。
 そういう認識で、がんばっていきたいと思っています。
 
5. Posted by toshi   2008年07月13日 12:31
《親って、先生としての資質や成果よりも、先生の口調とか自分の子への評価とか、自分の意見に耳を傾けてくれたかとか…感情に訴える部分で先生をランクづけすることが多いです。》
 おっしゃること、すごくよく分かります。やはり、そのズレを何とかしないといけないですね。それで、ズレを何とかしないとと思った場合、やはり、まずは、教員の方から手を差し伸べないと仕方ないですね。
 子ども、保護者の目を意識し、大事にして、仕事をするべきだと思うのです。それは、何も迎合するというのではなく、気配りをするということですね。
 そして、その気配りの大部分は、人間性豊かな心を育む教育と重なると思います。
6. Posted by toshi   2008年07月13日 12:41
GAKUさん
 まあ、採用試験で不利にはたらくことはないと思いますが、子ども、市民の目は、きびしくなることがあるだろうと思います。
 ほんとうに、この不祥事は、いろいろなところに影響しますね。
 管理職の地位まで、汚染されていたわけですから、こちらの悪影響も心配されます。
 でも、不正が正されるわけですから、長い目で見れば、いい方向に行くだろうとは思います。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字