2009年01月19日

ミスマッチと言うけれど、3

6b49a5e9.JPG 自分の性格とか、思いとか、そういうものがあり、それによって、自分の今の仕事が自分に向いていないと思ったとき、人は、『ミスマッチ』と言う。

 
 ほんとうに自分に不向きということもあるだろう。

 しかし、自分は努力しているのか。努力してもダメなのか。安易に投げ出そうとしているということはないのか。

 そういう反省をしてみる必要はあるのではないか。



 わたしには、民間歴がある。たった1年だけれど。


 一度ついた仕事を投げ出した人間だ。

 だから、えらそうなことは言えない。

 でも、自分の経験を語ることは、許してもらえるかもしれない。『ミスマッチ』について考える際の参考にしてもらえたらありがたい。


 
 わたしが勤めた会社は、商社だった。

 半年間の見習いを経て、会社の車で営業まわりをすることになった。

 お得意先の会社の購買部の方々は、だいたい横柄だった。『お前の会社から買ってやっている。』そういう態度が多かった。


 わたしは、だんだん、この仕事がいやになってきた。

 車でお得意先の会社まで乗りつける。そこまではいい。しかし、『今日はなんて言い訳をしようか。』そう思うと、会社の門を入れない。門の前で、言い訳をあれこれ考える。しかし、いい言い訳を思いつかない。

 そのまま、30分経過。『仕方がない。出たとこ勝負でやるしかない。』そう決心して入っていく。

 そういうときは、まず、だいたい先方から怒られた。

 それでまたいやになった。

『自分が悪いわけではないのに、誠心誠意、お詫びもした。それなのに、なぜあんなに怒られなければならないのだ。』



 一度、大雪が降った。

 メーカーは、午前中で仕事を切り上げた。それで、約束の納品が遅れる旨電話があった。お詫びの言葉はあったが、ぶっきらぼうで、事務的な電話だった。

 わたしはびっくりした。

 『ええっ。またか。・・・。でも、雪では仕方ないな。先方も許してくれるだろう。』


 次の日、お得意先へ出向き、その旨話すと、もう、烈火のごとく怒られた。

「なにい。雪のせいにするのか。もうおたくとは取引停止だ。」

 別に、雪のせいにしたつもりはなかった。ただ、『雪が』と言っただけだった。まあ、『取引停止』は単なるおどしで、実際そのような動きはなかったからよかったけれど、わたしの受けたダメージは大きかった。

 『それでは、なんて言えば、納得してもらえたのだろう。』

その思いが重くのしかかってきた。いくら考えても、名答は思い浮かばなかった。


 その後、教職についてからも、この言葉はわたしの頭から離れなかった。でも、学級経営がうまくいくようになってからは、思い浮かぶことはあった。

 
 もっと大変なことはいくらもあったけれど、会社を辞める決心につながったのは、こうした対人関係が円滑にいかないことだった。


 会社を辞めるにあたって、先輩に話したことがあった。その先輩は、何かとわたしのことを気にかけ、気を配ってくださったり、やさしく相談にのってくれたりした。

「一度ついた仕事をそんなに簡単に投げ出してしまっていいのかな。そんな調子なら、次にやりたいという教職の仕事だって、うまくいかず投げ出してしまうのではないかな。」

 この言葉も、その後のわたしの人生にとって、重い言葉となった。


 辞めるにしても、こまったことがあった。


 父は当時、小学校長だった。母はもう亡くなっていていない。

 わたしは、父に反抗していた。

「学校の先生なんかにはならない。」

 そう言って民間会社に勤めたのだった。


 今さら、父親に、なんて言ったものか。

 しかし、決断するしかなかった。自分の一生がかかっている。

 父とは同じ屋根の下で暮らしていたが、家ではどうしても言えなかった。


 ある日、

「お父さん。今日は一日、学校にいるの。」
「うん。いるけれど、なんだい。」
「ちょっと話したいことがあるのだけれど、今日、ちょうど、お父さんの学校の方へ行く用事があるから、会社の車で寄っていいかな。」
「それはいいけれど、なんだい。家で話せばいいじゃないか。」
「それが、どうも、家では話しにくくって。」

 昼下がり、父の学校で、父に深く頭を下げ、お詫びをしながら、話した。

 父も、先述の会社の先輩と同様、『一度やると決めた仕事を、そんなに簡単に投げ出してしまっていいのか。』と言った。


 これは、教職についた後、ある父の友人の校長から聞いたことだが、
「お父さんは、息子が教職につきたいと言ったとき、内心はすごくうれしかったのだよ。」


 でも、この会社を辞める時点で、教職がほんとうに自分に向いているのかどうかの自信はなかった。ただ、『相手が子どもだから、対人関係に悩むこともなく、何とかなるのではないか。』そんなばくぜんとした思いだった。

 あとで、『対大人でうまくいかなければ、対子どもだってうまくはいかないのだよ。』ということを思い知らされることになる。


 教員採用については、特別の苦労はなかった。

 当時は、高度経済成長のまっただなか。都市はどこも教員不足で、『デモシカ先生』が流行語になったくらいだから、まず採用試験に落ちるなどということはなかった。受験者全員を合格させても、教員不足は解消しなかった。


 そんな経過をたどって教員になった。


 初めは順風満帆だった。休み時間や放課後は、子どもと一緒に遊んだ。ときどき、校長には内緒で、休日も子どもと遊んだりした。やっぱり、『教職は自分に合っている。』そう思った。


 しかし、異動となり、歳も30代となり、校務が増え忙しくなると、だんだん子どもと遊ばなくなった。

 子どもがだんだん離れてしまっているという実感があった。

 すると、子どもから反抗されるようになる。


 今でも、忘れられない事件(?)があった。

 避難訓練のときだ。訓練は、どこの学校も上履きのまま校庭に出る。

「校舎に入るときは、よく上履きをぬぐってね。中が泥でよごれるから。」

 そうして、訓練のあと、教室へ入ったら、なんと、わたしの教卓の下だけ、泥だらけだった。

 ここまで子どもに反抗されるか。


 正直、教職がいやになった。自信がなくなった。

 そのとき、思い浮かんだのが、会社を辞めるときの先輩の言葉だった。

 もうあとがない。これで、教職までいやになったら、もうやる仕事はないではないか。ここは、石にかじりついてでもやるしかない。


 幸い、いい先輩の教員がいた。

 指導を仰ぎながら、がんばった。

 けっきょく、自分で自分を変えていくしかなかったのだ。

 教条主義的で、子どもはこうあるべきという思いが強い自分。

 気分しだいで叱ったり叱らなかったりする自分。

 『自分はこんなにがんばっているのに、どうして子どもは、こうなのだ。』そのように思っている自分。


 そうした思いが抜け去ると、霧が晴れたように、子どもの心がつかめるようになった。

 子どもの思いがつかめるようになると、それまで自分がいかに自己本位であったかも実感できるようになった。


 そうか。会社員だったときも、そんな自分があったのだ。きっと、言い訳が多かったのに違いない。『自分のせいではないのに、何でこんなに怒られなければならないのだ。』先方が横柄なのは、自分も横柄だったからではなかったのか。


 すると、『会社に対して申し訳なかった。』という思いにもなった。

 会社は、わたしが退職を申し出たとき、慰留してくれたのだった。

「営業が無理と思うなら、内勤に変わってもいいのだから。」

そうした言葉をさえぎるように、辞めてしまったのだった。


 今さら、会社に詫びるわけにもいかない。『ここは、社会に少しでも還元するという思いで、教職でがんばり通すしかない。』そう思った。


 今となっては、

 反抗した子どもたちに感謝している。それがわたしに自己変革の契機を与えてくれた。

 もし、あの、『反抗』がなかったら、

 それでも、校長にはなっていたと思う。なっていたとは思うが、権力的で、横柄な校長になっていたのではないか。

 それとともに、反抗した子どもたちには、申し訳なかったという思いでいっぱいだ。どうしてもっと理解してあげられなかったか。



 自分の経験で、ものを語るのは、言い過ぎになるかもしれないが、

 ミスマッチ。言ってしまえば簡単だ。

 ほんとうのミスマッチもあるだろう。

 しかし、わたしのように、自分の至らなさゆえということもある。

 どちらかは自分で判断するしかないのだけれど。

 そして、自己変革できれば、


 間違いなく、幸せになれる。


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 今日の記事は、関連の過去記事もあります。紹介させてください。

    教員生活35年

 今は、わたしのころと違い、大変な不況の中、ミスマッチと思っても、そんな簡単にはやめられないですね。

 どうか、それでも、多くの人が、幸せな道へ進めますように。

 そのような思いをこめて、自分のことを書かせていただきました。

    (2)へ続く。  

rve83253 at 03:31│Comments(4)TrackBack(0)むかし | 自己啓発

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この記事へのコメント

1. Posted by NANA   2009年01月19日 21:47
ちょうど、年度が変わることを見通して動こうとする時期。ご自分の経験を語って聞いてほしいお相手がいらっしゃるのかしら?と思いながら読ませていただきました。

私も今年度は「実は自分は今の仕事に向いてないのだろうか?」と考えさせられることがずいぶんありました。でも「仕事と自分があっているか?」よりも「自分はこの仕事が好きか?」を考えなければ…。と思い直したりしていました。
これが天職と信じて疑わないまま続けられる仕事もなかなかないでしょうし、天職を疑わずに全うできる仕事人もまたなかなかいないでしょう。
自分の仕事を好きでいられるとは幸せなこと。と、考えることにしました。

『上手にできているか?よりも、やっていて楽しいか?を考えなさい。楽しめるようにやりなさい』
娘の学びに対する姿勢に同じお小言をとばしていたことに気付かされました。(今)
私の仕事ぶりが『自分の学び』から抜けていないことがうかがわれてしまいましたね。。。(まあ、こんなもんか)

先生の伝えたい方も、先生の愛情が伝わるといいですね。
2. Posted by toshi   2009年01月20日 13:31
いえ。いえ。そのような人はいません。ただただ、一方では正規雇用でない方の解雇、他方では、介護、農業などの人手不足、そうした状況の報道を聞いて、ミスマッチを、考えてみたくなりました。
 ただ、むかし、2人の娘に言われたことがあります。修行時代よりあとのことですが、
「お父さんはいつも仕事をするのが楽しそうだね。ふつうはもっとつらいものだと思うけれど、仕事が楽しいっていうのは、幸せなことだよね。」
 そう。NANAさんがおっしゃっているのと同じですね。『楽しくなければ仕事じゃない。』みんながそう言える社会、自己改革も含めてですけれど、そういう社会の到来が望まれます。
3. Posted by みっきーまま   2009年01月20日 16:02
先日は大変お世話になり、ありがとうございました。
このブログに来れたのも、なおみさんのブログからでしたが、『さあ、じぶんの才能に目覚めよう』マーカス・バッキンガム著もなおみさんのブログで教えていただきました。(もう、読まれましたでしょうか?)
結局、人は向いている職種を探すというより、自分の強みを知るということが大切なんだろうなと思います。どんな職種にも、自分の強みを出せる場を自分でアピールできる、探せる・・・というのは、やはり自分を知り、開かれた心でいれる・・・そういう社会になればいいけれど、一人ひとりがそう思っていくことで、そういう社会をつくっていけるように・・・そういう子育てをしてゆきたいです。
4. Posted by toshi   2009年01月20日 16:42
みっきーままさん
 こちらこそ、記事に多数引用させていただき、ありがとうございました。
 そうですね。ブログで互いにつながり合うこと。すばらしいことだなと思います。
『さあ、じぶんの才能に目覚めよう』は知りませんでした。ある方のブログを拝見して、『おもしろそうだな。わたしなら、こうなりそうだな。』などと、本を読む前から、そんなことを思いました。
 子育てにしても、学級経営にしても、『自分を知り、開かれた心でいられる。』という、そういう子どもを育てられれば、どれだけ幸せなことか。
 また、記事を書きたくなりました。
 このコメント、また、引用させてくださいね。

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