2009年01月21日

ミスマッチと言うけれど、(2)4

cdc8ebe0.JPG 前記事、『ミスマッチと言うけれど、』を書いたところ、

 昨日の朝ズバッの番組

 みのもんたとコメンテイターの一人とが、この問題でやり合っていた。この種の番組としては、

 登場人物(?)同士が、激しくやり合うということ。めずらしいのではないか。


 それは、下のリンク記事にある。

 怒るみの「なんでまず仕事しないのか」 「仕事ミスマッチ」応募サッパリ

 
 みのさんは、別な日に、『派遣村は過保護。』と言ったようだが、わたしは、そこまでは思わない。あれは、突然、解雇され、住まいからも追い出された人たちのやむにやまれぬ状況から生まれたと思う。


 しかし、今日のみのさんの主張については、わたしはこれを支持したい。ほんとうに、『生きるためには、仕事を選べる状況ではない。』はずではなかったか。


 逆に、コメンテーターの主張には違和感を感じた。確かに、根本に、『同一労働、同一賃金』の問題があることは分かるが、それは、このミスマッチの問題とは次元を異にするものだろう。


 ただし、

『人付き合いが苦手だから、組み立ての仕事が自分に向いてると思ってやってた人に、すぐサービス業の仕事しなさいっても、なかなかうまくいかないだろうな。』

は、拙ブログの前記事にもかかわって、身につまされる思いだった。



 これは、まさしく、教育の問題ではないか。


 今の教育は、『人付き合いの苦手な人』を大量生産していないだろうか。そう思ってしまったのである。



みっきーままさんはおっしゃる。(リンク先コメントの3番。)



 〜。

 人は向いている職種を探すというより、自分の強みを知るということが大切なんだろうなと思います。

 どんな職種にも、自分の強みを出せる場を自分でアピールできる、探せる・・・というのは、やはり自分を知り、開かれた心でいれる・・・そういう社会になればいいけれど、一人ひとりがそう思っていくことで、そういう社会をつくっていけるように・・・

 そういう子育てをしてゆきたいです。



  わたしは、みっきーままさんと、思いを共有する。


 『自分を知り、開かれた心でいれる。』


 ほんとうに、そういう社会を建設することが大切だ。教育と子育てと連携して、そういう社会の建設に向けていけたら、最高だと思った。



 自分で自分を知るということ。

 自分の得意なことが分かるということ。


 これは、小学校低学年の生活科の目標でもある。

『集団や社会の一員として自分の役割や行動の仕方について考え、』

『自分のよさや可能性に気付き,意欲と自信をもって生活することができるようにする。』

 一部抜粋だが、生活科の目標にはそのようにうたわれる。


 しかし、今回の、『ミスマッチ』の問題では、それが大人でもむずかしいことを証明してしまっている。

 つまり、教育がうまく機能していないということだ。


 前記事に引き続き、わたしのことで恐縮してしまうが、少し述べてみたい。


 かつては、

 自分のカラに閉じこもる。

 自分にはああいうことはとうていできないと思い込む。


 そういう自分がいた。


 心が開かれ、子どもにお釈迦様の手のひらを与え、子どもをいきいき生活させることができる、そういう先輩がいて、

・休み時間、子どもが、『先生。何言っているの。いやだあ。』などと先生に甘えたように言い、

・授業中、確信と自信に満ちた表情で、『〇〇君の意見は、多くの人が思っていることだとは思うけれど、でも、ぼくは、反対で、〜。』などと発言し、

・当番活動などでは、どの子も、委員会活動や、掃除など、一生懸命はたらいていて、

 すばらしい学級経営をされているのをみると、


 それをやっかむ自分がいた。



 『自由。』

 口で言うのは簡単だ。そして、今の日本は、民主主義国家。

 一応、各人の自由は保障されている。

 そのようにみえる。


 しかし、今回の『ミスマッチ』問題を見るとき、人は、自分で、自分を、『規制』してしまっているのではないか。

 『自我』から解き放たれていない。


 そう感じてしまった。



 教育のなかで、あるいは、子育てのなかで、

 『〜しなさい。』
 『〜してはいけません。』

 『あやまりなさい。』

 そういうことが多すぎやしないか。


 『自己規制力』を養ってしまっているということはないか。


 真の、『自由』を獲得させる教育でありたいものだ。



 今朝のテレビでは、

 ついこの前まで契約社員だった方が、新しい職場を得て、次のように語っていた。


 今までは人に言われたことを言われたようにやるのが仕事だった。でも、今の仕事では、自分で自分のやることをみつけるように変わった。


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ninki



 今、オバマ新大統領の就任式とパレードを見ていました。

 ものすごい歓声です。

 格調高い就任演説。 


 そこから、

 真の自由を獲得できることへの確信。

 そのようなものを感じました。

 興奮を覚えました。


 オバマ新大統領については、過去記事があります。今、リンクさせてください。

    オバマ次期大統領決定に思う。

rve83253 at 07:38│Comments(15)TrackBack(0)教育観 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by 柴田勝征   2009年01月21日 12:31
toshi先生、ご無沙汰しております。
福岡大学の柴田です。
 私のブログの最新号の後半に、私の「情報科教育法」(教職科目)の授業風景の実況中継のようなレポートを載せました。教育実習の模擬訓練です。その中で、小学校の理科の題材を復習させました。toshi先生の「問題解決」授業と相通ずるものがあるかなあ、と思いました。小学校教育のベテランでいらっしゃるtoshi先生のご意見・感想を聞かせていただけると嬉しいです。
(注)toshi先生のHPの「メールはココからお願いします」という枠から送信しようとしたのですが、私のパソコンの設定との相性が悪いのか、いろいろ努力してみたのですがどうしてもうまく行かないので、やむなく、ここからおたよりします。上記の記事とは直接の関係は無いので、申しわけありません。ご容赦下さい。
2. Posted by まみよ   2009年01月21日 14:24
はじめまして
大学では教育について勉強していました。
今の仕事は教育とは全く関係ないのですが、
副業で家庭教師をしています。
今でも教育には関心があります。
それでちょっと覗かせてもらいました。
3. Posted by みっきーまま   2009年01月21日 23:31
またまたありがとうございます。
10年以上前に人事の仕事をしていたとき、派遣社員を雇うか雇わないか?というときに、そういう人の雇い方、また雇われ方は、必ず、しっぺ返しがくる。お互いに・・・という話を上司がしていたのを覚えています。10年経って・・・やっぱり、そうなった・・・あの時に話していた通りに・・・・

いつも思うのですが宿題にしろ、「〜をしなければならない」ということに縛られると、自分が楽しい!!と思うことを知らないまま(するひまがないまま)社会に出てしまう・・・

習い事で受身でばかりいると、やはり、そうなってしまうように思います。

でも、いろいろなことを見回してみても、例えば、今日のオバマ新大統領の演説を聴いていても、受身では・・・と思います。自分が国に何が出来るか?自分がからくり人形のように、地球の部品の一部だとすれば、一人ひとり、同じ部品はない。そして、不要な部品は一つもない・・・そういうことを一人ひとりが自覚できれば・・・なんて思います。

4. Posted by toshi   2009年01月22日 21:56
柴田勝征さん
 メールがうまく入らないとのこと。申し訳ありません。
 ご紹介の貴ホームページを拝見しました。ゼミナールだと思いますが、教室の雰囲気がよく伝わってくるように思いました。
 わたしも、もう、40年前になりますが、学生のころを思い出し、ほほえましい気分になりました。
 ただ、今の学生気質なのでしょうか。わたしのころは、教授はあまり多くを語らず、学生同士けんけんがくがく議論し合っていたように思います。
 わたしは教育系の大学ではないのですけれどね。

 ただ、今、思い返すと、かなり理屈っぽかったかもしれません。
 問題解決学習は、子ども同士が価値を深め合う学習ですので、そうなりにくいのは、学生が小学生当時から、そういう学習の経験がないのかなとも思いました。
 大学時代になってからでは、かなり大変なことではないかと思いました。果敢に挑戦されていること、敬服しました。
5. Posted by toshi   2009年01月22日 21:58
まみよさん
 コメント、ありがとうございます。
 今後とも、よろしくお願いします。
 
6. Posted by toshi   2009年01月22日 22:26
みっきーままさん
 今、学校教育に限らず、あまりにも、受身の姿勢を身につけさせてしまう教育が、横行しているように思います。
 そして、受身でしか生きていかれない人間性が養われてしまっているのですね。
 わたしの宿題の出し方については、すでに記事にさせていただきました。みっきーままさんはもうお読みだと思いますが、紹介させてくださいね。本コメントのHN欄に貼り付けさせていただきましたので、よろしくお願いします。
 オバマ大統領と言えば、その就任演説の一節、
『困難な任務に身をささげるほど精神を満足させるものはない。』
は、まさに、本記事と、重なる部分があるのではないかと感じました。
7. Posted by NANA   2009年01月24日 22:46
先生やみのさんのおっしゃることにうなずけないわけではないのですが、派遣切りにあった方々は、本当に先生たちが想定している理由で国の勧める仕事に就くことをためらっているのだろうか?と…。ちょっと私、今回はしっくり来なかったな…。

『食うために選べないからつく仕事』“自分の”生活のための仕事(労働=経済活動)として『介護職』を勧めていることに私は違和感があります。
同じように派遣切りの方々を対象に「これを機会に介護の人材育成のルートに乗っかりましょうよ!」という呼びかけがあるのですが、そっちはそんなに的を外しているわけではないと感じますが、はたしてどれだけの人が呼び掛けに応じるかなぁ〜?と思っていました。
今、自分が『食う・寝る』に困っている状態の人ならとりあえず生計をたてなおしてホッとしたいはず。スキルアップはホッとしてから先のことではないかしら?

先生は、教師も同じ募集の仕方で人手不足を補えると思われますか?

私のような考えが『甘い』と指摘されているのだろうと思い、数日間考えていたのですが…。やっぱりちょっと違和感が抜けないのです。
8. Posted by toshi   2009年01月25日 02:56
NANAさん
 NANAさんがおっしゃる違和感は、わたしにもよく分かるつもりです。わたしだって、すっきりしているわけではないのですから。

 ただ、いろいろ誤解もあるなと思いました。

・国が仕事をすすめているなどということがあるのでしょうか。

・派遣切りの世相のなかで、介護だけでなく、役所、農業など、いろいろな部署が求人に乗り出したことは事実ですね。そのなかには、人出不足のところもあるでしょうが、とりあえず雇用を少しでも確保しようとして、不足していないにもかかわらず採用に踏み切ったところもあるのではないかと思います。しかし、そのほとんどで募集人員が大幅に満たされていない状況があるので、驚いているのです。

・ハローワークも、『仕事はいろいろあるのだ。』と言っています。

・派遣切りの方々を対象に、「これを機会に介護の人材育成のルートに乗っかりましょうよ!」という呼びかけがあるのは承知しています。(国も、このことなら言ったかな。)
 しかし、これは確かにうまくいかないだろうと思います。現に、介護の方からの、『そんな簡単な思いできてほしくはない。』という声もありますね。だから、このことに関して、『派遣切りにあった人は、介護職につけばいいのに。』などと、わたしはまったく考えていませんよ。いろいろある選択肢の一つとしてなら、是認しますけれど。

・《今、自分が『食う・寝る』に困っている状態の人ならとりあえず生計をたてなおしてホッとしたいはず。》
 そうなのですよ。そうであるはずなのですよ。それなのに、いろいろなところが募集しているにもかかわらず、その募集にほとんど応じていないことに驚いているのです。
 
 そこに、一つ一つ同じ部品はないはずなのに、『部品になろう、部品にしかなれない。』という思いを感じ、それは教育の問題だなと思ったのです。
9. Posted by 柴田勝征   2009年01月25日 09:32
記事とは関係のないお願いでしたが、ごらんになっていただき、コメントしてくださってありがとうございました。ますます、やる気が出てきました。
 ちょっと、誤解があります。
>ゼミナールだと思いますが、教室の雰囲気がよく伝わってくるように思いました。
 いわゆる「ゼミナール」ではなく、正規の(ふつうの)講義です。聴講学生の数は毎回30数名です。本当は40名近く聴講登録をしていますが、いろいろな理由から欠席している学生が毎回、数名はいます。ブログ記事で発言を紹介できた学生の数が数名だってので誤解されたのではないかと思いますが、黙って聞いているだけの状態に近い学生が30名近く出席しています。
10. Posted by toshi   2009年01月26日 02:17
柴田勝征さん
《いわゆる「ゼミナール」ではなく、正規の(ふつうの)講義です。》
 よく分かりました。どうも、失礼しました。講義なら、もう、わたしの経験したものは、教授の一方的な話でしたから、柴田さんのそれは、学生を大事にしているなという感じで、感服しました。
《聴講学生の数は毎回30数名です。本当は40名近く聴講登録をしていますが、いろいろな理由から欠席している学生が毎回、数名はいます。〜、黙って聞いているだけの状態に近い学生が30名近く出席しています。》
 なんだか、分かるような気がします。 
11. Posted by NANA   2009年01月27日 20:54
丁寧な捕捉をありがとうございます。
よくわかりました。
ああ、だから「…言うけれど。」なんだな…。と、やっと共感できました。

>介護の方からの、『そんな簡単な思いできてほしくはない。』という声もありますね。

そうでしたか…。私は、新しい仕事としてちょっとかじってみたけど思っていた味じゃなかったから。と、すぐに投げ出してしまうことがなければ、最初の出だし・やり始めのきっかけは人によってどんなものであってもよいのでは?『続くなら』簡単な気持ちで始めてもらっても、かえって続けていくことで新鮮な驚きや発見があってよいだろう。
受け手になる福祉現場のほうも新しい風が入っていいことがたくさん出てくるかもしれない。
(経験年数だけを重ねてふんぞり返った仕事をしてきた人たちには苦境が待っているかもしれませんが…?)
と、思っています。
ただし、自分の生活(金)のためにと割り切って取り組む姿勢では続かないだろうし、そのままの姿勢で続いてほしくない。と思っています。
12. Posted by NANA   2009年01月27日 20:56
>一つ一つ同じ部品はないはずなのに、『部品になろう、部品にしかなれない。』という思いを感じ、それは教育の問題だなと思ったのです。

はい。よくわかりました。こういった発想で問題意識を持つところに、先生のお人柄だけではない“先生として魅力”を感じます。

ミスマッチを考えながら…
・どうして彼らはこれまで派遣だったのかしら?
・今回の経験を通してもまだ派遣や臨時を続けたいかしら?
・部品でいる事と自分でいる事と、どちらが簡単で手っ取り早かったのかしら?
・仕事を通して自分でいることをしてこなかったのなら、どこで自分として生きていたのかな?
・部品でいたときの報酬や生活水準を本人たちはどう受け止めていたのかしら?

などなど…。いろいろ思い浮かんできました。
生産業の大手が一人勝ちのような言われようで好景気だったここ数年間によく聞くようになった『ワーク・ライフ・バランス』や『ワーキングプア』といった言葉が浮かんできてしまいました。

先生がおっしゃるように彼らが部品でいたがっているとしてもその背景にやはり何かある!と、私も思います。
『ミスマッチ』なんて、社会の中の歪を一言で言い表そうとしてもやはり無理があると感じたのが私の違和感だったのかもしれません。
13. Posted by toshi   2009年01月28日 20:10
NANAさん
《介護の方からの、『そんな簡単な思いできてほしくはない。』という声もありますね。》
 これはそういう声もあるということで、NANAさんがおっしゃるように、《きっかけは人によってどんなものであっても、『続くなら』簡単な気持ちで始めてもらっても、かえって続けていくことで新鮮な驚きや発見があってよいだろう。》と思われて、受け入れようとされる方もいらっしゃると思いますよ。
 ただ、ほんとうにめったにあることではないですけれど、介護職員が、介護される方を虐待したとか、人権上問題になるような差別を行ったとかいう報道もないわけではないので、わたしは、『簡単な思いできてほしくはない。』とおっしゃる気持ちも分かる気がするのです。

《ミスマッチ》どなたかがおっしゃっていましたが、派遣社員云々よりはるか以前から、ミスマッチはあったわけです。でも、そのころ、当人はミスマッチと承知しながらも、仕事とはそういうものだと達観していたケースが多かったと思います。
 しかし、今、多様な勤務形態が出現し、そのことによって、ミスマッチは耐えられないという思いが出てきたのでしょう。気楽に生きたいと思っているのに、また、気楽で生きる代償としての安い報酬でいいと思っているのに、『気楽に生きられなくなるのかよ。』といった、そんな気持ちが支配しているのかもしれません。

 やはり、教育の問題だなと思います。国の言う、『生きる力』にもかかわるでしょう。

 真の幸せ。真の生きがい。それは、『自分自身を確固としてもち、それをフルに発揮することだ。』
 そういう生きる力を養わなければいけないと思うのです。繰り返しますが、人間は部品ではないのですから。
 
 
 
14. Posted by ☆KEEP BLUE☆   2009年01月31日 17:35
こんにちは。

始めてコメントさせていただきます。

仕事中に見させてもらってます。

また時間があるときに、

寄らしてもらいますね。


失礼します。
15. Posted by toshi   2009年02月01日 21:26
KEEP BLUEさん
 コメント、ありがとうございました。よろしくお願いします。

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