2008年11月28日

ああ。どうなってしまうのだろう。(2)3

7f318ed4.JPG 本シリーズ、先の記事で、ある有識者(?)の、『子供たちが荒れる理由は基礎学力の崩壊にある。』という主張は間違いだと述べたところ、

 いつもご愛読いただいているyokoさんから、

 少なくとも、お子さんの通われる学校においては、

『〜。基礎学力の崩壊が子どもたちの荒れを招くのではなく、子どもたちが荒れるから基礎学力の崩壊を招くのだと思う。〜。』というコメント(リンク先の5番)をいただいた。

 これには、わたしも同感で、上記、有識者の主張は、因果関係が逆なのだ。



 逆だと、当然、対応策が違ってくる。

 有識者の考えによれば、つめ込んででも、学力調査的知識・技能を上げようとするだろうし、

 yokoさんのような考えによれば、生活面での児童対応に留意しながら、興味・関心、意欲・態度など、子どもの内面の育みを大切にしての学力向上策を考えるであろう。



 そこで、本記事では、yokoさんがくださったコメントをもとに、2つの視点で、考察してみたいと思う。

 

その1 信頼関係の構築について


同コメントには、

 『(先生は、)いじめがあっても、起こった事柄のみしか見ていないのです。どうしていじめたのかその経緯やいじめた子供の心の内、いじめられた子供の心の内、その両方を汲み取ってあげないし、ただ謝らせればそれで終わりといった対応をしているのです。だからその後も続いてしまう。そして、子供達は先生を信用しなくなるのです。』

 わたしは、かつて、これにぴったり当てはまる記事を書いたことがある。

    鉄は熱いうちに打て(4)いじめ克服のために

 このように、かたちだけの取組で、子どもの内にあるものを軽視した結果、いじめを増幅させてしまっているのであれば、それは確かに、信用をなくすだろうね。


 信用。

 これはほんとうに大切だ。

 食物をつくっているのであれば、食物への信用。

 ローンを組むのであれば、ローンへの信用。

 そして、何より、わたしたちの仕事であれば、教員への信用。


 誰から信用されるかだって?

 それは、第一義的には、子どもからだろう。子どもから好かれ、子どもから信用され、信頼される教員。最低限、それだけは教員の資質として、なければならぬ。

 いじめへの対応一つにしても、誠心誠意、ことにあたることなのではないか。子どもにしても保護者にしても、『先生はあんなにも努力してくれた。』そうした思いがあれば、結果はともかく(結果も大切ではあるけれど)、納得してくれる度合いは高まる。


・それに関連して、気になるのは、

 いただくコメントやメールのなかに、管理職の資質を問う声も少なからず、あることである。

 教員に対し、的確な指導助言を与えることなく、ただ、どなったりお説教したりするだけとのこと。

 驚いてしまうね。こういうことまで、ちゃんと保護者に見抜かれてしまっているのだ。


・こういう管理職の対応は、先の記事におけるお三方の言動と、どこか似た部分があるよね。

 ドラゴンさんがコメント1番に書いてくださったように、相手を罵倒するのが話の目的だとすれば、それは、とても教育者のすることではないと、わたしも思うのだが、さらに言わせてもらえれば、ともに苦しみ、ともによくしていこうとする姿勢もない。


・彼らは、おそらく、子どもを威圧してでも(校長研修会で校長を罵倒していることからの想像だが、)徹底した反復訓練学習を実行することにより、子どもの点数が上がれば、信用は得られると思っているのだろう。

 でもね・・・。これも、yokoさんのコメントの前では、むなしく響く。



その2 学級内の二極分化構造

 
 次に、その結果は、学級にどのような影響を与えているか。
 
 yokoさんのコメントによれば、『できる子とできない子の差が、ものすごく開いている。』(すみません。やや穏便な言い方にかえてしまいました。)ということになる。

 いわば、学級内での学力の二極分化構造だ。いや。学力だけではないね。生活の仕方そのものも二極分化してしまう。



 これについては、わたしも思うところがある。

 簡単に言ってしまえば、教員の、子どもの内面を見つめての教育的営みがない場合、子どもの心は、あるがままの姿でほおっておかれることになり、その場合には、一人ひとりのあるがままの姿がより増幅される結果となる。

 気の強い子はますます強く、乱暴な子はますます乱暴に、元気のいい子は元気に、

 逆も真なり。おとなしい子はますますおとなしく、消極的な子はますます消極的に、

 したがって、学級内に、子どもの言動における二極分化構造ができ上がることになる。


 いつも決まった子の声しか聞こえず、

 やりたい放題の子と、あきらめの子と、

 
 これでは、いじめ、けんか、けがなどが、多発するであろう。授業中の教室内の立ち歩き、騒々しさなども、想像に余りある。

 まさに、授業は成立しなくなり、基礎学力を養うこともできない。

 それでも、何割かの子は、そういう教室内の雰囲気から逃避し、黙々と一人がんばるから、それなりの学力は身につく。つまり、学力も二極分化していくわけだ。



 さあ。こうした現実、実態があるところへ、いきなり、前記事に書いたような、有識者の主張などを持ち込んだら、子どもたちはどうなってしまうだろう。

 もう、簡単に理解できるよね。対応不可能だから、威圧したり、お説教したりするしかなくなる。そして、学力の二極分化は、より、深化、徹底されてしまう。



 そうではないだろう。


 わたしの考える改善策だが、

 
○教育委員は、どんどんそういう教育現場に入り込むべきだ。そうして一口に、荒れと言っても、その原因、状況は、学校それぞれ異なるだろうから、それを把握することに、全力を尽くすべきだ。

 教員の指導力に問題があるケースもあるだろう。

 『教員は一生懸命努力しているのにもかかわらず、〜。』というケースだってあるだろう。

 それらをいっしょくたにしても効果は望めないのだから、まずは、状況把握と分析にしっかり力を注いでもらいたい。

 そして、きめの細かな対策を講じてほしい。


〇管理職は、どんどんそういう教室に入り込むべきだ。そうして、担任とともに、子どもに接する。ふれ合う。

 幸いにして補助教員をお願いすることができたとしても、管理職が、率先垂範、努力しているという姿勢は堅持してほしい。

 それでこそ、学校の努力が、地域・保護者に伝わるというものだ。改善への努力に、最低限これは必要だ。

 そうしたなかで、指導性を発揮するのなら、効果も上がろうというものだ。


〇以上の努力と相まって、教員が、『子ども不在の授業』をやっているのなら、『子ども主体の授業』に転換させることを考えていく。

 


 どうだろう。冒頭述べた、『信用』。

 こうしたかたちでしか、学校への信用を回復することはできないのではないか。



 子どもたちの荒れの原因はさまざまだ。

 学校ごとに違うと言ってもいいだろう。その原因をさぐり、その学校の実情にあった改善策を考え、それを実行に移すとともに、同時進行で、授業改善も図り、そして、基礎学力の充実に努める。

 それが順序というものではないだろうか。


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 先の記事へのコメントでは、もうお一人、uenishiさんからもコメントをいただいています。同氏のコメントによれば、近いうちに第二弾があるとのこと。

 第二弾では、ぜひとも、本記事のように、言動に、ご配慮いただきたいものです。少なくとも、知事の方を向いた言動ではこまりますね。

   (3)へ続く。

rve83253 at 06:55│Comments(7)TrackBack(0)教育観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by みっきーまま   2008年11月28日 13:36
お久しぶりです。
いつも拝見させていただいております。
長男(小3)のとなりのクラスは学級崩壊になっているそうです。その先生が受け持つクラスは昨年もなったそうです。となりのクラスなので、長男にどうしてそうなるんだと思う?とたずねると、長男は「先生は子どもの心の中まで見れていないねん。おこった事柄しか見ていない。オレから、一人ひとり見ていったら、みんないいとこあるよ。それを見つけるどころか、ただ、授業やらなあかんって思ってるんやと思う。」と言っていました。長男はグループで作業をしたり、毎日グループディスカッションやったらいいのに!!と言っています。
先日は、私が話を聞いていて、びっくりしたのには、グループでリーダーを決めるときに長男が推薦したA君は、前のグループで何もしなかったからだめだとみんなに言われたが、後でA君がいないときに「A君はリーダーをすれば、やる気になるから大丈夫!」と皆を説得し、A君がリーダーになった。すると、とたんA君は眠っていた力を発揮したと言っておりました。そして、長男は今、ノートに皆の得意なこと、いいところを書き出すノートをつくろうかな?と言っています。そうすると、グループでそれぞれ活かせやすいからだそうです。長男に言いました。「先生がみんなそういう風に一人ひとりを見ると、となりの学級崩壊もなくなるのかしら?」長男は「そらそうやで!!心を見なあかん!同じ角度から見てるだけだと人の良さはわからんもん!!」長男は国語は○○くんが得意!音楽は○○さん!絵を書かせたら○○くんはすごい!声は○○さんがNO.1!などなど、全員の良さを言えると思います。いつもそんな話をしてくれます!!
そんな長男を我が子どもながら、私は尊敬しています。
2. Posted by みっきーまま   2008年11月28日 13:46
続き・・・
さて、先生はどうしてそんな風に人を見れないんだろうか?と話していたら、長男は、「誰にも、そんな大事なこと教えてもらわんかったんやろなあ。」と言いました。「あんたは、いつから、人をそういう風に見れるようになったの?」と聞くと、「そんなのは、おじいちゃんや、パパ、ママとしゃべってたら、そうなったんちゃう?それから本の中でも、そんなシュミレーションみたいなことが出てくるねん。だから、本は楽しいし、すごい!みんな本読んでもらってないねんてなあ〜。ママって変わってるで(笑)他のもん買ってくれへんけど、本だけは買ってくれるし、宿題せんでも怒らんけど、あの本もう読んだ?って聞くもんな(笑)」と言われました。でも、すごくうれしかったです。
長男の心の中でした・・・
3. Posted by yoko   2008年11月28日 16:33
私のコメントを取り上げていただき有難うございます。
この記事をそのまま先生方に見せたいような気もしますが…。
中学では、進路が中2でだいたい決まるのでしょうか?(まだ娘が小学生なのでよくわかりませんが。)その為中学ではその頃から不登校がぐんと増えるそうです。勉強がわからない子があきらめてしまい学校に来なくなってしまうというようなことを耳にしました。もちろんいじめや荒れが原因のものも多いようです。

先生は、子供の心の内を見ない。
校長・教頭は、先生方の心の内を見ない。
保護者は、先生方の心の内を見ない。

なんだか、そういう気もしています。

それにしても、みっきーままさんの息子さんってすごいですね。世の大人達がこうあるべきだと思いました。
4. Posted by toshi   2008年11月29日 10:15
みっきーままさん
 あとのyokoさんがコメントでふれていらっしゃるように、わたしも、『みっきーままさんの息子さんってすごいですね。』と思います。
 でも、おそらく、みっきーままさんとしては、『そんなすごいことをしてきたわけではない。』となりそうです。
 いつだったか、わたしは、家庭教育について論じたことがありましたが、わたしが、常々学校教育のあり方として申している、支援とか、しかけとか、そういったものが、家庭において、うまく機能しているのだと思います。
「そんなのは、おじいちゃんや、パパ、ママとしゃべってたら、そうなったんちゃう?それから本の中でも、そんなシュミレーションみたいなことが出てくるねん。だから、本は楽しいし、すごい!」
 この言葉からそれを強く感じました。
 ただ、本を買い与えているわけでもないし、読み聞かせしているだけでもない。そこに、子どもの心の琴線にふれる会話があるからでしょう。
 『学校もうかうかできないぞ。』
 わたし自身のあり方として、公教育に携わる身として、学校こそ、そうした子どもを育むべく、力を尽くさなければいけない。心からそう思いました。ありがとうございました。
 最後に、
 以前、コメントをいただいたときに、ご紹介いただいた貴ブログのURLを貼り付けさせてくださいね。
『絵本がいっぱい!の子育て』
http://blog.zaq.ne.jp/ehonmt
 
5. Posted by toshi   2008年11月29日 10:41
yokoさん
《基礎学力の崩壊が子どもたちの荒れを招くのではなく、子どもたちが荒れるから基礎学力の崩壊を招くのだと思う。》
 文字通りこう書かれたわけではないですが、わたしの思いを端的に示してくださいました。ありがとうございました。
 yokoさんのお子さんも、すてきに成長されていらっしゃいますよ。いただくコメントなどから、そう思います。
《中学では、進路が中2でだいたい決まるのでしょうか?》
 こういうのって、ごめんなさい。わたしはよく分かりません。地域による違いもありますので。
 ただ、以前の我が地域はそうでした。中2と言ってもいいのですが、中学校生活全般が、進路の選択にかかわってくるといったふうでした。
 『心の内を見ない。』
 この弊害に早く気づいてほしいですね。教育にとってこれは致命的。教育委員のみならず、すべての教育関係者が、心を育む教育の実践をイメージできなければなりません。
 なお、荒れた学校を建て直した事例は、いくらもあります。おもに、管理職の資質が大きくかかわるようです。
 拙ブログでも、かつてとり上げさせていただいたことがあります。yokoさんはすでにお読みいただいていると思うのですが、広く読者の皆さんに、紹介させてくださいね。本コメントのHN欄に貼り付けさせていただきました。
6. Posted by YK   2008年11月30日 14:38
たいへん参考になる記事を読ませて頂きました。教育もサブプライムショックも似たような構造なのかな、と感じました。信用もできないのに、どんどんと金を貸してきた金融機関と、信頼関係が無いのに、知識だけを与えようとしてきた教育というのは、破たんを迎えたという点で共通しているように思えます。ここのところの株安も、何が原因なのだろうと考えているのですが、やはりポリシーの無い政治が日本の信用を失わせているのかなと感じています。おそらく、「信用」、「信頼」という言葉は、2009年のキーワードになるのではないかと思います。私の来年の教育の方針も、「信用とは何であるか」ということを考えさせ、社会における連帯感や人としての優しさや温かさを身に付けさせるようなものにしていきたいと感じました。
7. Posted by toshi   2008年11月30日 21:55
YKさん
《信用もできないのに、どんどんと金を貸してきた金融機関と、信頼関係が無いのに、知識だけを与えようとしてきた教育というのは、破たんを迎えたという点で共通しているように思えます。》
 ほんとうにそうですね。あらためて、両者は似ているのだなあと思いました。
 ただし、金を貸した方については、一応、バブル期は、多くの人が信用できると思っていたのですね。こちらは、実態がない上に、風評にも似た意味での信用ですから、ほんとうに資本主義とは危ういものだなと思いました。
《ポリシーの無い政治》
 これはもう、末期的症状ですね。日本はダブルパンチを食らっている感じです。 

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