2009年01月10日

どの子も個性的で豊かな学力をもっている。5

4cd59080.JPG 自分が書いた記事ではあるが、読み返してみると、ちょっと気になる部分があった。

 それは、先の記事『学力競争は悪!?』のなかの、


 (府知事が、)『できる子』『できない子』などと、演説してしまっていることが許せない。わたしはそのような概念を抱いたことがない。

 『世界に一つだけの花』その思いを大事にして、教育にあたっているのだ。
 
どの子も生きる価値がある。

どの子も個性的で豊かな学力をもっている。


と書いた部分である。


 何が気になったかと言えば、

 読者の皆さんのなかには、

『それは理想でしょう。現実に、できる子、できない子というのはいるじゃないですか。』

と思われた方もいらっしゃるのではないか。

 そのことである。

 そこで、本記事では、それについてご理解いただけるよう、具体的に述べていきたいと思う。



 と申しても、大部分は、これまでの拙ブログ記事や、いただいたコメントの引用になってしまう。


 いや。引用は引用だけれど、単なる引用ではないね。

 個々バラバラだったそれらを、『どの子も個性的で豊かな学力をもっている。』という概念のもと、意味づけし統合していくことは、それなりに価値を深めることになると思われる。

 これは、問題解決学習的手法でもある。

 では、どうぞ。ご覧いただきたい。



その1

 
 いきなり、びっくりするような話題ですみません。


 人間を犬にたとえるのは奇抜と思われてしまうかもしれないが、

 また、『犬のごとく従順であれと言いたいのか。』と、誤解されてもこまるのだが、

 
 拙ブログの過去記事に、『愛犬が元気に!』なるものがある。

 この記事に寄せられたコメントへのわたしの回答をごらんいただきたい。コメントの6番である。

 わたしは、この、『知ってるつもり』の番組(もうすでに終了している。)で語られた、

『飼い主がよければ、犬はみんな忠犬ハチ公になる。』という言葉に強い衝撃を受けた。


 そうか。これは、教育論を言っている。

 『子どもの身の回りにいて、子どもにかかわる大人がよければ、子どもはみんな無限の可能性を実現させるようになる。』そう言っているように聞こえてきた。



その2


 つい最近の記事、『ああ。どうなってしまうのだろう。(3)』kawaさんがお寄せくださったコメント9番がある。


 《人は、無理やりやらされるのではなく、「自分がやると決意したとき」「やりたいと思ったとき」「自分にはやれると思ったとき」に力を発揮するものだ、そういう状態になれば学力なんてすぐに上がるのだ。》

 そうなのだ。kawaさんのおっしゃる通り。

 だから、子どもの身のまわりにいる大人は、子どもが本来もっている『伸びようとする心』を素直に育めばいい。

 それを、大人が勝手にこねくりまわしてしまうから、あたかも、『子ども自身が伸びようとする心を失っている。』かのように見えるケースがいっぱい出てきてしまう。


 本記事では、蛇足になってしまうが、

 少なくとも、陰山氏らに、今、このような意識はないね。なりふり構わずだもの。つまり、『子どもの無限の可能性』など視野にはない。あるのは、ただ目先の点数だけだ。その結果、勝手にこねくりまわす結果になる。



《十数年の大脳生理学の知見や教育学の成果に見られる「マルチ能力」(知識や能力は単独で存在するのではない)、「競争より助け合うほうが力が伸びる」》

 ここにも、子どもの無限の可能性を引き出す手だてが書かれている。『知識や能力は単独で存在するのではない。』については、わたしもいろいろ記事にしているが、今、ここでは、一つだけ紹介させていただこう。

 そんなの、カンケーねえ? いえ、関係づけてね!


 『関係づける力』。

 どなたかからいただいたコメントにあったっけ。今さがしたのだが見つけることができなかった。それで記憶のなかで書かせていただくが、

「物事を関係づける力、それは、思考力そのものです。」


 こういう教育学の所産には、間違いなく、彼らは関心がないね。

 細かくは後述するが、

 こういうのって、同じ学力という言葉を使っているが、単なる暗記とは明らかに違う。そして、これもまた、無限の可能性を秘めた学力なのだ。


 
その3


 本ブログに、数回にわたりコメントをくださっている、『みっきーままさん』をご紹介させていただこう。

 このお母さんは、大阪にお住まいである。

 ご自身も、『絵本がいっぱい!の子育て』なるブログを運営されている。

 
 そのブログや、いただくコメントを通し、このみっきーままさんは、すごい子育てをされているなという思いがある。


 今、いただいたコメントの多くを紹介させていただこう。

 『姪夫婦の来訪 フランスと日本と』にいただいたコメントの1、3、5番

 『ああ。どうなってしまうのだろう。(2)』にいただいたコメントの1、2番

 『不況を乗り越える!』にいただいたコメントの1、2番


 みっきーままさん。こんなに多くのコメントを列挙させていただいて申し訳ありません。

 ただ、ここには、

 『家庭における親子の会話ってどうあったらよいか。少なくとも、親の価値観を子どもに押しつけることではないな。子どものもっているものを引き出すという、そういう姿勢が大切だな。』という、そのエキスがつまっている感じがしたものですから、あえて、あげさせていただきました。

 
 そう。これは、まさしく、上記、kawaさんがおっしゃった、

 《人は、無理やりやらされるのではなく、「自分がやると決意したとき」「やりたいと思ったとき」「自分にはやれると思ったとき」に力を発揮するものだ、そういう状態になれば学力なんてすぐに上がるのだ。》

の具体的実践例と言えよう。

 
 だから、おそらく、みっきーままさんには、『自分は特別なことをしている。』という意識はないに違いない。だって、やらせているわけではないものね。


 本の読み聞かせ。

 それだけでも、すばらしい。なかなか続かないものだと思う。


 しかし、みっきーままさんの場合、それだけではないのだね。きっと、本のイメージをふくらませる、いい会話が親子でなされているのだと思う。

 そして、それが、本を離れても発展的になされるという、そのような姿を感じた。


 わたしなんか、足元にも及ばない。

 わたしの口ぐせは、

「学級は、30人なり、40人なり子どもがいて、誰か一人でも、価値あることをしていれば、それをほめたり認めたりすることによって、その輪が広がっていく。だから、待つことができる。

 しかし、家庭は、ほんの1人か2人しか子どもがいないから、待っていてもなかなかうまくいかない。それでつい説教くさくなってしまう。」

かつてそのような言い訳をよくしていた。

 でも、みっきーままさんのコメントを読ませていただくと、これはほんとうに言い訳に過ぎないね。はずかしくなってしまう。


 いや、いや。ごめんなさい。そのようなことを書く記事ではなかった。


 話を戻そう。


 このみっきーママさんのコメントの1、2番に、再度着目していただきたい。


 3年生の子どもがここまで、友達一人ひとりのよさに目を向けているということ。

 そして、友達のねむった力を引き出し、発揮させたということ。

 本来なら担任がなすべきことを、子どもがやっているということ。


 この場合、わたしの立場からすればほんとうに残念ではあるが、こうした子どもの力を引き出したのは、学校ではないね。ただただ、家庭の教育力によるものだ。  


 みっきーままさんのお子さんは、文字通り、本記事のテーマである

『どの子も生きる価値がある。どの子も個性的で豊かな学力をもっている。』を信じているし、実践していると言えよう。そして、そのキーワードは、『心』。


 さあ。大阪府知事、そして、教育委員の皆さん。

 あなたがたは、この大阪の、おそらくは公立校に通っているのだと思うが、この3年生のお子さんから、『教育とは何か。』を学ばなければいけない。

 少なくとも、テストの点数ではない。

 緊急の課題を間違えている。それは、教員の指導力(子どもの心を育むという意味ですよ。)を高めるということに尽きる。



その4


 そうした意味で、わたしのつたない実践例を紹介させていただこう。つい先日記事にさせていただいた、『一人ひとりを見つめて! 学級だよりから』だ。

 わたしは、今、この学級だよりを、みっきーままさんのお子さんに見てほしい気分だ。『このような子どもの見方でいいですか。』そう聞いてみたい。


 これは冗談でもなんでもない。


・だって、この学級だよりは、まさに、みっきーままさんのお子さんの、『皆の得意なこと、いいところを書き出すノート。』と同じだもの。

 そして、『そうすると、グループでそれぞれ活かせやすいからだそうです。』は、わたしの場合で言えば、『一人ひとりの子どものよさを引き出す学級経営』そのものということになるだろう。

 さらに、

『長男は、国語は〇〇くんが得意!音楽は〇〇さん!絵を書かせたら〇〇くんはすごい!声は〇〇さんがNO.1!などなど、全員の良さを言えると思います。いつもそんな話をしてくれます!!』

とあるように、これもまた、わたしの学級だよりと、まったく同じではないか。そして、まさしく、『どの子も個性的で豊かな学力をもっている。』の証明となっている。


・また、もう一つ。

 わたしの学級担任時代、子どもから、

「toshi先生。Aちゃんは、そんな子じゃないよ。今は、〜のようだけれど、でも、それは、〜だったからであって、〜のようにすれば、ちゃんとがんばれるはずだよ。」

などと言われたことはあるし、子ども同士のほうがよく分かるという部分は確かにあるのだ。

 こうして、子どもからも学ぶのだ。

 

 どの子も日々いきいきと生活している。それは、そのまま、自ら伸びようとする営みだ。


 指導者は、そっとその姿を見つめればいい。見守ればいい。子どもと一緒にいる、ありとあらゆる場で。


 そして、その中から価値を発見する。

 その子らしさを発見する。

 真剣に学んでいる姿を見つめる。

 道徳的価値を発見する。

 以前と比べることもある。

 他人と比べることもある。(あくまで、よさの発見のためですよ。)

 集団とのかかわりでみることもある。

 そして、発見したら、口に出してほめたり、共感したり、感謝したりする。


 それが、自信につながる。自己肯定感を養うことになる。


 そう。最後の、口に出すことが大切だよね。これがないと、見守りは、放任につながる。


 子どもは、孫悟空のごとく自由奔放に生きるのだ。しかし、けっきょくは、お釈迦様(指導者)の手の中にあったという、そういう姿を目指す。


 これは、

 kawaさんがおっしゃったように、

 まったく無理にやらせるのではない。

「自分がやると決意したとき」
「やりたいと思ったとき」
「自分にはやれると思ったとき」

を大事にする。

 また、そうなるように仕向けていることになる。

 そのようにやっていれば、子どもたちは、ひんぱんにそういう姿を見せるようになる。『そういう状態になれば、学力なんてすぐに上がるのだ。』ということを信じよう。



その5


 それでは、最後に、

 これも拙ブログ記事からではあるが、『いわゆる学力』について、見つめてみよう。

   思考と知識と

 この記事でお分かりいただけると思うが、

 学力と一口に言っても、それは個性的であり、思考と知識獲得と、どちらか一方に秀でる子だっているのだ。

 だから、『しゃもじ型古墳』と答えた子だって、テストの点はよくないが、豊かな学力をもっているのである。

 これを笑いとばしてしまったら、Aちゃんの伸びようとする芽を摘み取ってしまうことになるだろう。



 それでは、最後にまとめに入るが、

 『どの子も個性的で豊かな学力をもっている。』という概念について、ご理解いただけただろうか。


 どの子も肯定的に受け止める。

 どの子にも差をつけず、同一集団のなかで、その違いを認識しながら、その子なりに伸ばそうと努力する。

 そうすると、どの子も、自己肯定感を抱きながら伸びていくのだ。


 
 しかし、学力を、『できる。』『できない。』という観点でみれば、

 その学力の状態で固定化の方向に向かうし、

 多くは、知識量でしか見ていないだろうから、一面的で、子どもは知識のみ重視する方向にいくし、多くの個性はつぶされる運命となる。


 習熟度別授業の危険性は以前から述べているが、『バカばかりで楽しい。』という子どもの言葉には、救いようのないダメージを与えてしまっていることが分かるのではないか。


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 昨日の朝刊に、

 全国学力調査について、『公表なら参加せぬ 秋田・藤里町が決定』というニュースが流れました。知事が市町村別の結果公表を行ったため、市町村教育委員会が反旗をひるがえしたようです。

 これまで記事にしてきたように、いい動きだと思います。子どもが救われたという思いです。

 さあ。大阪はどうなるでしょうか。見守っていきたいと思います。 

rve83253 at 02:42│Comments(20)TrackBack(0)教育観 | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by まい   2009年01月10日 14:28
ごぶさたしています。記事全体の趣旨やkawaさんのコメント「人は、無理やりやらされるのではなく、「自分がやると決意したとき」「やりたいと思ったとき」「自分にはやれると思ったとき」に力を発揮するものだ、そういう状態になれば学力なんてすぐに上がるのだ」には深くうなずきます。

まとまりのない記事ですが、最近似たテーマで書きましたのでTBさせていただきます。
2. Posted by 社会人   2009年01月11日 02:25
子供同士で良い所を見つけ出し伝え合う…
とても素敵な学級なんでしょうね。
家庭の育て方も
担任教諭の学級作りも
上手なんでしょう。

詰め込み学習でテストの結果を上げるなら学校なんて不要ですよね。

いくら勉強ができても
りんごの皮むきや
紐を結べない…
料理や洗濯、掃除、人付き合いが苦手では社会に出てから困ります…
大阪府知事以下の方達はどう考えてるのでしょうね…
3. Posted by 社会人   2009年01月11日 02:29
やりたい
と思わせたり

やりたい事に
気付かせるのが

家庭や学校の役目だ
と思いました
4. Posted by toshi   2009年01月11日 07:52
まいさん
 コメント、ありがとうございました。TBはうまくいかなかったようですね。そこで、わたしの方で判断し、『自己肯定感を育てる育児・教育の本 [子どもの世界] [編集]』のURLを貼らせていただきます。
http://kokoro-no-jiyuu.blog.so-net.ne.jp/2008-10-31#more

5. Posted by toshi   2009年01月11日 09:39
社会人さん
《詰め込み学習でテストの結果を上げるなら学校なんて不要ですよね。》
 これは、わたしもほんとうにその通りと思います。強制してやらせる教育だったら、学校でなくても、誰でもできます。

《やりたいと思わせたり、やりたい事に気付かせるのが、家庭や学校の役目だと思いました。》
 そう。ここにこそ、教職としての専門性の意味があるのだと思います。
 家庭がここまでやってくださることは、学校としてはほんとうに感謝ですが、でも、何も学校のためにやっているのではない。お子さんのよりよい成長のため、そして、家庭の幸せにつながっていくのだと思いました。 
6. Posted by kawa   2009年01月11日 12:04
社会人さん toshi先生

《やりたいと思わせたり、やりたい事に気付かせるのが、家庭や学校の役目だと思いました。》

その通りだと思います。そして、「自分の」目標を達成するためにはどんな方法があるのかを、その人に合ったやり方で教えることができたら、その学生は間違いなく伸びていきます。

反復練習が無駄だとは思いませんが、「練習の意義」「目的」「効果」を納得した上での練習は、機械的にやらされる練習より、ずっと効果的だということはスポーツ心理学では広く知られているはずです。

私は、本当に効果的な教育をしたい、結果を出したいと思うのであれば、授業の質、指導の質はぜったに問われなければいけないと、今でも思っています。
7. Posted by みっきーまま   2009年01月11日 14:41
記事取り上げていただき、ありがとうございます。
コメントが送信できず、困っていました。
一度、送信してみます。
8. Posted by みっきーまま   2009年01月11日 15:05
送信できました。ありがとうございます。

お返事ありがとうございました。
学級便りのすばらしさも子どもと話せたり、とてもよかったです。

ともだちの件ですが、私も、長男が自分の勝手な思いから、友達の増やし方をお友達の少ない子に教えてあげたりしていることは、余計なおせっかいだと思ったのですが、私の意見として、話し、でも、後は長男のともだちとの関係の貴重な体験として先々と芽を摘まないよう、話を聞くだけで見守ろうと思います。ありがとうございます。(それが、子ども同士学ぶことの大切さですものね)

今日、「ハイジ」でクララが歩けるようになりました。クララが自分の心の底から歩けるようになりたい!という気持ちが湧き出てくるよう、導いたおじいさんやそれを助けるハイジやペーターのお友だち。本当に勉強になります。

さて、長男は今年は4年生になります。私もそろそろ長男には、遠くから見守るという姿勢へと(親離れ)への準備にもとりかかろうと思っています。子どもの思いを先取りしない。ひやひやするでしょうが、子ども自身が自分で体験する機会をできるだけ奪わないよう、そして、子ども自身が自分でこうしたい!というものを自ら見つけるとこが出来るよう、そうしてゆこうと思っています。
ちょうど、そういうことを学ぶ機会だったのかもしれません。次男とは、もう少し絵本の世界を楽しみます。

9. Posted by まい   2009年01月11日 16:31
toshiさん、お返事どうもありがとうございます。TBは2回試みましたが、ご指摘通りできませんでした。折をみてまた送信してみます。

先日、フィンランドの教育の講演会に行きました。やはりフィンランドには習熟度別学級はなくて、勉強が遅れがちな子どもに対しては個別指導がされているということでした。習熟度別学級と個別指導・・・一見似ているようでいて一人ひとりの子どもを尊重しているかどうかは大きく違うように感じました。


10. Posted by toshi   2009年01月11日 16:32
kawaさん
 わたしは、反復練習には、あまり意味はないと思っていますが、それでも、やるなら、ほんとうに、「練習の意義」「目的」「効果」を納得した上でやらせたいですよね。
 もっと言えば、自分自身でその大切さに気づき、自ら挑戦しようとしてやる反復練習ですね。
 そうなるように、指導者は、指導の工夫をしなければいけないと思います。 
11. Posted by toshi   2009年01月11日 16:51
みっきーままさん
 コメント、ありがとうございました。字数オーバーではなかったようですね。送信いただけてよかったです。
 わたしの学級だよりの記事でも、お子さんと話し合ってくださったようですね。うれしかったです。《それが、子ども同士学ぶことの大切さですものね。》
 ほんとうにその通りと思います。自分で悟る、自分で気づく。それこそが力になっていくのだと思います。ただ、
・『すごいね。そんなことまで考えていたんだ。』などとほめてやることと、
・質問されたときは、これはやはり答えてやることが大切だと思うのですね。
 ごめんなさい。釈迦に説法ですね。

 わたし、みっきーままさんからいただいたコメントで思ったのですが、
 本やその本での親子の話し合いって、子ども自身が自分の生き方を考えていく上で、すごく有効なのだなと思いました。おそらく、それが、一生の生き方に影響するなどということもあるように思いました。

 最後に、ちゃんと親離れのことも考えていらっしゃる。すばらしいなと思いました。
 子どもの親離れに、親の方がついていけないなどということは、今の時代、けっこうあるように思います。
12. Posted by toshi   2009年01月11日 16:59
まいさん
 わたしには、本の知識とテレビ視聴しか、フィンランドの教育について語ることはできないのですが、少人数指導や個別指導が基本で、子ども同士の学び合いもあるようでした。
 ただ、わたしが標榜するような、さまざまな能力の子どもがいっしょに意見をたたかわせ合いながら学ぶ問題解決学習の授業は、なされていないように思いました。
 日本にも、子ども主体のすばらしい授業はあるのですから、これからもおおいにPRしていきたいと思います。
13. Posted by 理想です。   2009年01月11日 20:58
最低限の詰め込みは必要なのではないでしょうか?とくに、読むことは、生きていく上で必要不可欠です。
いわゆる平均を出す場合は点数の悪い人を減らす事が大切なわけですし。

特殊学級にいた同級生は、大人になってからも読み書きに不自由し、運転免許すらもっていませんでした。仕事は近所の親切な土木会社が面倒をみてくれていました。が、ある日突然、行方不明になり、10年くらい経ちます。
そういったちゃんとした、最低限の教育ってしてませんよね?!中流以上?の人はいいじゃないですか。
親が親の役割をしていないときに、子供はどうすりゃいいんですか?
思い込みかもしれないけど、本当に、貧乏の子沢山を見るとゾッとします。生活保護を受けながら、5人も6人も子供がいて、先生も見てみぬふりして、子供達も読み書きに不自由し、ろくに仕事につけない訳ですよ。いい所を見つけている場合じゃないんでは?!
学校ってのは、社会へ子供を送り出す訳なんですよね?
そこら辺はどうにかならないんですか?
14. Posted by toshi   2009年01月11日 23:28
理想ですさん
理想ですか。確かに理想と言ってしまえば理想になってしまうでしょうね。
 少なくとも、我が地域においては、初任者に限らず、皆さんがんばっていますよ。 『寄り添っていきたい子』については、担任はもちろんですが、学校全体で情報交換しながら、管理職も含め、教職員全体でかかわるよう努力しています。また、地域や児童相談所などとも連携して取り組む場合もあります。
 もちろん、失敗したり、試行錯誤の連続だったりします。『うまくいきました。』なんて胸をはって言えるケースはまれです。でも、精一杯やって少しでもマイナス傾向を防ぐことができればと願って取り組んでいます。
 また、先日記事にしましたが、テレビで報道された中学校の事例などは、すごい取組で、私は感動しました。http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1200508.html
ただ、学校は学校に過ぎないので、どうしたって社会問題に関しては無力です。やれる範囲でがんばっているということです。
 なお、人権上、看過できない表記がありましたので、その部分については、ブログ管理者であるわたしの判断で、削除させていただきました。ご了承ください。
 最後に、つめ込みの件ですが、そのような子ほど、つめ込もうとした場合、まず、それを受け付けません。たぶん、指導者は無力感を感じるだけでしょう。そういう子ほど、意欲をつちかう手だてを工夫し、少しでも、学力がつくようにしなければなりません。 
15. Posted by toshi   2009年01月11日 23:54
ごめんなさい。追加です。
個別支援学級(特殊学級)についての取組も、何度か記事にしております。最新の記事について、URLを貼り付けますので、よろしければご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1199872.html
16. Posted by きゃる   2009年01月12日 00:41
平均的な子、目立たない子、っていますよね。
「個性」「個性」と言われても
周りの人とあまり変わらない自分が「自分らしさ」みたいな。
だから「世界に一つだけの花」が嫌いな子どももいるはずです。
BUMP OF CHICKENの「花の名」という曲はご存知でしょうか。
 あなたが花なら沢山のそれらと
 変わりないのかも知れない
 そこから一つを選んだ僕だけに
 歌える歌がある
というような歌詞です。
「個性」は連帯の中で輝かせるものだ、
と考えています。
人は人、自分は自分といった「閉じた個」ではなく。
だから、toshi先生が「特別支援教育」を
「個別支援教育」と表記されるのには違和感があります。
特別な教育的ニーズのある子どもも、
集団の中で輝かせるべきだと思うからです。
17. Posted by toshi   2009年01月12日 06:26
きゃるさん
 《周りの人とあまり変わらない自分が「自分らしさ」みたいな。》
 『周りの人とあまり変わらない』のも、そうなるように合わせているというのでなければ、立派に個性だと思いますよ。
 でも、わたしの経験で言わせてもらえれば、どの子もだんだん自分らしさがにじみ出るようになっていきましたけれどね。
 《「個性」は連帯の中で輝かせるものだ。》
 これは賛成です。
 ただし、子どもの場合は、『一人の方がいい。一人でやりたい。』という子もいて、とりあえず、それはそれ、個性として認めた方が、けっきょく他とのかかわりをもとうとする意欲につながるように思います。
『いいよ。一人でいたいなら無理してグループをつくる必要はない。一人でやってごらん。』
 まずは、一人でいることの自由を認めてやります。そうすると、のびのびできるからでしょう。だんだん心が開かれてきて、自分から、他とかかわろうとする心が生まれるように思います。
 わたしは、これを、『原個性』と『実践個性』というように呼んでわけて考えています。そうした記事もありますので、よろしければご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/590724.html


18. Posted by kawa   2009年01月12日 10:02
toshi先生

反復練習についてです。
私の求めている反復練習というのは、toshi先生も同じだと思いますが、はじめから「50回」と回数を決めるとか、「何でもいいから100回やれば上達する」という乱暴なものではありません。
結果的に反復されているという状態を目指しています。例えば、本人が「おもしろい」とか「できることが気持ちがいい」などの理由で夢中になって繰り返す、「もっと上手になりたい」「もっと確実にできるようになりたい」という目標があり、自分で納得するまで繰り返すといった状態です。
ですので、「50回」のつもりで始めても30回で終わりになるかもしれませんし、「あと10回やったほうがいい」ということになる可能性だってあります。
大事なことは、「本人が納得する」「変化を実感できる」「楽しい」「自信がつく」といった自発性に関わるものを大事にすることだと思います。
それができれば、傍目には大変なことでも、本人は楽しくてやっているということだってあり得ます。

そして、本当に生徒を見抜く力、指導力がある人なら、例えば「50回」の反復練習においても、全ての回数における小さな変化(どの部分が良くなったのか)をフィードバックでき、やる気を起こさせることができると思うのです。
フィードバック(適切な声かけによる練習の意義のの明確化)のない反復練習はたんなる暇つぶしで、それを日常にしてしまっているから、「生きる力」「やる気」が無くなっているのではとさえ思います。
19. Posted by kawa   2009年01月12日 10:23
理想さんへ
理想さんがそのように考えるにいたった理由を想像すると、toshi先生の掲示板で言われていることが理想に過ぎないと言うのも理解できる気がいたします。私自身、0歳児で施設に送られましたが、たまたま勉強ができたおかげで、当時は1割しか認められなかった高校進学者の中に入れましたし、大学入試の成績が上位だったため奨学金を得ることができました。私より勉強ができなかった同級生は、中卒で数万円を持たされて社会に放り出されました。もちろん、すぐに行方不明になります。
その施設はバレーボールがとても強い施設です。
今では都道府県の代表になり、全国で優勝したこともあります。しかし、同時に「体に無理をしすぎて背が伸びなくなる」「バレーボールが嫌いになる」生徒はいやというほど見てきました。また、高校以降でも活躍してる生徒は数人いますが、みな「親元から通っている」学生です。つまり、「一時的に」「無理をさせて」「人を集めて」結果を出すということは、それほど難しくないということです。
そして、そういうことをしていると、本来助けなければいけない学生が蚊帳の外になってしまうということはないでしょうか。私は日本語教師になるときに、「できるだけ早く主導権を相手に渡すように」といわれました。教師が詰め込む学習から相手の自発的な学習へ、できるだけ早く移行することが、結果的に語学力を伸ばすことになるという意味だと理解しています。詰め込みで伸びる学力は、自発的に学習した場合のそれとは比較にならない、ということが、ここでは話し合われていますし、私も、教師はとことんそれを追求してほしいと、自分の経験から言いたいと思っています。同時に、社会や地域がもう少し下の人たちへ目を配ってくれないと、理想さんが書いていることは解決しないのではと考えました。
20. Posted by toshi   2009年01月12日 22:53
kawaさん
 反復練習について、kawaさんのおっしゃっていることに、おおむね賛成です。やはり子どものやる気を大事にしなければなりません。
 よくいただくコメントにあるのですが、同じことを大人であるあなたがやらされたとき、どう思うかということです。
 わたしは学級担任時代、反復訓練学習にかかわる宿題は出したことがあります。しかし、その宿題は、何をしたらいいか分からないとか、やることがないという子のためのものであって、自分でやることが決まっている子は、やらなくてもかまわないというものでした。
このことについて書いた記事があり、それは、本コメント欄のHNに貼り付けましたので、ご覧いただければ幸いです。
 子どもの内面を重視し、やる気を培うことに全力を尽くせば、そのほうが効果的ということでもあります。

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