2008年12月19日

『生活単元学習』とは、4

ed908c77.JPG 本記事では、前々記事の授業を受け、『生活単元学習』について考えてみる。そして、この単元が、個別支援教育にのみとり入れられている現状について、それでいいのか、考えてみたいと思う。


 さて、

 前々記事の末尾に、個別支援学級授業者の声として、

・たかが豆でこんなにも遊べるとは。

・どうせやるなら、とことんやりたい。

という言葉を紹介した。


『遊べる。』と言ったって、文字通り、遊ぶわけではない。

 子どもは、『遊び』の気分で学ぶのだが、子どもの主体的な学びを保障してやれば、実に多様な活動ができるものだと、授業者本人が感動しているのである。

 そして、子どもたちの興味・関心が持続する限り、とことん追求していきたいというわけである。


 この言葉に、生活単元学習の性格が端的に示されていると言ってよい。


 生活単元学習とは、

 またまた、前々記事に書いた内容を再掲させていただくが、盲学校,聾学校及び養護学校学習指導要領によれば、

『児童生徒の生活上の課題処理や問題解決のための一連の目的活動を組織的に経験することによって,自立的な生活に必要な事柄を実際的・総合的に学習するものである。』

となる。


 子どもたちは、大豆を収穫した。『豆まきの豆だ。』と言って喜んだ子どもたち。しかし、そのままではかたくて食べられない。

 さあ。この豆をどうしようか。


 これがまさに、『児童の生活上の課題処理や問題解決』を迫られる場面だ。

 これを契機として、子どもたちが、意欲的、主体的にさまざまな学習活動に取り組む。


 そして、その学習を支えるのは、

 子どもの実態を勘案したり、学習の行き着く先を見通したり、そこに至るまでにどのような学習が可能かを考えたりするのは、授業者の仕事だ。


『どうせやるなら、とことんやりたい。』

 この言葉には、子どもの思いや活動を見通しながら、多様な活動を展開していこうとする授業者の自信のようなものを感じる。

 そうしてできた生活経験のまとまり。それが単元となる。


 それこそ、『単元』と呼べるものである。単元は、本来、生活単元だったのだ。


 本単元にしても、

 前単元の栽培活動はおもに理科の内容だし、

 大豆とともに調理に使う食材の購入のうち、お店へ行って実際に買う活動は社会科的内容だし、費用の計算は算数的内容だし、

 交流級に試食会開催を呼びかけるチラシ作りは図工的内容だし・・・、


 つまり、子どもたちの生活経験のまとまりは、教科の学習内容を縦断する性格をもつ。

 考えてみれば、当たり前だよね。子どもの日々の生活が、教科の枠にしばられて存在するわけがない。子ども主体の、子どもが主人公の学習は、元来、教科の枠とは無縁なのだ。


 もう一つ、言いたいことがある。

 生活単元学習。

 それは、現在においては、個別支援教育でしか成り立たなくなってしまったかのようだ。学習指導要領で、明確に述べられているのは、ここだけだものね。

 ただし、性格が似ているという意味では、小学校低学年の生活科と、3年生以上の総合的な学習の時間が上げられるが、

 生活科においては、それ自体が教科であるし、学習指導要領の目標には、

『具体的な活動や体験を通して,自分と身近な人々,社会及び自然とのかかわりに関心をもち,自分自身や自分の生活について考えさせるとともに,その過程において生活上必要な習慣や技能を身に付けさせ,自立への基礎を養う。』

 また、総合的な学習の時間にしても、教科には位置づけられてはいないものの、

(1) 自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
(2) 学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の在り方生き方を考えることができるようにすること。


とあるように、子どもの『生活上の課題処理や問題解決』とは、やや性格をことにし、大人の、『これを学ばせたい。』とする色合いが強そうだ。


 もっとも、双方とも、指導者に、生活単元学習をとり入れようとする強い意志があれば、実践は可能であると思う。

 下記リンク記事で述べたように、学習指導要領の拘束性と言っても、それは、かなり緩やかな拘束性なのだからね。

   学校教育の復権を!

 
 そして、過去記事に書かせていただいた、『命の授業 ブタを飼って食べる!?』の取組にしても、

 学習の契機こそ、指導者から与えられたものであったが、その後の学習の様子をテレビ画像から見るに、子どもの主体的な学びであったことは確信がもてる。そして、その学びの性格は、まさに、小学校における生活単元学習だったと言えるものである。

   

 
 わたしは、この、生活単元学習を、個別支援学級の専売特許にすることなく、小学校教育においても、重視してほしいと思う。

 繰り返すが、教科の枠にとらわれるのではなく、

つまり、『〇年生のこの時期、この教科の学習内容は、全国一律にこれ。』というのをできるだけ薄め、

 その学校、その学級の子どもたちの生活経験からして、さらには、『地域の特性のなかで、子どもたちはこのような生活を送っているはず。』というものを大切にして、単元をつくってほしいと思う。

 これは、特色ある学校づくりにもかかわるものだね。



 かつてそのようなことが、大々的に行われていた時期があった。小学校教育の中核に、生活単元学習が位置づけられ、教科等の指導は脇に追いやられていた時期があった。

 全国各地に、そういう学校教育が存在したのだ。

 昭和20年代、我が亡父も含め、先人が追い求めたコアカリキュラムは、まさにそういう理念をもっての実践だった。

    温故知新シリーズ

 
 市民の皆さんにとって、また、今の多くの教員にとっては、

 夢のような、

 あるいは、

 『そんなのありえない。』と言いたくなるような、

 そんな実践なのではないか。


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 記事本文に書かせていただきましたので、繰り返しになりますが、

 現在においては、生活単元学習を学校教育の中核に位置づけ、教科等の指導を脇へ追いやるような、そんな形態は、『ありえない。』と思われたとしても、生活科や総合的な学習の時間に、それを位置づけることは可能でしょう。

 また、前記事、

   テレビ報道番組から、(4) 公教育の改革は現場の力で!

における、農業体験学習にしても、


 初めこそ、指導者から与えられた学習であっても、

 テレビ画像からも分かるように、あれだけ子どもたちが学習にのめり込めば、毎年繰り返されるうちに、生活単元化するということもできると思います。


 あまいかな。

 でも、今のような受験教育、『ゆとり教育』否定、テストの学力万能の時代に、あのような、公立中学校における生活単元学習が成立し、それが保護者や地域の全面的支持をいただけるとしたら、いや、いただいていましたよね。

 それは、まさに、夢のような、空前の、『公教育バンザイ!』と言ってもいいような、そんな教育だったと思います。

 生活単元学習。

 それを、個別支援教育の専売特許にしてほしくはない。

 そんな思いでいます。

rve83253 at 04:19│Comments(2)TrackBack(0)教育観 | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by 子育て支援ブログ   2008年12月22日 00:12
しかし退職されたにも関わらず、教育への飽くなき探究心、本当にすばらしいと思います。

私の近親にも退職した校長先生がいますが、全く教育について興味を示しません。

本当に全然違います。。。
2. Posted by toshi   2008年12月22日 16:17
子育て支援ブログさん
 ふつうは、皆さん、そうだと思います。
 わたしの場合は、退職したとは言え、初任者指導に携わっているものですから、いつまでも現職の気分が抜けません。
 そういう意味では、けっこう、今は、気のもち方が楽なのですよ。
 それはさておき、どうぞ、今後ともよろしくお願いします。

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