2008年09月21日

PISA調査と中学受験問題と3

bafe44ed.JPG 本日の記事は、中学校の受験問題をとり上げる。

そのことについて、長く拙ブログをご愛読くださっている方は、違和感を抱かれるかもしれない。


 と言うのは、

 わたしは、これまで、何度も、日本の受験重視の進学システムには、中学であろうと、高校、大学であろうと、反対論を展開してきたからである。



 いきなり、わき道へそれて大変恐縮してしまうが、しばらくお付き合い願いたい。

 ただし、『toshiの言いたいことは、もう分かっている。』と思われる方は、※印のところまで読みとばしていただいてかまわない。


 わたしが受験による進学システムに反対するわけは、

 本来なら、のめり込むように読書に集中して人生観を磨いたり、友達や先生とディスカッションをして論理的思考力を磨いたり、そういうことを通して自他の尊重の精神を養ったりすることのできる、

 そういう貴重な青春なのに、

 そういうことを犠牲にして受験勉強にのめりこんでいかなければならないという、この選抜のあり方は、人材育成の国家的損失と思うからである。


 
 それは、国の学習指導要領にある、全人格的な成長発達をも阻害する。

 本来、小学校なら小学校の、中学校なら中学校の、高校なら高校の、『教育の目標』があるはずであり、それは、その時期にしかできない全人格的な成長発達を目指すものであるはずだ。
 
 少なくとも、それは、上の学校へ進むための準備教育ではないだろう。


 なお、このことは、すでに拙ブログにおいて、記事にしている。ご覧いただければ幸いである。

   教育再生会議の提言に思う。(4) 教育の地方分権を

 
 さらに、今、高校の学習指導要領も示そう。その総則をご覧いただきたい。

 なんとすばらしく、高邁な理念をうたっていることか。


 学習指導要領の法的拘束性などとよく言われるが、考えてみれば、おかしな話だ。

 拘束すればいいのに。

 そして、受験勉強などから、子どもを解放してやればいいのに。(『拘束すればいい。』というのは、この面に関してだけですよ。)

 そう思ってしまう。『本音と建前。きわまれり。』だ。



 ※※※※※※※

 以上のように思うわたしが、今回は、中学校の受験問題をとり上げる。自分でも、いささかおかしな感じがしないでもないが、そこは、現状がそうなってしまっているのだから、無視して通るわけにもいかず、どうか、お許し願いたい。



 わたしがこの記事を書こうとしたきっかけは、いつもお世話になっている、なおみさんの記事『すぐに辞書を引く習慣、図鑑で調べる習慣にちょっと注意 2』で、ある中学校の受験問題をとり上げていらっしゃったからである。


 わたしは、その受験問題に、少なからず驚かされた。もう、最後の6年担任だったのは20年以上も前だから、そのとき以来、久しぶりにみたと言っていいかな。そうしたら、隔世の感があったというわけだ。

 受験問題も様変わりしたものだ。そんな印象をもった。



 今、その問題を、なおみさんの記事から、引用させていただこう。



 
 『試験管の水を温めたとき、〜の方が早く温まります。この理由をA,Bのように考えてみました。

A 〜から
B 〜から

 そして、

Aの理由が正しいかどうかの実験をおこない、結果はどうなったか考えます。
Bの理由が正しいかどうかを調べるための実験もおこない、結果を考えます。
↑の結果から、結論を考えます。

 とにかく理科は、問いの文章が長いです。』
 

とある。 



 この問題は、従来の日本的な、伝統的な問題とは性質をことにする。

 それは、こういうことだ。

 これは、まさに、『社会にでて役立つ実用的学力』を標榜するPISA調査の問題、そのものではないか。


 『〜の方が早く温まります。』となっていることから、単純な知識を問う問題なら『答え』にあたるものが、もうすでに、問題文のなかに書かれてしまっている。

 そして、『実験から、結果はどうなったか考えます。』とあることから、たぶん、科学的知識はなくても、科学的思考力さえあれば、容易に(?)解けてしまうのではないか。
 


 それでは、この種の問題が、中学校の受験問題として登場するようになったことについて、なぜわたしが驚き、隔世の感をいだいたか、その理由を述べてみたい。

 

 驚きの一点目。

 わたしが、学級担任のころの受験問題と言えば、単純に知識を必要とする問題ばかりだった。言葉を変えれば、なおみさんのブログに登場する、『☆くん』のようなタイプの子が有利になる問題ばかりだった。



 こんなことがあったっけ。まだ、わずか、4年前のことだ。

 我が地域においては、標準学力診断検査の作問に当たり、早くから、上記問題のような作問を心がけていた。それは、『PISA調査の考え方を先取りしていた。』といっても過言ではない。

 
 そして、リンク記事にあるように、

 一市民の方から、抗議とも言える電話をいただいたことがある。受験合格を目指すお子さんをお持ちの保護者の方からだった。

「問題は式が立てられ、答えが出せればそれでいいではないか。何で面倒くさい、『こんな考え方もある。あんな考え方もある。』といったような文章をつくって、問題をややっこしくするのだ。
 おかげで、うちの子は答えを出せるのに、変な問題のために、×になってしまったではないか。」

 
 さあ。時代は変わった。私立中学校の受験問題にも、この種の問題が出されるようになったのだ。

 さしづめ、上記保護者の場合なら、

「問題は、こういう実験をしたら、こういう結果になる。それでいいではないか。何で面倒くさい、『こんな実験もある。あんな実験もある。』といったような文章をつくって、問題をややっこしくするのだ。
 おかげでうちの子は、答えを出せるのに、変な問題のために、×になってしまったではないか。」

となるのではないか。

 しかし、受験問題が様変わりしたことから・・・、もう、その種のことは言わなくなるかな。



 驚きの二点目。

 私立中学校の受験問題の様変わり。これは、どのくらいの広がりをみせているのだろう。わずか数校にとどまるのなら、そんなに記事にするほどのことではないのだが・・・、

 上記、なおみさんの記事にしても、問題文の前に、『次のような問われ方をすることが、よくあります。』とある。それなら、やはり、『中学校受験問題の様変わりは広がりをみせている。』のだろうか。


 そこで、わたしは、ネットで調べてみることにした。

 いくつかの興味深い記事を発見した。ただし、私立中学校の実名がでてしまう場合もあるから、リンクは遠慮させていただくが・・・、

『私立の学校も、求める生徒像を変えつつある。もう記憶中心の暗記型学習しか経験してこなかったものは、入りにくくなる傾向が強まっている。』
そのような論調もあった。

 やはり、そんなにめずらしい現象ではないようだ。


 だとすると、なおみさんが、上記記事でおっしゃるように、『自分の知識を記憶の中から取り出して解くという方法しか経験したことのない子は、』解けないような問題がふえている。これは、確かなようだ。


 今、PISA調査は、受験にも、多大な影響を与えているということが分かった。




 しかし、思いは複雑だ。




 わたしは、PISA調査を支持し、こうした学力観が日本に定着することを願っている。


 それは、

 PISA型読解力が、思考力、判断力など、将来の実生活に役立つ学力を重視していることや、問題解決学習と理念を一にしている部分が大きいことから、これが、ほんとうに日本の教育現場に根づくのなら、すばらしいことだと思うからだ。

 これまで、何度も記事にしてきたように、国の学力検査がPISAの影響を受けていることも評価してきた。

 



 だが、受験問題ということになると、どうだろう。わたしは懐疑的だ。
 
 だって、これまでも記事にしてきたように、全国学力調査の場合だって、いくら良問が多くても、それを知識の問題としてしまいかねない、今の日本だ。

 受験問題もこれと同じことが言えないか。

 たとえ入試問題に良問が多くなったとしても、もともとランキング化されてしまっている私立中学校のことだ。今度はその種の問題になれさせる訓練が始まってしまうのではないか。

 とても、教育本来の姿に近づくとは思えない。



 たとえば、

 進学塾が、上記なおみさんのブログにあるような実験を、授業にとり入れることはないだろう。

 けっきょく、『こういう実験をしたら、こういう結果になりますよ。』と教え込むのだろうと思う。そうだとすると、なおみさんがブログに書かれた問題でも、思考力・判断力を磨くというより、その種の問題になれさせるということで終わってしまう。

 

 もう一つ。

 PISA型読解力では、自己の考えを表明することも求められる。これも、訓練ということで、
『自分の考えをもたなければいけません。』
『資料をもとにした考えでなければなりません。資料と関係のない考えを書いても、点数にはなりません。』
『資料を多面的に読み取ったうえで、自分の考え方を書けるようになるといいですね。』
などということになるのではないか。


 本来、思考力、判断力にしても、自分の考えにしても、こうした受身の姿勢による訓練によって養われるわけではあるまい。

 『社会に出て実生活に役立つ学力』は、主体的に学習に取り組むなかで、必然的に、あるいは、切実感をもって学び・・・、気がついたら考えていたとか、自ら主体的に生きようとして判断したとか、自分の考えをもっていたとか、そういうなかで養われるのではなかろうか。

 そのなかには、試行錯誤や思い込みや思慮の足りなさを示す場合だってあるだろう。そういう過程を経ることが大切なのだ。

 だから、授業でも、そういう場をたくさん用意してやる必要がある。




 PISA調査は確かに『テスト』だ。

 世界各国に展開する調査である以上、それはいたし方ない。

 しかし、PISA調査は、その調査問題になれさせることを意図してはいない。まして、PISA調査の問題が解けるように訓練することなど、まったく要求していない。


 日本の場合、そのようなことをしそうなのだが、そうした状況を知ったら、OECDのシュライシャー氏も、ただただ苦笑いを浮かべられるのではないか。


 日本において、PISA調査が各方面に影響を与えていることはいいことだ。

 それが子ども主体の授業を成立させ、自ら問題意識をもち、さまざまな調査活動や話し合い学習を展開するなかで問題解決を図るという、本来の教育のあり方につながるなら、絶対いいことだ。


 しかし、一部、それは、PISA調査本来の目的を逸脱した方向に、ゆがめられつつある。それはあまりに日本的な現象と言えるだろう。
 
 いくらPISA調査らしきテスト問題にふれさせても、それだけでは、『社会に出て生きる実用的学力。』が身につくとは思えない。 

 

 最後に、

 わたしは、PISA調査が日本の教育に多大な影響を与えていることに、問題性を感じていないのだが、

 わたしとは見解を異にしたり、別な観点から主張したりされている方もいらしゃるので、紹介させていただきたい。

 

 まずは、わたしよりもっと強く、PISA調査を支持なさっていると思うが、いつもお世話になっている亀@渋研Xさんの記事である。

 同氏が拙ブログ過去記事の、『PISA調査2006結果報告を受けて』にTBしてくださった記事に、実に興味深いものがあった。今、リンクさせていただこう。

   PISAが測っているのは「学力」「応用力」ではない。


 この記事で同氏は、

 『PISA調査が測ろうとしているものを、多くの有識者は、『学力・応用力・読解力』とか言っているけれど、それは違うのではないか。わたし(亀@渋研Xさん)が思うには、彼ら有識者が言っているような意味の学力ではなく、「市民に求められる健全さ」の一部としての知的態度や社会性、合理的判断力などを測ろうとしているのではないか。』

とおっしゃった。そして、さらに、『こんなのは学力ではないから、気にしなくていいという声が、どこからも上がらないのが不思議だ。これは、PISA調査が正しく理解されていない証拠ではないか。』と続けられた。


 そうしたら、ほんとうは偶然にすぎないのだが、あたかも呼応するかのように、2人の方から、PISA調査批判の声をいただいた。

 それは、拙ブログ記事PISA調査批判〜いただいたメールからにくわしい。

 
 大阪の府立高校で長い間教鞭をとられ、管理職も歴任された神原敬夫氏 『息焉游焉』

 福岡大学 理学部 応用数学科教授の柴田勝征氏 柴田勝征研究室ホームページ

の両氏である。
 

 大変失礼ながら、両氏の主張を要約させていただくと、

『PISA調査の問題は、科学的リテラシーと言いながら、そのほとんどは、科学的な知識を必要としていない。科学的な知識は、ほとんど資料や問題文の形で与えられてしまっている。したがって、資料を読み取る力や関係付ける力などがあれば、一般常識で解けてしまうものばかりだ。そのようなものを科学的リテラシーの調査問題と言うことはできないのではないか。』

となるのではないか。

 だから、もしかしたら、両氏は、受験問題がPISA調査の影響を受けていることについて、批判的見解をおもちになるのではないかと、これはわたしが思うのである。


 このあたりのこと。

 読者の皆さんのご見解を承ることができたなら、幸いです。 


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ninki



 ずっと長い間、『学校で身につけた学力は、実社会に出た場合、何も役立たないではないか。』と言われ続けてきました。

 今も言われているかな。


 でも、これから、それがどんどん変わっていくといいなと思います。いえ。変わっていかなければいけないでしょう。

 かたく、『生き方』につながらないような知識・技能をつめ込むのではなく、思考力、判断力、情報処理能力、人間関係調整力などをつちかうなかでの、自ら獲得する知識、技能でなければなりません。


 教育改革、教育改革と叫ばれますが、

 そのような教育を目指す方向での、教育改革でなければならないでしょう。 

rve83253 at 08:41│Comments(49)TrackBack(0)教育観 | PISA

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年09月21日 17:26
toshi先生へ。リンクしていただきありがとうございました。私が中学入試問題を初めて目にしたのは、息子が6年生の時です。いきなり「中学入試がしたい!」と言い出したのにとまどい、どんな内容が問われているのかと買ってきたのが灘中の赤本でした。ただの興味本位だったのですが、問題を見ていくうちに、それまで勉強にやる気のなかった息子が眼を輝かせて、「問題がものすごく面白い。こんな問題を考え出す先生たちのいるような学校に行きたい!」と言い出し、それからは自分ひとりで灘中の赤本と格闘していました。息子は公立小でそれまでのんびり学習してきた子ですから、こんな受験勉強法は邪道なのはわかっていたのです。でも受験の合否よりもそれほど夢中になれる問題、感動できる問題と出会えたならそれでいいとめちゃくちゃな学習法を見守っていました。実は親の私も、私立中の問題の奥の深さと面白さにすっかり魅了されていたのです。(上のURLは灘高の理科問題ですが、灘中理科もとてもよく似た問題です)
2. Posted by なおみ   2008年09月21日 17:37
その後、灘中の合格はかなわず、それでも地域では評判の良い中学に入学でき、再度灘高にチャレンジしました。(これもかなわず、灘高より少しだけ偏差値の低い、でもとてもすてきな学校に入学しました)
この経験を通して、子どもはただ暗記して作業のように学習するのではなく、自分の頭をフル回転させないと解けないような思考力を刺激する問題に出会うと、勉強の楽しさや面白さに目覚めるんだな…ということを学びました。
息子だけでなく教室で出会う子供達も同様でした。
娘を公立に、息子を私立にやってみて、私の意識はずいぶん変りました。公立の一番の問題点は、先生やカリキュラムというより、生徒たちの夢中になって読書をしたり好きな趣味に取り組むことへのしらけた態度です。一方2つの私立を経験した息子は、どちらの学校でも趣味のプログラミングや音楽などをいっしょに楽しみ互いを尊重して高めあえる良い友達をたくさん得る事ができました。(上のURLに友達のことを書いています。)
これは私の体験からだけの感想なのですが、それでも私立にあまり良い思いを抱いていなかった私の考えはずいぶん変りました。今も受験塾のやりすぎには反対ですが…。
3. Posted by なおみ   2008年09月21日 21:35
上のふたつのコメントではうまく伝えられなかったのですが、公立の中高の空気の中に(すべての公立ではないでしょうが)「前向きにがばること」「まじめなこと」「友達同士で高めあうこと」を恥ずかしいこととして捉える雰囲気があるのです。おそらく公立の方が世間の一般的な考え方の影響を受けやすく、今の日本の多数派の子どもの考え方や感じ方に近いからだと思うのです。
私立の子が良い子だというわけではないのです。でもある我慢を自分に課すことができた子たちで、最低限の大人の指示に従える子ではあるので、短絡的にいじめに走ったり、気分で友達をからかったりする姿は私立にはありませんでした。
私はいつもtoshi先生のブログの中で、公立の学校なのに子どもの心に配慮した教育をしていることに驚きを感じるのです。今まで公立の学校で、個人の心を大切にしている先生には、1人くらいしか会ったことがないからです。
もちろん、真面目で、先生としては良い方がたくさんいました。ただ、先生のまなざしが学級運営と生徒の成績にばかり向かっているのがわかるです。学校とはそういうところとあきらめていましたが…。それでは公立の生徒の中に「しらけムード」や「無気力」や
友だちが前向きにがんばることを許せない気持ちが蔓延するのも仕方がない気もしています。
4. Posted by toshi   2008年09月22日 00:26
なおみさん
 ううん。ちょっとお返事にこまってしまいました。
 なおみさんは、わたしのブログの各記事が、公立校としては特別なこととお思いなのかもしれませんね。でも、わたしからすれば、なおみさんの本コメントの方が特別なことのように思われてなりません。これも地域性のなせるワザなのでしょうか。

 わたしは、私学のなかのことは、教え子やその保護者の声しか分からないのです。ただ近年の受験問題の傾向については、なおみさんの記事があったおかげもありまして、よく分かったような気がして、本記事となりました。

 息子さんが中学受験問題を楽しんでいたことについては、わたしの過去記事(本コメントのHNにURLを貼り付け)に書かせていただいた保護者の声と重なりますね。
 やはり、思考力をフルに発揮して解くということは楽しいことなのですね。
 そう。公立校もこうした授業を展開するべく、がんばっていますよ。

《先生やカリキュラムというより、生徒たちの夢中になって読書をしたり好きな趣味に取り組むことへのしらけた態度です。》
《公立の中高の空気の中に(すべての公立ではないでしょうが)「前向きにがばること」「まじめなこと」「友達同士で高めあうこと」を恥ずかしいこととして捉える雰囲気があるのです。》

 これは、その学校、あるいは学級があれている場合は確かに言えることですね。でも、『公立校一般が、』とおっしゃられると、それについては、違和感があります。少なくとも我が地域においては、多くの公立校の子は、まじめに真剣に、学習に取り組んでいます。それは、折にふれ記事に書かせていただいている通りです。

 最後に、選抜された子どもの集団と、地域に密着し、誰もが通学する公立校とを比べることじたいにどれだけの意味があるかということもあると思います。
5. Posted by toshi   2008年09月22日 00:45
 すみません。ちょっとつけたしです。
 わたしは、受験による選抜システムに反対しているのであって、私学の存在そのものは、ぜんぜん否定する気持ちはありません。
 かつて記事にさせていただいたフランスのバカロレア資格ではないですが、
《一定の試験により資格を得れば、どこの大学でも通いたい大学に通うことができ、》
《入るのはやさしいが、卒業はたいへん。》
というやり方が一番いいと思うのです。

 以前、こういう記事を書きましたら、『物理的に無理』というコメントをいただいたことがあったのですが、
 物理的ということだけでしたら、現在学校選択制をとり入れている地域もありますし、諸外国の例もありますから、大丈夫だと思うのです。
6. Posted by なおみ   2008年09月22日 07:05
toshi先生へ
<《一定の試験により資格を得れば、どこの大学でも通いたい大学に通うことができ、》
《入るのはやさしいが、卒業はたいへん。》
というやり方が一番いいと思うのです。>は私も同じ思いなのです。ただそのためには、外の形でなく、日本の親や子の意識や心のあり方、精神的な変化がともなっていかないと、ギャンブルのように自分に合わない学校(もしかして卒業できるかもと自分が信じる学校に入学し)卒業がかなわない経験を繰り返す子がたくさんでてくるのではないか…とも感じています。
<最後に、選抜された子どもの集団と、地域に密着し、誰もが通学する公立校とを比べること自体にどれだけの意味があるかということもあると思います。>
表面的に比べるのなら無意味なことだと思っています。しかしそうした現実を実感したのなら、その裏側にある意味をじっくり考えることで、大人や環境が子どもから奪っているものや、現在の教育に足りないものを気づかせてくれると思うのです。
本来子どもは成績や能力と関係なく、青春期に夢中になれるものを友達と分かち合うことができたはずです。でも、今は子供達の自己肯定感があまりに低いので、(大人たちがそれにあまり危機感を持っていないですし)ある一部の自己肯定感を守ってこれたタイプの子たちと集っていないと、がんばることを恥ずかしいという気持ちに染まってしまう場合があるのです。
7. Posted by なおみ   2008年09月22日 07:11
私自身は学歴とか成績などをあまり気かける方ではありません。また、子どもをある選別された子の集団におきたいとも思っていないのです。虹色教室では、さまざまな年齢、障害の有無に関係なく子供達が集い、お互いを高めあっています。
そうした子どもの姿を支えるのは、周囲の大人が、
toshi先生のなさっているようにどの子も能力の有無に関わらず注目し、褒め、認めることです。私はわが子の経験を一般化する気はまったくないのです。私立にも、息子が行って良かったから公立より私立が良いとも考えていません。ただ、良いなと感じる部分があった現実から、ならどうすれば様々な子が集う場で、「まじめはみっともない」という風潮を「互いを尊重しあう」ものに変えていけるのかと思案しているだけなのです。
8. Posted by なおみ   2008年09月22日 08:11
少しだけつづきです。toshi先生がおっしゃっている
地域の差というのは、やはり大きいと思います。私は子どもを比べているのではなく集団の持つ空気の違いに敏感なんです。
私は大阪生まれで大阪育ちなので、私が中学の時はトイレに引っ張っていかれて、不良っぽい子と付き合うようよう言われたり、ある日学校のガラスが何枚も割られていたり、友達が学校内でスカートの中を隠し撮りされたり、先生が教室で剣道の竹刀を持って暴れたりが日常茶飯事でした。学校を休む子がいると、「そりゃ勉強ができて当たり前だ。」というささやき声が聞こえました。学校に来ていると勉強ができないからです。当時は、何のために学校はあるのか…?という疑問を抱いていました。わが子が行く中学も、シンナーの流行や暴走族が校庭に押しかけた事件などのうわさを聞いていたので、私の子ども時代と変らない印象を持っていました。毎日、先生が朝礼で子どもをおどしたり怒鳴る声がすると、隣接する幼稚園に子どもを通わせてる方から聞いていましたが、入ってみると、良い先生も多かったです。そうした現実の中で、受験は努力次第で自分の環境を変えれるので、良い印象も持っていましたが、問題点があるのはよくわかります。toshi先生の考えておられるように さらに質の高い教育システムが創れるのなら、それに希望を託したいのです。
9. Posted by フルタ   2008年09月22日 14:40
我が子に関して、
<<たとえ入試問題に良問が多くなったとしても、もともとランキング化されてしまっている私立中学校のことだ。今度はその種の問題になれさせる訓練が始まってしまうのではないか。>>
が、ぴったり当てはまるような状況を私は、数年前に作り、塾に通わせ、訓練させました。
そして、
<<本来なら、のめり込むように読書に集中して人生観を磨いたり、友達や先生とディスカッションをして論理的思考力を磨いたり、そういうことを通して自他の尊重の精神を養ったりすることのできる、
 そういう貴重な青春なのに、
 そういうことを犠牲にして受験勉強にのめりこんでいかなければならないという、この選抜のあり方は、人材育成の国家的損失と思うからである。>>
も、最近感じています。toshi先生がおっしゃるような高いレベルでないにせよ、受験勉強が、小学校六年生ならではの体験と引き替えに値するか、今も疑問に思っています。
10. Posted by フルタ   2008年09月22日 14:43
受験を考えたのは、子どもが小学校の高学年になったころから、地元の公立中学のあまり良くない噂を聞く機会が増えたためです。環境に流されやすかったり、あるいは自分を認めてくれない環境で苦しんだりする思春期の我が子を心配し、そしてそれを取り除いてやりたい気持ちになり、また、私も子どもにできるだけ最適な環境を提供したくて、長女に私立の中学受験をさせました。私自身の気持ちだけでなく、小学5年生の夏休みが終わる頃から、一緒に遊んでいた近所の子達が塾に通うようになり、遊ぶ友達もいなくなり、本人も誘われたり、塾に行ってみたいと言い出したりしたせいもあります。
そして、なおみさん同様に、受験問題を私自身が面白いと感じ、子どもにとってもこういった問題を考えることは良い経験と思っていました。
11. Posted by フルタ   2008年09月22日 15:31
ですが現実には、うちの子は、歩いて通える公立中学に通っています。全校生徒が約500人の小さな中学ですが、才能、能力、性格についていろいろな子がいます。まじめな子をからかう影響力の強い子もいます。ですが、まじめな子も、読書好きな子も、運動や芸術の才能に恵まれた子も、成績の良い子も悪い子も、意地悪な子も、おふざけ大好きな子も、素直で優しい子も、甘えた子も、これらがミックスされた子もいろいろです。
同じ小学校だった子もたくさんいるので、それほど親しくしていない友達についても気になるのか「○○ちゃんが、いじめられているのを見た」と子どもから聞く場合もあります(ひどいと感じたときは、我が子にも知られないように、信頼できる先生に密告したこともあります。いじめていた子が反省した様子を子どもから聞いたときは(もちろん、密告については子どもは知りません)、近所の様子が伝わってくる学校でよかったなぁと思いました)。
12. Posted by フルタ   2008年09月22日 15:40
いろいろな面(性格、家族構成、能力など)でさまざまな生徒および先生方で構成される中学校の中で、気の合う友人を見つけたり、納得いかない況に反感を抱いたりしながらも、子ども達はそこから、生きていく上で大切な何かを学んでいるような気がします。学校ランクを示す偏差値には無関係な学びかもしれませんが。
そして、今、なんとなく成績が良いことに甘んじ、エネルギッシュになれない我が子について、小学六年生時の受験勉強でそのときに必要だった何かを我慢させた代償ではないかと、私は少し後悔しています。成績が悪くたって、やりたいことがあり、生き生きと輝いている子がたくさんいるからです。その子達を見ていると、生業としてやりたい別のことが見つかれば、懸命に努力し、立ち向かっていきそうに思えます。
13. Posted by フルタ   2008年09月22日 15:46
ただ、それを実現しやすいものにするために、公立中学について欲を言えば、もう少し、部活への先生方の負担を減らし、勉強したい子や勉強で困っている子への支援を行ってほしいなぁと思います。学校での出来事や子どもが友達から聞いた話を耳にすると、良くも悪くもさまざまな経験をし、その上で素晴らしい考え方をできる子もたくさんいます。その子達が、自分の考えを適切に伝えるための道具として、書いたり、検証したり、証明したりと勉強の中で身についていくことは多いのではないかと思うからです。

toshi先生、すみません。ずいぶん、先生の問いから外れてしまって。ただ、私の住む地域では、中学に対する不信感が受験熱を煽っていそうな気がして、公立中の良さについて、書きたくなってしまいました。
14. Posted by toshi   2008年09月22日 21:25
なおみさん
《親や子の意識や心のあり方、精神的な変化がともなっていかないと、ギャンブルのように自分に合わない学校(もしかして卒業できるかもと自分が信じる学校に入学し)卒業がかなわない経験を繰り返す子がたくさんでてくるのではないか…とも感じています。》
 基本的には、現在の入試的な意味での学校間格差はなくなりますので、過渡期はともかくとして、そのような問題はないのではないでしょうか。
 そして、PISAのシュライシャー氏の講演によれば、
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/coe/workingpaper/Vol.1.pdf (P10の左側から)
 『世界各国の教育事情を勘案すると、学校差があるより、一つの学校に多様な学力の子どもがいたほうが、国家的レベルにおいては、子どもの学力は向上する。』という報告もあるくらいです。

 なおみさんの地域における公立校の状況については、驚くばかりです。そういうことだと、『一つの学校に多様な学力の子どもがいたほうが、〜。』と申しても、むなしさが残るだけかもしれませんね。

 でも、やはり、二極分化が進むのは、いい状況ではありません。知事の学力調査をめぐっての言動などは、そうした心配をしてしまいます。
 格段の解決策など、わたしには何とも言えないのですが、ニューヨークの破れガラス理論などを参考に、地道に行政、地域、学校ぐるみで努力するしかないように思いました。 
15. Posted by 通りすがり   2008年09月23日 01:24
こんな本も出てますよ。

世界標準の読解力 -OECD PISAメソッドに学べ-

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4891731192/ref=s9sims_c5_14_at1-rfc_p-frt_g1-3215_g1-3102_g3?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-3&pf_rd_r=0XQR1BD6D7SF5HQFGNNH&pf_rd_t=101&pf_rd_p=100534806&pf_rd_i=489986
16. Posted by toshi   2008年09月23日 02:06
フルタさん
 保護者の方が、地域の教育事情によっては、お子さんの進路で悩まれること、これは、きわめて当然ですし、よく分かるつもりです。
 ただ以前記事にしたことがあるのですが、地元の公立中の評判については、よくお確かめになった方がいい場合が多いと思います。一般的には、風評が何年も前のことだったりして、事実と一致していないことも多いからです。
 フルタさんにお書きいただいた公立中に通う生徒の姿は、まあ、きわめて一般的な姿ではないかと思いました。それは社会の縮図でもあり、大人になってからの生き方を無意識にも学べているのではないかと思いました。
《部活への先生方の負担を減らし、》
 これはまったく賛同します。指導法の改善と言っても、これがないと、事実上困難なのではないかと思っています。中学に部活があるからでしょう。小学校段階ではあんなにある社会体育も、中学生段階となるとまったくといっていいほどないようです。
17. Posted by toshi   2008年09月23日 02:10
通りすがりさん
 本のご紹介をいただき、ありがとうございました。
 ただ、『世界標準の読解力』については、わたしもその通りと思い、すでに記事にもいたしました。
 本コメントのHNに、そのURLを貼り付けましたので、よろしければご覧ください。
18. Posted by 柴田勝征   2008年09月23日 13:19
ご無沙汰しております。柴田です。神原さんとともにURLをご紹介していただき、ありがとうございました。また、今回の記事とともに、なおみさん、フルタさんの投稿も興味深く拝読させていただきました。お二人の投稿とそれに対するtoshiさんのご回答とはちょっとずれてしまうのですが、ご紹介いただいた私の主張の「要約」についてコメントさせてください。ただし、神原さんとは論文の上での知り合いでしかないので、神原さんの主張の「要約」については、私はまったく関知しませんし、できません。あくまでも私個人の考え方について、です。
19. Posted by 柴田勝征   2008年09月23日 13:36
柴田の続きです。「要約」の前半は私の考えを正しく要約していただいていると思います。後半は、「ほとんど資料や問題文の形で与えられてしまっている知識」なるものには客観的に誤っている事柄、文脈的に誤っている事柄が多く、子供たちは、そのような誤っている資料を「正しいもの」として「読み取ったり関係付けたりする」ことを強制させられる。これはPISAの担当者の「科学教育観」に真理の探究を軽視し、ひたすら「実利第一主義」「科学っぽいキーワードを使った読み書きができればよい」という偏向したイデオロギーが根本にあるためです。(神原さんはここまでは言っていません。)日本ではこのようなPISAの本質が理解されておらず、「日本式に誤解されたPISA教育」が優れた成果をあげている実践例もあるようです。
20. Posted by 柴田勝征   2008年09月23日 13:47
柴田です。今回の投稿の最後に「もしかしたら、両氏は、受験問題がPISA調査の影響を受けていることについて、批判的見解をおもちになるのではないか」について。神原氏については知りませんが、私は「日本流に誤解されたPISA教育」が良い効果を上げることを期待しています。日本人は古来、仏教を日本流に解釈して信奉してきましたし、キリスト教も日本流に修正して(修正した、という自覚の有無を問わず)、受け入れてきました。PISAも、私が見ている限りでは、深く分析して正確に理解して受け入れてはおらず、自分流に良い方に勝手に解釈して日本の教育に合ったように適合させているように見えます。
21. Posted by toshi   2008年09月23日 19:58
柴田勝征さん
 こちらこそ、失礼しました。
 わたしの勝手な推測でしたが、いただいたコメントにより、正確に表現していただき、ありがとうございました。また、神原氏との主張の違いも明確にしてくださったこと、感謝申し上げます。
 わたしも、PISAの問題については、
《『資料や問題文の形で与えられる知識」なるものには誤っていたり不正確だったりする事柄』》があることは理解していますし、記事にもしています。
本コメントのHNにそれにかかわる記事のURLを貼り付けさせていただきました。柴田様には、すでにご覧いただいているのですが、最近の読者の皆さんにお読みいただけたらと思いますので、ご理解ください。
 日本流の解釈はいっこうに構わないのですが、それが記事にしたような趣旨でしたら、やはり、問題だと思います。PISAの精神を生かしながら、真に子どもを育む教育でありたいと思います。
22. Posted by なおみ   2008年09月23日 19:58
柴田先生へ
「言問い亭」拝読させていただきました。とても興味深く、感動する内容でした。ちょうど「子どもの脳と仮想世界」を読み終えてさまざまな思いをめぐらせていたところなので、なおのこと柴田先生のおっしゃる内容が大切なこととして心に響きました。
私も受験問題やテストの問題が子どもの思考のあり方に暗に与える影響の大きさを日々実感しています。PISAの問題の背後にある考えについては柴田先生のご意見を伺うまで考えたことがなかったのですが、感覚的には灘中灘高の理科の問題を解く時の感動がなく、ある「軽さ」を感じました。息子が公立の小学校の授業に興味が持てなかった原因は、学校での学習が柴田先生のおっしゃる<『証拠に基づく結論を引き出す』為に科学的知識を使う事の方を、自分自身で証拠を集めるよりも高い優先度を与えられていた>からで、(優先度どころか、後者の意見にはいっさい耳を傾けない態度が、多くの先生方の共通の態度でした。
23. Posted by なおみ   2008年09月23日 19:59
柴田先生へ(つづきです)
哲学的問いが多かった息子の意見(授業中うるさいタイプではありません)には、減点という罰が与えられていました。そこで、灘中の問題に出会った息子は、問題の背後にある試験を制作した方の科学的な姿勢や子どもに対する真摯な態度(自分の頭で思考する自由を保障する態度)に惹き付けられのだと思います。テストの問題が子どもの心を操作してある思考法に誘導したり、反対に自由に自分の頭で思考することを応援したりすることは、これまで意識してこなかったのですが、柴田先生のホームページを読んで本当に納得できるものでした。またこれからも文章を読ませていただきたいと思います。ありがとうございました。
24. Posted by なおみ   2008年09月24日 17:56
柴田先生へ(つづきです)以前、toshi先生のブログのコメント欄でTOSSについての話題でさまざまな意見が出ていた時、TOSSのあり方が戸塚先生の著書の中の「進歩先生」にあたると感じていました。そうした先生が急速に教育現場に増えていることを憂慮する思いを抱いていました。
そして、PISAの思想はその対極にあるものと、捉えていたのです。もちろん物足りなさは感じていましたが…。しかし、柴田先生の文章を読み、それは表面上対極に見えていただけで、本質は非常に似ているでことがよくわかりました。柴田先生が教育の中で大切だとされていることを読んで、こちらのブログでYKさんが教育観として表現されていたものを思いだしました。科学的な思考の本質に近づくことは、私もこれからの教育で単なる理想でなく大切なことと感じています。せめて家庭の中でもわが子たちに伝えたいことです。
25. Posted by なおみ   2008年09月25日 22:08
toshi先生へ
toshi先生のブログで本当にさまざまな勉強をさせていただいています。『世界各国の教育事情を勘案すると、学校差があるより、一つの学校に多様な学力の子どもがいたほうが、国家的レベルにおいては、子どもの学力は向上する。』というのは、文化の違いがある日本でも同様なのでしょうか。そうであればいいと希望を持っています。昨今の日本はブランド志向で、衣服だけでなく学校にも見栄を張る為のブランド物を選ぶような感覚がある気がして、それを得るためには相応の努力はするけれど、海外のように「質」を求める方がどれほどいるのかわからないのです。もし教育が変ることで、そうした意識も少しずつ変化してくるのかもしれませんね。
受験がなくなることには複雑な思いがあります。子どもをめぐる環境は、ネットやショッピング、遊戯施設とさまざまな誘惑に満ちています。私はわが子の二人とも、受験というひとつの真剣に自分に向き合う時期がなければ、日本で暮らしている限り「我慢すること」「誘惑に負けないこと」「失敗を恐れないこと」といった精神的なことを学ばせる機会は
ほとんどなかった気がします。情報のあふれかえった世界で、地に足がついたリアルな経験と言えば、受験くらいだったからです。
ただもし新しい教育制度ができて、卒業に向けて真剣に学校生活を送ることの方が、受験よりずっと精神的なものを得れるのかもしれないとは思うのです。周囲の意識に自分を合わさなくてはならない…と感じる日本の子がさまざまな学力の子といっしょに過した時、どうするのかな?という心配も感じています。
26. Posted by フルタ   2008年09月26日 13:00
挨拶が遅くなりましたが、なおみさんのお考えにいつも共感をもって、toshi先生のブログでのコメントやなおみさんご自身のブログを読ませていただいていました。
toshi先生の8月15日付の「日本社会(家庭教育)を考える」では、Toshi先生はもとより、なおみさん、YKさん、亀@渋研Xさんのコメントを毎日ドキドキしながら覗き、自分が今まで思っていたことを言葉による表現として確認したり、新たにたくさんのことを学んだりできたような気がします。
また、なおみさんの「ADD?先生の発達障害児 きょういく応援サイト」も見て、いろいろ学ばせていただいています。ボランティア活動で自閉症の子ども達と遊ぶことがあるので、状況を理解するてがかりとして助けてもらっています。
感謝しています。考えて書くまでに時間がかかるので、なかなか書き込みはできませんが、これからも、どうぞよろしくお願いします。
27. Posted by フルタ   2008年09月26日 13:02
Toshi先生へ_1
中学受験時(小6のとき)、受験勉強の考える問題(だだし、記憶を必要としないもの)は、「小学校の勉強よりもおもしろい」と楽しんでいました。ただ、私は自宅で教える時間がなかったため、塾任せとなります。家に帰宅後、復習をかねた宿題をしながら「塾では(たぶん、先生の説明を聞いて)分かったのに、忘れた」と言ううちの子を見て、「十分に考える時間が与えられていないのだなぁ」と何度も思いました。うちの子にとって十分な時間を与えると、塾のクラスでは複数の問題をこなせないでしょうから、落ち着いて問題に取り組んでほしい私は止めさせることも考えました。ですが、1か月くらい経つと、小学校とは違う勉強ができることを楽しめるようになり(+気の合う塾友達ができ)、最後まで、通いました。
28. Posted by フルタ   2008年09月26日 13:03
Toshi先生へ_2
ですから、受験問題そのものに問題はないと思います。むしろ、私も時間が許す場合には子どもの勉強を見ましたが、良問もあり、子どもたちが学んだことを力試しするのには、ぴったりな問題がたくさんあると思います。
ただ、希望する学校にもよりますが、短時間にたくさんの量を解く練習をしなければならないこと(練習をしなくてもできる子もいるのかもしれませんが)、そしてその練習に多くの時間を要して他のことをしたり、ぼーっとしたりする時間がなくなること、そして、2、3月頃に子ども間で「あの子の行く学校の偏差値は・・・」という格付けのような噂が飛び交うことに、抵抗を感じました。

受験したということで興味の的にならないかと、中学入学後しばらく心配しましたが、各クラスに同様の子が3人ずつくらいおり、また、同じ小学校の友達は変わりなく接してくれたので、不要な心配をしたことを私は恥じました。
29. Posted by toshi   2008年09月26日 16:53
なおみさん、フルタさん
 なおみさんやフルタさんがおっしゃる受験問題、あるいは、受験体験と言ったらいいでしょうか。
 本来は、そういうものは、受験とは関係なく、平凡な日々のなかで、人間性を磨き、自己肯定感を育み、知的欲求を満たす面での満足感を抱き、人生に夢と希望を抱かせる、そういう公教育であってほしいと思うのです。まさに、学習指導要領がうたっているものですね。それこそが、学習の目的であってほしい。受験だとどうしても成功不成功が結果としてでてきますが、目的そのものが違ってしまいますよね。
 大変示唆に富んだお話、また、お尋ねもありますので、明日の記事にさせていただこうと思いました。よろしくお願いします。
30. Posted by 柴田勝征   2008年09月26日 22:17
先日自分が投稿したので、何か反応があるかなあ、と思って来てみた柴田です。なおみさんやフルタさんがお子さんの受験体験を書いているのを興味深く読ませていただきました。私は「受験」は一種のオリンピックのようなものだと思っています。北島康介のように「絶対に金メダルをとってやるぞ!」とがんばる姿を見て、「オリンピックは参加することに意義がある。勝ち負けにこだわるのは邪道だ」と非難する人がいるでしょうか? 話がコロリと変わるように思われるかもしれませんが、社会主義国の国民が一番不満に思っていたことの一つは、「能力のある人と能力のない人が同じ賃金なんておかしい」「まじめに働いている人とさぼっている人で、同じ賃金なんておかしい」ということです。人は生まれつき知的能力も身体的能力も芸術的才能も、一人一人みんな違うのですから、優れた能力の人がそれなりの評価を受けなければ「不公平」になり不満が生まれます。
31. Posted by 柴田勝征   2008年09月26日 22:32
柴田の続きです。「ペーパーテスト」というのは、限定された時間内に、限定された範囲の問題を早く正確に解答する競争です。これは特殊な能力であって、人間の多様な才能のうちで非常に特殊な能力を競い合うものです。オリンピックで言えば、100メートル、200メートル平泳ぎみたいなものでしょう。だから入学試験に失敗した天才数学者、物理学者も大勢います。また、学校の成績と「商才」は無関係のようで、成績の悪かった人が商売で成功して大金持ちになった例もあります。あるいは芸能人になってすばらしい人気と財産を勝ち取った若者もいます。勉強が好きな生徒は全力で勉強すればよいし、嫌いな人はそこそこ適当にやって、あとのエネルギーは自分が得意だと思うことに集中すれば良いと思います。学校の成績の善し悪しは、その後の人生にあまり影響しないのではありませんか? ちょっと極論だったでしょうか?
32. Posted by なおみ   2008年09月27日 08:37
toshi先生へ
さまざまな学力の子がいっしょに学ぶ時、年齢があがるほど、発達の最近接領域(大人の指導のもとで、援助のもとで可能な問題解決の水準と自主的活動において可能な問題解決の間の領域)の違いが大きくなるように思います。
私の幼児教室で、幼い子達が夢中になる学習ゲームに少し年上の子達が面白くなさそうにイヤイヤ参加する姿が見られます。しかし、ゲームを複雑にし、知的要素をたくさん加えると、今度は年上の子等が夢中になり幼い子らは集中力を失います。遊びだけでなく、勉強においても、個人の最近接領域にぴったり合っている内容なら楽しめて、そうでなければ我慢して付き合う、作業するという態度になるのは自然なことのようです。海外の大学で受験を重視しない制度をとっていて成功している場合、小学校で飛び級や落第制度があり個人的な発達の差を調整しているところがあるのではないかとも思えます。
能力差を考えるのは、子どもをランク付けするためでなく、「興味を持って学べる領域」の教育を受けていなければ、能力が高くても低くても、教育から得るものは少なく、授業は苦痛でしかなくなってしまうからです。
33. Posted by なおみ   2008年09月27日 08:38
私は学習のスタート時に、およそのレベルで授業内容に自分の理解力が合うか合わないかを
予測できる受験を、必要なことではないかと思っています。しかし、今の受験のあり方では、ある分野の才能に秀でている子が、オールマイティーにさまざまな分野の学習をこなせていないからと言う理由(入試のせいで)で、専門的に学ぶ道を絶たれてしまうことは、日本の受験制度の大きな問題点だと感じています。しかしそうしたアンバランスのある子は、受験でもないと、自分の苦手なことや嫌なことにも取り組む、我慢する、を学ぶ機会にめぐまれないので、それも一つの通過儀礼なのかとも感じています。
34. Posted by toshi   2008年09月28日 12:27
柴田勝征さん
 ごめんなさい。今回いただいたコメントは、ちょっと反論させていただきました。27日付け記事にしております。
 同記事に書きそびれた件が一件あるのですが、二極分化が急速に進行しているにもかかわらず、基本的に相も変らず続く大学入試システムなわけですが、これは、入学後の大学生の変質にもかかわっているように思うのです。
 かつて我が地域にある大学の准教授からそのようなお話をうかがい、記事にもしております。
『ああ。やっぱりなあ。』センター試験実施中
なる記事です。本コメントのHNに、同記事のURLを貼り付けさせていただきました。
 この准教授の話について、柴田さんはどう思われているかうかがえれば、うれしいなと思うのです。よろしくお願いします。
35. Posted by toshi   2008年09月28日 12:59
なおみさん
 おっしゃること、よく分かります。日本の現状に立脚点を置くと、そのようなことは言えるかもしれませんね。
 ただ、幼児教育については、これはもう、全面的になおみさんのお考えに賛同します。まだ自己中心性がすべての年代だし、その段階はそれでいいのですし、個人個人の能力、個性などに応じた指導しかできないと思います。
 ただ、小学生段階からは、自己中心性を徐々に脱していく時期ですから・・・、
 そう。生活科の学習では、自己認識、他者認識、つまり、自己を客観視できる力を養うことも大事な学習とされています。
 いろいろな能力の子ども(友達)がいることが分かり、どの子もその子なりに伸びていくことがすばらしいことと受け止め、それを前提として協力し合ったり助け合ったり、そういう力を養っていくのです。
 それにはやはり、いろいろな能力の子が一緒にいないと、気づきにおいても、指導においても限界がありますよね。
 わたしはよく言うのですが、『跳び箱7段跳べる子が、跳び箱3段の子が4段跳べるようになったことを心から喜んで上げられる。』『二人三脚は遅い子が速い子に合わせることはできない。速い子が遅い子に合わせるしかない。しかし、そうすることが、二人三脚としては速くなる。』『音楽はAちゃんに教えてもらうけれど、算数はAちゃんに教えてやるのだよ。』
 子ども自らがそういうことに気づいていく、そういう教育こそ大切と思うのです。
 なお、27日付け記事も、このコメントの回答になっているように思います。
 また、よろしくお願いします。
36. Posted by 中田   2009年03月13日 09:52
記事、コメント欄でのやりとり、非常に興味深く読ませていただきました、中学受験をした立場のもの、そして子供を持つ一人の母親として。

まず、最近の中学受験ですが、
進学塾で話を聞いたところによりますと、
確かに問題の内容が、頭の柔らかさであったり、問題を深く考察し、そのプロセスを評価されたり、といった、単なる知識を問うものではなく、数年の詰め込み勉強では太刀打ちできない問題に変わってきているとのことです。
100マス計算や公文式などのブームが下火になった背景には、そういうものがあるということです。

少子化で大学全入時代と言われ、私学は高校と提携して、生徒を確保するなど、結果的に単なる人集めに近いことをした結果、本当に欲しい人材が集まらない。
大卒が当たり前になりつつある状況の中で、
学校側が臨む人材は、地頭のいい人間、すなわち、
理解力、問題解決能力に優れた人間なのです。

塾も頭を痛めていると聞きました。
入塾テストだけでは、本当の意味での賢い子供はわからない。
そういうものは、生まれた時から家庭で育んでいくものだからですよと塾の先生は、おっしゃいました。

今、私学は試験内容変更の転換期で、数年後は、今よりもっと、変わっているかもしれないと。
だから頭が痛いのです、と。
昔の入試は知識があれば、数年勉強すれば入れたけれど、これからは知識やテクニックだけでは通用しない時代が来ますよとのことでした。
塾から、こういう話を伺えるのは意外でした。







37. Posted by 中田   2009年03月13日 10:04
ただ、私学に入学した以上は、結果(大学です)が出なければ、無駄なのですとも。
塾代だけで多い方で300万近くの金額をかけ、中学から、また学費を払う。
そして、子供の精神的な負担です。
受験を控えた6年生なら週3,4回ほど。
確かに学校よりは短いですが、
受験を控えていない子供と全く同様に、余暇を過ごせるかといったら、私の経験上、無理です。
家族旅行も行きましたが、やはり心の隅には、受験が居座っています。
旅行先にもドリルを持って行こうかしらと思いますし、実際、自らそうしました。

やはり、この貴重な子供時代に、何かを犠牲にした以上、多額のお金をかけた以上は、結果を出さなければ子供が可哀想だと塾もおっしゃるし、私自身も思います。
勉強は後になっても出来ますが、小学生に戻ることは出来ませんので。

確かに受験で頑張ったことは、後に高校受験に繋がるでしょう。
落ちたとしても、頑張った体験は後々に繋がる…とは巷で聞きますが、頑張らなきゃいけないことは、
次から次へと出てきます、高校受験、大学受験、就職と。
確かに私も中学受験はパスしましたが、それはそれ。
あの体験が、後の受験などに役に立ったかと言われたら、???です。
大人は、中学受験で受かったとしても、落ちたとしても…って、色々意義を並べ立てますが、
子供は意外に毎日に必死でそんなこと考えない。
大人が勝手に、理由を後づけしてるのですよ。








そして成績が悪ければ、また塾へ行学業と部活、その他を両立させていいよ、という自由な校風は灘など、本当にレベルの高い学校だけで、大多数は、この少子化に生き残るために、学校は必死で生徒の尻を叩いて、血眼で勉強させますよ、だって、彼らの進学先で学校の存続が決まるのですからね…と。
38. Posted by 中田   2009年03月13日 11:21
エスカレーター式の学校はどうなのかと言うと、
これも最近問題になっているそうで、
一芸入試や帰国子女枠などで入り、受験勉強も無いため、結果的に、大学では、外部進学者の方が優秀だったり、途中退学なんかもあるそうです。
これも少子化対策の青田買いの弊害なんだそうです。

これらのような状況を踏まえ、
現在の小学低学年あたりが中学、高校、大学と受験するころには、様変わりしているだろうとも塾はおっしゃっています。
だから、試験対策の予想が立たないと。

だからと言って、
では、総合学習を謳う公立で、子供達は本当に理想どおりに、理解力を深め、互いの違いを認め合い…と有意義な学校生活を送れているかと聞かれたら、
答えはNOです、断言できます。

もちろん地域差はあると前置きしておきます。
学校によっても違うでしょう。

でも現実、我が子のクラスは、授業が中断することも頻繁、黒板に書く時間がないから、プリント学習…と、めちゃくちゃです。
これでもテストの平均が良いのは、殆どの子供が習い事で勉強をしているからだと断言できます。
結局、考える、理解度を深める授業なんて全く出来てない。

我が子は、市販のドリルが、難しいけど、解けたら嬉しい!と毎日、家庭でやっています。
漢字が得意な子は、学校の進度に関係なく、どんどん覚えているようです。
低学年で、ことわざの漫画を読む子もいます。
算数だって、得意な子は、好きならば先に進んでもよいと思います。

小学校は友達と遊ぶところ。
そんな声も聞きます。
楽しいはずの勉強に魅力がないんです。
難しいだけの問題、やたら覚えなきゃいけない勉強、それが必ずしも、
子供達にとって、理解力を深めない原因になるのでしょうか?

39. Posted by 中田   2009年03月13日 11:23
確かに今の現状、二極化して、レベルをあげたら、
授業にならないかもしれません。
総合学習というのなら、今の教員を3倍にでもしないと本当の意味での、総合学習はできません。
さまざまな能力の子供がいる公立だからこそ、
人手がいるのです。
似たような子供なら、選抜された子供なら、
塾と同じで、ある意味、扱いやすいのです。
対応パターンがあまりないでしょう。

今の公立小学校は、
互いの違いを認めようと言いながら、違うのです。
1年生の担任が参観でおっしゃいました。
「なにも、勉強は進む必要はありません。
私は勉強が他より出来ない子達のために、
あえて、みんなの前でこういいます。
こんなに勉強できなくたっていいんだよと」

では、牛乳を飲めない子は??
昼休み抜きで、教室に残してました。
マラソンや絵画は、きちんと賞状を頂けます。
なぜ、勉強だけ、特別視するのか、全く理解できません。


別に他の子供が何学年も先を勉強しているわけではないのですよ。
ただ、0と1の書き方と数え方で終った授業に、つまらないと子供からブーイングが出たのです。

出来ない子なんていませんでした。
数字くらいは、親に教えてもらっています。
1時間で0と1なんて馬鹿にしてると思います。
教科書どおりであったとしても。









40. Posted by 中田   2009年03月13日 11:23
二極化だったら、楽ですよね。
出来る子供と出来ない子供で先生が対応すればいい。
でも実際は、公立って二極化どころか、本当に色々な子供がいます。
だからこそ、魅力ある場所だし、
学ぶところも実は多い。
ですが、そこでの、じっくり、ゆっくり型の総合学習を実践しようと言うのは、とても難しいし、
現実できてないから、私学が繁盛するのです。

もし、私学が総合学習を踏まえた豊かな教育を実践しだしたら、公立は、ほんとうに取り残されるでしょう。
実際、素晴らしい施設で、キメ細やかな指導の下、
勉強以外に、色々な体験をしているのは、私学小学生です、悲しいけれど。

長時間の拘束など、弊害も聞きます。
温室育ちで本当の教育なのか?とも聞きます。
でも私は言いたいのです。

総合学習を謳う公立は、本当に、
問題なく中学、高校へと人材を送っているか。
子供達が学年の枠を超えて、自らの能力を発揮でき、またそれを受け止める教師と、環境があるか?

保護者側から見れば、疑問なのです。
41. Posted by 中田   2009年03月13日 11:52
私はtoshi先生みたいな公立の先生がいて、どんなに、その学校の子供達は幸せなのだろうと羨ましく思うのです。
最初は私立小学校の先生なのかと思いました。
基本的に、小学校において、
私立も公立も、人間性を育む教育という意味では、
一致しているのです。
中学になりますと、
受験一本のところもあれば、受験もなく大学までのびのびと…と、個性が出てくるのですが。


子供の大好きな先生の国語の授業です。
抜き打ちで漢字のテストがありました。
しかも教科書外のものもあると。
はんぱではない、量の問題です。
もちろん生徒からブーイングです。
すると、先生は、班ごとに智恵を出し合って、解答欄をうめなさいとおっしゃったそうです。
わからないところは、調べたりして、グループでワイワイ書いていきます。
かっせん→合戦 と書けた息子は、すげえ!と仲間に褒められ嬉しかったそうです。
歴史漫画で覚えたようです。
また、友達も難しい漢字を書けて、すごかったとも言ってました。

これって、テストではないかもしれないけれど、
誰一人、クラスから出て行かず、
立って歩く子供も出ず、
奇跡的な授業だったようです。

いつも、こんな風に、子供の力を引き出す授業をしてくれたら、
勉強しなさい!なんていわずに、
自ら勉強の楽しさがわかってくると思うのです。








42. Posted by toshi   2009年03月15日 05:06
中田さん
 貴重な情報を、どうもありがとうございました。
 わたしには、進学塾関係者に知り合いはいませんので、すごくうれしい気分で拝見させていただきました。

《100マス計算や公文式などのブームが下火になった背景には、そういうものがあるということです。》
 このこと自体はすごくうれしく思いました。およそ、『考える力』とは、無縁なところにあるからです。
 しかし、100マスの大家が、大阪府の教育委員になっていて、なりふり構わぬ言動をしていることには、憂慮するものがあります。

《学校側が臨む人材は、地頭のいい人間、すなわち、理解力、問題解決能力に優れた人間なのです。》
 わたしもそう思います。わたし、大学関係者には知り合いがいますので、似た話は、うかがったことがあるのです。
 本コメントHN欄に、その記事のURLを貼り付けましたので、よろしければごらんください。もっとも、もう中田さんにおかれましては、同じ認識でいらっしゃいますよね。ごめんなさい。

《頑張らなきゃいけないことは、次から次へと出てきます、高校受験、大学受験、就職と。》
 これも、ほんとうにその通りと、納得してしまいます。人生灰色観が養われてしまうように思います。
43. Posted by toshi   2009年03月15日 05:09
《現実、我が子のクラスは、授業が中断することも頻繁、黒板に書く時間がないから、プリント学習…と、めちゃくちゃです。》
 ああ。今度は矛先が、公立校に向かってきましたね。
 こんなこと、いただくコメントやメールからだけで判断してはいけないこと、分かり切っていますが、それでも、書いてしまいます。
 どうも、関西は、その傾向が強いようですね。もちろん関西にもいろいろな学校があること、当然なのですが、この種のコメントやメールをいただくことがあまりにも多い。
 大阪府の状況も、府の教育行政はまた極端で・・・、大きく傾いたふりこは、今度は反対側に大きく傾くのが道理なわけで、ほんとうに心配です。いやあ。そうは言いながら、これは自然現象ではなく、人間のやることなのですから、もっと心して行政に取り組んでほしいのですがね。(またまた、ごめんなさい。中田さんはそのようなことをおっしゃっているわけではありませんよね。)

《総合学習を謳う公立で、子供達は本当に理想どおりに、理解力を深め、互いの違いを認め合い…と有意義な学校生活を送れているかと聞かれたら、答えはNOです、断言できます。》
 まことに残念ではありますが、公立校のわたしが納得してしまいます。もう、おっしゃる通りです。学校の教育力も二極分化してしまっているようなものです。何とか少しでも、その解消に向かってくれたらと、拙ブログには、まことに微々たる力しかないですけれど、そのような願いもあります。
44. Posted by toshi   2009年03月15日 05:10
《1年生の担任が参観でおっしゃいました。
「なにも、勉強は進む必要はありません。私は勉強が他より出来ない子達のために、あえて、みんなの前でこういいます。こんなに勉強できなくたっていいんだよと」》
 これは意味不明です。勉強できる子もできない子も、どの子の力もその子なりに伸ばしていかなければなりません。それが、教員の使命ではないですか。
 こんなふうだから、受験が増えてしまうのですね。まことに残念です。
 中田さんがおっしゃる公立校の矛盾。それは、上記担任の言葉が本心から出ているものではないことを示しているように思います。子どもの力が伸ばせないことの言い訳に過ぎないのかなと。

《公立って二極化どころか、本当に色々な子供がいます。だからこそ、魅力ある場所だし、学ぶところも実は多い。》
 ほんとうにおっしゃるとおり。いろいろな子どもがいることは、決してマイナスではないのです。むしろ、利点なのです。
 昨日、わたしが上げた記事(URL貼り付け)、座席表指導案ですが、A〜Hの子どもの思い、考えを示しましたが、いろいろな力の子がいるでしょう。これは、学習を実りあるものにする上での利点なのです。どの子の力も生かしきるということ。問題解決学習にして、それが可能になるのです。
 そうとらえていないこと、とらえることができないこと、ほんとうに残念です。
45. Posted by toshi   2009年03月15日 05:10
《いつも、こんな風に、子供の力を引き出す授業をしてくれたら、勉強しなさい!なんていわずに、自ら勉強の楽しさがわかってくると思うのです。》
 最後にホッとさせていただきました。こういうすばらしい先生もいらっしゃるのだと。
 わたし思います。もし、子ども同士、力のあるなしで差別するような学級集団だったら、とても、おっしゃるような成果は上がらないなと。
 この先生のすばらしさは、学級集団を温かな雰囲気で包み込むことができること。それに尽きるのではないかと思いました。

 いやあ。ほんとうにありがとうございました。わたし自身、何が公教育において大切か。あらためて、考えさせられました。感謝しております。
46. Posted by 中田   2009年03月16日 00:54
いろいろな力の子がいるでしょう。これは、学習を実りあるものにする上での利点なのです。どの子の力も生かしきるということ。問題解決学習にして、それが可能になるのです。

私は1年生の担任の言葉以来、
公立小学校と言うのは、出来る子供は先生から可愛く思われないのだと思ったのです。
他の保護者も同じ事を言っていました。

それが、ある代理の先生の漢字学習の方法を、
我が子から聞いて、
こんな先生もいるのかと、ほっとしたのです。

この学習は、漢字の得意な子が、苦手な子供を見下すわけでもなく、優劣をつけられるわけでもなく、
グループごとに、一緒になって知恵を出し合いながら、空欄を埋めていくことで、
子供達は自然に、漢字が楽しいと感じたようです。

我が子は、帰ってから、友達が漢和辞典を持っていたので、同じものが欲しいと言いましたので、買ってやりました。
強制されるわけでもなく、漢字を沢山知ってる友達がカッコいいなあ〜と思ったようです。

こういう学習法は、やっぱり色んなタイプの子がいてこそだなあと感心しました。

子供に指示、命令するのでなく、
自然に力を引き出してくれる先生です。
受験勉強している子供達には、まったりした学習方法なのかもしれません。
でも、自発的に勉強をするようになるのは、勉強の楽しさを知ってこそ。
こういう経験を学校や家庭でしている子達は、
受験で燃え尽きることはないように思えます。

私は、燃え尽き症候群でした。
勉強が本当に楽しいと感じたのは、自分の好きなことができる大学生になってから。
まだ、マシなほうでしょうか?



47. Posted by toshi   2009年03月16日 06:49
中田さん
 これは、問題解決学習ではありませんが、子どものやる気、意欲を培うという意味で、子どもの内面にとっては、問題解決学習と同じ、追求欲を養っていますし、すばらしい先生だと思いました。
 『どの子も伸ばす。』そういう信念をもっている教員は、どの子もかわいいのです。たとえ、平凡で何も個性がないように見える子であっても、それこそ、『それが個性だ。』というとらえで、子どもを観ていると、まさに、その子らしさがだんだんにじみ出てくるようになるのですね。
 わたしは受験こそ高校からでしたが、でも、親の圧力はかなりのものがあったため、やはり、高校で、燃え尽き症候群に仲間入りしましたね。わたしが燃え尽きを脱却できたのは、教員を目指すようになった23歳くらいからだったような気がします。 中田さん。まだ、マシですよ。
48. Posted by 中田   2009年03月16日 14:11
塾関係者から最近の中学受験の情報について、お話を伺うことができましたのは、子供を塾の無料体験に行かせたからです。

また、上位学校を除いて殆どの中堅校では、塾との繋がりがあり、当日の受験結果プラス、これまでの成績(塾の全国模試など)も合否の判定になる場合があるということ。
後ろ盾がないと、子供に不利なこと。
実は、この塾からは何人の受験者を出すかわりに、
何人は必ず合格させるなど、裏で取り決めがあることも、お話して下さいました。



地域差はあれど、公立小は地域の子供を集めただけで、統制がとれず、みんなで100マス計算とか、また縦割り活動をしてみたりと、迷走中です。
お勉強もイマイチ、かといって、生活面でもイマイチ、完璧は求めないけれど、これでは、勉強したいヤツは私学へ行け!と言われると、
ちょっと、わかるなあ・・・と思わなくも無い。

教育熱心な地域だから、その点、先生は楽なはず。
もし、これがそうでなかったら、
小学校って、幼稚園と変わらない、
いや、幼稚園の方が、カリキュラムはしっかり工夫されていると思います。

幸いにも教務の先生は、大変優秀な方です。
子供達からも好かれています。
もう少し、長い目で見ていこうと思います。
まだ、うちの公立はだめだと決断を下すのは早すぎます。
それに、最終的にどうかは、子供が決めることですし。

「楽だから好き」う〜んとうなってしまう子供の意見ですが、嫌いと言われるよりはいいかな。
もっと叱られても、ある程度は負荷をかけても、意外とタフな子供達なんですが、
腫れ物を触るかのように、先生方が接するのを見て、そんなに保護者が怖いのだろうか…と考えてしまう今日この頃です。









49. Posted by toshi   2009年03月16日 21:42
中田さん
 うううん。塾と私立校のそのような関係というのは、まったく初耳で、驚いてしまいました。

 中田さんの地域の公立校の実態というのも、『ところ変われば品変わる。』のことわざどおり、ただただあぜんとするばかり。
 実践力のある教員はいらっしゃるようなので、どうも、そういう教員が浮くような感じがあるのかなとも思いました。

《まだ、うちの公立はだめだと決断を下すのは早すぎます。》
 そうですか。なんとか、改善の方向に向かうといいですね。

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