2008年10月20日

大学改革案についての考察4

9be3de13.JPG ここのところ、教育改革の最重要なこととして、大学の入試改革と教員の指導力アップ策について、連載している。


 まずは、それにかかわる過去記事にリンクさせていただくと、

    PISA調査と中学受験問題と

    入試による選抜システムは?

    ノーベル賞、受賞、おめでとうございます。

    公教育を盛り上げるには、


 簡単に説明させていただくと、

 現在のように日本社会の二極分化が進行すると、受験による選抜システムは、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなるというように、二極分化を固定、強化させるはたらきをもつようになる。

 こうした弊害をなくし、富めるものも貧しいものも、共に教育の機会均等を享受するようにするには、誰もが通うことになっている公教育を充実させるしか、方策はない。その一番のポイントは、PISA調査報告にあるような、教員の指導力アップ策である。

 そうなるのではないか。



 受験による選抜システムは、大学入試に代表される。そこで、この改革だが、

 一定の能力のあるものは、どの大学にも入学することができ、その代わり卒業はきびしいという、そういうシステムにする必要がある。


 それがわたしの主張である。


 それに対し、なおみさんは、

 そうすると、受験という、能力や人間性をきたえる機会がなくなる。

 とおっしゃる。(上記4つの記事すべてにコメントをいただいています。)

 また、大学教授の柴田勝征氏は、少子化の折、そのようなシステムは、大学経営上考えられないとおっしゃる。

   『入試による選抜システムは?』のコメント1番〜4番

 なおみさん、柴田さん、要約しすぎているようで、ごめんなさい。まだ、両氏のコメントをお読みでない方は、そちらもご覧いただければ、幸いです。


 また、柴田氏は、同コメント冒頭で、

『これ(toshiの主張)はもう、いろいろなところで何回と無く耳にたこができるほど聞かされていますし、〜』

とおっしゃった。


 わたしにとって、これは意外だった。

 『大学入試をなくし〜、』などという主張を、わたしは、マスコミでも、書物でも、見聞きしたことがなかったからだ。このようなことを言うのは、わたしくらいのものと思っていた。


 しかし、今回、『ノーベル賞、受賞、おめでとうございます。』の記事に、 helipilot777 @ YouTubeさんがコメントをくださり(4・5番)、そのなかで、元多摩大学の学長さんがおっしゃる大学改革案を紹介してくださった。

 ものすごく膨大で、11項目にわたる。

 ああ。やっぱり、『耳にたこ』かどうかは知らないが、そういう主張は、わたしだけではないのだなと確認させていただくことができた。


 そこで、今日は、同学長さんの改革案について、わたしなりの考察を加えさせていただきたいと思う。




〇欧米の個人主義的なインセンティブを導入すること(ただし日本に合うように調整して)

 基本的に賛成である。

 学習指導要領には、『個性を生かす教育の充実』『個性豊かな文化の創造』などとある。しかし、現実の日本の教育は、やはり教え込みによる画一化の教育が行われていると言っていいのではないか。

 わたしは、日本に合うように調整しての個人主義と言ったら、拙ブログでいつも述べる問題解決学習をおし進めるしかないと思う。
 ただし、個人主義というと誤解を招きそうだから、わたしは、『一斉学習における個を大切にした学び』と定義づけたい。

 問題解決学習については、これまで何度も記事にさせていただいているが、ここでは、一つだけ紹介させていただこう。

   問題解決学習とPISA調査(1)


〇暫定入学制度

 こうした発想は、わたしにはなかった。

 しかし、『入学はやさしく、卒業はきびしく』と言っているわたしとしては、おそらく一致した考えだろうと思う。

 ただし、日本的な、建前としての『暫定』ではダメだ。それでは、『卒業はきびしく』とならない。

 また、これは、わたしの主張する、『どの大学にも入学できる。』が徹底するまでの経過措置という気もする。別な言い方をすれば、大学格差がなくなるまでの措置ということになるだろう。


〇飛び入学

 唯一、これだけは反対したい。

 わたしは、『いろいろな能力、性格の子どもが共に学ぶよさ。』を常々主張している。また、問題解決学習においては、それは、必須ともいうべきことである。

 たしか、いつもお世話になっている亀@渋研Xさんもおっしゃっていたと思うが、今、同氏のコメントを見つけられないので、わたしの記憶のなかで書かせていただくと、

 『小、中とくらべると、高校は入試を経ているため、ある程度、同じ学力の子がそろっていて、学習にダイナミズムが感じられない。』(亀@渋研Xさん。違っていたらごめんなさい。)

 わたしも、そうだろうなと思う。飛び入学はかたちを変えた選抜だと思う。


〇ダブル専攻生

 こういう発想もわたしにはなかった。でも、おもしろいなと思った。

 わたしの学生時代、他学部履修というのがわずかだが認められていて、わたしは数単位、利用させてもらったことがあった。それをもっと大々的にするということではなかろうか。

 これは、『個の尊重』にも沿っていると思う。


〇学年度の九月開始

 これは、教育再生会議も主張していた。

 しかし、わたしにはよく分からない。保留とさせていただきたい。

 たぶん、外国との交流が進んでいる今、外国と歩調を合わせたいということではないだろうか。それだけのような気がする。次の項目ともかかわるのであろう。

 しかし、これは大学だけをそうするわけにはいかないね。必然的に、小学校から、9月入学となるのであろう。

 
〇日本への外国人留学生を増やす

 これは賛成だ。どこかの大臣も言っていたが、『単一民族』などを強調するのは時代錯誤だ。いい意味の日本人らしさは大切にしながらも、閉鎖性を感じさせる部分は取り去る必要がある。

 現状でもかなり進んでいるという意見もあるかもしれないが、まだ特殊なケースに過ぎないような気がする。いつでも、どこでも、外国人とともにいるというくらいにしたい。

 
〇大学生を正しく評価し、勉強しない学生を退学させる為の方策を導入する

 これはもう、大賛成だ。わたしの主張とも完全に一致する。また、そんなにむずかしいことではないような気がする。

 もう一つ。

 学歴ばかりが尊重される社会でなくする必要がある。どの道であっても、その道をきわめたものは、正当に評価される社会でなければならない。

 もっとも、これも、大学改革と同時進行だね。どちらが先という問題ではないだろう。


〇入学を多発勝負にする

 これもわたしは考えたことがなかったが、賛成だ。

 やはり、現行の入学の機会が年1回というのは、柔軟性にとぼしく、学生が気の毒だ。

 なお、お断りしておきたいことがある。

 わたしは、『どの大学にも入れる。』としているが、学力による選抜に反対(大学で学ぶうえで必要な一定の学力があるかをみることは必要。)しているのであって、大学が特徴を持つことは大切と考える。それはただ単に文科系、理科系、医科系というだけでなく、もっと多岐にわたっていいと思う。


〇勉強することが自分の利益になるのだということを充分に悟らせるシステムをつくる

 これも言うまでもないだろう。大学学長がこういうことを言うということは、現状がそうなっていないということだろう。

 これは、利益の中身にもよるが、もしかしたら、前項の、大学の特徴とかかわるかもしれない。


〇企業が採用の時に大学で何を勉強したかを見ること

 これは、大学が真に学びの場となれば、必然的にそうなるであろう。PISA調査ではないが、社会に出て役立つ実用的な学力を、学校で身につけさせることができるようになれば、企業も積極的にみようとするに違いない。

 ここにも、現状の大学が、学びの場となっていないことを感じる。また、高校までも、受験偏重の学びとなってしまっていることにもかかわっていると思う。


〇道徳を改善するためには、学校や塾という箱から子どもを出し、様々な人と出会って社会でルールを守る必要があるという事を実感させること

 これも賛成である。ただし、これについては、思うところがあり、別な機会に記事にさせていただきたいと思う。 


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 大学の学長さんが、本記事のような主張をされることに、驚きの念をもつとともに、感動に近い喜びを感じました。

 また、わたしの思いもしなかったことがいくつも入っており、大変勉強になりました。

 本改革案を紹介してくださったhelipilot777 @ YouTubeさんにも、感謝申し上げます。

 

 なお、同氏は、『教育システムの改善につき 貢献可能な方を総動員すべく宜しくお願い致します。』ともおっしゃっています。

 これについても、喜びを感じるとともに、

 初任者指導に携わるわたしとしては、こうしてブログで訴えることしかできませんが、ぜひ、よろしくお願いしたいと思います。

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この記事へのコメント

1. Posted by 柴田勝征   2008年10月20日 10:54
toshi先生、こんいちわ。柴田です。今回はtoshi先生の大学改革案の解説と言うことで、私の投稿を引用して頂き、ありがとうございます。しかし、毎回、toshi先生の私の文章に対するコメントを拝見して思うのですが、ほとんどいつも100%誤解されています。私の文章がよほど回りくどいのか、あるいはtoshi先生が私の考え方によほどの偏見を持っておられるのか?? 少なくとも私が書いた文章に関する読解については、toshi先生の「読解力リテラシーには問題が...m(-v-)m
>大学の教授でいらっしゃるのだから、いいですよね。

はい、いいです。(と開き直ることにしています。)これはもう、いろいろなところで何回と無く耳にたこができるほど聞かされていますし、(以下、引用を省略)
私ならば、「耳にたこができるほど...」というのは、その直前にあるtoshi先生の「大学の教授でいらっしゃるのだから、いいですよね。」に対する返答だと言うことは明白だと思うのですが、これを「大学入試全廃案」に対するコメントだと解釈するのは、あまりにも無理な解釈ではないでしょうか?
 私の息子が小学生の時、同級生から「おまえの父ちゃん、大学教授なんだってなー。おまえんち、金持ちで好いなあ。」と言われたそうです。世間の誤解の典型例です。その息子が幼稚園児の時、我が家は浦和市から貧困世帯用の幼稚園月謝に対する補助金をもらっていました。
2. Posted by 柴田勝征   2008年10月20日 10:58
大学教員はサラリーマンで、自営業の方々とは違い「源泉徴収票」を提出するから年収をごまかしようがありません。浦和市では幼稚園児の家庭の年収に応じて、貧困世帯を4ランクに分けて、ランクに応じて補助金を支給してくれます。もちろん、最下段は生活保護世帯で、保育料は全額支給されます。国立大学の助教授(現在では準教授と呼ぶようになりました)の給料は、浦和市では貧困世帯に分類され、しかも生活保護世帯に次ぐ、下から2番目でした。もちろん、同年齢の小・中学校の教員の給与よりもずっと下です。これは、小・中教員の組合である日教組が強力で、賃金闘争で雇用者である自治体に大きな圧力をかけて待遇改善をさせた成果ですが、大学教組はメンバーも極めて少数であり、交渉相手も国(文部省->文科省)ですから、要求があまり通らないことが根本原因です。大学教員の卵であるオーバードクターの人たちの生活はもっと悲惨で、世界でトップレベルの研究成果を発表している若い研究者が、毎日アルバイトで保険のセールスなどをやって心も身体もすり減らしているような例が珍しくありません。
 私は10数年前に福岡大学に転勤し、新入生への挨拶で「皆さんはせっかく大学に入学したのだから、今しかできないことをしっかり勉強してください。働くことは卒業して社会に出れば、いやでも毎日しなければなりません。だから在学中はなるべくアルバイトに自分時間を取られないようにして、勉強やクラブ活動などに力を入れて生活してください」という趣旨の挨拶をしました。そうしたら、後でベテランの先生から厳しく批判されました。
3. Posted by 柴田勝征   2008年10月20日 11:02
「あなたは首都圏の国立大学から転勤してこられたからここの大学の実情を全くご存じない。ここの大学生の多くの家庭は学費を息子・娘に出してやれるほと豊かではないのですよ。学生に『アルバイトをするな』、と言うことは、『大学を止めろ』というのと同じ事なのです」と教えられました。実際、それから数年後に私の下で修士論文を書いた大学院生は母子家庭で、自分の学費だけでなく弟の学費まで面倒を見る立場にあり、どうしても、かなりの量のアルバイトをする必要がありました。それでも、『アルバイトを口実にして勉強を手抜きすることはしない』と学年の最初に私と約束したので、週に1回のゼミ発表会の時間には、しばしば両目を真っ赤にして、「また今週も徹夜をしてしまいました」と言っていました。彼は寝袋を大学の研究室に持ち込んで、夜、アルバイトから大学に帰ってきて、朝まで勉強をしていたのです。立派な修士論文を書いて小さなコンピュータ会社に就職しました。
 私たちは1クラス300人とか500人とかの、いわゆるマスプロ授業も担当しています。本当は全員が出席すればもっと多くなるクラスもあるのですが、昼間からアルバイトなどで欠席している学生もかなり居ますから、出席簿の人数と、実際にその場にいる人数とは数が合いません。また、出席していても、夜のバイトの疲れで、授業時間中ずっと眠り続けている学生も居ます。私は転勤当初は実情がよく分からず、授業が始まったばかりで既に堂々と机に突っ伏して寝ている学生が多いのに驚き、つかつかと居眠り学生のところに行って「おい、起きろ」と学生の肩をつかんで揺さぶったのですが、昏睡状態でまったく目を覚ましませんでした。それほと疲労困憊の状態にあるのです。たぶん夜勤明けだったのでしょう。
4. Posted by 柴田勝征   2008年10月20日 11:11
 先月は、教育実習の指導で長崎県の中学校に行って来ました。校長先生のお話では、「親御さん達を始め、町の人たちが学校の行事によく協力してくださるので助かります。しかし、なんと言っても、町がどんどん寂れてゆくので、いろいろ難しい問題があります。」とおっしゃっていました。こういう学校では、「大学入試の影響による教育のゆがみ」というのはありません。そもそも、ほとんどの生徒が中卒か高卒で就職してしまうので、大学入試を受ける生徒の数が極端に少ないからです。高校を卒業したら、就職して少しでも両親に仕送りしないと、この地方の家庭はやっていけないのです。九州だけでなく、四国や東北も同様です。
 toshi先生のこのホームページには、私たち教育に携わる者が読んで為になる貴重なご教示が満載されているので、私もしばしば拝読して勉強させて頂いているのですが、取り上げられている事例が、大都市圏の裕福な地域のエリート的な学校での話が多い(あるいは、そういう事例ばかり)と感じています。それはそれて良いので、それを変更する必要は全然無いし、私はそういうお話の中からも貴重な教訓を学ばせて頂いているので、いつも感謝の気持ちを込めて拝読させて頂いています。しかし、toshi先生の特殊な環境で得られたご経験を、過疎が進む多くの地方を含む全国の教育制度の改革にストレートに結びつけるには、ちょっと無理があると思います。
5. Posted by 柴田勝征   2008年10月20日 11:14
(誤解を解いて頂くために、長い投稿になってしまい申しわけありません。これで終わります。)
日本は今、圧倒的多数を占める地方の過疎化と貧困化か進む一方で、大都市圏(東京・京阪・名古屋)に人や物や仕事が集中する、という二極化が進んでいます。さらに、大都市圏でも、なおみさんの投稿にあるように、裕福な地区と貧しく荒れている地区があります。私は昔、大阪にも住んでいたことがあるので多少は地理勘がありますが、現在ではきっと、さらに2極化が進んでいると思います。これは決して教育制度が原因でその様になっているわけではなく、また、教育制度を変えたら解決できるような問題ではないと考えています。(長くなってしまったので、ここでいったんうち切らせて頂きます。)
6. Posted by toshi   2008年10月20日 20:44
柴田勝征さん
 《ほとんどいつも100%誤解》ですか。恐れ入ります。
 今回(冒頭)の件、柴田さんがおっしゃることはよく理解できます。しかし、同時に、その後に続く省略された部分の《日本の教育の諸悪の根元は大学教育にあり、大学受験が高校教育をゆがめ、高校受験が中学教育をゆがめ、...というように、みんなをゆがめて苦しめているのに、大学教育だけは上からゆがめられていないなんて、ずいぶんいいですよね。〜。》も、『耳にたこ』の中身ではなかったのですか。
 すみませんでした。

 そのあとにいろいろ上げられた具体例は、大変参考になりました。貧富の差なく、どの師弟にとっても教育の機会は均等に与えられなければいけないと訴えるわたしとしては、心強い応援歌をいただいたつもりになっていますが、これも誤解なのかな。

 本記事ではないですが、『苦学生という言葉は死語になった。』などと書いたのはいけなかったですね。これは確かに言い過ぎでした。ごめんなさい。

 でも、現状のままでいいとはならないでしょう。よりよい改革案、真に貧富の差なく、教育の機会均等が図られる改革案をお教えいただけたら幸いです。
7. Posted by toshi   2008年10月20日 21:02
わたしも柴田さんの誤解を解かせていただきます。
《大都市圏の裕福な地域のエリート的な学校での話が多い(あるいは、そういう事例ばかり)と感じています。》
 大都市圏はその通りですが、別にエリート的な学校ばかりにいたわけではないですし、そこの話が多いとも思っていません。

 ただ、問題解決学習をおし進めると、どの子も意欲的、主体的に学ぶようになるので、あたかもエリートの学校であるかのように思われてくるというようなことは書かせていただいたことがあります。
 本コメントのHNをクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしければご覧ください。その記事の終末部分です。

 したがって、ちっとも特殊な環境で得た経験とも思っていません。第一、大都市なら、いろいろな地域にまわらされますよ。

 最後に、《これは決して教育制度が原因でその様になっているわけではなく、また、教育制度を変えたら解決できるような問題ではないと考えています。》の件ですが、

 これは、基本的には同様に考えております。教育制度が原因だとか、教育制度を変えたら解決できるとか、そのようなことは記事にしていないと思います。
 ただ、無関係とも思っていません。
 また、どの子も幸せになるための改革は進めないといけないと思っています。
8. Posted by 亀@渋研X   2008年10月20日 23:39
こんばんは。

toshi先生がぼくの「コメント」と思われたのは、TBさせていただいたこの記事ですね(^^)

子ども、「校長先生の授業」、TOSS - 2
http://shibuken.seesaa.net/article/103174522.html

まんなか辺に出て来ます。コメント欄を探してもないはずです(^^)

「高校の授業がダイナミズムを欠く」とは感じましたが、その理由は授業の組み立てと考えていました。しかし、言われてみれば背景に均質さがあっても、おかしくないと感じますし、ぼくの文章からそのような印象を受けても無理はないと思います。

「飛び入学」「とび級」の是非については、あまり考えたことがありませんでした。同じ校内で1年上に飛び級というぐらいだと、習熟度別編成の極端なものとも考えられそうです。そう考えると、確かにあまりよいことには思えません。

しかし、たとえば高校3年生が飛び級で大学へ行くなどという状況だと、まったく別の集団に単身で飛び込んで行くわけで、むしろ「積極的に異質なところへ入る」という感じです。飛び級の是非はともかく、習熟度別と飛び級を同様に考えるのは無理がありそうにも思います。

ぼくは「異質な場や上位集団に、積極的に入って行こうとする人格」には魅力を感じます。チャレンジ精神というか、「伸びよう」とする強い意志を感じます。本人の「上に行きたい!」という要望を無下にするようなものでもないと思いますが、だからって「飛び入学、いいですね!」とまで楽観視もできません。なにによらず「柔軟に、ケースバイケースができればいいのに」と思う……ぐらいです(^^;;

クラーク氏の「インセンティブ」については、ちょっと思うところがあるので、後ほどエントリを起こしてTBさせていただこうと思います。
9. Posted by 亀@渋研X   2008年10月21日 02:29
ところで横からすいません。

柴田教授のかつてのコメント「これはもう、〜耳にたこ」は、「こうした大学改革案は耳にたこ」だと思って読んでおりました。直後に「大学入試が諸悪の根源」といった「よくある批判例」が出て来るので、toshi先生の主張をそれらと同じもとのという認識でおられるのだな、それで「耳にたこ」と言うのだな、というわけです。

ところが、toshi先生が続くコメントで「入試全廃論が耳にたこ」と読んでおられたので、当時も「あれ?」と思いました。しかし、その後、柴田教授から訂正も入らなかったので「あら、そうだったのか」と思った次第です。まさか「聞いてくれ」に対しての「耳にたこ」だったとは。

ぼくが仕事にしている出版物では、読者に誤解や誤読があっても、両者ともに気づきようもありません。「Webだから、話題にし続けたから誤解が解けた。結果オーライですね」というのは、のんきにすぎるでしょうか(^^;;
10. Posted by toshi   2008年10月21日 05:45
亀@渋研Xさん
 そうでした。そうでした。貴ブログ記事だったのですね。URLを貼っていただき、ありがとうございました。
 さっそく再度拝読させていただきました。
《習熟度別授業や少人数指導では、多様な意見が出にくいのではないか。》とか、受験を経た高校を見て、《「均質」ということに強い違和感を感じた。》とか、《「学力で薄く薄く輪切りにする」と、その結果生まれた均質さは、一部の上位校を除いて「諦め」「無力感」「敗北感」を受験校選びの段階から生み、それが高校では倦怠感という形で表出されているのではないか。》とかは、わたしの思いとまったく一緒です。

 亀@渋研Xさんがおっしゃるように、一口に飛び級と言ってもいろいろなケースが考えられそうですね。《「異質な場や上位集団に、積極的に入って行こうとする人格」には魅力を感じます。》は、よく理解できるのですが、『無理して入ろうとするのではないか。』とか、飛び級を決めるのは本人か学校かなどという問題もありますので、どういう飛び級ならよいとするか、吟味することが大切と思いました。やはりケースバイケースですね。

 
11. Posted by toshi   2008年10月21日 06:07
柴田氏のコメントには、《大学受験が高校教育をゆがめ、高校受験が中学教育をゆがめ、》ともありましたから、受験準備教育が学校教育をゆがめている点についても、『耳にたこ』と理解したのですが、これを入試改革(廃止)と同義としてしまったのは、確かにわたしですね。すみませんでした。

 ブログって、出版にくらべたら、はるかに気軽にやっていますが、誤解、誤読などが明確になるため、ある意味、気軽ではないですね。
 こわさも感じますが、さて、だから、どうしたらいいか。考えていかなければいけないなと思いました。ありがとうございました。
12. Posted by なおみ   2008年10月21日 07:53
toshi 先生へ
失礼を承知で、横からすいません。
<ほとんど100パーセント誤解です>という柴田先生の言葉は、言葉の上での誤解を解くという行為を繰り返しても解決しない気がしています。
私も柴田先生の意見に関しては、toshi先生は、柴田先生の考えのおっしゃりたかったことを正確に読み取っていない気がしています。それは読解力の問題とは違いますが…。思考法は、対象をよりよく観察し、自分の働きかけに対するフィードバックをひとつひとつ確かめながら、考えていくか、ある考えが先にあってそれに対象を適応させながら考えを洗練させていくか…大きく2タイプあると思います。
柴田先生は前の考え方で思考し、toshi 先生は後の考え方で思考しているように感じます。どちらも優劣つけがたいし、何か実現する時には必ずどちらも必要なのではないでしょうか?
人はそれぞれ視点も考え方も対象とのかかわり方もずいぶん違うので、小さな誤解が生じた時点で、個人として本質的にどのような考えをお持ちなのか、言葉の背景にあるものが何なのかを把握してから、言葉のやりとりに戻った方がいいように思うのです。柴田先生はホームページを開設して、さまざまなご意見を展開されているので、それを読めば「受験をオリンピックに例えた話」などもtoshi先生が受けられた印象とはまったく別の話としてうつってくるかと思います。toshi先生は生徒さんにはいつもそうされているようなので、私がわざわざ言うことでもないのですが…。


13. Posted by toshi   2008年10月21日 17:32
なおみさん

 何とも、お返事に困りました。

 話はわたしの思考法にまで及んでいますが、『感じています。』とおっしゃられれば、わたしはわたしで、『違うと思いますよ。』と申し上げるだけです。
 わたしは、経験上、『この人はこういう思考法の人と思うことはあっても、それはわたしの思いに過ぎないのであって、大体は違っているものだ。別な場面では別な思考法をみせるかもしれない。』と思っています。
 あくまで文章に即して、解釈するだけです。それが誤解だとおっしゃられれば、お詫びするしかありません。

 また、柴田氏のホームページを読んでいないかのように書かれていますが、わたしは、PISA調査にかかわる部分や、授業にかかわる部分は、全部とは言えませんが、読んでいますよ。

《人はそれぞれ視点も考え方も対象とのかかわり方もずいぶん違うので、小さな誤解が生じた時点で、個人として本質的にどのような考えをお持ちなのか、言葉の背景にあるものが何なのかを把握してから、言葉のやりとりに戻った方がいいように思うのです。》
 これはもう、おっしゃる通りと思います。
14. Posted by なおみ   2008年10月21日 19:18
toshi先生へ
私はtoshi先生が柴田先生のホームページを読んでいないとは思っていないんです。ただ、今自分の感じている事をうまく表現するだけの文章力がないだけです。toshi先生を批判するつもりもまったくありません。
今は上手く言えないのですが、いろいろ例をあげて説明したことが、本当の意味では伝わらず、伝わっていますよ、という返事をもらい、言葉上の行き違いにスポットライトが当てられて話し合いが進んでいくのは、一方がとても不利な気がするんです。
不利というと、一方を擁護しているように聞こえるかもしれませんが、そういった話の流れになるのが
まずいと感じるだけです。
わかっていますよ、と言われても、その返事の内容に伝わっていないと感じる答えがあるから、感情的な返事になってしまい、次はその感情的な言葉が中心となって話合いが続いていくと、一見感情的な言葉を使ってしまった側に問題があるように周囲からは見えます。しかしその前の時点で、肯定的な返事の中に自分の考えの否認があったと感じた部分が、感じた側の誤解によるものでなくて、やはり否認にあたる部分もあって、本来はその部分で納得するまで話し合わなければならないところ、枝葉の部分で話が取り上げられてくると、ついカッとしてしまう気持ち…私もよくわかるので…。
うまく書けなくてすいません。
15. Posted by ムーン   2008年10月21日 23:57
初めてコメントさせていただきます。

突然ですが、私も横からすみません。

私は、最初のtoshi先生の「大学教授だからいいですよね」という言葉を、「(一言とお願いを)大学教授の方になら言ってもいいですよね。」という意味にとらえました。
が、柴田先生はそれを「大学教授という身分はいいですよね。」という意味にとらえたように思えました。
そこが行き違いの原点のような気がしたのですが・・・。
私の解釈が間違っていたらすみません。

ただ、同じ文章でもこれほど人それぞれとらえ方が違ってしまうものなのですね。
良い勉強になりました。

これからも貴ブログを楽しみに見させていただきます。
16. Posted by 柴田勝征   2008年10月22日 09:27
柴田です。数日ぶりに、このページを拝見させて頂き、ムーンさんの投稿を読んで愕然としました。なるほど、

>ただ、柴田さんには一言。そして、お願いもあります。

> 大学の教授でいらっしゃるのだから、いいですよね。

この前後関係を見れば、私の完全な誤読であったことは明らかです。ムーンさんのおっしゃるとおりです。「読解力リテラシー」に問題があったのは私の方です。「私の文章がよほど回りくどいのか、あるいはtoshi先生が私の考え方によほどの偏見を持っておられるのか?? 」と、たいへん失礼なことを書いてしまい、toshi先生、本当に申しわけありませんでした。私の方が、「toshi先生の考え方によほどの偏見を持っておいるのか?? 」と疑われても当然の文章を書いてしまいました。恐縮の極みです。
 私はこれまで「大学教授という身分はいいですよね。」ということばを、それこそ本当に耳にたこができるくらい言われてきたので、非常にひがみっぽくなっています。こういう事を言われると、ものすごく心が傷つくのです。それで、今回はとんでもない誤解をしてしまい、とんでもない的はずれの「反論」を試みてしまいました。toshi先生、申しわけありませんでした。そして、ムーンさん、どうもありがとうございました。




17. Posted by なおみ   2008年10月22日 09:28
toshi先生へ
前回の説明がわかりにくいものになってしまったので、もう少し説明させてください。実際に一部の言葉上の勘違い(捉え方のちがい)があったのかもしれないのですが、<100%の誤解>とおっしゃるからには、そうした枝葉の言葉ではなく、根本的な考えの自分がもっとも大事に思っている部分が誤解されています>という訴えであると思うので、そこに返って話し合わないと、言葉の勘違いにスポットライトがあたると、他から見るとそこでもめているように見えてしまう…それはまずいなぁと感じたのです。



18. Posted by なおみ   2008年10月22日 09:28
私が否認という言葉を使ったのは、toshi先生には否認するつもりもした覚えもないものかもしれません。考え方の違い、思考の違いから、そう受け取れる場合があるように感じたのです。
というのも、私は、自分の経験したり見聞きした出来事をフィードバックさせて自分の考えを形作っていくタイプなので、自分がある考えが正しいと感じていても、それを反証する実例を相手にあげられた場合、
もういちどそれを含めて自分の考えを練りなおすという作業をします。正しいと思う考えの方が、実際に見聞きすること以上に優位に立つことはないのです。
なので、自分が相手の意見に対し、でもこうした例があるという逆の結果が導かれる実例をいくつかしるしたとき、相手がそれは例外としての線引きをしてしまったり、それは自分も知っていますという答がありながら、全然その人の意見が実例の影響を受けていない、それも含めて考え直していない時、腑に落ちない気持ちを抱える時があります。
ただ、それは、考えを練っていく際の「違い」が原因することで、どちらかが悪いものでもないと感じています。
良い教育制度を取り入れて、実際教育現場で生かすには、さまざまな現実の場の問題(地域性もひとつですが)に向き合わないと難しく感じていて、人や子どもを信じていくだけでは難しい気がしています。
それはtoshi先生の文章に対する批判として書いているのではなく、私がそう感じているだけなのですが…。
19. Posted by なおみ   2008年10月22日 09:40
toshi先生へ
今送信してみてから、柴田先生のコメントを読みました。先ほどは変なコメントを送ってしまいました。私自身は、言葉の誤解とは別に、柴田先生の大学についてのさまざまな現実(大学の経済的な運営の問題)を読んで、教育制度の改革は経済的ことや人が一つの学校の集中した時どうするかなどをていねいに検討していかないといけない…と感じたので、誤解から書かれたことであっても、教育制度の改革を考える上ではすごく大事な問題と感じています。誤解した部分より、その内容そのものがとても気になるので。
20. Posted by 亀@渋研X   2008年10月22日 14:01
>toshi先生
はい、「反応がダイレクト」という点では出版物以上にこわいです。でも、こわさが違います。出版物は撤回不能で、しかもそのままいつまでも出回ります。誰が手に取るか分かりません。
Webでも誰が読むか分からないですし、勝手に流布されて撤回不能なことがあり得ますが、基本的には修正を出しやすく、その修正が読む人にも把握されやすいです。
これは「webもpublishなのだが、ずっと対話に近い」ということなのだと理解しています。そう思うと、ぐっと気が楽になりませんか?

クラーク氏の考えるインセンティブについて、なかなかまとまりませんが(また長くなってて、要点を絞り込めないでいます)、近日中に記事をアップするつもりです。

>ムーンさん、柴田先生
あっ! それは気づかなかった! ムーンさん、すごい。びっくりです。柴田教授のコメントは、そう思うととてもよくわかります。しかも、ご無理のないことだとも思います(オヤジが大学で教えていたし、友人にも大学に残った者が何人もいるので、台所事情や教授会などのことも、的外れなひがみに対して困惑したりうんざりしたりするお気持ちも、多少はわかっているつもりです)。気づけなかった自分にもびっくりです。

>ふたたびtoshi先生
第三者を交えた対話は誤解を解くために実に有効(なこともある)という事例が、また増えましたね。異質なものの集団はものの見方が深まることの好例かと思います(我田引水(^^;;)。あと、言葉を惜しんではいけないってことなのかな(あまりそれを気にすると、長くなりすぎますが)。

21. Posted by toshi   2008年10月22日 23:35
柴田勝征さん
 わたしも驚愕しました。そういうことだったとは。まったく思いが至りませんでした。
 亀@渋研Xさんが指摘されたように、『言葉を惜しんではいけない。』を強く実感しましたし、また、相互に関係し合う2行なのに行間をとってしまったことがいけなかったなあとか、あと、あの2行を打つとき、たしかに、柴田さんへの甘えの気持ちがあったことを思い出すとか、とにかく悔やまれてなりません。
 柴田さんの気持ちに思いをいたすことがまったくできませんでした。
 わたしこそ、深く、深く、お詫びします。申し訳ありませんでした。これにこりず、今後ともよろしくお願いします。
22. Posted by toshi   2008年10月22日 23:46
ムーンさん
 ほんとうに心から感謝しています。すごい分析力だなと、心打たれるものがありました。
 まったく、そのようなことに、思いをいたすことができませんでした。やはり、自分の思いは確固としたものがあるわけですので、そういうときは他の見方が生まれることなど、思い浮かべることがまったくできません。
 これも、亀@渋研Xさんがおっしゃるように、第三者の冷静な目に、感謝の思いでいっぱいになりました。
 とにかく、繰り返しになりますが、心から感謝しています。ほんとうにありがとうございました。
23. Posted by toshi   2008年10月23日 00:03
亀@渋研Xさん
第三者の冷静な目に、こんなに感謝の気持ちをもったことは、これまでなかったように思います。これもブログによる対話のよさなのでしょうね。『言葉を惜しんではならない。』ことも、強く実感しました。しかし、それをちゃんと実行することができるかとなると、とても自信はないし、こわさがましてきました。
 でも、がんばるしかないですね。
《そう思うと、ぐっと気が楽になりませんか?》
 明日からはそういう気持ちになるのだと思います。今は、とても、やはり、こわさが先にたってしまいますが、でも、結果がこうなると、やはり、分かり合えた喜びも確かにありますね。
 リアル社会においての、大学教授の方々とのお付き合いもいろいろあったのですが、今回のようなことには、思いをいたすことのできなかった自分が悔やまれてなりません。
 いろいろ勉強になっております。ほんとうにありがとうございます。
24. Posted by toshi   2008年10月23日 00:29
なおみさん
《誤解した部分より、その内容そのものがとても気になるので。》
 わたしにもその思いはあります。ていねいに検討していかなければいけないことも確かにあるでしょう。別記事では、『制度発足時は、どうしても多少の混乱はあるものだ。』とも書かせていただきました。そうした混乱はなくす努力が必要ですね。今の後期高齢者問題などには、特にそれを感じます。
 この問題などは、『改革の柱は何なのか。それに付随して起きる問題は。』その解釈を間違った結果起きた混乱だと思います。
 そういう意味では、わたしの関心は、受験システムそのものにあるのに、大学改革と話を広げてしまったのは、まずかったかなという思いがあります。『けっきょくは関連していく問題』なのに、柱のようにしてしまったきらいがあるなと思いました。
 ただ、受験問題も同様です。貧富の差など、二極分化が進んでしまっている現在の日本において、そのなかで果たすべき、教育改革の内容はどうあるべきなのか、受験問題を考える必要はないのか、真剣に考え合うことが大切と思っています。

25. Posted by なおみ   2008年10月23日 07:55
toshi先生へ
私は教育改革そのものには、とても興味がありますが、いきなり制度を発足し、混乱し、その後落ち着いていく…という形での改革は日本では難しいと感じているのです。まず、こうしたことは、それを非常に望む一部の人々の限定された世界での小さな成功の積み重ねと問題の修正をくりかえすことからはじまって、次第に市民権を得て広がっていくのなら日本にその制度がもし合っているのなら根付くのかもしれないと感じています。
toshi先生が考えておられるさまざまな学力の人がともに学ぶという形は、小中学生なら良いのですが、その後は厳しい気もしています。能力差に加えて、意欲の差、興味の差、努力の差の開きが大きくなりすぎるので、どうしても勉強内容が平均化し、能力が高い子にはつまらなく、低い子には難しすぎる内容になるかもしれないからです。それを、そんなことはないとtoshi先生に断言されるとき、それはtoshi先生がお住まいの都市の地域性ゆえ、そのように感じられるのかなぁと思ってしまうのです。
何度も書いているのですが、2極化の原因が学校制度のせいだとは私は感じていないのです。
洋服や食べ物にまでブランドを求める日本で、大学が学ぶ内容を分類しているだけのものとなったとき、勉強に興味を失う人が増えるのではないか、とも感じています。
こうした人の個人の好みや意識に基づいたことを、いくら言葉上で解決してしまっても、現実には実現を難しくするだけのではないでしょうか。
26. Posted by なおみ   2008年10月23日 07:55
虹色教室通信を続けていて体験したのですが、子どもの遊びの世界を豊かにしたいという私の願いは、それによって非常に能力の高い子らが現われてきていることによって、多くのお母さん方に認めてもらえるようになりました。お説教も良い制度も個人の心がそれに魅力を感じていななければ、そっぽを向かれてしまいます。言葉で説明するよりも、個人の好みや望みと、自分が良いと感じて提供したいものが合致する部分を追求することで、あとは自然に個々人の間で、遊ぶこと、創ることが少しずつ根づいていってくれると思っています。
例が、わかりにくかったのですが、
「他の人にすごいな〜と認めてもらえるような大学を卒業したい」という気持ちは、勉強を得意とする高校生が抱く普通の願望で、スポーツを得意とする子がプロの選手になりたいと夢見ることと似ていると思っています。
大学において、違いというものから、能力差を奪ってしまうと魅力があるのか、疑問を抱いているのです。ただ、工夫次第で、さまざまな可能性があるとも考えています。やはり、それは小さな成功の積み重ねや、大学が個としての魅力を発揮していけるようになることからはじまるのではないでしょうか。

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