2008年09月29日

テレビ報道番組から、(3) 家庭と学校と3

da41379c.JPG 本シリーズでは、『真相報道バンキシャ』に大変お世話になっている。

 同番組には、

 子どものための『教師再生』を

なるブログがあり、ここには、同番組で放送された画像も貼りつけられているので、折にふれ、それにリンクさせていただいている。その画像を見ながら、拙ブログ記事をお読みいただけるので、ほんとうにありがたい。

 感謝しています。


 ところが、今回記事にさせていただく内容には、画像がない。いったん同ブログに貼り付けられていたが、その後消去された。

 絵に写る子どもの姿はぼかされていたから、問題はないように思ったが、やはり恒久的に残しておくには、支障があったのかな。

 そのようなわけで、今回は、記事のみになってしまう。



 今回とり上げる放送は『教育崩壊・第6集』で、テーマは、『しつけ崩壊?…我慢できない子どもたち』である。


 家庭の教育力の低下。いや。正確に言えば、家庭の教育力の二極分化でしょうね。それは日々感じているので、興味深くみせてもらった。


 そして、納得できる部分が多かった。


 ところが、同ブログに寄せられた、一コメントには、驚かされた。ある保護者(HNは『小学一年生の親です』さん)の方からのコメントだった。

 驚かされたが、よく読むと、『なるほどなあ。保護者の側から見れば、そのような見方も成立するのか。』と感心させられたり、多様な見方という意味では勉強になったり視野を広げさせていただいたりした。



 と、まず、概略を述べた上で、次は、どのような放送内容であったか、簡単にふれさせていただこう。

 とは申しても、申し訳ないことに、『あとでブログに画像を貼り付けてくださるのだから、何回も見られるな。』という思いがあったので、あまり詳細には記憶していない。すみません。


 
 最初、品川区の、ある小学校の入学式が写された。その入学式では、入学児童のかなり多くに落ち着きがなく、きょろきょろしたり、隣り、後ろとしゃべっていたり、足をバタバタさせたりしていた。なにしろ、入学児童だから、その私語は、かなり式場に響いたのではないかと思う。



 番組では、教員向けと保護者向けにアンケートもとっていた。『家庭でのしつけはできていると思いますか。』という質問だった。

 おもしろいなあと思った。

 保護者の7割以上は、『親のしつけはできている。』と回答。それに対し教員は、7割以上が、『家庭でのしつけはできていない。』と回答した。


 わたしは、あえて理屈づければ、冒頭述べたように二極分化だと思うから、

 大体の児童は、しつけや基本的な生活習慣が身についているが、3割、身についていない児童がいて(実際は無答や『判断できない。』などというものもあるだろうから、3割以下だが)、それが落ち着きのない学級の雰囲気をつくり出し、教員の印象となっているのではないか。

 

 ちなみに、テレビ画像の入学式での『私語』や『きょろきょろ』は、確かに多いなと思った。少なくとも、わたしの現職時代の思い出からすれば、あの画像のようなことはなかった。



 教育評論家の尾木氏は言う。

〇少子化や地域コミュニティーの崩壊による子育ての孤立化。
〇幼稚園や保育園が、集団よりも「個」を尊重する教育や保育の方針を強く打ち出したこと。
〇『共働き、一人親家庭』で、子どもに向き合いたくても十分には向き合えない家庭がふえていること。

 ただし、これには注釈が必要だろう。



 一点目は、少子化は確かだが、『地域コミュニティー』については、地域差が大きいのではないか。少なくとも、わたしが居住している地域、わたしが勤務した学校の地域においては、そういうことはみられなかった。

 どこの地域も、『子どものことで夢中になってくれる方々は大勢いらっしゃるなあ。』というのがわたしの実感である。

 そうか。でも、わたしたちの子ども時代のように、ご近所の大人が気軽に声をかけてくれるというようなことは少なくなったね。



 二点目は、これは確かに言える。過去記事にさせていただいたこともある。

   定見(1)

 国は、幼稚園などに対して、『やりたいことをやっていればよい。やりたくないことは無理にやらせなくていい。』というようなことを言っていた。もっともこれは、10年、20年前の話で、今はかなり改善されていると思うのだが・・・、



 三点目については、これは担任時代からのわたしの持論だが、

 子どもと一緒にいる時間の長さが重要なのではない。子どもと一緒にいる時間をいかに大切にしているか、ふつうの会話(指示・命令や小言ばかりではないということ)が豊富にあるかということが大切なのである。

 後戻りはできないのだから、以上の点は心がけるしかない。



 ブログの記事には、次のような言葉もあった。

 他区の小学校教師の中には、「もっと深刻な状態に陥っている学校がけして少なくない」と言うものもいたようだ。わたしは、上記のように、そのような経験はないから、『ええっ。ほんとうなの。』と思った。あれよりひどかったら、確かに教員は大変だなあという思いになった。

 また、「入学式のあの状態の子どもたちを、わずか3週間程で(多少立ち歩く児童やざわつきはあるものの)あそこまで改善させ席に着かせている担任は立派。」については、わたしも、ほんとうにその通りと思った。頭の下がる思いがした。


 

 しかし、気になることがある。


 こうした努力は、ちゃんと正当に評価されているのだろうね。

 何しろ、当区の教育長は、テストの点数や読んだ本の冊数などが大切と考えているようだから、心配になった。



 次は、いよいよ、驚かされたコメントにふれる。



 驚いたのは次の部分だ。

 『番組は、入学式や教室の荒れを、家庭の教育力低下と結びつけていたが、集団のルールを入学以前にどこがトレーニングしたらいいと言うのか。』
とのことだった。

 おもしろい。わたしは教員として、同じ現象をまったく逆に考えていた。

 『入学式当日の子どもを学校が指導することは不可能だ。なにしろ、その日が初登校なのだから。それを学校の指導力低下と結びつけられてもこまる。』

 でも、これって、よく考えてみると、どっちも正論だよね。

 家庭は、集団のルールなどしつけようがない。

 学校は、まだ入学していない子どもの指導などできるわけがない。


 
 さあ。こまった。

 これは、もう、どちらの責任と言い合ったって仕方ないではないか。そのようなことをしていたら、例によって、一番かわいそうなのは子どもということになる。



 で、もう一つ、『小学一年生の親です』さんのおっしゃることを認めざるを得ないのは、『(この画像が示すものは、)ゲスト対策を怠った入学式の失敗例ということだ。』としている点。

 どの場面で上記のようなことが起きたのか、それは分からないから、想像するのだが、


 たとえば、次のようなことが考えられる。

 入学式では、『校長のお祝いの言葉』が必ずあるはずだが、これがほんとうに入学児童の心に訴える話になっているかということだ。子どもに理解不能な、まるっきり大人向けの話のようになっていやしないかということだ。

 もしそうだとすれば、『小学一年生の親です』さんの言葉を借りれば、『ゲスト対策を怠った入学式の失敗』の事例となるのかもしれない。


 

 わたしは、思う。


 子どもを織物にたとえると、家庭教育と学校教育の関係は、縦糸と横糸の関係ではあるまいか。どちらがゆるんでも、織物はいいものにはならない。

 また、どちらか一方のみで育つものではなく、いい意味でもわるい意味でも、互いに影響を与え合っているのではないか。

 そのような思いをもっている。一方のみの責任にすることはできない。



 
 わたしは、この点に関しては、品川区教育長の言葉に賛同する。

 こうおっしゃっていた。

「(しつけは)、本来家庭でやるべきことなのだけれども、それが十分に果たせないのならば仕方がない。子どもたちのために、(学校が)やるしかないだろう。そこに親を少しづつ参加させて社会総がかりでやっていく。」

 その通りだと思う。

 これは家庭で、これは学校でなどと言って、すましていられる時代ではない。


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 この放送での、同教育長さんの語り方に対しては、これまでと違い、好印象をもちました。高飛車な感じがなかったです。


 もう一つ。

 わたしは、もう、2年以上むかしのことになりますが、拙ブログにいただいたコメントで忘れられないものがあります。


 ある保護者の方からでした。


 忘れられないコメントと言いながら、それを見つけることができませんでした。

 したがって、わたしの記憶のなかで書かせていただきます。

「児童虐待、放任、手抜きの子育てなど、今の家庭が多くの問題を抱えていることは理解しています。でも、そうだからと言って、学校は、何でも家庭のせいにしてほしくないのです。

 学校教育がしっかりしていれば、また、学校が子どもにとって楽しく充実した学びの場であれば、そういう子どもほど、学校が好きになり、教師を慕うようになるのではないでしょうか。」

 わたしは、この言葉を肝に銘じています。

   『テレビ報道番組から(4) 公教育の改革は現場の力で』に続く。
 

rve83253 at 23:03│Comments(40)TrackBack(0)子ども | 保護者

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この記事へのコメント

1. Posted by なおみ   2008年09月30日 08:26
今回の記事、とても興味深く読みました。私は幼児に関わる仕事をしていたり、子育て支援の手伝いや児童館での工作教室などを手伝っているので、現在の幼児をめぐる環境についてはよく知っている方です。小学校の入学式で子どもがうろうろする場合、それに対し「しつけ」の有無を考えるのは、問題をぼかしてしまうように感じます。
以前、乳幼児を預かるボランティアをしていて驚いたのですが、軽度発達障害児の特徴を持つ幼児の比率は、一般に認識されているよりはるかに多いのです。3歳で、聴覚に問題がないにもかかわらず、わざとでないのに何かを始めると全く耳が聞こえないかのような状態になる、4歳を過ぎていても自分以外の人に心が存在する事を感じ取れないなどの、生まれつきの脳の機能の発達のばらつきに寄ると思われる問題を持つ子が、普通の子として10人の子どもを預かると、2人以上いるのです。おそらく診断名がつくレベルではないのですが、そうした子には従来のしつけは、逆効果で虐待につながる恐れがあります。
↑のURLはミラーニューロンの問題です)
2. Posted by なおみ   2008年09月30日 08:27
最近は幼稚園での3年保育が当たり前となり、従来の子より集団でのしつけを受ける時期は長いです。また少子化のため、親が砂場でもつきっきりで、赤ちゃんのものの取り合いなどにも、即座にしつけようとしています。大人の目がない場所がないので、きょうだいに引っ付いて遊んでいたかつての幼児と違い、年中大人の目にさらされ、しつけ指導を受け続けている子が多いのです。ただ幼児というのは発達の課題があって、親に受容され、強い愛着関係を結べないと、情緒が不安定で問題行動が多い子に育っていきます。甘やかすのではなく、しつけようという態度が、子どもの問題行動を増やしている現実もあります。もちろんヤンママという言葉が社会で受け入れられていて、しつけをまったくしないし、自分も社会のルールに従わない事をモットーに子育てしている方も、少数ではありません。
最近の幼児は刺激が強すぎ、音や光があふれかえる場に乳児のころから出入りしています。子育て支援のために用意した場も、実際は子どもの脳への悪影響が心配されるほど狭い空間に多人数が集まりランダムに動きまわっていることもあります。生まれたときからテレビ、ビデオなどに囲まれています。
私は、幼児とあまりかかわりのない仕事をしている方々にも、乳幼児をめぐる環境の変化に興味を持っていただきたいと願っています。幼児期は、その後の子どもの成長をささえる土台ができる時期です。
幼児期について安易に「家庭でのしつけ」を問題とすることは、親の混乱のもとになり、具体的な対策からかけ離れていくように感じています。(↑のURLは幼児のしつけについての記事です)
3. Posted by KG   2008年09月30日 11:01
「しつけ」についてですが、私もなおみさんとはちょっと違う理由で、むしろ親が「しつけなければならない」と思えば思うほど、結果として子供の問題行動が増えるのではないかと思っています。
私も含めて多くの親はダメな事を「ダメ」という事がしつけだと思っていますよね。それもしつけの1つですが、どうも最近の親はやってはいけない事の幅が大きすぎるのではないかと思います。
子供は自分で体験し、体験した事から学んでいくので子供の行動に親が制約をかけすぎると子供は親に聞かないと行動できない、という事を学んでいくと思います。
そうすると自分の行動を制約する相手がいないところでは、自分の好き勝手にやっていい、と学習しているのではないでしょうか?
最近、知人は自分の教え子(保育士の卵)を実習に各幼稚園・保育所に送り出しているのですが、幼稚園や保育所でも、先生の言う通りに行動する子が「いい子」、先生の号令通りに子供を行動させるのが先生の手腕、という園が多くて嘆いていました。
言われればやるけれど、言われないとやらない・できない子供を育てているような気がします。
4. Posted by KG   2008年09月30日 11:26
(つづき)
知人が園長をしていた幼稚園では、自由遊びの時間だけ見ると一見みんなが思い思い好きなことをやっている無秩序な状態です。しかし視察に来る教育関係者に言わせると、しばらく見ていると子供たちなりに秩序ができあがっているんだそうです。
また、発表会は年長ともなると先生と子供が対等に企画し、自分らしさ、自分たちらしさにこだわった発表をします。
年長ともなると、小一時間くらいの発表になるのですが年少・年中ともじっと見ているんですよね。不思議なことに。
決して綺麗な服装は用意しないし、舞台道具も廃品を使って子供たちが自分で作った、一見みすぼらしい道具の数々。
決して放任とは違う、自分らしさ、自分たちらしさを尊重されてきた子たちは、他人の他人らしさを尊重できるようになるのではないかと思います。
在園児の親たちはこんなに自由に幼稚園を過ごしてきて、小学校では果たして机にじっと座ってられるのか?という疑問も持つようですが、お話しづくりや道具作りなど(発表会だけではなく運動会や色々な行事でも)、自分たちで考えて、自分たちで苦労して何でもやってきた子たちは、むしろ小学校でチンと座って先生の言うことを聞く方が楽なんだそうです。
5. Posted by toshi   2008年10月02日 01:36
なおみさん
 ううん。むずかしい。
 幼児教育に関して専門ではないわたしの頭のなかは、ちょっと混乱をきたしています。
 まず一点目。
《軽度発達障害児の特徴を持つ幼児の比率は、一般に認識されているよりはるかに多いのです。》
 ご紹介いただいたなおみさんの記事を拝見しますと、ほんとうは軽度発達障害児ではないけれど、育てられ方によって、そうした障害児の特長をもってしまった子がふえているということなのでしょうか。
 二点目。
 『幼児を取り巻く環境がむかしとはまったく変化してしまった。』
 これはよく分かります。
《親の子どもへの接し方だけではないですね。年中大人の目にさらされ、しつけ指導を受け続けている子が多いのです。》
その一方で、《しつけをまったくしない》ケースもある。
 また、《音や光があふれかえる場に乳児のころから出入りしてい》たり、《狭い空間に多人数が集まりランダムに動きまわっている》状況もある。
 これらは、幼児の《脳の(発達への)悪影響が心配されるほど》だということのように理解しました。
 
6. Posted by toshi   2008年10月02日 01:37
三点目。
《親に受容され、強い愛着関係を結べないと、情緒が不安定で問題行動が多い子に育っていきます。》 これもよく分かります。ただ分からなくなったのは、わたし、当記事に、《子どもと一緒にいる時間の長さが重要なのではない。子どもと一緒にいる時間をいかに大切にしているか、ふつうの会話(指示・命令や小言ばかりではないということ)が豊富にあるかということが大切なのである。》と書かせていただきましたが、これは、裏に、保育園などでの、先生などによる受容体験や、強い愛着関係があることを前提にしています。もし、この前提がないとすると、やはり、時間の長短も関係してくると思っていいのでしょうね。
四点目。
 記事にも書かせていただいたのですが、テレビ報道によれば、わずか数週間で、学級は正常に機能するようになったとあります。これは画像にもあってわたしもそう理解することができました。
 教員の的確な指導の結果と思ったものですが、もし、なおみさんのおっしゃるように、脳の発達に問題を残していたのだとすると、そのようなことは不可能に思うので、その点についてはまったく分からなくなってしまいました。
 五点目。
 これが最後ですが、『しつけ過ぎが問題』という点についてはよく理解できました。
 また、子どもの育てられ方の課題は実に多様だということもよく分かりました。
 ところで、入学式での私語等の問題ですが、こうした問題的な行動は、それら課題のある育てられ方全般にかかわってくると思っていいのだろうと思いましたが、その点はその理解でいいのでしょうか。
 以上、お答えいただければ幸いですが、考える上でのヒントのようなものでけっこうですので、コメントをいただければ幸いです。
  
7. Posted by toshi   2008年10月02日 01:55
KGさん
 なおみさんのコメントと合わせ、よく理解することができます。
 大人の目が行き届きすぎる結果としての、『しつけられ過ぎ』も、多くの課題を残すということですね。
 おもしろいなあと思ったのは、
《〜。そうすると自分の行動を制約する相手がいないところでは、自分の好き勝手にやっていい、と学習しているのではないでしょうか?》
の箇所でした。これは小学校の教員としても、すごく納得できることです。しばられ過ぎると、開放的な空間では、羽目をはずしがちですものね。
 ただ、自由保育も問題を感じないわけではないのです。
 これがうまくいくのは、子どもの側から見れば、自由にやらせてもらっている印象なのですが、実は子どもの見えない部分で、大人の的確な支援の目がはたらいているのだという場合に、効果を発揮するように思います。
 簡単に言えば、ほめられたとか共感してもらえたとかいう働きかけですね。それがふんだんにある場合と言えると思います。
 放任の自由ではダメだということですね。
 もっともこれ、たぶんに、小学校教員の見方ですが。
8. Posted by なおみ   2008年10月02日 08:04
toshi先生へ
ていねいに読んでいただいてありがとうございます。10人に2人以上の軽度発達障害の特徴を持つ子というのは、明らかな脳の機能の問題が疑われる子でURLで取り上げた話題とは少し違います。まぎらわしくてすいません。不妊治療、超未熟児の出産、ダイエットの流行による妊婦の子宮の未発達、母親の職場が医療関係や「ネイル」などで薬品を吸ったり触れたりする時間が長い、パソコンや携帯による電磁波にさらされ過ぎなど、子どもが微細な脳機能の問題を持って生まれてくる確率は、かつてよりも可能性としては大きいです。数値に表れるかは、微細な脳の問題の場合、診断を受けずにそのまま成長すると思われるので、わかりません。軽度発達障害児の割合は、住んでいる地域によってかなりの差があるようで、大阪の一地区では、乳幼児健診で他地域の何倍もの子どもが、言葉や知恵の発達の問題で引っかかるようです。経済的な落差と発達障害児の比率はかかわりが大きいようで、それは貧富の差による食事や育て方の差から来るものではなく、遺伝とのかかわりが大きいと思います。
9. Posted by なおみ   2008年10月02日 08:13
 <教員の的確な指導の結果、子どもが落ち着いた…>場合、その子は、軽度発達障害の部分がないとは簡単に考えにくいです。軽度発達障害やグレーゾーンと言われる発達障害の周辺にいる子は、非常に「受動的」である場合が多く、暗黙の了解が理解できないため、新しい場ではうろうろするなどの問題行動を起します。しかし、その場の規則に慣れると、他の子以上にルールを厳守する場合も多いからです。子どもが着席しているから、正常に機能していると判断することは、軽度発達障害児のさまざまな問題を先送りしてしまっている原因の一つでもあります。
軽度発達障害でないのに、軽度発達障害児の特徴を持つ子らというのは、実際とても多いです。私は、母親達が子育て支援の勉強会に参加する間、その方々の子どもたち2〜5歳の保育をするボランティアなど子供達と長時間遊んで関わる機会がたくさんありましたが、深刻な問題を感じました。発達障害は感じられない子らが、数分もひとつの遊びに関われず、常に1〜2歳児のような意味なく動き回る行動に時間を使っているのです。そうした子は脳機能の問題は感じられないのですが、周囲の刺激に簡単に反応しすぎて、ひとつのおもちゃや遊びを30秒以内で離れてしまうのです。いつもいっしょに過す子同士でも、友達と遊びを作っていく事が出来ていません。
また、3歳以上を対象に、何度か音楽遊びなど子どもを集団で遊ばせる企画を児童館で頼まれてしていたことがあるのですが、子供達の8割の子がわめきながら走り回り、高いテーブルにのぼったり、奇声を上げていました。その原因として、あまりに幼いうちから集団の場(幼児教室、遊園地、ショッピングセンター)に慣れてしまっていて、集団の場で騒ぐ事を学習している子が多い、こうした集団の場に「何が起こるのかな?」「はじめてみる大人だ!」という緊張感を持った子が少ない、というのを感じました。
10. Posted by なおみ   2008年10月02日 08:13
奇声をあげるのは、騒音のある集団の場で過すうちに、そうすることがお友達の注意をひきつけ楽しくなれるコツとでも感じている子らがあるからのようです。
かつては、「子どもの心身が成長して、準備が整ったところで、集団への参加」となっていたのでしょうが、最近の幼児は赤ちゃんの時から集団の中にあって、家庭と外との境界線を失っている子が多いようです。
親に「しつけを!」とテレビ報道などでは発言がありますが、幼児の暮らしが変化しすぎている今、もっと具体的に個々人に合わせた説明をしないと、言葉や体罰では「しつけ」を受け続けているけれど、「しつけなし」できたような言動をする子が増え続ける気もしています。
11. Posted by KG   2008年10月02日 10:19
toshi先生

>実は子どもの見えない部分で、大人の的確な支援の目がはたらいているのだという場合に、効果を発揮するように思います。

これはその通りだと思います。
幼稚園の運動会をテーマにした知人のブログの言葉を借りると、

>子どもの周りに大人が多すぎでしょ。大人が入ることで、子ども同士の関係が途切れる。でも、それはただ「放っておく」ということではないの、子ども同士の関係や、その子なりの見通し、安心のある生活になってるかってことが前提。子どもに任せられる暮らしをつくってきたか、ってこと。

そういう配慮をした上で、子供に極力任せるということをしています。
12. Posted by KG   2008年10月02日 10:32
なおみさん

横から失礼します。
8番のコメント、

>経済的な落差と発達障害児の比率はかかわりが大きいようで、それは貧富の差による食事や育て方の差から来るものではなく、遺伝とのかかわりが大きいと思います。

発達障害は遺伝的要素が強いというのは私も感じておりますし、ほぼ間違いないでしょう。しかし親の経済的な落差(格差)との関わりが理解できません。
遺伝的要素なら全く関係ないのでは?

また、地域的な差というのは私は診断基準の差だと思いますよ。
13. Posted by なおみ   2008年10月02日 15:28
KGさんへ
医師や教師をしている方で発達障害を持っている方もいらっしゃいますが、現実には発達障害があるとそれゆえに就職で困難をきたして経済的に苦しい思いをしている方の比率は多いです。
また別の問題で大阪では地域によっては、中学を出てすぐに結婚する、高校在学中に子どもが出来たので、子育てに入る子もめずらしくなく、そうした世帯も経済的に豊かとは言えませんそれも地域によって偏りがあると思います。発達障害と経済の関係は無関係とはいいがたい現実です。発達障害があると、集団生活や学習面で困難をきたすので、どうしても就職時に不利になり、安い賃金で働かねばならないし、知能が高くても短期間で仕事をやめてしまう方も多いからです。地域的な差は、診断基準の差もあるでしょうが、例えば10代の母親がとても多い地区などだと、診断基準の差だけではなく、育て方か親の軽度発達障害の傾向を子どもが遺伝的に受け継いでいると考えられるケースも多いように思います。
14. Posted by KG   2008年10月02日 17:05
なおみさん

発達障害を抱える人の就労問題は存じ上げておりますし、その通りだと思います。
発達障害を抱えるが故に就労しにくく、結果として収入が低くて経済的に苦労する。というのはわかります。

13番の文脈は、
軽度発達障害の親(=低収入)→(遺伝)→子供も発達障害=経済と関係ある
という風に受け取れますが、これだと原因と結果を混同した決め付けではないでしょうか?

何故なら遺伝的要素があるとはいっても、医学的には完全に解明はされておりません。
特に10代の母親が多い地区の話しなどは、発達障害だからこそ10代で母親になり、だからこそ発達障害児が多いんだ、と結論づけてる風に受け取れます。(原因と結果が逆)

私も多くの発達障害の子供とその家庭を知っていますが、ほとんどのご両親は発達障害の傾向は見受けられませんし、経済的にも平均レベルです。

また、軽度発達障害はやはり育て方の問題ではありませんよ。
健常の子で表面的には似たような行動を取る子がいたとしても、よく見ているとやはり似て非なるものです。

発達障害がスポットを浴びるようになって発達障害を持つ親御さんが救われた部分は大きいのですが、やはり親御さんにとって一番辛いのは「母親の育て方の問題」や無知による偏見です。
なので私から見て、発達障害の子の親もまた発達障害、という偏見があるように見受けられますので、失礼ながら重ねて指摘させて頂きます。
15. Posted by なおみ   2008年10月02日 19:56
KGさんへ
私はもともと軽度発達障害に対する偏見そのものを全然持っていないんですよ。偏見を持っていると受け取れる表現になってしまったとしたら、悪いのですが、そうした気持ちというのはまったく持っていないですよ。本当に。
わざわざ経済的な問題を取り上げたのは、経済的背景と生徒の成績を比べて、単にそれをお金のあるなしだけの問題だと考えたり、地域ごとの小学校の成績を比べるときに教師の能力だけを比べたりすることに、疑問を感じているんです。それは自分で目の前に見て感じ取れる現実とずいぶんずれがあるので…。大阪に住んでいると、やはり地域ごとの差を大きく感じます。発達障害の子を持つご両親が発達障害の傾向は見受けられず、経済的にも平均レベルの方がたくさんいらっしゃるのは私もよくわかります。けれども、経済的に苦しい生活をしている方々が多い地区に、発達障害を持つ方の比率が多いか少ないかというと、多い場合はありえると思っています。実際、そうした地域の子供集団に接する機会があると、発達障害の子の特徴をいろいろ持っている場合が多いのです。だからといって、そうした診断を受けようと親は思っていない方が多いですが…。
地域による子どもの能力差は、他にもいろいろ原因があるのでしょうが、タブーは無視して、他の部分だけで考えていく…とすると問題が解決しにくくなったりすると思っているのです。
16. Posted by KG   2008年10月03日 09:49
なおみさん

なおみさんが発達障害に対して差別の気持ちがない事は承知しておりますし、その上で偏見という言葉を使ったとは不適当でした。ごめんなさい。
また、9番のコメントの

>子どもが着席しているから、正常に機能していると判断することは、軽度発達障害児のさまざまな問題を先送りしてしまっている原因の一つでもあります。

この辺は良く本質を突いてるなぁと思っております。
また、なおみさんは日頃の活動を通して発達障害を周囲に認知していく力を持っておられると思っており、だからこそ私の目から見てここは違うんじゃないの?という部分は執拗に質問させてもらっています。

私が一番知りたい点は、なおみさんは発達障害は「育て方」にも問題があると思っているのか、14番で書いた図式だっと思われているのか、そこが知りたいのです。

発達障害の子と健常だけど発達障害の子と同じ行動をとる、というのは似て非なるものです。それこそ先の着席の話しではないですが、表面上の行動は同じでもその裏側にあるものは全く違うわけですから。

17. Posted by KG   2008年10月03日 10:02
そこにこだわるのは、実は私の長男も4才頃は発達障害の子を持つ親御さんから見ても発達障害のように思われてた事があったからです。

我が子が通っていた幼稚園では統合保育をしています。1学年40人弱で、そのうちいわゆる発達障害を抱える子は大体5〜6人くらい。(他の幼稚園を断られてここに来る子も少なくない)

年少〜年中当時の長男は、軽度発達障害の特徴を多くを備えており、今まで自閉症を全く知らなかった家内は幼稚園でそういう子を通じて自閉症や軽度発達障害を知り、実際のそういう子らと我が子を比べて、ひどく深刻に悩んでいたそうです。
発達障害の子を持つお母さんから見てもそういう風に見えたそうですし。先生や園長は違うと思っていて、何人ものお母さんが「KGさんのとこのお子さんも発達障害なんじゃ?」と相談してたそうです。そのたびに園長は「発達障害の教科書通りの特徴に見えるけど、彼は違うよ」と軽くいなしてたそうで、卒園後に笑い話しのように教えてくれました。ちゃんと行動の裏側にある、その理由をちゃんと把握していてくれたから言えたんだと思います。

そういう経験があるので、表面上の行動だけで発達障害なのかどうかを第三者が判断するのは慎重にしなければならないと思うわけです。(そうは言いながら、我が子の経験のおかげで軽度発達障害を抱えているのかいないのか、割と正確にわかるようになってきましたが・・・。)
18. Posted by 柴田勝征   2008年10月03日 10:53
私は昨年10月のNHK福岡支局が制作した「遊べなくなった子どもたち」を見てたいへんなショックを受けて、「身体面での異常」ではなく、「知的な面での異常」が感じられる若者達のことについて勉強を開始して、丁度1年が経ちました。その間、私のホームページに「因果律のない世界に生きる人々の登場--若者の認知に何がおきているのか」というタイトルで連載記事を書き、いくつかの学会・シンポジウムで発表を行ってきました。
 そういう短期間の勉強ですから、間違っているところも多々あるかもしれませんが、私の理解では「本当の軽度発達障害」と「見かけだけの発達障害」というような区別はないと思います。そもそも、ある人が「発達障害である」「ない」という判定基準は存在しません。私自身、「特別支援法」で軽度発達障害の1つとされているアスペルガー症状の判定基準の10項目の内6個は満たしていますし、そういう人は身の回りに「大勢!」います。しかし
「軽度発達障害」と認定する基準は「社会生活に適合できているか、否か」であって、医学的あるいは脳科学的な判定基準があるわけではありません。アスペルガーの場合には「アスペルガー・スペクトラム」と呼ばれているように、「強度のアスペルガー傾向の人」から「アルペルガー的傾向の少ない人」まで連続的に分布していて、境い目は無いのです。
19. Posted by 柴田勝征   2008年10月03日 11:43
第2次世界大戦前にアスペルガーという精神科医が書いたドイツ語の論文が1980年代になって初めて英語に翻訳されて、世界の注目を浴びるようになりました。これがアスペルガー症が認知されるようになったきっかけで、日本では未だ良く知らない精神科医も多いと言われています。そういうわけで、1980年代以降に大量の事例が調査・報告されるようになりましたが、実は大昔から「軽度発達障害」の人は日本にも世界にも大勢居たわけで、単に社会的に注目されていなかっただけです。しかも、江戸時代であれば、人口の圧倒的多数を占めていた農民の中では、ほとんど「社会的不適合」を起こさないで一生を平凡な農民として終えたことでしょう。職人などでも「あの人は、腕は良いが偏屈だ」という人が多く居たようですが、こういうタイプも現代で言えば恐らくアスペルガーです。アスペルガーは、人つきあいは下手ですが、一芸に秀でている人が多いことはかなり知られています。現代のように義務教育が普及し、就学率がアップしたために、そういう性質を持った子どもたちの教育が問題になってきたのでしょう。また、農業や工業が中心の産業社会ならあまり不適合を起こさずに労働できたはずの人々が、第3次産業(人間を相手にする産業)が主流となったために不適合が頻繁に発生するようになったのだと考えています。従って、「医学的な問題」というより「社会的な問題」だと認識して、対策を立ててゆくべきだと思っています。
20. Posted by KG   2008年10月03日 13:25
柴田さん

>そもそも、ある人が「発達障害である」「ない」という判定基準は存在しません。

医学的な判断基準はありますし、WISCのような発達診断検査もあります。
表面的な行動の特徴を文言だけで当てはめようとするなら、それはとても大勢の人に当てはまります。
そして境界線は厳密には引けないことも承知しております。

しかし、例えば「胃が痛い」という表面上の特徴は同じでも原因が違えば対処方法は異なりますよね?
それは癌かもしれないし、胃潰瘍かもしれないし、単なる食べ過ぎによる消化不良かもしれず、食中毒かもしれません。

同様に発達障害は症候群と分類されるだけあって独特の傾向があり、表面上の行動だけではない、内因的な特徴を抑えておかなければいけません。

社会不適合というのは発達障害が抱える大きな特徴、コミュニケーション障害による結果であって、社会不適合だから発達障害ではないのです。

学習障害(LD)にしたところで、勉強ができないからLDなのではなく、症候群としてまとめることができるほど、独特の特徴があるわけです。

実際、発達障害の子たちと付き合ったことがあるでしょうか?
やはり軽度といえど、健常、普通と言われる人と発達障害と診断される人は違います。
違いを認識した上で、一緒に仲良くやっていく方法を考えなくてはいけません。
21. Posted by 柴田勝征   2008年10月03日 16:11
KG さん、

>しかし、例えば「胃が痛い」という表面上の特徴は同じでも原因が違えば対処方法は異なりますよね?
>それは癌かもしれないし、胃潰瘍かもしれないし、単なる食べ過ぎによる消化不良かもしれず、食中毒かもしれません。

>同様に発達障害は症候群と分類されるだけあって独特の傾向があり、表面上の行動だけではない、内因的な特徴を抑えておかなければいけません。

>社会不適合というのは発達障害が抱える大きな特徴、コミュニケーション障害による結果であって、社会不適合だから発達障害ではないのです。

 なるほど。いちいち、ごもっとも。たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

 ところで、発達障害の「内因的な特徴」とは何でしょうか? それを科学的に測定する方法があるのでしょうか? 比較の例えとしてKGさんがあげておられる「癌か、胃潰瘍か、単なる食べ過ぎによる消化不良か」という場合には内視鏡、X線撮影などによる確認の方法があります(それでも誤診もありますが)。「発達障害は症候群」という場合の「症候」とは「表面上の行動」のことではないでしょうか? 「内因的な特徴」を測定することが現在の科学では今のところ不可能だからこそ、「内因的な特徴」ではない「社会不適合という結果」によってしか、判定のしようがないのではないでしょうか? 「コミュニケーション障害」というのも、私は「表面的な結果」だと思っていたのですが、「内因」なのですか?? いろいろ教えていただけると、私の不安も解消して、たいへんありがたいです。よろしくお願いします。
22. Posted by KG   2008年10月03日 17:17
柴田さん

標準的な発達診断の検査手法の1つに、WISC-靴箸いΔ發里あります。わかりやすく言うと知能検査なんですけどね。

(知能検査-wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%A4%9C%E6%9F%BB

(WISC-携稜箍饉劼両匆陬據璽検
http://www.saccess55.co.jp/kobetu/detail/wisc.shtml

言語性、動作性、全検査の3種類の検査を行うのですが、特に言語性と動作性の指数が15以上開くと何らかの発達障害が疑われるわけです。
また同時に4つの群指数(言語理解、知覚統合、注意記憶、処理速度)というのが得られます。
普通の人でもデコボコは当然発生しますが、発達障害だとデコボコの差が激しいわけです。
軽度発達障害の場合、障害の内容によってある程度デコボコのパターンがあります。ADHDだったらどの指数は問題ないけど、特定のこの指数だけ低いとか。

一例としてWISCを挙げましたが、WISCの結果だけではっきり判断できるわけでもありません。最後は診断者の経験と勘によるところも大きいです。

23. Posted by KG   2008年10月03日 17:55
(つづき)
発達障害は脳の機能的な障害とはいえ、厳密には解明されておらず、今後もおそらく解明される事はないでしょう。

そういう意味では、柴田さんの「社会不適合か否か」という判断基準もあながち間違えではないのかもしれません。
しかし、発達心理学の分野で最近注目されている「心の理論」の発達が著しく劣っているのが発達障害の特徴です。

(心の理論−wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96

さらに親御さんの聞き取りをしていくと、9か月の赤ちゃんから見られる「共同注意」も欠けていたことがよくあるそうです。

(共同注意)
http://univ.nict.go.jp/people/xkozima/infanoid/development.html

人は本来生得のコミュニケーション能力があり、赤ちゃんの頃からでもターンテイキングや共同注意という形でコミュニケーション能力が育っていきます。
それが生まれつき弱いからこそ「障害」なんですよね。

コミュニケーション障害とは違いますが、学習障害の子の場合も、やはり独特の特徴があります。普通の子なら慣れ次第、それこそ訓練次第で読めますよね。
でもLDの子の普通の子とは違う部分を、LDの子自身の言葉で紹介してみます。

「漢字を思い出そうとしても、シュッて消えて全部出てこないんだ。」

「授業中、座っていると退屈で頭の中でビデオを見ていたら動きたくなるの。」

「僕ね、本を読もうとするとね、字が勝手にバラバラになるの。」

24. Posted by KG   2008年10月03日 18:47
おそらく柴田さんが求めている解答からはズレてると思いますが、健常だけど後天的な環境によって起こる社会不適合と(後天的なものであればその後の環境次第で何とかなる場合だってあるでしょうし)、先天的な問題で社会不適合にならざるを得ない発達障害者たちの違いは理解して頂きたいと思います。(説明が下手で自信はありませんが)

普通の子の「問題行動」への対処と、発達障害の子が起こす「問題行動」への対処は違うでしょう。そういう意味で、障害を抱える子の生得の特徴ははっきりおさえておいた方がいいと思うわけです。

そういう意味では、「医学的な問題よりも〜」という柴田さんの意見には同意できるんですけどね。
25. Posted by 柴田勝征   2008年10月03日 19:18
KGさん,
たいへん詳しく回答して頂き、ありがとうございました。WISCについては、私もWikipediaだけですが、読んではいました。しかし、「内的症候」という言葉を私は日本語として誤解していたようだと気づかされました。WISCのようなテストは、あくまで表面に出てきた結果を見ているだけで、その結果が平均的な人とは異なっていても、それはその人の内部に何か普通でない現象が起きているのではないかと強く疑わせる結果ではあって、脳内の現象そのものではない(内視鏡で覗いて見て血管破裂などを確認するのとは違う)、と言う意味では、あくまで「症候」(表面的な現象)なのですよね。ところが、ミラーニューロンが発見されて、このニューロンに何らかの損傷があったり、発達不全がMRIか何かの脳内現象を測定する装置で確認された場合には、たしかに内部的な要因が原因で「他人の心を想像できない脳をもっている」ということが分かるわけですね。
 まあ、しかし、「だから何なのさ。」という感じもあります。絶対に普通とは思えない人が大臣になったり、大企業の経営者になったりして、常識では考えられないようなことを頻繁におこなう現象があちこちで起きている。そういう人を社会の上の方の地位へ押し上げてきたのは多くの普通に人たち。何が「普通」で何が「普通でない」のか?

26. Posted by 柴田勝征   2008年10月03日 19:22
 >一例としてWISCを挙げましたが、WISCの結果だけではっきり判断できるわけでもありません。最後は診断者の経験と勘によるところも大きいです。

 そうなんですよ。WISCの結果に極めて大きな異常値が見られる人でも、自分にマッチした環境の仕事に就いた人は何の問題もなく、むしろ周りの人よりも成果を上げたりしている例もあるようですから、私は「診断者の経験と勘」を発達させるよりも、むしろ普通でない特徴を持っている人でも、(その原因の如何を問わず、)その人なりに多少は社会の役に立っていることが実感できるような仕事を見つけて、社会に貢献しつつ、ささやかでも自分が生きて行けるだけの収入が得られるようにすることが社会の責任だろうと思うわけです。それには、「経済競争が全て」「利潤と効率」第1主義の現在のグローバル資本主義を見直し、農業と手工業の社会的価値を高めることが必要だ、というのが私の最近の考えです。月並みかもしれませんが...
27. Posted by 柴田勝征   2008年10月03日 19:43
柴田です。三連ちゃんですみません。これでラストです。

>おそらく柴田さんが求めている解答からはズレてると思いますが、健常だけど後天的な環境によって起こる社会不適合と(後天的なものであればその後の環境次第で何とかなる場合だってあるでしょうし)、先天的な問題で社会不適合にならざるを得ない発達障害者たちの違いは理解して頂きたいと思います。(説明が下手で自信はありませんが)

 いちおう、理屈としては理解できる積もりですが、私には未だ、本当に「先天的な人」と「後天的な人」が医師の「経験と勘」で識別できるのだろうか、という疑問が拭い切れません。身体障害者でも、先天的な人と後天的な事故や病気の後遺症で身体障害者になる場合がありますが、それと全く同じとは言いませんが、似ているような気がします。後天的なら直る可能性がある、とは言い切れないし、先天的な場合には絶対に直らないとも言い切れません(将来の脳医学の飛躍的な進歩に期待するしかありませんけれど...)。
 それから、これもWikipediaで読んだことの受け売りになってしまうのですが、アスペルガーの原因が最近まで「後天」説が強く信じられていて、日本では「育て方が悪かった」と批判されているようで親がつらかった、と書かれていました。アメリカではむしろ何事によらず「先天説・遺伝説」はナチス的な「人種差別主義」「生まれによって優劣が決定されているという思想」という連想があるのか、「遺伝説」は特に知識階級には感情的な反発があるようです。これも国民性というか、「お国柄」というのか、価値観が真っ向から対立する場合というのは結構あるように思います。
28. Posted by なおみ   2008年10月03日 20:38
KGさんへ
<医学的な判断基準はありますし、WISCのような発達診断検査もあります。>というご意見はわかるのですが、軽度発達障害についてはまだわかっていないこと、研究中の部分が大きいはずです。今後こうした基準や考え方が大きく変化していく可能性はたくさんありますし、海外の自閉症の研究では日本とはずいぶんちがった見方をしているので、基準とはかなり限定された基準でもあると思います。

<表面上の行動だけで発達障害なのかどうかを第三者が判断するのは慎重にしなければならないと思うわけです。(そうは言いながら、我が子の経験のおかげで軽度発達障害を抱えているのかいないのか、割と正確にわかるようになってきましが・・・。)>というご意見たいへんよくわかるのです。
29. Posted by なおみ   2008年10月03日 20:39
私自身も多くの方が発達障害を疑っているケースでも、この子は発達障害がないだろう、あるかもしれない…といったことは、遊び方、視覚、聴覚、受け答え、心の理論、コミュニケーションの取り方、こだわり、注意の移行、共同注視他さまざまな特徴からだいたい判断する事が出来ます。
かといって診断しているわけではなく、診断することを勧めるアドバイスをするだけですが…。そのように幼児期と小学校の時期に「発達障害」と診断される子と診断されない子という差を扱った話では、KGさんのおっしゃることはよくわかるのです。
しかし、柴田先生のおっしゃっている
<アスペルガーの場合には「アスペルガー・スペクトラム」と呼ばれているように、「強度のアスペルガー傾向の人」から「アルペルガー的傾向の少ない人」まで連続的に分布していて、境い目は無いのです>という見方でアスペルガーを捉えるのなら、<「軽度発達障害」と認定する基準は「社会生活に適合できているか、否か」であって、医学的あるいは脳科学的な判定基準があるわけではありません>というご意見は、どこで発達障害と認定するかと基準を考えていく立場に立てば、その通りだと思えるのです。
30. Posted by なおみ   2008年10月03日 20:39
1年前から、若者の認知について勉強しているというお話ですから、けっしていい加減なご意見ではないと思います。
私は、正誤ではなく、この問題を研究者的な態度で見るか、現状の知識を「正しいもの」として絶対化して考えていくかでずいぶん変ってくると思っています。私自身はどんな問題も自分の目で見、自分の頭で良く考え、その上で、現存の知識には全て目を通し、多角的に考え、矛盾点や疑問があれば例外として省くのでなくもう一度知識として信じられているものを問い直していくような研究者的な態度が必要と感じています。
31. Posted by なおみ   2008年10月03日 20:40
話は変るのですが、「成長の中で軽度発達障害の子の特徴を持った子」というのは、虐待を受けた子の脳は、生まれたときは正常でも、成長の中で脳がダメージを受けて変化することがわかっています。また、かつて難民の子の中に育て方が原因で自閉症の特徴をしるす幼児がたくさん育った例もあります。脳機能の問題は、ひとつひとつていねいに考えていかなければならない問題で、今、こうした知識が医学の世界で認められているからという理由で、その枠に何もかも当てはめて考えていくことは、目の前の現実をゆがめてしまう気がするのです。
私が最近注意して観察しているのは、診断はスルーしがちな受動型のASの子の問題です。思春期に多くの問題が起こる例が多いからです。

<私が一番知りたい点は、なおみさんは発達障害は「育て方」にも問題があると思っているのか、14番で書いた図式だっと思われているのか、そこが知りたいのです。>私は発達障害は育て方によるものでなく生得的なものだと思っています。が、小学校までに着席する子にしたいと思うあまり、虐待に近いしつけがおこなわれている場合があり(生得的なものなので改善されないため)その点で育て方による問題も大きいと考えています。ただ、現代の子育て環境の中で、育て方による認知や脳の機能の問題が出てきていると思われる子がいるのも事実で、そちらは注意深く観察しています。14番の図式は、もともと経済的に困っている方に差別心はなく、我が家も貧困家庭ですがなんとも感じていません。ただ、「私の子どものころ住んでいた地域の子や大人はASっぽい人がすごく多くて、変とも思われなかった…」といった話をよく聞くし、自分でも現実に自分も地域性を体感しているので、タブー視せずによく考えていかなければ、本当の支援にならない場合も多いと感じています。
32. Posted by なおみ   2008年10月03日 22:03
KGさんへ(toshi先生長くなってすいません)
最後がきちんとした答えになっていなかったので、少し続きです。海外の研究結果によれば、父がADHDの場合、子がADHDである確率は25〜35%、母→子へは15〜20%、両親ともなた子の20〜54%はADHDになると報告されています。ADHDの人はADHDと結婚する場合が多いし、両親ともADHDだと通所の4〜10倍程度発症する確率があると言われています。それは強い遺伝性とは言えないかもしれませんが、遺伝なしとはいえない数字です。また、ADHDの方の就労は困難ですから、どうしても経済的に豊かでない場合も多いし、確率で考えていくと偏見とか発達基準の違いとしてだけ地域差を見ていくことはどうかと思っています。それより特別支援がたくさん必要な地域があるという見方も入れて、必要なところにはしっかり支援していくことが大事だと感じているのです。特にそうした心配のある地域の先生方は、しっかり発達障害についての知識を共有する必要があると思うのです。ただ、14番で書いた図式の見方というのは、私が気にしたこともないことだし、ちょっと私の物の見方や考え方から遠くはずれるものです。どうしてわざわざそうした考え方をしなくてはならないのかピンとこないので…。
私自身は、発達障害が障害と認識されるのは社会の変化のため(柴田さんがくわしく説明されていますが)と思っていて、脳のタイプの違いとして捉えているので(幼児期の発達はゆっくりでも、敏感期が長く、脳が成長する期間が長い場合もありますし)そうした成長のばらつきにきちんとした配慮が必要と言うことと、就労の問題を少しでも解決したいだけなので…。
33. Posted by なおみ   2008年10月04日 06:48
toshi先生へ
toshi先生のブログでいつも長いコメントをしていてすいません。私が発達障害の子と地域の関係や親子の遺伝の問題を気にかけているのは、過去の痛い経験によります。かつて近所の小学生のお勉強をみていたころ、ADHDとLDが疑われる未診断の高学年の子の勉強を見ていましたが、ある日、その子が月謝袋を紛失し、私が親御さんにそのことを告げた後に、その子が、お父さんに逆さまにされて頭から床にたたきつけられるということが起こったのです。他にも、同じ傾向のある幼児のおばあちゃんが、帰りたがらない孫をなぐりはじめ止まらなくなったこともありました。同様の事件が何度か起こったので、私は軽度発達障害の子の親(身内)にも子と同じ傾向がある場合があるので、子どもの問題を伝える時は慎重にしなくてはならないと感じました。また、そうした親への支援はとても大切だとも感じました。かつて他地域から息子の小学校に赴任して来たばかりの先生が、「この地域の子はひどすぎる」「前の学校では…」と言う言葉を繰り返して、子ども達に高圧的に対応していました。クラスに問題行動を起す子に比率が多ければ、そんなに発達障害の子がいるわけがない、それまでのしつけの問題だからしつけるべき!と安易に判断することは本当に発達障害のある子の比率が多かった場合には2次障害の原因を作ると思うのです。
14番の図式のような見方する方がでないように気をつけなくてはなりませんが、現実にありえることをタブー視して見ないことは、必要な支援や配慮が必要な場に、きちんとした支援がされないままになってしまうので困ったものと思っているのです。
34. Posted by totoro   2008年10月04日 16:38
発達障害が全て先天的なのか、それとも後天的に教育の中で類似した障害が発生しているのか、私は現場の一教員なので詳しくは分かりません。

ただし、やはり最近の親御さんを見ると、いろいろと考えさせられます。

参観会のとき、せっかく担任が子ども達を引き立てるためにと準備した授業をしているのに、教室に入らずに廊下で大勢のお母さん達が会話を楽しんでいます。うるさくて授業中の子ども達の集中がとぎれてしまいます。
運動会、せっかく全校で「凜」とした張り詰めた表現演技をしているのに、保護者のみなさんのげらげら笑う声でその空気が乱れます。

静かにしてくださいと言っても、自分のことだとは気づきません。「あなたのことです」と近くで個別に言わなければ分かってもらえません。言っても怒った目でにらまれることもあります。

ですから、番組の言わんとする意図は、私たちには頷ける点が多いと思います。

ただし、入学式の時ににぎやかな子達を、「まあ、この子達をこれから6年間鍛え、卒業式には全く違う凜とした姿で送りだそう。」と私たちは思うのです。

日々の授業を、みなが集中し協力して課題を追求することの楽しさがわかる時間にすることで、意識の集中と解放(自分のコントロール)ができるように育っていくし、友達や集団とのコミュニケーションをとらざるをえなくなると考えます。学校は子ども達を育てる場です。それも、授業で子ども達を育てていく場です。

話しは変わります。こんなことがありました。
35. Posted by totoro2   2008年10月04日 16:39
本校では毎年PTAがバザーを行っています。地域の皆さんにも呼びかけ、大々的に行っています。もちろん収益を子ども達の学習用品の購入に充てるためです。
ただし、これには役員さんの大きな負担が必要です。4月当初、役員さん達はこのバザーを今年はやるのかやらないのかについて話し合いました。過半数の役員が、負担が大きいからもうやめにしようという意見でした。学校も、「そんなに大変ならやめてもいいですよ。」とメッセージを出していました。
しかし、バザー担当の役員さんが、「でも、子ども達のためにやりましょうよ。」と熱く呼びかけ、やめるはずのバザーが一転して行われることになりました。

しかし、他の役員さん達は負担をどう減らすかを考えます。地域を役員が一軒一軒回ると、労力も時間もかかるし、苦情も受けていやな思いをします。もっといい方法はないかなと考えるのです。保護者からのみ集める案が浮上します。しかし、それでは収益が見込めません。子どもや学校のためにと、品物を大事にとっておいてくれた地域の皆さんの気持ちも踏みにじることになります。
そこで、地域の皆さんの中で品物を出品される方は、近くの保護者に品物を預け、その子どもや保護者が学校へ持っていくと案をまとめました。

しかし、この案には教頭やPTAの会長が反対します。せっかく学校のために品物を用意した善意の方に「持ってこなければ出品しない」は失礼だろう。また、地域の中のコミュニケーションが取れなくなった保護者の中には、近所の方が「これ、学校へ持っていってください。」と品物を持ってくると、「なぜ、他人の分まで私が持って行ってやらねばならないのだ。だれが決めたのだ。」と苦情を訴える人も多いだろうというのです。
36. Posted by totoro3   2008年10月04日 16:39
昨夜もその会合がありました。「役員が回収することは無理です。」「負担が大きいのです。」という意見が何人から出されます。会議は重苦しい雰囲気で、前には進みません。

しばらくして、他の方が「やはり、私は、地域に回収に出向くべきだと思います。役員の負担が大きいというお話でしたが、私は驚いて聞いていました。私の地域では、資源回収も同じですが、前から保護者全員で手分けして全家庭を回っています。数人の役人でなく、保護者全員ならさほど負担ではありません。むしろ全員で行わず、役員に押しつけている地区があるということが驚きです。」とおっしゃいました。続いて、数名「私たちの地区も、保護者がみんなで手分けしているので、そんなに一人の人に負担が重くなることはありませんよ。むしろ、いろいろお話ししながらでき楽しいですよ。」と話してくださいました。

その後の議論で、一部の役員だけではなく、保護者全員の力で成功させようという方向へ意見が集約されていきました。

会議の終わった後、バザー担当の役員さんが熱く話されました。確かに、文句を言う人は多いでしょう。でも、きっと終わったときに「やっぱり、やってよかったね。」となるよ。いや「おもしろかった」と言わせてみようよと。
地域には、若いなあ、こんなに若くて子育て大丈夫?と思う保護者が多くなったけど、こうした「地域みんなの行事」に意識的にその人達を取り込むことで、少しずつ常識を理解し、つながりを作り、本当のお母さんやお父さんに成長していってもらえばいいんだよね、と話されていました。その通りだと思いました。

入学式を見ても、保護者を見ても確かに問題があるかもしれない。先天的なのか後天的なのかといった問題もあるのかもしれない。しかし、その問題を手をこまねいて見ているわけにはいかない。だれが成長させるのか、どこで成長させるのか、何で成長させるのか....
37. Posted by なおみ   2008年10月04日 20:28
KGさんへ(toshi先生何度もすいません)
ひとつだけ誤解のないようにお伝えしたいことがあったので、もう少しだけ書かせていただきます。
私はKGさんがおっしゃっていること、理解なさっていること、持ってらっしゃる発達障害かどうかをおよそ見分ける事が出来る勘は、日本中の教職という仕事についてらっしゃる方々に持っていただきたいと願っていることで、非常に大切なのはよくわかります。
ただひとつ誤解の元になっているのは、次のことではないでしょうか?着席しない、目が合わない、こだわりがあるなど表面上、発達障害の子と「似て見える」「似た行動をする」けれど、軽くそうした知識をかじった人の目からみると誤解の対象となるけれど、発達障害ではない発達の個性である子がいること…それは私も十分承知しているのです。それは人の目を通しての分類で、はっきりした線引きができるときもあります。
が、表面上、普通の子に見えるけれど、診断基準に満たない程度に発達障害の内因的なものを持っていて、だいたい一部分だけのハンディーがあったりする子やする人の数は、とてもたくさんいるはずで、(柴田先生が書いておられる)境目のない線上で、発達障害とは社会的適応不適応によってのみ線を引かれて存在しているはずなのです。
実際そうした方々が、大人になって生きづらさに悩んだり、小児の発達障害の枠からは除外されてきたものの発達障害を自覚してさまざまな考えをブログで発表したりされています。(↑URLなど)
38. Posted by なおみ   2008年10月04日 20:48
(もうひとつだけ誤解を解かせていただきます。)
私が、地域による発達障害児の問題を確率の上から考える必要があると感じるのは、発達障害の子の比率が多いと思われる地域には、ひとつ大きな問題があるからです。私が預かっていた明らかに自閉症(中度)の症状をたくさん持っている2歳の子に対し、同じ保育所に数人いるから…という理由で、周囲の子の成長と比べて、親が自己診断し、問題なしとして療育を見送っていたこと。保育所の先生までが、同様の感覚だったこと(園長は別です)、がそのひとつです。2歳を過ぎても、母親と他人がまったく識別できない、さまざまな自閉症の子特有の行動をする子の発達の問題に、環境ゆえに気づけないのです。その気づけなさは、親にも発達障害の問題が感じられるからでもあります。子どもをあやすことを知らないのです。そうした互いに「わからない」状態は、育てにくさからくる虐待につながります。そのために地域性を押さえて、親と子への支援の道を探る必要を感じているのです。
39. Posted by toshi   2008年10月07日 00:13
なおみさん、KGさん、柴田勝征さん
 大変コメントが遅くなり、申し訳ありません。また、多くのコメントをお寄せいただき、ただただ感謝しております。
 お三方の議論を脇から拝読させていただいておりました。
 むずかしいなあと思ったり、軽度発達障害の子どものことについても、真剣に考えなければいけないのだなと思ったり、しつけのし過ぎなどの問題も大きいのだなと思ったりしました。

 なお、わたしが記事にした段階では、わたしにしても、報道番組にしても、これが発達障害の問題ととらえていなかったことは確かです(確かだと思います。)番組では、しつけのアンケートなどもやっていましたしね。そして、そういうとらえではいけなかったのかどうか、今になってもよく分からないことも確かです。

 ただ、子どもを取り巻く社会が大きく変わっていることも理解できます。これについては、二極分化、そして受験の問題などもからむと思いました。社会の矛盾、課題が、そのまま、子育てにも影響しているという思いもしました。受難の時代ですね。

 その一方では、それほどのことでもないのでは。という思いもしています。

 よくまとまらないのですが、近い将来、再度記事にさせていただけたらと思っています。
 その折はまた、よろしくお願いします。
40. Posted by toshi   2008年10月07日 00:35
totoroさん
 生々しい様子、及び、経過をお寄せいただき、ありがとうございました。おかげでよく理解することができました。
 ただ、人間社会全体の問題でしょうから、いろいろな方がいらっしゃることは、保護者だけでなく、教員にもいえることなのだという理解が必要だろうと思いました。
 議論が活発に行われ、よりよい姿を模索し合うことはよいことです。まさに民主主義の実践だと思います。ただその議論の中身には、『人間としてどうか。』と思うようなこともありますね。その部分に対しては、人間的な弱さとして受容しながらも、よい方向性を模索する。そのような努力が必要ですね。そして、学校の見せた姿勢のように、『どうしても無理なら、なしにしてけっこうですよ。』という態度も大事だろうと思いました。
 totoroさんにお寄せいただいた議論の経過からは、よりよい方向を模索する姿も感じ取ることができました。いい結論に落ち着いたのではないでしょうか。

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