2008年08月26日

外国人による日本語弁論大会から3

72fad521.JPG 何年くらい前から、行われるようになったのだろう。

 わたしは、外国人による日本語弁論大会が大好きである。


 世界のことをあまり知らないわたしが、

『ああ。外国人て、日本では当たり前のもろもろのことについて、こういう感じ方、考え方をするのか。』とか、

『へえ。外国って、そうなんだ。日本ではまったく見られないよな。』とか、

とにかく、認識を新たにしてくれる。


 それが教育にかかわることになると、

『わたしが個性の尊重と言っているようなことは、外国人からみると、尊重でもなんでもない。きわめて当たり前のことなのだな。』

などと思うこともあって、おもしろい。



 今回も、そういうことがあった。

 アメリカ人の方である。

 日本のどこか、小学校にいらしたらしい。そう言えば、我が地域も、もう、20年近く前から、外国人講師による英語指導(?)を実施している。


 この方が、日本の小学校で、一番驚いたのは、『歯磨き指導』だったようだ。


 「クラス全員、30人以上が、完璧に、一斉に、奥歯の内側に歯ブラシを当てて、1、2、3、4、1、2、3、4と歯磨きを始めたのを、あっけにとられて見ていました。」

 それはもう、会場にいて聞いているのはほとんど日本人だが、みんな一斉に笑い出すくらい、ユーモアたっぷりに話された。

『なんで、歯磨きなどという、私的なことまで、学校で教えなければいけないのでしょう。』

 そう言ったかどうかは忘れてしまったが、
 

 アメリカにはほとんどない修学旅行や、全校同じメニューの給食なども例にあげて、

「日本は、学校によって、『集団志向』が強められるのだなと、思いました。」



 でも、集団志向の日本は、何もかも問題と言っているわけではない。歯磨き指導はあっけにとられたようだが。


 集団志向の日本、個人志向のアメリカだが、お互いに相手のよいところを学び合えば、とてもいい結果になるのではないか。そう言っていらした。


 それでは、彼が、『アメリカも日本から学べばいい。』としたのは、どういうことだったでしょうか。








 それは、

「アメリカでは、学級は小学校にしかありません。しかし、日本は、中学、高校まで学級がありますね。そのおかげで、将来は社会の一員になる子どもたちが、グループの一員としてがんばって、グループに貢献する精神を、社会に出る前に身につけておくことができます。」

 
 そして、最後に、
「(歯磨き指導のように)日常何気なくすることが、日本の教育理念を色濃く示しているのだと思うと、自分の常識が、日々の平凡なことの積み重ねによって成立するのだということに気づかされました。」
と結ばれた。



 『歯磨き指導が、日本の教育理念を色濃く示している。』

と言われると、そこから見える日本の教育理念とは何なのだろう。ちょっと考え込んでしまった。

・たわいもないことだが、こういうところから、集団志向の国民性が養われる。

 そういうことかな。


 日本の学校が歯磨き指導をしているとき、教員に、『集団志向』というイメージはないだろう。あるのはただ、『保健指導』の学習内容だけだと思う。

 ただ、確かに、歯磨き指導はするけれど、わたしが勤務した学校においては、『1・2・3・4・1・2・3・4』と、一斉に叫びながらというのはなかったなあ。
 もしそれを見たら、『そこまでやるか。』と、わたしだって思うだろう。


 我が勤務校においては、保護者や子どもに歯ブラシ持参を呼びかけ、『何時何分から何時何分までのあいだに歯磨きをしましょう。』と呼びかけるくらいだった。

 これは聞いた話だが、歯ブラシを忘れた子のために、あらかじめ用意しておいて、それを買ってもらうということをやった学校があり、それはそれで物議をかもしたようだ。


 だから、そのようなことからすれば、アメリカの方が例示したような、号令をかけるという、その学校のやり方は、集団志向として驚かれたのも、無理はないかもしれない。



 集団志向と言えば、このアメリカの方は言っていなかったが、遠足、卒業アルバム、運動会なども、たぶん日本特有のものだと思う。もしそうなら、これらも、日本の集団志向の現れとみられるのではないか。


 運動会、それから、卒業式なども、日本の学校は、まあ、これは、小学校に限るのかもしれないが、ものすごく練習をするのだよね。これは、我が地域も同様だ。

 『見た目がそろってきれいに。』

 それはもしかしたら、ものすごく日本的なのかもしれない。少なくとも、このことについて、地域・保護者からクレームがついたという話は聞いたことがないもの。

 ほんとうは、学校5日制になってからというもの、練習のための時間数を確保するのは大変なはずなのだが。



 ところで、最後に、わたしの思いだが、わたしは、これらは、日本のよさだと理解する。必ずしも、集団志向の現われとは思わない。

 『必ずしも』と言ったのは、『声をそろえて、一斉に』というのは、やはり、違和感を覚える。また、運動会も、卒業式も、あとで過去記事にリンクをはらせていただくが、やり方によっては、やはり問題性を感じる。

 だから、やり過ぎはよくないが、『まあ、常識の範囲で。』とは言いたい。



 最後に、そうは言っても、日本は集団志向の国柄というのは、かなり、日本人も認識していると思うので、授業まで、集団志向(思考)にならないように、この点の努力は必要だろう。

 あくまで、一人ひとりの子どもの思いやこだわりを大切にした授業の創造をと願わずにはいられない。


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 それでは、日本の教育の集団志向というか、問題性を感じた事例にリンクさせてください。

 どちらも、我が地域の事例です。

    感動の卒業式とは?

 ちょっと記事の趣旨は違っていて、集団志向云々については、少しだけしか書かれていません。
 それに恥ずかしいのですが、わたしがちょっと集団志向に毒されているかもしれません。反省です。


 もう一つは運動会の事例でしたね。ある日、ある学校での、練習風景の一コマです。

    『やり直し』について

 これはもう、悪しき集団志向の実際例と言っていいでしょうね。気をつけたいものです。

   『過度の集団志向』へ続く。 

rve83253 at 18:17│Comments(3)TrackBack(0)国際理解教育 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by totoro   2008年08月27日 05:07
オリンピックが終わりました。日本選手の精一杯の姿からたくさん力をもらいました。ただし、柔道やマラソンなど日本の得意とする種目でも外国の選手に勝てなくなってきた場面や、野球やサッカー、バトミントンなどで後一歩で競り負ける場面なども多く見えました。

これについて、職員室で話題になりました。日本は長い間、農耕民族であり島国ですごしてきました。確かに日本国内で多くの戦いを経験しましたが、外国の侵略を受けたことはほとんどありませんでした。そこから、2つの仮説が出てきました。一つは気持ちの面であり、もう一つは体力的な面です。

一つめの気持ちについては、同じ東洋人でありながら、韓国の人たちとの競り負けからこんなことを考えました。日本は陸続きではないので、知らない人が来たとしてもそれはやはり日本人です。喧嘩になることもないし、話し合えば分かり合えます。侵略されることも無かったから、ここぞというところで、何が何でも踏ん張らねばと、気迫を全面に表すことが苦手です。春に種を植えたら秋になれば収穫が待っているわけで、何がなんでも今とらなければという必然性が無く、その代わりに待てば何とかなるという我慢強さはあります。

2つめの体力的なものについては、狭い島国なので、遠くまで走る必要がありません。これは、外国の選手と比べると、速く走る、長く走る、大きく表現するなど、対等でないことが一目瞭然でした。

日本人が、集団で取り組むことを好むのは、こうしたDNAがどこかで作用しているのかなと思いながら読ませていただきました。
2. Posted by toshi   2008年08月27日 10:47
totoroさん
 オリンピックについて、これも、日本の集団指向に関係ありますね。
 わたしが若かったころ、オリンピックの選手は、日ごろの力を発揮できないことが多かったです。『国のため』『みんなのため』という思いが強すぎ、緊張してしまったのでしょうね。『負けたら何言われるか分からない。』そんな思いになってしまったのでしょう。

 そこで、メンタル面の強化が言われました。そんな折、元巨人軍監督の長嶋茂雄氏の現役時代ですが、名言がありました。
「自分が打席に立つとチャンスがまわってくる。そんなとき、『何と自分は幸運なのだ。何と恵まれているのだ。』そう思うように努めた。すると、結果はよかった。」
 そうしたことの成果か分かりませんが、最近のオリンピック選手は、今回も含め、けっこう日ごろの力を発揮している、それ以上もある。そんな例が多くなっていると思います。
 
 ただそうは言っても、totoroさんのおっしゃることは分かるわけで、その辺で言わせていただくと、
 歴史上、日本国内の戦いと外国のそれとで基本的に違うのは、日本では、戦国時代といえども、皆殺しの例はほとんどない。敵将の首をとれば、それでよし。部下は助けるし、場合によっては自分の部下にしてしまう。
 ところが、外国では、皆殺しの例がかなりあるそうですね。
 
 これは、民族問題とかかわるそうです。

 話は変わってしまいますが、

 日本は、南方系、北方系、朝鮮系、中国系という言葉もあるくらい、間違いなく多民族国家です。しかし、日ごろの生活でそれを意識する日本人は皆無です。第一、自分が何民族かも分かりません。

 
3. Posted by toshi   2008年08月27日 10:49
 これは、単一民族と信じ込まされてきた長い歴史があるからだと思います。かつて、それにかかわって悲劇の歴史もあったけれど、
 でも、そのおかげで民族紛争は絶無です。今の世界を見ると、これは何と幸運なことか。そんなふうにも思う昨今です。

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