2008年09月17日

全国学力検査の結果公表で(4) 大人の狂奏曲(2)3

95f7d1eb.JPG どこかの府知事は、ずるいなあと思う。

 先日、テレビ出演したが、言うことがコロッと変わった。

「わたしは、各学校ごとの調査結果の公表を言っているのではありません。あくまで市町村ごとの公表をお願いしています。
わたしは、この結果の原因が、学校だけにあるのだとは思っていません。
 地域によっては、家庭の教育力が著しく低下している。その現状をはっきり家庭にみてもらい、家庭教育について考えてもらうことが大切と思っているからです。」



 なにい。そうなのかい。

この知事は、まず爆弾発言をしておいて、その後、修正していくという・・・、そういうことがクセになっているのではないかな。



 だって、先には、

「我が地域において、公立小中学校への保護者の信頼度は、全国で最も低い。」
「教育委員会は最悪だ。もっと教員はしっかりしろと言いたい。」
「公務員でも仕事の結果は重視しないといけない。2年連続でこんなザマなら、民間では減給は当たり前だ。」

などと言っていたのだものね。その言葉はどうなってしまったの。

 

 また、修正したにもかかわらず、それとは別に、この日も、すごいことを言った。

 教育委員会は、関東軍なのだって。


 話が逆ではないのか。

 知事はご承知のように、武断的で、独断専行。越権行為も辞さず。

 その一つの現れ。

 国は、実施要領の7の(4)で
『各学校や市町村教育委員会が自主的に公開することはかまわないが、都道府県教育委員会による、域内の市町村及び学校の状況について個々の市町村名・学校名を明らかにした公表は行わないこと。』
と定めているのにね。

 それなのに、全市町村の公開を、知事が要求する。さらには、『公表するかしないかで、教育予算に差をつける。』とまで言っている。

 まさに同知事こそ、ぴったり関東軍に符合する。


 今、橋下 徹でググってみた。

 すごい。すごい。その、狂奏曲(?)ぶりが、伝わってくるではないか。



 でも、元へ戻って、同知事の変節についてだが、

 知事は、先に拙ブログにいただいた、なおみさんのコメント(リンク先の7番)をご覧になったのかな。

 なおみさんは、『大阪の家庭の、教育にかける意識が二極分化している。』ことを早くから指摘されていた。


 知事のことに戻るが、

 だからと言って、つまり、『一部家庭の意識の低さを印象づけたい。』からと言って、この調査の結果公表がほんとうに役立つのかね。また、家庭に教育への関心を呼び起こすことができると、本気で思っているのかね。

 そして、その流儀を貫くのなら、どうして、『市町村段階までの公表でいい。』のか。やっぱり学校ごとに公表した方が、はっきりみえていいと思うのが、知事流の自然な考え方ではないのかね。

 

 この番組には、『ゆとり教育』の権化(?)である寺脇 研氏も、出席されていた。おもしろいなあと思った。両極の考え方がぶつかるのだもの。同氏が、どんなことを言うか、興味津々だった。

 しかし、残念。上記のように、知事は変節したから、同氏は、こぶしをふり上げることができなくなってしまったようだ。

 わたしは、同氏が、『ええっ。そうなのですか。学校の責任とおっしゃっていたのではないですか。』と、問い返せばいいのにと思ったが、そうした振る舞いはなく、きわめて紳士的に、同知事に対応された。

 武士の情け。そんな言葉を思い出した。


 
 ただ、同番組で言っていたが、府民の8割は、調査結果の市町村別開示に賛成とのこと。反対は2割しかない。これは、教育委員公選制をとなえるわたしとしては、ちょっとショックだ。公選制にしたとして、開示請求派が当選してしまうものね。

 そこで、わたしたちは、何で開示してはいけないのかを、府民の納得のいくように説明しなければいけない。大阪府教育委員会も、同知事に、説明すればいいのだ。

 それには、『過度の競争をあおり、序列化を生む。』その理由だけではだめだ。弱い。



 ここでは、

 もっと根源的な・・・、多くの地域において、開示が、教育現場に何をもたらし、子どもをどのようにしてしまうか。

 ほんとうなら、調査そのものは、教育現場に成果をもたらし、子どもを幸せにするはずなのに、どうしてそれを疎外してしまうのか、その辺を明らかにしてみたいと思う。


 それには、今年4月、全国学力調査実施時に、ぶうちんさんをはじめとして、何人もの方からいただいたコメント(リンク先のコメント9番以降)を引用させていただくのが一番いいと思う。

 まさに、今現在の、多くの地域での、『開示、公表』のもつ問題性が、はっきりと示されている。

  

 ・・・が、すみません。
 
 そのまえに、ふれておきたいことが、2つある。



その1

 同コメントの2番だ。yokoさんからいただいたものである。同コメントには、『薬も、使用する用法、用量を間違えれば毒になるように、何でもその使い方、考え方次第の所がある。』とある。


 そうなのだよね。

 良薬とする部分は、

 すでに、拙ブログの、全国学力検査の結果公表で、(2)に書かせていただいた。

 一人ひとりの教員、各学校、ないしは、各教育委員会が、調査結果を真摯に受け止め、その結果を次からの指導に生かし、子どもの学力向上につなげるという、まさに、理想的な・・・、いや、本来そうあるべきなのだが、そういう、『検査結果を生かした例』を紹介させていただいた。


 逆に、憂うべき、毒薬としてしまう部分が・・・、
 
 それは、ぶうちんさんらからいただいたコメントを振り返ってみる。



その2

 お詫びなので、ここだけ、敬体で書かせていただきます。

 同コメントの33番は、わたしのものですが、ぶうちんさんに対し、大変失礼な返答をしてしまったものと、今は、いたく反省しています。ぶうちんさん。ごめんなさい。

 ここは、ぶうちんさんが、コメント35番でおっしゃっている通り、

『全体として、(全国学力調査の)実態がどうなのか、アンテナを高くすることが大事だと思います。』

 もう、その通りです。自分の地域に問題性があまりないからといって、他地域のことは分からないと、簡単に切り捨てるようなことを書いたのは、わたしの間違いでした。申し訳ありませんでした。


 そして、その後は、ぶうちんさんのおっしゃるように、アンテナを高くしてきたつもりです。また、今は、このことに関して、低いアンテナでもどんどん情報が入ってくるようになりましたので、その結果としての本記事となりました。

 よろしくお願いします。



 さて、それでは、いよいよ本論に入らせていただく。毒薬の部分だ。



その1
 
 まず、子どもがかわいそうな目にあうという、悲惨な事例を述べてみたい。この一連の騒動の最大の被害者は子どもだということがよく分かる。

 ぶうちんさんからいただいたコメント13番以降からは、『近くの学校では、「できない」ことで泣き出した女の子がパニックになり、算数を受験できなくなりました。』とある。

 また、コメント12番の後半には、『テストアレルギーともいうべき状態に子どもがなってしまった。』ということも書かれている。

 さらに、30番からは、上記、泣き出した子のその後が書かれていて、ここからは、学校現場の対応のまずさも感じられる。学校長の言葉だそうだが、このようなものをモンスターペアレンツとは言わないだろう。保護者の切実なる願いではないか。


 ああ。今のような、調査結果の開示請求がなり、公表が実現したら、このような子どもの姿は全国各地にみられるようになってしまうのだろうね。

 ぶうちんさんのコメント13番からは、調査実施そのものがこうしたことの原因とされているようにうかがえる。また、こうした考えは、学校現場に多いと思う。
 しかし、わたしはそうは考えない。ちゃんとまともに利用すれば、上記のように、良薬となるのだからね。


 コメント24番は、yokoさんからいただいたものだが、
『うちの娘は、まだ小学生ですし、テストに対して構える意識がありません。それもあって、(学力調査を)楽しみにしていたのかもしれません。』
とある。

 その通り。調査(テスト)とは本来そのようなものでなければならない。そして、このお嬢さんの場合、それは、『その3』にみられるような三層構造になっていたとしても、『楽しみ』にする気持ちは、変わらないだろう。

 yokoさんは、以下のようにもおっしゃる。

『テストを苦痛と感じ、一日を過ごす事は、そんなにいけないことでしょうか。〜。
皆が簡単に解けてしまう問題ばかりならテストの意味はないような気がします。出来の良し悪しをはかるものなのかもしれませんが、それは同時に自らを確認する為のツールでもあるわけです。それに、壁にぶつかってこそ進歩もあるのではないでしょうか。わからないものがわかるようになった時の喜びこそが、学びの楽しさだと思うのです。』

 これももう、おっしゃるとおり。調査とはそのようなものでなければならない。この場合の『苦痛』は、『楽しさ』に含まれる苦痛だよね。

 それをゆがめているものは何なのか。そうお考えいただければ幸いである。



その2

 失礼ながら、ぶうちんさんのコメントからは、教育現場の混乱振りが伝わってくる。その混乱が、子どもを上記のような状態にさせた最大の要因のように思う。

 コメント9番には、『こんな問題を出されたら、指導要領を逸脱した授業をしないといけないし、子どもが分かるのを待ってはいられない。』とある。

 子どもが分からないまま授業を進めたら、もともこもないのにという意味で、まさに、自己矛盾を起こしているが、それだけに、現場の悲痛な思いが伝わってくる。

 ぶうちんさんの学校がどうのこうのというわけではないが、社会の圧力によって、拙速に調査結果をよくしようとあせり、かえって結果を悪くするという、悪循環に陥ってしまうのではないか。そういう学校現場が、全国的に展開するのではないかという、ものすごい危惧を感じてしまう。


 また、同コメントからは、その拙速からくる、この調査への誤解も感じられる。たぶん、『活用問題も教え込まなきゃ。』としているのだと思う。

 そのようなことをすれば、時間がいくらあってもたりない。


 また、このようなことをしたら、活用問題も既習(知識)となってしまうので、

 調査問題そのものは、活用の体裁をとっていたとしても、実質は知識の問題として解いてしまうことになる。つまり、思考力、判断力を測ろうとしているのに、知識力で解くことになってしまうというわけだ。

 そのため、活用問題の作問者は、新種の活用問題を考えなければならなくなる。いたちごっこが始まる。


 何度も言うように、思考力、判断力を養うには、先に紹介させていただいたA元校長先生の授業のように、根気強く、問題解決学習をおし進めていくしかない。子ども主体の学習、子どもの問題意識を大切にした学習を進めていくしかない。それには根気もいるし、時間はかかるのだ。

 開示や公表の動きは、現場を拙速主義に陥らせ、時間のかかる教育を排除させる。ここに最大の問題点があるというわけだ。


 ぶうちんさんのコメントからは、学校現場のぴりぴりした雰囲気が伝わってくる。

 そんなに汲々として指導に当たったら、『その1』に記したように、子どもはますますテスト嫌いになってしまうだろう。いや。もっと根源的な、『学ぶ意欲の低下』は、ますます世界一の度合いを強めてしまう。
 
 このまま推移すれば、わたしには、来春、『こうした子ども、こうした学校現場が、全国各地にみられる。』という悲しむべき状況が出現してしまうのではないかと、それを恐れる。


 コメント17番は、フルタさんからいただいたコメントだが、その末尾に、

『すでに訓練されてしまって良い成績を出している学校(子ども)もあるかもしれません。ですから、一概に良い結果を出しているから良い教育が行われているとも、最近、思えなくなっています。』
とある。

 もう、まさにその通り。思考問題まで、知識・理解の問題としてしまったら、いくら点数がよくても、それは邪道の教育としか言いようがない。そして、現在の狂奏(?)ぶりが、それを加速する。



その3

 ぶうちんさんのコメント12番の前半だが、

 各地域、都道府県、国と、調査が三重構造になっているのは、全国各地に見られる現象だろう。何を隠そう。我が地域もまったくその通り。

 ただし、ぶうちんさんのおっしゃるように、悉皆でなくしたり、実施学年を変えたり、教科の重なりをなくしたり、それぞれ工夫はみられるのだと思う。

 そして、それは過重な負担にならないようにという配慮の場合もあるし、調査そのものの目的を勘案してという場合もあるし、その結果をどう現場の実践に生かすかという視点でとらえている場合もあるだろう。

 しかし、このことはたいした問題ではないように思う。重要なのは、やはり、開示、公表の動きが、どう展開していくかではなかろうか。



その4

 コメント12、16番からは、今回の調査について、特に、『B』(活用)が、最後までやり切れなかったという問題のあったことがうかがわれる。そして、そのことがパニックの要因になったこともあるようだ。

 未答が大量にでたことは、国もいたく反省しているようで、来年は改善されるだろう。

 それにしても、調査問題はプロが作成しているのだろうに、どうしてこんな問題の出し方をしたのだろう。予備調査の不備も感じられる。



その5

 コメント17番は、フルタさんからいただいたものだが、

『学校ごと、地域ごとの成績が分かる限り、点数を上げようとして、訓練に走る傾向になるのはふつうのことではありませんか。』
とある。

 そう。これこそが、今の狂奏(?)の要因なのだよね。

 一般論としてみれば、まさにその通りなのであろう。だからこそ、諸問題が噴出する。

 でも、学校現場にあるものとしては、ふつうととらえてはいけない。自戒、自省したい。

 やはり、ここは、情報開示とか公表の動きに惑わされることなく、あせったり、訓練主義に陥ったりするのではなく、ほんとうに子どもが生きる学習の成立を目指して、努力してほしい。衷心よりそう思う。

 でも、無理かなあ。



 毒薬にあたる部分は以上である。




 それでは、最後に我が地域のことをご紹介したい。これまで述べてきた『毒薬』の部分を、大幅にひっくり返してしまう論述になるであろう。
 

 まず、コメント14番はわたしのものだが、我が地域の実態を述べている。50年以上にわたって実施してきている、我が地域の標準学力診断検査のことを述べている。


 これにつけたしをしたい。

 我が地域では、ずっとむかしから、学校の主体性を大事にしながらも、多くの学校が、この検査結果を公表してきている。また、学級担任の主体性のもとに、学級の結果を公表した担任もいる。

 こう書くと、読者の皆さんは、『それは、いい結果のところが公表してきたのだろう。』とお思いになるかもしれないが、それが必ずしもそうとばかりは言えない。


 だから、わたしの退職後のことだが、教育委員会が、地域学力検査の結果について、学校ごとにその結果を公表するように通達を出したときも、違和感なくそれは受け止められた。


 公表の仕方は、学校にゆだねられた。

 だから、学校だよりで、学校の文書で、あるいは、学校のホームページでと、さまざまである。

 また、点数で出したところ、パーセンテージで出したところ、大まかな傾向として文章記述で出したところと言うように、その点でも、さまざまである。

 ただ、どこの学校も共通しているのは、
『自校の子どもたちの学力の実態、こういう点はよくて、ここには課題があるので、今後は、〜のような指導に力を入れていきたい。』
そういう点はしっかり記述している。

 また、本日とり上げている国の結果も公表している学校もある。


 長年の経過があるせいか、教員にも、地域・保護者にも、これといった違和感はないようだ。



 今回、この記事を書くにあたり、数人の校長に聞いてみた。

「うん。うちはかなり平均より低いですが、とやかく言う人はいませんよ。地域の方のなかには、『うちは、地域がら、こんなものだろう。これでも、よくやっているよ。』そのようにおっしゃってくださる方もいらっしゃいます。」

「うちは、地域がら、平均点はいいです。でも、別に喜んでいるわけではないですね。当然と受け止めているようです。」

「そんな点数などにはこだわっていませんね。日ごろの本校の実践を評価してくださっていますから。」

 ようするに、地域・保護者の関心事は、点数などではなく、日ごろの学校教育の実践そのもののようだった。もっとも、考えてみれば、それが当たり前だよね。


 笑い話もあった。

 転入生の保護者だが、転入して数年になるのに、公表していることを知らなかったらしい。
「ええっ。そうなんですか。知らなかったあ。それなら、来年度の学校だよりは、しっかり見るようにします。」

 つまり、公表そのものが空気みたいになっていて、別段こだわるものでもなんでもないのである。

 特別聞いたわけでもないが、各校長は、大阪など、今の各地の騒動などは、ピンとこないようであった。



 だからだろう。国の調査実施に当たっても、格段のことはない。

 子どもの反応にしても、コメントの14番、21番に書かせていただいたような結果なのである。



 そうなる原因だが、

〇前述のように、公表そのものがむかしからのもので、教員も、地域・保護者・子どもも、そういうものとなれてしまい、空気のように感じられていること。

〇我が地域は、国の都道府県別の結果を見ても、きわめて平均的なところで、あえて言えば、相対的に、AよりBの方がいい結果を出していることから、比較的、問題解決学習がうまくいっているのではないかと思われること。

 言葉を変えれば、コメント20番。これは、フルタさんからいただいたコメントだが、『学校で、toshi先生の総合の時間を経験した子ども達と、漢字の撥ね留めや九九のスピードに時間と神経を割いた子ども達とでは、問題に前向きになれるかどうかは異なってくるような気持ちは拭えません。』

 これはわたしも同感なのである。まあ、我が地域の場合、学校は一定の信頼は得ているということかな。

 
 アンテナを高くした結果、よそのこともあんがい分かってきたように思う。

 よそはどうもピリピリしている。

 いや。よそだって、我が地域同様のところもけっこうあるだろう。ピリピリしているところだけが目立つのだろう。



 結論としては、

〇国の調査は、指導法の改善、そこから生まれる児童の学力(もちろん、思考力、判断力を大切にしての話だが、)の向上、それに役立てる意味で、これからも実施する。もちろん悉皆である必要はないと思う。

〇上記学力を向上させるためには、現場をもっと落ち着かせる。ゆっくりとじっくりと問題解決に取り組むことのできる環境づくりに精を出す。そのためには、知事を含め、まわりのものは雑音を控える。

〇教員は、もちろん、なおいっそうの授業改善に努める。これはいつも言うように急務である。そして、授業改善に役立つような意味での人事考課、学校評価は充実させる。

  

 同コメントにわたしが書かせていただいたものを再録させていただく。

『それにしてもこわいなあと思います。調査の目的、使い方によって、同じ調査なのに、子どもは、学ぶ喜びを持つことができたり、心をパニックにさせられたりしてしまうのですから。』


 なお、フルタさんには、こころから感謝したい。

 今、コメントを読み返してみて、あらためて感じたのだが、何度にもわたり、応援メッセージをいただいた。ほんとうにありがとうございました。


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ninki



 大阪府知事をはじめ、公表を求めている方たちは、読んでくれるかなあ。読んでくれるといいなあ。

 少なくとも、『テストの点数の低いところは減給だ。』とか、『公表しない市町村には、予算で差をつける。』などとは言ってほしくないなあ。そのようなことをしたら、最大の被害者は子どもだものね。

 
 そして、早く、日本全体が、『公表』など空気のようなもので、大人の誰もがピリピリしなくなるという、そんな状態になったらいいなあ。

 それからの公表なら、誰も、反対しないでしょう。 

rve83253 at 08:16│Comments(7)TrackBack(0)教育風土 | 全国学力調査

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この記事へのコメント

1. Posted by KG   2008年09月17日 10:59
この知事殿はどうやら何事も印象だけでまず吠えて、その後各方面からの異論・反論を聞いて修正していくという感じですよね。一介のタレントならアリでしょうけど、知事としての品格に疑問を感じます。
特に教育は誰もが受けているので、誰もが印象論で語れるから冷静な議論がなかなかなされない分野なのですが、知事という様々な権限・影響力を持つ人がこれだとますます子供不在の改革のための改革、制度いじりの為の制度いじりばかり行われそうな気がします。
2. Posted by KG   2008年09月17日 11:16
学力調査にまつわる報道、発言を読むたびに痛感するのは、そもそも学力調査が誰のため、何のためのものなのか、目的自体を誰もちゃんと把握していないし、目的がわからない、もしくは個人の願望、持論とすりかえて話しをするから本来の目的に対して学力調査という手法は果たして正しいのかどうか、誰もちゃんと検証してませんよね。(ここで批判しているのは文科省をはじめとする行政サイドや影響力のあるマスコミなどです)

学力調査の結果を公表する・しないというのは本当は瑣末な話しだと思います。(公表自体は反対ですし、これはこれで大きな問題をはらんでいますが)
本当に大切なのは、何故学力調査なのか?をもう一度検証しなおすことだと思います。
本当はもっと原点にもどって、学力とは一体何なの?という議論も必要だと思うのですが。
3. Posted by YK   2008年09月17日 22:10
橋本知事は当初から官僚を敵と設定して批判してきたと思います。そして、官僚を批判することで府民の人気を獲得してきたのだろうと思います。だから、彼の考えでは教育の問題は独立した問題ではなく、あくまで政治の一環なんだろうと思います。目的が政治なのだから、彼に教育についての原則が無いのは、私はある意味で当然だと思うんです。意見だけなら、政治上の立場次第でどうとでも変えられるでしょう。そういう意味で、彼は典型的な扇動政治家に見えます。ただ、私は一般の大阪府民が、公務員の給料のカットなどの橋本知事の政治を見ながら、多少なりとも溜飲を下げていたに違いないと思うんです。公務なり公教育を批判して、それに満足しながら良いサービスを求めるというのは、公務員ではない私から見ても、少し打算的すぎるように思います。自分のところの政治家を自分たちで決めた以上、教育の混乱は自分たちで決着を付けるのが本筋ではないでしょうか。
4. Posted by toshi   2008年09月18日 00:36
KGさん
 ほんとうですね。子どもの成長を考えると、こわい感じがしますね。
《教育は誰もが受けているので、誰もが印象論で語れるから冷静な議論がなかなかなされない分野なのですが、〜。》
 『教育のプロでない人』が教育を語るのは大歓迎なのですが、そして、そこからプロが学ぶ点も多々あると思うのですが、最低限、子どもへの愛は大事にしてほしいですよね。

 国は、何回も記事にしたように無定見ですので、信頼はできないのですが、今のところは、問題は少ないように思います。ただただ、一部地方教育行政と一部市民のいき過ぎが気になります。それをだしにして国も、考えを変えるおそれがあると思います。

 わたしは、学力調査はあっていいし、また、子どもの学力向上のためには必要と思っています。また、それに付随して指導者の指導法改善に資するものであるべきで、それ以上でも以下でもないですね。
5. Posted by toshi   2008年09月18日 01:05
YKさん
 ううん。なるほど。同知事は、ただの扇動的政治家なのですね。ナチのヒットラーも、まずは国民の支持を得て、独裁者になっていったのですものね。ちょうどあんな感じだったのでしょうか。
《自分のところの政治家を自分たちで決めた以上、教育の混乱は自分たちで決着を付けるのが本筋ではないでしょうか。》
 ただ、この点については、ちょっと考え込んでしまいました。だって、選挙のときは、ここまでやる人ということは分かっていなかっただろうと思うのです。それに驚いている府民もいるだろうと思うのです。
 あっ。そうか。地方行政府の首長の場合、リコールもあるのですね。問題ないか。
6. Posted by すずめ@おばちゃん教師   2008年09月18日 01:07
こんばんは,はじめまして。
公立の中学校で教えております。
小学校と中学校では少し雰囲気が違うかもしれませんが,私の住む地域では,あまり雑音がなく,導入時の狂騒曲はなんだったのだろう?といい意味で拍子抜けしています。
今は分析と授業力向上のための方策を立てているところです。
それでも,鳥取県のように,開示請求なんてものが出てくると,話はややこしくなるかもしれません。
私には,マスコミが視聴率と読者数を上げるために数字をセンセーショナルに扱いたがり,騒がなくてもいいことをバタバタ埃を舞い上げようとしているように思えてなりません。
イギリスの一部小学校生徒のように,学力調査嫌さのあまり,心に変調をきたしたり,怯えて学校にも行けなくなったりしたらたいへんだと思うのですが,それすらも新聞記事としては面白いものになるのかもしれません。
子どもが被害者になるなんて,とんでもないことです。それだけは防ぎたいということからも,結果の不用意な公表はしてほしくないと思います。
7. Posted by toshi   2008年09月18日 17:13
すずめ@おばちゃん教師さん
 はじめまして。とは申しても、わたしも、かつては日教組の組合員でしたから、そのことは何度も記事にしておりますし、すずめおばちゃん先生には、親しみを感じております。
 よろしくお願いします。
《私の住む地域では,あまり雑音がなく,導入時の狂騒曲はなんだったのだろう?といい意味で拍子抜けしています。》
 そうなのでしょうね。大騒ぎしている地域は、ほんの一にぎりの地域なのかもしれません。でも、それが、目立つのですね。
《今は分析と授業力向上のための方策を立てているところです。》
 ほとんどの地域の学校は、地道に、真剣に、明日の指導力向上を目指して、がんばっているのだと思います。
 すずめさんのおっしゃるイギリスの二の舞にならないよう、日本もそうなる危険性はありますので、微々たる力でしかありませんが、ブログで訴えていきたいと思っています。


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