2008年11月07日

toshiの学級だより論(2)4

4c886b5e.jpg 本シリーズの前記事でもふれさせていただいたが、学級だよりというものは、教員サイドからみれば、出すのも出さないのも担任の自由である。

 だから、わたしの場合、異動になった直後は、すぐは出さないで、まわりの様子をみることから始めた。

 でも、結果的には、5月ごろから出すことになる。そういうことが多かった。それだけ、どこの学校へいっても、出す教員が多かったということになるだろう。


 このようなことを書くと、読者の皆さんはいぶかられるかもしれない。

『toshiは、誰も出していなかったら、自分も出さないのか。』と。


 そこで、言い訳だが、

 そういうことではない。

 折をみて、『ねえ。学級だよりを出そうよ。』と、呼びかけることはしようと思っていた。呼びかけたうえで、自分も出す。そうなるチャンスを待つという気持ちだった。


 ある学校へ異動になったときだった。そのとき、わたしは40代。着任した学校の多くの学年は2学級。わたしは若い女性の先生と組むことになった。


 異動後の初日。職員室を中心に、何がどこにあると、説明を受けているときだった。
「これはカット集です。各学年分がそろっています。学級だよりを出される先生は、カットにこれを使うことが多いですね。」

 わたしは、上記の意味でのチャンスが、早くもむこうからやってきたという思いで、尋ねた。

「ほう。学級だよりを出される先生は多いのですか。」

「はい。半分以上の先生は出していますね。なかには、みんなには言わないで、こっそり出している人もいるようですけれど。」

「先生は出されるのですか。」

「はい。わたしも気が向いたら出すようにしています。出す年と出さない年とがあるのですけれど。・・・。toshi先生は出していらっしゃったのですか。」

「はい。出していました。今は異動になったばかりですから・・・、でも、先生も出していらっしゃるのなら、最初から出すことにしようかな。」


 そのようなやり取りをしたので、このときは、子どもたちとの出会いの日から、お互いに出すようにした。


 そして、2号、3号発行となったある日、その教員から言われる。

「もう、toshi先生の学級だよりはすごいですね。文字が細かく、びっしりで、まるで新聞を読んでいるみたい。それに子どものことが満載で・・・、わたしのなんか、うすっぺらで中身なんか何にもないみたい。」

「そのようなことはないでしょう。わたしは週1回の発行なのに対し、先生は、1回1回の量は確かにわたしより少ないけれど、でも、もう、毎日のように出していらっしゃるではないですか。」

 この先生は、いきなり張り切られたようだった。そのすごいペースに、わたしは称賛の声を何度も送っていた。

 学級だよりは、もともと出すのが自由であるだけに、いざ、出す場合でも、それぞれの教員が、それぞれの持ち味をフルに発揮して出すのが一番いい。

 そのようなことも言った。



 ところで、わたしの魂胆は、学級だよりを出す先生を増やすことだ。そのためには、職員室で、学級だよりが話題になるようにするのが一番。

 そこで、わたしは、前号でも書かせていただいたが、自分の学級だよりは、全教職員に配布するようにした。そして、現に、出している教員に対しては、そうするように呼びかけた。

 最初は、管理職と同学年に配布していただけだったのが、だんだん、わたし同様にしてくれるものがふえた。

 わたしは、その協力に感謝した。



 しかし、なかには、批判の材料にするものもいた。

「こんな、文字ばかりの学級だよりなんか、保護者は読まないでしょう。もっとカットなども入れて、読みやすくしなくちゃ。」

 そうすると、同学年の教員を中心に、フォローしてくれた。

「それが、そんなことはないのですよ。わたしのクラスの保護者も、『1組のたよりも、2組のたよりも、それぞれのよさがあってすてきです。お隣のクラスの方と学級だよりを交換し合って両方読ませてもらっています。どちらも楽しみにしているのですよ。』などと、連絡帳で、教えてくれます。」

「toshi先生のおたよりは、子どものエピソードなどを通して、子どもをすごくほめていらっしゃるから、読んでいて楽しいし、〜。」


 わたしは、あるとき、学級懇談会後の雑談で、
「ある先生から、〜のように言われてしまいましたよ。」
と口にした。

 すると、みなさん、口々に、
「そのようなこと、あるわけがないじゃないですか。みんな、読んでしまうと、次の発行を楽しみにしているのです。」

「もう、うちの子は、帰ってくると、すぐ遊びにとび出してしまうので、月曜日になると、すぐ、『ねえ。学級だより、出していきなさい。』って声をかけるのですよ。」

 うれしいが、ここまで言われると、月曜日の発行を義務づけられた感じになる。もう、遅れでもしたら大変だ。


 さて、全教職員に配付する話に戻そう。

 
 『わたしのクラスの子どもたちの一挙手一投足を全教職員に知ってもらう。』それもねらいの一つだ。

 すると、わたしのクラスの子どもに出会ったとき、気軽に声をかけてくれる教職員が増える。それが子どもたちの励みになる。

「toshi先生のクラスのAちゃんに、『この前学級だよりに載っていたね。Aちゃん、〜のようなことをしたなんてすごいね。』って声をかけたら、Aちゃん、とてもうれしそうでした。」

などと報告を受けることもある。そういうときは、教室で、わたしからも言う。
「B先生に声をかけてもらったのだってな。よかったね。」

 保護者も含め、二重、三重の心のひびき合いとなる。



 こういう話題を職員室で増やすと、若い先生が、

「toshi先生、わたしも学級だよりを出そうかなと思います。」
と言ってくれるようになる。

「おお。出しなよ。出すといいよ。学級経営がやりやすくなる。」

 そして、前号にも書いたが、

・ただ単に、保護者や子どもへのサービスという意識だけで出すのは、負担感、義務感のみふえて、よくないこと。

・家庭で、親子が話題とするような、そのような記事が望ましいこと。

・数号発行したら全部の子どもが載るというのが望ましいが、そこまでの自信がないなら、イニシャルによる掲載が望ましいこと。

そのようなことを話した。


 ベテランは・・・、

 これはいい。

 もうご自分で確固とした経営方針をもっていらっしゃる。出さなくても、盛り上がる学級経営をされているのであるから、これはもう、出さなくてもいっこうに構わない。

 前号で、『楽しみで、電車の中でいつも読ませていただいています。』とおっしゃる先生も、ご自分が発行されることはまずなかった。



 さて、保護者から、
「わたしのクラスでも、学級だよりを出してほしい。」
と言われた場合は、

 素直に、それで出すことにした先生も、大勢いらした。それはそれでありがたく思った。


 でも、今、ここで、一番書かなければいけないのは、

 わたしが校長で、

 保護者からそういう声があるにもかかわらず、

 出さない先生がいた場合の、

 わたしの対応だよね。



 さあ、どうしたか。

 直接そういう声を聞いたことがないので、実際に応えたことはなかったのだが、

 もし、聞いていたら、以下のように応えただろう。

「それぞれの先生は、それぞれ、自分の得意不得意とするところがあります。それぞれの先生が、みな、自分の得意とするところで、学級経営にがんばってもらえればいいなと思っています。

 わたしの場合なら、文章を書くのは好きでした。でも、もう、歳をとると、休み時間子どもと遊ぶのは、たまにはやったとしても、いつもとなるとしんどくなります。

 どの先生も、学級だよりをだしましょう。どの先生も、休み時間、子どもと一緒に毎日遊びましょう。そういう主義でやっていくと、そうした項目がどんどん増えてしまいます。やがて、それは無理ということになります。

 そして、『どの先生でもできることしかやっちゃあダメ。』という気運がでてきてしまうこともあります。

 そうなると、学校の雰囲気は、沈滞していくのです。」

 まあ、このような話をしないで済んだのは幸いであった。



 ああ。でも、似たようなことはあったなあ。


 それは、PTAの会合だった。ある保護者の方から指摘された。

「体育の授業のときの体育着の着方が、学級によってまちまちですね。寒いからということで、上に、はおってもいいとするクラスもあれば、厳格に、体育着のみとしているクラスもあるようです。それでいいのでしょうか。

 学級によって、過保護だったりきびしかったりするのは、子どものためによくないと思うのですけれど。」


 わたしは、こう応えた。

「そこまで、学校として、そろえなければいけませんか。

 保護者の皆さんにもお子さんに対し、いろいろな考えがおありだと思います。学校の教員もそうなのです。

 学校へ来れば、すぐ体育着に着替え、お帰りのときまでずっと体育着で過ごしているクラスもあります。それはそれで、その担任の子どもへの思いがあるのであり、わたしは、各担任の思いを大切にしていきたいのです。

 ただ、寒さに負けない丈夫な体の子。

 そういう願いはわたしにもありますから、わたしはわたしで、全校朝会などで、『いつも、もう一枚服をぬいでも、寒くないかな。大丈夫かな。』そう思いながら、生活しましょう。そして、ぬいでも大丈夫と思ったら、ぬぐようにするし、寒いなと思ったら、着るようにするし、その辺をいつも心に留めて生活してください。

 そのような声かけはしていますし、教職員にも、そうした姿勢は呼びかけています。

 それでいいのではないかと思いますが、どうでしょうか。」

 大部分の保護者の方は、わたしの意見に賛同してくださった。


 最後は、学級だよりと離れた話題になってしまったが、ご理解いただけただろうか。


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上記の、保護者が学級だよりを交換し合いながら、読んでくださったと言う、この学年の話題は、これまでも、何度か記事にしています。

 とにかく、とても楽しい学年経営でした。

 今、その過去記事にリンクさせていただきますね。

  豊かな人間関係の構築を(3)

rve83253 at 08:32│Comments(2)TrackBack(0)学級経営 | 学級だより

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この記事へのコメント

1. Posted by 石田剛   2008年11月22日 05:20
はじめまして。石田申します。
いつも、興味深く拝読させていただいています。

>  そして、『どの先生でもできることしか
> やっちゃあダメ。』という気運がでてきて
> しまうこともあります。

こういうことが起こるのは、とてもマズいことですね。これは集団が多様さを失った時に起こる重大な害だと、石田は考えています。

石田は、行き過ぎた同調圧力や「みんなおんなじ」を過度に好む傾向が、このような結果を導くことが多々あるのではないかと考えています。
toshi先生のこのエントリでは、このようなことを避けるためのスキルについて、とても重要な考えるきっかけを頂きました。
ありがとうございました。
2. Posted by toshi   2008年11月23日 23:05
石田剛さん
 子どもの個性を大切にしていくのなら、校長は担任の個性も最大限尊重していきたいものです。そして、教育委員会には、各学校の主体性を尊重してほしいものだと思います。強く思います。
 今、そうではない風潮があるように思い、憂慮していますし、そうならないようにという思いで、ブログも書かせていただいています。
 どうぞ、応援、支援してくださいね。よろしくお願いします。

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