2008年11月23日

昨日の『たけしの日本教育白書2008』をみて、3

49e99dfb.jpg 昨日、『たけしの日本教育白書2008』を見た。

 同番組では、これまで、拙ブログに登場させていただいた方々が、何人も出演された。

 長時間の番組だったが、ここでは、『供ァ岾惺察廚諒僂錣蕕覆ゃ!』をとり上げてみたいと思う。


 
〇橋下大阪府知事が出ていろいろ語っていたが、わたしが危惧したことは、
 『ああ。この調子だと、視聴者の皆さんは、みんな、橋下氏の話は正論だと支持されるのではないか。』ということだった。

 そこで、ここでは、同知事が話したことを中心にとり上げ、わたしの思いも述べさせていただきたいと思う。


 同氏は、例によって、教育委員会をやり玉に挙げていた。

 ちょっと言葉は違うが、

『教育委員会は、特権階級的で、民意を反映していない。知事などが、教育内容まで踏み込んでとやかく言うのは確かにいき過ぎだと思うが、民意を反映している知事などが、反映していない教育委員会に対し、一切ものが言えないということはないはずだ。』


 同番組では、ある一つの図が示されていた。

 その図には、まず、文部科学省を一番上において、その下に、都道府県教委、さらに、市町村教委、そして、各学校というたて系列が記されていた。

 そして、同時に、都道府県教委の横には、任命権者という意味で知事、市町村教委の横には、同じく市町村長が示されてもいた。



 同知事の話と、この図。視聴者の方には分かりづらいだろうなと思った。


 確かに日本の教育行政の組織は、おかしいのだ。


 文部科学省の下にあるという意味では、国の下請けのようでもあり、

 地方行政府の長が任命するという意味では、地方分権のようでもあり、

 さらに、その長は、任命することはできても、口をはさむことはできないという、一見民主主義的ではないようにみえる説明もあった。


 わたしもこの矛盾は感じている。現行でいいとは思っていない。

 この矛盾がなぜ起きたかというと、

 一つは、これまで何度も書かせていただいたように、戦後発足した当時の教育委員公選制が、数年後、首長任命制に切り替えられたことと、

 戦後しばらく、国は、地方教育行政や学校教育を支援するようになっていたが、だんだん管理色を強めてきたことに起因すると思っている。



・橋下知事は、口に出して言わなかったものの、

 知事が任命権者である以上、知事が変わったら、一気に教育委員も変えたかったのであろう。そうできれば、全国学力調査の結果の開示をめぐって、あんなにもめることはなかったのだものね。


 この点については、片山前鳥取県知事が、うまく説明していた。

「知事が変われば、すぐ全教育委員が交代するようになると、知事が変わるごとに、教育行政は大きく転換することも起きる。

 これでは、教育が政治の影響を強く受けることになってしまう。そして、教育行政の安定性が保てなくなるので、

 各委員の任期満了を待って、順次、次の委員を任命するようにしている。任期は4年だから、ちょうど知事が退任するころ、知事が任命した委員ばかりになるということになる。

 それで、教育行政に、知事の権限が及ばないようにしているのだ。」


 また、寺脇元文部科学省大臣官房審議官は、

「教育委員はもともと、公選によって決められるようになっていたのですよ。今の時代は、そのかたちに戻すことがいいのかもしれませんね。」

と、わたしの持論を語ってくださった。


・そうなのだ。片山前知事の話は、的確でよい説明とは思ったが、

 こういうやり方は、苦渋の策といえよう。公選制をとり上げておきながら、教育行政の独立性も守ろうとするわけで、やはりどこかすっきりしない。

 公選制に戻せばすっきりするね。

 そうすれば、教育行政の独立性を保ちながら、その行政の責任は、住民に対して直接責任を負うことになる。


・また、全国学力調査を、全国で唯一実施しなかった瀬見井犬山市教育長も出席されていて、

「実施しなかったからと言って、国からおとがめを受けることは一切なかった。地方教育行政の独立性は、しっかり保たれている。だから、調査を実施するかどうかは、各教育委員会が、しっかりと見識を持って判断すればよい。」

 この意見。橋下知事にとっては、不愉快だったであろう。

「犬山市長は、調査実施を主張していたと聞いている。」
と述べた。暗に、教育行政は、首長の責任において行われるべきと述べているように見えた。やはり、民意を反映しない、教育行政の独立性というのを問題視しているようだ。

 分かっていないか、分かろうとしていないか。



〇上記、瀬見井教育長の話にもかかわって、教育行政の主体性のなさについても話題となった。

 長年の悪しき慣行によって、教育委員の多くは名誉職化し、主体性のない教育行政になってしまった。

 だからであろう。大阪府の各教育委員会は、けっきょく、知事の言いなりになってしまったようだ。また、国は地方教育行政の独立性をある程度認めているにもかかわらず、地方の方が、国に隷属しているかのようなやり方をとってしまう。

 これは、なにやら、先日の拙ブログ記事『学校教育の復権を!』のなかの、『教員も自ら学習指導要領拘束性の呪縛にはまってしまっている。』を思わせた。



・番組では、あきれてしまうような事例をとり上げていた。

 ある学校で、ある保護者が、『うちの子は給食が苦手なので、お弁当を持たせることを認めてほしい。』とお願いしたところ、

 校長は、自分で判断ができなくて、どう答えたらよいか、市町村教委におうかがいをたてた。すると、市町村教委は都道府県教委へ、都道府県教委は文部科学省へおうかがいをたてたと言う。

 国はどう答えたか。『そのようなことは、そちらで判断してください。』


 これが実際にあった話だとのこと。もう、まるで、マンガではないか。

 校長から各教育長に至るまで、いかに、主体性をなくしているか。わたしは、あきれてしまった。


 上記、リンク記事のタイトルは、『学校教育の復権を!』としたのであった。

 しかし、これは正確さを欠いていたね。『学校教育は主体性を発揮して!』と述べるべきであった。


・この番組には、人気抜群の、東国原宮崎県知事も出席されていた。そして、

「北海道も、東京も、九州も、同じ学習内容なのはおかしいのではないか。住んでいるところが違えば、学習内容も、当然違いがあっていいはずだ。」

 これには、思わず、我が意を得たり。ほんとうにうれしく思った。上記、橋下知事とはえらい違いだ。

 同知事は、お笑い出身でありながら、ほんとうによく、地方行政について学ばれている。それは知っていた。しかし、教育についても、このような見識をもたれていることに、あらためて敬意を表したしだいだ。

 

〇同番組では、東京都教委の、『学校における採決禁止』通達も話題になった。

 わたしは、議論を聞いていて、拙ブログ過去記事の補足をさせていただかなければいけないなと思った。

 ここでは、その補足部分だけにふれさせていただきたい。


・この通達は、上記、『保護者のお弁当を持たせたいという要望。』

 これに対して、国が判断を加え、各教育委員会に通達を出したという、それと同じになってしまうのではないか。

 何もこのようなことまで、通達を出す必要はない。各学校長の判断にゆだねていいはずのことだ。

 また、教員の意向を聞くことさえ禁止していることが分かった。


 ただでさえ、校長は、孤独だ。それなのに、教員の意向を聞くこともできないなら、学校運営を間違えてしまうことも、続出しそうだ。


・同番組には、ただ一人、都教委に反旗をひるがえした校長も出席していた。わたしは少し心配になった。

 校長同士、横の連携はどうなっているのだろう。それが図れないのだとしたら、弱いなあと、嘆かわしい気分になった。


・この番組に、都教委は欠席した。武断的な政策をとっておいて、こういう番組に出ないとはどういうことなのだろう。説明責任を放棄しているとしか思えなかった。



〇最後に思ったことは、

・各地方行政府の首長は、ほんとうに、識見、実行力、ともにある人を任命すべきだ。そして、主体性のある教育行政を行えるようにする。議会も、この任命人事の承認を無自覚に行うのではなく、ちゃんとしっかり審議した上で、承認、不承認を決定すべきだ。

・わたしの立場からすればなさけないことだが、教育委員には、退職した学校長など、教育現場のものがなることが多いだろう。どうも、そうした人たちが、主体的に判断する力をなくしているように思えてならない。


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〇この番組には、本記事には直接かかわりませんが、おもしろい話題が出ていました。

 トロッコの問題というのがあるそうです。

 『5人が線路上にいて動けない状態があったとします。そこに、猛スピードでトロッコが走ってきました。あなたのそばには、ポイントの切り替え装置があるので、トロッコを5人いる線路から、そらすことができます。
 ただし、その場合、切り替えた線路上には、1人の人間がいて、こちらの人が轢かれてしまいます。
 この場合、あなたならどういう行動をとりますか。』

 さあ。何もしなければ、5人が事故にあってしまいます。ポイントを切り替えれば、1人が事故にあう。そういう設定です。


 そう思って考えていたら、すごい解答が紹介されました。思わずうなってしまいました。

 そこで、同番組を見ていなかった方は、どういう答えだったか、考えてみるのも、一興かな。
 


 早くもそれを書いたブログを見つけました。今、リンクさせていただきます。

   kuma days
 

〇もう一つ。

 同番組には、石原都知事も出席されました。

 とても共感できる言葉がありましたので、紹介させていただきます。

「人間の感性は自由なんだよ。一番大切なのは個性。感性。情念。人間は誰もがピカソなのだ。」


 しかし、わたしは、かつて、都知事を批判する記事を書いたことがあります。下記リンク記事の6です。

   PSJ渋谷研究所Xさんに触発されて 

 なんか、双方はまったく相反する考えです。どう整合するのでしょうか。

rve83253 at 08:13│Comments(22)TrackBack(0)学校経営 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by che   2008年11月24日 00:21
トロッコ問題…私もその番組を見ていませんでしたが
おなじ答えにたどり着きました。
このことは問題に対処する時に
どうやって答えにたどり着くのか?
という点で示唆に富んでいるテーマだと思いましたので
このテーマで記事を書いてみました。
参考にしていただけたら幸いです。
2. Posted by もののあはれ   2008年11月24日 00:52
はじめまして。
番組名で検索をかけているうちに、たどり着きました。
二人の小学生をもつ母親です。

番宣でのこの「トロッコ問題」の投げかけ方に興味があったので、子供達にも質問してみたりしました。
つまり、番組からの課題は、
「どちらを選択するか?」ではなく、
「どちらか一方を選択した理由をどう教えるか?」
だったからです。

しかし番組の中では、問題の提起をされただけで、納得の行く取り上げ方をされていなかったのがとても残念でした。

わたしは、この問いには答えがないと思っています。
つまり、どちらを選択しても正解であり、不正解である。
「答えが出せない」と言うのが答えかなと。

2択以外に選択肢はありません。これが大前提です。
しかし、どちらか一方を選択した、考え方のプロセスを子供達には分かってほしいと思いました。
詳しくは、手前のブログに書きました。(アメブロ「もののあはれな日々」です。)よろしければお立ち寄りください。

今、教育の現場ではどんなことが起こっているのか、教育委員会はどうなっているのか、システムはどうなのか、教師の考え方は?環境は?
システムなど難しい事はよくわかりませんが、明らかに自分が子供の頃過ごしていた教育環境とはまるで違ってきている、そして、ある意味、崩壊寸前のギリギリのところに立たされているのでは?という、危機感は薄々感じています。

しかし、この番組、概ね拝見しましたが、はっきり申し上げて、その内容にはがっかりさせられる事が多かったです。

やり方も、結論も何も無かった割に、時間だけが大きくとられていて、?な番組でした。

長文、失礼をしました。

3. Posted by 石田剛   2008年11月24日 04:40
石田も教育委員の公選制を支持する者です。しかし、同時に現状で教育委員が公選制になっても、すぐには良い事は起こりそうにないとも考えています。
教育委員の公選制が良い成果を挙げるには、投票する方の多くが公教育に対する当事者意識を持ち、当事者としての権利と責任を自覚する必要があると考えています。具体的には「偉い人が推薦した人に投票する」「誰かに頼まれたとおりに投票する」方が多数のうちは、公選制は高い効果を生み出さないでしょう。
この辺の事情は、議員や首長の選挙についても、同様のことを石田は考えています。もっと多くの方に、自分の頭で考えて、有効票を投じてほしいものだと、石田は常々考えています。

「教育行政の独立性」はとても重要なことだと石田は考えています。
しかし、地方議会議員が選挙運動の支援を中央政党に求める見返りに、国政選挙の集票要員として働くような状況では、公選制によって独立性が得られるものか、石田は危惧を抱かざるを得ません。

結局、石田の考えは「民主主義という装置は有権者が賢くないと良い結果を出力しない」というところに、今のところ行き着いてしまっています。
4. Posted by 石田剛   2008年11月24日 04:41
> 長年の悪しき慣行によって、教育委員の多くは名誉職化し

石田も現状の教育委員会について、そのような印象を抱いています。現場をよくご存知の方の間でも、この認識は共有されてしまっているものなのでしょうか?
だとすれば、そんな教育委員会はいっそなくなってしまえば良いとすら、石田は考えています。


「トロッコ問題」は、とても奥の深い思考実験だと、石田は考えています。
奥の深さゆえにテレビで中途半端に取り上げて、おかしなことにならなければ良いがと、ちょっと危惧しています。テレビを見た方が、ご自身が考えるきっかけにしてくださるのえあれば、それは良い事だと考えます。
石田は、今のところ「トロッコ問題」の一般解は無いと考えています。そのとき自分が最善だと考えた行動をとるしかありません。あとで、そのことで悩んだり辛い思いをするかもしれませんが、これはどのような選択をしたとしても同じことです。
「トロッコ問題」においては、解を得ることではなく「考えること」が重要なのだと、石田は考えています。
5. Posted by toshi   2008年11月24日 08:33
cheさん
 お久しぶりです。
 トロッコの問題、おもしろいなあと思いました。二者択一に慣れた日本人には、なかなか、cheさんがおっしゃるような解答にたどり着かないのではないかと思いました。柔軟な思考力がないとダメですね。
 かく言うわたしだって、硬い頭なのでしょう。どちらかと一生懸命考えてしまいました。
6. Posted by appochan   2008年11月24日 09:27
初めて訪問します。
息子の「見ているかい?」との誘いで、途中から見ました。教育委員会という名称は紛らわしく混同されやすいのです。教育委員5人で開く会議も教育委員会。「学校教育」「社会教育」「社会体育」など、「揺り篭から墓場」までの教育を推進する事務方が仕事をしている所も教育委員会と言うのです。
実際に携わってこなければ、簡単に理解できないのです。
いろいろな具体例で説明するのが分かり易いですよね。
7. Posted by toshi   2008年11月24日 10:48
もののあはれさん
 そうですね。わたしも、どちらが正答ということはないと思います。どちらかを選択した理由を重視した問いなのでしょう。
 このことだけで言えば、問題解決学習や総合的な学習の時間に大切にしていることと、なにやら似ていなくもありません。
 そして、出題者側の思いとしては、二択以外の答えはないでしょう。しかし、回答者側はどう答えようと自由だと考えます。そこで、kumaさんやcheさんの答えには、感服したしだいです。柔らかで柔軟な頭脳の持ち主と思いました。
《自分が子供の頃過ごしていた教育環境とはまるで違ってきている、そして、ある意味、崩壊寸前のギリギリのところに立たされているのでは?》
 この思いはわたしももっています。教育をめぐっての世論がギスギスして性急で、とても精神的なゆとりがありません。マスコミ等から聞こえてくる学校現場も,その荒波にもまれたり、みずから荒波に飛び込んだりしているようです。
 でも、少なくとも、わたしが直接かかわっている現場では、そのような荒波は見られません。おそらく大部分の学校は、ちゃんと落ち着いた教育活動をしているのだろうと思っています。
 
8. Posted by toshi   2008年11月24日 11:14
石田剛さん
《民主主義という装置は有権者が賢くないと良い結果を出力しないというところに、今のところ行き着いてしまっています。》
 これはまったくその通りと思います。民主主義にもいろいろな問題はあるのですね。
 しかし、民衆の意識が低いのだから、民主主義制度はよくないといった論理を展開する人はまったくいません。意識が低くても、やはり、民主主義制度はいいものだという意識は定着しているものと思われます。
 そういう意味で、《教育委員が公選制になっても、すぐには良い事は起こりそうにない。》のですが、少なくとも民意を反映させることは大切と思うわけです。
 現在の大阪で、教育委員公選制をとり入れたとして、おそらく、学力調査結果開示を指示する委員が当選すると思われます。
 また、現在の犬山で、教育委員公選制をとり入れたとして、おそらく、学力調査の実施支持者が当選すると思われます。
 でも、民主主義である以上、民意がそうなら、それでいくべきです。
 わたしは、微力ではありますが、そうならないように、一生懸命主張していきたいと思っているのです。

 教育委員会制度について、少なくとも、我が地域においては、公選制はもちろんできませんが、名誉職化でない、他よりは、よく機能した組織になっていると思います。
 ごめんなさい。たとえ名誉職化していても、教育委員会を廃止したら、けっきょく、地方行政府の教育行政となり、ときの知事の権力志向でいかようにも動かされ、不安定な教育行政となってしまいます。現状ですら、セーブのきかない知事がいるのですから、これは大変なことになるでしょう。
 やはり、ここは、教育委員会制度が実り豊かなものになる方向で、主張していきたいと思います。
9. Posted by toshi   2008年11月24日 11:23
appochanさん
 初めていただくコメント、ありがとうございます。
 わたしも、教員でありながら、若いころは、ほとんど理解できていなかったですね。学校教育課というのがどこにもあると思いますが、そのはんちゅうの事務方しか理解していなかったと思います。
 ですから、成人式の警護も指導主事と聞かされたときは、ほんとうにびっくりしたものでした。
 これだけ、教育が論じられる社会になると、教育委員会制度も、正しく理解していただくよう、よく説明責任を果たさなければいけませんね。
10. Posted by 石田剛   2008年11月24日 17:55
石田が「いっそなくなってしまえば良い」と考えている教育委員会は「名誉職」化した結果、「ときの知事の権力志向でいかようにも動かされ」てしまう状態になってしまった教育委員会のことですので、 toshi先生 の「教育委員会制度が実り豊かなものになる方向」には大賛成です。

石田は、子育てしている父親として公教育に強い関心と利害関係を持っています。
石田は教育の専門家ではありません。

石田は、公教育が実り豊かなものになるために、自分に何ができるか、少なくともこれから十数年は考え続けなければならない予定です。
その立場で経験豊富な専門家である toshi先生 のご意見を、こうして読むことができることを、とてもありがたいことだと、石田は考えています。
11. Posted by toshi   2008年11月25日 06:08
石田剛さん
 よかった。ありがとうとざいます。
 マスコミ等の論調でしか知りませんが、今、現実にほとんど、名誉職化しているみたいです。それも、退職校長など、現場にいた人間が、多数教育委員に任命される傾向があるようです。わたしは、現場の人間もある程度は必要でしょうが、そればかりではダメだと思います。だって、防衛大臣に自衛隊OBがなるようなものですものね。
 そういう意味では、このブログでも、石田さんのように、教育のプロではないが、《子育てしている父親として公教育に強い関心と利害関係を持っている》方と、わたしのようなものが連携し合うことは、とても大切と思っています。
 意見が異なることだってあるでしょう。
 でも、『理解し合あえるな。』『ああ。この部分は認識が違うな。』『でも、勉強になったな。』という部分が必ずあるはずですから、たとえ違いがあっても、それを乗り越えて連携し合うことができたら、とてもすてきだなと思っています。
 どうぞ、そういう意味でも、よろしくお願いします。
12. Posted by 石田剛   2008年11月27日 03:30
> 現場の人間もある程度は必要でしょうが、
> そればかりではダメだと思います

石田も同感です。
現場で経験を積まれた専門家の方が、まったく居ないのは困りますが、そうでない方もバランスよく、教育委員に任命されるのが望ましいと、石田は考えています。

> たとえ違いがあっても、それを乗り越えて連携し
> 合うことができたら、とてもすてきだなと思って
> います

こちらも、まったく同感です。
石田はよく、「石田と全ての意見が一致する人は、この世に石田ひとりだけだ」などと言ったりします。だからと言って、石田は自分が協調性が無いなどとは考えません。
意見の違いを理解し、違いを尊重しつつ協調できるのが最善と考えています。このために、自分の意見を述べ、誰かの意見を聞くことは、とても大切なことだと、石田は考えています。

ちょっと脱線です。
この「脱線」で述べる内容に反するようなことを、 toshi先生 のご意見の中で見かけたわけではありませんので、そこは誤解なきように願います。
協調と同調は別物だと石田は理解しています。
行動の成果を高めるために、全員の意見を一致させようとするは、石田は不気味な試みだと考えています。
また、自分の意見に他者を同調させようとすることも、不気味なことだと石田は考えています。
脱線終わり。

これからも、 toshi先生 のご意見お読ませていただき、石田なりにいろいろ考えることになる見込みです。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
13. Posted by toshi   2008年11月28日 08:03
石田剛さん
《協調と同調は別物》
 ほんとうにその通りですね。議論するとき、この双方は使い分けたいものだなと思いました。意見が異なっても、協調はできますものね。
 同調は、2種類あるのではないでしょうか。
 自ら主体的に同調できるのなら、すればいいと思います。しかし、付和雷同型の同調では、議論は成り立ちませんね。
 あっ。そうか。石田さんがおっしゃるように、「石田と全ての意見が一致する人は、この世に石田ひとりだけだ。」というような厳密性を持たせれば、すべてにおける同調は、付和雷同型となるでしょうね。
 わたしが言っているのは、ある部分における同調でしょうね。 
14. Posted by 石田剛   2008年11月29日 21:15
toshi先生 コメントありがとうございます。

> 自ら主体的に同調できるのなら、すればいいと
> 思います。

石田も、これなら良いと考えます。ただし、石田はこういう行動は「同調」でなく「同意」と呼んでいます。
toshi先生のおっしゃる「ある部分における同調」は、おそらく石田の言葉で言いかえれば、「他人のある特定の意見に同意する」になるんだと、石田は考えています。

> しかし、付和雷同型の同調では、議論
> は成り立ちませんね。

まったくです。これこそが、石田がもっとも忌み嫌う「同調」です。
さらに石田が嫌う「同調」には、「彼の意見はどう考えてもダメなんだけど、もうそれで行く『空気』になってるから、ここは黙って沈黙の同意をしたふりをしておこう」という行動も含みます。

このことを考えるとき石田はつい、これが戦艦大和とその数千の乗員を、無意味な死地に追いやったのは、「空気」と称する「同調圧力」だったという可能性について考えてしまいます。人がこの「空気」に支配されることの愚かさに戦慄します。

このとき出撃なさった乗員の方の多くは、前途ある若者だったり、だれかの父親であったり、老いた母を田舎に残してたりする、つまり普通の人たちだったはずなのです。その方々の命が、密室の「空気」に抗う勇気を持たなかった、少数の人々によって失われてしまうのだとしたら、「叡智ってなんだろう」とちょっと放心してしまうのです。
15. Posted by 石田剛   2008年11月29日 21:16
(つづきです)

ちょっと脱線が過ぎますね。
元にもどします。

まとめると、この「協調」と「同調」の考えについて、toshi先生と石田の意見には、大きな違いは無いと、石田は解釈しています。なにか石田が勘違いしているようでしたら、ご指摘いただければ幸いです。

複数人が「協調」するには、必ずしも全員がその協調行動について、意見が完全に一致している必要は無いと、石田は考えています。
もっとも、意見が異なっているがゆえに「協調」しないケースや、意見は異なってないんだけど、別の理由で「協調」できない場合などもあります。念のため。

たとえば、安斎育郎先生ときくちゆみ氏は、「憲法 9条 堅持」という意見はたぶん一致しているのでしょう。しかし、このおふたかたが「協調」するのは、安斎先生の活動にとって不利益だから、「協調」すべきでないのではないかと、石田はちょっと思ってたりします。
また脱線してますね。すいません。

あんまり話が膨らむと、際限がなくなってしまいますね。あいすいませんです。
16. Posted by toshi   2008年11月30日 06:43
石田剛さん
 おっしゃること、いちいちごもっともで、日本人の悪弊が書かれているなと思いました。
 まさに、それではいけないのであって、学校教育が目指すものも、自ら主体的に生きる人格の形成であるはずなのです。それなのに、これは学校教育だけの責任ではないと思いますが、悪弊は今も持続再生産されているようです。
《意見が異なっているがゆえに「協調」しないケースや、意見は異なってないんだけど、別の理由で「協調」できない場合などもあります。》
 これは、小学校において、学習グループをつくる際にも、心したい点だと思います。記事を書く際のいいヒントをいただきました。『協調』は、『仲間』と置き換えての話になると思いますが、いろいろ考察してみたいと思います。ありがとうございました。
17. Posted by 石田剛   2008年12月01日 04:00
toshi先生
先生のおっしゃる「自ら主体的に生きる人格の形成」が重要であるとのご意見、石田もまったく同意です。

そして子供は、学校でなくとも家庭や、友達との関係や、地域の活動(子供会の活動とか、自主的なボランティア活動とか)を通して、このことを学ぶべきと、石田は考えています。
ついでに、大人も PTA や地域の活動(自治会とか消防団とか)や仕事や政治への関与を通して、このことを生涯考え続けるべきです。

>> 《意見が異なっているがゆえに「協調」しないケースや、意見は異なってないんだけど、別の理由で「協調」できない場合などもあります。》 <<

これを「記事を書く際のいいヒント」と取り上げていただいたので、「協調」についてもうちょっと石田の考えを詳しく述べさせていただきます。

集団での行動の成果を高めるために、その集団の構成員は大いに議論して、互いの意見を延べ、互いの考えを改善したり撤回したりしつつ、集団としての意見を集約すべきと、石田は考えます。
この集約した意見に、全ての構成員が完全に同意できればそれも良いのでしょうが、多くの場合はそうはならないと、石田は考えています。ほとんどの場合では、多くの構成員にとって「この『集団としての意見』に多少気に入らない部分がある」状態になるはずです。

しかし、各構成員はその『集団としての意見』が、どうしても許容できない内容を含んでいない限り、この意見の違いを理解したうえで、協調行動すべきと石田は考えています。

石田は、この『集団としての意見』を集約する段階を「議論する場面」、その後の協調行動する段階を、「総意に服する場面」などと呼んでいます。
18. Posted by 石田剛   2008年12月01日 04:01
ついでに、この集団が消防団や企業など、指揮系統を持つ集団であれば、ちょっと事情は異なると、石田は考えます。

まず、こういう集団でも「議論する場面」は重要です。しかし、その結果得る『集団としての意見』は指揮者に決定権があります。指揮者が「多数決で決める」と言い出さない限り、多数決は無用です。指揮者は、他の人員の意見を参考にするのみで、結論は指揮者が「決定」しなければなりません。

そして、「指揮系統を持つ集団」においては「総意に服する場面」は「指揮に服する場面」と、石田は言い換えます。指揮される立場の者は、「決定」に個人的に許容しがたい内容が含まれていても、それが犯罪行為でもない限り、その「決定」に従わなければなりません。イヤならその集団から抜けるしかありません。

学校における校長と教職員の間にも、指揮系統があるはずだと石田は理解しています。けどこれについては、石田がすごく勘違いしている可能性も、大いにあります。

ところで、「自主的なボランティア活動」ってヘンですよね。もともと「ボランティア」ってのは「自発的にやる」という意味のはずですから。まるで「危険が危ない」って言ってるみたいです。
けど、石田は残念なことに現代の日本には、「強制的なボランティア」が実在しており、これは主に「強い同調圧力に支配された、自ら主体的に考えない大人の集団」によって、存在させられていると考えています。
19. Posted by toshi   2008年12月03日 13:34
石田剛さん
 小学校に勤務していると、同意も協調も、日ごろの人間関係に支配されているところが大きいと感じます。これは、大人も同様でしょうが、子どもの場合より強いようです。
 そうした関係がつくられていれば、多少の違いは、主体的な意志で乗り越えられますし、おまけに協調的な資質も身につくと思います。

 校長と教職員の間には、指揮といえるような強い関係はないように思います。職員会議でも、多くはお願いであり、その理由の説明です。
 指揮というものは、瞬時の判断を要するとき、また、法規の遵守に関わるときくらいでしょうか。ふだんは要請と納得の関係にあるような気がします。
20. Posted by 石田剛   2008年12月04日 06:54
toshi先生
「日ごろの人間関係」を良好に保つことは、とても重要ですね。石田も組織で仕事していて、これは強く感じます。

石田自身は「日ごろの人間関係」を考慮せず、是々非々の議論ができ、かつ協調もできるのが理想だと考えています。ただし、人は機械ではないので、これが現実的でないことは重々承知しており、この理想を実現すべきだなどとは考えていません。石田が議論や協調をするときには、この理想を意識するように心がけてはいます。

校長と教職員の関係が、普段は要請と納得の関係であることは、石田も自然なことだと思います。気がかりなのは、要請して納得が得られなかった場合ですね。

責任に見合った権限が行使できることは、責任を負うための前提条件だと、石田は考えています。

強権を発揮できないのに、責任だけは負うのだとしたら、校長というのは割に合わない仕事のような気が、石田はしています。
もっとも、納得が得られなかったときは、最後の手段として業務命令を発することはできるのでしょうから、責任を負うことの前提は、たぶん整っているのだとは思います。
21. Posted by toshi   2008年12月06日 17:35
石田剛さん
《議論や協調をするときには、この理想を意識するように心がけてはいます。》
 なるほど。理想は理想として、現実とは区別しながらも、その理想を意識の中にはおくということ、よく分かります。
 わたしの場合は、仕事柄、豊かな人間関係の構築を第一に考えることが、信頼関係にも繋がり、ひいては、経営が楽しくなるという実感でしょうか。それを大切にしていると思います。ただ、それは、無原則な妥協や自己を放棄してまでの同調を意味するものではありません。
 それは豊かな人間関係の構築ではないと思います。
 校長の権限は、強くなっていると思いますが、今のところは、事実上は、要請と納得の関係だと思います。
 このことに関しては、過去に記事にしたことがあります。本コメントHN欄に貼り付けましたので、よろしければごらん下さい。『学校民営化?(2) 』です。
22. Posted by 石田剛   2008年12月07日 05:49
toshi先生

>> 豊かな人間関係の構築を第一に考えることが、信頼関係にも繋がり、ひいては、経営が楽しくなるという実感 <<

組織の中で、このように仕事ができることは、とても素晴らしいことですね。
このことは、教育現場に限らず、石田が属している、営利企業, 消防団, 町内会 や、これから属することになるであろう、 PTA, 保護者会, 子ども会 の類においても、とても役に立つことだと思います。

石田はとうてい toshi先生 のようにうまくはできないでしょうが、すこしでもこれを実践できるように心がけることにします。
ご教示ありがとうございました。

仕事は楽しい方が、やる気も出るし成果は上がるし、なにより楽しむこと自体が、石田の人生を豊かにする上で、とても重要なことだと、石田は考えています。

「無原則な妥協や自己を放棄してまでの同調」が「豊かな人間関係の構築」では無いとのご意見は、石田もまったく同感です。
自分の頭で考えることのできる自立した大人が、互いの意見の違いを知り、かつ尊重しつつ「豊かな人間関係の構築」を実践すべきと、石田は考えています。

『学校民営化?(2) 』のご紹介の件、ありがとうございます。さっそく、拝読させていただきます。

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