2008年12月12日

個別支援学級の授業に感動!4

08687c6c.JPG 先日、わたしは、いつも校内研究会におじゃましている学校で、個別支援学級の講師を務めさせていただいた。当初決められていた講師が急に来られなくなったということで、その代わりだった。

 個別支援学級の授業の講評をするのは、初めての経験だ。貴重な機会を与えてくださったことに、感謝したい。


 もう一つ、感謝したいこと。それは、すばらしい授業だったことだ。感動的な授業だった。

 
 わたしのような、個別支援教育の素人は、その専門的分野にかかわることでは、とても話すことができない。しかし、問題解決学習にかかわる部分なら、話すことはできる。そういう意味で、話題いっぱいの本授業に恵まれたことは、幸運だった。

 担任のすてきな支援を得て、子どもがいきいきと学習に取り組み、学びの充実と個の伸びとを実感することができる。そういう授業だった。



 単元名は、『教えよう。黄粉クッキー』とある。生活単元として行われる。
 
 生活単元学習とは、盲学校,聾学校及び養護学校学習指導要領によれば、

『児童生徒の生活上の課題処理や問題解決のための一連の目的活動を組織的に経験することによって,自立的な生活に必要な事柄を実際的・総合的に学習するものである。』

となる。



 子どもたちは、大豆を収穫した。豊作だったようである。

 収穫して、『豆まきの豆だ。』と気づいた子どもたち。しかし、そのままではかたくて食べられない。どうやって食べるかが話題となった。ゆでたり、いったり、粉にしたりする過程で、おうちの人の協力を得たり、スーパーで取材したりしながら、やがて、『黄粉クッキーを作ってみたい。』ということになった。

 黄粉クッキーを作った子どもたちは、これを交流級のみんなといっしょに食べたい。そして、『実際に作ってみせながら、作り方の説明をしたい。』というように子どもの意識が進んでいく。



 本時の目標は、黄粉クッキー作りの実演試食会に向けて、

・黄粉クッキーの材料や作り方を自分の言葉で説明しようとすることができる。

・また、交流級のみんなのことを考えながら、うまくできたところや直したほうがいいところをアドバイスし合える。

となっている。



 教室には、調理用具の用意など、実演試食会同様に、場の設営がなされている。そうしたなかで、

 黄粉クッキー作りに、どのような食材が必要か、どのクラスに来てもらうかなどの話し合いが続く。

 子どもたちの表情やしぐさがとてもいい。張り切っている様子が伝わってくる。

「作り方を教えてあげたい。」
「作ったクッキーを、交流級のみんなに上げたい。」
 

という言葉がそれを証明しているようだった。


 この学級には、6人の子がいる。6年生のAちゃんは、元気だが、なかなかその場その場に合った的確な言葉が出ないようだ。

 B教員は、教室のすみっこにこの子を手招きし、なにやら耳打ちをする。すると、うれしそうに、
「ぼくは、クッキーの作り方をちゃんとやります。」
と飛び跳ねて答える。


 5年生のCちゃんは、実演をしているAちゃんを見ながら、

「〜すると、あっちっちになっちゃうから、〜。」と言う。

すると、B教員はすかさず、
「あっちっちって言うと、どういう意味なの。」

1年生のDちゃんが答える、
「やけどしちゃう。」

このあたり、言葉を大切にしようとする、言葉を自分のものにさせようとする指導者の姿勢がかいまみれる。

「材料と使い方だけでなく、気をつけることも言ってあげるのね。」

これは、『やけど』を受けて、学習内容を明確にさせようとしているのだろう。


 3年生のEちゃんが、
「〜と〜をまぜる。」と言うと、これに対しても、すかさず、B教員は、

「どのようにまぜるの。」
「あっ。そうやると、こぼしちゃうね。」
と言う。 


 まぜる様子を見ている子たちも、

「フラフラさせないようにやる。」
「先生のに似ている。いい。」

などと、口々に声を出す。

 道具を持ちながら、手で実際にまぜるしぐさをやって見せる子ども。それについて、B教員もその隣りでやって見せ、クッキーづくりをより確かなものにしようとする姿勢がうかがえる。


 B教員が言う。

「今日は、Fちゃんが休みだけれど、Fちゃんが言っていたことを、先生が言っていいかな。・・・。あのね。『エプロンをつけてやる。』って言っていたの。」

「うん。エプロン、つける。」

 お休みの友達まで、授業のなかで活躍させようとしているのがいいなあと思う。


 ここで、みんな、エプロンをつけて、いよいよ、作業手順の確認や、見に来る友達への説明の学習に入る。

 自分でつけられる子は自分で、手助けのいる子はB教員やG教員がつけてやる。そのとき、G教員が楽しそうに鼻歌を歌うように口ずさむ。すると、子どもたちもまねしながら、エプロンを身につける。

1年生のHちゃんと6年生のAちゃんが、エプロンを付け合いながら、終わると、お互いに肩を抱き合って喜ぶ。その一体感が、何とも言えず、かわいらしくすてきだった。


 最初にやったのが、Hちゃん。

 おもしろいなあと思ったのは、『話す』『読む』の学習内容の違いが実に明確になっているということだ。読むときは『お』『も』『し』『ろ』『い』というように一音、一音になってしまうが、話すときは、すらすらと話す。

 ふつう級においては、『話す』『読む』がごっちゃになっているケースが、ままあり、この点、どちらの学習をしているのかは明確にしてほしいなと思うことが多いから、この点、個別支援級から学んでほしいなと思った。



 感心してしまったことがある。

 一人の子の実演が終わると、見ている子たちが感想を言うのだが、1年生のDちゃんが、すごいことを言う。

「Eちゃんのは、すごく有名なお料理屋さんがやるように、上手だった。」

 わたしが、すごいと思ったのには、2つの理由がある。

・とかく、ふつう級だって、『声が大きくてよかった。』『うまく話せた。』程度のことしか言えないことがある。個別支援級の、しかも1年生の子が、学習内容にかかわることで、これだけのことが言えるとは、すごい。

・上記、『やけど』のように、言葉を大切にする指導者の姿勢が、子どもたちの感性をも養い、こういう子どもの思いを引き出すことに成功しているのではないかと思った。
 

 あと、指導者の姿勢に、一人ひとりへのきめ細かな導きを感じる。これは、本時、補助的な役割をしているG教員にも言えることだ。


 たとえば、次のような言葉がある。

・「Cちゃんは、とてもお話し上手。だから、しっかり見に来る人にお話してね。でも、どうですか。まぜるのは誰かにやってもらいますか。」

 Cちゃんは、大きくうなずく。

「それでは、Dちゃんとペアになってやってもらうのでいいかな。」

・6年生のAちゃんには、
「ぼくの発表はどうでしたかって聞いてみたら。」
とはたらきかける。

・3年生のEちゃんは、やれるのだが、どうも、先生をたよろうとする気持ちが強いようだ。ことあるごとに、B教員を見て、『どうしたらいいの。』『助けて。』というような甘えを見せる。

 すると、B教員は、それまでの雰囲気を一変させ、プンとばかり横を向く。仕方なく自分でやり始めるEちゃん。うまくいくと、今度はすかさず盛大な拍手を贈る。そのメリハリというか、けじめというか、一人ひとりの持ち味、能力を見抜いての対応は、実に見事というしかない。

 さらに、B教員もG教員も、言葉や動きがおおげさと言ってもいいくらい、大きかったり派手だったりする。名演技と感じるときもある。


 そのおかげだろう。ますます張り切り、ノッテきた子どもたちは、自分の思いを自由に言うようになる。


・冒頭、B教員が教室脇へ手招きし、耳打ちをした6年生のAちゃんだが、

 同教員の、
「Aちゃん。交流級の子が来ているよ。どうするの。」
の切迫感あふれた声。(もちろん、ほんとうに来ているわけではありませんよ。)

 すると、その気になったか。Aちゃん。

突然、大きな声で、
「こんにちは。今日は、黄粉クッキーの作り方を説明します。」
と言う。その呼吸がすごい。


・さらに続く。

 B教員が、
「はい。あまりました。店長さん。どうしますか。」

 店長さんは5年生のCちゃんだ。Cちゃん、かき混ぜるしぐさ。

 すると、すかさず、B教員、
「店長さん。言葉でちゃんと言ってくれないと、分かりません。」

 Cちゃん。店長になり切る。

「まぜます。」

「ここから取った方がいいですか。」
「となりからです。」

「一つだけですか。」
「一つだけです。」

「・・・。」

「はい。おいしいクッキーができました。」
「おいしいクッキーができました。」

 店長さんと、店員役のB教員。立場が逆転しているようで、何ともユーモラスだった。ほんとうに、教室は楽しい雰囲気に包まれた。


 しかし、しかしだ。

 このあたり、指導者のきびしさも感じた。先ほどの、甘え心の強いEちゃんへの対応でも感じたことだが、『あなたは店長さんなのだから、しっかり責任をもってやりなさい。』そういう毅然とした姿勢を見せていた。


  
 反対に、ズッコケルこともあり。

 指導者が、
「はい。Aちゃん。はじめの言葉をお願いします。」

 すると、Aちゃん。

「今から、はじめの言葉を始めます。」

 もう、みんなで、大笑いだ。言ったCちゃんも、いけないとばかり苦笑いだ。

 いいではないか。苦笑いができるのだもの。


 これ以後は、交流級の子たちが来てくれた気になってのやり取り。ほほえましいやり取りの連続で、授業が終わった。




 後の研究討議。

 授業者の言葉にまた、まいった。生活単元学習の姿を、端的な言葉で言い当てていた。

・「たかが豆でこんなにも遊べるとは。」

・「どうせやるなら、とことんやりたい。」 


 わたしは、授業の様子とともに、この言葉も激賞した。

 その辺は、次回に譲りたい。


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 個別支援学級の担任は、実によく子どもをほめています。それは、いつも感じることです。
 
 わたしが担当する初任者は、先日、地域の養護学校で、一日研修を積みました。その後で感想を言ってくれましたが、やはり、この、『ほめる。』ということに、あらためて感動の思いをもったようです。

 しかし、本記事の授業者には、そのほめるということ以上に、子どもに対し大きな受容力を示すとともに、自己肯定感を育ませるための様々な努力があったと感じました。

 あたたかさというか、ほのぼのとした愛情も感じ、授業終了後も、なかなかその教室をはなれることができませんでした。

rve83253 at 08:30│Comments(6)TrackBack(0)教育観 | 個別(特別)支援教育

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この記事へのコメント

1. Posted by GAKU   2008年12月12日 21:48
5 感動しました。

自分は特別支援の教師になりたいので、こういうのはとても興味深いです。学生時代の学校ボランティアではこういった感動する経験は何度かありましたが、現在はこういった事に関わりを今一つ持てていないのが残念です。

早くあちらの世界へ行かなければと励みになりました。


本当にありがとうございます。
2. Posted by きゃる   2008年12月12日 22:38
私は10年ほど前、
特別支援学級の担任をしていました。
(当時は特殊学級と呼ばれていました。)
きめ細かな指導がなつかしいのです.
今では、通常の学級でも
特別支援教育の視点による授業改善が
各学校で進められています。
教材教具、個別の指導計画等、
当時、特別支援学級で取り組んできたことが
大いに役立っています。
3. Posted by ドラゴン   2008年12月13日 14:19
いつも勉強させていただいております。
以前、特別支援教育に取り組んでいる方から、「生活科、総合的な学習は、特別支援教育が先取りしている」ような話をお聞きしました。もちろん、生活科や総合の原点には、大正時代の新教育運動の流れがあるかと思いますが、指導要領に反映するのは、ちょうど1回分ずつ特別支援教育の指導要領の方が早いということです(名称そのものではなく、考え方もふくめて)。
前回の特別支援教育の改訂では、「個別の指導計画」が示されましたが、それから数年後に、通常の学級で「個に応じた指導」が示されました。
そういう意味でも、特別支援教育は、教育の原点でもあるのでしょうか。
きゃるさんも書かれていた「大いに役立っています」というのも、本当にそうだと思います。

ただ、通常の学級の子どもたちより、早く社会へ出ることも多いので、問題解決学習的にじっくりと取り組めない点もあるとの話も聞きました。社会で生活するためには、教え込みであっても確実に身につけなければいけない知識もあります。
本来は、時間をかけてじっくりと育ててあげたいとも思うのですが。
4. Posted by toshi   2008年12月13日 17:48
GAKUさん
 個別支援学級での指導は、教育の原点と言われます。
 本記事でも、『言葉を大切にする。』といった場合、言葉を機械的、網羅的に教え込むのではなく、生活する上でしっかりした言葉を教える必要のある場において、その言葉を教えるといった手法ですね。その場面を書いています。
 そういう場は必ずあるのだから、そのタイミングをのがさないようにする力。それが求められるわけです。
 これは何も知的なことに限らないですね。即時即場的指導。それも、必然性、切実性を大切にした指導でもあると思います。
 その心構えは、ふつう級においても、大切ということだと思います。
 早く希望が現実になりますよう、祈念しています。
5. Posted by toshi   2008年12月13日 17:54
きゃるさん
≪通常の学級でも、特別支援教育の視点による授業改善が各学校で進められています。≫
 ああ。すばらしいですね。
 上記、GAKUさんへのコメントでもふれさせていただきましたが、授業改善はこうあるべきだと思います。個別支援学級の授業から学ぶという姿勢が、必要ですね。
 そういう意味でも、いろいろ教えて下さいね。
6. Posted by toshi   2008年12月14日 01:08
ドラゴンさん
 特別支援教育が、生活科や総合的な学習の時間の先取りをしているという話、なるほどなと思いました。
 特別支援教育も、問題解決学習なのですね。
 しかし、ドラゴンさんがお書きになっていることともかかわると思いますが、保護者が知識・技能の習得を要望していたり、かつてなおみさんが書かれていましたが、障害の特性からして、教え込みの方が向いているとしたりする考えもあるように思います。
 この辺については、次回の記事でふれたいと思っていますので、どうぞ、よろしくお願いします。
 

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