2008年07月19日

校長先生の授業(2) TOSSとくらべて4

9f3fcafe.jpg タイトルはいきがかり上、『校長先生』としたが、正確にはA元校長先生である。

 A元校長先生は、先輩だ。退職後、いくつかの大学に勤め、後進の育成にあたるとともに、現在我が地域において、いくつもの学校の研究会の講師を務められる。

 このA先生が、一昨日、B小学校において、6年生の社会科の授業を行った。



 さて、

 本記事では、A先生の授業を、TOSSの授業と対比させて考察するのであるが、その理由をまず述べさせていただきたい。

 この先輩の授業は、B小学校において、とび込みで行われた。だから、A先生とB小学校の子どもたちとは、ほとんど面識がない。

 そのためだろう。A先生の一昨日の授業は、TOSSの授業と、表面的にはよく似ているという印象をもった。

 そういう意味で、比較検討がしやすいと思ったからである。



 ところで、読者の皆さんのなかには、『TOSSってなあに。』とおっしゃる方も、いらっしゃるに違いない。

 そこで、リンクはできないが、『TOSSランド』なるホームページがあることは、ご紹介させていただこう。

 多くの教員が参加、全国展開する、大研究組織である。

 どのような研究かは、本記事を通し、A先生の授業と対比させながら論述するので、そのなかで明らかになっていくであろう。




 それでは、A先生の授業を振り返ってみる。




 A先生は、ゆっくりゆっくり、温かな目で子どもたちを見つめながら、教室へ入られた。
 子どもたちも、軽い好奇心と期待感を交えた表情だ。笑顔を見せる子、緊張感を示す子、さまざまだ。



 冒頭、簡単な自己紹介のあと、

「今日は久しぶりの授業なのでね。皆さんと会えるのをとても楽しみにしてきました。」


 

 いよいよ社会科の授業に入る。


 「最初に皆さんに質問します。信長、秀吉、家康と、3人の武将がいますね。そのなかで、皆さんは、誰が一番好きですか。黒板へ出てきて、好きだと思う武将のところへ、(自分の名前が書かれた)マグネットを置いてください。」

 子どもたち、一斉に立ち上がって、黒板に向かった。こういう活動には、なれている子どもたちだ。

 信長 14人   
 秀吉  7人   
 家康 13人

 「ああ。こうなりましたか。家康が多いなと思いました。意外でしたね。はい。分かりました。

 それではね。今度は、『皆さんがこの3人の武将の家来になるなら、誰の家来になりたいかを聞きたいと思います。『好き』と、『家来になる』とは、一緒かな。変わるかな。

 もし変えたいなら、マグネットを動かしてしまうと、『好き』が分からなくなってしまうので、チョークを使って矢印の線を引いてください。」

 そうすると、線を引きに前へ出た子は、15人。内訳は、

 信長から秀吉へ  6人
 秀吉から家康へ  3人
 信長から家康へ  5人
 家康から信長へ  1人

 つまり、

 信長  4人   
 秀吉 10人   
 家康 20人

となったわけだ。

 
 「ふふ。おもしろいね。ずいぶん変わったね。・・・。では、線を引いた子に、聞きたい。その理由を教えてください。」

「信長は、古いものにとらわれないから、鉄砲をうまく使ったり、楽市楽座をやったりしたでしょう。新しいものをどんどんとり入れたから、ひかれました。」
「信長は、好きだけれど、家来にはきびしいから、家来にはなりたくありません。」
「家康は、秀吉に、『宝物は何だ。』と聞かれたとき、『家来が宝』と答えたから、家来を大事にしてくれそうだと思いました。」
「信長にはこわいイメージがあるから、家来になるときついだろうと思いました。」
「信長はかっこいいから好きなんですけれど、でも、性格はきびしいから、家来になるのはいやだと思いました。」
「みんなと同じなんですけれど、信長は頭がよくて、戦いに強いでしょう。だから、好きなんですけれど、家来には攻撃的でこわいから、家来を大事にする家康にしました。」


 ここで、A先生は、

「みんなの思っていることはよく分かった。家康の家臣になりたいという人が圧倒的に多いのだね。そして、その理由もよく分かった。
 それではね。その家康が、ほんとうに、やりたかったのは何だったのか。それを今日はみんなに考えてもらおうと思う。

 まず、担任のC先生にお願いをして、みんなに書いてもらったものがあるね。『秀吉に、江戸に入れって言われたとき、家康や家臣はどう思ったか。』それを書いてもらったよね。

 それを読ませてもらいました。みんなよく考えている。いやあ、実におもしろかった。〜。」





 さあ。ここまで授業の様子を書かせてもらったところで、これまでの授業の流れについて考察をしたい。




 ここまでは、A先生の授業も、TOSSも、おそらく大体似た流れになるのではないか。

〇指導者から、一方的に発問がなされる。

〇指導者の発問の意図は、授業のねらいに迫るということはもちろんだが、それ以外に、『どのような発問をしたら、子どもが意欲的に学ぼうとするか。』なども考えているはずだ。

 その点でも、両者は共通するものをもっていると言っていいだろう。



 しかし、似てはいても、その心はまったく異なる。



 A先生の場合は、

〇もし学級担任だったならば、指導者が一方的に発問するということは、あまりない。学習問題は、子どもがうみ出すものと考えているからだ。

 仮に、指導者が提示するとしても、『子どもの関心事は何か。』『今、知りたがっていることは何か。』ということをしっかり吟味する。

 少なくとも、子どもの思いを無視して、指導者から、一方的に与えることはない。

〇これも、もし学級担任だったらということだが、本時の学習問題は、前時すでにうみ出されていて、子どもたちは、その問題への思いをもって授業に臨むことになる。

 しかし、一昨日の場合は、とび込みの授業だ。もちろん自分の学級ではない。子どもたちとは初対面といってもいいような状態。だから、そのようなことは不可能だ。そこで、一方的な発問になってしまうのは、やむをえないだろう。



 それに対して、TOSSの場合は、

 とび込みに限らず、学級担任の授業であっても、本授業と同じように流れる。学習問題は、常に、指導者側から与えられる。それもめまぐるしく与えられる。

 指導者は、先述のように、『どのような発問をしたら子どもが意欲的に学ぼうとするか。』は考慮するだろうが、子どもがどういう問題意識を持っているかは軽視される。 




 
 それでは、授業の流れに戻ろう。

 教室には、授業の最初から、家康の江戸入城時の江戸の古地図が掲示してあった。

 A先生は、先述の言葉に続けて話す。

「〜。ここでは、(江戸入城時の家康や家来の思いについて)3人の子の書いたものを皆さんに紹介します。」



 そして、紹介したのが・・・、


 一つ目のDさん。

 『駿府と交換だって。オレをだましたな。江戸は、海と山ばかりで、あと何にもないじゃないか。こんなさびしいところへ行けなんて。よし。秀吉をやっつけてやる。』


 二つ目のEさん。

 『駿府とくらべると、江戸はぜんぜん栄えていない。でも、いいや。土地がいっぱいあるから。秀吉さん、ありがとう。栄えるようになってみせます。』


 三つ目のFさん。

 『ここ江戸には、海がある。だから、京都へ行くにも便利だし、貿易をするのも簡単。とてもいいところだ。秀吉さんは、そういうことが分かっていないのかな。ラッキー。』

 

 そして、その3つの思いを受けて、みんなに投げかける。

「他の子は、自分の書いたのをもう一度読み返して、自分のはどれに一番近いか、一番近いと思うものに、マグネットを置いてください。」


 その結果は、

 やっつけてやる。  11人
 栄えさせてみせる。 17人
 ラッキー。      6人

となった。

 
 A先生が思わず笑ってしまったものがある。

「このGさんの、おもしろいね。怒りのイラストが、いっぱいついている。」

 子どもたちも楽しそうに笑う。教室はリラックスムードに包まれた。


「ようし。それではまず、『やっつけてやる。』という意見を中心に考えてみよう。ほんとうにそうなったかな。証拠はあるかな。・・・。見つかった人は、わたしに教えに来て。」


 A先生は、ややお体が不自由だ。それでも、これまでは立って授業を進められたが、ここでは、いすに座られた。そして、A先生の前に、資料集や教科書を手にした子どもたちが、一列に並んだ。

 A先生は、子どもたち一人ひとりの話を聞きながら、
『あっ。そうか。分かった。それが証拠ね。』
『うん。うん。なるほど。』
『ああ。おもしろいね。』
などと、返事をしたり相づちをうたれたりした。

 ときには、『あっ。君の意見、あとで発表してね。』とおっしゃることもあった。




 それでは、またまた、すみません。授業の流れをストップさせ、考察に移ります。




 ここへきて、A先生の授業と、TOSSは、明らかな違いを見せるようになる。

 TOSSは、この段階でも、指導者主導。

 指導者が、自分の決めた発問を繰り返す。子どもはそれに答えるだけ。受身だ。

 子どもがどんなに楽しそうに授業に参加していたとしても、それは、そのはんちゅうでの話。そして、しょっちゅう、前後の脈絡なく子どもに発問するから、子どもは追いまくられる感じになることもある。



 それにくらべると、A先生の授業は、明らかに、子どもの思い、こだわり、考えを重視し、それと関連づけて発問をしている。ここでは、『やっつけてやる。』がそれにあたる。

 とび込みだから、子どもの気心も、思考スタイルも、子ども同士の人間関係も分からない。だから、完全に子ども主体とはいかないが、できるだけそのセンに近づけようとする姿勢がうかがわれる。

 子どもも、自分たちの思い、こだわり、考えを、A先生がすごく大事にしてくれることが分かるから、表情がとてもよくなる。一列に並びながらも、『A先生に早く話したい。』そういう気持ちがわたしにも伝わってくる。

 
 
 際立つ違いは、A先生の、どの子の思い、考えも大切にする姿勢は、子どもの多面的な見方を保障しているということである。

 先述の、D、E、Fさんの考えを振り返ってみよう。


 おもしろいなあと思う。よく考えて、家康や家臣の思いを想像している。そして、Dさんと、E、Fさんとは、まったく逆な考えになるのではないか。

 それでも、すべて肯定的に受け止めている。第一考えてみれば、どれもみな、正解だよね。


 しかし、TOSSの場合は、指導者が思う考えだけが正解とされる。それと外れた考えは、たとえ参観者が、『それも正解ではないか。』と思ったとしても、無視される。





 さあ、三度、授業の流れに戻る。

 これは比較的簡単だ。数人の発言で終わる。秀吉の死後ではあるが、

   関が原の戦い   1600年
   豊臣氏滅亡    1615年

 A先生が、子どもの発言を受けて、そのように板書。



 そして、続けて、A先生は、本時、一番声を張り上げておっしゃった。

「さあ。いよいよ、みんなにほんとうに考えてもらいたい問題だ。それは、

『家康とその子孫は、ほんとうに江戸を栄えさせることができたか。』
『江戸に移ったことは、ほんとうにラッキーだったか。』

ということだね。・・・。これは、むずかしいよ。

 そこでね。今から、1689年。もう家康は死んだあとだけれど、江戸の町はどうなったか。一枚の古地図を出しますから、見てください。」


 本時の中心資料を提示した。

 この地図、B小学校の教員により、武家屋敷、町人の居住地区、寺社の地域というように色分けしてあった。


 子どもたちが、江戸入城時も含め、二枚の古地図を見て、次々に発言する。

「古地図をみると、町はごちゃごちゃしていて、迷子になりそう。」
「資料集の絵なのだけれど、家がいっぱい建っていて、人で町はにぎわっている。」
「家康が江戸へ入ったころは、山ばかりで家なんかほとんどないけれど、1689年は武家屋敷がいっぱい集まっていてすごい。」
「武士を集めたのだよ。」(この子は、参勤交代を意識しているのだろう。)
「人がたくさんいて、風景がまったく変わった。」
「海とかはちゃんと残している。だから、貿易はしやすいし、京都へ船で行くにも便利だ。」

 ここで、A先生、すかさず、
「Fさんたちの、『ラッキー』は、1689年の地図からも言えるということだね。」
と念押し。

「でも、埋め立ててもいるよ。江戸城から海までの距離が、こっちとこっちではぜんぜん違う。」
と、Hさん。

 すごい。どちらも、絵図のようなものなのに、よく気づいたものだ。

「武士の家が多い。家康は、すごい力を持っていることが分かる。」


 これらの発言を受けて、A先生は資料の補足をした。


 江戸の町は、100万都市。世界で一番人口の多い町。ここを訪れた外国人が、『江戸の町は、ちりひとつ落ちていない美しい都市だ。だから、ここにいつまでもいたい。くにに帰りたくない。』と言っている。



 最後、A先生が、言う。

「もう、家康はなくなっている。でも、もし家康が生き返って、この江戸の町を見たら、どう思ったか。それをノートに書いてください。そのノートは担任の先生に見てもらってくださいね。(これが次時の学習問題になるということ。)」


 そうして授業は終わった。

 子どもたちから、お礼の言葉があった。多くの子に、上気したような感じがあり、とてもなごやかな雰囲気だった。満足感が伝わってきた。そして、ゆっくりゆっくり歩くA先生を見送った。




 ここで、最後の考察を加えさせてほしい。



 A先生は、とび込みの授業といったような、子どもの実態をあまり知らないまま授業に臨むことは、かつてはなかったに違いない。

 でも、もう、退職されて6年。

 もちろん自分の学級などあるわけはない。ここは、B小学校の教員方にこわれて、『それなら、〜。』と受けたに違いない。

 そうした制約の中でも、子どもの思いを大切にし、子どもの思いを軸に授業を進められる。その偉大さに、あらためて、敬服の思いを濃くした。




 一方、TOSSのこと。

 今、本屋さんの教育書コーナーへ行けば、この種の本はたくさんおいてある。

 インターネットでも、TOSSランドと称して、実に多彩なホームページが作られている。授業の記録もたくさんある。



 TOSSも、子どもの思いを大事にと言っている。

 しかし、『こういう発問をすれば、この単元は大丈夫。』といったように、安直な姿勢が目につくことも確かだ。

 本授業にあるような、子どものナマの言葉、『やっつけてやる。』『栄えるようになってみせます。』『ラッキー』などという言葉が、学習の中核に位置づけられるなどということは、まずないと思われる。

 教師主導。子どもはやっぱり、お客さんなのだ。



 もうだいぶ前からだが、若い先生方のあいだに、このTOSSがもてはやされる風潮があると言う。確かに、子ども一人ひとりの思い、こだわりを軽視しての発問などは、楽でいいかもしれない。

 しかし、若いからこそ、血みどろになって、自分のクラスの?さん、Jさんの思いに心を致し、ほんとうに子どもが生きる、子ども主体の指導法の追求に向け、がんばってほしい。

 衷心よりそう思う。


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 もとより、A先生の授業は、B小学校の教員方の研究、研修のために行われたのであり、TOSSを意識して行われたわけではありません。

 しかし、冒頭に述べたように、わたしが、『TOSSの授業と似ているな。』と思ってしまったものですから、TOSSの問題点をクローズアップするにはとてもいい。ありがたい。そう思った・・・といったところです。

 その点、意に沿わない記事になってしまったことについては、A先生とB小学校の皆さんにお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

rve83253 at 02:24│Comments(88)TrackBack(1)教育観 | 社会科指導

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1. 子ども、「校長先生の授業」、TOSS - 2  [ PSJ渋谷研究所X ]   2008年07月19日 10:17
拝読して考えたアレコレなど、なんだか的外れなような気もしつつ。

この記事へのコメント

1. Posted by 亀@渋研X   2008年07月19日 10:31
こんにちは、ごぶさたしています。
「校長先生の授業」、さすがプロのわざといった趣きがありますね。
記事を拝読して、最近の我が家のことに引きつけつつ、いろいろなことを考えてしまいました。長くなってしまったので2つの記事にして、直接関係のある方だけトラックバックを送らせていただきました。
関係のあるところは、ほとんど「校長先生の授業」に感心したといった話で、プロから見れば「そんな当たり前のことに感心されても」といったようなことかもしれないのですが、そのときは笑って素通りしてやってください(^^;;
2. Posted by なおみ   2008年07月19日 13:17
先日のコメントのお返事ありがとうございますリンクをたどって、いろいろ読ませていただき、二極化のお話、脳の退化の話、どちらも深くうなずきました。

今回の記事のTOSSについてのお話ですが、これもとても考えることがあって、私のもうひとつのブログ(幼児教育)の記事にリンクさせていただきました。報告が後になってすいません。
上のURLとリンクしています。
ただ私はTOSSについてくわしく知らないため、間違った記述をしているかもしれません。もし、誤りがありましたら、ご指摘ください。
これからもよろしくお願いします。
3. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:06
TOSSということでつい条件反射してしまいました。
算数教育に関わっておりますが、まわりの熱心な先生達が、TOSSの雑誌などで攻撃されて、いろいろと問題も起きております。
自分でブログをもっておりませんので、TOSSウォッチングというところでも書かせていただいておりますが、そこでは内容論中心です。
先生のご指摘を受けて、教育論として少々書かせてください。
私は、TOSSの授業の問題は、そのまま社会一般での授業観、教育観、子ども観の問題でもあると思っております。
4. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:15
社会一般でも、子どもは大人の不完全な形であり、大人が知識を持っていて、子どもは持っていないので与えてやろう、そのような子ども観、教育観が根強いと思っています。そしてTOSSは、その典型なんだろう考えています。
そのため、教師からの発問・指示が中心です。TOSSランドの総合的な学習の事例も多くが座学であり、講義です。たまに活動があっても教師の指示で動くようになっています。
ただ、すぐに効果を出すとするとTOSSのやり方も効果的に見えるでしょう。内容や手順を覚えれば、覚えている内は、成果を出せます。
5. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:19
連投ですみません。
理科の学力調査で、同じ問題を小学生と中学生に出したところ、小学生の方がよい結果が出ました。左巻先生も指摘されていましたが、決して小学生の学力が高いわけではなく、小学生は習ったばかりだから覚えていただけの話です。つまり、ほとんどが覚えるだけの学習をしていたので、中学では残っていなかったのです。
おそらく、TOSSの授業では、このような結果になるでしょう。そして、社会一般でも目の前の学力に一喜一憂しています。
6. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:24
またまたすみません。
30年ほど前のアメリカの研究者の調査では、1週間後に残っている割合は、聞いたこと10%、見たこと15%…話し合ったとき40%、教えたとき90%という結果が出たそうです(吉田新一郎「効果10倍の教える技術」p27〜)。
吉田さんの指摘では、教師が教えれば教えるほど、子どもに残らない、子どもが話せば話すほど残る、ということだそうです。私もそう思います。
まさに、A先生の授業は、子どもが参加できて、後に残る授業だと思います(私が評するのは恐縮ですが)。
7. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:30
まだすみません。
私は、ブログは学びの場として非常に価値のあるものだと考えております(自分ではできませんが)。
佐藤学さんが言われている学びの共同体が、ブログにはあるのだろうと思います。
それでは、書かれていることを読むだけより、こうして自分で発言する、そして意見を交流する、そういう方が、より学ぶことができます。大人も学ぶときには、一方的に情報が伝えられるより、そういう方が、より学ぶことができます。
TOSSでも、本を読むだけでなく模擬授業をすることが強く勧められています。
8. Posted by ドラゴン   2008年07月19日 18:38
大人が学ぶ学び方があるのになぜか子どもには教えこむ、企業の面接などでも知識量より思考力・判断力・意欲が重視されるのに子どもには知識を重視してしまう、TOSSや社会一般の教育観は、そのようになっているんだろうと思っております。
少しでも、そういうところを変えていきたいと日頃から思っておりますので、少々長くなりましたが、書かせていただきました。
ご意見いただければ嬉しく思います。
9. Posted by なおみ   2008年07月19日 19:03
すいません。URLをきちんと記事にリンクしていませんでした。書き直しました。
10. Posted by toshi   2008年07月20日 05:35
亀@渋研Xさん
 お久しぶりです。今日の記事を入稿したとき、なんとなく、『ああ。今日は、亀@渋研Xさんからコメントをいただけるのではないかな。』と思ったのです。そうしたら、すぐ入れてくださったので、ほんとうにうれしくなりました。
 プロのわざとおっしゃっていただいて、ほんとうにありがとうございます。わたしの修行時代を通し、わたしの師ともいうべき方でした。多くのことを学ばせていただいたのです。
 TBもいただいたので、くわしくは、貴ブログのコメント欄に入れさせていただきたく存じます。よろしくお願いします。
 
11. Posted by toshi   2008年07月20日 05:46
なおみさん
 貴ブログの記事にまで引用していただき、ありがとうございました。
 TOSSについての考察は、わたしもそれに所属しているわけではないので、断定はできないのですが、誤りということはないと思いますよ。
 貴ブログに書かれている
《これほど幼児教育が流行していても、いまだに幼児教育産業の方法に従った結果、世の中で成功した…という人物はあらわれないのだそうです。》
は、『なるほど。奥の深い言葉だ。』と思いました。真に子どもを育む道を模索していきたいものですね。
 これ以上は、貴ブログのコメント欄に書かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
12. Posted by toshi   2008年07月20日 06:00
ドラゴンさん
 こんなにも長文のコメントをいただき、ありがとうございました。
《私は、TOSSの授業の問題は、そのまま社会一般での授業観、教育観、子ども観の問題でもあると思っております。》
 そうでしょうね。本コメント欄2番のなおみさんも、その方のブログ『虹色教室通信』で、『この問題は、幼児教育の問題でもある。』とおっしゃっています。
《子どもは大人の不完全な形であり、大人が知識を持っていて、子どもは持っていないので与えてやろう、そのような子ども観、教育観が根強いと思っています。そしてTOSSは、その典型なんだろう考えています。》
 なるほど。まさに、教育観、子ども観の問題なのですね。総合的な学習の時間については、よく知りませんでした。ちょっとTOSSの実践をのぞいてみようかなと思いました。ありがとうございます。

 
13. Posted by toshi   2008年07月20日 06:08
《社会一般でも目の前の学力に一喜一憂しています。》
 そうですね。今は、そういう風潮には強いものがありますね。その風潮に、TOSSがぴったり合うのではないかというご指摘ですね。
 これについては、『そうだ。』と断定するものを持ち合わせておりませんので、今後の検討課題とさせていただこうと思いました。
《A先生の授業は、子どもが参加できて、後に残る授業だと思います。》
 ありがとうございます。A先生も喜んでくださると思いました。
 ただ、TOSSも、子どもはけっこう話しているようです。ですから、この点も今後の研究課題とさせていただこうと思いました。
 現段階で、わたしとして言えることは、子ども主体の学習か、子どもを受身においやる学習かということなのです。
14. Posted by toshi   2008年07月20日 06:17
《佐藤学さんが言われている学びの共同体が、ブログにはあるのだろうと思います。》
 そうですね。このコメントは、誰からも強制されることなし。まさに、主体的に打ち込んでくださっているわけです。その主体性を育むことが、子どもの学習にも大切ということ。まったく同感です。
 わたしも、TOSSは、『学び方』を大事にしていないとは言いませんが、それすらも、学習内容として押さえる域を出ず、まさに、活動としての学び方育成はないがしろにされている(教師主導ということ。)のだと思いました。
 たとえば、『討論する。』という活動があったと思いますが、これもわたしが見た限りでは、本記事の、『やっつけてやる。』『ラッキー』などというように、ほんとうに子どもが自分自身の言葉で語っているようには思えませんでした。
15. Posted by なおみ   2008年07月20日 22:06
何度もすいません。ある本を読んでショックで呆然となり、そのあとがきにTOSSとの共通点について、褒めたたえる文が書いてあったため、どうしてもコメントせずにはいられませんでした。読んだ本と言うのは、愛媛県にある幼稚園を小学校教師が視察して、その授業内容(幼児教育に熱心な幼稚園です)を本にしたものです。
16. Posted by なおみ   2008年07月20日 22:09
大量のフラッシュカード(漢字などのカードを、瞬間的に大量に見せることです)それも2歳児に、12分間に281枚も!!
見せたり、楽器練習、地図パズルの競争、英語、計算などを小学生向けのTOSSと同じ授業方式でリズムとテンポを大事にして、トイレ休憩すらろくにない環境で続けているのです。自由遊びもありません。
これは幼児教育ではなく、虐待でしかありません。
発達心理学者たちが、研究して幼児に必要としていることを全て排除して、大人のロボットにしたてていいるのです。
17. Posted by なおみ   2008年07月20日 22:17
向山洋一先生のお話を聞いて、この幼稚園に興味を持ったと話す著者の小学校教師たちは、はきはきした良い子が育っている。すばらしい幼稚園と、褒め称えています。これからも学ばせてもらいたい…と言葉を結んでいるのです。
小学生ならまだしも、自由遊びは幼児の権利であって、創造性と自律の心を育てます。以前アメリカでもこうした教育が流行した時があり、その子たちは学習につまずきだしただけでなく、攻撃的な性質がめだって社会問題となっていたはずなのです。それを、小学校の先生までが、何も考えずTOSSと似ているといって褒めるとはどいうことなのでしょうか?
ショックで言葉もありません。
18. Posted by toshi   2008年07月21日 01:54
なおみさん
 我が地域に限らずだと思いますが、幼稚園、保育園、小学校の教員が集まり、授業参観、保育参観したり、研究協議をしたりすることがあります。
 一度、なおみさんがおっしゃるような幼稚園の授業を参観したことがありました。
 幼稚園の経営方針はほんとうにさまざまで、驚かされることもあるのですが、このときも皆さん、同じ思いをもちました。
 我が地域では、批判の声しかありませんでした。
 その幼稚園の先生も、これでいいのかと悩んでいらっしゃいましたね。どんなに悩んでも、それが園の方針だと、どうしようもないようでした。
 TOSSの授業も見たことがあるのですが、わたしは、共通点があるなどとまでは思っていなかったので、なおみさんからいただいたコメントは、おおいに参考になりました。ありがとうございました。 今後とも、その問題点を指摘していきたいと思います。
19. Posted by なおみ   2008年07月21日 20:17
何度も何度もすいません。TOSSについて気になって、図書館で10冊ほど関連本を借りてきました。いろいろ読み比べて見たのですが、読めば読むほど疑問と不安でいっぱいになりました。向山洋一先生はわが子が幼いころ学習ゲームを作るのに参考にさせてもらったりして、好印象を持っていた方でした。が、向山先生の「こんな先生に教えられたらダメになる!」という本を読むと、自分の方法以外で教育している先生をあまりにも乱暴な言葉でこき下ろすやり方にびっくりしてしまいました。
20. Posted by なおみ   2008年07月21日 20:23
他のTOSSの本でも若い先生がプロ教師(向山)以外は全てクズといった見方書き方をしていて、これでは先輩の教師から指導を受けるという姿勢が持てるのか疑問に感じました。
成果ばかり追っていて、人と人とのコミュニケーションや、さまざまな個性との出会いや理解、それぞれを尊重する姿勢を子どものなかにはぐくめるのか…道徳までもマニュアル化したいのか…
今、教育について考えている幼児のお母さん達と深く考えていかなければならない問題と感じています。
上のURLは、少しだけその話題を取り上げた記事にリンクしています。
21. Posted by toshi   2008年07月22日 06:32
なおみさん
 わたしは、TOSSの授業を数回見ているのですが、問題を感じた場合、それはTOSSの問題なのか、それとも、授業者の問題なのか、それは、区別して指摘しなければいけないと思っていました。
 でも、どうも、TOSSの側にはそういう姿勢はとぼしいようですね。
 わたしはあまりTOSSの本は読んでいませんので、なおみさんご指摘の件は、知りませんでした。コメント、ありがとうございました。
 なお、なおみさんはじめ、TBやコメントをいただきました。それらを引用させていただきながら、新たな記事を作成しました。よろしくお願いします。
22. Posted by tomo   2008年07月31日 08:55
2
tossを知らずに、よくいろいろといえるなーと。
子ども達がいきいき学習できる、もっともよい方法を知っている。
それを、新任教師でもできる。
学級崩壊させたり、授業が授業でないようなものをするよりよっぽどましだとおもうけど。
23. Posted by なおみ   2008年07月31日 09:13
tomoさんへ
tossの長所は、新任教師であっても、学級崩壊や無意味な授業でないものにできる、授業マニュアルとして洗練された良さを確かに持っていると思います。しかし、「子ども達がいきいき学習できる、もっともよい方法を知っている」という表現や認識は危険なように思えます。長期にわたる経験ではない ある意味、何かを信じることや短期間の数値上の結果から結論づけるもので「もっともよい」という言葉は使えないからです。
tossの良さを高めるならば、さまざまな意見交換のなかで、長所と短所を確認し、より広い視野のもとで修正していく必要があるはずですよね。
新任教師向けの応急処置案としての教育にしてはレベルが高くもったいない気がします。
24. Posted by KG   2008年08月02日 09:27
22:tomoさん

私はこのブログではじめてTOSSというものを知りました。
しかしtomoさんのTOSS批判に対する子供じみた反論(にもなってないけど)を読む限り、TOSSの方法論以前にTOSSに「はまる人」の議論レベルは大したことないんだなぁというのが実感です。

TOSS批判のどこに誤りがあり(tomoさんから見て)、TOSSとはどういうものなのかを具体的に説明することもなく、「tossを知らずに、よくいろいろといえるなーと。」というのは子供と一緒ですね。
問題解決型学習は、そのような大人を生み出さないためにあります。
25. Posted by なおみ   2008年08月02日 13:21
ドラゴンさんへ
TOSSウォッチングの記事を読ませていただきました。TOSSの授業のテンポや展開が、マインドコントロールをして集団を惹き付ける健康食品の販売法のリズムに似ていると感じていましたが、TOSSウォッチングを読むうちにただ似ているだけではないものを感じました。授業の中に新興宗教や怪しい商品の販売に使われてきたのと同じ手法を使えば、一見、集団も教師も高揚し団結した良い状態が作れるとは思います。しかし、それが子どもにも教師にも思考をストップさせた状態を作っているのではないかと感じました。「波動」等を、教えるという形で授業に取り入れているのも、教師側の思考停止の結果でしょうか?
26. Posted by toshi   2008年08月03日 12:07
なおみさん、KGさん
 どうもありがとうございます。わたしもまったく同感です。わたしも含め、コメントをくださる皆さんは、客観的で、科学的な考察になるよう配慮していますよね。
 学級崩壊よりはましだろうと言われれば、それはもう、認めるにやぶさかではありません。
27. Posted by たか   2009年08月02日 00:00
3 先行研究のない教育研究に対し、教育研究の発展のために「発問の定石」や「追試」という文化が生れました。そして法則化につながっていきました。

現在でも先行研究のない教育研究が大半ですよね。これはまずいと思います。

授業の技量の低い授業者が「追試」をしてもまずい授業になることが多いでしょう。でも「追試」を通して、授業者は優れた実践の思想や授業の組み立てを学んでいくのだと思います。
そして力量を上げながら先行実践のうえに、自分のオリジナルを加えて実践を作れるようになるのではないでしょうか。
28. Posted by toshi   2009年08月02日 14:28
たかさん
 要は、授業をどうとらえるかの問題かと思います。
 授業は、担任である『わたし』と、『わたしの学級の子どもたち』との真剣勝負。
 なまの人間同士の真剣勝負ということは、A組とB組とでは同じ授業の流れにはならない。同じ発問になるとは限らないということだと思います。
 一人ひとりの子どものこだわりや思いを、どう担任が受け止め、どう全体に返していくかなどを学び合うのが研究だと思います。
 
29. Posted by たか   2009年08月03日 00:34
 授業は、担任である『わたし』と、『わたしの学級の子どもたち』との真剣勝負。
>>
同感です。

なまの人間同士の真剣勝負ということは、A組とB組とでは同じ授業の流れにはならない。同じ発問になるとは限らないということだと思います。
>>
ここに子どもの実態をふまえた上での「追試」と「修正」での研究を発展させる余地があるのだと思います。

toshi さんは、優れた「発問」や子どもが動く「指示」から学び、授業を深めていく方法をどう思いますか?

私は、優れた実践をまねすることは、よい授業を行えるようになるために必要なことだと思います。
30. Posted by toshi   2009年08月03日 06:47
たかさん
 すぐれた『発問』とは何か。
 わたしは、本記事にあるように、子どものこだわり、疑問などを、指導者がどう切り返したり、子ども全体に返したりしながら、学習を深めていくことができるか。
 そういうことだと思います。

『家康とその子孫は、ほんとうに江戸を栄えさせることができたか。』
『江戸に移ったことは、ほんとうにラッキーだったか。』

 指導者によるこの問いかけは、このクラスだから、このクラスの子どもたちのこだわりだったから、出た発問であって、隣のクラスには使えませんね。

 では、授業研究会で何を学ぶか。

『ああ。子どものこだわりや疑問を大切にしなければいけないのだな。』『子どものこだわりや疑問から、何をおさえることができるか、その判断力を身につけなければいけないな。』

そういうことを学んでいくのです。
31. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:03
たかさん

>現在でも先行研究のない教育研究が大半ですよね。これはまずいと思います。

いえ、ぜひいろいろな研究会、学会に足を運んでみてください。しっかりと先行研究をふまえた報告がたくさんあります。
例えば、これ
http://www.center.fks.ed.jp/11kikaku/instance/15/usuba.pdf

こういうのが、研究です。
たかさんは、TOSSの方ではないかもしれませんが、先行研究をふまえるというのは、こういうことです。他人がやった実践をなぞるということではありません。
この先生はメタ認知の先行研究として、市川先生をとりあげていますが、先日見た授業の報告では、重松敬一先生のメタ認知研究をもとにされていました。こうしてそれぞれの研究者の研究をもとに実践して、どちらが適切かを検討するのが「追試」です。
32. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:17
とはいえ、普段からこんなことをやっていては、たいへんなので、そこは指導に入っている大学の先生などの研究者や実践者の方は、それをかみ砕いて研究協議会などで伝えるようにしています。ただ、そのバックボーンには、こうした研究があることをご理解ください。
私も、例えば、上の5のコメントで左巻先生、6のコメントで吉田先生の研究をもとに発言しております。
むしろ、先行研究をふまえていないのは、TOSSの方々ではないでしょうか。
TOSSは、実践報告を論文と呼んでおりますが、あれは、他では論文と認められません。先のリンクのレベルでも報告です。論文にも達しておりません。研究とも言えないレベルです。
TOSSの報告で、TOSS以外の先行研究をふまえたもので、論文と言えるレベルのものがありましたら、ぜひご紹介ください。

33. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:31
もう一言。

たかさんがTOSSかは、分かりませんが、TOSS実践報告から学ぼうというのであれば、次の点に留意ください。
まず、内容に間違いが多い。これはなんとかしてほしいものです。
例えばこれです。
http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-09-16

もう一つ重大なのが、TOSSの実践報告は発問と説明で構成されていますが、授業(単元)の目標と評価が明記されていません。目標と指導と評価は一体です。授業の感想はありますが、どこで何をどう評価しているのか、発言なのか、ノートなのか、まったく分かりません。
目標が示されないということは、評価の基準もないということです。これで、どう評価するのでしょうか。
さらに、指導計画への位置づけも最低必要だと思います。酷いのでは、5年生の授業で平気で歴史に触れているものもあります。今まで、どんな学習をしてきたのか、それを無視して行われる授業は、どんなにすばらしい内容でも、子どもには届きません。
特に、若い先生には、指導計画、目標、指導、評価をしっかりと意識してもらいたいので、TOSSの先生にも、この点の改善を望みたいです。
34. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 15:52
すみません。
32のコメントの下から3行目「研究とも言えないレベルです」は勇み足です。
充分に研究のレベルです。
報告の作法としては、あの程度でまとめてもらいたいですね。
・テーマ、仮説
・研究の背景
・先行研究の説明
・実践の報告
・分析
・課題
・参考文献
35. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 16:07
たびたびすみません。
TOSSは授業技量検定なんてやっていますが、
次のリンクは、横浜国立大学と横浜市が作成した教育実習生の評価基準です。

http://www.edhs.ynu.ac.jp/gp/model.html

TOSSの考えている授業技量というのは、よく分かりませんが、普通に考えて、例えば「5級 何冊かの本を出せる技能」というのと比べると、この横浜スタンダードは、はるかに研究されたものであり、実践的です。

TOSSの外の世界では、教育研究、授業研究がはるかに先にいっているんですよ。
36. Posted by ドラゴン   2009年08月08日 17:01
さらにすみません。
発問ですが、
例えば、TOSSの吉田先生の授業です。
http://homepage2.nifty.com/TAKASI-YOSIDA/6re-sengoku.htm
実は、10年以上前に吉田先生にはお会いしたことがあります。
ここでの発問。天下統一の授業です。
「三人はこの時代をどのようにして生きようとしましたか。ひとことで言いなさい。」
「この時代はどんな時代ですかひとことで言いなさい。」 「この時代はどんな時代ですか」
発問というより、学習問題かもしれませんが、私が日頃批判しているタイプです。
この2つ発問は、大人であっても答えるのに戸惑うでしょう。「どんな時代」と聞かれもいろいろ答えようがあります。
A先生の発問は、どれも具体的です。「好き」「家来になるには」と答えやすいものです。最後の発問はちょっと難しいかもしれませんが、ちゃんと絵地図を用意されています。ここがさすがですね。
吉田先生は「どんな時代」という発問に対して、「天下の統一をめざした時代」と先生がまとめています。これはいけません。そうまとめたいのであれば、「戦国大名がめざしていたのは」のように子どもから出るようにしなければなりません。
難しいようでしたら、資料も用意するとか。
大人が聞かれても困るような発問は良い発問とは言えませんね。
37. Posted by たか   2009年08月09日 23:45
ドラゴンさんへ

学会レベルの学術研究が先行研究をふまえているというのはよくわかりますし、当然だと思っています。
私の書き方に誤解があったようなので・・・

しかし、学校での主題研究、自治体(教育委員会)での教育論文は、本当に先行研究がないものが多いですよね。数も圧倒的に多い。
しかも、これを毎年やっている。
ここがまずいのではないかと思っています。

38. Posted by ドラゴン   2009年08月10日 19:11
たかさん
ちょっとTOSS関係なので、過剰に反応したようです。すみません。よくTOSSの方々は、自分たちは研究しているが、他の教師はしていないように言っていますので。
学校の研究では、確かにそういうところもありますが、大学の先生が指導に入っているところでは、そのあたりは踏まえていると思いますよ。
表現としては、表れていなくても、研究の背景には、先人の積み重ねが見えることもよくあります。私が見た範囲ですが。
私も、例えば36のコメントで発問に触れましたが、これも私が単独で考えたことではなく、たくさんの先人の実践をふまえてのことです。
ただ、研究の作法としては、先行研究を示すことは、とても大事です。それはたかさんの言われる通りだと思います。
39. Posted by A/M   2009年08月23日 00:16
今から十数年前にTOSSのスタッフ?が向山筆頭に
3クラス中3名担任をもってました。
今だからいえます。
私のいたクラスは学級崩壊してました。
TOSSで洗脳された卒業文集なんていまさら
読み返したくもありません。

子どもも大人もみんな違うんです。
マニュアル化された教育方法で
子どもの心が動かされると思いますか?
最終的に面白みのないみんな同じような学年が
出来てしまったのを子どもながらに感じました。

戻れるのならもう一回。TOSSとは関係のない教師
のもとで小学生高学年時代をやり直したいです。

駄文失礼しました。
40. Posted by toshi   2009年08月23日 16:50
A/Mさん

 うわあ。向山氏のいた小学校に、在籍されたのですね。A/Mさんには、心の傷として、多くのものが残っていると想像できました。
 同じ公教育に携わるものとして、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 本記事には、次の表記があります。
『ここまでは、A先生の授業も、TOSSも、おそらく大体似た流れになるのではないか。』
 しかし、最近、いろいろな情報が入るにつれ、TOSSは、『どのような発問をしたら、子どもが意欲的に学ぼうとするか。』ですら、あまり考えないのではないかと思うようになりました。

《子どもも大人もみんな違うんです。マニュアル化された教育方法で子どもの心が動かされると思いますか?》

 いやあ。もうおっしゃる通りです。わたしが一番言いたいこともこのことなのです。大人の一方的な思いで、子どもをしばることは、絶対にやめてほしいのですが、今は、これがはやる傾向にあると思います。

 今続けている、『国語の授業がおかしくなっているかな』シリーズもそうですが、TOSSに限らず、そうした傾向については、これからもしっかり指摘していきたいと思います。
41. Posted by 自分   2010年01月22日 01:11
以前、TOSSサークルに入っていました。
模擬授業で褒められること、サークルの代表に認められることに関心がありました。
クラスの子どもたちとの関係は、深まることがないまま、授業していました。
特に高学年を担任すると、子どもたちがだんだん離れていくように感じました。
二男の誕生をきっかけにTOSSサークルを辞めました。それからもう4年になります。しかし、上記のことは今の自分にも当てはまるように思いました。
42. Posted by toshi   2010年01月22日 09:25
自分さん 
 大変率直に、ご自分の思いを語っていただき、ありがとうございました。
《特に高学年を担任すると、子どもたちがだんだん離れていくように感じました。》
《二男の誕生をきっかけにTOSSサークルを辞めました。》
 ご自分の気持ちに正直な方だなとお見受けしました。勝手ながら、子どもに対し、うそ、いつわりのない、真に子どもを育む道を追求されるようになられたのだと思いました。
 《上記のことは今の自分にも当てはまるように思いました。》
 上記のこととは、コメント39番のことでしょうか。どうぞ、ゆっくりでいいのですから、地道に、しかし確実なあゆみを続けていってほしいと思います。
 ご奮闘を祈念しております。
43. Posted by tetu   2010年05月05日 09:48
たくさんのコメント、勉強になります。
いくつか分からないことがあるので、質問します。

1 校長先生が授業中に発問されますがあれは
  いつの時点で思いついた物なのでしょうか。
  授業が始まる前なのでしょうか、それとも
  授業中なのでしょうか。
 
  というのも「子どもとは初対面」だと事前に
  子どもたちの思いや願いは把握できません。

  ということは授業中に思いついて授業をされて  いるのでしょうか。

  事前に指導案などではねらいやまとめなどが
  記述されていると思うのですが、それには
  授業の流れがどのように書かれているのかな
  と思いました。

  授業なのだから事前に学習するべき内容が
  あると思うのですが、それと子どもたちの
  思いや願いが違う場合はどうなるのかなと
  思いました。
  
  そこを調節するのが難しいなと思いました。
44. Posted by toshi   2010年05月05日 12:44
tetuさん
 ご質問。ありがとうございました。こうして質問していただくと、深めることができます。

 ほとんどは授業以前に考えられたと思いますよ。

・A先生は、子どもにとっての、『不思議のタネ』を大切にされます。ですから、『一番好きな武将』と『家来になりたい武将』を問えば、双方でかなり違った傾向をみせるのではないか。そうなれば、どうしてこういう傾向になったかという理由をもとに、『家康のやりたかったこと』を考えさせることができる。
 そうすれば、子どもたちは、意欲的に学ぼうとするのではないかとお考えになったと思います。

・次、A先生は事前に学級担任に依頼し、子どもたちに、『秀吉に、江戸に入れって言われたとき、家康や家臣はどう思ったか。』を書いてもらっていますね。それを読み、これもまた、事前に、どの子の考えを授業に生かそうかと考えています。

45. Posted by toshi   2010年05月05日 12:45
・その結果、秀吉に敵対、秀吉に感謝、また、どちらでもなく自立しようとする動き、そうした3人の子の考えをとり上げることにしました。

・それぞれは皆妥当性があるわけです。そして、そのそれぞれについて、『どのような学習内容になるか。』『解決のための資料は何か。』といったことも事前にお考えです。

・そして、
「他の子は、自分の書いたのをもう一度読み返して、自分のはどれに一番近いか、一番近いと思うものに、マグネットを置いてください。」という発問になるわけですね。ですから、この発問も事前に考えてのものですね。

・そう考えると、以後の発問もほとんどすべてが事前に考えられていたものだと思います。


《授業なのだから事前に学習するべき内容があると思うのですが、それと子どもたちの思いや願いが違う場合はどうなるのかなと思いました。》

 一般的に申せば、『指導者と子どものズレ』はあるでしょう。本時においても、授業の流れには影響しなかったものの、『家康が多いなと思いました。意外でしたね。』というようなズレはあります。

46. Posted by toshi   2010年05月05日 12:45
 しかし、A先生の場合、初対面同然であっても、できるだけ、事前に、子どもの思い、意識を把握しようとされています。『関東に入るときの家康や家来の思い』について書いてもらってあるのが、それですね。このようにして、可能な限り子どもを把握しようとされています。そのことは、結果的にズレを防いだことになると思います。

 『結果的に』と申したわけは、それがズレ防止を主目的として行われたのではなく、あくまで、子どもの想いを大切にしながら、『授業をどう組み立てるか。』さらに言えば、『授業の構想を練る』ための手がかりにしたいと思われたからだと思います。

 本授業を離れて一般論として申し上げますと、飛び込みでなく、学級担任の授業であっても、ズレは生じます。子ども主体の授業であれば、これは避けられません。
 しかし、そのズレを可能な限り減らすべく、わたしたちは事前の子どもの意識、考えの把握に努めますし、また、『子どもがこうくればこう。ああくればああ。』というように、複線的に授業の流れを予想します。
 今、ここでは提示できませんが、そのためには、『座席表指導案』なるものにも取り組んでいます。 
47. Posted by るり   2010年10月23日 00:09
はじめてコメントいたします。
少々TOSSについて思うところありまして、
検索をしていましたら貴ブログに辿り着きました。

授業指導の型として学ぶことは
決して間違いとは思いませんが、

<自分の方法以外で教育している先生をあまりにも 乱暴な言葉でこき下ろすやり方
私もそれを感じることがあり、
人として疑問に思うところです。
人を大切にする器量の大きさや温かさというのは、
これだけ組織が巨大化すると権威的になって
失われていくものなんだろうかと。

つい最近、『学びの共同体』を取り入れた授業を
拝見する機会に恵まれましたが、
温かい雰囲気とゆったりした時間が流れていて
いいものだと思いました。
校長先生の授業も、内容を拝読すると
とても良く似た空気を感じました。
『不思議のタネ』の追求を子どもとともにできる。
私も是非取り入れたい手法です。

それぞれによさがあると思います。
できるだけ研究会には足を運んで、
いろいろな指導法を見たいと思っています。
48. Posted by toshi   2010年10月23日 05:35
るりさん
 コメント、ありがとうございました。これを機会に、今後ともどうぞよろしくお願いします。
《自分の方法以外で教育している先生をあまりにも 乱暴な言葉でこき下ろすやり方》
 そういう話はよく聞きます。拙ブログにもそうした声が寄せられています。
 おっしゃるように、わたしも、学校教育の根底に流れるものとして、《温かい雰囲気とゆったりした時間が流れてい》くものは大切にしたいなと思います。
 本コメント欄にもいろいろなご意見が寄せられていますが、ご覧いただけたでしょうか。特に39番など、TOSSの本質を言い得て妙という感じがします。むかし、子どもとして主宰者のクラスにいた方と思われるだけに、強く印象に残っています。

 《(A元)校長先生の授業も、内容を拝読すると、(『学びの共同体』に)とても良く似た空気を感じました。》
 わたしもそのように思います。やはり、子ども自らが主体的に学び、学ぶ力、生きる力を伸ばしていく、そういう教育が、特にこれからの時代、重要になっていくと思います。
 今、拙ブログでは、『交換日記からメールへ』というタイトルのもと、わたしの40年前の教え子とメールのやりとりをしていることを記事にまとめさせていただきました。そのなかでも、子どもの多様性を認め、違いに出会う喜びや楽しみを教えることの大切さを論じています。よろしければそちらもご覧ください。

《できるだけ研究会には足を運んで、いろいろな指導法を見たいと思っています。》
 るりさん。いろいろな指導法から学んでください。そして、どのような指導が子どもを真に育むのか、そうした観点を大切にしていただければと思います。本記事同様、拙ブログの過去記事では、いろいろな実践を紹介させていただいておりますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。

 
49. Posted by ゆう   2010年11月12日 11:09
39番のコメントは本当の話ですか?
マニュアル化された教育方法で崩壊していたのですか?

私はTOSSの本をたくさん読んでいますが、ともて役に立っていて、最近になって楽しい学級が作れるようになりました。

toshi先生、39番のコメントの何がTOSSの本質を言い得て妙なのですか?

教えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。



50. Posted by toshi   2010年11月13日 09:43
ゆうさん
 《39番のコメントは本当の話ですか?》
 これは一応ノーコメントとさせてください。ただし、当事者しか知りえない情報をお知らせいただいたとは思っています。
 《39番のコメントの何がTOSSの本質を言い得て妙なのですか?》
 TOSSはTOSS批判者のリンクを拒んでいらっしゃいますよね。そうしたやり取りをさけていると思われます。それでいて、47番でるりさんがおっしゃるように、人として疑問に思うこともされています。
 ですから、あまりふれたくはないのですが、特に言えると思うのは、
《子どもも大人もみんな違うんです。マニュアル化された教育方法で子どもの心が動かされると思いますか?》
の部分です。
  



51. Posted by ゆう   2010年11月14日 12:19
toshi先生

返信ありがとうございます。

《子どもも大人もみんな違うんです。マニュアル化された教育方法で子どもの心が動かされると思いますか?》

のように思っていらっしゃるのですね。


おそらく若い先生がTOSSの指導をしているのを見てそう思ったのかもしませんし、そこから誤解されたのかもしれません。

若い先生は、やり方をマネして授業するだけで精一杯ですから。なかなか子どもの思い願いを組み入れられでいないのだと思います。

子どもが成長するなら、どんなやり方でもよいと思います。
52. Posted by toshi   2010年11月14日 14:03
ゆうさん
 《そこから誤解されたのかもしれません。》
 誤解ではありません。言い得て妙と思ったのはわたし自身です。
 本記事の後、数回、TOSSの授業を見せていただく機会がありました。わたしは、TOSSが、子どもの思い願いを大事にした授業をしているとは思っておりません。したがってどんなやり方でもいいとは思いません。
 なお、拙ブログでは、若い先生の、子どもの想いや願いを生かしたすばらしい実践をたくさん掲載しています。
 最後に、コメント50番に書かせていただいた理由で、今後のコメントはお断りします。
53. Posted by はる   2010年11月14日 15:28
toshiさん、はじめまして。
偶然にたどり着いた者です。
 
様々に書かれている内容を興味深く読みました。
 
ぜひ、コメントを聞きたいと思っていたのですがノーコメントだということで非常に残念に思います。
 
toshiさんが考えられている〔子どもの想いや願いを生かしたすばらしい実践〕とはどんな理論が元になって展開されるなのかぜひ知りたいです。
初めての書き込みにも関わらず、いろんなことをお聞きして申し訳ありません。
 
ブログを楽しみにしております。
54. Posted by 笑顔   2011年05月01日 10:35
教育という仕事に関わりはじめたばかりですが、私は授業のマニュアルではなく、定番の授業を模倣して行きたいと思います。
授業を受けた子供たちは、教員の授業を冷静に判断しているようでした。
子供が主体であることを忘れずに、教育に関わって行けたらと思います。

55. Posted by toshi   2011年05月01日 17:00
笑顔さん
 はじめまして。初任者の方ですか。
《子供が主体であることを忘れずに、教育に関わって行けたらと思います。》
 うれしく思います。どうぞ、実践にあたっては、拙ブログだけでなく、姉妹ブログの『小学校初任者のブログ』も参考にしていただけたら幸いです。
 今後ともよろしくお願いします。
56. Posted by 消耗品   2011年09月04日 03:47
A元校長先生は、とても魅力的な授業をされておりますね。子供が主役となって楽しく意欲的に学習活動をしていることともう一つ、臨任として注目した所は、初対面の子供たち相手、どんな特徴を持った子たちなのかを一切知らずに、初めての授業でこういった素晴らしい授業を行えたことです。私たち臨時の最初の授業は、毎度突然「誰この人?」状態(生徒にとって)で飛びこんで授業をする身ですから、最初はお互い様子見の変な雰囲気になりがちです。私など臆病者ですから、崩壊することを恐れるあまり、授業前にあらかじめ、どの生徒が問題行動を起こしやすいか担任や学年主任から聞いてしまうほどです。つまり特定の生徒に対し、先入観を持った状態で最初の授業を迎えるわけです。ところが、しばらく接しているうちに、「あの時、担任から聞いていたようなタイプの子でもないな。」と気付くこともよくあり、最初の頃に先入観を持っていたことを反省するということがたびたびありました。我ながら不公平な教師でした。
私も高校の英語の授業でA校長先生のような授業がやってみたいです。こちらのブログで子供主体の学習活動をいくつも拝読させていただきましたが、どうしても、私の勤務してきたような学校で、それも英語の授業で、如何にすればこういった授業はできるものか?と考えるのですが、全くアイディアが浮かんでこないのです。
57. Posted by toshi   2011年09月04日 09:59
Aさん
 なるほど。《最初はお互い様子見の変な雰囲気になりがちです。》というのは分かります。今、初任者指導に携わっているわたしにしても、ちょっと似た感じはあります。といいますのは、初任者指導は1年間と決まっていますので、わたしは毎年学校が変わります。ほとんど教室の後ろにいるわたしのような存在は、子どもにとって不思議な存在らしく、子どものなかにも様子見といった感じの子がいます。
 記事中のA元校長先生はB小学校の授業研究会の講師でしたので、事前の子どもたちの想い、考えの把握という意味では、教員の皆さんの協力はかなりのものがあったと思います。
《最初の頃に先入観を持っていたことを反省する》
 いや。これは反省する必要はないと思いますよ。Aさんの場合、《「あの時、担任から聞いていたようなタイプの子でもないな。」と気付》かれるわけですから、これは先入観とは違うのではないでしょうか。参考にされた程度のことと思います。そして、参考にされる程度というのはすばらしいと思うのです。
 なぜかと言いますと、子どもは、先生というものを見抜くと、A先生とB先生とで態度を変えることはいくらもあると思うからです。高校だと、小学校以上にあるように感じます。『ああ。あの子は、あの先生にはあの言葉のとおりの子だったのだろうな。でも、今、わたしに対してはまったく違う態度を見せている。双方ともあの子の姿なのだろう。』そのようにとらえることが大切と思います。そうとらえると、B先生の言葉もすごく大事に思えるのではないでしょうか。自分には見えない側面ですから。
58. Posted by toshi   2011年09月04日 09:59
 《英語の授業で、如何にすればこういった授業はできるものか?と考えるのですが、全くアイディアが浮かんでこないのです。》すみません。小学校でも英語教育は行われるようになりましたが、これはやはり問題解決学習ではありません。英語使用についての問題意識というのはやはり難しいのかもしれません。『英語に興味・関心をもつ。』『好きになろうとする。』『異文化に親しむ。』そんな感じですので、簡単な制作活動、ゲーム、外国の写真などを媒体として、英語に親しませるような感じです。
59. Posted by 消耗品   2011年09月05日 00:27
アドバイス、ありがとうございます。特に先入観の件について長年心に引っかかっていたことでしたので、少し気が楽になりました。
悪い意味で一部の特定の生徒に対して先入観を持った状態で初授業に臨むことを、なんだか申し訳ない気がしておりました。
私の場合、常にこういう生徒がこう出たらどうする、ああ出たらどうする、そうならないためにはどうする、と何段構えにも防御線を張るといいますか、対抗ミサイルかワクチンでも用意するかのように、構えた状態で最初の授業に臨むことが多かったのです。
果たして、その時の自分は生徒に対し、どのような表情を見せていたのだろう?と振り返る事があります。奇妙な空気を作っていた原因かもしれないのです。久しぶりに会った友人から「おまえ、変わったな。警察のような目つきをしている」と言われたことを思い出します。

それぞれの教師に対して様々な顔を見せる、しかし、どれも彼らの素顔の一つなんですよね。自分にはこういう態度を示し、あの先生にはこういう態度を示す、それは何故か?あの先生と自分の違いは?これを追及することも大切ですね。自分についても生徒についても知ろうとすることになりますから。
60. Posted by 消耗品   2011年09月05日 00:52
英語の授業についてなのですが、中学校から高校に上がってからも、英語の授業にあまり発展性が見られない、同時に英語力にもあまり発展性が見られない最たる原因(マニアックな文法知識などは増えるのですが)は、やはり現行の受験システムにあるのだと思います。
受験に合わせたような教材、指導書を見てもげんなりしてしまいます。
そして受験システムに反対している自分が、中間期末考査の時期が来ると受験を意識したような問題の多いテスト作りをしていて、虚しくなります。

現行の受験システムが無くなってほしい、フィンランドのように子供たちのニーズや自分の指導スタイルにマッチした教材を選択して、何の柵にも囚われず、生徒に合わせてゆっくり自分のスタイルで授業ができれば・・・と夢のような事を思う事があります。
61. Posted by toshi   2011年09月06日 05:44
Aさん
 Aさんの置かれていた状況には、ただただ驚かされました。そういう教育困難校があることはもちろん存じ上げていましたけれど、そこまで具体的な話をうかがったのは初めてでした。
 目つきまで変わってしまったというのは、そういうことは当然あるなあとよく分かりましたし、それだけに、呆然とした思いになったものでした。
 先入観については、先入観をもって臨んだからそうなってしまったのではなく、貴校におけるありふれた状況が、教師をしてそのように人間性を変えさせてしまったということだと思いました。
 わたしは、A先生に対してとB先生に対してとで、一人の子どもが態度をまったく変えるということは大いにありうると申しました。
 それと同じことが、受験システムにもいえると思います。受験システムがなければすくすく成長するはずだった子どもが、受験システムによってガタガタにねじ曲げられたなどという例はいっぱいあると思います。
 ただ残念なのは、前者は容易に見ることができるのに対し、後者はまったく見えてこないということです。受験システムのない社会にいないからですね。これは大人が想像力をはたらかさなければなりません。
62. Posted by 消耗品   2011年09月08日 00:35
環境が人を変えるとはまさにこのことかもしれません。環境のせいにするなとお叱りを受けるかもしれませんが。
私の現在すべき第一歩は、自分らしさを取り戻すこと、だと思っております。

受験システムという環境、受験システムがなくなり、環境が変われば、教育も子供も社会も価値観も全てが変わることでしょう。
63. Posted by 子供に力をつけたい   2011年10月15日 12:11
1 41. Posted by 自分 2010年01月22日 01:11

以前、TOSSサークルに入っていました。
模擬授業で褒められること、サークルの代表に認められることに関心がありました。
クラスの子どもたちとの関係は、深まることがないまま、授業していました。
特に高学年を担任すると、子どもたちがだんだん離れていくように感じました。

子供に力をつけることを考えて学ぶことが大切だったのではありませんか。
代表や職場で言えば管理職に認められることを考えて学んでいたのでは子供が離れていくのは当然と考えます。
子どもたちに還元するという視点がなければどこの研究会で学んでもいっしょだと思います。

64. Posted by toshi   2011年12月19日 10:29
『子供に力をつけたい』さん
 わたし宛てではなかったので、お返事しないままになっていました。申し訳ありません。今となってはもうお読みいただけないかもしれませんね。すみませんでした。
 貴コメントを拝読してつくづく思います。
 『子どもに(生きる)力をつけることを考えて学ぶ。』からこそ、『管理職(コメント41番で言わせていただければサークル代表)に認められる。』という、そういう職場環境でなければ教育の成果は期待できないですね。
 しかし、現実はこの両者が両立しない職場環境が多すぎるようです。何とか、両立するように努力していきたいと思います。
65. Posted by 銀熊   2012年09月30日 11:34
私も授業をどうしてよいかわからず、若いときにTOSSで5年ほど学んでいました。
技術も大事です。(TOSSでは教育で技術の占める割合は5%くらいといっていますが…)しかし、教師が人間として生徒に向き合うという部分が欠けているように感じるようになりました。(うまく説明できませんが、「ひと」が見えないというか、そんな感じです。)
様々な先人の知恵に学ぶことは必要ですが、TOSS以外必要ないかのような学び方を、若い先生はしないようにしてほしいと思います。
今はまたTOSSに復帰していますが、多くの中の一つの考え方、方法だと捉えています。
「TOSSが絶対」というような態度の若い先生も見かけますが、TOSSへの誤解を招くばかりですから、やめましょうね。(TOSS授業検定の規準のみで他の先生の授業を見るのもやめましょう。)
66. Posted by toshi   2012年10月01日 20:23
銀熊さん
 コメント、ありがとうございます。
 この記事ほど、長く長くコメントをいただき続けているものはありません。それだけある意味で《TOSSは偉大なのだな》と実感させられています。
 銀熊さんは、今、TOSSに所属されていて、しかし幅広い視野で教育というものを見つめていらっしゃる。
 そうした意味では、とてもありがたく思いました。どうぞ。TOSSのなかで、よりよい教育の姿を見つめていっていただければと思いました。
 TOSSでは人が見えない。
 わたしもTOSSの授業は少し見るようになりましたので、まさにその通りと思いました。
67. Posted by 通りがかり   2012年10月22日 21:55
以前にとても面白い記事だと思ってブックマークさせてもらっていまして、久しぶりに見てみたら、まだコメントが続いていて驚きました。4年以上にもなるのですね。
大学教員をしています。教育方法の授業も素人ながら10年以上前には担当していました。(今は課程認定で業績なんかが厳しくなったので、私のような素人では持てません。)
TOSSについても、初期の『授業の腕をあげる法則』などは向山氏の言うことにも一理あるとは思い、学生にも薦めたりしていましたが、最近、学生から「TOSSのサークルに一度行ってみたが、特定の人(向山氏とは言ってませんでしたが)を神格化・絶対視するようで、私にはついていけない」などという話を聞き、そういう方向へ行っているのか、と思った程度にしか知りませんが。
66のコメントにあるように、ある意味ではTOSSは偉大だと思いますが、個人的には水からの伝言とか、EM菌とか、もんじゅ推しとか、ちょっと困ったものだとは思っていた程度です。また、陰山さんがもてはやされていた時に、TOSS関連の雑誌に「陰山学級が学級崩壊していたという(未確定の)情報がある。ついては確実な情報をお持ちの方はお知らせください」といった趣旨の文章が載ってたのを見たときは目を疑いました。
先に書いた神格化云々はともかく、自らの正しさを主張するために他を貶めるような発想ではちょっと薦めにくいですね。今でも本棚にはTOSS関連の本も少し残っていますが学生に尋ねられた時には「まあ、いろんな考え方があるからねえ」くらいにしか答えられません。色々な先生方が多種多様な考えを持ち、それぞれに現場で悪戦苦闘しておられるのですから、学生には教育が安易にマニュアル化できるようには思わないでほしいですね。何事にも先達はあらまほしきとは言え、やはり最終的には自分の力で道を切り開いていって欲しい。
下らんことを長々と書きましたが、また見に寄らせてもらいます。
68. Posted by toshi   2012年10月24日 21:18
通りがかりさん
 長期にわたりご愛読賜り、まことにありがとうございます。ほんとう。本記事へは数か月ごとにコメントをいただいています。
 TOSSの方、TOSSを抜けた方、そして、批判派の方からのものもあり、実に多種多様。読んでいるとTOSSがいかなる団体か、よく分かるような気がします。
 貴コメントの
《TOSS関連の雑誌に「陰山学級が学級崩壊していたという(未確定の)情報がある。ついては確実な情報をお持ちの方はお知らせください」といった趣旨の文章が載ってたのを見たときは目を疑いました。》
からは、
 本記事へのコメント39番を思い出しました。今、神格化、絶対視されている方のかつての(準)教え子と自称する方からのものです。皮肉なものですね。
《最終的には自分の力で道を切り開いていって欲しい。》
 当たり前のことですが、当世むずかしいのかもしれません。これもこれまで学校教育が、『自らの人生を切り開いていく力(生きる力)』を養ってこなかったせいなのでしょう。こういう団体が偉大(?)であることから、公教育の大きな課題を感じます。
69. Posted by 一小学校教員です   2013年02月25日 17:49
ただ今、内地留学の制度を
利用して、大学で学ばせていただいている最中です。

『学び合い』やTOSSなど
深く、わかりやすく言及されている
のでとても勉強になります。

十数年前から
向山先生の本を読んで
実践している身としては

○向山先生のもと教え子さん?の意見や
○偽科学
○神格化
○他団体への言及
など

たしかに、ひいてしまう部分も
あるんだろうな〜と
思います

うーん・・・
ただ、
悩んでいる教員を
救っているのも
向山先生がいちばんおおいのではないのかなぁ
とも思っています。

跳び箱の実践やいじめの問題
モンスターペアレントなど

はっきりした
理論立てが整っていない
ものに対応する手立てを
どんどん「技術」として

出していったのも
向山先生がはじめてだったのではと思います
70. Posted by 一小学校教員です   2013年02月25日 17:56
さまざまな論議があるのですが
結局、現場で実践するのは

各教員であり

どんな方法も
それぞれが理解して行わなければ
何にもならないし
自己責任でおこなえばいいのかなぁと

思っています。

長々と書いてしまいましたが

言いたいのは、

団体をひっくるめて


「TOSSでは人が見えない。
「わたしもTOSSの授業は少し見るようになりましたので、 まさにその通りと思いました。」

上記のように
お話しされては
うーん、
悲しいな〜ということです。

TOSSにも良い実践がたくさんありますし
駄目なものもたくさんあります

ただ、
名前を出して公開するというやり方
は、

「批判もしやすいですが
 たたき台にもなりやすい」と思います

それこそが
教育技術の法則化の理念だったような気がします。
71. Posted by 一小学校教員   2013年02月25日 18:00
ぜひぜひ、具体的に
批判していただき
それの代案を教えていただければと
思います

できれば
向山先生の源実践について
お願いします。

私自身は
ノンポリなので

面白そう
子どものためになりそう

っと思うものを
行って

少しでも
子どもたちの成長に
負けないように頑張るだけです

たくさん書いてしまいましたが
不適切でしたら
削除してください。

ありがとうございました
72. Posted by toshi   2013年03月02日 07:19
一小学校教員様
 ううん。おっしゃりたいことがよく分かりません。《深く、わかりやすく》とおっしゃったかと思うと、《具体的に批判していただき、それの代案を教えていただければ》ともおっしゃる。
《向山先生の本を読んで実践している身としては、》とおっしゃったかと思うと、《ノンポリ》ともおっしゃる。《ひいてしまう部分もあるんだろうな。》とおっしゃったかと思うと、《うーん、悲しいな〜》ともおっしゃる。
 削除はしませんが、まあ本音はTOSS信奉者なのだろうなと判断しました。
《TOSSにも良い実践がたくさんありますし、駄目なものもたくさんあります。》
 それは当然のことです。何の研究団体であれ言えることでしょう。わたしはそのようなことは問題にしておりません。
 TOSSのひどい授業を見たことがあります。子どもは十分楽しんでいましたけれどね。でも、その授業だけ見た段階でTOSSを語ろうとは思いませんでしたよ。
 今、《おもしろそう》は認めます。しかし・・・、わたしはつい先日、『子どもの自主性、主体性、自発性を養う教育』なる記事を入稿させていただきましたが、そういう意味では違うなと思っています。
 最後にTOSS信奉者とお見受けしましたので、ふれておきたい。TOSSはホームページ等、反TOSSの声を受け入れていませんよね。したがいまして、わたしも今後のコメントはお断りします。

 
73. Posted by 一小学校教員   2013年03月06日 11:44
お礼だけは、いいのかな

ぶしつけな質問に真摯に
お答えいただいて
ありがとうございました。

ブログは楽しみに
読ませていただきますが
コメントは、これを最後に
一切行いません。

不適切なようでしたら
削除してください

ありがとうございました
74. Posted by toshi   2013年03月10日 07:25
一小学校教員様
 どうもすみませんでした。ちょっとむきになっていたかな。TOSSといってもいろいろな方がいらっしゃるのは当たり前なのに、そしてそのことはよく承知しているはずなのに、これまで当ブログにいただくコメントから、ちょっと先入観をいだいてしまったかもしれません。
 いえ。ブログではそこまではなかなか伝わらないですね。ブログの限界なのかもしれません。失礼だった点、お詫びします。
75. Posted by 通りすがり   2015年03月11日 15:33
現役教師です。勤務校で、「子どもの主体的な学び」をテーマに校内研修を行っています。
キーワード検索でここにたどりつきました。
A元校長先生とTOSSの授業比較で、子どもが主体的に学ぶための環境(支援など)がおぼろげながらイメージでき、大変、勉強になりました。

教師側でのみ準備された発問や指示で、子どもが自分で考えることを忘れ、「おもしろかった」で終わる姿。
一昔前に、セサ◯ストリートという幼児向け教育番組がありました。ですが、受動的なメディアを通しての一方的なコミュニケーションでは言語の発達には効果がないとして、批判されたことがありました。なんだか、それに似た現象のような気がします。

子どもが主体となる授業とは何か。子どもにとって、真の学びとは何か。
またこのブログを拝見して、勉強させていただきたいと思います。
76. Posted by toshi   2015年03月13日 05:57
通りすがりさん
 コメント、ありがとうございました。「子どもの主体的な学び」をテーマの研究をされているとのこと。大変うれしい思いで拝読しました。
 今、集団を育む教育というテーマで記事を書かせていただいていますが、これも、子どもの主体性を大切にしてこそ育まれるものと思います。個の確立を目指せば、集団はおのずと高まっていくでしょう。
 そして、これは生活指導面だけではなく、授業とも一体化していくべきものと思います。通りすがりさんの学校においても、おのずと集団が鍛えられていくことでしょう。
 通りすがりさんのお言葉を拝借すれば、受動的な学び、受動的な生活では、先生なしでの生活は考えられないとなりそうです。そして、おっしゃるように、言語の発達も望めないでしょうね。真の学びは、授業と生活と双方あいまって営まれることと思います。
 どうぞ、今後とも拙ブログをよろしくお願いします。
77. Posted by 外野の人間ですが…   2015年08月18日 15:54
現在は諸事情で、教育とは外野の世界にいる者です。
元校長先生の授業は非常に興味ぶかいです。

ただ誤解を恐れずにいえばお遊戯にしか思えません。その授業光景はドラマのように美しいものかもしれません。

子どもひとり一人の思いを大事にするのは当然ですが、確かな「学力」をつけることを忘れてはなりません。

「国民の付託を受けた教育者」(最高裁判例)である教員は学習指導要領に基づき、「教科書で」学力を養成しなければなりません。盤石な土台の上に創造性や周囲への関心の目が育まれていくと思います。

教育には強制が伴い、「子どもの(変容する)事実」で勝負するのがプロだと思います。

他教員が眺める授業としては、元校長先生の授業はよく見栄えがいいでしょうね。
78. Posted by toshi   2015年08月19日 12:22
外野の人間さん
 ううん。お遊戯とは手厳しいですね。
 おもしろいなあと思ったことがあります。この記事にいただいたコメント1番さんは、やはり外野の方(失礼!)なのですが、さすがプロの技とおっしゃってくださっています。そしてプロの技と思う理由として、学習意欲の涵養、よどみない授業、多くの子の考えの根拠を把握しようとする指導者の営みなどを上げて下さっています。
 ところが外野の人間さんはお遊戯とされた。その根拠として、この授業は確かな学力を身につけさせていないと分析されたようですね。
 ところが、どうしてそのような分析となるのかは書かれていません。教科書でとありますので、本授業は教科書に即していないとなるのでしょうか。
 これは教員間でも対立する考えなので、外野の方がそうお考えになるのも無理はないとは思いますが、
 確かに本授業は、教科書の内容を必死に覚えさせる授業ではありません。主体的に学ぶなかで、教科書を使いこなす子どもを養っています。どちらが将来に生きて働く学力を養っているかお考えいただければ幸いです。 
 あなたにはこの授業にかける元校長の努力は見えていないのですね。知らない子ども相手に、それでもできるだけ子どもの関心の示しどころ、思いを把握して授業に臨もうとする姿勢は見えていないのだろうと思われます。
 また、この授業は学習指導要領に基づいていないとも思われているようです。
 しかし、学習指導要領は、基礎的・基本的な内容の確実な定着とともに、創意工夫、自ら学び自ら考える力、個性を生かす教育の充実も謳っています。これらは同時進行的に養っていくべきものだということです。
 子どもは活きています。決して知識を詰め込めばすむ対象ではありません。子どもの生きる力を育む学習指導要領の正しい読み取りを期待してやみません。
 


79. Posted by toshi   2015年08月19日 14:27
 最後に、《「子どもの(変容する)事実」で勝負するのがプロだと思います。》については強く賛意を表します。
80. Posted by 通りすがり   2015年10月02日 17:07
 次期学習指導要領の改訂スケジュールが示されました。「アクティブ・ラーニング」がキーワードとなっています。さらには、確かな学力の構成要素として、「主体性・多様性・協働性、学びに向かう力、人間性」などが挙げられています。これらは、子ども一人一人の既習事項や既有体験等、パーソナルな側面を無視して成立するものでは有り得ません。
 課題に対峙した際に、子どもがもつ率直な問いや知的好奇心を中心に学習過程を構成する際には、教師の発問・指示・助言はあくまで支援であり、だからこそ、子どもの率直な思いに寄り添う即興的、かつ吟味されたものでなくてはならないのだと思います。
 これは、一見すると矛盾するようにも思われますが、質の高い発問・指示・助言は、アドリブを効かせながらも子どもの発言に即応した、質の高いものが求められます。ある意味、子どもの主体的な学びを促す触媒の役割なのではないかと思います。質の悪いものは、子どもの学びを阻害することはあっても促進することはありません。
 A校長と子どものやりとりは、まさに子どもの主体的な学びを促す働きをしています。だから自然にゆったりと流れ、心地よいのです。
 外野の人間さんがおっしゃる「確かな学力」が、どのようなものかは分かりませんが、上述した「主体性・多様性・協働性、学びに向かう力、人間性」などは、まさに確かな学力の「盤石な土台」です。そしてそれは、子ども一人一人の思いに根ざしています。 
 tossの授業が「子ども一人一人の思い」を大切にしているという証拠を示すことなく、「大事にするのは当然」とするだけで、「教科書で」学力を〜と続けるから、説得力が乏しくなるのです。そして「強制を伴」わせることで教育できると信じて語ることにこそtossの弱さがあります。
 「ドラマのような美しい『お遊戯』」で、子どもは確実に確かな学力をはぐくんでいます
81. Posted by toshi   2015年10月03日 17:35
通りすがりさん
 大変ありがたくうれしいコメントをいただきました。通りすがりなどとおっしゃらず、末永くよろしくお願いしたいです。
 学習指導要領を読まずして、こう書いてあるはずと決め込んでいる方は多いと思います。その点、はっきりと書いてくださって感謝しております。
 いただいたコメントの一つ一つを、《そうだ。そうだ。》という思いで読ませていただきました。
 最後の、「ドラマのような美しい『お遊戯』」で、思い出したことがあります。
 教師主導と異なり、子ども主体の授業は、子どもにとってのストーリー性が生まれます。教師主導は常にプツンプツンと切れます。それによって、学ぶ意欲をなくした子どもが増えていくのでしょう。
 そうならないよう、美しいお遊戯でいきたいものだと思いました。
82. Posted by 電話番   2016年01月09日 19:36
うわー。やっぱりTOSSってきわどい話題なんですね。自分は教育関係じゃなくてただの会社員で良かった(笑)
私は大田区調布大塚小学校に通ったので、37年前に向山洋一に往復ビンタを何度も食らったり、5人組制度で責任取らされたりしましたが、彼のことはとっくに許しました(笑)。
なぜ許せるか、そういう不合理に思える大人も社会に存在する、と知ったからです。反面教師だと。素直でなくなるのも教育かと。むしろ、残念だったのは両親です。私よりも洋一に味方についた。私は孤独になった。
いい先生も悪い先生もいると思います。それが現実。それも受けとめられる生徒でなきゃ。子供がそう余裕もって先生に接せるように、私はどんなことがあっても無条件に子供の味方に努めなくてはならない、と思ってます。
83. Posted by toshi   2016年01月10日 13:46
 電話番さん、うわーっと、まねしたわけではありません。ほんとうに驚きました。向山氏の教え子と称される方からコメントをいただくのは、これでお2人目です。もうお一人はコメントの39番です。ご覧になりましたか。この方と学校は違うようですね。
 本記事は8年前のものでありながら、根強く読まれているようです。コメントも切りなく入ってくる感じです。拙ブログ人気記事ベスト20の上位を常に占めています。
《子供がそう余裕もって先生に接せるように、私はどんなことがあっても無条件に子供の味方に努めなくてはならない、と思ってます。》
 ああ。電話番さんのような方こそ、学校の先生になってほしかったですね。わたしもそれを心がけています。
 ありがとうございました。
84. Posted by 電話番   2016年01月26日 19:23
レス遅れてすみません。。昭和54年当時、彼の教室には端に机と本棚があり、休み時間は煙草を吸って文書を書いているのをよくみましたね。最初、彼の厳しい授業に付いてゆけない自分を責めましたが、家庭訪問の資料に「心を入れ替える必要があります」と書いてあるのを見て、この先生を信じるのをやめました。
それ以降、抵抗はしませんが服従しませんでした。当然可愛くない生徒なので、相応の仕打ちは受けましたが、翌年五年生のクラス換えで他校からの新任先生に移りました。
結局「彼は私を屈服させることが出来なかった」と思ってます。
まあ彼は帝王としての自信があったのと、周囲の関係者が重鎮として崇められてしまったのだと思います。
しかしながら、教師の世界では仮に重鎮だとしても、私のような一般企業の会社員からすると「スーパーマンなの?」という評価しかできず、ちやほやしようがありません。ある意味「先生」と名の付く方には無条件に従わなければならない、という時代のスーパースターだったのでしょう。彼の追従者はいるが彼を超えたものがいないところに、フェイドアウトも時間の問題と考えます。
さて、いま3歳の息子がリテラシーの未熟な小学生になり彼が担任になったとしたら、親である私はどうするか。
モンスターペアレントになんかなりません。「悪い教師もいることを知りなさい。でも、どうしてもこれ以上無理ならば、学校なんか行かなくていい。お父さんも中学校を結構休んだしね」と。
85. Posted by 電話番   2016年01月28日 08:51
追伸 学校の問題は企業の問題と似ています。いじめや体罰はブラック企業の問題と組織上近いものがあります。人事や総務畑を渡って来た目から見ると、もちろん悪い環境を作らせないのが基本ですが、最終手段として傷だらけになって事件になる前に、会社を休むとか替える選択肢を用意します。義務教育は会社と違ってイヤならやめることができない。先生もその生徒に「休め」と言えない。お互いにジレンマです。ならば思いきって通信制の義務教育は?と思います。少なくともクラスでのいじめは発生しようがありません(笑)。
86. Posted by toshi   2016年01月30日 05:37
電話番さん
 《「先生」と名の付く方には無条件に従わなければならない、という時代》とあります。
 ちょっと矛盾したことを書かせていただきますが、分かるような気がします。今もそうした状況はありそう。
 でもやはり、一般的にそう思われているとすれば、残念で仕方ありません。ましてスーパースターなどと言われてはね。
 子どもを自分の思うとおりにしようとする教員は、思うとおりにならない時、《子どもが悪い。》という思いになります。《「心を入れ替える必要があります」》がそれを証明しているかのようです。
 強引にやろうとしても子どもには子どもの思いがあるのです。子どもの側に立てば、《屈服させることが出来なかった》となるのですね。
 教育の主人公はあくまでも子ども。教員は子どもの伸びようとする心を支える存在でありたい。電話番さんを悩ませずにすみ、子どもらしさを育む学校でありたい。それが人間性豊かで自己実現を可能にする教育なのです。
 電話番さんには、そういう学校もたくさんあるのだということを信じていただければうれしく思います。
 
87. Posted by 左巻健男さまきたけお    2016年12月04日 08:24
5 理科教育と「水からの伝言」「EM菌」などのニセ科学批判をしている者です。これらのニセ科学を教育界に広めたTOSSの向山洋一氏が今どうしているかを検索していて見つけました。本文、コメントを読みました。

向山氏をふくめて教員は成長もするし退歩もします。若い時期の問題もいつまでも持ち続けてはいなかったでしょう。

ぼくは若いとき「法則化の理科は教育実習生レベルで弱すぎ」と指摘したら向山氏は「その通り。左巻さんらの科学教育研究協議会の成果も学ぶべき」と言いました。

TOSSは極右的な歴史捏造、無条件的な原発推進…もあって、ぼくは批判的です。
88. Posted by toshi   2016年12月10日 11:20
左巻健男さま
 うわあ。先生からコメントをいただけるなんて、大変光栄です。本文及びコメントも読んでくださったとのこと。大変膨大になっているので、大変だったと思います。ありがとうございました。
 わたしは本記事で、特にニセ科学にはふれていませんが、問題解決学習は、こうしたものに惑わされたり信じたりしないで、自己実現を目指す人間の育成もねらっていると思います。
 
 
 

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