2008年07月28日

どの子も大切に、4

c004a3e3.JPG ここのところ、『虹色教室通信』『ADD?先生の発達障害児 教育支援サイト』の運営者であるなおみさんとコメントのやり取りをすることがふえ、そのことから思い出したことがある。


 もう、20年以上もむかしのことだ。そのときは、3年生担任だった。その学級に一風変わった子がいた。今、Aちゃんと呼ぼう。

 ごめんなさい。『一風変わった』というのは、そのころのわたしの受け止め方だった。当時はまだ、学習障害についての知識はまったくなく、言葉すら知らなかったので、わたしは、ただただ多様な個性の一つとしてしか見ていなかったと思う。


 しかし、『何でも言い合える学級づくり』『一人ひとりの思いを大切にし、それによって学習を進める授業づくり』を目指すわたしとしては、やはり、Aちゃんの思いも大切にしたつもりだ。


 どのように大切にしたか。


 休み時間などに、わたしのそばにきて、話しかけてくる子がいる。そうすると、何回か、次のようなことを言われることがあった。

「toshi先生。Aちゃんて、少し変だと思わない。『何で今、そんなこと言うのだろう。』とか、『違うでしょう。今、話し合っていることは。』とか、そう思うことってなあい。」
「そうだよ。もう、そういうとき、『話、やめてよ。』って思っちゃうよな。」
などと言われることがあった。

「そうかい。でも、Aちゃんの頭のなかには、いろいろなものがいっぱいつまっていてさ、それで、みんなの発言を聞いていると、どんどんひらめいちゃうのではないかな。

 それで、Aちゃんて、いつも、すごく真剣だから、Aちゃん自身は、今話し合っていることと違うなどとは思わないで、発言するのだと思うよ。」

などと答えていたのだと思う。


 それで、場違いだと思うようなことがあっても、

 黙ってやり過ごしたり、

 「あっ。それはさっき話し合っていたことだね。・・・。なるほど。さっきのみんなの思いが補強されたね。よかった。(さっきの板書に付け足した板書をしながら、)よし。じゃあ、話し合いを戻そう。」
と言ったり、

 「あっ。それは、すごく大事ないい意見だけれど、今話し合っていることとは違うから、こっちへ書いておくね。」
と言って、まったく違った場所に板書したり、

 「うわあ。すごい。それ、5年生で勉強することだよ。5年生になればきっと話題になることがある。それまでとっておけたらすごいな。」
などと言うように努めた。


 だんだん、子どもたちも、Aちゃんの個性にお付き合いすることが上手になっていった。

 『うわあ。まただ。』などと露骨にいやな顔をすることがなくなった。

 『ひらめきちゃん。』などというニックネームをいただくようになった。それは、決していやみでなく、愛称ともいうべき、親愛の情をこめたものだったので、Aちゃん自身も、にこにこしていた。



 Aちゃんは発言力のある子だった。そして、一つひとつの発言が長かった。長い上に、話はあっちこっちへとぶことが多かったから分かりづらくなりがちだった。

 だから、初めのころは、Aちゃんを指名すると、露骨にいやな顔をする子もいたのである。




 でも、学級経営を行っているわたしにとって救いだったのは、

 Aちゃんは、そういう顔をされても、いっこうに気にする気配はないことだった。

 いつも楽しそうににこにこしながら発言する。なんか、教室の雰囲気とは別な境地にいるような、そんな感じがあった。

 そんななかで、変容していったのは、学級のみんなのAちゃんを見る目だったような気がする。話を聞くことに、根気強さが出たようだった。


 そして、もちろん、ときには、その場に合ったすばらしい、宝物のような発言もあるから、そのときは、みんなから大きな拍手をもらっていた。




 さて、話は変わる。


 その数年後、ある講演を聞いた。申し訳ないことに、講演された方を忘れてしまったのだが、


「〜。

 わたしたちは、ゴキブリを見ると、『きゃあ。』なんて言いますが、ゴキブリって一匹見たら、そこには、数十倍のゴキブリがいると思っていいのだそうですね。大部分のゴキブリは人の目にふれるようなところには出てこないからでしょう。

 さて、これをゴキブリ社会の側から見ると、どういうことが言えるでしょう。大部分の平均的ゴキブリは、自分たちにとって快適な場所で過ごしています。そういうゴキブリは、決して人の目にふれるようなところには出てきません。ゴキブリ社会の優等生かもしれないし、模範生かもしれないし、ある意味では、秩序を保つゴキブリなのです。

 そうすると、人の目にふれるゴキブリは、ゴキブリ社会の異端児ということになりますね。好奇心が強いのかもしれません。安住の地だけで過ごすのでは、欲求不満になるのかもしれません。

 それで、自分にとって決して過ごしやすいところではないけれど、別世界はどうなっているのだろうという興味関心で、人の目にふれるようなところへ出てきて、キャーとばかりたたきつぶされることもある。そして、駆除剤などをまかれて、ゴキブリ社会に迷惑をかけることも多い。

 しかしね。みんながみんな、安住の地にいるゴキブリばかりだったら、ゴキブリの進化はありません。その快適な居住空間がつぶされたら、ゴキブリは絶滅です。

 突然変異ということもありますが、やはり、こういう好奇心の強いゴキブリがいるからこそ、進化の可能性が開けていくわけです。こういうゴキブリこそが、新しい社会を切り開く力になるのです。

〜。」


 もちろん、これは、教育論へとつながっていくのである。

 わたしは、この話を聞いたとき、Aちゃんのことを思い浮かべていた。

 平均的人間ばかりでは、人間社会は変化しない。進歩しない。


 ところが、十把一絡げの教育をしているところでは、平均的人間しか相手にしていないのではないか。異端児が排斥されるということはないか。


 読者の方の中には、エジソンの子ども時代、あるいは、窓際のトットちゃんを思い浮かべた方がいらっしゃるかもしれない。


 やはり、こういう子どもも大切にする学校でありたいものだ。


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 今日の話題は、かつてのKYシリーズに近いかもしれません。そこで、その(1)にリンクさせていただきます。あわせて、ご覧いただければ幸いです。

   KY いやな言葉(1)

   『すぐ涙ぐんでしまう子』に続く。

rve83253 at 12:45│Comments(2)TrackBack(0)児童観 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年07月29日 17:54
子ども達が、自分たちとは少し違うように感じるAちゃんを、仲間として受け入れてくれてよかったです。子どもは大人の言葉かけひとつで、大きく自分のキャパシティーを広げる柔軟性を持っていますね。
toshi先生の記事を読んで、私もそんな子どもの心の広さや優しさを感じた出来事を思い出しました。
上のURLにリンクしてあります。

よろしければ読んでくださいね。
2. Posted by toshi   2008年07月31日 01:09
なおみさん
 リンク先の記事、読ませていただきました。
 驚きました。今、わたしが担当している初任者のクラスにも、まったく同じような事例があるのです。
《すねているのなら 無理やりつれもどしても しかたがないから 気持ちが済むまでそっとしておく
という作戦に出たようなのです。》
 これと同じようなことを初任者に言ったこともありました。
 給食になっても食べないで泣き続けていることもありました。その日、子どもたちが帰ったあとで、初任者に聞くと、
「でも、こういったこと、昨年よりはものすごく減っているのです。」とのことでした。
 「そうか。それなら、その減ったことをうんとほめてやればよかったね。」
とわたしは答えました。
 

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