2008年10月03日

正直に言ったら、すっきりしたよ。(道徳の授業)4

53d908b0.JPG 楽しい授業だった。3年生の道徳。初任者指導の一環として、わたしが初任者のクラスで行った授業である。

 ここのところ、初任者である担任の努力により、このクラスは、雰囲気が落ち着きつつある。学級内にときにみられたとげとげしさが薄れ、多くの子の表情が柔和になってきた。

 いきなり話がそれてしまうので恐縮してしまうが、最近、驚いたことがある。以前、『このクラスの学力は低いと思う。』などと、子どもに大変失礼なことを書いたが・・・、算数の割り算だ。
 よく理解するようになった。一生懸命解いているさいちゅうのみんなのノートを見て、その顕著な変化に感動すら覚えた。

 特筆すべきは、何のちゅうちょもなく、きわめて自然に、絵や図を書いて解こうとする子が何人もいたことである。わたしは、週2日だけこのクラスに入るわけだが、『日ごろの指導の成果だ。』と、初任者を絶賛した。


 さあ。それでは、道徳の授業に戻ろう。今日はかなり長くなってしまうが、お付き合いいただけたら幸いである。

 指導内容は、『正直・誠実、明朗』となっている。教材名は、『電車ちん』。

 今、出版社の許可をいただいたので、その全文を採録させていただく。(教育出版株式会社刊『心つないで』3年)



    電車ちん


 まさおは、お父さんとお母さんにすすめられて、水えい教室に通うことにしました。水えい教室は、まさおの家から少し遠いところにあるので、えきまでは自てん車をつかい、えきからは電車で行きます。
 毎週、水曜日と土曜日、まさおは、休まずに通いつづけました。まさおの水えいは、目にみえてうまくなりました。
 ある日、まさおは、ふと、あることを思いつきました。それは、少しつかれるけど、電車にのらないで自てん車で通えば、行き帰りの電車ちんがもうかるではないか、ということでした。
 まさおは、さっそくじっ行してみました。かた道八十円、行き帰りで百六十円のお金で、おかしを買いました。(このことは、お母さんにはないしょにしておこう。)まさおはそう思いました。その時、
「はい、電車ちんの百六十円。交通じこには気をつけなさいよ。」
と言って、おくり出してくれるお母さんの顔が、ちらっと頭にうかびましたが、すぐきえてしまいました。しかし、家に帰ってお母さんの顔を見た時、なぜかむねのおくが、ちくりといたくなりました。まさおはまよいましたが、お母さんには何も言いませんでした。

 こういうことが二回、三回とつづくうちに、まさおはだんだんへい気になってきました。そして、電車で通ってきているけんじくんに、百六十円を見せて、とくいがってみせたのです。けんじくんは、はじめびっくりしたような顔をして、まさおの話を聞いていましたが、
「よし、ぼくもやろう。今ど、一しょにおかしを買おうね。」
と、うれしそうに帰っていきました。まさおは、けんじくんの後ろすがたを見ているうちに、きゅうに、(ぼくは、大へんなことをしてしまったのではないか。)と思いました。


 教材文は以上である。

 わたしは、このお話を読み、指導内容は、『正直』にしぼろうと決めた。
 その理由は、
・3年生の子どもに、『誠実』は抽象度が高いと思ったし、
・『明朗』については、このお話の主人公は、『よくないことをして反省した。』のだ。どちらかと言えば、明るい話ではないし、まず、子どもからは出てこないだろうと思った。
・『正直』なら、このクラスの子どもたちが正直にふるまう姿は、何回かみてきたので、それらをとり上げて称賛しながら、『正直』にかかわる道徳的心情をさらに養うことができる。
 そう考えたからである。

 そこで、冒頭、
「これまで、『正直に言えてよかったよ。』とか、『正直に言えなくて反省したよ。』とかいうことがありましたか。」
と問いかけた。この段階では、まだ教材文は提示しない。

 しばらくの沈黙のあと、Aちゃんがつぶやく。独り言のような感じだったが、声は大きかった。
「いつも正直に言っているものなあ。」 
予想もしていなかったつぶやきだ。わたしは驚いたが思わずニヤッとしてしまった。
「そうか。Aちゃんは、いつも正直なのだ。・・・。分かった。いつもだから、特別、『よかったよ。』なんて思ったことはないっていうことかな。」
 やはり、ニコニコッとしながら、うなづく。
「だって、お母さんは、正直に言えば、いつも、『いいよ。』って言ってくれるもん。」
 やさしいお母さんだね。

 そうしたら、Bちゃんが挙手。
「ぼくは、ときどき、正直に言わないこともある。『友達にぶたれた。』とか、『悪いことを言われた。』なんていうことは、お母さんに言わないこともある。」

 これは少し、『正直とは、ずれるな。』と思った。『正直』というのは、『自分がいけないことをしたときでも、それを正直に言うことができる。』という感じだからだ。Bちゃんの場合は、友達へのやさしさとか、『親に心配をかけたくない。』というか、そういう気持ちのようだから、『思いやり』という感じだ。
 それで、軽い調子で、
「どうしてお母さんに言わないのか、それも言うことができるかな。」
と問いかけた。が、ちょっとこまったような表情を浮かべ、言えないようだった。そこで、無理じいはやめることにした。

 「それではね。今日とり上げるお話をわたしが読みます。このお話の主人公は、まさおといいます。
 さあ、まさおは、正直に言うことができたので『よかったよ。』って思ったかな。それとも、正直に言えなくて反省したかな。そんなことを考えながら、聞いてください。」

 そうして、全文、読む。子どもたちは全員、この副読本を手にしている。

 読み終えて、先ほどと同じ発問をする。そうしたら、『正直』とか、『反省』とかにふれる子はいなくて、もう、『まさおはいけない。悪い。』という意見に集中した。子ども主体の学習、子どもの思いによって進める学習だから、これはこれでいい。子どもたちの意見を聞くことにした。
「まさおはいけないよ。勝手にお菓子に使っちゃったのに、お母さんに黙っているから。」
「お金を違うことにつかっている。お母さんは電車賃と言ってわたしたのだから、お菓子に使ってはダメ。だから、悪い。」

 ここで、『無駄づかいだよ。』と、声がかかる。
「友達に見せびらかしているのもいけない。悪いことに誘っている。」
「水泳におかしをもっていっちゃあ、だめ。」

 子ども主体の学習におけるむずかしさの一つに、学習内容の拡散がある。上記発言においても、最初こそ、『正直』にかかわるが、あとは、『誠実』、『公徳心』にかかわる発言だ。こういうとき、無原則に子どもの発言に流されると、何が指導内容かがあいまいになっていく。

 そのようなことを意識しながらも、『まさおはいけない。』一辺倒だったから、わたしから揺さぶりをかける。
「そんなにまさおはいけないかい。お金の使い方をちょっと変えて、それを言わなかっただけではないかな。別に人のお金を取ったわけではないし、まさおはその分、自転車で水泳教室まで行って、がんばったわけだし。」

「それはいけないよ。だって、お母さんは、電車賃と言ってお金を渡しているじゃん。だったら、ちゃんと電車に乗っていかなければダメだよ。」
「でも、まさおはがんばってるよ。全部自転車で行ったら汗だくになっちゃうしつかれちゃうから、そんなに悪くない。」
 ここでおもしろかったのは、Aちゃん。
「ちゃんとお母さんに言えばいいのだよ。『電車に乗らないで、全部自転車で行くから、電車賃でお菓子を買ってもいいですか。』って聞けば、お母さんは、『いい。』って言ってくれるかもしれないよ。」
 Aちゃんのお母さんは、ほんとうにやさしいのだね。きっと、何を言っても、正直に言えば、叱らないのだろう。そう思われた。

 そうしたら、反対論が相次ぐ。
「いいなんて言わないよ。だって、お母さんは、交通事故が心配なのでしょう。『交通事故に気をつけなさいよ。』って言ってわたしているのだから、全部自転車で行って、もし交通事故にあったら大変だもの。」
「そう。やっぱりお母さんに言わないで、もし、車にひかれちゃったら、お母さんは悲しいし、やっぱり言わなくてはダメだよ。」
「正直に言っても、お母さんは、お菓子代にしていいとは言わないと思うけれど、でも、やっぱり言わなくてはダメ。」

 わたしは、言う。
「そうか。やっぱりちゃんと、お母さんに言って、お母さんは、『いいよ。』とは言わないかもしれないけれど、でも、(板書冒頭の『正直に言ってよかったよ。』の部分を指しながら、)正直に言えば、よかったよっていう気持ちになるのかな。」
 正直という価値に焦点を当てようとするが・・・、なかなか思うようにはいかない。

 Cちゃんである。
「全部自転車で行って、電車に乗らないのなら、お母さんにそう言って、お金を返さなければいけない。」
 Cちゃんのおうちは、お寺である。さすが、『正義感が強い。』と思われた。Aちゃんの、『やさしいお母さん』もそうだが、やはり、家庭環境は、発言内容に強く反映される。

 ここで、Dちゃんの発言となる。
「まさおはうちに帰って、お母さんの顔を見たとき、胸の奥がちくりと痛くなったでしょう。だから、まさおだって、『いけないこと』って、分かっている。」
「『大変なことをしてしまった』と思ったとも書いてあるよ。だから、やっぱりダメだよ。」
「ここはね。友達のけんじくんをさそっているでしょう。だから、もっといけない。だって、けんじくんまで交通事故にあったら、お母さんは謝らなければいけないもん。」 
「自分一人だけじゃなくなった。いけないことにさそっているから、もっといけないことになっちゃった。」
「そう。お母さんに悪いよ。」

 ちょっと蛇足だが、子どもたちはよくお話を読み取るようになった。4月のころは、教科書すら開かなかった子が多かった。読んでも、誤読が多かった子どもたちだ。この点でも、すばらしい変容に、感動してしまう。もっとも、ほんとうなら、このくらいの読み取りはできて当たり前なのだが。

 そう思っていたら、意味不明の発言あり。
「外でさそったから、ダメ。」
 『外』ってどういうことだろう。ちょっとわたし、首をかしげた。いろいろ聞いて分かったことは、ようするに、お母さんのいないところで、子ども同士で、こういうことをしてはいけないということなのであった。また、『秘密にしたのもダメ。』という意味もあった。了解。

 また、まさおは最後、『大変なことをしてしまったのではないか。』と思って、反省したからよかったという意見と、反省してももうさそってしまったのだから、遅いという意見とがあった。


 そうしたら、Eちゃんである。
「わたしも、いけないことをしてしまったことがあるけれどね。それで、お母さんに言うと怒られて、言って損したと思うけれどね。でも、あとで許してくれるから、やっぱり正直に言った方がいいと思う。」
「そうか。損しても言った方がいいか。」
「うん。大変なことになるよりはいい。」
「なるほどな。」
 これはすばらしい発言だ。教材文のまさおのことから、自分自身の生活に思いをはせるようになった。そう。国語の読解ではないのだから、自分自身に投影させることはいいことだ。

 それに、もう一つ。やっと、正直の価値を深める段階にきた。

 そうしたら、Bちゃんが挙手。Bちゃんは、お話のことで話し合っているときは、まったく挙手しなかった。冒頭の発言といい、自分ごとに敏感に反応する。
「ぼくはね。お母さんに正直に言うと、怒られるの。このまえも、〜って言ったら、『またやったら、もう外で遊ばせないよ。』なんて言われちゃった。でもね。・・・。でもね。・・・。」
口ごもってしまったBちゃん。必死の形相になる。そこで、わたし、
「うん。いいよ。無理に発言しなくても。だって、言いにくいことだものな。」

でも、Bちゃんは決心したように続けた。
「でもね。やっぱり、お母さんには言ったほうがいい。」
その様子に感動したわたし。
「うわあ。すごいよ。言いにくいことなのに言ってくれた。・・・。そうか。Eちゃんが言ったように、損することもあるけれど、でも、言った方がいいか。」
「うん。正直に言えば、すっきりする。」
 わたしは、更なる感動につつまれ、絶句した。

 感動の理由は、もう一つあるのだけれど、それは後述する。

 わたしは、無言でBちゃんを見ながら、何度もうなづいたあと、『すっきり』と板書し、色チョークで何重にもその文字を囲った。


 実は、この、Bちゃん。7月だったかな。正直な言動をみせたことがあるのだ。

 友達とトラブルを起こした。大きな声で言い合いをした。初任者の担任が、事情を聞くと、一瞬言いよどんだが、決断するように、
「うん。初めはぼくの方がいけなかった。ぼくの方が、悪いことを言った。」
 だから、Bちゃんの『正直』は、筋金入りなのだ。『すっきり』にそのことを思い出した。


 さて、この記事は、まだまだ続くが、授業は終末に近づいた。

 授業の最後は、『指導者の話』を聞く活動が望ましいとされる。わたしもそれに賛成である。
 ただし、その話とは、
・日ごろの子どもたちの道徳的な実践から拾うこと。
・それが見られない場合は、指導者の子どものときの話でもいいこと。
・まずいのは教訓をたれること。ましてお説教などはとんでもない。

 授業は、ほのぼのとした感じをもって終わりたい。子どもたちが明るい気持ちで、『これからがんばろう。』という気持ちを抱くことができるようにしたい。

 だから、前日までは、この授業の終末は、7月に、正直にふるまったBちゃんのことを話そうと決めていた。しかし、授業当日を迎え、その思いは変えることにした。

 それは、この日の朝、教室で、ハプニングが起きたからである。『正直』にかかわるハプニングだった。

 それに、この授業のさいちゅうに思ったことだが、Bちゃんの『正直』は、もう授業のなかで、十分とり上げることができた。さらに、重ねることもなかろう。

 さあ。どのようなハプニングだったか。それは、子どもへの話を通して、ご理解いただこう。


 わたしは切り出した。
「けさ、Fちゃんが、(いじけて)先生の机の下にもぐって出てこなくなっちゃったね。それで、そのわけが、みんなも、(担任の)G先生も分からなかったから、こまっちゃったのだよね。わたしももちろん分からなかった。
 それで、10分くらいたってからだったけれど、わたしとFちゃんが廊下へ出て、そして、しばらくしてから、教室へ戻ったでしょう。」

 そのとき、聞いてもいないのに、Hちゃんが挙手。わたしの話のさいちゅうだったが、Hちゃんを指名することにした。
「Fちゃんは、教室へ戻ってきたとき、まだ泣いていたけれどね。でも、なんか、すごくうれしそうだった。」
「そうか。よかった。うれしそうだったか。・・・。実はね。Fちゃんとわたしとで、みんなに話していいことと話してはいけないことと約束したことがあるから、話していいことだけ話すのだけれどね。
 だって、Fちゃんは自分の損することを、自分から正直に言ってくれたのだもの。わたしも約束は守らないとな。

 それで、言っていいこと一つ目は、
 Fちゃんが机にもぐってしまったわけなのだけれど、友達のみんなには関係のないことだった。これはね。みんなが『何でもぐっちゃったのだろう。』って心配しているはずだから、みんなのためにも言ったほうがいいっていうことで、Fちゃんも許してくれた。
それはFちゃん自身のことだった。自分で自分に腹がたったっていうことだった。その中身は、Fちゃんとの約束があるから言わないけれどね。
 みんなそれで納得してくれるよね。Fちゃんは自分の損することを、正直にわたしに話してくれたのだから、いいでしょう。それで。」
 みんな、うれしそうに首を縦にふってくれた。

「次、言っていいことの二つ目は、
 正直にみんな話したら、気持ちがすっきりしたのだって。
 ほら。さっき、授業のなかで、Bちゃんが、『怒られたっていい。正直に言えば、すっきりする。』って言ってたよね。(板書の『すっきり』を指しながら、)実は同じことをFちゃんも言っていたのだ。だから、わたしはすごいなあと思った。

 さあ。道徳の授業はこれで終わりね。

 でも、わたしがみんなに言いたいことはまだある。道徳の授業ではないけれど、聞いてね。

 それは、Fちゃんが正直に何でも言えたわけなのだけれど、3つある。

 一つ目はね。
 クラスのみんながやさしかったことだ。
「よく、『何、そんなところへもぐっているのだよ。早く席に座れよ。』などと怒るように言うことがある。〜。」

 『実は、みんなだって、6月くらいまではそうだった。』と言いたいが、それはあえて言わない。

「でも、そのようなことがあると、Fちゃんはますます席につけなくなっちゃうでしょう。だから、そういう子がいなかったことがよかった。みんな、気づかないふりをしてあげていたよね。

 二つ目はね。
 そうは言っても、あまりにも気づかないふりをし過ぎて、無視するようになってもいけないよね。みんなは、無視もしなかったよ。
 ちょうど、1時間目が始まるまえだったけれど、お友達が5人くらいFちゃんのところへ行って、『大丈夫。』『どうしたの。』『席に着くことができるの。』などと言って、やさしく声をかけていたよね。あれも、Fちゃんはうれしかったに違いない。
 騒ぐように、『どうした。どうした。』っていうのもいけないし、無視するのもいけない。みんなのFちゃんへの態度はちょうどよかったのではないかな。それは、やさしさがあったからだと思う。

 三つ目はね。
 わたしが、『だれか、Fちゃんが机にもぐっているわけ、知っている子、いるかな。』って聞いたとき、Hちゃんが、『違うかもしれないけれど、〜かもしれない。』って言ってきてくれたよね。
 これは違ったのだったね。Fちゃんは、『違う。そうじゃない。』って言いたそうで、首を振っていたものね。でも、違っちゃったからムダだったとは思わない。
 違っちゃったけれどね。『Hちゃんが、こんなにもFちゃんのことを心配している。気にかけてくれている。』その気持ちは、十分Fちゃんに伝わったと思うよ。だから、とてもよかった。

 その3つが重なって、Fちゃんは、何もかも言おうと思ってくれた。わたしはね。そう思うのだよ。だから、このクラスはとってもいいクラスだ。みんな仲良し。そう思うよ。」

 これで、授業は終わりにした。

 本授業では、半分以上の子が発言。初任者であるGさんはびっくりしていた。でも、それは、やはり、初任者の学級づくりがすばらしいから。
「この学級の土壌は、Gさんがつくっているものだ。わたしはそこにタネをまいたに過ぎない。」


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 Fちゃんの『自分がいけなかった。』という話。現在という時代が、子どもにとって生きにくい時代になっていることを、またまた感じてしまいました。
 それが何かということは、ごめんなさい。ここでも、Fちゃんとの約束がありますので、秘密にさせてくださいね。
 担任のGさんには、もちろん話しましたけれど。

 ああ。これも、Fちゃんの了解はとってありますよ。
  

rve83253 at 12:13│Comments(2)TrackBack(0)道徳指導 | 子ども

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この記事へのコメント

1. Posted by フルタ   2008年10月06日 23:44
小学2年生の時の出来事を思い出してしまいました。
自分が正直に言ったというのではなく、他の親から母にバレてしまったことです。
バレるまで、ずっとドキドキしていました。
私の母は仕事をしており、平日家にいなかったのですが、友達を泣かしたために、
その子の母親が私を叱りに家に来ました。なぜか、道端で叱られたので、
近所の人が見ていて母に話したのでしょうね。
母は、叱るどころか、近所の方の話と私の説明から判断して
「(大人に叱られたのに、泣かずに)よくがんばったね。」と褒めてくれましたが、
安心して一挙に涙が出てきました。
以来、ドキドキが続きそうなことは、正直に親に話すようになったと思います。
2. Posted by toshi   2008年10月07日 00:52
フルタさん
 つらかった体験を、ありがとうございました。
 お母様の、そのときのフルタさんへの接し方がまた、すばらしかったですね。わたしが想像するのに、『もう十分つらい思いをしたのだから、親まで叱ったら、〜。』と思われたのでしょう。
 そして、フルタさんとすれば、『正直になることは、気持ちが楽になる。』ということを学ばれたのだと、まことに失礼ながら、そのようなことを思いました。記事中の『すっきり』にもつながりますね。
 初任者の学級の子どもたちにも話して聞かせたい内容のコメントでした。ありがとうございます。

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