2008年10月06日

toshiの家庭学習(宿題)論(2)4

5319995d.JPG 先に、ある保護者の方からいただいたメールをもとに、toshiの家庭学習(宿題)論(1)なる記事を書かせていただいた。

 『子どもが自主的、主体的に取り組む授業の創造を標榜するわたしが、宿題をだすのは、いささか矛盾ある態度だったのではなかろうか。』と書かせていただいたところ、なおみさんとフルタさんから、以下のようなコメントをいただいた。


 なおみさんは、
『toshi先生が矛盾とおっしゃることは、実はバランスなのかな?とも思えます。』
という、あたたかなコメントをいただいた。ありがたい思いでいっぱいになった。

 そうか。バランスをとったということか。そうだったのかもしれないな。

 コメントをいただいて、すぐその気になってしまうのも変だが、そんな思いももった。


 フルタさんからは、
 『「大河ドラマ型」授業の場合、子どもは自発的に調べたりするのは分かります。〜。でも、漢字などは、どうなのでしょうか?宿題にならない限り、本人も積極的に書き取りの練習はしないので、必要なのかなぁとも思うのですが。〜。』

 そう。一般的にそう信じられていることも確かだよね。


 そこで、本記事では、以上、いただいたコメントをふまえ、

・いわゆる『基礎・基本』。それにかかわる部分の定着をどう図ったか。
・双方のバランスを、どうとっていったか。

 それは、強制色を薄める努力でもあったわけだが、そういった点を述べてみたいと思う。



 保護者の方の、宿題によせる思いは、

・家庭学習が習慣化するようにしたい。
・最低限、いわゆる『基礎・基本』にかかわる知識・技能は身につけてほしい。
ということだと思う。

 若かったころは、学級懇談会でもよく話題になった。

 そうしたなかで、保護者の要望をふまえ、わたしの思いも生かす方向で創意工夫を重ねた結果、30代後半からは、次のようなことを心がけるようになった。


 宿題は出す。しかし、それを強制はしない。したがって、やってこなかったからといって、叱るようなことはしない。

 宿題は、『家で何をやったらいいか分からない。』とか、『やることがない。』とかいう子のためのものであって、自分でやりたいことがある場合は、そちらを優先させてかまわない。
 前記事に書かせていただいたような、自主的、主体的な学習をしようとしている場合は、それをすることでよしとした。


 余談になるが、『塾の勉強をがんばった。』でも、よかったのである。また、保護者の方が、〜の学習をさせたいと思う場合は、お子さんと相談の上ではあるが、そちらを優先させてもよかったのである。

 要は、家庭における学習習慣の確立だ。

 そういう判断だった。

 
 
 次、いわゆる『基礎・基本』の定着にかかわる部分だが、

 ドリルのたぐいを宿題とすることも、もちろんあった。


 その場合は、30分真剣に取り組めば、そこで終わりにしてよいことにした。

 フルタさんが、『宿題で漢字をいっぱい書いたから、その読み書きが適切に修得できているわけでもないことも知っています。』と書かれているが、もう、まさにその通り。

 ただノルマをこなすだけの学習では、意味がない。集中することこそ、大切と考えた。


 答え合わせも基本的には自分でやる。定着したか、まだ知識、技能が不足しているか。それを自分で判断することも、立派な学習内容である。

 もちろん保護者の方がやってくださってもかまわない。お説教はダメだが、自分の学力の実態を把握できるように親子で話し合ってくれることは大変望ましいことだ。


 これも余談だが、

 学校と家庭で、正解が異なることもありうる。それは、子どもに、多様性を理解させることに役立った。担任としても、あらためて、正解をよく吟味する姿勢につながった。
 許容範囲の問題である場合もある。
 また、保護者の正解が誤答である場合もある。


 次のようなやり取りをすることもあった。

「〜なんて、親のわたしも知りませんでした。勉強になりました。」

「〜が正解としたら、子どもから、『それは違うよ。学校では、〜と習った。』などと言われてしまいました。わたしの言ったことは、違っていたのでしょうか。」

 もちろん、保護者の言うことが違っていても、子どもの前では悪く言わない。

『こういう見方をすれば、確かにこうなったのだよね。』とか、
『おうちの方が子どもだったころは、確かにこれでよかったのだ。』とか言うようにした。



 もちろん、前述のように、ドリルの宿題を出したからといって、それを必ずやらなければいけないということはない。

 それで、基礎・基本の定着は図れるのかと、質問を受けそうだ。


 しかし、そこは子どもを信頼する。

 授業で自主的、主体的な学習態度を養われつつある子どもたちだ。『自分の得意とするところ、弱点となるところは、自分で把握できるようになる。』それも日ごろから、学び方の基礎・基本として、大切にしているところだ。

 だから、常に、自分はどのような学習をしたらよいかは、自分で考えることができるようにしている。


 具体的には、

 『学び方』にかかわる部分での子どもの成長を実感できた場合は、学級全員に、その子の努力や、創意工夫などを紹介したり、ほめたりする。

 保護者がそれを、連絡帳などで教えてくれる場合もある。それも、学級全員に紹介したり、ほめたりする。

 そのようにして、ドリルによる学びが必要とされる場合は、自らそれを選択する資質を養うようにした。


 まあ、そうは言っても、ザックバランに本音の部分で言ってしまえば、

 子どもによっては、また、子どもの精神状態によっては、『いろいろ考えるのがわずらわしい。めんどうだ。その点、ドリルは、簡単に取り組めていい。』などというケースも多々あったように思う。

 その場合は、その『人間的弱さ』に共感はしつつも、あまり続くようなら、

 そう。ただノルマのようにこなしているだけか、それとも、真剣に取り組んでいるかは、これは、けっこう分かることもあるから、そういう場合は、刺激を加えるようなこともした。



 さて、話は変わるが、

 子どもにとって、宿題は、自ら学習を創造する上で、そのヒントになることもある。

 だから、できるだけ、出す側であるわたしも、多様性を大事にした。ある子が工夫した学習を、ヒントとしていただき、宿題にとり入れることもした。


 また、宿題により、家族間のコミュニケーションが活発になることも願った。


 保護者に答え合わせをしていただく。
 保護者に、『30分がんばって勉強していました。』などと連絡帳に書いてもらう。
 保護者がいない場合は、それらを、兄弟にやってもらうのでもかまわない。もちろん自己申告でもかまわない。

 
 たとえば、

 『家族の前で、〜の歌を歌い、感想を書いてもらうこと。』などという宿題を出すこともあった。

 家族のコミュニケーションがよく分かる記述が多く、ほほえましい思いになることもあった。これらも、学級全員の前で紹介するように努めた。


 以上、ご理解いただけたと思うが、

 保護者の方々のご理解、ご協力をいただくことが大切だ。

 だって、当然だよね。家庭での学習のことなのだもの。ただ、『やった。やらなかった。』だけではなく、学習に取り組む様子なども知らせてもらうことによって、その定着が図れるのではないか。

 逆に、学級で、子どもをほめたようなことについては、できるだけ学級だよりなどで、お知らせするように努めた。



 以上、わたしは、宿題においても、可能な限り強制色を薄め、家庭学習の充実に向かうように努めた。

 それが、なおみさんのおっしゃる、バランスだったのかもしれない。

 また、フルタさんのおっしゃる、弱点を克服する学びではなかったか。

 

 『自ら挑戦する学びほど、強いものはない。』という信念でもあった。


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 考えてみれば、わたしは、宿題の出し方などを、初任者にはほとんど話していないのですね。

 わたしが思う内容は、授業のあり方に深くかかわりますから、授業をよくすることがまずは大切です。

 その上で、宿題の出し方が決まっていくわけですから、これは、授業改善の営みとともに、初任者が自分で考え、工夫して、取り組むべきことという思いです。

rve83253 at 06:21│Comments(5)TrackBack(0)指導観 | 学級経営

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この記事へのコメント

1. Posted by フルタ   2008年10月06日 23:18
<<『学び方』にかかわる部分での子どもの成長を実感できた場合は、学級全員に、その子の努力や、創意工夫などを紹介したり、ほめたりする。>>
小学生にとっては、刺激になるでしょうね。
それにしても、toshi先生は、子ども達に期待するレベルが高い。
ここまで、期待かつ信頼されちゃうと、子ども達も「応えねば!」なんて
気持ちになるかもしれません。
もちろん、強制的って感じではなく、自発的に。
ずっと、通して読んで、toshi先生の家庭学習(宿題)に対する
考えを理解でき、私も宿題に対する考えを改めねばと思いました。
ただ、さまざまな事情で、うちだって年に数週間の単位で何度かあることですが、子どもに時間や気持ちを裂くことができないことがあります。
宿題を通して、子どもの様子を見守って欲しいなぁとも、無責任なことかもしれませんが、先生方に期待する自分もいます。
ごめんなさい。
2. Posted by toshi   2008年10月07日 00:44
フルタさん
《私も宿題に対する考えを改めねばと思いました。》
 そのようにおっしゃっていただき、大変恐縮しております。保護者の立場からすれば、担任の態度も大きいでしょうから、むずかしい場合もおきそうです。強制色が強い場合は、保護者として辟易する場合もあるようですね。
 一方、わたしの立場、実践からすれば、保護者が無理されているケース、逆に、無理解で子どもがかわいそうなケースなどもありました。無理されている場合には、『力を抜いて、できる範囲でけっこうですから。』と、お願いしたこともありました。
 子どもがかわいそうなケースでは、わたしが保護者の役割を担うこともありました。この場合は、せまく考えれば、家庭学習とはならないですけれどね。
 すべて万々歳とはいかなかった。そのことはお伝えしないといけなかったですね。すみませんでした。

 
3. Posted by フルタ   2008年10月07日 01:18
<<宿題を通して、子どもの様子を見守って欲しいなぁとも、無責任なことかもしれませんが、先生方に期待する自分もいます。>>
なんて、書きましたが、先生がおっしゃるとおり、やはり宿題は家庭学習ですし、子どもの様子が普段と異なる場合、宿題でなくても学校生活から、先生方はお分かりになるのでしょうね。
ただ、余計なお世話かもしれませんが、長女の友人の顔が浮かびます。長女から聞くその子はとても優れた能力を備えています。小学生の中学年くらいまでは、勉強面でも優れていました。今も、彼女なりに勉強のことは気にしています。ただ、先生方が家庭に代わって、特別にその子に何かしてあげられなかったのかと、面白くない反復練習のような宿題でもあれば変わっていたのではないかと、そんな気もするので、宿題にはこだわってしまいます。
4. Posted by フルタ   2008年10月07日 01:28
すみません。toshi先生が返信してくださっているのに気づかずに、3.のコメントを入力しました。
<<子どもがかわいそうなケースでは、わたしが保護者の役割を担うこともありました。この場合は、せまく考えれば、家庭学習とはならないですけれどね。>>
と先生が書いてくださったのは、3.に書いた内容と関係しているように思います。各家庭の様子を見て、いろいろな対処があって良いと思うのですが、子どもの通う学校では、"公平"という言葉の下に、一様な対処しかできない場合がたくさんあるように感じています。
そして、いろいろな対処により、我が子のいるクラス全体の雰囲気がよくなり、子どもも楽しく過ごせると思っています。
5. Posted by toshi   2008年10月07日 06:23
フルタさん
《各家庭の様子を見て、いろいろな対処があって良いと思うのですが、子どもの通う学校では、"公平"という言葉の下に、一様な対処しかできない場合がたくさんあるように感じています。》
 分かります。自分も若いときはそうでしたから。
 でも、これ、量をそろえることは、公平ではないことにすぐ気づきました。同じ量が、早い子は、15分程度。遅い子は、1時間半などということになりがちだったからです。それで、『30分真剣に取り組めば、そこで終わりにしてよい。』としました。
 これの弱点は、担任がその実態を把握できないということにあるでしょう。多くは不信感を持っていますからね。また、保護者も不安になるでしょう。こんな宿題の出し方でいいのか。そう思うのではないでしょうか。

 保護者、子ども、担任との間の信頼関係が大きいと思いました。

 『わたしが保護者の代わりを務める。』にしても、『おうちでもがんばってごらん。』『おうちでここまでできるかな。』などと言うと、けっこうどの子もがんばったものですよ。すると、翌日は、『すごいね。〜ちゃんは、おうちで一人ぼっちだったのだけれど、でも、宿題をちゃんとやってきた。だからね。わたしが〇付けしてやる。』などと言ってやったこともありました。

 また、『家庭の教育力を信頼する。』ということですが、家庭の教育方針を宿題が邪魔してはならないと思いました。逆に、こういうシステムをとり入れ、学級だよりなどでPRすることによって、家庭の教育力が充実していくということもありました。

 公平の見方については、過去に記事にしたことがあります。フルタさんにはすでにお読みいただいていると思いますが、多くの読者のお読みいただきたく、上記HNにその記事をリンクさせていただきました。よろしくお願いします。
 

 

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