2008年07月30日

ブログと問題解決学習4

1dc37756.JPG わたしにとって、ブログがとても大切なものであることは、すでに記事にしたことがある。

 検索が人生を変える。

 ここでは、ブログが、わたしの退職後の人生に大きな影響を与えてくれたことにふれた。

 もう一つ。

 ブログの効用

 ここでは、ブログを通して学ばせていただいたことの中身にふれた。

 双方とも、たぶんに、『わたしにとってのブログ』という色彩が濃かった。

 

 それらを受け、ここでは、一般的な意味でのブログの効用にふれてみたい。そしてさらには、その負の部分にもふれたうえで、最後に、教育のあり方を考えてみたい。
 

 

 ブログの効用を、自分事としてでなく、一般的な意味で確認させていただいたのは、ドラゴンさんのコメントだった。(『校長先生の授業(2) TOSSとくらべて』の記事にいただいたコメントの7番



 今、それを引用させていただきたい。

《ブログは学びの場として非常に価値のあるものだと考えております。わたしはそれをやっていませんが、学びの共同体が、ブログにはあるのだろうと思います。
 それでは、書かれていることを読むだけより、こうして自分で発言する、そして意見を交流する、そういう方が、より学ぶことができます。大人も学ぶときには、一方的に情報が伝えられるより、そういう方が、より学ぶことができます。》



 そうなのだ。

 コメント欄の活用は、まさに、大人の学び合い、大人の問題解決学習なのだ。お互いに意見交換を通して学び合うことにより、価値を深め合うことができる。

 また、それは何もブログを運営しなければダメということではない。たとえ、自分のブログをもっていなくても、人のブログに書き込むだけでもよい。



 記事は、さしづめ、問題の提示となるかな。

 そして、その記事を受けて、読者の皆さんからのコメントがある。これは多様だ。まず、思いの発表がある。賛成、反対の意思表示もある。
 
 コメントを通し、お互いに資料の提示をし合うこともある。

 視点をちょっと変えてみることもある。

 ときには、意見の対立もある。それによって、自分の意見を修正することもある。

 これらはすべて、問題解決学習の手法だ。



 ただ、学校の授業での問題解決学習と異なるのは、

・先生役がいない。

 子どもではなく、大人なのだから、もともと先生役は要らないとも言えるが、それゆえ、コメントを入れる人の節度が求められる。
 幸い、拙ブログにコメントをくださる方は、もうほとんどが価値を深め合うという方向で、真剣に論述してくださる。大変ありがたい。

・意欲付けを考える必要がない。

 そう。ブログは、もともと興味関心のある方々の集まりだ。その方々によって、各ブログを中心とした『共同体』ができる。そのなかには、ただ読むだけでよしとし、学習を完結させる方もいらっしゃるし、コメント欄に書き込むことによって、議論したり、深め合ったりしようとする方もいらっしゃる。

 もちろん、意欲付けをまったく考えないわけではないが、つまり、『多くの人に読んでもらおう。』という思いはあるが、しかし、まったく関心のない方にまで読んでもらうことは不可能だ。『共同体』に入るか入らないかは、自由意志なのである。

・ねらいがない。

 記事にはテーマがあるだろうが、読まれる方は、必ずしもそのテーマに沿ってコメントをくださるとは限らない。『共同体』の皆さんの意思によって、テーマが定まっていくとも言える。

 もちろん拡散する場合もある。ときに、『記事の内容とはかかわりませんが、〜。』などとおっしゃって、記事から思い浮かんだ別件に話をもっていく方もいらっしゃる。

 でも、それはそれで、いっこうに構わないのが、ブログのいいところだ。

・途中からの出入りが自由である。

 そう。

 ブログ『共同体』の構成員は、いつも不特定多数である。参加する人数も、メンバーも日々違うはずだ。出入りは自由である。そうした気楽さがある。『学びたい』方々による任意な共同体なのである。




 考えてみれば、ブログ以前、こういう『共同体』は、ありえなかった。誰一人考えもしなかっただろう。夢想すらできなかったに違いない。


 わたしたちは、いい時代に生を享けたものだ。

 リアル社会では永遠に知己となり得ない方々と、ブログの世界ではこうして懇意に願うことができる。こうした方々とのふれ合いが、一人の人間の、人生の転機となることもありうる。いや。何をかくそう。現実にこのわたしがそうであった。感謝している。




 しかし、自由度が高いだけに、いい面ばかりではない。使い方を間違えると、マイナス的な部分も発生する。

 そこで、今度は、ブログの負の部分に目を向けてみたい。

 常々感じていたことではあるが・・・、

 なおみさんからいただいたコメントで、『そうだよなあ。』と、強く感じたことがある。

 これも、今、引用させていただきたい。



 《私は、〜、中高生と話をする機会がよくあります。中高生の子らが、他人の…それも目上の人であっても、一部に自分の「良しとするもの」と違う部分を見つけると、それだけで相手を全否定してしまう姿が気になっていました。かと思うと、支持している人物に対しては、まるで宗教の信者のような態度になってしまうのです。》


 これには、ものすごく納得させられたのである。

 もとより、なおみさんは、ブログの弊害としてこれを書かれたわけではない。むしろ、リアル社会の現実を書かれたものであろう。

 しかし、これは、ブログにも当てはまる。


 もう一つ。

 これは、何も、中高生だけのことではあるまい。日本人の大人にも、かなり蔓延しているように思われる。



 ブログが登場し、『表現』が大衆化して、まだ10年はたっていないのではないか。だから、まだ、それは発展途上で、洗練されていない。

 そこで、もともとある、日本人の議論下手が、ブログに露骨に現れてしまったと言えるのではないか。


 なおみさんが指摘された以外にも、

・話の全体を見ず、一部にのみ反応し、曲解のコメントを加える。

・議論が議論にとどまらず、人格攻撃にまで及んでしまう。

・感情的になり、論理の破綻をきたすこともある。

・対立すると、議論はいつまでも平行線。学び合いというよりも、言い合い、攻撃し合いとなってしまう。


 これでは、何のためにブログをやっているのか分からない。せっかく人生に栄養を与えてくれるツールを手に入れたのに、もったいない話だ。



 
 さて、

 こうしたブログの負の部分にふれると、『これは学校教育の責任も大きいな。』と思わざるをえない。



 ここで、姪から届いたメール(2)という、かつての記事を紹介させていただきたい。

 この記事のなかほど、
『ここから先は、英語学習についでではないのですが、ついでにおじさんにお話したいことがあります。』
からである。

 日本人の議論が、どうして洗練されたものにならないか。そのヒントを与えてくれるように思う。


・姪が言うように、多くの日本人は、子どものとき、考える学習をあまりしてきていない。当然議論も薄い経験しかしていない。

・知識中心、覚えること中心の学習だから、意見の多様性を認めることに慣れていない。自分と違う意見でも尊重し合う習慣がない。

・おまけに、強制、叱責の教育文化だから、自己肯定感が養われない。



 こうしたことが、ブログ文化の成熟をいまいち遅らせているような気がしてならない。



 これは極端な言い方だが、

 問題点を分かりやすくするために極論を展開するのであり、それ一辺倒の人は、ほとんどいないことを承知の上で言わせていただくのだが、


 まわりから自分の存在を否定されて育った人は、自己否定の心しか育まれることがなく、『自分はダメな人間だ。』という思いになってしまう。

 自己肯定させてもらった経験がないので、自己肯定感なるものが分からない。理解できない。月の裏側のようなものである。いや。月に裏側があることすら、把握できない。

 だから、他人の言動に自己と同様のものを見ると、自己否定の心が他者の否定に転移してしまう。


 
 さきほど、これは極端な言い方と述べた。

 しかし、どうだろう。『そうした傾向がありはしませんか。』というボヤっとした意味あいで投げかけられれば、それは、わたしも含め、多くの日本人に当てはまるのではあるまいか。

 わたしの場合は、ふだんはさほどでもないが、信頼をくずされたとか、予期していない事態に遭遇したなどというとき、パッとそういう自分が現れてしまうようだ。

 気をつけてはいるのだけれどね。



 話を戻そう。

 そうは言っても、別に悲観しているわけではない。

 年月とともに、『ブログはどうあるべきか。』というのが、だんだん共通理解され、人々の心も洗練されて、望ましい方向に行くと思っている。そして、ブログを通して、日本人のリアル社会における議論も、洗練されたものになっていく。

 そうなってほしいものだ。



 それともう一つ。

 将来の日本人を考えた場合、

 これは、家庭教育、学校教育、どちらでも、大切にされなければならないだろう。

 鉄は熱いうちに打て。

 やはり、小学校低学年のときから(いや。もっと小さいうちからかな。)育んでいくべき資質ではないか。

〇自己肯定感を育もう。それには、『豊かに考えたこと』『豊かな人間関係の構築に寄与できたこと』『できるようになったこと』『分かったこと』を認め、ほめてやるべきだ。

 また、認め方、ほめ方は、十把一絡げではダメだ。Aちゃん、Bちゃんに合ったほめ方、認め方を心がけよう。そうしないと、ほめられる一方の子、叱られる一方の子が出てしまう。

〇議論の仕方を学ばせよう。意見はいろいろあっていいこと。違いは尊重しなければいけないこと。自己主張、自己表現はしながらも、相手の主張や表現の方が正しいとか、妥当性があるとかいった場合は、それを認める力も大切であること。

 これは口でいくら言いきかせてもダメだ。それができている子をほめる。できるようになった子をほめる。後者の方が有効かな。

 それを学級全員に聞かせることによって、輪の広がりをねらう。

 そうすれば、大人になったとき、『あの人の言うことに対しては、常に反対。』などというようにはならないのではないか。また、いつも、『自分が正しい。』ともならない。

〇考える学習を大事にする。考える力を養うことが、人格の陶冶を導く。

 これは、過去記事『知徳不可分』を参照してほしい。  

 

 大人は、ブログなどをやりながら、こうした資質を磨いていく。

 子どもに対しては、上記のような教育を大事にしていく。

 そうすれば、将来の日本には、すてきなブログ文化が花開くのではないか。認め合い、学び合い、刺激し合い、など、など。

 それはブログにとどまるものではない。豊かな人生への栄養になっていく。


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 上にリンクさせていただいた、『知徳不可分』の記事ですが、問題解決学習が、いかに子どもの心を養い、いかにまともな議論の成立に寄与するものであるか、詳述しています。

 まだ、お読みでない方は、ぜひお読みいただけたらと思います。


もう一つ。お願いです。

 本記事では、ちょっと『学習』『学習』と書き過ぎました。

 どうぞ。そのようなことは気になさらず、お気軽にコメントをお寄せいただければと思います。よろしくお願いします。

rve83253 at 18:21│Comments(8)TrackBack(0)ブログ、ネット | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by ドラゴン   2008年07月30日 19:10
コメント取り上げていただき大変恐縮です。
私も、ブログというのをよく理解しておりませんでしたが、ニセ科学の方々のブログで、議論を拝見していて(時々発言させていただき)、本当に勉強になりました。
また、教育にかかわる人間として、議論を見ていると、それぞれの方が成長していくのが、見えて大変面白く思いました。
研究者の方も素人に分かりやすく表現しようと工夫されたり、素人の方も質問を工夫したり、それぞれ努力しているようにも見えます。
これが学びなんだなあと感じました。
それから、あちこちお邪魔するようになりました。
2. Posted by ドラゴン   2008年07月30日 19:16
もう一つ、ブログは若い先生に役立つだろうと思います。
今月もいくつか授業研究会に参加しました。
協議会でも、若い先生はなかなか発言できずに、しきりにメモをとっているだけです。熱心で真面目な先生ほど、そのように見えました。
ブログだと、年齢も関係ない、立場も経験も関係なく、等しく議論できますね。若い先生には、このようなところで、思い切り発言していただき、学び合っていただけたら、と思っておりました。
 
そうしましたら、先生は、すでにやられていたんですね。気が付きませんでした。お恥ずかしい。
そちらも楽しみにしております。
3. Posted by toshi   2008年07月31日 02:51
ドラゴンさん
 わたしも、亀@渋研Xさんのブログには、大変啓発されています。
 問題解決学習は、ニセ科学を見抜く力も養っているのだと、それは真実を追求する心や力にもつながると思いますが、そうしたことを実感させていただきました。
《それぞれの方が成長していくのが、見えて大変面白く思いました。》
 いやあ。わたし、記事には書きませんでしたが、ほんとうにそうですね。もちろん、わたし自身も含めています。まさに、ドラゴンさんがおっしゃる大人の学び合いですね。
4. Posted by toshi   2008年07月31日 02:57
若い人についてですが、わたしもかつてはそうでした。先輩方の話を聞く一方だったと思います。
 やはり、発言するようになったのは、『何が分からないかが明確になったとき、』『ある程度、自信が持てるようになったとき』だったでしょうか。
 違った言い方をすれば、『問題解決学習』がおぼろげながら分かりかけてきたといった感じだったでしょうか。
 それ以前は、算数の文章題を解くようなイメージでしたから、そんな段階では、質問のしようもなかったわけです。

 『小学校初任者のブログ』。こちらは、最近、あまり入稿できていないのですが、あらためてがんばらなければと思います。
 ときどき、初任者から、学級経営、児童理解等の相談をいただくこともあるのですよ。
5. Posted by なおみ   2008年07月31日 08:58
ブログは「学びの共同体」「大人の問題解決授業」「遠距離間でのさまざまな立場の人との情報交換を可能にするツール」
というご意見、本当にその通りだと思いました。
私はtoshi先生のブログのお邪魔するようになって、
それとはまた別のブログの長所に2つ気づきました。
ひとつは、リンクによってその方の考えの背景にある経験や思考過程を、議論の最中でも凝縮した形で知ることができるということです。
多くの議論が、平行線に終わる理由は、お互いに使う言葉の持つ重さや意味が、その方の経験や立場によって異なることからおこりがちだからです。
もうひとつは、ひとつのブログに集う読者が、ブログの管理者が異分野のブログと意見交換をすることで、好みや興味、必要によって専門化され分断された集団と集団の橋渡しになることもある、ということです。
6. Posted by なおみ   2008年07月31日 08:59
私の虹色教室通信の読者はほとんど幼児の親御さんです。私がこちらのブログと交流するようになって以来、それまで公立校に抱いていた不信感をいったん脇において、学校教育のゆくえに関心を持つようになった方が多いようです。個人的にお会いしてする会話では、toshi先生の考えに共感されていることがよくわかります。
そうした可能性の幅広さを考えると、ブログの価値はほんとうにすばらしいものですね。これから、ブログのあり方がますます洗練されてゆくことを願います。
7. Posted by toshi   2008年08月01日 20:37
なおみさん
《多くの議論が、平行線に終わる理由は、お互いに使う言葉の持つ重さや意味が、その方の経験や立場によって異なることからおこりがちだからです。》
 ほんとうにおっしゃる通りだと思います。コメントに異論、反論があったとき、その理由に言葉の概念がまったく異なるということがありました。確かに、リンク等によって、かなりそれが理解し合える状況になるということがありますね。
 そうか。リンク等は積極的にやっていいのですね。
 ほんとうに、なおみさんとのコメントのやり取りが始まって以来、わたしのブログの読者の方がものすごくふえています。ありがたいことです。
 公立学校への不信感がかなりあることも理解できました。申し訳ないことです。
8. Posted by toshi   2008年08月01日 20:52
しかし、わたしが言うのも変なのですが、
 子どもを育むことを真剣に考え、すばらしい実践をつみかさねていらっしゃる学校や教員も、たくさんあります。
 わたしのブログによって、《それまで公立校に抱いていた不信感をいったん脇において、学校教育のゆくえに関心を持つようになった方が多い》とするなら、これは大変ありがたいことです。
 今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。

 もう一つ。先の校長先生の授業に、TOSSと思われる方からコメントが入りましたね。それに向けてのなおみさんのコメント、大変ありがたく拝読しました。まったくなおみさんのコメントの通りと思います。学級崩壊や授業の体をなさない授業よりいいことは確かですよね。

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