2008年10月10日

幼稚園の教育が危ない!?3

59ee7084.JPG 我が地域には、幼稚園、保育園、小学校間の連携や、研究を行う組織があり、わたしも現職当時、運営等の役目を担わせていただくことがあった。

 そこでの活動を通し、異校種の方々とふれ合う機会を得たことは、相互理解、親睦を深めることができるなど、実に有益だった。そして、理解が進むなかで、
『ああ。すばらしい教育方針、実践をつんでいる幼稚園があるものだなあ。』と、よく感動したものだった。


 園長さんの、次のような話は、今も鮮明に覚えている。

〇園内では、はだしの教育を推し進めている。また、園の裏山は、雄大な野山になっていて、落ち葉はふかふかのじゅうたんのようだし、倒木や程よい斜面のがけなどは、子どもたちの、格好の遊び場になっていて、そこでは自由に遊ばせている。野性味豊かな子どもが育っている。
 そういう活動を通し、探究心、協調心、体力などが、自然に育まれているように思う。
(『自由、自然に』と言っても、それは放任の自由ではない。くわしくは、リンク先コメントの7番後半部、及び、11番を参照していただけたら幸いである。〜このかっこ内記事は、10日午前7時に追加した書き込みです。)

〇『幼保小』の連携が強調されているが、『幼保中』も大切なのではなかろうか。中学校の技術・家庭には、『保育』という学習内容がある。そこで、我が幼稚園にも、中学生が毎年実習にやってくる。
 そのなかには、一見して問題的行動が多いと思われる中学生もいるのだが、園児はそのようなことはお構いなし。きわめて自然に、『お姉ちゃん。遊ぼうよ。』と寄っていく。園児の前では、そうした中学生も、とてもいい表情になる。園児に引っ張られるようにして、遊びの輪に入っていく。
 純真な心を取り戻すようだ。

〇うちの園は、園バスを持たないのを伝統としている。歩いて通える子しか募集していない。
 また、よその園の話を聞くと、保護者が、いろいろ要望をだしてくる例もあるようだが、我が園は、園の指導方針を理解してくれる方だけしか入ってこないので、そのようなことはない。そして、そういう方々からは強い信頼を得ている。



〇もう10年近く前のことだが、近隣校の校長から、以下のような話も聞いた。話題になった幼稚園は、わたしの勤務校のそばにあった。


 その近隣校の正門そばには、ファミリーレストランがあった。

 毎年の小学校の運動会。

 昼食は校庭や開放された体育館で、家族そろってとっていただくことになっている。ところが、数年前から、数家族ではあるが、そのファミリーレストランで昼食をとる方が現れた。それは年々増えていく傾向にあるという。

 そこの校長は、あぜんとしながらも、手をこまねいていたらしい。相手が子どもならいくらも指導できるけれど、保護者では、いかんともしがたかったのであろう。


 ところが、ある年、

 例の幼稚園の園長先生が、この光景をまのあたりにされたらしい。そして、それをなんと、園だよりの記事にされた。

 そのコピーをわたしも見せてもらったが、今、思い出しながら、その概要を記述してみると、

「〜。かわいいお子さんの運動会である。お昼のお弁当くらい、おうちの人がつくってあげて、家族そろって校庭で楽しく食事をするのが当然ではないか。

 また、校庭で食事はするものの、出前をたのみ、学校まで持ってこさせる人もいるらしい。

 そうした家族のお子さんは、そこから何を学ぶのだろう。〜。』


 わたしは、このような園だよりを書かれる園長先生を尊敬してしまった。


 だって、小学校とは違い、学区制はない。幼稚園でいう経営は、子どもが集まらないことにはどうしようもないのだものね。



 しかし、よくしたもので、そういう幼稚園を信頼し、そういう幼稚園での保育を願い、入園させる親はちゃんといるのだった。

 そうだ。保護者の意識だって多様なのだ。だから、園長先生の毅然たる姿勢に魅力を感じる人だっているのだ。

 そのときは、そう思った。



 余談だが、わたしが、公立学校の学校選択制がスタートしたころ、その制度を好意的にみていたのは、この理由による。


 ところが、保護者の意識は急激に変化しているようだ。まだ、上記事例から、10年くらいしかたっていないのに。



 最近聞いた話、3例である。


〇最初は、我が長女の話。

 長女には、上記事例の、はだしの保育をおし進めている幼稚園にお子さんを通わせている友人がいるらしい。

「最近は、なんか急激に園児が減少しているらしいの。園の経営も苦しくなっているみたい。もう、はだしの保育や裏山での野生的な保育は、敬遠される時代なのかしら。わたしの息子が通う幼稚園も、すごい訓練主義だものね。子どもはちっとも楽しそうじゃないわよ。うちの子は例外で、そういう幼稚園でも、けっこう楽しそうにやっているのだけれど。」


〇次の話は、先輩の退職校長で、今は、ある幼稚園の経営の一翼を担っていらっしゃる方の話。

「いやあ。少子化だろう。幼稚園の経営も大変だよ。

 保護者の要望も、『ええっ。こんなことまで幼稚園はやらなければいけないのか。』と思うようなものがふえている。だが、今の幼稚園は、その要望をかなり受け入れざるを得ないのだよね。」


〇3つ目は、我がブログに寄せられたコメントから。

 ちょっと、これまで述べてきたことと、ニュアンスは異なるが、


 KGさんからいただいた。リンク先のコメント3番の後半である。

『〜。

 最近、知人は自分の教え子(保育士の卵)を実習に各幼稚園・保育所に送り出しているのですが、幼稚園や保育所でも、先生の言う通りに行動する子が「いい子」、先生の号令通りに子供を行動させるのが先生の手腕、という園が多くて嘆いていました。
 言われればやるけれど、言われないとやらない・できない子供を育てているような気がします。』


 もっとも、同氏からいただいたコメントの4番は、わたしの上記記事の10年ほど前を思わせる。それが、むかしということでなく、現在の状況であるなら、わたしも少しホッとするのだが・・・、



 話を戻すが、

 幼稚園や保育園が、訓練主義におちいったり、大人の価値観によりしつけようとし過ぎたりしていて・・・、

 また、保護者のニーズもそこにあるとしたら、これは実に憂慮すべき事態だ。



 この急激な変化は、我が地域だけのことなのだろうか。

 いや。とてもそのようには思えない。全国的にみれば、こうした傾向は、もっと強いのではないかと思う。


 そして、これは、少なからず、小学校にも影響していくであろう。




 先日、次女夫婦の長男が通う幼稚園の運動会があった。

 わたしたちも駆けつけたが、長女夫婦と2人の息子たちも同行したので、園児1人につき、8人が付き添うという、ちょっと気恥ずかしい事態になってしまった。

 園児の演技、競走などに、盛大な拍手が寄せられたし、それはそれ、すばらしいものがあったのだが・・・、


 わたしは、何か、気になるものがあった。

 多くの園児が、・・・、『楽しそうでない。』とは言わない。しかし、それより目につくのは、必死さ、真剣さ、いちずさなど、そうした表情なのだ。



 しかし、長女の思いはまた違う。

「いいなあ。園児たち、自由にのびのびしている感じだった。楽しそうだったし。それにくらべたら、うちの幼稚園なんか・・・。』

続きを書くのはやめよう。もう、先述したしね。



 それにくらべ、我が勤務校の運動会。これも先日行われた。

 後日、わたしの担当する初任者から、次のような話を聞いた。 

「うちのクラスのAちゃんのお母さんから、お手紙をいただきました。

 家族そろって、運動会のビデオを何回も見たのだそうです。

 もう、それを見ながら、家族みんなで、感動のあまり、涙を流してしまったのだそうです。演技のすばらしさもさることながら、子どもたちの表情がすばらしい。

 もう、張り切っている感じ。楽しくて仕方ないという感じが、画面からにじみ出ていたと、そう書いてありました。」

 さもありなん。わたしも、来賓の立場で見させてもらったのだが、とても納得できた。



 なんか、幼稚園と小学校が逆ではないか。そんな思いをもった。


 これが一般的傾向でなければ幸いだが・・・。


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 また余談ですが、

 わたしは、今、公立学校の学校選択制に対しては、批判的な見方をするようになりました。それは、本記事に書いたようなことが理由の一つになっています。

 その一方では、たとえ、少子化でも、また、自由選択制でも、上記記事の園だよりのような幼稚園や、のびのび自由保育の幼稚園に、園児が殺到するという、そういう日本でありますようにと、そんな、祈りにも似た思いをもっています。 

rve83253 at 00:01│Comments(7)TrackBack(0)幼稚園・保育園・学校の連携 | 保護者

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この記事へのコメント

1. Posted by 亀@渋研X   2008年10月10日 02:48
こんばんは。またご無沙汰してしまいました。
本日の記事を拝読して、さまざまな過去のことを思い出しました。

「幼保小」だけでなく「幼保中」も重要とのお話、同感です。職業体験などでそうした体験をする中学生は増えていますが、中学教員の生徒理解は、幼小の教員の理解に遠く及ばないのではないかと危惧しています。

保護者も多様です。同じ例を見て感動する人も嘆く人もいます。程度の問題も、質の問題もあります。ぼくは近隣でいちばん人気の「訓練型幼稚園」の園児獲得用のデモンストレーションを見たとき、ぞっとしました。その「美しい整列」「命令一下で行動する園児」の姿を、すさまじい欺瞞だと感じたのです。結果として「小動物の放し飼い」のように園児を扱う園を選びました。しかし、真逆の保護者もいます。もっている児童像が異なるのでしょう。

小1プロブレムにおいて、「幼稚園でできていたはずの団体行動ができない」という事例をよく見受けるように思っています。訓練型の幼稚園出身者に逸脱行動をとる児童が多いという「偏見」を、持つようになってしまいました。

波風が立たないことをよしとするためか、保護者の多くに「即座にできる(ように見える)こと」を重視して、「徐々にできるようになっていくこと(克服の過程)」「できるようになろうとすること(意欲)」や「身に付くこと(定着)」を軽視する例が増えている印象があります。性急に求めすぎるとのかもしれません。教員にもあるのかも、幼稚園以前から始まっているのかもとも思います。

「大人に従うのがよい子か」「ルールに従ってさえいればよいか」という問いは、逸脱経験のない大人には、問いの意味さえも理解しにくいことも痛感しています(高1の長女が逸脱行動まっ盛り。ぼくは「この年頃はそんなもん。オレが高校のころは」などと、傷心の家内を逆なでしています)。

まとまりがない羅列ですいません。
2. Posted by KG   2008年10月10日 16:54
私の子供が通っていた幼稚園では年に2回ほど、土曜の夜に在園児(卒園児、入園予定でも可)の父たちと園長が集まって、外部講師も招いて幼稚園のホールで飲み会をする変わった行事があります。

前回招かれた講師は別の保育園の園長(男性)だったのですが、それまで行っていた算数ドリルやひらがなドリル(!)を園長になったのを機に廃止したところ、数年間園児が激減したそうです。

どうも親にとってわかりやすい、目に見えやすい成果を求める親が増えてきていることは間違いないようです。
そして親を消費者ととらえ、消費者のニーズにあった保育を提供する幼稚園・保育園が増えているのも事実でしょう。(教育のサービス化)

その裏側には、園側と保護者側の対話が不足しているような気がします。
また保育方針も抽象的な、ともすれば宣伝文句レベルしか公開していないのではないでしょうか?

3. Posted by KG   2008年10月10日 17:29
(つづき)
対話と保育方針の公開は、園側と保護者がいかにコンセンサスをはかるか?という部分で重要なのではないかと思います。

もちろんそれなりに胸を張れる保育方針である必要はあると思いますけどね。
コンセンサスがないと非常に不自由な保育を強いられます。要は親からのクレームを恐れ、あれダメ・これダメの生活。

自由保育の「自由」とは子供を放任して制約を全く与えないという意味ではなくて、子供がチャレンジする自由、生活を豊かにするために工夫する自由をもっと与えてあげてください、という意味なのではないかと思います。

我が子が通っていた幼稚園ではそういう自由と、「豊かな生活」を守っています。
その幼稚園の園庭では夏ミカン、柿、栗、アケビ、カリンが季節ごとに実をつけ、時におやつになったりします。
今時贅沢な幼稚園でしょう。
4. Posted by JPM   2008年10月10日 19:33
toshi 先生の考えに共感できるのは、幼稚園のときから育っていた環境のせいかなと思いました。
私も、通園は1キロ以上を徒歩で行き、園内は裸足。小学校の先取り的な学習は全くしていなかった幼稚園ですから、自分の名前をひらがなで書くことすらできませんでした。
でも、就学して困ることはなかったと母は言っていましたし、ひらがな1つ教わるのもうれしかった。
今、2年生を担任していて実感するのは、何も先取りしていない子の方が授業も熱心に聴き、自分が授業を通じてできるようになったという実感をもつから自信を深め、先生を信頼し、さらに熱心に・・・という循環になるんだなぁと。
対して、塾などで生半可知っていると、その逆の循環になりやすくなって、後々大きなマイナスだなぁと。
学習を、その時々の短期的な結果としか見れない人と、人間の成長過程の中に位置づけられる人。違いは、学校を離れてから出てくるのかなぁと思ってますが、どうでしょうね?
5. Posted by toshi   2008年10月11日 09:23
亀@渋研Xさん

 いつもありがとうございます。

《中学教員の生徒理解は、幼小の教員の理解に遠く及ばないのではないかと危惧しています。》
 我が地域においては、中学校教員も、けっこう個に寄り添うようになっていると思います。ただ、職業体験に限らずですが、子どもの意欲をどう喚起しているかとなると、そういう観点での授業の創造は、いまいちという感がぬぐえません。

《保護者も多様です。》
 ほんとうですね。ずっとわたしは、『幼稚園にしろ学校にしろ、すばらしい実践を見せて、保護者の信頼をかち取るようにすれば、保護者は自然に支えてくれる。』と思っていたのですが、どうも最近は、その思いが失せつつあります。よりいっそうの努力を要するということなのか、でも、記事中の、長女の友人が通わせている幼稚園は、ほんとうにすばらしい実践力を見せているのですけれどね。

《訓練型の幼稚園出身者に逸脱行動をとる児童が多いという「偏見」を、持つようになってしまいました。》
 いえ。いえ。それは、偏見ではないでしょう。わたしもそう思っています。
 どうもいただいたコメントを拝見しても、わたしの心配は当たっているようで、これは10年後くらいに、社会問題化しやしないかなと・・・、
 でも、そうならないように、真に子どもを育む教育をPRしていかないとと、切に思います。

 最後にお詫びを一言申し上げます。亀@渋研Xさんからコメントをいただいた後で、わたし、記事を追加しました。最初の〇印のところです。すみません。
6. Posted by toshi   2008年10月11日 09:43
KGさん
《親を消費者ととらえ、消費者のニーズにあった保育を提供する幼稚園・保育園が増えているのも事実でしょう。(教育のサービス化)》
 KGさんのところもそうですか。
 このこと、わたし、書き落としてしまいましたが、記事中の退職校長さんも、まったく同じことを話していました。
 最終的には、保護者の選択によるのでしょうが、ある程度、行き着くところまで行かないと、理解してもらえないのかなと・・・、
 なにしろ、亀@渋研Xさんの言葉を借りれば、『問いの意味さえも理解しにくい。』方もいらっしゃるようですから。

《園側と保護者側の対話が不足しているような気がします。》
 そうですか。それだったら、ちょっと救いがあるかもしれませんね。
 対話はおおいにしなければいけません。園が、サービス産業化するのではなく(通園方法、お弁当など、個々については、そうなるのはやむをえないと思いますが、)、教育方針、目指す子ども像などは、よく話し合って理解を求める努力をしなければなりませんね。
 この点、我が地域においてはどうなのだろうと、あらためて思いました。今度、上記、退職校長さんにうかがってみようと思いました。ありがとうございました。

《今時贅沢な幼稚園でしょう。》
 なるほど。今も、健在なのですね。うれしく拝見しました。今の時代、そういう幼稚園は、保護者との対話だけでなく、世間に向けて、保護者ぐるみで大々的にPRしてほしいですね。
7. Posted by toshi   2008年10月11日 09:55
JPMさん
《学習を、その時々の短期的な結果としか見れない人と、人間の成長過程の中に位置づけられる人。違いは、学校を離れてから出てくるのかなぁと思ってますが、どうでしょうね?》
 いやあ。おっしゃるとおりですが、だんだんその常識が通じない世の中になりつつありますね。

 そうか。JPMさんからヒントをいただきました。

 短期的成果を求める保護者が増えているのなら、わたしたちのような教育観をもつ人間も、その教育観のなかで、ドリルとか訓練などによらない、短期的成果を工夫してあげていくようにすればいいのではないかと。
 
 たとえばですが、記事中の末尾のような、感動体験を保護者にいっぱいしてもらえるようにすること、

 どうでしょう。無理かなあ。感動って、しくんでそうなると決まったものでもないしなあ。

 なお、考えてみます。
 

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