2008年10月16日

昭和は遠くなりにけり3

49e9d1f5.JPG ああ。ショックだった。時代というもので仕方ないのだろうが、残念でたまらない。

 我が家のすぐそばにある銭湯が、お店を閉じた。これで、我が地域から銭湯はまったくなくなってしまった。最盛期は、5・6軒あったのに。


 銭湯には、幼少時の思い出がつまっている。


 戦後の昭和20年代。日本は貧しかった。都会の家など、バラック小屋。あるいはそれに近い家ばかり。

 だから、風呂がある家など、まずなかっただろう。銭湯はいつも大混雑だった。まさに、『芋を洗うよう』だった。

 今思えば、きたない湯ぶねだった。湯ぶねの下は見えなかった。たまに、早く入って下が見えると、そこは、ゆがんで見えるから、かえってこわかった。


 亡父があぐらをかいてすわる。そのあぐらの上に寝かせられ、父が頭髪や体を洗ってくれた。いや。当時の男の子の多くは坊主頭だったから、『髪』などなかったか。


 もう、とうに亡くなられたが、番台のおばあさんもなつかしい。もちろんしっかり記憶のなかにある。当時、子ども料金は、7円だったかな。『はい。』と背伸びして置くと、『毎度、ありがとう。』と笑顔で応えてくれた。

 脱衣場には、おばさん(?お姉さんかな。)がいて、幼児など自分で脱ぐことのできない子がいると、脱がせていたっけ。
 
 銭湯は、社交の場でもあった。脱衣場では、扇風機にあたったり、うちわで扇いだりしながら、上半身はだかの大人が楽しそうに談笑していた。また、子どもは大勢いて、騒いだり走り回ったしていた。ほんとうににぎやかだった。

 下町の、まさに、『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界だったと言えよう。


 結婚して、しばらくは親と別居していたが、両親も歳をとり、同居することにしたのは20年前。そのとき、家を増築した約半年ほどの期間、やはり、この銭湯のお世話になった。


 もちろん、もうそのときは、むかしの面影はまったくなかった。雰囲気もまるっきり変わってしまった。

 お客さんは、5・6人しかいなかった。広々とした空間で、設備等はすばらしく、まるで温泉のお風呂かと思うようなぜいたくさだった。



 その銭湯の建物は、ブルドーザーが跡形もなく取り壊し、まったくの空き地になってしまった。それを見ながら、涙が出る思いになった。『昭和は遠くなりにけり。』


 そう思うのは、わたしだけではないようだ。まだ数人、わたしくらいの年代の方が、その空き地を眺めていた。

 見知らぬもの同士、うちとけてむかし話をし合った。



 その話から、現職時代、『ある方の講演で、このような話を聞いたことがあるな。』と思った。


 そうだ。

 確かそのとき、その方は大学教授でいらしたが、ご自分が小学校担任だったころの授業の話をされたのだった。



 その町には、商店街の雰囲気に似合わず、まるで時代に取り残されたかのような感じで、竹屋が存在していた。

 3年生。

 子どもたちが、社会科の学習で、その竹屋のことを問題にし出す。

「なにか、むかしっぽいお店だね。」
「お客さんがいるところを見たことがないよ。」
「よく、今もやっていられるね。」
「よくつぶれないね。」
「おじいさんとおばあさんがいて、おじいさんは、竹を使っていつも何か作っているよ。」
「うちのお母さんが、『古いものは大事にしないといけない。だから、ああいうお店はいつまでも残っていてほしい。』って言っていたよ。だから、つぶれないでほしいな。」
「うん。うちのお母さんも同じことを言っていた。だから、つぶれないように、わたしたちも、何か買いに行こうよ。」


 そのような話をしながら、むかし風のお店のよさについて話し合った。



 それから数年。子どもたちは、中学生になっていた。そして、その先生も異動になり、もう、その小学校にはいなかった。


 ある日、その子どもたちが、興奮した面持ちで、その先生のお宅を訪ねてきた。

「先生。あの竹屋が、とうとうつぶれちゃったよ。」

 報告に来てくれたのだった。


 学習というのは、このくらいのこだわりをもって進めたいものだ。


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 妻が言います。

「向こうの方に、アパートがあるでしょう。あそこはお風呂がないのよ。住んでいるのはお年寄りばかりだし、これからどうするのかしらね。気の毒だわ。」

「そうか。それは大変だなあ。・・・。公共性の高いものは、市などが補助すべきだろうにな。」


 その跡地は、駐車場になるのだとか。

 ああ。これが『平成』の姿なのですね。

 でも、わたしも、そのような思いがあるのなら、『ときどきは銭湯を利用させてもらうべきだったかな。』と、もう、悔やんでも遅いですね。 

rve83253 at 01:41│Comments(2)TrackBack(0)社会科指導 | むかし

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この記事へのコメント

1. Posted by 亀@渋研X   2008年10月17日 03:03
こんばんは。またいろいろ思い出させていただいています。

小学校の先生が、自然教室(林間学校)から帰って来て、「体を拭かないで風呂から上がる子が多くて、脱衣場がびしょびしょ」「しょうがないから、ひとりが『ほら、カラダを拭け!』なんて門番」「2日めにはだいぶよくなった」なんて言っていました。うちもそうですが、内風呂だと「洗い場でざっと拭いて出てくる」なんて習慣は、身に付かないんですね。
居合わせたみんなで顔を見合わせました。オトナは温泉とかで自然にやってるんですが、家でそんな指導はしてなかった。先生自身も(^^;;

うちの近所も銭湯は1軒になってしまいました。数年前までもう1軒あったのですが、閉めてしまいました。残っている方が近いので、子どもたちが小さいときは、二、三度ですが「熱い、大きいお風呂」を楽しみに行きました。でも、家内がおもしろがってくれないので、そこはそれっきり。
「また行きたいね」というときは、家内がもうちょっと遠いスーパー銭湯に連れて行きます。まあ、それも企業努力なわけですし、地元のお店のうちだし構わないんだけど、ぼくは行きません。偏屈。

小商いは、後継者問題もあって難しいですね。売れ行き悪化で立ち行かなくなったとも限らない。農家や町工場もそうですね。
近所の肉屋は、まさにその理由で店を閉めました。息子さんは会社員。おやじさんと奥さん、お嫁さん(という表現は好かないのだけど)の3人でやってて、おやじさんがそろそろ頑張れなくなって来た、というわけでアパートになってしまいました。向かいの八百屋が嘆く嘆く。
地産地消、なかなか難しいです。これで近所には魚屋も肉屋もなくなっちゃいました。米屋と畳屋も危ないんじゃないかと、なんとなく気になっています(うちはお米は親戚から来るし、賃貸住宅だし、利用する機会がないんですけど)。

毎度とりとめもなくて、すいません。
2. Posted by toshi   2008年10月18日 04:03
亀@渋研Xさん
 冒頭のお話は、わたしもいやというほど経験があります。個人のお宅と集団の場では、自ずと行動を変えなければならない。集団のなかではおのずと身につけなければならないルールがある。それを指導するのに、修学旅行などでの入浴は格好の場なのですね。こういう場では、バスタオルなどもたないのが通例だと思いますから、タオルをよくしぼれば体をふくことができるということも、初めて知る子が多いようです。

 そうか。後継者問題ね。
 わたしは恥ずかしくなりました。社会科の教員なのに、後継者のことは書かなかったですね。これも大きな問題ですよね。何も、お客さんが少ないことだけが問題なのではないですね。記事に書いた竹屋の話にしても、お客さんはもともと少なかったのですから、お店を閉じた直接の原因は、後継者の問題だった可能性が強いですね。

 地産地消。

 我が家のそばの商店街は、いつも閑古鳥が鳴いています。それに対し、スーパーなどに負けず、ものすごい数のお客さんでにぎわっている商店街もあります。

 また、話は変わりますが、我が地域に限らずだと思いますが、学校給食では、けっこう地場の作物を使用するようになっています。

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