2008年08月31日

全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、3

9d07dcd1.JPG 国が全国学力・学習状況調査の結果を公表した。新聞には、昨年同様、都道府県別の平均正答率が表になって出ている。

 わたしはそれを見て、複雑な思いになっている。


 そもそも、調査の実施について、わたしは、特に反対ということはなかった。


 その理由だが、

 下記リンク先でふれているように、良問がふえている。PISA調査問題の影響を受け、思考力を大事にする問題がふえた。単に知識、技能を問う傾向からの脱皮をうかがわせる。

 そうしたことについては、すでに考察記事も書かせてもらった。

(平成20年度)全国学力・学習状況調査実施(2)


 そう。だから、その結果をふまえ、一人ひとりの子どもの学力の実態を把握し、その向上に役立てるなら、よいのだが・・・。

 もちろん、学校現場はそのようにがんばるだろう。子ども一人ひとりの結果については、知らされるわけだから。


 
 しかし、教育政策的にはどうか。

 上記リンク先記事でもふれているが、どこかの校長の言葉がある。

『こういう検査は、どういう使われ方をするのか、それが実施のよしあしを決めるのです。今後の使われ方をじっくり見守りたい。』

 わたしもまったく同感だ。

 そして、まさに、その使われ方をめぐって、わたしは、今、複雑な思いになっている。



 
 さて、その使われ方だが、このことについても、すでに、過去記事において言及している。 

   (平成19年度)全国学力検査の結果公表で、

   

 そこで、本シリーズでは、2回にわたり、上記リンク記事をふまえ、現在のわたしの複雑な思いの中身を述べてみたい。



 その第一回目は、『ああ。いいな。』と思われる、学校現場の努力などを中心に、記事にさせていただく。

 この種の報道はあまりないのだが、そこで、乏しいわたしの資料収集力では、探すのに苦労したのだが、やっと見つけた一つの記事に注目したい。


 それは、今年4月の記事だが、次のようなものである。


   全国学力調査、活用を模索 結果発表から半年


〇まず、岩手県のある小学校の例。

 昨年度実施についての例だが、調査実施時点で、数人の子どもの答案コピーを使い、学校の教員により模擬採点をしたという。

 わたしは、まず、この熱意に心打たれた。

 だって、昨年度実施分についての結果公表は、第一回目ということもあってか、ずいぶん遅れたものね。そして、現場からは、『結果の公表が遅すぎるから、今年度の指導の改善には、生かせないではないか。』という批判が多かった。

 今年は、国もがんばったのだろう。夏休みが終わる時期に公表されたから、その点はよかった。各学校現場では、9月から結果の分析やそれを受けての改善策をまとめることができる。だから、批判はないだろう。

 しかし、それにしても、その実施は、9月以降となるわけだ。


 その点、この学校は、もう、調査実施の時点で、自分の学校の子どもたちの学力の実態をある程度把握したのだから、『すごい。』と思った。


 具体的な改善策もでた。

 その例を見て、わたしは思わず納得、共感してしまった。



 記事を引用させていただくと、

 国語で『二つの感想文を読み比べて、共通する良い書き方を2点記述しなさい。』という問題があった。子どもたちの解答を見ると、『思ったことが書かれていてよかった。』『いっぱい書いてあってよかった』など、答えになっていなかった。

とある。


 わたしが、思わず、納得、共感してしまったというのは、

 初任者指導をしていて感じるのだが、また、初任者に限らず、ベテラン教員でもやってしまいがちなのだが、日ごろの授業では、上記のような解答で満足してしまっていることがめずらしくないのである。

 知識・技能の習得にくらべると、こういう思考力の発揮にかかわる部分は、粗雑に扱われる傾向が、一部にある。

 たとえば、ふだんの授業で言えば、

「声が大きく発表できたから、よかったと思います。」
「はっきり発表できたから、聞きやすかったです。」

 そのくらいの発言で満足してしまう。

 指導者は、『ほんとう。そうだったね。よかったね。』などと言ってしまい、そこから先のきめ細かな指導がないのだ。


 わたしは、こういうとき、よく言うことは、

「あのくらいの発言で満足してしまうと、どんなお話でも、通用してしまうね。また、次のお話のときも同じことを言えばすんでしまう。
 それでは、このお話をとり上げた意味がない。
 やはり主人公の心情に迫るとか、主人公の行為の意味について考えるとか、そういうところまで追求しようとする子どもを育てててほしいものだな。」

そして、上記の例なら、
「『特に聞きやすかったなあとか、今、Aちゃんの発表の、ここが強く印象に残っているなとか、そういうところはないかな。』などと問いかければ、そのお話の核心に迫っていくことが期待できるだろう。」
などと言う。


 上の岩手県の小学校は、月一回の研究授業で、調査の結果をふまえ、改善指導にとり組んだとのこと。おそらく、上記のような具体的改善が行われたものと思う。しかも、国による結果公表が示されるはるか以前から取り組んだのだから、すばらしい。



 以下はちょっと、わき道にそれるが、お許しいただきたい。

 今、学校評価とか、人事考課制度とか、盛んに言われる。それも、わたしは正しく行われるなら、反対しないと述べている。

 上記の例では、その具体例が示されたと思うので、あえて、わき道にそれさせていただきたい。


 この学校の、調査結果は、国の平均に届かない可能性がある。もちろん、そのようなものは記事にないから分からない。あくまで可能性だ。

 仮に、国の平均に届かないとしよう。

 そうだとすると、この学校の、学校評価は低くていいのか。

 そうではないだろう。これだけの熱意と取組を見せた学校だ。わたしは、高い評価を与えていいと思う。


 読者の皆さんのなかには、以下のように思われる方もいらっしゃるかな。

『それだけの熱意と改善への取組があれば、次年度の結果はよくなるだろう。それで、正しく評価されるようになるのではないか。』


 でも、そんなに単純なものではないことにも、やはり読者の皆さんは気づかれるのではないか。『正答率は、たぶん上がるだろう。しかし、そうでないこともありうる。』くらいのものである。


 わたしは、これまで、何回も記事にしてきた。今回もまた、書かせていただこう。

 わたしは、学校評価とか、人事考課制度に、特に反対はしない。正しく使われるのなら、それは、努力した学校、教員が評価されるわけだから、大いにけっこうと思う。

 しかし、その場合、学力調査の結果によって評価されるようなことはあってはならない。努力、改善の姿をしっかり把握して、それが正しく評価されることが大切だ。

 本事例はまさに、そのことを示しているように思われる。



〇静岡市の中学校の事例も紹介されている。学力調査より、学習状況調査を重視して改善に取り組んだとある。

 これが、学習意欲・興味、関心など、そうした心理的側面の改善につながったとするなら、これも、また、大いにけっこうなことだ。

 

〇京都府のある中学校の事例もおもしろい。

 国から調査結果が示されてから、膨大な調査結果を分析されたとのこと。その分析への取組には、やや問題性を感じなくもないが、分析の仕方は、自校の生徒の実態を受け止め、それにそったかたちでの分析となるよう心がけた点がうかがわれる。

 また、結論もおもしろい。『特に目新しいものはなかった。』


 この中学校の事例では、ここまでしか分からないから、何とも言えないのだが、

 先ほどの、岩手県の小学校とは、逆であることも想像できる。

 京都府の中学校には大変失礼な言い方になるが、また、実態としては、そのようなことはないと思うが、

 あくまで可能性ですよ。全国の各小中学校には、以下述べるような実態もあるだろうと思うので、述べるのだが、

 だから、京都府の中学校さん、ごめんなさい。


 この学校の正答率は、高いことが予想される。それで、結果を分析したが、特に目新しいことはなかったとされる。したがって、『改善策はない。これまでどおりでいい。』となったことが想像できる。

 もし、そうだったとしたら、これはやはり問題だ。高ければ高いなりに、後で述べる香川県の例のように、さらによくする改善策が示されなければならない。

 いや。やはり、ごめんなさい。改善策はあるのだと思います。記事からはうかがえなかっただけでしょう。ほんとうに、ごめんなさい。

 ただ、ただ、全国にはそういう学校もあるのではないかと思い、書かせていただきました。


 この場合の、学校評価は。

 ああ。もう書くのをやめよう。失礼の上塗りになる。


〇教育行政の努力についてもふれられている。しかし、これは、評価できる点、問題点、不明な点など、いろいろだ。


・少人数化はいいと思う。ただ、問題解決学習を標榜した場合は、ある程度の人数はいたほうが、授業が活性化する。

習熟度別は、よくない。これはもう、結果はでている。そのグループの学力に安住してしまい、学力差が固定化されてしまうのだ。

 これは、PISAも言っているし、我が地域の指導主事の言葉でもある。

・昨年、正答率が全国最低とされた、沖縄県の取組が紹介されていた。たった三行の記事なので、これだけで、どうこう言うことはできないが、

 今回公表された、都道府県別正答率によれば、改善の兆しが若干見られる。

 これで、学習意欲の改善が見られれば、なおよいのだが、その点は、現時点では、分からない。

・大阪の事例も出ている。こちらは、緊縮財政の折、教育関係予算は削られたとある。この点については、次回にくわしくふれさせていただきたい。知事はだいぶお怒りのようなので。

・香川県の取組みはいいなと思った。それにユニークだ。

 『活用』の力をつけるには、社会、理科の学力重視とのこと。

 わたしは、かつて、国の検査について、国語と算数だけでいいのかと、記事にしたことがある。

    全国学力・学習状況調査実施(2)の最末尾でふれている。バナーの下である。


 もう何回もふれているが、本調査の『活用』は、PISA調査の影響をかなり受けている。そして、それは、たとえば、『読解』と言っても、単に物語や説明文の読解にとどまらず、図、表、グラフなどの読解、ある意味、社会科でいう資料活用力などを含むものだ。

 さらに、社会、理科重視は、総合的な学習の時間重視ともつながるし、問題解決力重視とも言える。

 わたしは、この、香川県の取組は、英断と考える。


・福岡市の取組も紹介されている。

 これもたった三行では何とも言えないが、各学校の主体性を認め、予算をつけている点は評価できよう。



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 さて、今回は、学校現場、地方教育行政の具体例にふれながら、その取組について、考察してきました。

 次回は、その第2弾。

 学力調査の使われ方について、ちょっと嘆かわしい部分にふれてみたいと思います。それによって、わたしの複雑な思いが理解していただけるのではないかと思っています。

   (3)へ続く。

rve83253 at 10:00│Comments(2)TrackBack(0)教育観 | 全国学力調査

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年08月31日 21:47
報告があとになってしまいましたが、今回の記事をリンクさせていただきました。少しtoshi先生のおっしゃっている内容とずれているかもしれません。
(もし問題がありましたらご連絡ください。)
いつもどうもありがとうございます。
2. Posted by toshi   2008年09月01日 15:57
なおみさん
 リンク、ありがとうございます。すてきな記事に引用してくださったこと、感謝します。
 くわしくは、貴ブログにコメントさせてください。

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