2008年10月24日

toshiの学級だより論(1)4

cac10706.JPG 前記事の、『わたしの初任者遍歴(2)』において、わたしの担任時代の学級だよりを掲載したところ、ある読者の方からメールをいただいた。

 とても長いので、要約させていただくと、

・大変ユニークなおたよりで、まるで教室にいて、子どもたちの様子を見ているかのようだ。

・とても楽しいので、もしほんとうに保護者だったら、読まずにはいられない気持ちになるだろう。

・また、保護者なら、toshiの学級経営に協力したくなるだろう。


 そのようなことが書かれていて、感謝の思いでいっぱいになった。


 また、このメールには、一つ、質問もあった。

 『〜。お子さんの名前がよく出るようですが、これは、ほんとうの学級だよりは、どうだったのでしょう。やっぱりイニシャルだったのですか。それとも、実名で記載されたのですか。なんか、ちょっと、『実名かな。』とも思ったものですから、質問してみたくなりました。実名だったらすごいと思います。〜。』


 わたしは、『我が意を得たり。』という気持ちになった。

 そこで、これは、この読者の方にお答えするだけでなく、広く皆さんにもお伝えしたくなり、一つの記事として書かせていただくことにした。



 これはもう、お察しの通り、ほんとうの学級だよりは、実名で記載させていただいたのである。



 さて、話はいきなり大きく変わってしまって恐縮してしまうのだが、おつき合いいただきたい。


 教員の中には誤解しているものもいるかもしれないが、学校から発信される文書はすべて校長の責任において発行するものである。学級だよりとて、例外ではない。

 したがって、管理職は、『必ず事前に提出するように。』と言っているだろう。

 わたしも、もちろん、提出した。

 それだけではない。40代になってからは、全教職員(わたしが教職員と言う場合は、用務員さん、調理員さんを含む。)にも配付していた。

 教員の中には、

「toshi先生の学級だよりは楽しいから、いつも帰りの電車の中で読ませてもらっています。」

と言ってくださる方もいて、それはうれしく、ありがたく思ったものだ。



 ところで、ほとんどの校長は、実名が記載されていた場合、『イニシャルにするように、』と指導するのではなかろうか。

 それは、

・いつも載る子と載らない子が出てしまうだろうから、
・そうなると、載らない子の保護者から、クレームがついてしまうおそれがあるから。
・また、子どもにも不公平感がうまれ、そうなると、学級経営にも支障をきたすから。


 そこで、わたしは、できるだけ全員載せられるように、それは努力したつもりだ。

 特に、わたしが最後に受け持ったクラスは21人しかいなかったから、これはもう、基本的に毎号全員を載せるようにした。

 それでも、正直に言うと、かたよりがでてしまうことは避けられなかった。



 しかし、幸いなことに、保護者の方は納得し、むしろ喜んでくださった。

 それは、

 子ども同士のかかわりが密で、放課後も一緒に過ごしていることが多く(リンク記事の、『その1 バーチャルな世界との共存』に関連する記事があります。)、必然的に友人の家へ遊びに行くこともふえ、したがって、ほとんどの保護者が、ほとんどの子どものことを知っていたからではないか。

「ああ。あのAちゃんね。Aちゃんて、このような面があるのだ。」
「へえ。あのBちゃんが、意外ね。すごいじゃない。」

そんな思いをもって読んでくださった。

 

 実名で掲載する以上、いいことしか書かないのでは。

 そう思われるふしもあるだろう。しかし、それがそうでもないのだ。

 問題性の高いこともときには書く。ただし、読み手である子ども、保護者への配慮は欠かせない。


 たとえば、

 『ごめんなさい。もう、書く前にあやまらせていただきます。

 正直申して、あまりいいことではないのです。いえ。問題があると言ってもいいかもしれません。それでも、あえて掲載させていただくのは、Cちゃんのその後の反省する態度、それがほんとうにすばらしかったからです。感動したと言ってもいいでしょう。』

 そのようなまえおきをして、それから、書かせていただくようにした。


 日ごろの学級経営、児童対応において、いろいろな問題行動に対して、受容的、寛容的、共感的態度で臨む。そういう担任の姿勢が保護者に伝わっていれば、保護者も、寛容の心でみてくれる。

 それは確信に近いものがあった。


 こうした学級だよりが定着してくると、

 子どもたちは、日ごろの学級生活において、それを意識することも起きる。


 何か子どもをほめていると、

「toshi先生。そのこと、学級だよりに書くのでしょう。」

「今のDちゃんのこと、学級だよりにのせてあげれば。」


 逆に、授業のなかで、ついしてしまった発言。

「toshi先生。お願い。さっき言ったおねしょのこと。学級だよりには書かないでね。」

 そう言われてしまえば、それはもちろん書かない。いや。おねしょのことなど、言われなくても書かないよ。

 そういう信頼関係は大切にする。


 しかし、実名入りの学級だよりは、すべて万々歳、問題性は何もなかったということにはならない。

 
 基本的には、保護者からも子どもからも感謝される学級だよりだが、やはり、毎週発行していると、出してくれるのが当たり前という感覚になることもあるようだ。

 また、出している以上、子どもは、掲載されることを期待する。それがされなかった場合は、がっかりしてしまう。

 だから、担任としても、緊張感は常にある。

・前述のように、公平になるように努力しなければいけないし、
・何を掲載するのかもしっかり吟味しなければいけないし・・・、
・それは、たとえば、保護者がみた場合、『ああ。toshi先生は、全員載せようとするあまり、無理しているな。』と思わせてしまったのでもいけないし・・・、

といった具合だ。



 最後に、学級だよりの目的は何だろう。

・保護者へのサービス

 もちろんそれはある。あるが、サービスだけだったら、ときに、義務感が生じたり、負担感が生まれたりするだろう。

 そうではなく、せっかく出すのなら、自分自身の学級経営の向上に資するもの。そう位置づけたい。

 それは、

・児童理解、特に一人ひとりをよくみようとするきっかけになる。

・家庭において、学級だよりをきっかけとした親子の会話が生まれる。それが、子どもの学級生活に反映され、学級生活がさらに楽しく充実したものになる。

 そんな学級だよりでありたいものだ。


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 そんなわたしでしたから、校長時代は、教員の出す学級だよりについて、ユニーク(?)な指導をしていました。

 ほとんどの教員はイニシャルで書いてくるのですが、わたしは、実名にするようにすすめました。驚く教員もけっこういましたよ。

 さらに、できるだけ、多くの子を載せることにより、『4・5回発行したら、全員が記載された。』となったらすばらしいなどとも言いました。

 『それができれば、保護者からの信頼は厚いものとなり、学級経営も濃密なものとなるだろう。』そういう信念があったからです。

 ちゅうちょする教員に対し、『もし、何か起きたら、校長であるわたしが責任を負うから。』と・・・、そんなことを言ったこともありましたが、

 しかし、そんな事態には一回もなりませんでした。



 ただ、今回、記載しなかった学級だよりの問題性がないわけではありません。

・学級だよりは、あくまで任意に出すものです。出さない教員がいても、それは当たり前。・・・。だけれども、保護者にしてみれば・・・、

・せっかく出していても、学級だよりの内容と、お子さんから聞く話の内容があまりにも食い違っている場合は・・・、

 そういう事態に対し、校長としてどう臨んだかは、また、記事にさせていただきましょう。


 また、かつて、わたしの学級だよりを、『小学校初任者のホームページ』に記載したことがあります。

 そのなかかから、2編、紹介させていただきます。

    子どもの目線で

    悲しい涙が 

    (2)へ続く。
 

rve83253 at 06:52│Comments(3)TrackBack(0)学級経営 | 学級だより

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この記事へのコメント

1. Posted by フルタ   2008年10月24日 12:46
愚痴になってしまいますが・・・
小さな集まりで、校長先生から、「保護者はどれだけ自分の子が成長したかを気にします。」と聞きました。それまで、私はあまり、そういいことを気にしてなかったのですが、どんなことをして下さるんだろうと思っていると、しばらくして、体力テストで、よその学校よりも少し劣っている(私には誤差範囲でしたが)という結果が発表されました。次の体力テストの前には、リレーをしたい有志(なぜ、リレーなのかよく分からないのですが)を集め、少し長い休み時間に男の先生がほとんど総出でリレーの練習を子ども達にさせていました。この他、体力テスト前には、体育の時間もテスト向けの練習が行われていました。体力テスト後、伸びが示される結果のグラフが配布されました。

今はリレーの練習もなく、学習発表会の練習が続く日々で、体操着も2週間くらい使用していません。集中的に練習することで、身に付くのかもしれませんが、あれっ?て感じです。
2. Posted by フルタ   2008年10月24日 12:46
でも、toshi先生の『悲しい涙が』は、グラフでは表されませんが、いろいろなことを経験しながら、自分の子だけでなく、クラスの子達が成長しているのがよく分かります。保護者の方も、我が子のつらい気持ちを想像して少し悲しくなりながらも、逞しく成長する子どもを嬉しく感じることができたのではと思います。『子どもの目線で』も面白いですね。いろいろな子の性格がなんとなく想像できて、クラスの様子がよく分かります。

今、PTAでちょっとした係をしており、学校に通うことが多いのですが、会うたびにみんな可愛らしさが増してきます。係をしてないときは、なかなか学校に行くこともできず、様子も分かりませんが、こんな学級通信があると、会わなくてもいろいろな○○ちゃんの可愛らしさを知り、みんなの成長を感じることができそうです。

行事日程、その内容、そしてそれに伴う持ち物、銀行窓口からの引き落とし日が中心の学級通信も悪くありませんが、toshi先生の学級通信のようだと、toshi先生のブログと同様に、読むのが楽しみになるでしょうね。
3. Posted by toshi   2008年10月25日 10:24
フルタさん
 お子さんの学校の例なのですね。
 なんだか気持ちが暗くなりました。こういうのが公教育と思われたのでは、残念でなりません。『つけやきば』そんな言葉を思い浮かべてしまいました。
 そういう例が、実際、多いのかもしれないなと思いました。
 全国学力調査の結果が思わしくなかった学校においては、やはり、似たような指導(?)になってしまうのかなとも思いました。

 フルタさんがおっしゃるように、グラフに表されない部分も大事にしたいのです。いや。この、心を育む部分こそ第一に大事にしてほしいのです。
 そして、よく、心の部分はみることができないとか言いますが、それは、数値化こそできませんが、少なくとも記事にさせていただいた部分においては、子どもの言動などで、みることができるのです。
 フルタさんがコメントしてくださった、
『会うたびにみんな可愛らしさが増してきます。』
 これも、みることができる部分ですね。前段では、ちょっと暗い気持ちになりましたが、ここで救われた思いになりました。
 ありがとうございました。

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