2009年01月16日

『関心・意欲・態度』について、3

b11ee507.JPG 『関心・意欲・態度』の評価をどうとらえるか。どう考えるか。

 大切なテーマだと思う。


 これは、教育観、指導観にもかかわる。

 教え込みの教育観と子どものもっているものを引き出す教育観とでは、この観点のとらえ方がまるっきり違ってくるだろう。


 また、『人間の心、内面にまで評価は及んでいいのか。』という、人としての尊厳にかかわる部分での問いかけもある。

 『評価はいいが、評定となると問題。』という見方もあるだろう。


 さらには、理念としては分かるが、現実の学校教育の実態は、それと大きく異なるのではないかという、実態論もあるだろう。


 
 それでは、いただいたコメントを、紹介させていただこう。


〇まいさんはおっしゃる。(リンク先コメントの1番)

 「関心・意欲・態度」・・・私もこれこそが学校教育の大きな目標であり、重点だと思います。しかし、どう言えばいいのでしょう。通知票での評価になじむのでしょうか?

 例えば憲法論的(?)に言えば内心の自由や良心を数値化したり第三者が評価し難いのと似たニュアンスで、個人的で繊細な項目であるためにそこまで立ち入っていいのかな?という気持ちを持ちます。ベテランの先生には見抜けるのかもしれませんが、そういう観点で評価されるとなると「装う」ことを子どもたちが覚えてしまうのではと危惧します。


 痛いほどよく分かる。

 『関心・意欲・態度』の通信票での評価(混乱を避ける意味で、これよりあとは、『評定』という言葉を使わせていただく。)は、避けるべきではないかというご意見だ。


・これは、道徳の教科化が言われている現在、一定の意味をもつご意見だと思う。

 今回の指導要領改訂では道徳の教科化は見送られたが、教科となれば、評定を避けて通ることはできない。

 わたしもこれには反対である。

 『あなたは正直だからAです。』『あなたはよくサボるからCです。』と、こうなったら、それこそ、人間性の破壊につながるだろうと、わたしも思う。


 しかし、教科等の学習への『関心・意欲・態度』は、これと同義だろうか。

 
 本を読むことへの関心、

 運動大好きで、積極的に挑戦しようとする意欲、

 (態度については後述。)

 そういったものも、先ほどの道徳性と同じだろうか。


 『子どもの内面に属する。』のは確かだろう。しかし、『良心』とまでいえるものか、わたしは、ちょっと違うのではないかと思うが、・・・、しかし、自信はない。


・次、

 4観点は、ただの並列ではないという話を聞いたことがある。文科省の教科調査官が言ったのだと思うが、

 ゆとり教育においては、子どもが学ぼうとする思いを重視する。それがなければ学習は始まらないのだと理解してほしい。したがって、教員は、子どもの自ら学ぼうとする態度の育成を最大限重視してほしい。だから、一番先頭においてある。

 次、意欲を培うことができれば、子どもたちは、自ら考え、よりよい判断を下すようになるであろう。もちろん、ここでも、指導者が、子どもの豊かな思考力、判断力を育むべく、教材開発や児童理解に力を尽くしてほしい。

 そして、子どもが、主体的に、考えたり判断したりしたら、今度は、それを表現したくなるのではないか。そして、表現するために、一定の技能も磨きたくなるのではないかと思う。

 そうした活動を経て身につけてこそ、真の理解につながるのだし、獲得したものは、生きてはたらく知識となるのである。

 つまり、ゆとり教育は、『子ども自ら』を大切にする教育である。



 それに対し、つめ込み教育においては、まず先頭に来るのは、『知識・理解』であろう。子どもの学ぶ意欲を培うことは、どうでもいいとは言わないが、それほど重要視しない。

 『子ども自ら』を重視していたら、時間がもったいない。そんなひまがあったら、知識を教え込め。

 そうなるのではないか。



 読者の皆さんのなかには、信じられない思いの方がいらっしゃるかもしれないが、当時、国はそういうことを言ったのである。

 今思えば、夢のようだね。


・さて、話を戻して、

 『そんなことは分かっているわよ。日々の評価は、確かにそうでしょう。そうあるべきだとも思う。しかし、どうして、評定までしてしまうの。』

 皆さんにそう言われそうだ。


 わたしも、自信をもって答えられるわけではないが、答えさせていただく。


 先ほどの国の説明でもご理解いただけると思うが、これは、一人ひとりの子どもを評定しているようであって、実は、指導者が評価されているのである。


 相対評価なら、指導者は評価されない。だって、教員の指導力にかかわらず、どのクラスだって、一定割合に分布するのだものね。


 しかし、ゆとり教育においては、絶対評価だ。

 前記事において、一例だが、『友達のやっている試合も見ないで、勝手な行動をしている子がいたら、それはCとしていいのではないか。』と述べた。

 そして、2つの初任者のクラスにおいて、『そういう子はいない。』と書かせてもらった。


 もうお分かりいただけたと思うが、絶対評価である以上、学級によってはCが大勢いてもおかしくはない。

 『指導者が評価される。』というのはそういうことだ。



 ごめんなさい。

 文面では、なんか、『そういうことだ。』と断言しているような調子になっていますが、わたしとしては、寒い冬なのに、汗をかきかき打っています。

 今日はかなりシビアな問題を書いており、問題提起とご理解いただけたら、ありがたい。

 

・『ベテラン教員なら見抜けるかもしれないが、』については、

 これは前記事に書かせていただいた。

 見抜けるということはないだろう。

 だから、お互いに情報交換をして、見抜く努力を積み重ねる必要がある。『ああ。そうか。そういう見方もあるなあ。』と、子どもを見る目を学び合うことが大切だ。


 そう。そういう意味でも、教師の指導力が問われるのが、通信票だ。

 わたしはかつて、通信票の所見欄も含め、『この通信票には、教師の指導力が現れる。』という趣旨の記事を書いたことがある。お時間があれば、そちらもご覧いただきたい。

    通知表をめぐって


・『装う』ことについては、

 これはかなり確信をもって言うことができる。

 子どもが張り切って、いきいきと生活していれば、そのようなことはまずないと言っていい。『子どもが主人公の学校経営』とは、どの学校も言うことであるが、子どもの側からみたとき、お釈迦様の手のひらを意識することなく、自由闊達に振舞えるのなら、何でよそおう必要があるだろう。

 よそおうということは、無理して、『いい子』になることであり、それは、子どもの身の回りにいる大人が、そういう要求を日々子どもにしているからであろう。


 もう一つ。『子どもの学びの姿に感動を覚える』ということに、『よそおい』はまず無縁である。『よそおい』は、小学生の場合、すぐ分かるだろうし、そこに感動が生まれる余地はないと思われる。


 ただ、中学校のことはよく分からない。

 受験があるものね。

 先の記事に書いた、『挙手の回数も、関心・意欲・態度の尺度の一つ』のニュースでは、よそおうこともあるような報道がなされていた。

 これは、やはり、教員の、『見方』の質が問われる事態と言えよう。



〇次、そらさんからいただいたコメント。(リンク先コメントの2番)

 うちの子が通う小学校では、4つの観点がきちんと評価されていないと思っています。
 授業態度が悪いという理由で知識・理解の部分が悪い評価になっていたり(軽度発達障害のため、どうしても態度が悪く見えることがあります)、技能・表現の部分が悪くなっていたりするからです。
 そういう場合は、意欲・関心・態度ではないのか?と思うのですが、今までに納得いく答えをいただけたことはありません。

 わたしは読んでいて、サッカーゴールの所に一列で座っていたのは、担任の先生の指示のためだと思ったので、立ち上がって必死で応援している子と指示に従って座って応援している子の評価に違いがあるのはおかしいと感じました。
 しかし、先生は、立ち上がって応援している子の方によい評価をつけられました。

 実際の様子をみておられる先生の評価が、きっと正しい評価なのだと思います。
けれども、やはり、わたしには納得がいきません。
 座って応援している子の方が、態度がよいのでは?とまで思ってしまいます。



・まことに残念だが、『きちんと評価されていない。』状態があることについては、そうかもしれないなという思いをもつ。申し訳ないと思う。

 『授業態度が悪いという理由で知識・理解の部分が悪い評価に』という説明が担任からあったのだと思うが、それはやはり、そらさんのおっしゃるとおりだ。

 それに障害があるのなら、より、子どもの側にたった評価であってほしいと思う。


・サッカーゴールの件は、一般的には、そらさんがおっしゃるとおりの指導が多いだろうから、保護者の方がそのように受け取られるのはもっともだと思うが、

 わたしの担当している初任者のクラスにおいては、そのような指示はない。まったく何も指示はしていない。ただ、見学も学習なのだから、『見て学んだこと』や、『見方のすばらしさ』を称さんして、その輪を広げようとする営みがあるだけだ。


・また、この場合の『態度』についてだが、これは、いわゆる『お行儀』を意味しているのではない。

 いかに学んでいるか。

 それは先ほどの国の説明でも書かせていただいたように、『思考・判断』『表現・技能』『知識・理解』につながるような態度をさしているのだとご理解いただきたい。

 だから、立ち上がって応援しているからAなのではなくて(すみません。誤解を招くような書き方をしてしまいました。)、夢中になったり、のめりこんだり、一心同体になったりしている、そう、わたしが感じたことを、そして、必死の形相に感動したことも含めて、この場合はAと判断したと、ご理解いただきたい。



〇では、最後にNANAさんである。(リンク先コメントの3番)

 『よくできる』に〇がつくものはいつも必ず『…に関心を持ち意欲的に…』の項目です。5教科くらいでそこが『よくできる』で、他全項目が『できる』に〇。という好成績で、べた褒め(本人は〇の数が気になり褒めてもあんまり効かなくなってきていますが…)してきましたが、それで良かったのか…。(ホッ)』


 わたしがブログを始めたころ、大変お世話になっていたので、なつかしさがこみ上げてきた。

 ひさしぶりにコメントをいただいたら、お嬢さんが4年生とうかがって、なんだか、かつての教え子の成長を見るような、そんな思いにさそわれてしまった。

 長くブログをやらせていただいて、喜びを感じたしだいである。

 ほんとうにありがとうございました。


 『関心・意欲・態度』に、『よくできる。』がつくということ。

 これも、お子さんの個性だろうと思う。

 ただ、上記リンク記事にあるように、

通知表をめぐって

 通信票が、『担任の作品』とすれば、担任が、お子さんをそのようにみたという結果が記されているのだと、ご理解いただいたらありがたい。



 最後に、

 『評価』の重要性は言うまでもない。

 明日の指導につながるわけだし、一人ひとりの子どものよりよい成長を見つめて日々行うものである。

 しかし、指導要録や通信票に現れる『評定』に関しては、わたしも、いささか、心が揺れている。確信をもって言えない部分がある。

 しかし、(ああ。また、『しかし、』が続いてしまった。すみません。)『評定』は、保護者の方もご覧になるものなので、やはり、明日の指導、明日の成長につながるものであってほしいという願いはもっている。

 冷たい数値であってほしくない。一人ひとりの子どもへの愛情がにじみ出るようなものであってほしい。


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 上記、記事に書いたことの一部を繰り返します。



 『それに対し、つめ込み教育においては、まず先頭に来るのは、『知識・理解』であろう。子どもの学ぶ意欲を培うことは、どうでもいいとは言わないが、それほど重要視はしない。

 『子ども自ら』を重視していたら、時間がもったいない。そんなひまがあったら、知識を教え込め。

 そうなるのではないか。


 読者の皆さんのなかには、信じられない思いの方がいらっしゃるかもしれないが、当時、国はそういうことを言っていたのである。

 今思えば、夢のようだね。』



 そう。夢で終わってほしくないですね。

 今回の、指導要領の改訂。それに伴って、指導要録がどう変わるか。そのなかには、上記の国の説明がある以上、この4観点がどうなるか、順序性を含めて、気になるところなのです。

 あまりにも、学力、学力。この場合は、もちろん、ペーパーテストの点数を指しているわけですが、一部地域で、狂騒ぶりを示していますのでね。


rve83253 at 01:17│Comments(6)TrackBack(0)評価観 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by まい   2009年01月16日 09:41
toshiさん、不躾なコメントに対して丁寧にお答えいただきどうもありがとうございます。感激しています。私のコメントの最後に書いた「よそおう」ことについての心配は、少なくとも小学生についてはとても解消されました(中学生についてはおっしゃる通り内申書もあり、判断保留させてください)。toshiさんのように真っ向から子どものために考えてくださる先生ならば、通知票にそういう項目があってもいいのかなとも思えるようになりました。

私も方法はともかく「ゆとり教育」の理念は良いのでは?と感じています。「子ども自ら」を大切にする教育・・・素晴らしい考え方だと思います。どういうふうに方向転換されるのか(されないのか)、とても気になります。「関心・意欲・態度」の評価そのものについては私も今後、保護者として考えを深めていきたいです。またいろいろと教えてください。
2. Posted by toshi   2009年01月17日 12:32
まいさん
 そらさんからいただいたコメントにありましたように、現実に、教員が勘違いしていたり、あいまいだったりするケースもあるかと思います。研修は積んでいるはずですがね。
 そうした意味で、4観点が正しくとらえられるよう、わたしも、背景にある教育観から、訴え続けていこうと思います。
 しかし、まだまだ、検討課題です。断定はとてもできません。
 また、通信票は、保護者向けの色彩が強いのですから、市民感覚も大事にしなければいけないという思いです。
 
 そうか。要録だって、開示請求の対象になっているし、それに準じて通信票も作成されている以上、要録改訂には、有識者だけでなく、一般市民、なかんづく保護者代表のような方も参画していただかなければいけないですね。

 今はどうなっているのだろう。  
3. Posted by 社会人   2009年01月18日 15:36
意欲・関心・態度は
主観にならぬ様に
評価規準に沿って評価を心がけてます

課題への取り組み方、
ノートや提出物、発言や挙手の回数など・・・

大体の人は、
よく思われたいと思うのは当然だと思います

ただ子供は
正直なので
意欲が失せる授業だ
とシ〜ンと静まり返るので反応を見ながら
授業を展開し、評価する際は、子供へ適正に
フィードバックし
学習意欲の持続に繋がる様に心がけています
4. Posted by toshi   2009年01月19日 03:39
社会人さん
《子供は正直なので、意欲が失せる授業だとシ〜ンと静まり返るので反応を見ながら授業を展開し、評価する際は、子供へ適正にフィードバックし、学習意欲の持続に繋がる様に心がけています。》
 ほんとうに大事なことですね。まずは、子どもが張り切ることのできるような授業展開を工夫することですよね。
 その場合、《反応を見ながら、》というのは大切ですね。
 評価が有効に機能すれば、子どもも張り切るので、授業改善につながりますね。
 
5. Posted by NANA   2009年01月19日 22:02
先生が深く考えてくださっている記事を読みながら…。ハッとさせられてしまったのは?
娘は『意欲・関心・態度』は申し分ないのに…?
まさか?もしかして?
『意欲』に比例した形での『知識・技能』の習得ができていない。。。と、いう評価結果???

3段階評価の「よくできる」「できる」の次は、「できない」ではなく『がんばろう』なので…
まさか?いやまさか?
頑張っているのに『がんばろう』を付けるのは見合わないから『できる』にチェック???

……。うん!
やっぱりこれは考えずぎ!
娘は、『がんばっているから人並みに学習が進んでいる』のでしょう。
えらい!よく頑張っている!

通知表について、以前にも先生にずいぶんお話ししていただいてましたが、その後学校から『伝えたい』と思って発信しているな…。と、感じられるお便りも増えました。特に学校便りはとても良くなったと感じています。
通知表もずいぶん工夫が重ねられて見やすくなってきています。学校の努力を感じています。
6. Posted by toshi   2009年01月20日 13:42
NANAさん
 うん。やっぱり考えすぎだと思いますよ。(はっきり言ってしまって、ごめんなさいね。)
 お嬢さんのような例は、一般的に一番多いパターンなような気がします。すばらしいことですよ。
 お嬢さんの通われる学校が、保護者の方から、好感をもってみられているということ、ありがたいなと思いました。学校の伝えようとする努力が、保護者の方に伝われば、連携を深めることができるわけで、それは、まわりまわって子どもの幸せにつながりますよね。

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