2008年08月17日

63回目の終戦記念日にあたり、3

aef3c6b8.JPG 世はオリンピックにわいているが、一昨日の8月15日は、終戦記念日でもあった。

 以前、『平成を昭和に置き換えると、』なる記事を書かせていただいたが、わたしにとっては、今年の終戦記念日は特別な感慨がある。

 平成20年8月15日。

 平成を昭和に置き換えると、まさに、玉音放送があり、戦争が終結したその日になるからである。


 養母は、そのとき、20歳。よく言われるように、玉音放送はまったく聞き取れず、『いよいよ戦争も本土決戦を迎える段階となった。みんなよく忠義を尽くし、勝利の日まで戦い抜くように。』と言っているのだと理解した。

 『何によって敗戦を知ったか。』と聞いたが、それは記憶にないようだった。


 わたしは、生後7ヶ月の赤ん坊だったから、もちろん何も知らない。


 ところで、今日の記事の内容だが、


 まず、戦争にまつわるこれまでの記事を、リンクによって紹介させていただきたい。そして、次に、今、拙ブログでとり上げている問題解決学習の観点から、思い出深いテレビ番組をとり上げてみたいと思う。



 それでは、まず、過去記事へのリンクから、

 ただ、6編もあるので、お時間の許す折に、ゆっくりご覧いただけたら幸いである。



平和教育(1) 朝会の話
 我が地域では、年一回、校長が、全校朝会で、平和を考える話をするのが慣例となっています。かつて、わたしがした話のなかで、思い出深いものを記事にしました。

平和を祈る
 わたしは、広島の平和記念資料館を、2度ほど訪ねたことがあります。そのとき思ったことを中心に、平和への思いを書いています。

いわゆる『平和教育』
 『戦争をとり上げその悲惨さを押さえないと、平和教育ではない。』に対し、警鐘を鳴らしたつもりです。また、問題解決思考を養うことの大切さにもふれています。

歴史を見る目を養う。
 『二度の原爆投下』。我々は皆知っています。しかし、渦中の人々にとって、三度目への恐怖は絶大だったことでしょう。歴史を見る目を養う大切さを述べています。

追 憶(2) 母の育児日記
 戦争末期から戦後にかけて、亡母がつけていたわたしの育児日記です。当時20代だった母の日記を、今60代の息子が考察する。その記事もあります。

橋本龍太郎氏の訃報に接し、
 橋本氏が、年金納付の重要性を、戦争の犠牲と結び付けて話されたことがありました。わたしにとっては、とても衝撃的な話でした。ぜひ、お読みください。



 過去記事へのリンクは以上である。


 それでは、本日とり上げるテーマに移るが、

 それは、数年前のテレビ番組だった。

 今、その番組をさがしたのだが、見つからなかった(申し訳ありませんが、番組名を記憶していません。)。ただ、それをとり上げたブログは見つかったので、それにリンクさせていただこうと思う。

  快眠への気付き SCENE235 : 【マイブロ】 吾輩は、(  )である

 わたしも、この方と同じ番組を見たのだった。

 この方もとり上げている、『原爆の開発ー投下などにかかわったアメリカの博士と
被爆者との直接対談の最終シーン』が、ものすごく印象的で、衝撃を受けた。
  
 
 それでは、わたしの記憶のままに、このときの様子を語らせていただくが、

 この博士は、戦後60年たって、初めて広島の平和記念資料館を訪れる。その惨禍を見て、思わず、顔を曇らせる。
「悲惨だ。」
「人類の歴史にあってはならないことだ。」
「核廃絶に向けて努力しなければいけない。」
そのようなことを言ったと思う。

 そのあと、どうしてそういう経過になったかは忘れてしまったが、広島平和記念公園内で、この博士と被爆者の一人との対談が始まった。

 博士が原爆の悲惨さを語っているうちは、とても、うちとけた雰囲気で対談が進んだ。

 しかし、被爆者の方が、『原爆投下について、謝罪してほしい。』と言うと、雰囲気は一変した。

「確かに気の毒だとは思うが、謝罪することはできない。我々には、『リメンバーパールハーバー』という言葉がある。それなら、まず日本が、真珠湾攻撃について謝罪しなければならない。」
そのようなことを言ったと思う。

 それから被爆者の方は、それまでにも増して、被爆者の戦後の労苦などもまじえ、意を尽くして話し始めたが、博士は、『気の毒だ。』とは言うが、ついに謝罪の言葉を口にはしなかった。


 見ているわたしは、画面にくぎづけになった。

 どうなるのだろう。この対談は。

 そんな思いで、はらはらしたのである。


 しかし、その後で、感動的な場面がやってきた。

 なんと、2人は、話はここまでと思うと、最後、握手して別れたのである。


 わたしが、この握手について、思うに、

 博士は謝罪こそしなかったが、原爆投下の悲惨さ、被爆者の辛酸や労苦には十分、同情、共感の念を示した。核廃絶にも賛意を表したと思う。

 被爆者の方は、謝罪こそしてくれなかったものの、共感し合えた部分も多々あったことから、それで一応の納得としたのだろうか。

 そのような感じでの握手ではなかったか。


 わたしが感動した部分は、

〇いくら、60年たったとは言え、原爆投下側と被爆者側という、まったく極限に近いもの同士の対談だ。ふつう、それが握手できるものだろうか。たとえ謝罪があったとしてもだ。人間としての崇高な部分を見る思いがして、涙を禁じえなかった。

〇これが日本人同士の対談だったらどうなっただろう。もちろん、『利害や思いが対立し合っていた場合』という意味だが、そう思ってしまったのである。

 おそらく、ののしり合って、けんか別れになることも多いのではないか。

 問題解決力を養われていない日本。

 議論に不慣れな日本。

 議論と感情がごちゃごちゃになる日本。


 この場合、被爆者側がそうなっても不思議はないし、誰も非難はしないだろう。その両者が握手する。

 そう思うと、思わず感動してしまったというわけである。

 
 やっぱり、共感し合える部分は、共感し合う。はっきり言うべきことははっきり言う。そうして、最後は、『何十パーセントかの満足を共有し合う。』

 それが大切ではないか。

 また、民主主義の国では、そういう資質を要求されるのではないか。



 ここのところ、ブログが大人にとっての格好の問題解決学習の場ということを書いている。

 拙ブログにもたくさんのコメントをいただいている。

 意見の対立もあるだろう。逆に、相互に分かり合える部分もあるだろう。


 日本はとかく、0%か、100%かを求めてしまい、そのため、自分の思いを放棄してまで合意してしまったり、逆に自説にこだわり、かたくなに言い張ったりしてしまう。

 『何十パーセントかの満足を共有し合う。そして、共有できる部分を増やす努力を地道に進める。』

 けっきょく、『平和への道』は、それしかなのではないか。


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 問題解決学習は、人格陶冶の学習でもあります。いや。そこまで見つめて行う問題解決学習でないと、うまくいかないでしょう。

 逆に、教え込み、教員主導の学習では、たとえ教えている内容が『平和』であっても、平和的心情を身につけることにつながるとは限りません。

 指導法が、いかに大事かということだと思います。

rve83253 at 10:41│Comments(12)TrackBack(0)エッセイ | 平和教育

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この記事へのコメント

1. Posted by YK   2008年08月17日 23:36
『何十パーセントかの満足を共有し合う。』

こういう姿勢は大事だなと感じます。8月15日は、私は偶然知り合いの中国人に食事に誘われたのですが、特に歴史について公式には食い違いのあるような国の人とは、気遣いが必要だと感じます。

露骨に「反省します」と言わなくても、「文化大革命が終わって30年くらい経つけど、オリンピックの開会式を見ると、中国は本当に経済で成功したね」という話から始めて、アヘン戦争から太平洋戦争までの話をして、「もちろんここに来るまでに日本は大きく関わってきたわけだけど・・」と言えば、謝罪ではなくても、「あ、この人はよく考えているな」とわかってくれます。そのレベルで理解しあえれば、毒ギョーザや環境などのネガティブな問題でも「中国はまだ法律や経済の制度が未整備で申し訳ないです」という話に持っていけます。もちろん、個人レベルの信頼関係ですが、個人レベルで気が合う人間と合わない人間がいるのは日本人でも同じなので、やはり理解と同情というのは大事かな、と感じました。

もっとも、外交レベルではもっと強気で行ってもいいのになあと思うことはありますが・・。
2. Posted by Soba   2008年08月18日 00:44
5 「逆に、教え込み、教員主導の学習では、たとえ教えている内容が『平和』であっても、平和的心情を身につけることにつながるとは限りません。」

 全く同感です。
 権威による教え込みそのものが暴力です。それで平和を教えれば、「平和」を振りかざす人間が育ちます。
3. Posted by toshi   2008年08月18日 02:58
YKさん
 そうですね。
 わたしたちのような一般の者が外国の人とお話しするときは、お互いに相手の思いを知ろうという気持ちで付き合えばいいのではないかと思います。
 ただ、気風の違いというか、そういうものを感じ、緊張感をもつこともありますね。
 たとえば、わたしの場合、つい最近、姪のご夫君とそのご両親(フランス人)にお会いしたのですが、何か一つ質問すると、それに答えてくださったあと、『あなたはそのことについて、どう思われますか。』と、必ずと言ってもいいくらい、聞き返されるのです。
 なるほど。それは大事なことだろうなと思いました。まず、自分の考えを言って、それから質問に移るのが礼儀かなとも思いました。
 でも、やはり、国民性の違いはありますから、やはり、大事なのは、誠意をもって話すことなのでしょうね。
4. Posted by toshi   2008年08月18日 03:44
Sobaさん
《権威による教え込みそのものが暴力です。それで平和を教えれば、「平和」を振りかざす人間が育ちます。》
 ほんとうにその通りと思います。『平和を振りかざす人が暴力的にふるまう。』などということはいくらもあることですね。
 それと、教え込みはむなしい。世の中の価値観が変われば、サッと言うことも変わってしまいます。それは、知識が自分のものになっていないからだと思うのです。

なお、記事の中のリンクですが、『いわゆる平和教育』は、教え込みの平和教育について述べています。よろしかったらご覧ください。
5. Posted by みかん   2008年08月18日 14:58
はじめまして。
いつもブログを楽しみに拝見しています。私は 広島に移り住み14年目になり、広島の平和教育に疑問を持っています。悲劇は 広島だけでなく 長崎にも 関東大空襲でも…各地であったのに、広島は『ヒロシマ』ばかりを強調する教育に思えます。教委は、2年前から8月6日を登校日と定めました。なんだか押し付けられる平和教育のような気がして…6日は 平和公園に行って 子ども自ら何かを感じ取って欲しいな
6. Posted by toshi   2008年08月19日 18:16
みかんさん
 拙ブログをご愛読いただいているとのこと、ありがとうございます。
 わたしは、記事にも書いているのですが、子どもの思いを大切にした平和教育なら、必要ですし、大賛成なのです。しかし、みかんさんの思いと一緒だと思いますが、現状は、どうも、押し付けの平和教育になっているようですね。ですから、必ずしも平和的心情を身につけた子どもが育っているとは言えないようです。それはすごく残念に思うのです。
《6日は 平和公園に行って 子ども自ら何かを感じ取って欲しいな。》
 そうですね。押し付けでなく、子ども自らが感じ取る教育はあるはずなのですけどね。
7. Posted by YK   2008年08月20日 01:06
 お返事ありがとうございます。やはり外国人と話すときは色々と注意します。相手も日本の文化や歴史観などを私で判断しますから。平和教育についてですが、平和が観念(思い込み)になっては良くないだろうと思われます。平和とは常に危うい均衡の上に成り立っていることを教えた方が、現在の平和の有難みがわかるのではないでしょうか。平和は戦争の反対語ですが、戦争状態でなくとも、平和を感じる心は生活上必要なものであろうと思われます。
 2008年に平和を教えるということは、そもそも1908年の状況に想像力が働く力を持たなければならないものです。1908年から1939年の過程を学ぶことによって、2039年に戦争は起きなくなるだろうと思われます。今の小学生も2039年には壮年であり、彼らが戦争を回避できて初めてゆとり教育も効果があったと評価できるのではないでしょうか。
8. Posted by toshi   2008年08月20日 10:13
YKさん
《平和とは常に危うい均衡の上に成り立っていることを教えた方が、現在の平和の有難みがわかるのではないでしょうか。》
 そうだと思います。政治家や平和運動家は、『こうすれば絶対平和になる。』という言い方をしますが、どうやったって、絶対的な平和ってないのだと思います。そうしたなかで、平和へのあゆみとか、その中にみられる平和を守り維持するための取組とかを具体的に学んでいく。けっきょくそれしかないのではないでしょうか。
9. Posted by みかん   2008年12月15日 20:41
またまたお邪魔します。
toshi先生がここでおっしゃっている『原爆科学者と被爆者60年目の対話』が今夜9時から再放送されますよ。
私は あの番組を初めて拝見してから 平和について考える機会が増えました。
10. Posted by toshi   2008年12月16日 00:12
みかんさん
 お教えいただき、ありがとうございました。
 さっそく、視聴しました。間一髪、対話の場面をみることができました。
 間違いなく、この番組でした。すごくなつかしい思いで視聴しました。
 ただ、ちょっと本記事は、ニュアンスが異なっていましたね。なにしろ、記憶のなかだけで書いたものですから、申し訳ありませんでした。
《被爆者の方は、謝罪こそしてくれなかったものの、共感し合えた部分も多々あったことから、それで一応の納得としたのだろうか。》
 共感し合えた部分も多々あったとは、ちょっと言えないようです。
 でも、あらためて、こうした対話が行われたということのすごさを感じ取ることができました。
11. Posted by 消耗品   2011年07月31日 07:23
先にも書かせていただきましたが私には歳の離れた知人がおります。ひとりは海軍航空隊の元特攻隊員、もうひとりは元陸軍航空隊の飛行兵で特攻は拒否して戦争は生き抜いたものの戦後八路軍に拉致され何年も日本に帰れなかった方。その方々の話を聞くたびに、今まで学校で習った平和教育とは何だったのか?社会の授業は何だったのか?と考えさせられました。
社会の年表を覚えるように過去の事実を客観的に振り返るだけでは真の平和学習、平和の尊さを知ることにはならないとつくづく思います。その時代の当事者になったつもりで主観的にその時代の出来事をみつめなければ。そのためにはその時代背景を深く知る必要があるし、そのための時間も要します。授業カリキュラムの変更の必要も出てくることでしょう。しかし、大切なことは何か、優先すべきことが何かを本当に分かっていれば、そのような問題は解決できるはずです。中途半端に平和教育の時間を設けるのではなく、小中高問わず、年間を通して平和の尊さをかみしめることこそ、平和を愛する大人に育て上げ、将来平和を愛する国を築いていく人間になるのではないでしょうか?
12. Posted by toshi   2011年07月31日 12:46
Aさん
 平和教育については、過去記事にいくつか書いています。Aさんがおっしゃることに全面的に賛成です。組合的な意味での平和教育を批判した記事を紹介させてください。
 本コメントのtoshi欄にそのURLを貼りつけましたので、よろしかったらご覧ください。

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