2008年08月04日

すぐ涙ぐんでしまう子4

90287233.JPG なおみさんから、すてきな過去記事のご紹介をいただいた。『心の中は 誰にもわからない』とある。

 泣いている子の心に寄り添っている、なおみさんのやさしさが伝わってきた。この記事を拝見して、わたしは、この7月、初任者の児童対応で、印象的なことがあったのを思い出した。今回は、その事例と、その際、わたしがどのような初任者指導をしたか、そのあたりのことを書いてみたい。


 ある日のこと、いつものように職員室で初任者を待っていたが、ちっとも戻ってこない。下校完了時刻を30分も過ぎてしまったので、しびれをきらしたわたしは、『どうしたのだろう。』とばかり教室に向かった。
 すると、初任のAさんとBちゃんがこちらへ向かってきた。教室にいたのは2人だけのようだった。

 それを見て、『ああ。そう言えば、・・・。』と思うことがあった。

 この日、Bちゃんは、算数の文章題が解けないといって、泣いたのである。

 でも、それだけのことで、こんな、30分以上も話し込むというのは変だ。
『まだそれとは別に、何かあったのかな。』
と思いながら、2人を迎えた。Bちゃんは、まだ泣き止んでいないように見えた。そこで、ことさら快活を装い、Bちゃんにほほえみかけた。

 Bちゃんを2人で昇降口まで見送り、それから職員室へ戻った。
「すごく時間をかけて話していたようだけれど、何か特別なことでも起きたのかい。」
「あっ。いいえ。今日は、Bちゃん、朝からなんか変で、よく泣いていた2年生のときに戻ってしまったような気がしたものですから。」
「ふうん。どのようなことがあったの。」
「はい。今日は、朝は、友達から心ない言葉をかけられて・・・、でも、そんなことは、子どもだったらよくあることで、特別ひどい言葉でもないのです。それで、泣き、次は、算数の授業で問題が解けないと言って泣き・・・、」
「ああ。それはわたしも教室にいたときだったから、知っている。・・・。そうだね。『簡単なことで泣いちゃうんだ。』って、あらためて思ったよ。・・・。でも、2年生のときよりは、こういうこと、ずいぶん減ったって言っていたよね。」
「はい。2年生のときは、もう、毎日のようでしたから。」
「そうだね。そう言っていたね。・・・。ああ。ごめん。まだ、あったのかな。」
「はい。終わりの会でも、友達から、『もっと大きな声で言わないと何言っているのか、分からないよ。』と言われただけで泣いちゃったのです。」

 わたしは、以前、Bちゃんのことで、Aさんから聞いたことを思い出していた。

・子どもの世界ならふつうにある、ちょっとしたことで、すぐ涙ぐんでしまうこと。
・いったん泣くと、なかなか泣きやむことができないこと。
・それでも、2年生のときにくらべれば、ものすごく泣くことが減って、快活に過ごせるようになったこと。

(ああ。ちょっと説明がいりますね。
 Aさんは今年採用になった初任者だが、昨年度、臨時的任用職員としてこの学校に勤め、2年生を担任していた。だから、子どもや保護者の側から見れば、持ち上がりの先生ということになる。)

「そうか。まず、Bちゃんに対応したことはよかった。3回も泣いたのに、知らぬ顔をして帰してしまうのは、絶対によくない。・・・。
 それは、よかったのだが、・・・、でも、こんな、30分以上もかけて話すほど、重大なことかな。その程度のことなら、こんなに時間をかける必要はなかったのではないかな。・・・。」
「・・・。」
 Aさんは、一瞬、不思議そうな表情になった。『そのようなことを言われるのは、心外。』といった感じだった。

「だって、帰るとき、まだ、泣いているように見えたよ。・・・。明るく、うれしいといった表情になって帰らせることができたのなら、『ああ。よかったね。』と言えるが、30分以上もかけて、相変わらず泣いたままっていうのは、やはり、どのような声かけをしたのか、気になってしまう。・・・。
 Bちゃんのようなタイプの子は、『いろいろ問いただそう、事情を聞こう、励ましてやろう。』とすればするほど、かえって泣きやむことができなくなってしまうのではないかな。
 むしろ、逆に、あっさりと、ほめるところはほめてやって、明るい気持ちで家に帰れるようにしてやりたいものだ。」
「それでは、toshi先生だったら、どうなさったのですか。」

 Aさんの、ちょっとムッとした感じが見てとれた。(Aさん。ごめんね。こんなことまで書いてしまって。)
「そうだな・・・。今日は、久しぶりに涙もろくなってしまったのだろう。それなら、その、『久しぶり』ということをクローズアップさせて、うんとほめてやればよかった。
 わたしだったら、こう言う。
 『うわあ。Bちゃん。すごいよ。わたしはとってもうれしい。
 今日は、めずらしく泣いちゃったけれど、でも、3年生になってから、今日のようなことは、ほんとうに少なくなったね。わたしは、Bちゃんがむかし泣き虫だったっていうことを、忘れていたよ。そのくらい心が強くなったのだね。だから、すごくうれしかった。
 今日は泣いちゃったけれどな。
 でも、たまには、いいよ。いくら心が強くなったって言ったって、我慢できなくなっちゃうときもあるよな。悲しくなっちゃうことだってある。そういうときは、遠慮しないで泣いていいよ。泣いたからって、『ああ。2年生のときと同じで心が弱くなったなんて、わたしは、絶対そんなふうには思わない。』
 そのように言うかな。」

「ああ。そうですね。・・・。そんなふうに言われたら、Bちゃんもうれしいでしょうね。」
「そうだよ。明るい気持ち、うれしい気持ちになって、家に帰れるだろう。そうすれば、今ごろは、もう、学校で泣いたことなど忘れて、家で元気にとび回っているかもしれない。」
「ああ。わたしは、逆の対応をしてしまいました。励ましたつもりだったのですが、『もっと強くなろうね。』って言ってしまったのです。・・・。それじゃあ、『Bちゃんは弱いよ。』って言っているのと同じですね。」 
「うん。そうだね。弱いって言われるよりは強いって言われた方がうれしいだろう。
 でも、むずかしいよ。
 あまり、『強くなった。強くなった。』って言うのも、本人の負担になってしまったらかわいそうだ。だから、『泣いたっていいよ。』と言ってやるのも大切なのではないかな。」
「はい。分かりました。それじゃあ、明日の朝の会で、みんなの前で、そう言ってほめてやります。」
「そうか。それはいい。ぜひそうしてやりなよ。・・・。学級のみんなも、『そうだ。ほんとうだ。Bちゃんはものすごく泣く回数が減った。強くなった。』そう思うだろう。
 でも、あっさりやることが大事だよ。こういうことは、時間をかけてはダメだ。おおごとになっちゃうからね。

 それから、『ついでに、』と言っちゃあ何だが、Cちゃんもほめてやりなさい。
 2年生のときは、すぐいじけてしまったのだろう。いったんいじけると給食も食べなかったって言っていたじゃないか。今、Cちゃん、まったくそういうことはないのではないかな。なんか、学級生活が、楽しくって仕方ないっていう感じだ。

 これも、いいチャンスだから、Bちゃんと同じようにほめてやればいい。
 いろいろ、言いたいことを言ってごめんな。

 でも、Bちゃんにしろ、Cちゃんにしろ、3年生になってすごく成長したことは間違いない。これはもう、Aさんの学級経営がすばらしいことの証明だ。

 だから、その点は自信をもってやりなさい。今日の話は、お料理にすれば、ちょっとした味付けの問題と思えばいい。」

 わたしは常々、このブログでも、『一人ひとりのあるがままを認める。』と言ってきた。しかし、それは、『あるがままで、ほおっておいていい。』と言っているのではない。


 あるがままを受け入れる。受容する。第一段階として、それは大切だ。

 しかし、指導する側に、『あるがまま』を受け入れる姿勢があれば、子どもは『あるがまま』を存分に発揮するようになるだろう。そのなかには、さまざまな問題性も含まれているに違いない。

 そうしたら、そこに指導者としての願いをもつ。当然のことだ。そうして、本日記事にしたような対応を心がけることによって、子どもの内発的動機付けによる変容をねらう。

 内気な子は、活発になるように、自己主張ができるように、

 活発な子は、落ち着きを見せるように、自制の心をもつように、

 短気な子は、辛抱強くなるように、

 見栄っぱりな子は、人知れず努力する姿勢が身につくように、

 自己中心的な子は、他人の心をおもんばかれるように、

 それらは一足とびにというわけにはいかないが、指導者のはたらきかけによって、じわじわじわっとにじみ出るように、豊かな人間性を発揮するようになる。


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 この学級は、どの子も、楽しそうに生活していてとてもいいと思いますが、思ったことをすぐ口にする子が多いので、小さなトラブルはわりとあるのです。

 9月以降、思いやり、やさしさに満ちた学級になるよう、わたしも、縁の下の力持ちとして(?)がんばろうと思います。 

rve83253 at 12:09│Comments(12)TrackBack(0)子ども | 児童指導

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年08月05日 15:55
<指導する側に、『あるがまま』を受け入れる姿勢があれば、子どもは『あるがまま』を存分に発揮するようになるだろう。そのなかには、さまざまな問題性も含まれているに違いない。
そうしたら、そこに指導者としての願いをもつ。当然のことだ。>
この部分とても難しく大切な問題と感じています。私の教室でも、親御さんといっしょに子どものあるがままを受け入れていった時、行き過ぎたわがままにつながることもあるのです。



2. Posted by なおみ   2008年08月05日 15:57
特に高学年の発達障害を持った子は、限度を超えがちです。そこで、学習やルールのなかでも大事なひとつの線を守るために、子どもと激しく長いぶつかり合いになることがあります。親御さんがそれまで、子どもの好き勝手な要求に終いには根負けすることを繰り返してきた場合、子どもはわめく暴れるといった手段でどこまでも抵抗します。そうした時、私も、子どもを無理にねじ曲げはしないけれど、指導者としての願いは捨てないという態度から離れないように気をつけています。
<自己中心的な子は、他人の心をおもんばかれるように>…広汎性発達障害の子には難しい課題です。でも常に願いとして、子どもの心に伝え続けていきたいです。

上のURLは、受動型の広汎性発達障害の子の問題です。学校との関係に悩まれています。
3. Posted by toshi   2008年08月05日 18:11
なおみさん
 重たい課題ですね。ふつう級と個別支援級とでは、やはり違うのでしょうか。
 問題解決学習についてですが、ふつう級の児童の切実な問題の構築を考えると、不規則発言も認めたいし、話があっちこっちへ飛ぶことも許容することが多いです。
 そこで、指導者の重要な役目は、話し合いの交通整理とか、何が解決して何が残っているかを明確にするとか、そういうことが大事な役割となってくるのですが、それは、障害のある子にとっては混乱のもとになることが多いのですよね。
 本記事でも、自らの気づきを待つ姿勢で臨むことを書いているのですが、それは、障害児教育においては、むずかしいことが多い。

 わたしにとって、初任者指導の1年目。それは、3年前になるわけですが、担当した初任者の中に、個別支援級の担任がいました。
4. Posted by toshi   2008年08月05日 18:19
障害児教育について、ほとんど経験のないわたしは、初任者とともに、長く障害児教育に携わっていた教頭先生の指導をいただいたのですが、やはり叱らなければいけないときは、毅然たる態度で叱ること、そういうときは、自ら気づくなどという問題ではないことを学びました。そうしないと、何がいけないことかが分からないのだとのことでした。
 でも、そうは言っても、日ごろの授業では、子どもの意欲づけをねらい、興味、関心、意欲、態度を構築すべく、子どもの思いを大切にすることももちろんやったのです。
 障害児教育だって、学びの必然性は大事だし、子どもの思いのなかで学習がつながっていくことも大事なのだと思いました。
 そのあたり、どうも、わたしは、いまだによく理解できていないなと、特に最近、なおみさんとやり取りするようになってから、よけい感じています。まだまだ学びが足りません。
5. Posted by toshi   2008年08月05日 18:31
今日、なおみさんからいただいたコメントで、2つのことを感じました。
 一つ目。
 やはり、どう指導していくかは、一人ひとりなのでしょう。障害といっても、それぞれ違うのですから、指導も、Aちゃん、Bちゃんで違ってくるということなのでしょう。また、ふつう級にいても個別支援級にいても違和感のない子というのは、ふつう級でわたしたちが行う問題解決学習に力を発揮する子もいれば、発揮できないどころか、落ち着かなくなってしまう子もいるということなのでしょう。ですから、一人ひとりをしっかり見て、指導法を考えたり工夫したりしないといけないということではないでしょうか。
 
6. Posted by toshi   2008年08月05日 18:31
二つ目。
 なおみさんの場合は、あくまで、個別な指導ですよね。指導の場に友人はいないだろうし、いても、きわめて少数なのではないでしょうか。
 その場合の指導は、自らの気づきを待つ指導も、限界があると思います。子ども同士の刺激のし合いというのは限られているからです。
 そうした意味で、学級での一斉学習とは、一線を画すものでないといけないのではないかと思いました。

 ご紹介いただいた記事、もうすでに読ませていただいたのですが、再度、これから、読ませていただきます。
7. Posted by なおみ   2008年08月05日 19:55
コメントへのお返事ありがとうございます。toshi先生のようにひとりひとりの心へ配慮した指導であれば、問題解決学習もどの子にも良いものをもたらすと思います。
私がしているのは、家庭における問題解決授業なのですが、発達障害の子に対しては、さまざまな点で気をつけています。

最近、広汎性発達障害のひとつのアスペルガー症候群の子の犯罪が問題になっています。(上のURLの記事で取りあげています)学校生活での迫害体験が大きな原因のひとつだと考えられます。
8. Posted by なおみ   2008年08月05日 19:56
私が今の学校の大きな問題と感じるのは、自閉症と同じ特徴を持つ広汎性発達障害と、多動のADHD、学習面での特別な配慮が必要なLD児への接し方のちがいを普通級の先生方で知らない方が多いことです。
はるえもん先生の発言は、広汎性発達障害の子の融通のきかなさや他の子の言動から学んだり、自ら気づいたりできない特徴から考えて、理解を求めるものだったと思います。
私は普通級の授業は、たとえ未診断の広汎性発達障害の子がいたとしても、toshi先生のご判断されるくらいの自由度があった方が良いと思っています。しかし、同時に、先生方がこうした特徴を持った子が混乱するかもしれないということを頭の隅に置いておくのが大事なのかな…とも感じています。
また、一般的な子には、考えさせる学習が絶対大切だけれど、LDや広汎性発達障害を持った子には、考えずパターンを暗記させていく学習も大切だとも感じていて、反パターン暗記派でありながら、そうしたことを多くの方々に知っていただきたいとも思っています。


9. Posted by なおみ   2008年08月05日 21:37
私の初めのコメントは、言葉足らずで、自分の気持ちがきちんと伝えられなかったのではないかと思っています。私はtoshi先生の記事を読んで、その通りだな、発達障害の子に対するときも、こうした思いを大切にしよう…と感じました。
私ははるえもん先生のおっしゃることは本当によくわかると思う一方、普通級はtoshi先生のおっしゃるような形でないとよくないと考えています。
うまく表現しにくいのは、私自身が数年前までよくわかっておらずADHDと同じくくりで捉えていた普通級にいるアスペルガー症候群の子の問題なのです。そうした子達に、かかわればかかわるほど、自分には理解できていなかった自閉圏の子の認知のあり方に驚き、迷いや悩みを抱いている昨今です。
それがtoshi先生への失礼な言葉として伝わっていなかったかと心配しています。

10. Posted by toshi   2008年08月06日 22:58
先日来、アスペルガーの子と問題解決学習については、考え込んでいます。そして、わたしなりに、今現在の見解は、下記の通りかなという思いに至りました。どうぞ、ご批判、ご叱正いただければ幸いです。
 わたしは、基本的に、子ども主体の学びである問題解決学習でいきたいと思います。どの子も生きる学習というのが、この学習法の命なのですから、アスペルガーの子が学級にいるのであれば、その子が生きる学びについて、学級のみんなが思いをいたし、『ああ。これは、ただやみくもに議論をしていてもしょうがない。もっときちんと整理して話し合い学習を進めよう。』とするような学級集団づくりをおし進めることが大切なのではないか。そう思うのです。
 
11. Posted by toshi   2008年08月06日 23:03
つい先日の『どの子も大切に』の記事は、その一例を示したつもりです。
 なお、アスペルガーの子をおもんばかる場合、そのメリットは、アスペルガーの子だけにあるのではありません。『いろいろな個性を認める。』『真の意味の共生を学ぶ。』という意味では、学級の子全員にもメリットがあるのだと考えます。
 なお、障害のある子に寄り添う学級集団づくりの例を一つだけ紹介させてください。
 交流教育については、すでに一つ、記事を紹介させていただきましたが、それとはまた別な事例です。本コメントのHNにURLを貼り付けさせていただきました。
『人権教育(6) 交流教育』なる記事です。
12. Posted by toshi   2008年08月06日 23:10
すみません。もう一つ。URLを貼らせていただきます。これは、選択性かん黙の子どもがいる学級で、その子に学級の子が寄り添うようになる学級経営について、記事にしています。初任者の学級です。
 よろしくお願いします。

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