2008年09月07日

なおみさんのブログに触発されて、4

ed8ccae2.JPG 先の拙ブログ記事、『全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、』において、新聞に載っていた、岩手県のある小学校の事例をもとに、きめ細かく思考力を養う指導を行うことの重要性を述べたところ、

 なおみさんが、ご自分のブログ、『虹色教室通信』に、わたしのその記事を引用してくださって、『すぐに辞書を引く習慣、図鑑で調べる習慣にちょっと注意 2 』なる記事を書いてくださった。


 同記事は、わたしの記事を、家庭での学習に応用させ、深めてくださったものと、理解した。


 同記事の言葉を借りれば、

 『自分の知識を記憶の中から取り出して解くという方法しか経験したことのない子は、読解力のあるなしではなく、筋道を立てて考えていく…という考え方についていけないようです。物を覚えることはたくさんしていても、物をしっかり考えた経験がないのです。』

『調べることは大事だけれど、「自分の頭で筋道をたてて考える作業をしない」で、
「とにかく知識をインプットしよう」という態度を育ててしまうと、こうした少し練った問題にぶつかると、問いかけられている内容に頭や気持ちがついていけない…
きちんと考えればたいした知識はいらない問題でも、パニックを起して手がつけられない…となるようです。』

『子どもが何かに疑問や興味を持ったときには、大人もいっしょに頭を十分使って、
「考える」「表現する」のお手本を見せてあげるように心がけることが大事だと思います。
 もちろん???ばかりでもOKです。それからいっしょにドキドキしながら図鑑を調べるなら、それはたくさんの感動を与えてくれるはずです。』

 
 すばらしい助言と思った。


 それで、今度は、なおみさんの同記事から触発されて、わたしが感じたこと、思ったことを書いてみようと思う。



その1

 引用させていただいた部分については、まったくその通りと思う。

 どうも、覚えることと、考えることと、感じることは、それぞれ、脳の分担場所が違っているらしい。

 覚える学習ばかりしていると、ほんとうに思考力も感性も育たない。具体的に思考しやすいように配慮して、思ったことを書くように指示しても、『何を書くのう。』『何書いていいか分からない。』『何にも思いつかない。』『何も感じたことはない。』などとなりがちだ。

 また、考えたとしても、無理やり考えようとするから、稚拙な表現しかできない。

 やはり、日ごろの生活のなかで、子どもの身のまわりにいる大人が、

『大人もいっしょに頭を十分使って、「考える」「表現する」のお手本を見せてあげるように心がけることが大事だと思います。もちろん???ばかりでもOKです。』

こうなればいいなと思う。

  

その2

 拙ブログ記事の『全国学力検査の結果公表で(2) その使い方は』のなかでとり上げた、『答えになっていない。』という事例について、補足をさせていただきたい。


 そのまえに、同問題とその正答例にリンクさせていただこう。


   平成19年度 全国学力・学習状況調査 小学校国語B 3番 11ページ
   同調査 正答例 3番

 ちなみに、正答例は、

  ・自分の体験をもとにした感想や意見、決意が明確であること。
  ・主人公の言葉を使ったり、物語のあらすじをまとめたりしていること。

となっている。


 そして、『答えになっていなかった。』という、当該学級の子どもたちの答えを再録すると、

  ・思ったことが書かれていてよかった。
  ・いっぱい書いてあってよかった。

ということになる。


 さて、この問題は、『2つの感想文を読み取った上で、共通するよい書き方を見つける。』という設問で、思考をめぐらせる問題とみていいだろう。


 ところで、思考問題というのは、『これしか正答がない。』というものではない。漢字書き取りとか、ふりがなをふるとかいったような、『正答は一つ』というものとは違うのだ。

 そこで、あらためて、上記の問題で、『答えになっていなかった。』と判断された答えを吟味してみる。

 すると、双方とも、見方によっては正解とも言いうることに気づかれるのではないか。

 設問にある、どちらの感想文も、思ったことがいっぱい書いてあるよね。
 
 また、文章の量だって多いと言えば、多いと言えなくもない。答える本人が多いと思ったのなら、『いや。少ないよ。』と言い切ることはできないはずだ。

 
 そこで、『答えになっていない。』という意味を考えてみると、

 正答例にくらべると稚拙だとか、

 わたしが前記事に書いたように、どんな問題でも当てはまってしまう答えであるとか、

そういうことになるだろう。



 逆に、正答例についても吟味してみよう。

 はたして、それが最良の答えと言いうるか。

 そこで、わたしは、あらためて問題文を読み返してみた。

 ある。ある。もっといいと思われる答えが。


 たとえば、このようなものはどうだろう。

  ・主人公の言ったことや行動を、自分自身の生き方に結びつけて述べている。

 読者の方は、最良の答えと認めてくださるだろうか。


 つまり、この場合、正答例だって例に過ぎないということだ。極論すれば、仮に『このあたりを正答としよう。』と決めたに過ぎない。


 さあ。そうなれば、『日ごろどのような授業をしているのか。』授業の質が問われるというものだ。

 
 先の拙ブログ記事、『全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、』で紹介させていただいたように、やはり子ども同士で深め合う授業の展開を、指導者が保障しなければならない。

 たとえば、以前、記事にしたことがあるが、

   充実した学習を(2)

のような学習が日ごろ成立しているクラスなら、上記わたしが書いたような正答例、いや、もっとすばらしい正答を子どもは書くようになるだろう。


 この項の最後に、小さな、小さな声で申し上げるが、

 なおみさんは、家庭での親子のふれ合いという意味あいをこめて、記事を書かれたと思うので・・・、すみません。家庭のことにもふれさせていただきますが、

 日ごろの親子の会話がどのようなものであるかなども、この正答には影響してくるだろう。



その3
 
 なおみさんも言外におっしゃっていると思うのだが、

 基本的に、『辞書で調べる。』とか、『図鑑で調べる。』とかは、いいことだ。親が何も言わなくても、子どもにそういう習慣がついているとしたら、それはもう、ほめてやっていいだろう。『学び方』が身についているのだものね。

 ただ、気をつけたいのは、なおみさんがおっしゃっているように、『安易で、調べればいいという態度になっている。』とか、『調べたことが調べただけで終わってしまって、ちっとも身についていない。』などという状況がよくみられる場合だ。

 これは要注意だ。



その4

 覚える学習に価値をおいている親なら、子どもが何か分からないと言ってきた場合、安易に、『辞書で調べなさい。』とか、『図鑑で調べなさい。』とか、言ってしまうだろうね。

 でも、これ、実は、学校もやってしまっているケースがけっこうあるのだ。


 我が地域でも、ときにそういう授業がみられるが、社会科というと調べ学習になってしまっているということはないか。

 ただ調べる。何のために調べるのかが分からない。子どもに聞くと、『先生が調べましょうと言ったから。』などという答えが返ってきたりする。

 そして、そういう場合は、ただ資料を丸写ししているだけだ。分からない漢字とか、分からない言葉があっても、お構いなし。ただ写すだけだからね。これでは、仮に覚えたとしても、その知識は、自分のものになっていない。

 
 やはり、授業なら、

 『子どもに問題意識があり、今、それを解決したい思いでいっぱいである。』とか、『友達と意見を戦わせているのだが、何とか自分の意見が正しいことを証明したい。』などという思いがあって、調べずにはいられないという思いで調べるという、

 そういう調べ学習でありたいものだ。そうであれば、調べた結果をまとめるにあたっても、子どもは、自分の言葉を大事にするようになる。


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 なおみさんの記事にある、ある中学校の受験問題にも驚かされました。『受験問題も様変わりしつつあるな。』という思いでした。

 はっきり、PISA調査の影響を受けていると思いました。私立の学校が求める学力も変化しつつあるということでしょうか。

 このあたりのことは、また、機会をあらためて、記事にさせていただこうと思っています。

rve83253 at 10:15│Comments(2)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年09月08日 11:24
私の記事を引用して記事を書いてくださってありがとうございます。< 『子どもに問題意識があり、今、それを解決したい思いでいっぱいである。』とか、『友達と意見を戦わせているのだが、何とか自分の意見が正しいことを証明したい。』などという思いがあって、調べずにはいられないという思いで調べるという、そういう調べ学習でありたいものだ。>同感です。以前、虹色教室のいもりのケースにたにしのような、それでいて奇妙な動きをする生き物が現われたんです。図鑑で調べることのできない???な生き物として、教室内で大人気となり、それぞれの子が↑のURLのような疑問を抱いて、必死で観察していたのです。その時、最近の子はパンダのような希少動物でさえ先に知識を与えられすぎて
夢中で観察するということがなくなっているのを実感しました。子どもって未知のものにはこんなにも敏感な感性を持っているのか、と驚きました。
2. Posted by toshi   2008年09月11日 07:13
なおみさん
 一つは、今、何でも恵まれすぎて、大人が与えすぎなのでしょうね。心、知識の飢餓状態をつくり出すことが、必要なのでしょう。
 むかしなら当たり前にあったと思われる知的欲求が、今はそれを抱かせるための工夫を必要とする時代になったということかもしれません。
 なおみさんのブログの記事からも、それを感じることが多いです。

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