2008年12月28日

全国学力調査の結果公表で、(5)3

最近、学校教育にとって、憂慮すべき事態が進行しているようだ。


 わたしは、これまで、全国学力調査の実施自体には、特に反対してこなかった。しかし、今、現状のままなら、反対したい気持ちが強くなってきている。

 検査そのものは、有意義な面もあるのだから、実施方法を抜本的に変えればいいのではないかとも思うが、廃止した方がすっきりするという思いもある。


 そこで、本記事を書く前に、

 同調査に対するわたしのこれまでの思いを知っていただくために、まずは、過去記事にリンクさせていただきたい。もし、まだ、お読みでなかったら、ぜひ、ご覧いただきたいと思う。


    全国学力・学習状況調査実施(2)

 検査実施直後の記事である。調査問題の質がよくなっていることを、具体的に述べている。 

    全国学力検査の結果公表で、(2) その使い方は、

 学校現場で、明日の指導のために、同調査をいかに活用したかについて、新聞記事で紹介された事例を中心に、記述させていただいた。

    全国学力検査の結果公表で、(3) 大人の狂奏曲

 同調査問題は、PISA調査の影響を色濃く受けている。それはとりもなおさず、実生活に役立つ学力を図るようになっているということで、従来の日本の伝統的な出題傾向とは、かなり異なるものである。だから、活用の仕方によっては、教員の授業改善に役立つし、指導法の改善にも結びつくと思われる。

 それなのに、地方行政府の、あくまで調査結果にこだわる姿勢から、憂慮すべき事態がやってこないかと心配していることを記事にしている。

    全国学力検査の結果公表で(4) 大人の狂奏曲(2)

 本リンク記事においては、調査結果の公表やランキング化の動きについて、それがいかに学校現場に弊害をもたらすかを、本ブログに寄せられたコメントなどをとり上げながら、具体的に述べる。


 そう。『序列化がいけない。』とか、『我が地域の教育に合わない。』とか、ことはそれほど単純ではない。現実に子どもや教員を苦しい立場に追い込んでいるのだ。

 この実態を、地方行政府はしっかり把握しないといけない。



 今、同調査をめぐって、国と地方行政府との関係は、実におかしなことになっている。

 国は、教育委員会が行う地域ごとの、あるいは学校ごとの調査結果の公表を禁止している。(いずれも自主的な公表は認めている。)

 しかし、一部地方行政府や地域住民による情報公開請求などがあり、すでに、そういう地域では、自主的でない公表が行われている。(学校ごとの公表は今のところないようだ。しかし、一町村に一校しかないところでは、事実上学校の結果が公表されたことになる。)


 もうすでに、リンク記事に書いたことだが、また、先の記事に、KGさんからもコメントをいただいているが

 ・学力調査によって分かる学力は、学力のほんの一部でしかないこと。

 ・まして、国語、算数の2教科しか行っていないこと。

 それも、悉皆の同一問題による調査であることから、出題数にはおのずと限界があり、とても、全領域をみることはできていない。



 国が都道府県別の調査結果を公表してからというもの、全国各地で上記のような騒動が起きている。ことは、子どものことなのに、大人が子どもの心そっちのけで、狂奏曲(?)を演じているのは、ほんとうに困ったことだ。


 おかしな現象だなとも思う。


 国がやっている全国学力調査だ。

 そして、その国は、上からの公表は都道府県にとどめ、地域あるいは学校ごとにやることは禁止している。

 それなのに、知事や一部住民が、公表したり、求めたりしている。

 新聞記事によれば、知事の強引な公表の結果、一部教委は、来年度の実施についてどうするか、検討を始めたという。


 ほんとうにあきれてしまう。

 この国は、大人の学力調査が必要だね。


 
 これはしかし、大変なことになりそうだ。

 地域ごとの調査結果の公表がなったとする。そうなれば、そこで、地方行政府の首長や一部住民が、満足するわけはないものね。次は、必ず、学校ごとの公表を求めてくるだろう。

 すでにリンク記事に書かせてもらったように、学校現場は荒れ、子どもの心に多大な悪影響を与える、そんな事例が全国各地で巻き起こるに違いない。



 冒頭述べたように、わたしは、今となっては、この調査実施に反対したい。

 大人が、まったく成熟していない。

 調査の正しい活用ができない。

 それなら、子どものために、やめようではないか。


 あるいは、やめなくても、実施要領を変えようではないか。

・全校はやめよう。抽出でいい。それも、事前に実施校を公表しない。現在の目的なら、これで十分だ。

・国は、都道府県単位であっても、公表をやめればいい。そうすれば、地域も落ち着く。


 国の姿勢も、優柔不断だと思う。

 国はもともと、安倍政権下では、全国の学校のランキングかをねらっていたのだものね。

 だから、今、公表禁止を叫んでも、地方の独断専行がなかなか防げないのではないか。



 最後に、

 先ほど、『〜。次は、必ず、学校ごとの公表を求めてくるだろう。』と書かせてもらった。

 実は恐れるのはそれだけではない。


 冒頭でも述べたように、調査問題は、PISA調査の影響を受け、良問が多い。

 ということは、ただ単に、『読み・書き・ソロバン』的な、単純に、知識・技能を問う問題ではないということだ。いや。そういう問題もあるが、少ないということだ。

 別な言い方をすれば、『生きる力』『問題解決力』を問う問題が多く、これは、まじめに受け取れば、教員にとって、授業改善の力になるものである。


 しかし、それが、災いとなるのではないか。

 すなわち、今、公開請求をしている地方行政府の首長や、一部住民は、

「こんなのは、学力ではない。もっとちゃんと、知識・技能を問う問題にしてもらわないとこまる。」

などと、出題傾向にまで、いちゃもんをつけるようになるのではないか。

と、それを恐れるのである。


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 前々記事では、マスコミに注文をつけさせてもらいました。

 本記事にかかわることでも、お願いです。

 マスコミには、序列化や競争をあおりかねない報道とともに、あるいはそれ以上に、学校現場がいかに苦しんでいるか、また、子どもの心をむしばんでいるかの報道も、ぜひお願いしたいと思います。

rve83253 at 02:43│Comments(6)TrackBack(0)全国学力調査 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by one   2008年12月28日 13:55
今回のお話、toshi先生のおっしゃる通りと存じます。

でも、元々この学力テストに反対であった、小学校教員の私などにとっては、今回のような大人たちが目先の価値観に流れ、陳腐な騒動に発展することは目に見えていたことです。

テストを前向きに受け取って生かそうという、一見、"大人の感性”がこの問題を結果野放しにしました。
toshi先生の

>大人が、まったく成熟していない。

という結論は、いまさら滑稽にも思えるのです。

私は、今回の学力テストがこのような騒動に発展することは先に申した通り当然の帰結です。

世間には、われわれ教員の教育現場の思いや教育理念が、サッパリと言っていいほど浸透していないことを日々実感しています。
要するに、説明不足。教育のこと・現場の思いを、責任者が保護者や世間に分かりやすく、しかるべき場で訴えてきてもらえなかった。学校・教師は子どものためにどう励んでいるのか、子どもが学ぶべき力とは何か…。

学力テストを適切に分析し、活かす現場の準備、結果を受け取る社会の理解の準備、モロモロの不足があった。そう思います。その不足はあまりのものです。単に“世間の流れ”に迎合したやり方にさえ感じます。
やはり、薄っぺらい認識の下地によって、学力テストは世間によく言われる学力低下と呼ばれるもの結び付けられ、安易な序列化と軽薄な競争意識を生み出すに至りました。

人間などというのは、もともと賢明ではありません。人間が賢明たるには、必要条件があるはずです。しっかり説明する努力を粘り強く行い、一人一人の心に響いてこそ、思いは届き、人は賢明と思われる最善の生き方を選べるものだと思います。
これまでのtoshi先生の解釈は、いささか奇麗事のようにしか受け取れませんでした。
2. Posted by toshi   2008年12月28日 16:59
oneさん
 oneさんのようなお考えをもつ教員はかなり多いと思います。まあ、きれいごとと言われてもこまるのですが、
 わたしとしては、拙ブログを通し、oneさんのおっしゃる、《しっかり説明する努力を粘り強く行って》いるつもりですし、それによって、《一人ひとりの心にひびくように、思いが届くように、》なることを祈っています。
 ちょっと、oneさんの思いと違うなあと思う点は、人間は賢明な面もありますよ。裏切られても裏切られても、そこを出発点にして、新たな信頼の思いをもたないと・・・、
 そこに信頼をおかないと、民主主義制度そのものが、危うくなってしまいそうです。
3. Posted by とびうお   2008年12月30日 00:43
そもそもこの全国調査を「学力テスト」と受け取られていた時点で、世間と文科省の思いはすれ違っていたように思います。
すなわち「全国の子ども達が点数を競うものなんだ」「できなきゃ落ちこぼれなんだ」とね。

それに「子ども達の学習環境は一律で平等」という世間の思い込みが加わり、「学力イコール指導の良し悪し」という図式が刷り込まれていきます。

教員は「学力のほんの一部」「一喜一憂は×」「よそとの比較はナンセンス」と分かっています。
でも世間では「結果を出せ」「よかったのか悪かったのか」「よそはできているのにこのザマだと民間では…」という状態です。

思えば通知表でも教員は「今学期はここがよかったです。来学期はこっちを頑張ってみましょうね」と思っていても、
保護者の関心は「二重丸いくつ?」「クラスで何番?」ではないでしょうか。

点数の点数で重要ですが、あくまで結果の一つであって目的ではないと思うのです。
点数以外にも「すすんで挑戦する」とか「根気よく考える」とか「自力で調べる」とか「失敗から学ぶ」とか「できても人を見下さない」とか人格形成上大切なことがいくつもあると思うのですが。

結果がよい地域でも悪い地域でも「それで、その子達の生きる力はどうなんでしょうか」と質問する人を未だ知りません。
テストができても、攻撃的だったり挫折に弱かったりと、精神的に弱い子になっては意味も半減というものです。

本音を言うと、読解力や活用力、表現力の重要性は十分伝わったので、まずは抽出なり隔年なりにして早いとこ廃止して欲しいです。
4. Posted by きゃる   2008年12月30日 08:28
いろいろ考えさせられます。
日本の入試制度との関連、
絶対評価より相対評価が分かりやすい感、
問題の質がよくなったとはいえ教科で分けている出題、
豊かな人間性(自律、協調、思いやり等)の評価、
全国規模の集団圧力(社会の序列化)

全国規模の集団規範を望ましいものに変えるには
リーダー(文科省)だけが「望ましい」と思っていても
意味がありません。
規範の現状についていつも議論する構えで
積極的に変えていく意識が、
国民一人一人に問われていると思います。
5. Posted by toshi   2008年12月30日 11:27
とびうおさん
《思えば通知表でも、教員は、「今学期はここがよかったです。来学期はこっちを頑張ってみましょうね」と思っていても、保護者の関心は「二重丸いくつ?」「クラスで何番?」ではないでしょうか。》
 ほんとうにすばらしいたとえだと思いました。全国学力調査をめぐってのすれ違いも、もとをただせば、このあたりのすれ違いから派生しているともいえますね。
 これからの教員は、この辺りのすれ違いをしっかり認識し、それぞれのおかれた立場での説明責任はあるわけですから、それを果たすことが必要だろうと思いました。
 やはり主権在民なのですから、教員のみ理想を追い求めて済む時代ではないですよね。

《読解力や活用力、表現力の重要性は十分伝わったので、まずは抽出なり隔年なりにして早いとこ廃止して欲しいです。》
 賛成です。今の一部地方行政府の狂乱ぶりは異常です。 
6. Posted by toshi   2008年12月30日 11:45
きゃるさん
 今の学校教育をめぐっての狂乱振り。ほんとうに嘆かわしく思います。
 成熟社会になり、人々の心が、『楽』を求め、『わずらわしいこと』は避ける傾向が強まりました。それとともに、人間同士のつながりも希薄化し、いろいろ現代的な意味でのこまった問題が多発するようになりました。
 今、学校教育は、そこに視点を定め、そこから教育論を展開しなければならないのに、あいも変わらず、テストの点数至上主義では、社会の矛盾はますます深まってしまいます。
 人生に生きがいを見いだせる資質の形成、もっと言えば、夢中になれるものをもとうとする資質の形成。それを育成する学校教育になる必要がありますね。
 それには、とびうおさんへのコメントでも書かせてもらいましたが、教育のプロであるわたしたち教員が、もっと、保護者、地域、社会に向けて、『わたしたちが目指す教育はこうなのだ。』と、訴えていかなければいけません。

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