2008年08月09日

問題解決学習への誤解(2)4

416d425f.JPG 先の、『ブログと問題解決学習(2)』の記事に、精神505さんからコメントをいただいた。

 それには、『算数の問題解決学習は、最低最悪の授業方法である。』とある。こういうコメントをいただくのは初めてではないにしても、少なからず驚いた。(同記事にいただいたコメントの3番

 
 併せて、同氏のブログ『声を思いっきり出したい!!』ものぞかせていただいた。そうしたら、同コメントと同趣旨の記事があった。

   『算数の授業について』    

 同氏が、これまでご覧になった、『いわゆる問題解決学習なる授業』をネタに、問題解決学習そのものの批判を展開されていた。

 わたしに言わせれば、そんなのは、『問題解決学習のかたちをまねしているだけで、子どもを育むという観点から見た場合、問題解決学習とはとても言えない代物である。』となるのだが、

 そうした授業しかご覧になっていないのであれば、それを問題解決学習と思い、批判されるのも、無理からぬことかな・・・とも思う。


 
 かつて申し上げたことがあるが、公教育は、ある意味、地方分権が徹底していて、このような、指導法、授業観なるものについて、他地域と交流することは、ほとんど行われていない。(わたしは、地方分権には賛成なのですが、こうした、指導法、授業観などをめぐっての交流は、どんどん進めないといけないのではないかと思っています。)

 したがって、他地域のことはほとんど分からない。こうしてブログを始めさせていただいて、よその実情を初めて知るといった感じだ。

 だから、同氏の地域では、算数の問題解決学習というと、同氏のブログやコメントに書かれたような授業ばかりなのであろう。


 そうか。そういう意味なら、その地域の実情を教えてくださったという意味で、感謝しなければいけないね。 

  

 
 コメントの最後は、『toshiは、どう算数の問題解決学習について思われているのか。』というご質問だった。
 そこで、わたしは自分の過去記事から、4つほどを紹介させていただいた。それによって、精神505さんへの回答は済んだ気になっていた。


 しかし、その後、それだけの回答では失礼ではないかと思うようになった。

 と言うのは、

 自分の過去記事を読み返したり、

その後いただいた、ドラゴンさん、YKさん、なおみさんのコメントを読ませていただいたりしているうちに、

もっとご質問に沿って、ちゃんとお答えしないといけないと思うようになった。

そう思わせるくらい、皆さんのコメントは、本テーマを深める方向性をもっていたのである。その誠意に心打たれるものがあった。

 ほんとうにありがとうございました。

(ごめんなさい。もうお一人、aoisoraさんも、コメントをお寄せくださいました。とてもなつかしく、ありがたく、うれしいコメントをいただいたのですが、その内容は本テーマとかかわりませんので、ここで紹介するのは、控えさせていただきました。コメント欄では、ていねいにお返事させていただこうと思っています。)



 それでは、まず、精神505さんのコメントからふれさせていただこう。

〇《それまでのその子の知識理解がひどく劣っている場合、問題解決学習では、救いようがない。》
とおっしゃる。

 が、そのようなことはない。たとえば、

 かけ算九九が既習内容であっても、それを理解できていない子がいた場合、もしかしたら、全部たし算で解くかもしれない。
 しかし、自力解決の段階では、それを認めるのが、問題解決学習である。だって、正答は出せるものね。

 そして、練り上げの段階で、みんなとよりよい解き方を考え合っていくと、

 この子は、きっと、かけ算九九の有用性を実感するだろう。『九九をしっかり覚えると得するし、楽だ。』という認識をもつようになるだろう。このようにして、学習の遅れを自らの切実感で取り戻していく。

 また、これは、『道草学習のすすめ』ブログのこだま先生が説かれていることであるが、絵で問題解決しても、いっこうに構わない。何も教科書通りでなくてもいいのだ。

 また、これは、ドラゴンさんも、前記事へのコメント10番でふれてくださっているが、

 精神505さんがご覧になった授業では、授業者は、子どもの学力の実態を把握されていないのではないか。あらかじめ、『この子は、ここでつまづくだろう。』そういう見通しをもっていないのではないか。

 もしそういう営みがあれば、ヒントカードなるものを用意するなど、適切な配慮をするはずなのだが・・・。

 問題解決学習においては、子ども一人ひとりの実態をしっかり把握した上で授業に臨むことが大切である。



〇精神505さんがご覧になった授業では、教科書は見させないものが多かったらしい。教科書を見ると、自分の頭で考えなくなるからだそうだ。

 これでも、地域による違いを感じた。

 我が地域において、そのような授業は見たこともない。以前いただいたコメントにもこのようなことが書かれていて驚かされたものだが・・・、

 そうか。そうだとすると、こういう、『問題解決学習なる授業』は、多いのかもしれない。


 何も、教科書を見させないなどという、こそくな手段をとる必要はない。日ごろから、子どもの発言、子どもの言葉を大事にしていれば、子どもは自分の言葉で語ろうとするものだ。

 先にリンクさせていただいた、我が姉妹ブログ『小学校初任者のブログ』の、『42円になったよ。』で言わせてもらえれば、『先生。ちゃんと切ってよ。』『失敗しないでよ。』がそれにあたる。


 それらの言葉が意味するものは何か。

 『平らに切って。』ということか。

 『真っ二つに切って。』ということか。その場合、球の断面は、最大の円となる。

 『斜めに切らないで。真上から切って。』ということか。その場合は、球を切るのに斜めはありえないということに気づかせることができる。


 日ごろから、指導者が、子どもの発言、つぶやきを大事にし、見通しをもって授業に臨むようにすれば、たとえそこに教科書があっても、子どもは自分の頭で考えようとするし、『教科書は大事なことを考える手がかりになる。』という認識になるはずである。



〇次、これは、精神505さんはおっしゃっていないのだが、約2年前の、ある方のブログ記事には、次のようなことも書かれていた。

(1.と、2.は、略。)

3. 子どもは未熟だ。活発に発言したとしても、子ども同士、意味不明なことが多い。だから、(問題解決学習では、)子どもは育たない。

4. 子どもは未熟だからこそ、今まさに学んでいるのではないか。子どもに問題を設定する力などはない。将来問題を設定する力を養うために、人生の先輩である大人が問題を与えるのである。


 まず、3.について。

 子どもは未熟だ。それは間違いない。

 しかし、子どもが主体的に学び、自ら価値を求めようとしているなら、未熟な子ども同士理解し合える話が、大人の指導者には分からないということは、よくあるのである。

 第一、子どもは未熟なのに、その子どもを、学習の主体者とせず、指導者が一方的に発問したり、しゃべったりしていたら、子どもがどこでつまづいているのか、なぜ理解できずにいるのかが分からないではないか。

 たとえば、これは算数の例ではないが、3年の国語に、有名な金子みすゞさんの作品『わたしと小鳥とすずと』がある。

 子どもが主体的に学んでいれば、次のようなことが起こりうる。

「この詩は、できないことばかり書いてあるね。」
「そう。みんなできないことばかりだから、かわいそう。」
「それなのに、最後に、『みんな違ってみんないい。』って書いてあるよ。変だね。」

 どうだろう。教員である方もない方も、この子どもたちの会話が理解できるだろうか。わたしも、最初、『子どもたちは変なことを言うな。』としか思えなかった。

 しかし、上記の会話でも分かるように、子ども同士は共感し合えるのだ。


 本記事ではここまでにする。この先に興味のある方は、

     みんなちがって、かわいそう? わたしと小鳥とすずと

をご覧いただきたい。



 これに対し、子どもを受身に追いやる授業では、子どもの思いを把握しないまま、
『わたしと、小鳥と、鈴と、それぞれの「いい」ところは何ですか。』
などと、発問してしまうのである。それこそ、上記のように思っている子どもにとっては、ちんぷんかんぷんな発問となるであろう。


 そうなると、4.に移るが、

 『学習問題は、子どもがつくるものだ。』というわたしの考えも、理解してもらえるだろう。この詩なら、
『この詩は、できないことばかりで、できることは何にも書いてないのかな。』となるのではないか。



〇精神505さんは、『時間さえ与えれば考えつく児童というのは、すでに習っている児童です。』ともおっしゃる。同氏のブログ記事を拝見すると、『分かる児童が何人か必ずいて、すぐにできてしまい、手持ちぶさたになる。』

 これも、そういう授業しかご覧になったことがないのであろう。


 わたしは、この部分を読ませていただいて、つい先日の、亀@渋研Xさんがリンクしてくださった記事を思い出した。

 この記事の冒頭で、同氏は、

『(わたしも我が子の授業参観を通して、)自分の考えたことをグループで討論させたり、ノートに書かせたりして、それを発表させる……といった授業は、小中高で何回も見てきた。しかし、その度に、授業の進み方がよどむような印象を受けた。テンポが悪くなりやすいのだ。』
とおっしゃっている。

 これは、同じことをおっしゃっているのではないかという印象をもった。


 わたしは、亀@渋研Xさんの思いに対して、拙ブログ記事、『TBしてくださったブログ記事といただいたコメントから TOSSのこと』の、『1.授業のよどみについて』のなかで、

 『意欲的に、自ら主体的に学ぼうとする子どもの育成に成功していれば、一般的にはよどむような場面でも、子ども自らがよどませないような活動をするのです。』

と書かせてもらった。

 ここでも、同趣旨のことを書かせていただきたいと思う。


 精神505さん、ご指摘の場面なら、

 子ども自らが、

 もう解けたけれど、他に解き方はないのかなと考えたり、

 なかなか思いつかない友達のところへ行って、『こう考えればいいのではないの。』などと、ヒントを与えたりして、

自らが、自分の思いで、意欲的、主体的に活動するようになり、したがって、手持ちぶさたになることはないのだ。


 ドラゴンさんはおっしゃる。

《どんな授業形式であれ、一斉授業でも、(指導者が)子ども一人一人を大切にできれば、いい授業になると思います。》



〇本シリーズ、『問題解決学習への誤解(1)』でふれているのだが、そして、今回も、YKさんからコメントをいただいているが、

 『問題解決学習はエリート養成の指導法である。』

という誤解に再度ふれさせていただきたい。


 それは、拙ブログにおいて、どちらかと言えば学力が低いと思われる学校において行ったわたしの授業を、すでに記事にしているからである。


   思考力養成はじっくりと、

 これをお読みいただけると、『学力が低い学級なら、低いなりの問題解決学習ができる。』ということが、お分かりいただけるのではないか。

 今、成長途上の子どもたちだから、誤読はつきものである。誤読であれば、問題解決に齟齬をきたす。その齟齬を取り除くことが問題解決の主眼となる。

 教科書をよく読まなかったからだと自覚した子たちは、よく読もうとする契機となる。

 友達の話をよく聞いていなかったからだと自覚した子たちは、よく聞こうとする契機となる。

 そして、自ら学ぶ力を身につけた子どもたちは、やがて、YKさんのおっしゃる《問題解決思考がエリートの必要条件である。》というように、あたかもエリートであるかと錯覚するくらい、すばらしい思考力を発揮するようになるのだ。



〇最後に、本記事のまとめに代えて、子ども主体の学習とはどういうことかにふれてみたい。

・それは豊かな思考力の発揮を保障するということである。そこには、試行錯誤もあるだろう。自分の考えは間違っていると悟り、考えを修正することもあるだろう。そうして獲得した知識こそが本物であるということだ。

・問題解決学習は、かたちだけまねしていればいいのか。

 とんでもない。自ら学ぼうとする子どもを育まない限り、絵に描いたもちでは、精神505さんがおっしゃるように、学力低下は免れない。

・『そんな指導法は、ベテランでないと無理だ。採用されたばかりの若い先生方ができるわけはない。』そんな声も聞こえてきそうだ。

 そんなことはない。

 現に、わたしが担当している初任者は、それこそ、子どもたち同様、試行錯誤を繰り返しながらではあるが、問題解決学習の指導法を身につけようとがんばっている。それはすでにリンク記事で紹介させていただいた通りだ。

 やはり、子どもの目の輝き、意欲的に学ぼうとする姿勢などが、初任者の心に伝わり、喜びとなって、
『やればやっただけのことはある。』
がんばるのではないか。

初任者の成長(2) 初任者研修を終えて 〜対談〜



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 本記事の冒頭、『他地域のことはほとんど分からない。』と書かせていただきました。

 ほんとうにその通りなのですが、我が地域においては、算数の問題解決学習はきわめて当たり前のことなのです。教育委員会も、研究会も、こぞってそれを徹底させるべく、努力しています。

 それは、一人ひとりの担任の指導力はさまざまですから、教科書の説明を子どもに唱えさせて、それで指導がなったとする教員がいないこともないでしょう。

 しかし、そのような教員も、それでいいと思ってはいないと思います。『そのようなことで、真の学力は育たない。』と、日ごろ指導を受けているからです。


 ここに過去記事のなかから、算数における問題解決学習を例に、『子ども主体の学習、思考力をフルに発揮させる学習が、いかに子どもの心を育み、いじめ防止につながるか。』といった趣旨で行った、我が地域指導主事の講演を紹介させていただこうと思います。

 ご覧いただければ幸いです。

   いじめ防止と算数の授業(1)

rve83253 at 12:38│Comments(66)TrackBack(0)指導観 | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年08月09日 13:54
toshi先生の問題解決授業の展開と子どもとの会話を読ませていただいていつも感じるのは、子どもに上手に知的な環境を作ってあげ、学ぶ意欲を引き出してあげることに成功している親御さんは、普段からtoshi先生と生徒さん方との間に交わされるようなやりとりをしているということなんです。
でも、現在幼児をお持ちの親御さんのほとんどは、「教えて、覚えたかどうかを知りたがるばかりで、子どもの話は聞かない」「子どもが教室などでどう評価されるか気になるけれど、子どもの気持ちや疑問には無関心」「合理的か、無駄のなさ、お得さ、には神経質で、子どもの自発性や自由な発想の価値に気づけない」という教育観で子育てしているように見えます。そうして育てられる子たちは自分の頭で考えず、大人に依存的で、作業のように学びます。
(ブログで↑のURLのような記事を書くと、反響があり子育て観を見直される方がけっこういます。)
2. Posted by なおみ   2008年08月09日 13:56
そうしたことを思うと、普段から子どものつぶやき、発言を大切にする、子どもを主体にするという
問題解決学習の質を高めるための方法は、家庭も、学んでいかなければならないことなんだろうな…と思いました。

それから、地域による公教育の落差は、toshi先生のブログを読んでいると強く感じます。大阪では授業中に生徒が教室を出て行く、目に余る言葉の暴力がそのままになっている…など授業がなりたたないまま長引くことも多いです。中学は荒れすぎて、授業がまったく進まない程度なら(怪我しないなら)がまんしようという親御さんもかなりいます。親の私が中学の頃も同じだったので(学校のガラスを割るなどの暴力が日常茶飯事でした)公教育とはこんなものという感覚も抱いていました。教育を考える親たちの集まり(中学)にも出席しましたが、教育内容より、暴力と不登校の話がメインでした。
そんなわけで、公教育への不信感はマスコミが作ったものというより、地域のなかで問題解決が先送りされてきたため、くすぶっている感じがします。
3. Posted by toshi   2008年08月10日 03:25
なおみさん
 いやあ。教員の世界も同じですね。子どもの力をうまく引き出そうと努力する教員と、短兵急に成果を求めてしまう教員といるわけで、後者は、子どもの内面を育むことには、たいした価値をおかないわけです。また、今の時代がそれを求めているともいえますね。子ども受難の時代です。
(ブログで↑のURLのような記事を書くと、反響があり子育て観を見直される方がけっこういます。)
 ここに、ブログをやる価値がありそうですね。やればやっただけのことがある。そこに信頼をおいて、がんばりましょう。

4. Posted by toshi   2008年08月10日 06:53
わたしの経験で言わせていただくと、担任の学級経営力が、保護者の信頼に大きくかかわってくると思います。学級がよくまとまり、価値の追求に燃える雰囲気が出てくると、家庭における子どもの生活が変わってきます。学校での楽しい様子を語ることがふえ、意欲的になるし表情はよくなるし・・・。
 けっきょく、そうしたことが保護者の変容にもつながっていきます。
 貴ブログ記事に反響があり、子育て観を見直す背景には、上記述べたような、日ごろのなおみさんの取組に対する信頼感が、保護者のあいだにあるからだと思いました。すばらしいことですね。
5. Posted by toshi   2008年08月10日 07:08
地域による公教育の違いについては、こうしてブログをやらせていただくようになってから、ほんとうに実感しているところです。今回の記事をめぐってもそれを強く感じました。
 なおみさんがご自分の地域のことで書かれたことは、我が地域でもないわけではないですが、それを克服すべくがんばった取組も、たくさん報告されています。
 わたしが我が地域の取組で、誇らしく思ったことは、かつて記事にもしましたが、ある指導主事の次のような言葉でした。
 「我が地域では、いじめ報告0は考えられません。なぜなら、学校がいじめに真剣に取り組んだ件数と理解しているからです。報告件数が多いことはすばらしいことなのです。」
 わたしは、こういうことって、その地域の教育風土の問題でもあると思っています。そういう意味で、なおみさんの取組を強く支持し、応援させていただこうと思っています。ブログ上のことでしかありませんが、よろしくお願いします。
6. Posted by あや   2008年08月11日 07:34
始めまして。こんにちは。
ブログ村から訪れました。
私は、海外はもちろん・日本でも原因不明の病気と闘っています。そんな中、小学生の思いを合わせた歌を作りました。
もし良かったら私が今回作った歌詞を拝見し
て頂きませんか?

yahoo!→固定ジストニア 検索
ちから 難病なんかに負けるな!!…

という題名が私のブログです。
コメント感想入れてくれると嬉しいです…

お待ちしています。 
7. Posted by toshi   2008年08月11日 11:02
あやさん
 ご来訪、ありがとうございます。
 さっそく、貴ブログ拝見しました。
 あっ。そのまえに、わたしの方で、あやさんのコメント6番ですが、その『あや』というHNをクリックすれば、あやさんのブログが出るように編集させていただきました。その方が、読者のみなさん、出しやすいと思って。
 いいですよね。かまわないですよね。もし差しさわりがあれば、お知らせくださいね。

 とりあえず、早くコメントを入れようと思いましたから、まだほんの一部しか読ませていただいていないけれど、
 あやさんの生き方に拍手を贈ります。敬意を表します。
 特に、『何か私に出来る事ないかな?病気と闘いながら、前に進むだけで良いのかな?』というところ。

8. Posted by toshi   2008年08月11日 11:16
わたし、難病と闘っている方が、『何か私に出来る事ないかな?』とおっしゃるのは、それもすごいと思うけれど、以前聞いたことがあるのです。
 でも、『病気と闘いながら、前に進むだけで良いのかな?』というのは、初めてです。
 あやさんは、何を考えていらっしゃるのだろう。まったく分からない。でも、何やら、すごいことではないか。そんな思いをもちました。
 これから、じっくり貴ブログを読ませてくださいね。
 ところで、あやさんもお近くの小学校と交流なさっているのかな。そこで思いついたのですが、あやさんに紹介させていただきたい拙ブログ記事があります。
 昨年度、初任3年目の教員が実践した授業の記録です。5年生なのですが、そのクラスと、重度重複障害児との交流のあり方について、子どもたちが考え合うという、総合的な学習の時間の授業です。
 本コメントのわたしのHNをクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしければご覧ください。もうお読みでしたら、ごめんなさい。
 最後に、どうぞ、末永いお付き合いをよろしくお願いします。
9. Posted by ドラゴン   2008年08月11日 19:50
いつも勉強させていただいております。

問題解決学習でない授業は、どんな授業でしょうか。あまり、考えたことはなかったですが、考えてみました。
1つは、講義型。教師が教える授業ですね。
2つは、練習型。問題を与えてひたすら取り組む。
3つ、思い付きません。

問題解決学習を批判する人たちは、どのような授業がよいと思うのでしょうか。

ただ、算数には誤解がありますね。「一つの問題」だけを教材にするとか、教科書を使わないとか。
算数の教科書の著者は、みな問題解決学習の支持者です。問題解決学習をしやすいように教科書が作成されているんです。
10. Posted by ドラゴン   2008年08月11日 19:55
誤解されている方々に強く言いたいことがあります。
それは、子ども(人)は常に学んでいるということです。
勉強が嫌いな子どもも、いつも学んでいます。
おもちゃの新製品が出たなとか、おこづかいがあとどれくらいで欲しいものが買えるとか。
日常の様々な場面で学び、問題解決の場面に直面しています。
知識が足りないから問題が解けないと言うのは、子どもに対して失礼なことでもあるように思うのです。
11. Posted by ドラゴン   2008年08月11日 20:00
例えば、52個のキャンディーを4人で分けるとき、一人何個になりますか?という問題があります。わり算ですね。
でも、幼児でもトランプを配るやり方で、分けて一人あたりの個数を出すこともできます。
子どもなりに考えればできることがたくさんあるんです。それでも思い付かないときは、教師がそっと後押ししてやればよいのです。

講義型の授業では、こういう発想はいつまでも育たないでしょう。また、講義型の学びは子どもの日常にはありません。学校の授業だけです。

子どもの日常の素直な発想を大事にすると、必然的に問題会学習になると思うのですが、いかがでしょうか。
12. Posted by toshi   2008年08月12日 04:54
ドラゴンさん
 いつも、新しい記事を書くうえでのヒントをいただいています。今回もそう。
 問題解決学習でない授業とは、どのような授業か。TOSSから。また、精神505さんのブログから。さらに、自分自身の過去から、『こんな授業ではないでしょうか。』といった具合に書けそうです。
 ドラゴンさんからご紹介いただいたTOSSのHPを拝見し、TOSSは、問題解決学習が一つの問題に時間をかけることを問題視しているように思いました。これは誤解というよりも、教育観の違いでしょうね。
《算数の教科書の著者は、みな問題解決学習の支持者です。問題解決学習をしやすいように教科書が作成されているんです。》
 これはほんとうにその通りですね。『Aさんはこういう解き方、Bさんはこういう解き方をしています。』というように書かれていますよね。
 
13. Posted by toshi   2008年08月12日 05:00
せっかく考える学習を進めようとしているのに、問題解決学習でない人たちは、覚えさせる学習に専念しているのでしょうか。残念なことですね。
 『知識が足りなくても解ける。』これもおっしゃる通りです。算数の系統は、みんなそのようにできています。『解けるけれど、もっと楽な解き方はないか。』『便利な解き方はないか。』そう追求していくわけです。
 ところが、算数嫌いを育ててしまっていると、また、考える力を育てていないと、ノートは白紙のままとなってしまうのでしょうね。
14. Posted by なおみ   2008年08月12日 06:51
toshi先生へ
公立校への不信感について、少し気になることを書かせてください。子どもを持つ親御さんのほとんどが、幼児か小学校中学年までに、塾に入れたり、反復プリント学習をする教室に入れなければ、子どもの勉強ができなくなると強迫的に信じています。
公立の学校に預けていて、学校での授業を受けるうちに勉強の面白さに目覚めて、一生懸命学び始めるという…イメージを抱く人が皆無といっていいのです。大人たちが図書館で読書し、学ぶことが当たり前となっているスウェーデンのような国では、子どもが成長につれ、誰かの学ぶ姿にあこがれたり、内発的な学びの動機を見つけることがたやすいのだと思います。私は以前、年配の作家や新聞記者や芸術家の方々が、生き方について語ったり学びあったりしようという趣旨で、2ヶ月に1度、京都で集まりを開いていた時に(今は別の趣旨の集まりになってます)普通の主婦として、参加させてもらってました。その時、そうした方々の子育て観についてもいろいろ伺いました。どの方も子どもさんたちは公立の小中で、基本的に「放任」して子育てされていたようです。子どもの学習意欲について、自然に発達するものと信じているようでした。成人している子供さんたちはというと、教師、新聞記者、学者…と知的な職業についていました。
15. Posted by なおみ   2008年08月12日 06:51
一般家庭で、「放任」していると、自分の力で学びはじめる…形にはつながりにくいのに、この方々のお子さんはどうやって自分で学び始めたのか?と考えていると…周囲の大人たちの議論好きが見えてきました。普段から、問題解決授業のような会話を繰り返す大人たちに囲まれているのです。おそらく思春期には、子どもさんもその輪に入り、自分の頭でも深く考えたことなのでしょう。
そう思うと、子どもがこうした問題解決授業のような会話から、家庭でも学校でも切り離されて、一方的に与えられるという形で学習し続けるときに、どうなるのだろう…?と心配になりました。
政治家ですらきちんと議論できていませんから、見ることも知ることも経験することもできなくなってしまいます。そうした子どもの内側のものを無視した環境は、結局、子どもを信じれない信頼できない気持ちにつながり、それは公立校への不信感となっているのだろうと感じました。
16. Posted by toshi   2008年08月13日 14:21
なおみさん
 今回のコメントで最初に思ったことですが、『強迫的』というのはちょっとびっくり。
 でも、公教育と一口で言っても、地域による違いというのは、ものすごいものがあるのだと、今は、理解してくださっていると思います。

 それに続いてくださったコメントには、心うたれるものがありました。わたしの経験でも、そうした確固たる子育て観をお持ちの方はいらっしゃいました。(『確固たる』というのは、はたから見るとそう見えるのであって、ご当人はあくまで自然体なのだと思います。『放任』と似ていますが、ほんとうの放任とは違いますね。)
17. Posted by toshi   2008年08月13日 14:22
《子どもがこうした問題解決授業のような会話から、家庭でも学校でも切り離されて、一方的に与えられるという形で学習し続けるときに、どうなるのだろう…?と心配になりました。》
 まさに、何人もの方がおっしゃっているように、自分の頭で考えることをやめてしまう大人になってしまうのでしょうね。

《子どもを信じれない信頼できない気持ちにつながり》
 どうなのでしょう。真実のところは、子どもというよりも、自分が信じられなくなっているのではないでしょうか。
18. Posted by なおみ   2008年08月13日 16:29
「強迫的」というのは、お会いする幼児や小学校低学年の子をお持ちのお母さんが、○○式のプリント学習教室に通ううち、子どもさんに心身症の一歩手前の症状やチックが出ても、心配しつつも、不安でやめさせることができない姿を見るうちにそう感じました。また、夏のキャンプにもプリントの宿題を持って行くという幼児も多いのです。休ませたり、少しでもプリントから離れているうちに遅れを取るのが怖いのです。また、小学校に入ると同時に塾通いを考えているという相談を受けることも多いです。私は仕事柄、個人的に親御さんの相談に乗ることが多いのですが、お会いする方の90パーセント以上が公立校への強い不信感を訴えます。子どもが自ら学ぶ意欲を持つようになるとは信じていません。
19. Posted by とびうお   2008年08月13日 17:14
いつも勉強させてもらっております。新採3年目の者です。
TOSSの先生は確かに教え上手です。しかし、どこか「子どもは未熟。我々が導く」という意識が強すぎ、教師のテンポに合わない子はできないままです。

本当に子どもの思いを引き出し、受け止め、認めているのか。「写すのもお勉強です」という言葉に何か突き放された感じがするのは私だけでしょうか。

また、指示には受身で、未知の問題には弱いなど、「自分で考えて動く」力が育っていない、と感じました。「テストしか解けない」子どもたちです。

向山型算数は「思考力」を「今まで解いた問題から解法を探す力」としています。前例のない問題は解けないわけです。学力テストの活用問題のために膨大な問題をさせるのでしょうか。

批判ばかりではよくないので、toshiさんの記事も含めて自分なりに問題解決型授業をするときに気をつけていることを名前欄にまとめてみました。
よろしければご覧ください。
20. Posted by YK   2008年08月13日 17:50
>>なおみさん

私は少しわからないのでお聞きしたいのですが、小学校入学と同時に塾通いを考えるという親御さんの動機とはどういうものなのでしょうか?私も小学校高学年のときに地元の進学塾に通い始めたのですが、自分から親に金を出してくれるように頼んだので、何だか悪い気がしたことがあります。私が家族に強いて習うように言われたのは習字ですが、やはり動機が特に無かったので一向に上手くならなかったです。私は関東に住んでるのでわからないのですが、小学校に入る前から、京大や阪大に入ることを目標とする親というのは多いものなのでしょうか?
21. Posted by toshi   2008年08月13日 17:53
なおみさん
 公教育がそのように思われてしまっているということ。最大の被害者は子どもですね。ほんとうに申し訳なく思います。
 コメント14番にあった、『一見、放任のように見えて、実は、自然体ですばらしい子育てをしている。』という、そういう家庭をおおいにPRしていかないといけないなと思いました。
 こうした風土が根付くには、ものすごい年数がかかるのかもしれませんが、わたしも、このブログ上で、ちょっとでも、皆さんが考えるきっかけとすることができたらと思います。
22. Posted by なおみ   2008年08月13日 18:22
YKさんへ
小1から塾通いを考える親御さんのほとんどは、それほどわが子の教育に高い望みを抱いているわけではありません。クラスの中以上の成績を保つには塾が必要と感じています。またほとんどの親御さんは公立中学の荒れを心配し、いじめを避けるために私立中学を受ける道を考えています。といって、みなが難関中を受けさせたいわけではなく、高学年の時期にあまり子どもに負担をかけずに中学入試をしたいという思いが動機のようです。
こうした塾の低年齢化の背景には、教育産業が乳幼児の親をターゲットにして、不安をあおり、洗脳しているということがあります。
23. Posted by なおみ   2008年08月13日 18:22
YKさんへ (続きです)
私の教室では子どもと楽しく遊んだり工作をしたりする方法を教えているのですが、申し込まれる方の多くが1歳児〜2歳児の親御さんでが、最初はびっくりしました。2歳児でリトミック、水泳、プリント学習塾、暗唱と漢字を学ぶ塾をかけもちでしている子はものすごく多いのです。いつも1〜2歳児の新しい習い事についての相談を受けます。
多くの親御さんが幼児教育で挫折したり、成功してさらに子どもをコントロールしたい気持ちになっているため、小学校入学と同時に入塾は、自然と浮かぶ考えのようです。
24. Posted by なおみ   2008年08月13日 19:01
toshi先生へ
TOSSの授業は、進学塾の授業に似ています。それで多くの親にお徳感を抱かせるのだと思います。
教育産業があの手この手で宣伝を繰り返すので、子どもの教育が「母親の嗜癖」となっている部分があるのです。背後に社会から取り残されたような昨今の女性の焦りがあるようです。子どもを通して自己実現したいと考えておられます。
一方、教育にまったく無関心な方も増えています。
ダンナが毎年、小学校の校庭キャンプのお世話をしていますが、テントをたてる、仲間と相談する、役割分担して、責任を果たすという教育的意味を理解せず、楽しい面白い部分だけにして欲しいと要求し、わが子だけにジュースを持ってくるなど、親御さんが教育に無関心になってきたのが年々分かるのです。学ばせたがらず、我慢させたがらない親御さんが増えてきているのです。二極化…ですね。
25. Posted by YK   2008年08月13日 22:51
>>なおみさん

お返事有難うございます。今の教育産業はそこまで行っていますか。。正直言って驚きました。強迫的という表現も正しいかもしれません。しかし、このように親が強迫観念に駆られれば子どもにかかるプレッシャーは遥かに重いものになりますし、子どもとしては親を否定するわけにもいかずに、精神的に行き場を失うのではないかと思います。でも、ほとんどの教育産業はその子の心のケアなど考えてないものですよ。教育産業は今度の事業は当たるかどうか模索しているわけですし、親も今度の習い事は当たるかどうか、、などと考えれば、需給のバランスは取れて良い教育とも言えそうですが、実態は教育というより、当たりか外れかの賭け程度にしかならないのではないかと思います。
26. Posted by YK   2008年08月14日 02:12
私自身は幼児期の教育というのは詳しくないですが、やはり経験することと表現することと受容されることという一連の過程が大事なのではないでしょうか。お母さんから塾で良い教育を受けさせてもらう、というのは、、まあ可愛がってもらって嬉しい反面、ベタベタして嫌だ、と思うことがあっても表立って批判できないので、かなり抑圧を感じるのではないでしょうか。母性愛というのは、そもそも批判されることではないと思うのですが、所有欲が強過ぎるとのちのち問題が起こるだろうと思います。もちろん、最近の事件と短絡的に結び付けるつもりは無いですが、対話が無いとやはり家族内でも相互不信になるということはあるだろうと思います。

>>toshi先生

脱線した話題で申し訳ありませんでした。
27. Posted by toshi   2008年08月15日 03:23
とびうおさん
 貴ブログ、拝見しました。問題解決学習の実際について、よく整理、まとめられた記事だと感服しました。若い先生のこのような姿勢には、うれしさ、喜びを感じました。
 失敗を恐れず、失敗を明日への成長の糧としてがんばってくださるものと確信しています。
《「子どもは未熟。我々が導く」という意識が強すぎ、教師のテンポに合わない子はできないままです。》
 ほんとうにおっしゃる通りです。わたしも数回彼らの授業を見ているのですが、大人の必要感のみで授業が進められますから、子どもの思い、疑問は無視され、かわいそうに思ってしまいました。

《学力テストの活用問題のために膨大な問題をさせるのでしょうか。》
 おもしろい問題提起だなと思いました。ほんとうに、活用まで訓練してしまうのでしょうかね。そうなったら、もう、活用とはいえないですね。
28. Posted by toshi   2008年08月15日 03:38
なおみさん
 保護者の一部のEQ(心の知能指数)低下を感じます。楽したがる親が増えているのでしょうか。
 今日15日は、少しそれを意識して書かせていただきました。もちろん、なおみさんからいただいたコメントがものすごく参考になっています。
 親が、子どもの教育を外部に丸投げしたら、けっきょく成長したあと、そのしっぺ返しが親にくるような気がしてなりません。
 なおみさんのおっしゃる『議論』、わたしの言う『ふれ合うような会話』、もっと広げれば、アイコンタクトだっていいと思うのですが、そういうふれ合いがあれば、子どもはすくすく育っていくものと、今は確信しています。
 これだって、お金はかからないし、子どもは素直に育ってくれるし、けっきょく『楽』なのですけれどね。
29. Posted by toshi   2008年08月15日 03:41
YKさん
 いえ、いえ。読者の皆さんが、わたしのブログを通して問題解決思考を展開してくださる。ブログをやっていて、これにまさる喜びはありません。今後もどんどん論議を展開していただければと思います。よろしくお願いします。
30. Posted by totoro   2008年08月17日 09:34
向山さんの算数は、私も取り入れています。向山さんの算数の特徴は、
教科書通りの授業を行う。
児童のノートは、丁寧に書かせる。筆算や式の間隔を空け、見やすいノートにする。
筆算には、ミニ定規を使わせる。
筆算には、面倒でも補助計算などを書かせ、ミスを少なくする工夫がされている。
教科書の問題がすべて書かれおり、後からでも見直しやすい。
できない子への手だてとして、赤鉛筆でうすく書きなぞらせる、赤鉛筆指導法がある。
「写すのも勉強のうち」として、できない子に写させる。
早く問題が解けた子は黒板に書く、といった時間調整の工夫がされている。
授業時間内に終わり、教科書の問題を宿題に回すことはほとんどしない。
とあります。

これらは当たり前のことです。子ども達の算数の間違いを見ていくと、手抜きやミスから来るものがかなり多くあります。ですから、教科書を使って丁寧に取り組ませ、子供の実態を事前に理解して支援を用意し、計算ミスをなくすために筆算を使うことは理にかなっています。
31. Posted by totoro2   2008年08月17日 09:34
ただし、向山さんは問題解決学習を否定しています。その主たる論点は、下記のとおりです。問題解決学習では、授業時間中に教科書の問題をすべて解く時間が確保できない。
全員に基礎学力を保証することができない。
発達障害のある子どもが問題解決学習ではスポイルされてしまいがちである。

この辺りは、問題解決学習を否定しているというよりも、一般に見られる既存の授業への否定であるように感じます。確かに、研究授業などで力を入れて行えば行うほど、なぞなぞを解くかのように、未習事項をヒントなしに延々と考えるので無駄な時間が過ぎていくような授業が見られることは確かです。

しかし向山さんはこのようにも言っています。
教育技術はさまざまである。できるだけ多くの方法をとりあげる。
完成された教育技術は存在しない。常に検討・修正の対象とされる。

つまり、向山さんの問題としているところは、問題解決学習そのものではなく、教材分析の甘さや、単元構想の甘さではないのかと思っています。

32. Posted by totoro3   2008年08月17日 09:35
向山さんは、もともとは斎藤喜博さんを目標としていたと聞いたことがあります。(違ったらごめんなさい)(ここからは完全な私見です。間違いが多々あると思います)斎藤喜博さんは、教材を徹底的に分析し、その展開の核を見つけていきます。その展開の核を丁寧に学習することで、それがその他の学習に広がっていきます。さらに、教育の目的が単に学習の定着にとどまらず、その人らしさの解放、その人らしい美しさの表現を目指していると思います。これは、技術にプラスして人生の師としての力量が求められます。かなり、力のある先生で無ければ、到達するのが難しい部分があります。だから、大勢に広がるのではなく、師弟関係のように、人から人へと授けていくという営みが続いてきています。

向山さんは、それでは、せっかくの教育の財産が多くの先生に広がらないということに疑問を感じ、斎藤喜博さん達の取り組みの中から、もっと数多くの先生が取り組める技術の部分だけを切り離して考えているように感じます。

つまり、教育のツールを教師がどれだけたくさん持てるかで、良い授業かどうかが決まる。問題解決のツールをいかに有効に持たせるかで、児童が授業の目標を達成できるかどうかが決まると考えていると思います。

ということならば、向山さんの言っているところは技術論なので、それをいかに授業に生かしていくかはその教師の力量によると思います。技術は技術なので、それをうまく使いこなせれば問題解決学習にも応用できると考えます。

まとまりませんが.....
33. Posted by toshi   2008年08月17日 12:54
totoroさん
 たぶん、TOSSの方だと思いますが、共感し合える部分の多いコメントをいただきました。感謝しています。
 おっしゃる通り、子どもを真に育む指導法の模索が大切だと思います。技術論も大切ですが、特に現代という時代は、知識・技能を教えればいいというだけでない、
 国の言う『生きる力』の言葉を借りれば、
『変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力、豊かな人間性、健康・体力の知・徳・体をバランスよく育てることが大切です。
○ 基礎的な知識技能を習得し、それらを活用して、
自ら考え、判断し、表現することにより、さまざまな問題に積極的に対応し、解決する力
○ 自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性
○ たくましく生きるための健康や体力など』
となるわけで、これは、問題解決学習でしかなし得ないと考えるわけです。
 まあ、お互いの論調をわたしが思慮するに、問題解決学習の難点は、基礎・基本の定着が弱い、TOSSの難点は『自ら』が弱いとなるでしょうか。
34. Posted by toshi   2008年08月17日 13:02
わたしは、これまでに、『問題解決学習の問題点』と題し、シリーズ物として記事にしています。
 本コメントのHNをクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしければご覧ください。
 現実に問題解決学習と言って行われている授業には、数々の問題があるということ、今回皆さんからいただいたコメントを拝見しても、痛切に感じました。やはりこれは克服していかなければなりません。
 それとともに、わたしもTOSSの授業は数回見ておりますし、TOSSランドに登場する授業記録も拝見させていただきましたが、やはり、子どもの思い、考え、思考の流れを大事にしていない点は克服していかなければいけないでしょう。
35. Posted by toshi   2008年08月17日 13:22
《向山さんの言っているところは技術論》
とのこと。もしそうなら、やはり、『生きる力』は、技術論にとどまるものではなく、『子ども自らが』の部分もありますので、そこまで、考察、実践の手を広げてくださるよう切望してやみません。
 ただ、基礎・基本のとらえが、たぶん、totoroさんと、我が地域では違うのではないかなと思いました。我が地域のとらえは、これもすでに記事にしており、URLをHNに貼り付けましたので、よろしければご覧ください。学年ごとに決められた基礎・基本も大切だが、もっと大切なのは、基礎・基本は、一人ひとりの子どもの内にあるもので、一人ひとり違うのだというとらえです。

 ここでお願いがあります。
《しかし向山さんはこのようにも言っています。
教育技術はさまざまである。できるだけ多くの方法をとりあげる。完成された教育技術は存在しない。常に検討・修正の対象とされる。》
 これは、技術にとどまるものでないという解釈が許されれば、まったく賛成です。上記引用文がみられるURLがあれば、ご紹介いただければ幸いです。
36. Posted by toshi   2008年08月17日 13:35
斎藤喜博論。興味深く読ませていただきました。そして、totoroさんと思いを共有できると思った中心はこの点にあります。私見ともおっしゃっていますしね。《その展開の核を丁寧に学習することで、それがその他の学習に広がっていきます。》
 これはまさに問題解決学習の考え方です。一つの問題に時間をかけるのは、思考をめぐらしながら、お互いに価値を求めて追求しあうからです。そして、まさに核をていねいに学習すれば、それは広がっていくと考えるからです。
《教育の目的が単に学習の定着にとどまらず、その人らしさの解放、その人らしい美しさの表現を目指していると思います。》
これも問題解決学習が目指すところですね。

 ただ残念なのは、そこから先です。
《かなり、力のある先生で無ければ、到達するのが難しい部分があります。》
 だから、努力が要るのです。我が地域では、教育委員会も、各校長も、問題解決学習の重要性を認識し、それこそが、自ら学ぶ子どもをつくるのだと信じ、取り組んでいます。
 もちろん、個人の力量はいろいろです。小中の違和感もないわけではありません。どの教員もそのように取り組んでいるのかと言われれば、それは、申し訳ないが、ノーとなってしまうでしょう。
 しかし、教え込みでいいと思っている教員はいないと思います。
37. Posted by toshi   2008年08月17日 13:41
《技術は技術なので、それをうまく使いこなせれば問題解決学習にも応用できると考えます。》
 これにも賛成します。
 どうでしょうか。本コメントのURLに、この論議の出発点となった、A元校長先生の授業の記事を貼り付けさせていただきましたが、
 わたしは分からないのですが、A元校長先生は、TOSSを意識しての授業をしたわけではないのですが、結果的に、TOSSの技術と重なる部分はないでしょうかね。ふと、そう思いました。
38. Posted by なおみ   2008年08月18日 14:41
totoroさんへ
教育の現場で、時間内に様々な能力の子達にきちんとした基礎学力をつけることに真面目に取り組もうと考える時、問題解決学習は無駄が多く、効率が悪くみえるかもしれません。
しかし今の時代の子ども達に大切なのは、情報をどれほど蓄積したかやスキルとして何を身につけたかではなく、情報を自分で取捨選択できるか、情報を鵜呑みにせず自分の目や頭や心で判断し、考え、発信できるかだと思います。子どもは環境から学びます。TOSSの授業だと、自分の自由な発想や疑問を軽視し、先生の誘導するリズムに受動的に自分をゆだねることこそが正しい学び方と感じ取ってしまうのではないでしょうか?
39. Posted by なおみ   2008年08月18日 14:41
(続きです)私は、中国や北朝鮮の子どもが熱心に無駄のない様子で学校で学ぶ姿を見て、それこそ教育だとは思わないし、合理的ですばらしいとも感じません。
子どもは一生懸命だし、先生の教える技術も高そう…おそらく授業に無駄は少しもないのでしょう。
でも、どう見ても、子ども達が自分というフィルターを通して感じ考えて学んでいるように見えないのです。
問題解決学習の良い授業は流動的な子どもの心の動きや発言に柔軟に対応していくため、良いには良いけど誰もができない…教師の個人的な資質が必要なように見えます。しかし料理でも楽器演奏でも始めた次の日にみなが驚嘆するような能力を発揮できないのは当然なのに、教師だけがインスタントにすぐにすばらしい授業ができることを望むのはおかしいと思うのです。教師とはそんなに甘い職業なのでしょうか?私は向山氏の若い教師に向けての発言は、その点で現実をゆがめているように感じます。教師としてのスキルを磨くことが、プロに倣えば、ピアノが弾けるようになるより素早く簡単にできて、周囲を圧倒するのだったら、なんて教師はつまらない職業だろうと感じるのです。ピアノの場合、どんなプロに習っても始めて2〜3年でリサイタルとはいきません。
40. Posted by totoro   2008年08月18日 16:28
私はtossの勉強をしている訳ではありません。斎藤喜博先生の実践に基づき、より子ども自身の追求力を増す形で自らが実践し体系化している先生に教えていただきながら学んでいます。小手先の理解ではなく、クラス全員で教材とじっくりと組み合って分析し、そこから見つけた大事な真理を、それ以外の部分に広めていけるような理解をさせたいと考えています。また、学校という場が単に学力が付けばよい場とは考えていません。本当の学びをすることを通して、その子が生育の過程で自分を守るために作らざるをえなかった殻が割れ、自己を肯定できるようになるだろう。そのような子供たちの集団ができれば、互いの姿をそのままをさらけ出して、より高度に学び会える仲間になるだろうと考えています。どちらかといえばtossとは対極に立つ者です。

そんな者ですが、向山さんを見た場合その全てを否定する必要はないと考えているのです。役に立つ部分もあるのです。教育は、向山や景山や斉藤などといった先生の名前や、理論でできるものではありません。例えば、向山方式の算数を取り入れながら、さらにそこからなぜこのやり方で正しい答えが出るのか等の問題を見つけ、全員で徹底的に追求していけば、その教材なり単元なりの展開の核が見えてきます。技術は、いかに使うかが問題だと思うのですが....。

が、なかなかそんな理想通りにはいかず、苦心の日々です。
41. Posted by なおみ   2008年08月18日 16:58
totoroさんへ
<向山さんを見た場合その全てを否定する必要はない>という思いは、私も以前抱いていた思いです。
向山氏の教え方は、私が軽度発達障害児に教えるときうまくいく方法(情報を減らし、環境を構造化する)にとても似ているし、自然にわからせようとする追求がそちらに近づくのですから、良いところがあるのもわかるのです。ただ向山氏の教え方は、障害児教育のなかではめずらしくも何ともないもので、それらの寄せ集めといえるものです。これまで公立校が軽度発達障害児への教育のあり方に無関心であったため、そうした子が原因となっている学級崩壊にすごい効果があるように感じられるだけです。それにもかかわらず、初任の先生達や学級崩壊で悩む先生方の弱みに付け込んで勧誘し、教材販売までさせるというのは、否定することもないというあいまいな態度ではいけないと感じました。
42. Posted by totoro   2008年08月18日 17:46
なおみ様
全く同感です。tossに関しては、それを承知で私たちが取捨選択していけばよいのだと思います。

<軽度発達障害児に教えるときうまくいく方法(情報を減らし、環境を構造化する)にとても似ている

これもその通りだと思います。発達障害に限らず、全ての児童に使えると思うのです。

子ども達は、情報過多に陥いりやすく、大事なところが見えているようで見えていないと思うのです。国語なら、話し合いによって情報を絞り、全員が同じ文なり、文節なり、単語なりから読み取ることで、同じ土俵の上での話し合いが可能になります。社会ならたくさんある資料のどれから、例えばグラフが大事ならそのグラフの中のどこから疑問を見つけられるだろうかなどと絞っていくことで、必然と問題が生まれ、追求をしていくようになります。

一度追求が始まれば、他の資料ではどうだろう、他の場面ではどうだろうと、次は逆に他の部分に学習が広がっていきます。
43. Posted by とびうお   2008年08月18日 22:01
>totoroさん
いくつか教えてください。
算数の教科書には必ず二通り以上の考え方が出てきます。
単に「できればよい」と考えると、一通りの解法(基本型)で十分で、実際テストの点はとれます。
先生は基本型以外の考え方について、どう扱っておられますか?

二つ目。
子どもが延々と考えている姿を「無駄な時間が過ぎている」と捉えるのは私には少々傲慢に思えます。

三つ目。
「教育技術はさまざまである」とのことですが、非TOSS実践への過度な批判や問題ある掲載HPを削除だけして説明しない態度を見ると、どうにも実態と乖離している印象があります。
44. Posted by とびうお   2008年08月18日 22:18
四つ目です。

>小手先の理解ではなく

私は向山型算数の手順暗記は「小手先の理解」になる危険性があると思っています。

(例1:0.1リットルが3こで何リットルか)
指名した子が分からなければ別の子を当てる。その子が正解したら類似発問をまた他の人に正解させる。すると最初の子もできるようになる。

↑分かってないのにできちゃうんでしょうね。
きっとその子の頭には、リットルますに水が入っていくイメージなどなく、0.1の1を3に変換する作業手順しかないです。

(例2)
写す前分からなかったことが写してる間に分かるようになる。さらに写すことで授業参加できるようになる。

ありえない、とは言いませんがピンときません。
写すことで分かったのでなく、その子がじっくり考えたために分かったのでは?
分からないことを写すのは、多くは頭を使わないコピー&ペースト作業です。

「写すのもお勉強です」は復習の意味ではその通りなのですが、指導不十分の免罪符になっているような気がしてなりません。
45. Posted by toshi   2008年08月19日 20:29
totoroさん
 TOSSの方ではなかったのですね。申し訳ありませんでした。
 斎藤喜博先生については、わたしも若い頃、すごく尊敬し、その実践から学ばせていただきたいと思いました。その実践力はすごいものがありましたね。
 ただ、問題解決学習とは違っていたと思います。子どもの思いを想像すれば、『斎藤先生の言う通りにやれば、わたしたちはしっかり育っていく。』ということではなかったでしょうか。
 でも、斎藤先生から学ぶ点は多々あったと思っています。
46. Posted by toshi   2008年08月19日 20:32
なおみさん
 ちょっと別件でお尋ねします。
 わたし、貴ブログに、3回ほどコメントを入れさせていただいたのですが、入ってないでしょうか。よろしければ、拙ブログサイドバー上部のメール受付欄からメールをいただければ幸いです。
47. Posted by なおみ   2008年08月20日 09:42
toshi 先生へ
コメントは他の方からのも2日ほど届いていないのです。
暑さでパソコンのファンの調子が悪い日が続いているので、心配しています。そちらにメールを送らせていただいたのですが、もしかしてそれも届いていないかもしれませんね。せっかく3回もコメントをいただいたのにすいません。読めなくてとても残念です。
48. Posted by toshi   2008年08月20日 10:15
なおみさん
 分かりました。そういうことでしたか。
 せっかくのすばらしいブログなのに、それは残念ですね。調子がよくなるのを待ちましょう。
 なお、メールも届いていないようです。
49. Posted by totoro   2008年08月20日 11:13
とびうお様
うまく質問に答えられるか自信はありません。
お答えする前に、私のことを述べておきます。

私は、自分の授業にずっと迷い、試しながら、取り組んでいます。それは、「教育改革、教育改革」「学力低下」って、ここ10年も20年もずっと叫ばれていますが、基本的には何も変わっていないと感じるからです。学校の授業スタイルは変わらないし、相変わらず学力低下は言われています。それは、ここ10年20年の教育が、改革しているようで実は結局あまり変わっていないからだと思います。

そのことについて少し考えを変える転機が、異動で訪れました。山間地の小規模校に赴任したのです。2校で6年間、複式の算数の授業に取り組んできました。複式授業ってどんな感じか想像が付きますか?同時に2学年の子供、それも多いときには15人を相手に授業します。3年生と4年生とか、5年生と6年生とか2学年の授業を、同時に45分間で成立させるのです。

へたをすると、片方の学年が授業が流れなくなるとそちらにかかりきりになり、もう一学年は自分たちで45分授業をしてもらう場合だってでてきます。すると、それでも授業が成立するように、毎日1時間〜2時間2学年分の教材解釈をし、提示する資料なり、ヒントなり、まとめなり、1時間の流れを示すものなどを用意しておきます。そんな生活を6年間続けると、この単元において大事なことは、これと、これだと展開の核が見えてきます。最初にこの展開の核について身に付けさせ、全てこの考え方で通すことで、私がつけなくても、子ども達自身で、あとは何とか解決していくことができます。
50. Posted by totoro   2008年08月20日 11:14
とびうお様
とびうお様に質問され、「急きょ」昨日ホームページに、半日がかりで昔の資料を少しだけ載せてみました。「http://www.geocities.jp/totoroguide/  の中の、『複式の算数の紹介』」
また、私中心に授業を流せませんから、15人一人一人の学びに神経をとがらせます。すると、どの子がどこでつまづくのかが予想できるようになります。

この複式の授業では、向山さんの取り組みは参考になります。教師抜きで自学し、話し合うのです。教師が授業しても時間内に終わらない授業が多いのに、子供だけで取り組むのです。

まずノート指導は、向山方式を取り入れました。
そこで、板書の代わりに、黒板にノートを磁石で貼り付け(少人数なので)それを見て互いに話し合います。すると、ぱっと見てそれぞれの考えが分かるノートに(分からない子は、どこまで分かり、どこが分からないのかも)仕上がらないといけません。

また、教科書を使って考えることも取り入れました。
教科書は、私たちが背伸びしてもかなわない先生達が何人もが協力して作り、何校かで実験して、一番分かりやすい説明が載っています。たとえば、国語だったら分からない言葉を辞書で引きます。それと同じレベルで、分からなければ教科書を調べることは良いことだと思います。ただし、教師が説明してもわかりにくい算数を、子供が自分で調べて理解しようとするのですから、ただ「見てもよい」とか、ただ「写しなさい」ではかなり無理があります。そこで教科書をよく調べてみると、およそ3つの段階に分かれていると感じました。ー阿覆蝓⊃泙覆蝓△海譴鮖箸Δ箸いい任垢茲箸い示唆を示す段階。△修譴ら答えを導き出すにはこんな過程を踏みますよという説明の段階。実際に数や式や図等を操作して答えを導き出す段階。になっているのではないかと考えたのです。
51. Posted by totoro   2008年08月20日 11:15
トビウオ様
そこで、ヒントカードは、教科書を、この3つの段階に分けたものを用意しておきました。子供のつまずきは3段階あると考えたのです。_燭鬟帖璽襪箸靴道箸辰燭蕾鬚韻襪が分からない段階。△修離帖璽襪鬚いに使いこなすかが分からない段階。7彁士呂覆蟒萢する能力でつまずく段階。です。もちろん教科書を見てもいいのですが、教材をこうして「部分に切って示してあげる」ことで、全体を見ていて分からなかったことが細部から見えてきます。


余計な話しが長くなりました。が、もう少し続けます。前任校と現在は、私は適正な規模の学校に勤務しています。ここでは、算数は2クラスを3つのクラスに分けて、習熟度学習に取り組んでいます。

一番苦手な子ども達が集まったクラスでは、向山方式を取り入れて試してみています。平均点は、下位のクラスにかかわらず、上位のクラス並に85〜90点ぐらいとれました。それは、教科書の同じ問題を3回取り組ませたからです。算数の苦手な子どもは、説明すれば説明するほどこんがらがって分からなくなります。そこで、教科書の基本の問題はそのまま写します。その後の教科書の練習問題を、写したとおりのやり方で解いてみます。すると1回目はつまずきます。しかし、2回目には自力で解くことができ、3回目には、「もう答え知ってるもん!!」と楽しそうにノートに書きます。「式も答えも覚えるぐらいやる=定着した」これもこの子達にとってはありです。ここまでやった後に、最初のただ写した問題に戻り、「この最初の問題は写しただけで勉強しなかったけど、どうしてこの答えになるか分かる?」と聞いてみます。すると、先を競って説明し始めます。そして、この解き方で解ける問題がテストに出るのです。テストで今までとったことのない点数をとると、自信がつきます。
52. Posted by totoro   2008年08月20日 11:16
トビウオ様
一番得意な子ども達が集まったクラスでは、基本の問題はいわゆる問題解決学習で解決します。しかし、それだけにとどまらず、そこから新たな問題を見つけ、もう少し追求していきます。例えば、体積のところで「直方体の体積の公式=縦×横×高さ」と話し合って導き出します。するとここで、「いや、塾で 『直方体の体積の公式=底面積×高さ』と習った。」と言う子がでてきます。そこで、2つの箱がくっついた形を使って、それが本当かどうか確かめていきます。すると、6×4×5+2×3×5=150 という式と、(6×4+2×3)×5=150の式の答えが同じになるということを発見し、さらに、みんなでこれは、式を変形すると同じ式になることを見つけます。すると、6×7×5−4×3×5も、(6×4+2×3)×5=150の式になるかどうかの話し合いが始まります。そうして、数のおもしろさや式の美しさを感じていきます。
その辺りの実践の一部はこの辺りに載っています。
http://www.geocities.jp/totoroguide/heaventry/0606.html
http://www.geocities.jp/totoroguide/heaventry/0607.html
http://www.geocities.jp/totoroguide/heaventry/0703.html

うまく説明できませんが、問題解決学習で無ければならないとか、向山方式がいいとか悪いとかでなく、もう少し広い視点で、子供の実態と教材の核から授業を組み立てていけないだろうかと考えるのです。そのためには使えるものは、何でも使います。

53. Posted by totoro   2008年08月20日 11:17
トビウオ様
ずいぶん年を重ねてきて級外をつとめる機会も出てきました。年も上になってきました。それをいいことに、空き時間やちょっとした時間に、ずうずうしくいろいろなクラスにどんどん入り、授業を見せてもらいます。おもしろいですよ。子供や親の視点で後ろから授業をから見ると。子供は何にも話しを聞いていないのに先生が一生懸命に説明していたり、先生に「始め!」と言われて、子供は何をしたらいいか分からずとまどっていたりするのがよく見えます。また、クラスの空気を感じます。透き通っていて濁りのないクラスの空気と........

余計なことをたくさん書きました。

ここから、トビウオ様に答えていきます。
\萓犬牢靄楫唇奮阿旅佑方について、どう扱っておられますか?
もちろん、両方あつかいます。子ども達には、その分かりやすい方で考えさせますが、時間があれば両方で説明できるようにさせます。ただし、習熟度別の得意でない子達には、テストに出る方法のみ教える場合もあります。(先日、3年生の先生方と、割り算の教材分析をしました。最後に分数の文章題を作るところがあり、そこに「等分除」と「包含除」の2つの考えの問題の作り方が載っていました。低位の子に、両方は難しいよね。「簡単な方で行こうか。」と話しました。ところが念のためにテストを見てみると、ご丁寧なことに両方出ています。仕方がない、1〜2時間余計に使って、等分除1時間、包含除1時間で身に付けようということになりました。)

54. Posted by totoro   2008年08月20日 11:17
トビウオ様
∋劼匹發延々と考えている姿を「無駄な時間が過ぎている」と捉えるのは私には少々傲慢に思えます。
研究授業などで算数を行う場合、その単元の一番「華」のある部分を行うでしょ。でも、ここは、いくつかの既習事項をうまく組み合わせないと解けないから「華」があるのです。指導案を見ると、つかむ段階=「既習事項の確認」「問題の確認と目当てを立てる」見通す段階=「予想する」 調べる段階=「自力で解決する」「みんなで話し合う」突き詰める段階=「答えと、その裏にある普遍の真理を見つける(公式など)」「まとめる」「練習問題に取り組む」などのステップを踏んで計画がされています。
 しかし、いくつかの既習事項をうまく組み合わせないと解けない「華」のある問題に取り組むと、時間が足りなくなり、話し合っておしまいだとか、まとめは駆け足、練習問題までいかないなんてこともよくあります。研究授業でない、平素の授業ならばなおさらです。
 案と言えば案ですが、当然時間が苦しくなることが分かっているのです。当然そうなることが分かっていたら、次の2通りの対策をとるべきです。
55. Posted by totoro   2008年08月20日 11:19
トビウオ様
 その1。単元計画を見直す。10時間なりの単元の、1時間1時間の全てに、つかむ、見通す、調べる、突き詰める、練習する.....段階が本当に必要なのか、本当にできるのかを考えて単元計画を考えるべきです。つまり、問題解決学習を1時間単位で考えるから苦しいのです。10時間単位で問題解決学習を考えればいいのです。算数の単元の展開の核は、よくよく教材を研究すると、それほどたくさんはありません。一番大切なところに、たっぷり時間をかけて考えることで、他の問題にそれが応用できるのならば、OKなのではないでしょうか?国語だって、物語だったら、教材の10時間を通して、主題に迫るでしょ。だから、本当に「華のある問題」を1時間うんと考えさせたいのなら、この1時間は考える時間。とか、この1時間は話し合う時間。その代わり、この2時間で練習をじっくりやるなんて、思い切った単元計画を考えても良いのではないでしょうか??
56. Posted by totoro   2008年08月20日 11:19
トビウオ様
その2。きちんと児童の実態から、つまずきを予想し、いくつの考えのパターンが出てくるかを予想し、どこでつまずいている子にはこの支援をする。と支援策を頭にたたき込んでおくのです。手がかりがないから取りかかれないのか、式や図をどう使えばいいのか分からないのか、計算力がないのか、40人それぞれのつまずきを予想しておくのです。机間指導を始めたら、教室の空気を読み、ほぼ全員が分かり残りの子は話し合いで理解させられるのか、みんな分かっていないから、このまま話し合いにはいるともやもやして解決まで行かないかを読むのです。ある程度分かっていて話し合いで真理までいけそうなら、どれとどれを取り上げることにより、どんな対立や話し合いが期待でき、それを使って終末までどう流すのかを机間指導しながら計算するのです。皆が分かっていなかったら、机間指導をしながらそれをどう修正するかを計算するのです。ヒントを与えてもいいし、グループを使ってもいいし、一度作業をやめさせて指示をし直したり既習事項を確認させたりするのもいいし......特に算数はその時間の目標が明確になっています。それを45分で行うと計画した以上は、子供に任せた時間であっても、教師の見えない糸が子ども達を動かし続けるのです。それがなされず、本当に子供の努力のみに任せる状態であれば、「無駄な時間が過ぎている」と捉えるしかないと考えます。また、その後の話し合いにおいても、「話し合えば結論が出る。」辺りの計画しか立ててないことがありませんか?(私はよくあります。)でも、授業が上手な人は、突き詰める話し合いの台本まで考えてあります。(もちろん授業は生き物ですから、その通りにはなりっこないですが。)どう転ぼうとも、その45分で分かって当然というまで、準備しておくべきです。が、そうなかなか理想通りには行きませんが......
57. Posted by totoro   2008年08月20日 11:22
トビウオ様
TOSSの態度を見ると、どうにも実態と乖離している印象があります。
全くその通りです。だから、取捨選択しましょう。喧嘩を売るのも品がないですが、喧嘩を買うのも品がありません。

せ笋聾山型算数の手順暗記は「小手先の理解」になる危険性があると思っています。
同感です。何でも、使う人の使いようです。包丁だって、おいしい料理を生み出す道具にもなりますし、殺人の凶器にもなります。写すことについて、先ほど少し触れましたが、特別支援の考え方から行くと理にかなっている部分もあります。例えば、説明はよく分からないけれど、計算のできる子がいてもいいのだと思います。だから、指導要領は観点別評価になっています。そろばんなんて、とっても便利な道具ですが、いちいち考えていませんよね。自然と何度も繰り返す内に覚えてしまったことも、役に立つことはたくさんあります。
 もちろん、十進位取り記数法をもとに考えられるようにしてあげたいと思います。だから、向山さんの言うことを取捨選択し、取れるところはとればいいのです。だって、実際先生のクラスのお子さんの顔を順に思い浮かべてみて全員に十進位取り記数法を使って説明させることができますか?中には、よく分からなくて、つらそうな顔をしている子はいませんか。そのときは救済策として、そっと赤鉛筆でかいてなぞらせてあげてもいいじゃないですか。でも、それで終わりではないですよ。すぐにそこから明日の算数までに支援策を練るのです。あの子に、どうやったら「分かった」と言わせてあげられるかを!!休み時間に個別指導したっていいし...それに、意味はよく分からないけれど、基本問題を写してその通りに応用問題をやったら、よく分からないけど解けた、嬉しいなっていう思いもさせてあげるのも悪いわけでないと思います。
58. Posted by totoro   2008年08月20日 11:23
トビウオ様
 私の考えが、合っているかどうかは、自分でも分かりません。とりあえず、私はいまのところ、そう思っています。

ところで、トビウオ様にお答えしようと考えたおかげで、自分もいい勉強をさせていただきました。ただじ、ここはtoshi様のブログです。今後は、このような会話は、トビウオ様のブログなり、掲示板なりで行いましょう。
59. Posted by とびうお   2008年08月20日 22:57
>totoroさん
まだ完全には読めていない上、おっしゃるとおりこれ以上はtoshi先生にご迷惑になるかもしれないので少しだけ。

私のイメージする向山型算数とtotoro先生の実践は少し違っていました。

totoro先生は「これ(基本形)と同じやり方でやりなさい」とは言わないし、
点数だけでなく「どうしてこの答えになるか分かる?」ときいているし、
「教師抜きで自学し、話し合う」活動もさせている。
「写すのもお勉強です」で終わらず、「教科書の同じ問題を3回」させている。

また、情熱をもって取り組まれていることも分かりました。敬意を表したいと思います。
続いて見解の相違点です。

私は解決方法を探すことも含めて「子どもの努力」だと思っていますので、延々と考える姿を無駄とは思いません(時間が長すぎてはよくないですが)。これについては名前欄リンクをご参照ください。

「分からないけどできた。嬉しい」については少々危機感を持っていますが、totoro先生はその後理解度についても確認されているようですので、それはそれでよいと思います。

長々と失礼しました。
またHP拝見させてください。
60. Posted by toshi   2008年08月21日 16:35
totoroさん
 すごいですね。感服しました。
 これは、とびうおさんとのやり取りですが、わたしにも、一言、言わせてください。
 これだけ長文にもかかわらず、論旨明快で、一つ一つ質問に答える真摯な姿に、ほんとうに心打たれました。おっしゃっていること、貴ホームページにもとばしていただきながら、実によく分かりましたよ。
 もう、研究発表会に出席させていただいて、totoroさんの研究発表を聞いているような、そんな気分にさせていただきました。
 どの子も伸ばそうとする姿勢、もっと言わせてもらえれば、実に細かく一人ひとりをみとろうとする姿勢、そこから、いろいろな指導法をとり入れようとなさっていらっしゃること、よく分かりました。問題解決学習にしろ、TOSSにしろ、totoroさんの指導観、評価観など、それは実にしっかりしていらっしゃいますので、ご自分の指導にうまく組み込んでいらして、けっして、流されてはいないということもよく分かりました。

 見解の相違。それはたぶんわたしもあるのだと思います。問題解決学習について、もう少し、理念まで踏み込んで実践に移していただければという思いがないわけではありません。
《説明はよく分からないけれど、計算のできる子がいてもいいのだと思います。》
 これが、学習を進めている経過のなかで、そういう子の存在も認めようということなら、まったく同感なのですが・・・、
 もう一つ。習熟度別になさっている場合のことですが、どちらかというと苦手なグループには、問題解決学習をとり入れていないかのような点も気になった点です。
 でも、ここまでtotoro先生のお話をうかがうと、それらのことにこだわる必要もないかという気持ちにもなりました。
 きっと、苦手な子たちにも、別な授業や生活場面では、いくらも問題解決的に取り組ませているだろうと思えるからです。
 
61. Posted by toshi   2008年08月21日 16:41
迷惑なんてとんでもない。わたしのブログ人生にとっても、実に思い出深いこととなりました。心から感謝しています。ほんとうに、ありがとうございました。
62. Posted by toshi   2008年08月21日 16:52
とびうおさん
 とびうおさんにも、一言、お礼を述べさせてください。totoroさんとの真摯なやり取り。ほんとうにすばらしいと思いました。
 お互いに主張すべきは主張しながらも、理解し合えるところは理解し合うという・・・、
 わたし、別な記事で、そういうのは、日本人の苦手とするところという記事を書かせていただいたのですが、そんなことないですね。
 すごくうれしくなりました。
 さきほど、totoroさんへのコメントで、研究発表会でご提案をうかがっている気分とかかせていただきましたが、お二人のやり取りは、まさに、研究討議をうかがっている気分になりました。

 もう一つ。TOSSのことについて、わたしは何度か授業は見せてもらっているものの、そんなにくわしいわけではありません。
 このたび、ずいぶんいろいろ学ばせてもらったなという気持ちでおります。その点も、ほんとうにありがとうございました。
63. Posted by なおみ   2008年08月21日 18:57
totoro先生へ
totoro先生の実践すばらしいですね。私自身がLDの子や重複して発達障害を持っている子、アスペルガーのお子さんの学習をお手伝いをしているため、totoroさんの実践されている方法がいかに価値のあることなのかとてもよくわかります。私の教室には、公立小学校、中学校とほとんど休みなく通っていたのに小4の算数から問題が1問も解けないまま学年を上がってきている中2、中3生がいるのです。教えることは非常に困難ですが教科書に基づいた基礎の徹底で、半年ほどで現在の学年の教科書の応用問題を省けばだいたいは解けるようになりました。つまり、基礎の徹底を行なえば、なんとか学習についていけるレベルの子が、理解できないまま4年も5年もそのままにされているのです。(補習はしていただいていたようですが)(私の地域はTOSSではない講義型の授業が多いようです。)
64. Posted by なおみ   2008年08月21日 18:58
そうした学習の遅れが目立つ子というのは、知能面の問題以上に情報のインプットに問題を抱えていて、教科書程度に少し余分な情報が書いてあるだけでも、自分がすべきことを選択できなくなり、ほんの少しでも自由度のある質問をすると(「あなたなら、どう思う?」や「あなたの好きなものを英語で書きなさい」など)固まってそれ以後何もしなくなります。そうした子に教える中で↑のURLのような記事を書かせていただいたのです。
しかし、私はTOSSの態度が、実態と乖離している印象があることについて、
<全くその通りです。だから、取捨選択しましょう。喧嘩を売るのも品がないですが、喧嘩を買うのも品がありません。>というご意見には賛成しかねます。日本人が、そうした良い面と悪い面が混在しているものに対し、問題に気づいている人までが「良い所取りすればよい」と放置しているため、選択する能力の弱い若い人や心身が弱っている方が問題に巻き込まれることが多いからです。良い面と悪い面が混在しているものが、たくさんのからくりを駆使してそうした人たちを誘い込もうとウラで動いている場合は、きちんと物が見れる人はきちんと問題点を言葉にした法が良いように思うのです。喧嘩をする必要はありませんが、「取捨選択すればいい」という言葉は、今、テレビでイジメに近いバラエティーが放送され、映画館で子供向けて快楽殺人を誘うようなものが放映されている理由にも繋がると思います。製作者の意見は、「見たくない人は見なければいい、取捨選択すればいい」という考え方なのです。
65. Posted by なおみ   2008年08月21日 18:58
totoroさんの授業のすばらしさを十分理解した上で、私はそうした理想的な授業をしつつも、授業運営の完璧さに向かうのではなくて、子どもの内から生まれてくるもの、疑問、発想、心にいかに耳をすませ、いかに表現させ、人として内側から育ちいくのを支援するかをもっとも大切なものととして心にとめ続ける必要があるのだと思います。
toshi先生の目指す問題学習授業は、そうしたものだと感じています。
66. Posted by totoro   2008年08月22日 07:12
なおみさんのおっしゃること、よく分かりました。
子供に寄り添った大切なお仕事をされていて、その面から学校を見ているのですね。

これからの学校は、特別支援の考え方をベースにしていかなければならないことも日頃から私も感じています。特別支援の対象になる子でも分かる授業なら、全員に理解させられる授業になると思います。見える情報と、見せる情報の操作が必要だと感じています。

tossについても、よく分かりました。私は若い頃読んだ、向山洋一さんの「授業の腕を上げる法則」を今でも時々ぱらぱらめくって、今の自分の授業をチェックします。あの頃の向山さんは良かったけれど、おそらく手を広げすぎたのです。組織になってしまいましたし。だから、自然と、最近あまりtossの本を参考にしなくなったのかなあ??

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